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1.  太陽(2005)
日本を照らし続けるものの象徴として、「昭和天皇」を「太陽」として喩え、彼が敗戦という事実を受けとめて終戦を迎える日の一コマを、外国人の視点から描いたもので、静かな中にも終始緊張感の漂う作品となった。敗戦国の風景と天皇ヒロヒトの姿をシンボリックに描いたのが本作のポイントであり、それらは独特の映像で表現された東京の景観であり、イッセー尾形の形態模写的なソックリぶりとして、それぞれ独自の表現方法で画面に定着させていく。一人芝居で培ったイッセー尾形の独壇場ともいえる演技は、天皇ヒロヒトにどこまで迫れたか。それは映画を観た人の多くが納得いくものであろうし、少なくとも彼を起用した意図は十分に感じとれるものである。顔立ちや表情或いは何気ない仕草に加え、口癖のように「あっ、そう~」という言葉の言い回しや、“口モゴモゴ”の癖などをデフォルメして表現してみせるのも、生まれながらにして本当に言いたい事も言えず、言葉を呑み込まなければならない、その置かれた立場と哀しさをより強調したいからに他ならない。しかし、そのボソボソとした言葉は至って明瞭であり、全編に流れる微かな効果音と対を成していて、極めて印象的な演出方法だと思う。また、本編のセリフにもあるように、その容姿から“チャップリンのような”と形容され、事実、モーニング姿のおどけたような仕草に、ジャーナリストから好奇の目で見られるが、自身、意に介さないばかりか、むしろどこか得意気であり、そこに道化師の悲しみに似たものを感じさせる。多くの民を失わせた、その最高責任者としての表情と、一方で、どこにでもいそうな平凡な家族思いの男として、人間味を滲ませるなど、いかにも本物らしく、又は本物に近づいたかの如く、見事なまでに様々な表情を見せてくれる。未だ夜が明けきらぬままの、暗く重苦しい東京が終始映し出される。エンドロールに於ける、その上空から俯瞰で捉えた画面の端に、微かに鳩(だろうか?)が現れては消えるを繰返す様は、平和を願って已まない者の心の現われなのか、或いは、これからの日本の行く末を見守るものの象徴としてなのか。宮中の防空壕の暗い闇の中を、手探りで彷徨う天皇の姿と重なり合う。本作は、皇室の気品に溢れた調度品の様式美に至るまで、統一された色調による映像と演技者たちの表現力で、言葉だけでは伝えきれないものを我々日本人に齎してくれた力作である。
[映画館(字幕)] 9点(2007-02-18 17:21:05)
2.  ユナイテッド93
「再現ドラマのお手本」あるいは「再現ドラマの極致」。本作をひと言で形容すると、こう言ったところだろうか。秀作の多い今年、そんな中でも本作は特筆すべき作品と言っていいだろう。9・11における無差別テロ攻撃で、標的としてのホワイトハウスへ向けられていたと伝えられているのが、本作に登場するユナイテッド93便。唯一、テロ攻撃が回避されたとされる旅客機であるが、それは単にホワイトハウスへ突っ込まなかったと言うだけの事で、結末は周知の通りである。本作はその顛末を、当時の関係者からの証言などに基づく膨大な資料を微に入り細にわたり分析し、出来得る限りの想像力を働かした結果、“彼ら”しか知り得ない出来事を忠実に再現し、最も真実に近付けたものである。ハイジャックされた機内と管制塔だけの密閉された空間だけのドラマだが、ポリティカル・サスペンスとしての驚くべき迫真性は、映画を観ていると言う事を暫し忘れてしまうほどである。それは純粋な映画でありながら、著名な俳優を一切起用しない事でドキュメンタリー性がより強調され、ノンフィクション・ドラマとしての一貫性を齎せているからに他ならないからである。また、結末云々の映画ではない事は観客の誰しもが認識しているが、それだけに興味を繋いでいく演出力が殊更要求されるものはなく、そういう意味に於いてもP・グリーングラスの緻密な計算に裏打ちされた演出手腕は並外れたものであり、高く評価されるべきである。国家やイデオロギーが違うという理由で、立場を異にする人間たちを描いた本作は、民間人とテロ集団という対立軸の構図をとりながら、どちらに比重を置く事もなく、一つの運命共同体として、そして双方をあくまでも一人一人の人間として描いている点が最大の特徴だと言える。緊張・動揺・躊躇・不安・恐怖・覚悟。行動を起こす方も、被る方も、極限状況で究極の選択を迫られたとき、人間は人間としての当然あるべき感情を露わにする。最悪のシナリオを未然に防ぐ為、勇気を振り絞って闘った人々の白熱のドラマの面白さと、現実の結末とのギャップに虚しさを覚えずにはいられない。何が正義で何が悪であるかは、映画ではついに語られる事はない。それ自体むしろ意味のない事なのかも知れないからだ。しかし、本作は“人間の真価”を問うた秀作である事だけは間違いない。
