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大人は判ってくれない

[オトナハワカッテクレナイ]
The Four Hundred Blows/The 400 Blows
(Les Quarte Cents Coups)
1959年上映時間:97分
平均点:6.89 / 10(Review 65人) (点数分布表示)
公開開始日(1960-03-17)
ドラマシリーズものモノクロ映画青春もの
新規登録(不明)【シネマレビュー管理人】さん
タイトル情報更新(2022-11-21)【イニシャルK】さん
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監督フランソワ・トリュフォー
助監督フィリップ・ド・ブロカ
キャストジャン=ピエール・レオ(男優)アントワーヌ・ドワネル
アルベール・レミー(男優)ジュリアン・ドワネル
ジャンヌ・モロー(女優)犬を探す女
ジャン=クロード・ブリアリ(男優)犬を探す女をナンパする男
ジャック・ドゥミ(男優)警官(ノン・クレジット)
フランソワ・トリュフォー(男優)遊園地の客(ノン・クレジット)
フィリップ・ド・ブロカ(男優)遊園地の客(ノン・クレジット)
金内吉男(日本語吹き替え版)
原作フランソワ・トリュフォー
脚本フランソワ・トリュフォー
マルセル・ムーシー(脚色/ダイアローグ)
音楽ジャン・コンスタンタン
撮影アンリ・ドカエ
製作フランソワ・トリュフォー(ノン・クレジット)
配給フランス映画社
美術ベルナール・エヴァン(セット装飾)
その他ジャンヌ・モロー(thanks)
あらすじ
少年アントワーヌ・ドワネル(ジャン・ピエール・レオ)は、継父と母との三人暮らし。母親の愛を知らない彼は、家でも学校でも居場所を見つけられず、非行に走ってしまう。ゴダールの『勝手にしやがれ』と並ぶ、ヌーベルバーグの代表作。トリュフォーの自伝的な長篇デビュー作で、以後彼はレオを主演に、20年に渡ってドワネル・シリーズを撮り続けた。カンヌ国際映画祭監督賞受賞。
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15.《ネタバレ》 愛情を渇望する十二歳の少年が非行に走り、両親の愛を失うという喪失の物語。
少年は一人っ子で、両親は共働き。母親は子を産みたくなかったが、産んで祖母に預けていた。父親は継父。夫婦仲は悪く、少年はしばしば二人の諍いを聞きながら眠りにつく。
書くことは他者との重要な伝達手段だが、少年はこの能力に欠けている。試験の場面から物語が始まる。少年は成績が悪い。運悪く廻って来たグラビアが先生に見つかり、立たされる。その不平を壁に書くと、文法がでたらめとなじられる。文法の宿題ができなかったので、学校をずる休みすると、それがばれて父親から大喝される。母親から作文の成績が良ければ小遣をあげると言われて気張るが、文豪の文章を剽窃してしまい、先生から批判され、これが家出の契機となる。食うためにタイプライターを盗んで少年鑑別所送りとなる。父親に酷い手紙を書いて愛想を尽かされ、遂に母親からも見捨てられる。
孤立無援となった少年は鑑別所を脱走する。少年は家庭や学校では居場所が無く存在感が薄いが、外では生き生きとしている。向った先は母なる海。そこには建物でごった返した都会と違い、自由に開かれた茫漠たる空間がある。自由にあこがれて海に辿りついた少年だが、同時に母親の愛も渇望している。「母が死んだ」という嘘は、母への愛情の裏返しだ。タイプライターを盗みに入ったのは父親の会社で、これは無意識にわざと捕まって問題を顕現化させ、両親との関係を修復しよういう心理が隠されている。
