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 > バーグマンの瞳 さんの口コミ一覧
バーグマンの瞳さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 65
性別
自己紹介 不定期連載「どうでもいいランキング」

ミュージカル映画部門別ベスト5(ちょこちょこ変動してます)

曲の良い作品5傑
1 アニー
2 若草の頃
3 メリーポピンズ
4 オズの魔法使
5 オペラ座の怪人

ストーリーが面白い作品5傑
1 ヘアスプレー
2 アニー
3 レ・ミゼラブル
4 ウェストサイド物語
5 シカゴ

ミュージカルシーンへの入り方がナイスな作品5傑
1 ヘアスプレー
2 雨に唄えば
3 若草の頃
4 メリーポピンズ
5 シカゴ

衣装・演出・ダンス時の振り付け・その他総合的なミザンセヌ
1 ヘアスプレー
2 メリーポピンズ
3 雨に唄えば
4 チキチキバンバン
5 イースター・パレード

人物描写5傑
1 若草の頃
2 メリーポピンズ
3 シカゴ
4 ヘアスプレー
5 ブルースブラザーズ

神声1傑
バーブラ・ストライザンド

ミュージカル界に来て欲しい人
エフゲーニャ・オブラスツォーワ



その他 超独断&偏見

ルックスを「加点法」で評価すると最強な女優1傑
イングリッド・バーグマン

「減点法」で評価すると無双する女優1傑
エリザベス・テイラー

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1.  アナと雪の女王
 その辺の通りを歩いてる人達を適当に二百人程呼び集め、百人ずつぐらいの二グループに分け、一方のグループにはこの映画を見せ、もう一方のグループにはこの映画のレリゴーの部分だけを見せたとします。そしたら、後者の方が好評な気がしちゃうんですよね。これって映画のアイデンティティー的にはちょっとマズい事なんじゃないでしょうか。だって、それって「これが必ずしも映画という形態をなしてなければならない理由は実は無い」ってことになるわけですから…。   例えばジェームズ・キャメロンのターミネーターなんて作品がありますけど、あの映画の中でターミネーターが真の姿(スケルトンの姿)を現してムクッと起き上がってくるシーンなんかは、確かにそのシーン単体だけでも十分格好良いんですが、全体の流れの中で見た場合にはさらにそこへ「しつこさ」という付加価値が加わるようになってます。大は小を兼ねるという言葉がありますが、このターミネーターの場合には、シーン単体だけを観たとき<流れの中で観たとき、になってるわけだ(キャメロンと、他の「ただ単にカッコいいシーンを作るだけなら俺に任せてくれよ!」という凡百の映像クリエイター達とを隔てる境界線はここかも)。ところがこのアナと雪の女王の場合には、シーン単体だけを観たとき>流れの中で観たとき、になってしまってる気がしました。マジで映画のアイデンティティー的にマズいことなんじゃないでしょうか…。
[ブルーレイ(字幕)] 5点(2017-07-07 17:42:12)(良:3票)
2.  オペラ座の怪人(2004)
ヒロインのエミー・ロッサムが直接関与していない時のミュージカルシーンの退屈振りに比べると、彼女が歌っている時のうっとり感たるや相当なものですが、それって逆に言うと「要するにヒロインの歌唱力&ルックスにおんぶに抱っこの映画なのでは?」ということなのかも。  巷のサイトなどでは「これだけうっとりさせられるということは、それだけミュージカル的に優れているという証拠だ」といったような意見もあるようですが、本当に「ミュージカル的に」優れた技巧の映画なんでしょうか。「非日常空間」と「日常空間(そもそもこの映画ではここの定義がちょっとばかしあいまいになってるんですが)」とが補完関係ではなく一方的な搾取関係になっているという点が、どうも私にとっては「こうゆうのをミュージカルと認めたくないなあ」と思ってしまうとこなんですが。ちょっとどぎつい言い方をすると「ヒロインとファントム以外の全ての人間(子爵ですらも!)が、二人を引き立てるための有象無象にされてしまっている」という気がしてしまって…。   全然話は変わりますけど、「最も理想的なミュージカル映画」って言ったら、それってどんな映画でしょうか。人それぞれ色んな意見があるでしょうが、私が思うに「おお、なんてこったい! 作り始めた時点ではそんなつもりなど毛頭無かったのに、いざ作ってみたらミュージカル映画になっちまったじゃないか!」という映画なのではないでしょうか。もちろんそんなにうまいこと御伽話みたいな生まれ方をする作品など滅多にないだろうとは理屈では分かっちゃいるんですが。