[映画館(字幕)] 9点(2006-10-28 18:16:51)(良:3票)
3.  ブロークン・フラワーズ
口数こそ少ないが女性にはことのほか優しく、いかにも頼りなげだが、それでいてどこか放っては置けない。女はこういうタイプの男に惚れやすいのか。しかし、男の優柔不断な性格が災いして、結局別れるハメに。泣いた女の数は一人や二人ではないのである。そして今日もまた一人、彼の元を去っていく・・・。プレイボーイを自認し、数々の女性と浮名を流してきた主人公も中年期を過ぎ、孤独な日々がただ虚しく過ぎていく。それでも未だに女性にとっての理想の男性像を追い求めている男は、自分の殻の中から抜け出そうとしない。その姿には哀れさが漂うが、隣人すら放っては置けないのだから、お節介と言うより、やはりどこか憎めない、愛すべき人物なのだろう。そんな彼がある事をきっかけに、数人の元カノたちと再会する旅に出る。手土産として胸に花束を忘れないところなどは、伊達男いまだ健在である。しかし、感情を露わにせず、終始無表情な主人公とは対照的に、女たちの感情の起伏は激しく、反応も様々だ。若かりし頃を懐かしみ、ヨリを戻してもいいような素振りを見せる女から、困惑するばかりで、突然の来訪にいかにも迷惑だと言わんばかりの女。あるいはまったく相手にされないばかりか、恨みつらみをぶちまける女まで、その生活力の差や幸福度も然ることながら、当時の“新密度”や“別れ方”までもが瞬時に透けて見える。それぞれの場面でのセリフの間合いや空気感、女たちのアンサンブルの面白さが本作のポイントだが、やはり主人公のドンを演じるB・マーレイのダメ男ぶりが最大の魅力の作品だと言っていいだろう。永年培ってきたコメディアンとしての彼独特のおとぼけぶりが、歳相応のひとつの味わいを醸し出せている。演技派として近年とみに心境著しい、今が旬の貴重な俳優である。長い歳月が過ぎ去り、歳を重ねた彼女たちと再会を果たしたことで、我が身を振り返り、男としての責任の重さと痛みをヒシヒシと感じ始める主人公。人生は長いようでいて短くもある。男が、そして女がいつまでも変わらずにいられるのか・・・。  「時の流れの残酷さ」という自明の理をしみじみと感じさせてくれる好篇だ。
[映画館(字幕)] 8点(2006-09-17 23:59:40)
4.  ぼくを葬る(おくる) 《ネタバレ》 
将来に夢も希望もある若者に、突然の死の宣告。映画は、彼が如何に運命を受け入れその日を迎えるかを、淡々とした描写で綴ったものである。その点ではよくある物語と言えるが、他の作品と少し違うのは、彼は誰よりも孤独な人生を送ってきたと言うこと。そして自らの死を親や姉に告げずに死を迎えようとしていること。余計な心配や同情は無用と言わんばかりに。それは、彼がゲイであることと無縁ではなさそうだ。自らがゲイであり恋人もいることは、家族にも既に認知されていて、時代は確実に進んでいることを痛切に感じさせる一方で、息子の薬物癖に顔をしかめる父親という図は、いかにもフランスというお国柄を再認識させられるエピソードではある。彼も本来なら普通に女性を愛し、結婚生活に憧れを抱いていたであろう年頃だが、計らずも、その願望が絶たれた時から、親族とりわけ姉に対して反撥を抱くようになる。自分の性癖を呪い絶望した挙句、その遣り切れなさがやがて憎しみとなり、反撥と言う形で苦悩を滲ませるのである。しかし、本心ではないだけに、気持ちは絶え間なく揺れ動く。それだけに幼な子との幸せな姉の姿を写真に収める彼の姿には、切なさが漂う。中盤以降、映画は彼の生き急ぐ姿をひたすら追い続ける。ひとつは彼の良き理解者で、唯一心の拠りどころである祖母にひと目逢うこと。自らを曝け出せる相手として、ときに旧友のように、ときに恋人でもあるかのような彼女自身も、実は孤独な人生を歩んできたことが窺い知れる。言葉少なだが、彼女に癒されていく事で改めて生を実感し、良き思い出だけを胸に刻もうとする彼の姿には、もはや思い残す事がないかのような決意を滲ませる。だから、生きてきた証として、他人の妻に自らの子孫を孕ませる 、一見突飛ともとれる行為も、話としては自然な流れとして理解できる。愛する者たちとの無言の別れ、そして純真無垢だった幼い頃の自分と決別し、過去の呪縛から解き放たれたかのように静かに体を横たえる若者。其処は、今やオゾン監督作品のモチーフとも言うべき“別離の砂浜”である。切迫した物語が決して陰鬱に陥らないのは、オゾン作品のひとつの美徳だろう。
