14.《ネタバレ》 ついに進退窮まった最後の局面において、主人公は「これは誰のせいでもない」と達観する。
それはすべてをやり尽くした上での諦めの境地のようにも見えるが、やはり、彼女がようやく辿り着いた“生きる”ということに対しての強い覚悟の表れだったと思える。
子を亡くし人生に打ちひしがれた主人公は、自分に与えられた仕事にひたすらに没頭し、その結果気がつくと「宇宙空間」に居たのだと思う。
それは彼女にとっては逃避に近い行動だったのだろう。
そこに訪れた文字通りに絶体絶命の危機。
無重力の怖さ、無音の怖さ、無酸素の怖さ、どこまでも広がる「無限」の怖さ、宇宙空間の虚無的なリアリティとそれに伴う絶対的な恐怖を描き抜いたこの映画は、一人の人間の弱さと脆さ、そして「生」に対しての神々しいまでの「執着」を導き出していく。
「宇宙」というものに少しでも興味を持った人ならば誰しも、あの「空間」に放り出されることを想像し、その恐怖に総毛立ったことがあるはず。
この映画の発端は、まさにその誰しもが覚えた恐怖感であり、紡ぎ出されるストーリーも極めてシンプルだと言える。
しかし、シンプルだからこそ、その徹底された無重力世界の描き込みの総てにおいて驚嘆せずにはいられなかった。
登場するキャラクターはほぼ2人きり。しかも映画の大部分は、サンドラ・ブロックによる“孤独感”のみで描かれる。
余計な人物描写や回想なんて完全に排して、今その瞬間の「現実」と、それにさらされた主人公の等身大の姿のみで描き切ったこの91分の映画の潔さが素晴らしい。
「結末」は誰しも容易に想像できる。
それでも、繰り広げられるスペクタクルの一つ一つに例外なく息を呑み、終始主人公と同様に息苦しさすら覚え続けた。
そして無重力下で球体化する彼女の涙を見て、こちらも涙がこぼれた。
果てに、彼女は地上に降り立ち、地球の地面に屈服する。
紛れもない重力に喜びを感じ思わず笑みを浮かべる。
赤土を握りしめ、彼女は再び立ち上がる。
映画全編に渡るあらゆる比喩は、彼女が「再誕」したことを如実に表現している。
凄い。本当に凄い映画だ。