[地上波(字幕)] 7点(2015-07-30 12:34:41)
3.  シルバラード 《ネタバレ》 
エメットが主人公の様なオープニングで幕を開けておきながら、最後のスタッフロールではペイドンが主人公扱いになってるというのがクール。そのペイドンと敵の親玉との最後の一騎打ちもまたクール。両者が相対したまま沈黙している状態がしばらく続いた後、突如「ズドン!」で決着がつくという、椿三十郎ライクなシーンなのだが、ここのシーンで非常にクールな演出がある。ズドンにいく前に敵の親玉が銃を抜きやすいようにと上着をサッとどける仕草をするのだが、このリアクションにはペイドンは全く反応しない。普通に観れば「ペイドンは肝っ玉が据わってる」という解釈だが、もう一つ「親玉も只者ではない」という意味合いも含まれている。そう、この状況でのこの仕草は親玉にとってもリスキーなのだ。「服をどける振りして打つのではないか」と思われる危険性があるのだから。それを何食わぬ顔でやってのけることにより、まず単純に大物振りが際立つし、またこの二人の過去についての様々な想像を掻き立てる効果もある。だってある意味ではお互いの事を凄く信頼してるってことにもなる訳ですから。二人のただならぬ過去(ホモだって言ってるんじゃないですよw)を一瞬で表現するお洒落な演出。「ウエスタン」のラスト対決みたいに二人の過去をもろに視覚的に描いてから「ズドン!」っていうのももちろんカッコ良いですが、こっちの表現もまた独特のお洒落さ、クールさがあってカッコ良いですよね。まあ映画全体の出来としては歴史的傑作の「ウエスタン」や「夕陽のガンマン」にはちょっち及びませんが、それでもこのシーンを含めてなかなかどうして洒落てるなと思わせるシーンが多かったと思うので7点献上です。
[地上波(字幕)] 7点(2015-04-24 16:02:48)
4.  スクール・オブ・ロック
またミュージカル映画詐欺に遭ってしまった…。これって単なる「音楽映画」だよね。そしてその音楽映画としての出来栄えも特に高いと思えなかった。コメディーとしても中途半端。そもそも映画としての出来栄えがちっとも高くない。かなりの期待をして観ただけに多いに失望させられました。《追加》よく見たらここのサイトではミュージカル扱いになってませんでしたね。失礼しました。でもレンタル屋さんにはこれがよくミュージカルコーナーに置いてあってまぎらわしいんだなあ。
[DVD(字幕)] 5点(2015-04-24 00:13:40)
5.  ハリー・ポッターと賢者の石
大成する子役とそうでない子役との違いは、大人という生き物と子供という生き物との決定的な違いにいち早く気付ける人とそうでない人との違いではないでしょうか。大人と子供との決定的な違い、それは「大人は他人との会話の中で自分がどう見られているかというのを意識しながら喋るものだが、子供はそこには比較的無頓着であることが多い」ということだと思います。この結果、「だから我々大人というのは実はちょっとした日常会話の中でも実に多くの嘘を平然とつきながら喋っているものなのである。一方、子供は基本的にはそのときの感情にとても素直に喋ろうとする」という違いが出てくる。役者というのはリアルな人間の有様を再現することを求められるわけだから、当然ながらそのような「子供らしい」演技が出来る子役が「は~い、〇〇ちゃん、良くできまちた~」とか監督に誉められることになる。ここで、根が真面目人間で向上心の強い優等生タイプの子供ほど「な~るほど、演技とはこういうものか。よ~し、あたしも将来大女優になるためにもこのテクニックに磨きに磨きをかけなければ…」と、真面目人間特有の「恐るべき集中力」でもって「あくまでもその時点における理想的な演技」を極めようとしてしまう。ここで、「子役は子役でもデビュー時には既に12~3歳ぐらいだった」という人の場合は、実生活でもぼちぼち「何気に平然と嘘をつく」という事をやり始める年頃なのでまだいいんですが、もっと若くデビューした子でなおかつ変に真面目なところがある子は、子供演技から大人演技へのシフトの作業に物凄くてこずるなんてことがあるのかもしれないな……な~んてことをこの映画を観ながら思いました(なんのこっちゃ!)。