[映画館(字幕)] 8点(2006-06-24 23:18:49)(良:1票)
5.  海を飛ぶ夢
人間の死生観に纏わる究極の問いかけをテーマにしている作品であるが故に、それぞれの生き方や考え方の違いから、観る人によって感じ方や捉え方などといった価値判断も違ってくる。テーマがテーマだけに明確な答えなどなく、作り手側もそんなことを求めてはいないのは明らかだ。様々な異なった意見はあって然るべきであり、それほどに考えさせられる作品だと言う事である。主人公のラモンは若い頃に遭遇した事故で四肢麻痺となり、終生ベッドに横たわるだけの生活を強いられているのだが、病魔に襲われていつ死が訪れるかも知れない病人とは違い、あくまでも身障者なのである。だからその気にさえなれば人生を全うする事も可能だった筈だ。しかしながら、彼は自ら人生にピリオドを打つ決断をしたのだ。映画はそんな彼のとった行動に対し“何故?”ではなく、あくまでも“どう思いますか?”と問いかけている。端的に言えば、身の回りの世話をし見守ってくれている人々に対する気遣いと、自分では何ひとつ出来ないという屈辱的な日々に耐えられなくなり、もはや生きていく事に意味を見出せなくなってしまったからだろう。要は彼のプライドが許さないのだ。人間とは様々な人々と関わり合い支え合いながら生きている。それは健常者であろうと身障者であろうと。そして身障者の多くは自らその苦境を乗り越えて生きているのも事実であり、だから28年もの間、支え続けてくれた家族や友人たちに対して、ラモンのとった行動は余りにも身勝手だという意見も良く分かる。しかも死ぬことすら人の手を借りなければならないとならば、尚更である。取りも直さず、ずっと見守ってくれ支えてきてくれた人々に対し、彼には生きる「責任」があり、人生を全うする事によって初めて、生きる「義務」を果たしたと言えないだろうか。それが延いては「感謝」や「礼儀」という事にも繋がってくる。しかし生ある限り強く生き抜いて欲しいという周囲の願いは、所詮「綺麗ごと」に過ぎないのかも知れない。映画はドラマ性を極力抑え、ラモンを取り巻く人たちの日常を冷静な眼差しで綴っていく。だからその味わいは意外なほど淡白だ。本作は表層的には魂の救済の物語のようだが、寧ろ人に愛され大切にされる事の意味を問いかけているように思う。
[映画館(字幕)] 7点(2005-08-25 17:26:09)
6.  ヴェラ・ドレイク
親として何かと不憫だった娘に念願叶い、婚約にまで漕ぎつけた祝いの日。同席の弟夫婦にもやっと子供ができると言う二重の喜びに、戦前・戦後と片寄せあって生きてきたドレイク一家にとって、まさに至福のときを迎えたのだった。しかし人生とは皮肉なもの。警察が訪れたところからドラマの様相は一変する。妻のヴェラは、家政婦の仕事の傍ら、身寄りの無い老人や体の不自由な人の家を訪ねては、身の回りの世話をしてやっている。家族の前でも鼻歌まじりでいつも明るく振舞う彼女。この家族の生活感をリアルに捉えたM・リーの演出法は的確であり、後々のドラマに説得力をもたらしている。とりわけ冒頭からの一連のシークエンスは、ヴェラの性格や歩んできた人生までもが一瞬にして透けて見えるほどだ。だから「堕胎の手助けをした」という事実は「秘密」であっても、どこまでも「嘘」のない純粋な女性だという事が良く分かる。確かに軽率であるが悪気は無く、違法という後ろめたさはあっても罪の意識は薄い。警察に踏み込まれた時に見せる彼女の困惑顔がそれを物語っている。“なぜバレたの?”と。動揺を隠せない彼女が最も恐れていたのは「罪を犯した」事よりも「家族に知られる」事である。何かが音を立てて崩れていく。事情のまるで飲み込めない家族の戸惑い。粛々と職務を遂行する警察。三者三様の構図のスタンスを保ちながらドラマはにわかに緊迫感を帯びてくる。しかし映画は、当時の時代背景や貧困層に対する社会問題、そして「彼女たちの罪」といった事には深く立ち入ろうとはしない。