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no_the_warさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 772
性別 男性
ホームページ http://blog.livedoor.jp/no_the_war-since2010/
年齢 42歳
自己紹介 ブログでは文字数気にせずレビューしています。
併せてご覧ください(^っ^)b

こんな僕ですが父になりました。しばらくは子育てで映画どころじゃありません。じゃんじゃん笑投票なりなんなりしてください。

2015年1月、ついに700レビューに届きました。記念すべき700レビュー目は・・・『ゲームセンターCXザムービー』うっかりしてたぜとほほ

2018年、今年は12本映画館で観れました。つきいちペースは健康的。

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1.  ハウス・ジャック・ビルト
ラースフォントリアー自身がカメオ出演で、最後の「ハウス」の柱のひとつになっててほしい。その牙を、自分自身に向けよ。
[映画館(字幕)] 8点(2020-03-30 15:00:45)
2.  ニンフォマニアック Vol.2 《ネタバレ》 
映画終盤、「もしこの映画の主人公が、男だったら、凡庸な話になっていただろう」と語られる。凡庸、つまり、どこにでもあるありきたりな話。この映画はもちろん女性が主人公。確かに凡庸な映画ではなかった。それは主人公が女性であるというよりも、主人公を”演じる役者が女性”だったからだと思う。とにかく性的な描写が次々に押し寄せる。もう少しでポルノ映画じゃね?と判断されかねないすれすれのところまで攻めてくる。脚本というよりも、映像から届けられる情報が強力で、凡庸さは無かった。そもそも僕たち(野澤もりやいちはらかわせ)はラースフォントリアーっていう時点で凡庸だなんて少しも思っていない。  だけども一通り映画が言いたいことを言い終わったとき、つまりなぜ主人公の女があの煉瓦作りの暗い路地で血まみれで倒れていたかが判明したとき、その理由を女性自身が老人に語るシークエンスは、凡庸であった。まるでそのへんに転がっている大衆映画のような、きれいな終わらせ方だ。なんだよラースフォントリアーのくせにこんな終わらせ方でいいのかよ、もうラースフォントリアーの映画観なくていいや!って思わせてからの、あの、とどめの、老人の、老人の、行動!からの、暗転中の会話と銃声と足音!これぞラースフォントリアー!それでこそラースフォントリアー!ありがとうラースフォントリアー!死ねラースフォントリアー!二度と映画なんか作るなラースフォントリアー!僕は一生あなたの映画観つづけます! 結局、やっぱり凡庸な映画ではなかった。  それでも中盤、主人公の女の心境にどうしてもついていけないところがあったのは確かだ。一番首をかしげたのは、セックス依存症の女性たちの集まりで暴言をまき散らすあたりだ。そのまま車に火を放つ謎のシーンが投入される。さすがにむちゃくちゃじゃないか。 あの集まりが行われる場所が、舞台と客席がある施設であることを見逃してはいけない。あの環境は、そこにいる人物を「演じさせる」ように思う。だからあの暴言のシーンは、意外と主人公の女性の本音ではないんじゃないかと思う。もっと優しくて人の気持ちを慮れる人だと僕は思う。だからこそ暴言がどうもしっくりこないままでいる。 
[映画館(字幕)] 8点(2014-11-23 21:59:08)
3.  ニンフォマニアック Vol.1 《ネタバレ》 
監督の醍醐味である、「悲惨な女の半生」はまだ息を潜めている。きっとボリューム2で開闢するだろう。ラストのラストで、その嫌な予感が漂い、ボリューム1は終わる。あの終わり方はワクワクする。 ちょくちょく図や数式やサンプル映像が用いられる。ドグマ95の誓いをとっくに無視して映画撮っているけど、それは結構前からだから、もうどうでもいい誓いなんだろう。 このように、ラースフォントリアーにしてはずいぶん、映画を観る人を楽しませようとしているなと感心した。昔はもっと一方的に悲惨な女をスクリーンに叩きつけていたと思うが。監督も丸くなったのかな。 ボリューム2に期待。 