[地上波(吹替)] 6点(2015-04-20 12:44:10)
6.  青い珊瑚礁(1980) 《ネタバレ》 
この頃のシールズを見ていると「果物は腐る直前が一番ウマイ」というのも頷ける気が(←こ、こら!)。また、シールズの影に隠れてはいるが子役の子だって十分に可愛い。といっても「プリティベビー」の頃のシールズにはやはり敵わないが。ラストがちょっとまどろっこしい終わり方になってるのは、製作者の立場からすれば「もし普通に『うう、もうダメだ、喉がカラカラで死にそうだ…。あ、船だ!お~い、助けてくれ~!』という終わり方にしてしまうと、なんだか『一時は気の迷いで島の生活を優先させたけど、いや~、やっぱり文明社会が一番だね。ああ、文明様や、ありがたや、ありがたや…』みたいな空気になってしまって、この映画で一番言いたかったことの焦点がぼやけちゃう危険性があるな…」という考えだったんじゃないでしょうか。また、「普通の映画みたいなドラマティックなストーリー展開がほとんどない」というのもこの映画的には大正解なんじゃないでしょうか。そもそも普通の映画がなんでドラマチックな展開になってるかと言うと、要するにそれによって「主人公の精神的な成長過程を表現する」のが目的なわけですが、この映画ではそのような“外的な要因”に対応することによってどうこうの話でなく、人間が元々持っている自然な“肉体的(性的)変化”に対しての二人の不器用だが一生懸命な対応の妙が面白いわけですから。考えてみりゃ、シールズとアトキンズが登場した時にはもう「いい年頃の若者」ですよね。それが「お~い、待てよ~、ハハハ~…」とか追いかけっこしたりする姿が微笑ましく観れるのも、変にドラマチック過ぎる展開にして急激な精神的成長をさせないからこそです。つまり「外界と遮断された世界」という設定を賢く使ってるわけです。「既に様々な知識を持っている男女なんかを外界と遮断された世界に送り込んだところで、身体的成長に関する話も面白く出来ないわ、精神的成長に関しても面白く出来ない(何しろ何も起こらない世界なんだから)わで、表現できることなど限られてるに決まってるじゃないか」とつっこみたくなる様なお間抜けな続編より断然クレバーな映画だと思ったんですけど…。平均点5点台…。予想を遥かに下回る点数にちょっとショックです…。これ、そんなにダメな映画っすかね…?
[地上波(吹替)] 8点(2015-03-22 14:15:09)
7.  メリー・ポピンズ 《ネタバレ》 
冒頭のバンクス夫妻のミュージカルシーンへの入り方の巧さに感心。人前で突然歌い出すという行為自体を、マイペース人間を表す為の手段にすることによって巧みに「無駄の無さ感」を出している。この「無駄の無さ感」というやつがとても重要で、ミュージカルアレルギーな人が観ても「あ~も~いいから早く唄い終わってよ」という気にさせないようにしている。そもそもそれ以前の段階でも、バートの奇抜なキャラクターや、愉快な海軍提督を出すことによって、人が突然歌いだしたりしてもそれほどの違和感を感じさせない空気を作っている。また、「ミュージカルという非日常的行為が、ただ単体で存在するではなく、周りの日常に対して何らかの影響をパパ~ッと与えた結果、何らかの楽しい副産物が生まれる」という、私の大好きな方式が採用されているのも嬉しい。煙突から帰ってきてはしゃいでいる煙突夫たちを見てびっくりする家政婦達。だがあっという間に彼らのペースにハマッていく。おお、くるっと一回点。この年齢の家政婦では本来なら絶対無理な行為。つまり非日常が日常に影響を与えた訳だ。ここでもやはり無駄の無さ感(別の言い方で言うと「わざわざミュージカルという手法をとる意義感」とでも言おうか)が感じられて心地良い。ミュージカルシーンがただ単体でポンッと存在するだけの排他的性格を持つサウンドオブミュージックとは明らかに別種。おっと、別種といえば「悪い人をやっつける」ではなく「人の悪い部分を治していく」というお話になっているのも既存の映画とはやはり一線を隔てる存在。この映画の中でポピンズやバートが「無理解なるジョージ」のことをあからさまに批判するシーンは実はほとんど無い。普通の映画だったら多分ジョージはもうちょっとはっきりと「あなたの生き方は間違ってます」と引導を渡されるはず。そんな「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」ではなく「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」的なインテリマジカル(なにそれ)な空気がこのポピンズという稀有の魔法使いには本当に良く似合う。こんな魔法使い日本の漫画やアニメにいましたっけ?宮崎駿でも作れないキャラクターなのでは? 「清く正しい選ばれし存在だけが助かれば後の人はどうなろうと知ったこっちゃ無いのよ~♪」というノアの方舟的な思想が見え隠れするサウンド(以下略)とは好対照な終わり方もナイス。