それは「家族のあり方」と「人間の絆」を描きたかったに他ならないからである。ヴェラの優しさと有難さは家族以外の人々も十分認識していると信じたいし、多くを語らずとも息子を諌める父親の毅然とした態度には胸が熱くなる。こういう時にこそまさに人間性が問われるのである。本作は、ストーリーも然ることながら、巧みな構成力による緻密な日常描写、そして演技人たちの確かな演技力で稀に見る見事なドラマを構築している。とりわけI・スタウントンの迫真の演技は瞠目に値するほどの凄みを感じさるものであるが、一方、決して紋切り型でなく、終始冷静で人間的な温かみを感じさせてくれるウェブスター警部を演じたP・ワイトも忘れがたい。久し振りに本物の映画を観たという印象を受けた。それほどに実に見応えのある作品だ。
[映画館(字幕)] 10点(2005-08-12 00:52:43)
7.  ダニー・ザ・ドッグ
ピアニストの母を持つお坊ちゃま少年ダニーが、自分の生い立ちを何故覚えていないのか、そしてどのようにして、これ程までに強靭な肉体を有するファイターに成長できたのか。さらに飼い犬の如く借金取立ての強力な用心棒として彼を育て上げた親方の思惑や真意など、基本的な部分に何かと説明不足な作品だ。「所詮アクション映画なんだから、クドクドと説明するまでも無いだろう!」とベッソンは言うかも知れないが、物語の根幹に関わる事だけに、もっとじっくり脚本を練って欲しかった。ディテールをきっちり抑えていればこそ、ドラマにも説得力が生じるというものだろう。しかし、本作はそういった脚本の欠陥をL・レテリエのテンポのいい演出で補っているのが救いだ。アクションにおけるスピード感溢れる歯切れの良さは「トランスポーター」で立証済みだが、主役を引き立てながら見せ場を作る上手さでは無類の才人だと思う。彼には是非とも「007」の監督をやらせてみたい。ただ、あの世へ行っている筈のB・ホスキンスがゾンビのように生きているのはどう考えたって不自然で、その部分だけはアクションの過激さが裏目に出たようだ。さらに周囲の観客に囃し立てられて、已むを得ず闘鶏場のようなリングで死闘を繰り広げるといった、使い古されたパターンや、J・リーの女性にはウブでストイックという設定には、もぅそろそろ卒業したい。
[映画館(字幕)] 7点(2005-07-13 16:48:18)
8.  エレニの旅
アンゲロプロスの映像世界には、他の誰もが真似ることが出来ないこだわりとオリジナリティがある。今日に至るまで、死守され続けてきたこの人だけの映像スタイルは、黒澤とそして小津の影響が明々白々であり、その姿勢は愚直なほど一貫している。オープン・セットでは超望遠レンズを多用して映像に奥行きと重厚さを生み出し、室内シーンともなると固定キャメラで延々と芝居をさせる事などがその顕著な特徴である。本作はギリシア悲劇をベースに、繰り返される戦争の虚しさとそれに翻弄される民族、そして愛する者への慟哭を描いたものである。これはアンゲロプロスが作家として追い続けている永遠のテーマであり、また世界的に見ても唯一無二である事で、独自の地位を築き上げてきた人である。一大叙事詩とも謳われるその映像は、まるで能の舞台を観るかのような様式美で統一されていて、室内よりむしろオープン・セットにより彼らしさが表れている。それは彼の作品のモチーフでもある「河」に象徴的に描かれる。ときに国境として、あるいは祖国を分断するものとして、さらに民族の分裂から仲間や家族との別離といったシーンにより深い意味が込められ、今まで以上に大きな役割を担っていると言える。オープニングの難民たちに始まり、洪水に見舞われ水没する村々、あるいは多くの舟が整然と並び、漕がれる櫓が幾何学模様となって河を渡るシーンなど、それらはまるで静物画のような美しさで描かれる。また、木に逆さ吊りにされた無数の羊たちのショット、あるいは土手を挟んで二人の息子が再会する様子を、幻影として見つめる母親の姿を捉えた終盤のシーン等々、物言わぬ映像が多くの事を語りかけてくる。悲しくも美しい映像には枚挙の遑が無いほどだが、ひとつひとつのシーンはまさに芸術品であり、あたかも美術館を巡っているようである。細かなプロセスが省略されていても、個々のエピソードは十二分に理解でき得る。映像の持つ力とはそういうものなのである。
[映画館(字幕)] 10点(2005-06-15 18:32:14)(良:2票)
9.  コーラス