海に出たものの自由は扱いづらいく、手に余り、途方に暮れるしかない。まだまだ親の庇護を必要とする年齢だ。やがて目線は写真機の先にある観客に向けられる。観客は、少年と子供の頃の自分とが重なり、動悸が激しくなるのである。
本作での母親の愛情は「条件付き」だ。「云う事を聞けば」「成績がよければ」愛するのである。それでは本当に愛していることにはならない。少年は母親を嫌悪しているのではなく、よい子になりたいと願うし、不倫にも寛大で、性的魅力も感じている。少年が中年女の出産談を聞いて気分が悪くなるのは、自分の出生に負い目を感じているからだ。自分が生まれて母親を不幸にしたいう罪悪感がある。複雑なのだ。そんな思春期の少年の複雑な心の揺れをみずみずしい感性で描いた作品である。少年は完全に孤独ではなく、無二の親友ルネがいるのが救いだ。
よしのぶさん [DVD(字幕)] 7点(2014-12-08 16:38:18)(良:1票)
14.私はマニアではありませんが、好きだ~という思い込みだけでトリュフォーファンを勝手に自称しております(一応全作品観ている数少ない監督の1人)。彼の作品に愛着を持ち、自分の中で大切にしているような多くの方々からお前なんぞにトリュフォーを語ってもらいたくねえよ・・と言われそうな気がして怖いですが(自意識過剰の被害妄想)、やっぱり好きなので勇気を出してこれから気まぐれにぼちぼちレビューしていきたいと思います。さて、私が最初に観たトリュフォー作品が本作ですが、学生時代の初見では正直退屈でした。ただ、ラストシーンはとても美しく感じられ印象的でした。正しいファンはドワネル君に自らを重ね、少年の心が痛いくらい判るのでしょうが、私は日本で恵まれて育ちましたし、家族の愛らしきものにも不自由してない良い子ちゃんだったのであまり判りません。判る気はするけどきっと判ってないでしょうし、判ると言うのは恥ずかしい。いまだに大人じゃないガキなんだけど・・。あの境遇を他人事と思えない人にとっては本作は凄まじいくらいに痛切なのでは?と想像することしかできません。私は、邪道かもしれませんが、「ドワネルもの」の一部として、そしてトリュフォーの人生の一部として本作を評価したいと思います。たしかに映画は純粋にそれぞれ一つの作品として評価すべきかもしれませんが、いったん彼の作品を通して鑑賞し、彼の人生についての知識を解説本などで多少なりともかじれば、彼という人間と作品を切り離して考えることは不可能になります。いわば魂の全力投球とでもいうような彼の人生が乗り移った映画たちは、所詮他人事ですが人間臭さやリアリティが半端じゃありません。「ドワネルもの」を全て見た後に本作のあの海岸シーンを想像すれば胸が締めつけられるような感慨を覚えること必至です。本作は作品単体としては好みじゃありません。トリュフォー他作品の偏執的な狂おしいほどの異形の愛、醜く恥ずかしい自己愛(そして脚フェチ)などといったモチーフには自分を思いっきり重ねられるんですが・・・このレビューで私の恥ずかしい思い入れだけは伝わったでしょうか?。
しったか偽善者さん [映画館(字幕)] 7点(2008-06-12 02:16:54)(良:1票)
13.《ネタバレ》 - Les Quarte Cents Coups - “殴打400回”凄いタイトルだけど、フランスの慣用句が由来(『思いっきりやらかす』とかって意味だと思う)だそうです。英題は- The Four Hundred Blows - 邦題と違って直訳が多い気がします。でもとても良い邦題。映画の内容を解りやすく伝えようって、作品愛が感じられます。
『大人は(子供の気持ちを)判ってくれない。』とストレートに解釈しても良いんだけど、逆説的に『子供は判ってる』という事を伝えているんでしょうね。