[地上波(字幕)] 9点(2014-12-24 02:52:59)
8.  誰が為に鐘は鳴る 《ネタバレ》 
20世紀を代表する美男美女によるこの映画、さてそのお話の出来栄えはと言うと……つ、つまらん! 恋愛&活劇映画の優等生作品である「タイタニック」と比べるとその差は歴然。タイタニックでは主人公にとってはヒロインは最初の時点では「あちら側の人」でした。だからこそ恋愛関係になったときの達成感も大きかったんですが、この映画ではヒロインがあろうことかいきなり「小汚いおっさん連中の中に一人だけポツンと『白肌&金髪の美少女』という異質な存在がいる」という描写で登場します。つまり最初の時点でもう既に「こちら側の人」なわけです。「主人公にとっての異質な存在にとっての異質な存在」ってことは結局「裏の裏は表だ」っていうことですから。達成感もへったくれもないわけです。ライバルの不在も痛い。最初の時点から「どう考えてもこの中に主人公の恋敵になりそうなメンバーはいないよね…」と思えてしまってはワクワク感がない。そもそもヒロイン以外のほとんどの人間も最初から主人公に友好的なので、途中でパブロが中途半端に怪しげな態度を取ったところで、数的優位に立っているのは主人公の方なんだから。これといった危機感が無いままにタラタラと話が進んじゃう。これじゃ盛り上がらないわけだ。私は原作未読なんですが、多分この原作の方では元々プロットの面白さで勝負するタイプの小説では無かったんでしょうね。思想的、哲学的な面で評価されてる作品なんでしょう。それを映画化に際して、せっかくの良い部分はごっそり削り取るわ、「そこは売り物じゃないよ」というプロットの方は何の改良もせずにそのままボンと出すわという一番やっちゃいけないことをやっちゃった作品なのかなと。原作者も怒ってたらしいですし。5点。
[地上波(字幕)] 5点(2014-11-27 16:01:25)
9.  ヴィレッジ(2004) 《ネタバレ》 
ストーリーやミステリー部分に多少の穴があろうと、人物描写(特にアイヴィー!)がとにかくとにかく魅力的なので最後まで楽しんで観る事が出来ました。「森には魔物が住んでいるという迷信を本気で信じる少年少女たち」という設定もなんだか凄くノスタルジーを感じます。「子供達には『月にはウサギが住んでいる』などという事を本気で信じていて欲しい」という願望って誰でもある程度はあるんじゃないでしょうか。実はこの映画の一番のウリってそこにあって、ミステリー部分はついでにあるようなものかなとも思うんですけど、どうでしょうか。ちょっとした地域神の立場にでもなって村人達の日常をポケ~ッと眺めていられる面白さというか。エイドリアン・ブロディ扮するインセイン男はひたすらにキモかったですw 巧いよねこの人。「アイヴィーは怪物がノアだってことに気付いていたはずでは?」という意見もあるようですが、それはないと思います。抜け目のないこの監督さんはちゃんと「クロゼットに隠れているノアに気付かないアイヴィー」という描写を前半の方で入れています。つまりアイヴィーにはルシアスのような大切な人の色は見えても、割とどうでもいいノアのような人間の色は見えないってことです。まあそれでも「なんだかんだで盲目で森の中を移動できるアイヴィーにはやはりなんらかの不思議な能力がありそうだ」と思わせることによって、怪物の出現時に「うわ、アイヴィーがマジでビビッてるってことは今度こそ本物の怪物なのか!」と思わせる工夫は流石。あれ、アイヴィーが盲目という設定じゃなかったら大して怖くなかったはずです。この映画に関しては「穴だらけだ」とか怒る人も多いようですが、私は結構良くがんばった作品ではないかと思いました。前述したように、人物描写がしっかりしているので、複数回の視聴もできる作品になってますし。7点です。