戦後間もないフランスの田園地帯。それは「池の底」と呼称され、寄宿舎というにはおよそ程遠く、まるで牢獄の様な佇まいをみせている。そこには親との死別あるいは理由あって離れて暮らすことを余儀なくされ、日々寄宿生活を送る少年たちの姿があるのみ。その寂しさゆえ荒ぶ心の拠りどころを得られぬ彼らには、「目には目を」という体罰主義の校長の方針で、その自由さえ叶わない。そこへ舎監としてやってきたのが主人公のクレマン・マチュー。彼は落ちこぼれの音楽家であるが、校長のやり方に反撥し、悪ガキたちに手を焼きながらも、音楽の素晴らしさを教えていくというのが物語の大筋。確かに、かつて何処かで観たような聞いた事のあるようなお話しで、目新しさというものは感じられない。所詮「学園ドラマ」とはいつの時代でも同工異曲で、基本的なパターンは同じということ。しかし描き方によっては感動を呼び興すものがあることもまた事実。まだまだ無邪気さが残る少年たちそれぞれに個性が光るが、もう一人の主人公ピエールを演じるジャン=バティスト・モニエは本作の白眉であり、クールでナイーブな心の表現も然ることながら、なんと言ってもその透き通るような美声にはやはり聞き入ってしまう。一方、マチューをG・ジュニョに演じさせたのはやはり正解で、これが若くてハンサムな男優だと、もぅそれだけでクサい映画になっていたに違いない。初めて教室に入ってくるシーンでの子供たちの挨拶代わりの悪戯を、ウィットで切り返すという、定番ながら彼にしか出せないユーモラスな味というものが感じとれる。また、人生に失敗し身なりも粗末で風采の上がらぬマチューが、ピエールの母親に恋心を抱くも願い叶わず、ペアになった椅子を別の客に持ち去られた後、呆然としている姿が哀れみを誘う。彼にとっては最後のチャンスだったかも知れないだけに、人生のホロ苦さを感じさせる秀逸なシーンだ。ただ、マチューがどこまでも純粋で善良な人間で、校長はどこまでも悪人という描き方は、人間ドラマを底の浅いものにしているし、少年たちの心の叫びを歌声に変えるまでのプロセスは性急に過ぎる。そしてJ・ペラン演じる老成したピエールの回想シーンが、本筋にさほどの意味を帯びてこないのも残念で、バスで去っていくラストに深い余韻が残るだけに余計そう感じる。
[映画館(字幕)] 8点(2005-04-22 17:31:48)
10.  白いカラス
いくら四番バッターばかり集めても面白い野球は出来ないと言われているのと同じで、アカデミー賞授賞監督や主演俳優たちが一堂に会したからといって、必ずしも良い映画が生み出されるとは限らないという見本のような作品。そもそも、今どきよくこんなテーマが企画として通ったなぁと感心するぐらいアナクロっぽく、ストーリーラインに至っては新味もなければ捻りもない。今や大メジャーであるN・キッドマンやA・ホプキンスらが、自らトラウマを背負って苦悩し、人生に絶望している人間にはとても見えないことに根本的な欠陥があり、映画をつまらなくしている基本線でもある。確かにR・ベントンの味わいのある演出は健在だし、錚錚たる顔ぶれの演技人ひとりひとりの演技も決して悪くは無いと思う。しかしその一方で、それらの個性のぶつかり合いが微妙な化学変化を生じさせ、かくも中途半端な印象しか残らない作品となってしまった事は実に残念であり、作り手側からしてみてもまったくの想定外だったに違いない。
6点(2005-01-04 16:45:42)
11.  ゴッド・ディーバ
人間と神あるいはミュータントたち、そしてもちろん近未来都市など、主要な三人の登場人物以外は全てCGで造形されたフランス製SF作品。“映画に生身の人間などもはや必要ない”と言わんばかりで、その徹底した製作態度には畏れ入る。一部のマニアックな人たちにはさぞやカルト的な人気を博する作品だろうが、しかし一般的にはどうだろうか。過去の作品例を挙げるまでも無く、ここで描かれている近未来世界はむしろ定番と言ってもいいぐらいで、驚くに値するような映像の目新しさなどは期待すべくも無い。確かに映像の前衛アートといったものを感じなくもないが、ただ如何に美事な描かれ方をしようとも、そこから一歩もイメージが拡がっていかないという物足らなさが付いて回る。そして映像表現の奔放さは、取りとめのない映像としての逆効果をも生み出す。これを“紋切り型映像”あるいは“映像の瞬間芸”とでも表現できようか。これでは観客が退屈してしまうのも無理はない。そして何よりもストーリーの解かり辛さは筆舌に尽くしがたい程だが、たとえ理解できたとしても大して意味も無く自慢にもならないようだ。“ついて来れる人だけがついて来ればいい”という姿勢で貫かれているようで、ここでも観客(=人間)というものをまるで必要としていないような印象を受ける作品である。
