4.《ネタバレ》 チョン・ジヒョンを主演に勝気な女の子を描くというプロット、さらにはことあるごとに『猟奇的な彼女』と同調させてしまうジェヨン監督の節操のなさから、どうしても二番煎じの印象は拭い去れない。けれどこの映画は決して単なる焼き直しなどではなく、『猟奇的~』と表裏一体の、もう一つの愛の物語なのである。『猟奇的~』が二度めの恋と向き合えるまでの少女の葛藤と奇跡を描いていたとするならば、クァク・ジェヨン監督が本作で描くのは、猟奇的な「彼女」が痛ましくも一途にその胸のうちに抱え紐解かれることのなかった、隠されたもう一つの主題、つまりは一生に一度の忘れえぬ初恋の記憶である。本作の前半における、他愛なくもきらきらとまぶしいばかりの輝きは、まさに初恋のそれだ。水しぶきをあげて車の行きかう土砂降りの往来で、歓喜のダンスを見せるギョンジンとミョンウ。前作『ラブストーリー』でも熱心に描かれていたように、恋する二人にとっては雨に濡れることすら幸福な瞬間なのだ。愛を誓いあう時、人はだれしも永遠を信じる。けれどその永遠の魔法が解けた時、人はどう生きるべきなのか。コミカルな描写を織りまぜつつも、やがて世界に一人とりのこされるギョンジンを見据えるジェヨン監督の視線は真剣そのものだ。ロミオとジュリエットのような心中への希求、あるいはマグマのように沸きこぼれる悲しみや憎しみ、そのどうしようもなさ。それは一生に一度のかけがえのない愛を奪われた私たちの姿でもある。生まれ変わったら風になりたい。前半で語られるミョンウの言葉。紙飛行機に風車、そして頁を繰るパラパラ漫画は、風の存在なくしては意味をなさない。それはギョンジンの心象でもあるだろう。彼女の部屋を過剰なまでに埋め尽くすそれらのガジェットは、同時に決して埋めることのできないギョンジンのその胸の空洞を物語り、ミョンウの不在を浮き彫りにする。彼女の魂を浄化するようなラストは、まさに映画ならではの陳腐なファンタジーである。けれど陳腐なファンタジーを信じるその力こそが、私たちに人生を生き続けさせもする。唐突にキョヌが登場し強引に『猟奇的な彼女』へとシンクロするラストシークエンス。けれどそれは単なるお遊びではない。なぜなら、彼女の進むその先、その指標こそが、エピソード2としてあらかじめ用意されていた『猟奇的な彼女』という物語にほかならないのだから。