1.ミュージックビデオ界出身の新鋭監督の作品、二コールキッドマン主演、10歳の少年とニコールキッドマンの議論を呼んだシーンなどの関心事項があったため鑑賞したものの、はっきりいってストーリーはまるで面白くはない。
新鋭監督といっても、画像そのものにあまり目新しさはなかった。彼が多用したのは、俳優の表情をクローズアップで長時間撮るところ。
俳優に対してセリフではなく、「表情」で内面を語らせるようにさせている。しかし、ニコールキッドマンは、努力はしているものの、表情では上手く語れないようだ。ジョゼフ役を演じたダニーヒューストンという役者の方が数段上だった。
<以下ネタバレ>あの少年の気持ちは、少しは理解できると思う。
彼自身、自分がショーンの生まれ変わりだと信じたかったのだろう。父の仕事の都合で付き添った高級アパートメントでたまたま見かけたアナを密かに愛し、アナもショーンという10年前に死んだ夫を深く愛していることを手紙で知ったときに、彼の頭の中で何かが弾けとんだのではないか。自分がひょっとしたら、夫ショーンの生まれ変わりかもしれないと。だから、死んだショーンがアナのことを真剣に愛していないと知ったときに、真剣にアナを愛している自分はショーンの生まれ変わりではないとはっきり気付いたのだろう。
アナを真剣に愛しているからこそ、アナを裏切ることもできず、アナを真剣に愛しているからこそ、夫ショーンの生まれ変わりとして愛されることは望まない。
アナを真剣に愛していないショーンの生まれ変わりであると、アナから思われることは、自分にとって屈辱以外の何物でもなかったのだろう。
自分は、ただのガキだと知れば、いくら真剣に愛していようと関係はない。ただ彼女の前から立ち去る以外にすることはない。
アナもショーン少年を忘れて、ジョゼフと結婚しようと思うが、彼女は混乱するしかない。自分は、夫のショーンを愛していたのか、それともショーン少年を愛してしまったのか。夫への愛は本当のものだったのか。それともただの「幻」にすぎなかったのか。記憶や思い出は、どこかで美化されて、都合よく解釈されて、時間がたっても抜けない棘となって、心のどこかをチクチクと刺し続けるものだ。
この邦題は、映画の本質・奥深いところを捉えた、なかなかよいものではないだろうか。観客に対して、映画の解釈の手助けにもなるものだろう。