5点(2004-08-03 00:21:23)
12.  午後の五時
ひとりの女性の視点を通してのタリバン政権崩壊後のアフガニスタンの理想と現実を描いた作品。男たちに押さえつけられてきた古来の因習から逃れられず、旧態然とした存在の女性たちと、その一方で変革という国の将来を見据え、脱男社会を目指すという未来志向に燃える女性たち。冒頭から描かれる彼女たちの意見の衝突に示されるように、新しい社会に対する考え方の違いは互いに譲らないままだが、この国の若き女性たちそれぞれの信念を的確に感じさせるエピソードである。ハイヒールに折りたたみ式のワンタッチ・パラソルといった、いわゆる自由社会に憧れを擁くヒロインのノクレは、自国での初の女性大統領をも夢見る理想主義者として描かれる。が、それが余りにも絵空事だと感じさせるのが物語の現実部分。そこで、日々の食べるものにも困るほど窮乏生活を強いられている事と、奔放でまさに翔んだイメージで描かれる彼女の姿とに、なにか奇妙なアンバランスを感じてしまうのだが、映画は徐々に現実はそう簡単には変わらないという深刻なメッセージ性を帯びてくる。帰還民たちに家を占拠された挙句、放浪の旅に出ることを余儀なくされた父娘と乳飲み子を抱えた嫁。荒野を彷徨い、生きていく術をも知らない彼らにやがて夕暮れが迫ってくる。“アフター5”などと我々が日常的に使っている意味合いとはまったく違い、彼らにとってそれはまさに死を意味する“午後の五時”なのである。映画はこの国の人々の苛酷な未来を暗示するかのように終わるが、その重く深刻な現実的テーマとは裏腹に、映像のシャープさがからっとした明るさを生み出している。
7点(2004-07-27 16:07:16)(良:1票)
13.  シティ・オブ・ゴッド
リオデジャネイロの強烈な気候風土を感じさせる、ひたすら暑くそして熱い作品だ。スラムに生まれたときから宿命のようにストリートギャングとして生きてゆかざるを得ない少年たち。一方、そこから抜け出してジャーナリストとして生きようとする少年。映画は、その生々しい彼らの生態を実録風に活写してゆき、個々の生きざまを通して様々な問題を我々に投げかけてくる。縄張り争いによる団結・裏切り・復讐を繰り返しながら暴徒化する彼らを、スピード感を伴う独特の編集テクニックで見せきる巧みさには感心させられる。また、彼らの中には殺人を強要されるまだ年端も行かない子供も存在するという描写などは、本作の真実味を感じさせる鮮烈なエピソードとしても忘れられない。抗争を繰り広げるセピア調の画面が余計ヒートアップさせてはいるが、この国の物価や賃金のみならず命の値段までが安いと感じさせるほど、そのバイオレンス描写に悲惨さはむしろ希薄で、実にあっけらかんとしているのが本作の特徴であり、唯一の救いでもある。
8点(2004-07-21 15:37:53)
14.  暗黒街のふたり
もぅ随分昔に観た作品だが、古代フランスから継承されているギロチンという処刑儀式の在り方に異を唱えた作品として、永く記憶に残っている。それは本人に知らされないまま、或る日突然やってくる。深夜、眠っているところをいきなり起こされたA・ドロンの凍りついた表情を尻目に、余計な感情が芽生えぬよう、粛々と準備にかかる関係者たち。その無表情さ。やがて真っ白なワイシャツに着替えさせられ、この世で最期に口にする一服の煙草と一口の酒を飲まされた後、首を剥き出しにする為、ワイシャツの襟をハサミで切り取るという念の入れよう。そして今まさに舞台が始まろうとしているかのように、正面の幕がさっと開けられると、そこには断頭台がそびえ立つ。足が竦みながらも、両脇を抱えられて向かう彼が一瞬振り返りざまに見たのは、彼の保護観察司であるJ・ギャバンの眼。なんという切ない眼だろうか。それは、更生を誓った男を、恩赦も適わず社会の誤解や偏見から守ってやれなかった一人の人間としての無力感を指し示す眼である。罪を犯した者の社会復帰が如何に難しいかを改めて問い正した秀作。
8点(2004-07-08 00:24:08)(良:4票)
15.  みなさん、さようなら(2003)