[地上波(吹替)] 7点(2014-11-19 16:54:56)
10.  仔鹿物語(1946) 《ネタバレ》 
先日、テレビで「ライフ・オブ・パイ トラと漂流した~」をやってたんで観てたら、無性にこれが観たくなったんで、久しぶりにDVDを引っ張り出して観てみました(なんのこっちゃ)。もうみんな言うことですけど、本当にこの映画の自然風景は素晴らしいですよね。単に「美しい風景を撮っている」というだけの作品なら他にいくらでもありますけど、この作品は「風景を美しく撮っている」ところが素晴らしいと思います。「うへ~!これはちょっと簡単には真似できないな…」というシーンのオンパレードですよね。何気に後世に与えた影響の大きい作品なのではないでしょうか。また、グレゴリー・ペックが、気性は荒いが根は人のいい一家を巧いこと騙すシーンなど、当時の開拓民の狡猾さを堂々と表現しているところも好きです。少年が自ら鹿にトドメを刺すシーンも当時としては斬新だったんじゃないでしょうか。ライフオブパイのような変化球勝負的な表現も悪くないですが、私としてはこっちの作品のような直球勝負的な作品の方がより好きですね。8点にしようかさんざ迷った挙句の7点です。
[DVD(字幕)] 7点(2014-11-12 15:12:02)(良:1票)
11.  ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日 《ネタバレ》 
「人生とは捨てることだよ」という言葉が面白かったです。言葉そのものよりも、同じ出来事に対する受け止め方でも宗教家と無宗教家でこれほどまでに違いがあるのかと言うことが面白かったんです。なるほど、宗教家からすれば「人を殺す」「動物の肉を食べる」などということは、自分の中の大切なものを捨てることなんですね。私のような無宗教家からすれば「殺人者に制裁を加えるという新たな経験を獲得する」「動物の肉を食べるという新たな経験を獲得する」ということになるんですが。ていうかこの「人生とは捨てることだよ」という言葉って、考えようによってはちょっと危険な言葉ですよね。一歩間違えれば変な方向に洗脳(例えば「武器を捨てよ」とか「欲望を捨てよ」とか…)されかねないアブナイ言葉かなと思うんですけど。
[地上波(吹替)] 6点(2014-11-12 14:32:51)
12.  ムーラン・ルージュ(2001)
大阪の金持ちおばちゃまとかに好まれそうなデザインかなとw あと、割とシカゴなんかと比較されることもありますが、シカゴにあってこの映画に無いものは知性だと思う。
[地上波(吹替)] 5点(2014-11-01 10:46:47)
13.  ブロードウェイ・メロディー 《ネタバレ》 
「雨に唄えば」のパロディ元ということで、観たことはなくとも名前は聞いたことあるよという人も多いはずのこの作品。「未来を失ったヒロインが土壇場でヤケグソ気味に『こっからもう一回復活したるわ~い!』と言って終わる」というラストはある意味「風と共に去りぬ」の前半のラストと同じはずなのだが、これはとても感動できない。なぜか? ヒロインが最初から一貫してず~っと「いい人」過ぎるのだ。こんなにいい人がこんなに悲惨なラストを迎えては、観ている側としてはただもう「うっわ~、これはシャレならんわ…こんな可哀想な終わり方ありかよ…」とドン引きしてしまうのみ。でも恐慌直後のこの時代にはこんなラストが共感を呼んだってことなんでしょうね。アカデミー賞取ってるし。でも私はこんなの観るのは辛くてもう二度と観ないと思います…。それでも姉妹の日常生活のやり取りなどは微笑ましくてちょっと良かったので6点。
[DVD(字幕)] 6点(2014-10-21 18:49:53)
14.  若草物語(1994)
引っ張るべきところをバッサリ切り、バッサリ切るべきところを引っ張るという困った脚本。よりストーリーを端折ってるはずの46年版の方が話が分かりやすいという皮肉。色使い&照明も好きになれず。この映画の色使い、照明、部屋の装飾、小道具、外の風景…などは、リアルかもしれないが、華やかさに欠ける。下手すりゃ刑事モノの映画っぽい。これに比べて46年版は、なるほど、いかにも作り事の世界ですよって感じでリアルさは無かったかもしれないが、とにかく華やかで目に楽しい。人によっては可愛らしく見えるらしいキルスティン・ダンストも私にはモンスター。ローリー役も、どこか「さえない二枚目」という感じの今作よりも、「カッコイイ三枚目」という感じの46年版の方が、同性の私から見れば好感を持ちやすい(女性から見ればまた違うかも)。ヒロインのウィノナ・ライダーは美しいが、46年版のジューン・アリスンのような愛嬌がない。そもそも美しさにしたって46年版のエリザベス・テーラーには流石に敵わない。同性からも好感を持ちにくい教授の顔も問題あり。総合的に46年版の方が絶対にいいと思えました。 《付け足し》失礼、46年ではなく49年でした。