[映画館(字幕)] 7点(2014-10-17 00:14:27)
4.  アクト・オブ・キリング 《ネタバレ》 
アンワルは、最後嘔吐する。しかしアンワル以外にも虐殺した英雄たちは登場していて、彼らは結局、この映画ではなんの悔悟もないまま逆ギレどころか本気で正しいことをしたんだみたいな感じで終わっている。彼らを嘔吐させることはできなかった。 なお、現在もインドネシアには民兵組織「パンチャシュラ青年団」てのがあって、この集団はいまだに共産主義者殲滅を叫んでいる。殲滅の根拠は当時と変わらず「共産主義者は残虐だから」である。現代のはなしであることにぞっとする。こいつらまたやらかすんじゃないか。  そもそも、「人が人を殺す様子を再現した映画」にこんなにも群がり連日満員御礼となる我々だって同じだ。 虐殺を追体験したいんだ。ヒットすればするほど、それが正しいことになる。もっとヒットして、ランキング1位になって、王様のブランチでリリ子が嬉々として紹介するといいさ。  ラストのアンワル、嘔吐するが、あれは演技なのかもしれない。階段を上がっていく時なんかも、カメラはきちんと構図を考えていて、つまり「これから階段を上がるシーンを撮ります。よーい、はい!」って言ってアンワルは上がり始めているに違いない。つまりこの階段を上がる様子は、演技なんだ。そうやって上がってきた屋上で、おええええーってやられても、なんだか演技臭さがすこーしあった。ちょっとばかし盛ってない?って思った。それでも十分見ごたえある”演技”だったから、映画としては成功だ。
[映画館(字幕)] 9点(2014-04-20 23:49:24)(良:2票)
5.  メランコリア 《ネタバレ》 
監督はジャスティンに救済の最期を与え、クレアに苦痛と恐怖の最期を与えた。うつ病のジャスティンに、自分自身を投影したのかもしれない。でも僕は、ジャスティンなりに勝ち取った最期だったのではないかと感じる。 風邪をひいて熱が出る。なぜ熱が出るかというと、悪い菌を殺すためだ。怪我をして傷ができると、白血球が集まってきて膿ができる。ストレスを感じたら、酒を飲んだりスポーツしたりブログ書いたりして精神を安定させようとする。このように、生命を安定的に維持させようとする我々は、なんらかでそれが脅かされたとき、バランスをとろうとして何かを作動させる。 つまり、うつ病ってのももしかしたら、傷ついたメンタルに対してバランスを保とうとする機能なのかもしれない。 だとして、ラースフォントリアーはその機能を自己肯定するために、ジャスティンに安らぎを与え、対照的なクレアには恐怖を与えたのだ。 
[映画館(字幕)] 8点(2012-04-13 23:02:02)
6.  アンチクライスト 《ネタバレ》 
おもいっきりR18指定な映像は、とてもいたいけな子どもには見せられたものではない。それは認めるけども、僕はまだまだ物足りない。というのも、上映前に断りを入れていたが、局部については画像修正を加えているのだ。上映できるようになっただけありがたく思うべきだが、あのボカシはおおいにクオリティを損なった。決してエロ目的でなく、クウォリティ。  サイコパスを起こした女が、自分の子供を虐待し、森の奥の山小屋で殺害し、穴に埋めた、その自責の念。それとセックス大好きな性欲の念。この2面を表裏として、美しくもおどろおどろしい森の中でむき出しにしたシャルロット・ゲンズブールの渾身の演技。それを鬼の演出でひねり出させ、カメラに収めることに成功したラースフォントリアーが、なんともそら恐ろしい。  
[映画館(字幕)] 8点(2011-04-07 20:39:03)
7.  幸せになるためのイタリア語講座 《ネタバレ》 