私も↓の方たちのコメントにほぼ同意見です。一人の人間の人生の最期を看取る為に集まった家族、仲間、友人たち。死の病に臥せる父親をも含め、その妻や息子たちらが取った行動や言動をカメラが追う。平たく言えば、ただそれだけの映画である。ベルイマンのように、人の生と死を冷徹に見つめ哲学的に語るというような作品ではないし、M・ライデルのような、しみじみとした情感溢れる人間ドラマにもなっていない。そもそもこの作品から私たちは一体何を見出せばいいのだろうか?一体何に感動すればいいのだろうか?何処に共感する部分があっただろうか?人の死をまでも金で解決してしまおうとする息子。丸々と太って、余命幾ばくも無い病人にはとても見えない好色オヤジ。そして彼に纏わる、その一風変わったインテリぶった取巻きたち。様々な人物たちが画面を賑わすが、しかし父親と息子との確執に象徴されるように、何かにつけ説明不足で、彼ら個々の関係が見えてこないという憾みが残る。このあたり、いかにもフランス映画的と言えばそうなのかもしれないが、特有のエスプリも不足気味で、やはり描くべき抑えどころはきちんと描くべきであろう。つまるところ、ひとつの物語に登場する人物たちに感情移入できないという事ほど不幸な事はなく、またコメディでもなければシリアスでもない作風も災いしたか、近年これほど曖昧で無味乾燥な印象をもった作品も珍しく、個人的にも期待していた作品であり、しかも数々の世界的な賞を授賞しているだけに、余計その罪は重い。いや、むしろ本作に1票を投じたそれぞれの選者たちにこそ、その責任の重大さを認識して欲しい。
3点(2004-05-05 11:57:25)(良:2票)
16.  息子のまなざし
本作は、年々増えつづける少年犯罪と更生といった極めて今日的な問題を扱うことで、人間とは果たしてどこまで寛容になれるのかといったテーマを我々に問いかけてくる。ここでは法律の問題には殆んど触れられておらず、職業訓練所の指導者と更生しようとする少年といった、あくまでも被害者側と加害者側との直接的な関わり合いを描いてゆく。本作の一人称のスタイルを強烈に印象づけているのが、主人公の肩越しから片時も離れようとしないカメラ。背後霊のように全編に貫かれているその視線は、まさしく亡くなった(殺された)息子のまなざしであり、何も事情を知らない少年をひたすら凝視していく。お互いに実に残酷な設定ではあるが、あくまでも更生の指導者という立場をわきまえ、苦悶しながらも理性で感情を抑え、自らを宥めて少年と接していくうちに、ひた向きな少年の姿に心が揺れ動くという難しい役どころを、O・グルメは淡々としかし的確に演じきる。そして、効果音を含めた音楽などを一切使わずに、これほどまでの緊張感・切迫感を生み出すという、その演出力の凄さ!映画はシートで巻かれた材木にロープを架けた瞬間、唐突に終わる。(その時画面は既に二人を撮らえている。主人公の肩越しから離れて・・・。)その少し前、車のトランクにロープが無造作に積まれる場面がある。さり気ないだけに余計想像力を掻き立てられる描写だが、我々自らの人間性を試されているような、実に意味深いシーンだと言える。このように、まったくと言っていいほど作為的な部分がなく日常を淡々と描いてゆき、リアルであるという以上に極めて現実的である本作には、演出の原点を見る思いがする。本作が傑出した作品であることに何ら異論は無い。
9点(2004-05-03 16:09:19)(良:3票)
17.  ファム・ファタール(2002) 《ネタバレ》 
巻頭、エロティシズム溢れる白昼の宝石略奪シーンからデ・パルマ印全開の本作は、結論から言うと、昨今流行りの“脳内映画”の変種だと言える。仲間を裏切って宝石を独り占めして姿を眩ましたまではよかったが、追われる者の恐怖感からか、はたまた後ろめたさからくる強迫観念からか、延々と続くヒロインが見る悪夢(しかしそれは実に刺激的で魅惑的な)に、我々観客は否応なくつき合わされ、そして翻弄される。従って映画の大半はいわゆる「騙し絵」であって、要はルール違反なのだが、それでも先の展開が読めないほど巧妙に入り組んだプロットを、流れるようなカメラワークとデ・パルマの見事なストーリーテリングで、観客に有無を言わさず、ぐいぐい引き込んでしまう手腕はさすがで、実に魅力的な作品に仕上がっている。
7点(2003-12-03 00:30:42)(良:1票)
18.  ヘヴン 《ネタバレ》 
