1.《ネタバレ》 この作品は1915~22年に起きたとされるアルメニア人大虐殺を素材にしているが、よくあるナチスのユダヤ人迫害モノのように「こういう悲惨なことが実際にありました、酷いですね~、悲しいですね~」というだけの映画ではない。一個人にとっての民族のアイデンティティ、そして歴史とは何か、という事を、例えば父親を義母に殺されたと思い込んでいる少女を配する事で観客に訴えているし、或いは劇中劇と回想シーンを意図的にダブらせることで(劇中劇の方は英語が、回想は現地語が話されている)、「解釈」と「事実」の間の曖昧さを表現している。・・・・・・と、思ってたのよ、途中まで。要は色々な要素を入れることで作品を膨らませ、広げようとしたんだろう、とは思うのだけれど、なんか終盤は尻切れトンボな感じに思えてしまった。結局なぜゴーキーは自分の絵の母の手を消してしまったのか、とか主人公のラフィはトルコで何を見出したのか、とか(そもそもなぜトルコへ行ったのかもイマイチ曖昧)なぜ彼の父はテロ事件を起こしたのか、とか、税関のデヴィッドはなぜ(それと知らずに)ヘロインを持ち込もうとしたのか、とか、多くの不可解な点が謎として残ってしまった。良く言えば「観客に解釈を委ねる」ということかもしんないけど、僕には「風呂敷を広げすぎて畳めなくなっちゃったもんだから投げ出した」ように思えてしまったぞ。もちょっと馬力出してくれ、アトム。