もしかしたらドグマ95の純潔の誓いは、映画を安っぽくしてしまうだけなのではないか、とふと感じてしまった。けれどもやっぱりこの撮り方でもって見えてくるものもあるので、憎めない。 純潔の誓いは、女性を撮るのに適している。
[DVD(字幕)] 8点(2009-05-25 01:01:06)
8.  ディア・ウェンディ 《ネタバレ》 
ラースフォントリアーだから借りてみました。あの手振れがなくて物足りない。でも銃を手にしたことで人間的成長をしていく様子はオタクっぽくてよかった。
[DVD(字幕)] 8点(2006-11-13 22:22:15)
9.  マンダレイ
前作ドッグヴィルに比べ、あの舞台演出であることの有効性が少なかったかなと思う。地平線がよく写らないし、むしろ人間ばかりで、壁の無いことの効果をもっと有効に使っていかなければ、意味が無い。でも、ああいう環境が「普通」になってきたことは僕にとってはとても気分いいことである。そして他の映画作家がああいう表現を真似たとき「ドッグヴィルのパクリだね」といわれるだろう予測も心地よい。 作品の内容として、ドッグヴィルより説明っぽくなってしまって、生々しさが薄れてしまった気がする。もっと理屈や決まりをぶっ壊す感覚がほしかったね。それは建物が崩れるように、人間性が崩れる、そういう崩れっぷりがこの監督の見ものであった気がします。とはいえ、3作目「ワシントン」も必ず見たいです。
[映画館(字幕)] 8点(2006-03-31 23:20:32)
10.  ドッグヴィルの告白
最近ラースフォントリアーに興味が涌いてきているので、この映画も観ておこうと思い、ツタヤの半額クーポンで借りてきました。ラースってこういう男なんだーというのは何となく分かりました。なぜ腰と膝にサポーターを巻いているのだろう?そして意外と怒鳴るタイプではなさそう。作品の内容としては、たいした事なかった。ラースが子役の子供たちをひっぱたいたり、ニコールをレイプする演技指導で実演してみたり、ラースの暴言集だったり・・・ではなかった。なんだかジョーク混じりに楽しげにやってるじゃんか。いやむしろ本当の現場は壮絶だったかもしれないが、だとしたら十分伝えられていない。 ちょっとしたことにいちいち腹を立てる役者達には同情ではなく逆にいらだちを感じた。おめーらは好きなことやってくってんだろ、少しぐらい監督が狂人だからってぶつぶつ文句言ってるんじゃねえ、おめえらの足元には銀幕を目指す若き卵たちがゴマンといるんだぞ、そいつらの為にも不平をたれずに誠実にはたらけ。このドキュメントを見ると、傲慢がテーマのドッグヴィルは傲慢な監督だけでなくああいう傲慢な役者がいたからあんな映画になったんだということが分かる。
3点(2004-11-15 23:28:47)
11.  イディオッツ 《ネタバレ》 
まずしっかりと見失ってならない事は、彼らのやっていることは人道的に社会的に良くないことであるということ。これだけメモって置けばすごく楽しめる映画である。やってみると分かると思うが、障害者のフリをすることはとても楽しい。松尾スズキなんかはそれを演劇にして儲けているくらいだ。しかもそれでタダでご飯が食べられたり、周りが同情してくれるのであればすばらしいことではないか。しかし彼らは苦悩する。健常者からの偏見に屈辱を感じ、ついに分裂する。(維持できている方がおかしいよっていうツッコミだがそれをごまかすのがあの独特の撮影法であろう)。偏見を持っていたのは彼らであったのだろう。偶像崇拝ともいえる。内なる愚かさにすがってても、他人から認められていないと人間はダメになっちゃうわけです。一番かわいそうなのは主人公の女性カレンだ。子を失い、失意の中で内なる愚かさに救済を求めた彼女は、イディオッツ分裂の危機に実家に戻った。しかし迎えられなかった。イディオットを振舞ってもだれも抱いてくれない。そろそろラースフォントリアーの後味の苦さにもおいしさを覚えてきました。相変わらずラースフォントリアーの映像は運動会のお父さんハンディカム状態であるが、今回はとくに徹底している。僕は強烈にリアリティを感じてしまう。ダンサーインザダークもう一度観直して見ようかと考えている。