冒頭、いきなり高層のエレベーターの爆発から物語は始まる。夫を失った悲しみとその恨みから、或る麻薬密売人に復讐する為に爆薬を仕掛けたのだ。覚悟の上での犯行だったが、しかし恨みを晴らすどころか、関係ない人たちを爆死させてしまう結果に。この時のヒロインの英語教師を演じるC・ブランシェットの凍りついた表情が印象的だが、普通の一般市民のテロ行為がまかり通る国家の恐怖を感じざるを得ないエピソードではある。この後、取調べに通訳として立ち会った若き憲兵が、彼女を助けながら思いを遂げさせるという展開となるが、何故彼はそこまでして彼女に想いを寄せるのかは、あまり多くは語られないので、やや唐突な印象を受ける。絶望感に打ちひしがれ、もはや生きていく気力も失いかけていた彼女だが、青年の純粋な愛に応えるべく、共に逃避行を決心するのが物語の後半。それはまさに絶望に向かってのものだが、サスペンス・タッチの前半から舞台がトスカーナ地方に移ったこともあって、陰惨さというものが徐々に薄れていき、いつの間にかピュアで詩情溢れた画調に変転している事に気づく。極度にセリフを抑え、表情だけで純粋な愛の形を描出したT・ティクヴァ監督の、この流れるような演出の手際の良さは実に見事である。ブランシェットと相手役のJ・リビジは共に本作のイメージ通りの透明感溢れる好演を見せているが、既に「ギフト」で共演していた事もあって、さすがに息がピッタリであった。二人を乗せたヘリが上空高く舞い上がり、やがて小さく小さくなって空に吸い込まれていくラストは、まさしく天国に召されていくという象徴的なイメージで、近年における名場面だといえる。
8点(2003-11-25 01:02:45)(良:1票)
19.  リード・マイ・リップス 《ネタバレ》 
仕事はこなせるものの難聴というハンデの為、会社ではなにかと苦々しい思いをしながら日々を送るヒロイン。そんな陰鬱でストレスの塊のような彼女に、ある日ひとりの助手が充てがわれる。この見るからに風采の上がらない男は、務所帰りのチンピラで、更生を誓っての職探しの結果、彼女のお眼鏡に適ったという訳。しかしどこが気に入ったのだろうか。お互い社会に爪弾きにされている孤独な者同士という、まさに“類は類を呼ぶ”であり、この女と男の愛称の微妙さを、少ないセリフながら表情の変化で積み重ねていくプロセスが見事で、とりわけ男に恋心を抱くヒロインの変貌ぶりが心地いい。映画はやがて、難聴のため読唇術に長けたヒロインとこの盗みのプロとが大金強奪を決行するや、物語は一気にクライム&サスペンスの様相を呈するようになる。そして捕われの身となり窮地に追い込まれた男が、咄嗟に思いついた或るアイデアを、遠く離れた彼女に読唇術を使って自分の唇を読ませ、一発大逆転の行動に出るというシークエンスが実にスリリングで、この映画の最大の見所となっている。このあたりのヒヤヒヤ感は「バウンド」と酷似しているが、キッチン・ルームの使い方など、むしろ一連のタランティーノ作品に近いものがある。ハンデを持ったヒロインが活躍する作品に「暗くなるまで待って」という秀作もあるが、本作の場合には動機が不純ということもあって、あくまでもダークなイメージで描かれている。そこがまさにこの時代の女のしたたかな生き様であり、本作の狙いの面白いところ。まさに映画は時代を映す鏡なのであります 。
8点(2003-11-21 00:37:55)(良:2票)
20.  夜の訪問者
確か、テレンス・ヤング監督とC・ブロンソンとが初めて手を組んだ作品だったと記憶しているが、南仏の港町が舞台のれっきとしたフランス映画という割には、アメリカ映画といった印象が強いのも、やはりこの二人の持って生まれた資質がそうさせているのかも知れない。そして、ベルイマン作品の常連であるリブ・ウルマンを相手役に担ぎ出したのが、本作の特徴であり驚きでもあった。彼女がこういったアクション映画に出演したのは後にも先にも本作だけだっただけに、そういう意味においては実に貴重な映像を残してくれたと思う。それにしても本編は、小気味いいアクションとスリリングなカー・アクションが実に軽快なテンポで展開されていくという、まさに手に汗握るシーンの連続であり、T・ヤングの力量が存分に発揮されたといえるが、同時に筋立ての荒さも気になってしまった。ラストの救難用の照明弾の使い方には、“007のヤング”ということもあり、思わずニヤリとしてしまう。
7点(2003-11-18 17:38:04)
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