[地上波(字幕)] 5点(2014-10-19 19:17:49)(良:1票)
15.  アバター(2009)
この作品と、今までのキャメロン作品との決定的な違いは「看板シーンの有無」ですよね。今までのキャメロン作品には「○○というタイトルを聞いただけで条件反射的にこのシーンを思い出さずにはいられない」というシーンが必ずあったものですが、この作品にはそれがない。まあ、「全てのシーンが平等に素晴らしい」」という見方も出来なくはないが、「没個性的な作品だ」という意地悪な見方も出来なくはない。こんなこと言うと「別にいいじゃないか。とにもかくにもその映画を観ている間は夢中になれる作りになってるんだから」と言う意見もあるかも知れませんが、そのような「個々のシーンがどうのこうのというよりは、見ている間の一体感そのものがウリの作品」というのは、将来的にはわりと簡単に埋没してしまう危険性があるんじゃないかと。だってみなさん、ちょっと考えてみて下さい。例えばスピルバーグの「E・T」のような「異性人との交流というモチーフなんて他にも同タイプの作品がいくらでもあるよ」という作品を、我々が何故未だに時々観たくなるかというと、「だって、あの自転車のシーンを観れるのはE・Tだけだから」という所に行き着くと思いませんか?だから物凄く乱暴なことを言えば、「一流作品と二流作品との究極的な違いは、同タイプの映画が頻発しても需要が消えないか否かだ」と言えなくもないです。てことは、この作品は「超一流の二流作品」とも言えなくもないです。「見ている間の一体感そのものがウリの映画」というのは、今後将来的に同タイプの映画が増えていった場合に、需要的危機に陥る可能性があるわけですから。同じキャメロン製作&3D作品の「シルク・ドゥ・ソレイユ」の場合は「まずシーンのかっこ良さありき」で作られてるので(ということは後に出たこちらの方が余程従来のキャメロンっぽい)、何度観ても惚れ惚れしますが、この作品は私にはそこまでの作品とは思えませんでした。
[地上波(吹替)] 5点(2014-10-05 13:50:12)
16.  雨に唄えば
しかし本当によく「動く」映画だ。ミュージカル界のとなりのトトロだな。…いや、待てよ、「となりのトトロの方がミュージカル的なんだ」というべきなのか…。ま、ともかく「走る、跳ねる、回る、叫ぶ、笑う、バンザイする…などといった、一定以上の複雑な思考を必要としない、人類が太古の昔からやってきた本能的な感情表現を、「サイレントからトーキーへの移行期」という設定をなんともまあ巧~いこと使って、違和感なく流れの中に盛り込んだという天才的作品です。もう「唄うついでに動く」のではなく「動くついでに唄う」の領域ですもんね。「♪ローゼス、モーゼス…」なんて、思考などという上等なものはほとんど働いてなくって、掛け声を叫んでるみたいな感じですからね。そもそもここのシーンでのミュージカルに入っていく動機というのも、まず発声練習させられてるジーン・ケリーが退屈でいかにもかったるそうな様子であるのを見せておいてから「さあ、観ている方もぼちぼちイライラしてきたよね?動きたくなってきたよね?ハイ、じゃ、ここでちょっとふざけて茶々を入れて、ほ~ら、一息つこうよ、先生」という風な、実に子供じみた理由ですから。また、オコナーがアクロバチックなダンスを披露するシーンでも「なに?自分に自信が無くなった?そんなときはとにかく動いて無理やりにでも笑うんだ!」というやはり子供じみたパッパラパー本能で入っていきますから。「ここで動きたい」というときにミュージカルに入ってます。結構これが分かってないミュージカル映画が多くって、「ここで唄わせたい」という理性的な理由でミュージカルシーンに入っていこうとした結果、「…さて、それじゃ、ただ唄わせるだけなのも芸がないからちょっくら動かしてみるべ」という本末転倒な行為に及んでいるノーセンスな作品のなんと多いことか。「お前ら、本当にそこでそんな動きをしたいと思って動いてるのか?」とつっこみを入れたくなる作品のなんと多いことか。人間、動く必要のないところで動くことほど不思議で気色悪いことはないのである。その点、この作品は本当に「そもそもなんで踊るのか、唄うのか」というのをよく分かってるし、わざわざミュージカルでやる意義のある作品だと思います。「唄うついでに動く」というタイプの作品の大半は、比較的容易に小説化が可能ですが、この作品の面白さを小説で表現するのはさぞや骨が折れるでしょうね。