アントワ―ヌは母親の連れ子なのに、その母親は夫との口論の際「子供を施設に入れなさいよ」と口にする。白昼の浮気現場を見られたその晩に。大人になるまで『別にそこに居てもいい』だけの家庭。実の母親に必要とされていない子にとって、家庭にどれほどの意味があるだろうか。「実は母が…死にました」は、咄嗟の嘘だけど、彼の中で本当に母親は死んだんだろう。
そんな母にとって、家出の手紙はショックだったんだろう。きっと自分の本心を見透かされたようで。だから彼女なりの精一杯の努力をしてみる。自分のベッドに寝かせ、過去の話をしたり、作文のご褒美を用意したり、家族で映画を観に行ったり。ただやっぱり、今の夫にもそれほどの愛情もなく、子供も邪魔な存在でしかない母にとって、アントワーヌの逮捕は願ってもない事件だったろう。
母親としてちゃんと進学させるよう、努力はしたけど駄目だった。最初から用意されていた結論ありきの問題と答え。家庭じゃあの子は育てられないから、あとは鑑別所でお願いね。という免罪符。

スタートから終了までをノーカットで長~く観せる遊園地のローター(乗ってみてぇ~楽しそぉ~)が印象的。アントワーヌが回ってるんだけど、ローターの遠心力で自由の効かないアントワーヌからは、世の中のみんなが回って見えるのだ。
もう一つ長くて印象的なのが、人形劇の赤ずきんちゃん(だよね?)。面白いところで笑い、ピンチのところに驚き、逆転劇のところに歓喜する。真剣な眼差しの子どもたち。対象的に如何に金を手に入れるか考えるアントワーヌとルネ。与えられるもので喜ぶ幼い子供と、与えられないものを得るために思案する2人。
そして最後にしてこの映画のハイライト。母親が望んだ鑑別所から、自らの意思で延々と走り去るアントワーヌ。追手が居ようと居まいと走り続ける。走ることで大人が子供に与えたもの全てを振り払う。教育や娯楽、ルールや罰則、不自由から逃れるのに必要な距離と時間。辿り着いた海岸は“子供としての最後”と解釈。何故ならそこから先はもう、与えられる立場(=子供)とは言えない存在になることだから。
『さぁ、これから、どうする?』最後の表情は、誰も答えてくれない質問を問い掛けているんだと、そんな風に思えました。
K&Kさん [CS・衛星(字幕)] 7点(2022-10-29 01:48:44)
12.《ネタバレ》 題名が良すぎ!映画が好きなら、この題名だけで、いつか観れる日をワクワクするだろう。そして自分は今日観てしまった!しかし、平成になる頃、やたら目にした不良モノに慣れてると、この素朴さにはがっかりしてしまう。あまりにも素朴な悪っぷり。こんなん比べると、「ワンスアポン・ア・タイムインアメリカ」のような、店に火をつける悪戯とか、無茶苦茶ぶりは恐ろしい。(ありゃギャングの子供時代だったけど)でも、そうだよ!映画って観る人への影響考えたら、この辺で止めとかなきゃ。そしてこの辺がやはり現実味あるよ。「恐るべき子どもたち」なんてタイトルの映画だって、内容はカワイイものだった。でも子どものワルって、この辺だろうけど、大人はきつくお仕置きしないと、やがては人も殺しかねないからね。あっちとこっちの世界の差は、始まりはこんなもんだったろう。でも教師って職業は、やはりサービス業ではなく、子どもとの格闘技をする仕事だよ。子どもに媚びるようじゃイカンでしょ。それにしてもラストの少年の寂しさ。ジ~ンと来ます。この映画は女の子が出てないのが、アカン。救いがない。
トントさん [ビデオ(字幕)] 7点(2014-10-15 05:49:39)
11.《ネタバレ》  自分の力で生きていかなければならない「大人」とその大人の庇護の下で生きている「子供」の間にある深い溝を鋭く描いていますね。子供と社会の間には常に目の前のたんこぶのように「大人」が介在していますからね・・・・。(まあその「たんこぶ」には子供を社会の危険から守ってくれる役割もあるんですけど)

