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【製作国 : スウェーデン 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
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1.  ドラゴン・タトゥーの女 《ネタバレ》 
●二時間半があっという間だった。面白いのは先行するスウェーデン版の、美術やセッティングを意識的に踏襲しているあたりで、「ミレニアム社」の編集室や、犯人の「処刑室」など、「そこまで同じにしなくっても」と思ってしまうぐらいに、その部屋の間取り、美術、照明など、まるでおんなじ、なのである。脚本もおそらくは原作からそんなにいじっていないんだろうけれども、やはりスウェーデン版とまるでおんなじ、というところが多い。 ●スウェーデン版とちがうところ。それはまさに、主人公のリスベットという女性の解釈である。まずはもちろん役者がちがうわけで、ある意味でスーパーウーマン的な、強烈な個性をにじませた、食肉系の猛禽類をも思わせるスウェーデン版のノオミ・ラパスと対比すると、ここでのルーニー・マーラという役者はあまりに弱々しく植物的な印象で、「これではたしてリスベットを演じられるのか」と心配になるわけだけれども、つまりはこの演出において、フィンチャー版はスウェーデン版とは対称的な差異をみせている。また、この差異をきわだたせるためにこそ、あえて背景をスウェーデン版とおなじにしている、とみることもできる。 ●背なか一面に、大きなドラゴンのタトゥーを入れたノオミ・ラパス版のリスベットが、それこそアウトサイダーな生き方にどっぷりという空気だったのに対して、ちょっと遠慮がちに、背なかの左半分にドラゴンを彫ったルーニー・マーラのリスベットには、どこか「こうしたくてやっているわけではない」というような空気もあり、「まわりから追いやられてこうなってしまった」という哀しさのようなものも感じてしまう。彼女の設定は二十三歳とかそのくらいだったと記憶しているけれど、なんかフッ切れてしまっている感のあるノオミ・ラパス版にくらべると、このルーニー・マーラには、たしかに二十三歳らしい、そして女性らしい、愛し愛されたいという願望をもっていることもわかる。これがまさにラストでの、スウェーデン版とこのフィンチャー版との「違い」というものに如実にあらわれているのだろう。 ●もちろんわたしにはノオミ・ラパスの強烈な個性を否定するなどということはできないし、あちらはあちらですばらしい作品だったと思うのだけれども、わたしもやはり男だからか、こちらのルーニー・マーラの「愛おしさ」みたいなものも、やはり大好きなのである。
[映画館(字幕)] 7点(2012-04-11 08:17:39)(良:3票)
2.  キラー・インサイド・ミー 《ネタバレ》 
●原作のように主人公のモノローグを入れての進行なのだけれども、じつは核心のところでその主人公がなにを考えているのか、ということはモノローグからはみごとにオミットされている。これがこの作品ではうまくいっていて、モノローグのぶぶんは主人公のノーマルさを浮き立たせ、ところが映像では主人公ではそのノーマルさを裏切る非道さを際立たせることになる。だから主人公のなかにごくふつうの常識人と、そこからは想像できない人非人ぶりとが同居しているということが、原作以上にはっきりと示されることになると思う。「愛してる。すぐ終わる」と語りながら唐突に女性を殴り殺そうとする主人公が観るものに与えるショックは、そのケイシー・アフレックのなにげない顔とあわさって、尋常のものではない。ウィンターボトムの演出も、原作のストーリーを追うように見えながら、おそらくはストーリーなんて重視していないというか、この異常な主人公の造型をきっちりと組み立てることにのみ専念しているようではある。 ●わたしはもうほとんど原作をおぼえてなどいないのだけれども、おそらくたしかにこのようなストーリーだったとは思う。しかし、あきらかにある一点から先はこれは主人公の妄想というか、まちがいなく非現実として演出されている。お膳立てはとにかく現実と見まがうようにストーリーは続くのだけれども、もうここからあとはほとんどデイヴィッド・リンチの世界というか、現実とも非現実ともつかない、主人公にとっては甘美なことであろう破滅の世界がくりひろげられる。 ●医師の息子として教養ある環境に育った主人公は、書斎にすわってマーラーを聴く。書棚には膨大な量の書物が並んでいる。いっぽうで舞台となったアメリカ西部の荒んだ環境はBGMのカントリー・ミュージックなどでもあらわされ、とくにラストのSpade Cooley & His Western Band による「Shame On You」の、その一見陽気な曲調と辛らつな歌詞との対比は強烈である。ぜんたいにそういうカントリー・ソングの連なりでストーリーを引っぱって行く演出はみごとなもので、ここはさすがに音楽の取り入れ方のうまいマイケル・ウィンターボトムであると、うならされてしまうのである。  
[映画館(字幕)] 8点(2011-06-01 14:28:43)(良:1票)
3.  ぼくのエリ/200歳の少女
 映画が始まってしばらくは、少々もったいぶった演出が鼻につくというか、やっぱベルイマンの国かあなどと感じてもいたのだけれども、けっきょくこの作品はわたしにはやはり(当然ながら)ホラー映画で、そのホラー映画であるところの「お約束」シーンの演出がシャープだという印象になる。  ストーリーは主人公の12歳のいじめられっこの少年からの視点と、その外の世界の客観描写とが並行して描かれていくけれども、このふたつはけっきょく、少女の姿をしたエリというヴァンパイアの存在を通して重ねられていくことになる。少年の視点からみれば、さいごにはいじめっこたちから解放され、エリとのきずなを確乎としたものにして、それはハッピーエンドにみえるわけだけれども、客観的な視点からすれば、そういう見かたも出来なくなるだろう。このあたりはホラーだから、ということではないのだけれども、個人の幸福とは一面で世界とのきずなを断ち切ることで成り立つというあたりを、映画としてしっかり描いているのが新鮮だった。このあたり、主人公の少年がいかにも北欧あたりの、まつげまでプラチナブロンドの、ミネラル不足のなよなよした(たしかにいじめにあいそうな)少年であることと、ヴァンパイアのエリが東欧系というか、ロマを思わせるおおきな瞳の黒髪の少女であることとの対比が強く印象的で、このヴァンパイアが長いサイクルでひとところへの定住の出来ない種族であることを匂わせるセリフもあり、スウェーデンという風土をうまく生かした「ヴァンパイア伝説」の造形化なのだなあ、と思った次第。  で、そのホラー的な演出についてなんだけれども、日常的な光景にスルリと怪異をすべりこませる演出はその視点のおき方がクールというか、ときに黒沢清監督の演出を思い出さされるものでもあった。とくに、クライマックス的なプールでのシークエンスでの、プールの水のなかから描かれる惨劇と、そのあとの鳥瞰的なショットとの連続からは、ほんとうに久々にホラー映画的なカタルシスを得ることになった。また、ここまでの展開は「いじめ」と「超常」とのタッグということでもあって、そう考えると、この主人公の少年が超常能力を持っていたりヴァンパイアであったりするわけではないけれども、少年の造型は「キャリー」のシシー・スペイセクの姿に比べられるものでもあるだろう、と思う。
[映画館(字幕)] 8点(2010-12-28 16:52:15)
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