[地上波(字幕)] 8点(2014-09-26 20:33:18)(良:1票)
17.  マイ・フェア・レディ
人間が喜ぶ時って、思考よりもまず体の動きが優先しますよね。例えばテストの合格発表を見た瞬間などは、喜びのあまり「ヤッター!」と飛び跳ねる人はいても、喜びのあまり歌を歌いだすという人などいません。仮に声は出すにしてもそれは「フォ~!」とかいった類の雄たけびのようなもののはず。てことは感情表現には歌うことよりも実は踊ることの方が大事。だから私は踊らずにただ歌うだけという行為には強烈な違和感を感じるんです。という前置きをしつつ……。  ヘップバーンファンの方には殴られるかも知れませんが、この映画のヒロインは、舞台通りにジュリーアンドリュースがやってた方が良かった気がします。元々それで大評判だった訳ですし。いや、もっと言うと、メリーポピンズの方をヘップバーンが、この作品の方をジュリーアンドリュースがやった方が、お互いにとって有益だった気がします。ポピンズというのは、ミュージカルという以前にまず映画としての完成度がメチャメチャ高い作品です。だから物語全体の面白さにおけるヒロインの歌唱力の比重がそれほど絶対的に高いわけでもありません。つまりヒロインが口パクだというだけで即「あ~残念」ということにはならない作品なわけです。でもこの作品は違います。本格的なミュージカル作品です。にもかかわらず、ヒロインは踊りません。唄いません。けしからん。とどのつまり、この両作品は「せっかく汎用性の高いヒロイン役の方に、当代屈指の歌姫をわざわざ起用し、本人が実際に歌うことが望ましいヒロイン役の方には、歌えない女優を起用する」という非効率な関係にあるわけです。想像してみてください、ヘップバーン扮するポピンズが宙を漂う姿を…。今頃はきっと「ローマの休日もいいが、やはりヘップバーンの代表作といえばメリーポピンズだな」となってることでしょう。そしてこの映画も「面白いんだけど、口パクじゃあね…」などと言われることもなかったはずです。え、なに?後半の良さはヘップバーンじゃないと…ですって? いや、私が思うにですね、へたにヘップバーンを起用しちゃったからこそ「せっかく彼女を使うからには…」とか余計なこと考えてgdgdな後半になっちゃったんじゃないかと。あと、ヘップバーンの悪口を堂々と言えるスタッフもそんなにいないでしょうから「この人は踊れないから…」という理由で泣く泣く没になった案も本当は結構あったんじゃないかな…。
[地上波(字幕)] 6点(2014-09-10 21:46:30)(良:1票)
18.  トーマス・クラウン・アフェアー 《ネタバレ》 
6点を切ってるのでどんだけつまんないんだろうと思って観たら意外と面白かったです。ヒロインの女優さんがえらく年増なんだなーと思ってたんですが、ラストシーンを見て納得。なるほど、あのオチを効果的に作用させるには「ああ、この人やっぱり捨てられちゃったよ」と思わせる必要があるわけで、ヒロインがあまりに若くてナウいピチピチギャルだと「これだけの女をあの女たらしがほっとくわけが…」と思われる危険性があると。さらに「これだけの年増を選んだということは、この男、ただの女たらしでなくちゃんと中身を見る男だったんですよ」という綺麗な終わり方に出来ると。ま、これはこれでいいんでしょうけど、やっぱりヒロインは若い女の子の方がいいなあ(どないやねん)。お洒落でセンスの良い映画だなとは思いました。6点。
[地上波(字幕)] 6点(2014-05-30 17:34:18)
19.  オズ/はじまりの戦い