8点(2004-11-14 14:51:39)
12.  奇跡の海 《ネタバレ》 
撮影現場をしのぶ。本当の様子は知らないが僕の予想では、休憩中でも世間話しようものなら、監督はなにも言わないだろうが、監督の怖さを知っている人たちからの「黙れ!」的な視線が突き刺さるんだと思う。刑務所のような独裁的な、辛いだけの仕事場になっているのではないかと思う。姉が病室でベスの死を嗚咽するシーンなんか監督からの言われようはすごかったんではないか。そういう撮影現場から産まれた映画である。イキモノが訴える何かすさまじいエネルギーがこの映画にはある。つくづく思うのだが、こんな潜在的なエネルギーを、なぜもっとハッピーな物語つくりに向けられないのだろうか。それともあれか、人間の感情は不幸の方向に発散した方が正の加速度がつくというのか?まあ確かにそうだが。ラース・フォン・トリァには一度、週末家族団らんで初めて買ったホームシアターのこけら落としで観るようなハッピーな気分になれる映画を撮ってもらいたい。そしたらきっとすごい。  内容に関しては、相変わらずこの監督はすばらしい。映画作り方法は残虐かもしれないがクオリティは本当によいと思う。そもそもベスは夫からの鬼畜な要求に最初から最後の最期まで抵抗を感じている。涙ながらに太った男にやらせてる。夫のためならと喜んで見知らぬ男にやらせているならばただのポルノ映画。悲痛な顔だからトリアー監督なんだな。この監督の存在自体が悲痛である。
8点(2004-10-31 16:50:29)(良:1票)
13.  ドッグヴィル
「映画館を出た後の空の青さが眩しかった」という定型レビューがもっとも良く似合う映画。舞台セットがああなったのは、ハリウッドなどの巨額つぎ込み映画へのアンチテーゼであるとか、実験的手法の映画と言われているが、そんなことはなく、むしろこのような映画が少ないことが残念である。この方法でP.P.アンダーソン監督の『マグノリア』をリメイクして欲しい。もしくは二コールの『めぐり合う時間たち』をこのセットでリメイクしたら、さらに刺激的な映画になるはずである。こういう場合、監督は演劇関係の演出家が良いと思う。そう、演劇は面白いよ。
8点(2004-05-06 00:43:19)
14.  ダンサー・イン・ザ・ダーク
僕はかつて『救われない映画は好きくない。存在価値は認めるが好き好んで観たくはない。へこむ、ブルーになる、脱力、こういった言葉を聴いてまず連想するのがこの映画です。ミュージカルシーンもなーんかださい。手ぶれ撮影はビヨークのフォローか?ビヨークよりも看守のおばさんみていたほうが健康的にへこめるとおもいます。ああいう不幸な人、極力作ってはならないと思います。』とレビューを書きました。 ドッグヴィル以来ラースフォントリアーに興味が涌いてしまった僕は、例外となってしまったこの映画をもう一度見直すことにしたのです。そして昨日5~6年ぶりにまた観ました。 なんだ、傑作だったではないか。昔観たときの俺はまだガキだったな、なんにもわかってなかったな。(エロ目的でないR18指定の映画は、子供にはその映画の良さが理解できないから、と言う意味があるのかもしれない。)セルマは最期、泣きわめいていただろうか、いや、彼女は歌っていた。大きな声で、微笑を浮かべていた。あの時のセルマは絞首台にはいず、まさに舞台に立っていた。そのままセルマはこの世からいなくなった。家主にも裁判にもあんなに救われなかったセルマは、実は最期は救われていたのだ。セルマにとっては死刑はそれほど大きな問題ではなかったのだ。そりゃあフードをかぶせられた時は腰が抜けるほど怖かっただろう。でもセルマはその恐怖を忘れる術をもっている。これはまさに作者がセルマに握らせた一切れの救済。(セルマにとっても我々映画を観た人にとっても。) 極限状態の人間の価値を、すばらしい品質で映像にしてしまうラースフォントリアーが、本当におっかない。
10点(2004-02-04 01:49:38)
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