 非常に、子供が抱える苛立ちが上手く表現されていると思います。

TMさん [ビデオ(字幕)] 7点(2011-09-24 11:38:12)
10.子どもはいたずら好きだ。しかしそれはちょっとしたもので悪意はほとんどない。いたずらが大人の包容力で受けとめられないとだんだん悪意を帯びたものになっていく。
愛情のない叱責や放任がどうなるかは、この映画が示してくれている。しかしこの映画の主人公はひねくれてしまうのではなく、最後は自分で自分の道を切り開いていこうとしているように思える。
ところでジャンヌ・モローはあれだけでお仕舞いというのは、ちょっともったいないような気がする。
ESPERANZAさん [DVD(字幕)] 7点(2011-08-03 05:17:28)
9.ヌーヴェルバーグの代表作の一つ。子供を淡々と見つめ続けるカメラの視線が素晴らしい。ラストシーンはあれしかないと思う。
j-hitchさん [DVD(字幕)] 7点(2010-09-21 21:17:11)
8.サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」がさして好かないのと同じような理由で、この映画にもさほど惹かれるわけではなく、孤独な少年の偽らざる心情や行動を表現していようと年令的・環境的な精神不安定からただ反抗しているだけでは。 青い未熟さをフィルムに定着させただけでは。 トリュフォーの子供時代を反映しているだけでは。 だが「ライ麦」の傍らにグラース家の連作があるように、これも単品としてよりも滑稽なドワネル・シリーズのプロローグとして見た場合違った趣がある。 トリュフォーはジャン=ピエール・レオの人生をこれで決定づけてしまったようなもの。 プチ・ドワネル、アントワーヌのやらかすことは青年になっても変わらず無軌道で痛く、監督自身がアンファンであったのだろうと思う。 この手の役柄はレオの定番となり、海岸に佇む少年は時を経てはからずもヌーヴェル・ヴァーグの申し子になるが、彼はまだそれを知らない。 エピローグは(彼の作品ではないが)レオが映画監督を演じる「イルマ・ヴェップ」がいいかもしれない、トリュフォーの分身であったレオはここへきて初めて彼と同化したかに錯覚する。
レインさん [CS・衛星(字幕)] 7点(2010-07-30 00:25:56)
7.モノクロの良さが凄まじいくらいに出ている名作。
にじばぶさん [ビデオ(字幕)] 7点(2007-09-03 16:19:35)
6.《ネタバレ》 映画を観に行ったシーンでは実に幸せそうな家族に見えるのが何とも残酷です。子どもに無関心でもなく時に思い出したように、もしくは良心の咎めを回避するように愛情を示す様子が逆に両親の深い愛情の欠如を浮き彫りにしています。大人がいつしか子供の感受性の豊かさや傷つきやすさなど忘れてしまうし、大人にはたいした事でなくても子供にとっては重大な事がある。そんな当然ながら誰もが忘れてしまう重要な事実が胸に痛いです。そしてアントワーヌが走り続けるラストが秀逸。まるで鑑別所から逃げるのと同時に自らの置かれている境遇を振り払っているかのようで印象深いです。さらに最後の表情が良い。ただ私には強さや意志といったポジティブなものではなく、ただただ途方に暮れているように見えました。 ・・・原題は直訳すると〝400の打撃〟、これは〝騒ぎ〟や〝イタズラ〟を意味するらしいです。もちろん原題も良いですが、邦題の〝大人は判ってくれない〟はピッタリの感じがします。
ミスター・グレイさん [ビデオ(字幕)] 7点(2006-02-08 18:29:13)
5.思春期・反抗期。そういった頃のことを描くのはとても難しいことだと思う。でも色んな表情、感情、行動を細かく描いているところはさすがだと思いました。どうにもならないあの気持ちがとてもよく描かれており、とても素晴らしい作品に思いました。
アンリさん [DVD(字幕)] 7点(2006-01-23 22:23:51)
4.美しい映像やソフトな演出にまかれたけど・・・これはけっこう痛い。走る場面や最後の映像に絶対的なもの(絶望や悲惨ではない、気高いけれど厳しいもの)を感じました。センスに唸る!
ジマイマさん 7点(2004-10-19 14:31:55)
3.《ネタバレ》 よくここまで子どもの目で撮れましたね。牛乳ビンのシーンとか、汚れた手をカーテンで拭いちゃうとか、憎い演出です。盗んだモノを戻しに行って、捕まる。やるせない・・・。 切望する親の愛情が薄っぺらなモノであったことは、少年にとってどれほどツラく悲しかったことか。印象的なカメラワークであったラスト、少年の表情は「一人で生きてやる!」といった意志よりむしろ、失望感にさいなまれているように見えた。
ダージンさん 7点(2004-06-13 04:59:31)
2.トリュフォーの描いた子ども映画では家庭内暴力などの多少のベタさはあってもストレートに子どもを描いた「思春期」の方が好きです。この映画はむかし観たせいかもしれないけど、当時は大人の目で見た「大人はわかってくれない」のような気がしました。むしろ大人から見た「大人はわかってくれない」なら良かったなと思う。この映画のフランスの匂いが好きです。子どもだった頃のレオン・ウォルトへ、みたいな感じで描けたら、もっと良かったのに。
omutさん 7点(2003-08-26 18:20:00)
1.《ネタバレ》 最後が結構スキ。逃げて逃げて逃げぬいた先は・・・。少年のクローズアップもなんか良かった。彼は最後に何を見つめていたんだろう。タイプライター1つ盗んで鑑別所行きなんて今じゃ考えられないよな~。主人公の少年は本当のワルじゃなくていたずらしたい年頃のワルガキってカンジなのに。親は少年を鑑別所なんかに送るのじゃなく、もっと少年と話した方がよかったんじゃないかな。特にお母さん、不倫とかしてる場合じゃないよー!
およこさん 7点(2003-07-14 18:55:05)
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【点数情報】

Review人数 65人
平均点数 6.89点
000.00%
100.00%
200.00%
311.54%
446.15%
5812.31%
61218.46%
71523.08%
81726.15%
946.15%
1046.15%

【その他点数情報】

No名前平均Review数
1 邦題マッチング評価 9.50点 Review4人
2 ストーリー評価 8.50点 Review4人
3 鑑賞後の後味 7.60点 Review5人
4 音楽評価 9.00点 Review2人
5 感泣評価 10.00点 Review1人
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【アカデミー賞 情報】

1959年 32回
脚本賞フランソワ・トリュフォー候補(ノミネート) 
脚本賞マルセル・ムーシー候補(ノミネート) 

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