映画界きっての優等生ディズニーが作ったファミリー映画。当然、老若男女幅広く指示されることを意図した手堅い王道プロットでいくんだろう…と思いきや、これが必ずしもそうではない。一応、全体的なストーリー上における「起・承・転・結」は正確な位置に配置されているので(さすがディズニーですね)一見すると王道プロットに思えるんですが、実は結構変則型。例えば「最初は敵かと思われた存在が味方になってくれる」という鉄板パターンにもつれ込むまでに一時間超もかかっている。それでいながら「主人公一人では処理しきれない脅威」が襲ってくるよりも前になっている。なんでまたこんな横着な運びにするのか? それはこの映画が75年も前に作られた、穴だらけの設定を持つ映画「オズの魔法使」の続編(というか前編)だからです。ディズニーの苦労は察して余りあります。「前作の設定をうまく生かしつつ…それでいて前作を知っている人でも新たな発見があるようにしつつ…それでいて要所要所では前作のオマージュがでるようにしつつ…しかもそれらがセンス良く繋がるようにしつつ…それでいて前作の設定には絶対に矛盾が出ないようにしつつ…」こんな作り方でプロットに影響が出ないほうがおかしい。この問題をどう処理したか?「本物の魔法使いではなく単なるペテン師だということがいつばれるんだろう…」というハラハラ感をかなり後のほうまで持続させることによって、実は結構だらだらしたストーリーであるというのを隠すという方法に出た。これがなかったらこの映画は本当に大したストーリーじゃないです。それから前作に対する並々ならぬ愛も感じられました。途中に出てきたチキンなライオンは、前作のライオンのお父さんじゃないでしょうか。シャボン玉浮遊のオマージュも「そうか、そこで使ってくるか、うまいこと入れるなあ」と感心します。眠りの花もまたうまいこと絡めてくる。最後の決戦で例のトリックが出てきたときも「うわ!そう来たか!これは超萌え萌え~!!」って感じでテンション上がりまくりでした。ここでの評価はえらく低めですが、私は、ストーリー上の縛り要素が満載の映画にしてはむしろ大健闘したほうだと思います。8点でもありかなという感じの7点です。
[地上波(字幕)] 7点(2014-05-16 23:42:03)(良:1票)
20.  オズの魔法使
この映画に関して「途中まではとても楽しいのに後半に入って急にパワーダウンする映画」という意見の方はとても多い様に思えます。そしてその理由として「これはきっとプロットが悪いんだ。最後の敵があんなにあっさりやられちゃ、そりゃあ盛り上がらないよ」という類の意見もとても多い様に思えます。でも私はそれってちょっと違うかな~と思うんです(なんだか偉そう)。だって、プロットが甘いとか言ってたら、そもそもこの映画は途中からではなく最初からそうですから。例えば、仲間になるキャラクターが最初からいきなり友好モードであるなど、現在の映画の常識からすれば「なめてんの?」というぐらいに甘々のプロットです。この映画がつまらなくなる本当の理由、それは「色の使い方を急に変えるから」だと思います。映画の世界では、センスの良い映像を手っ取り早く作り出す方法として、ある一つのメインカラーを中心とする「ほぼワンカラーコーティング」とでも言うべき手法があり、これは色んな映画で日常茶飯事的に使われています。あまりに使われすぎて、私のようなヒネた映画好きなど「…ま~た安易にオレンジだの黄色だのといった人受けの良い色一色で画面を作ってるよ、この監督ホント才能ね~な」などと文句をたれたりします(本当に偉そうだw)。でも、この映画の凄いところは、赤、青、黄、緑、紫…もうとにかく信じられない程の多彩な色を、同一画面内で一度に使用するという、並みの監督ならば自殺行為にも等しい芸当をケロッとやってのけているところです。前半はこの映画史に残る素晴らしい色使い「レインボーコーティング」のおかげで、プロットのヘボさなど全く気にならずにグイグイ引き込まれます。が、この誠に見事な「レインボーコーティング」がオズの城に着いた辺りから、誠に退屈な「ほぼワンカラーコーティング」にシフトしてしまうのです。もちろん製作者達にも意図があってのことでしょう。でも、レインボーコーティングはこの映画の要です。「ほぼワンカラーコーティングによる映像美」だなんて、そんなの他の映画でいくらでも観れるんですから。そのせっかくの要を断ってしまうので、結果として観ている者(特にキッズ達)に「…な~んか段々と僕達の求めるオズ魔ではなくなってきたなあ…。つまんないなあ、退屈だなあ…」という印象を与えてしまう、私にはこれが後半のつまらなさのトップ要因かなと思えました。
[地上波(字幕)] 7点(2014-01-30 18:21:10)
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