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221.  血と骨
前作「クイール」とはまさしく対極にある、本来の姿に立ち戻った崔洋一の真価を問う問題作。一旗揚げる野望を抱きながら、朝鮮半島から日本は大阪へと出稼ぎにやってきた金俊平という男が、金儲けと暴力で明け暮れるという壮絶な生きざまで、昭和初期から末期までの時代を駆け抜けていく。一種の“ピカレスクもの”とも言え、暴れん坊一代記といった趣の内容である。とにかく凄まじい暴力シーンの連続で、観るに耐えないような過激さを有する作品だが、平穏な生活を破壊してしまう金俊平の行動は常人の理解を超えるものであり、感情移入を挟み込む余地が無い程の理不尽さである。このあたり自分の為だけに本能のままに生き、他を受け入れると言う寛容さには無縁の男として徹底的に描かれていく。ただ、人間と人間との感情のぶつかり合いから激しいドラマが展開されるも、崔監督自身が暴力描写に心血を注ぎ過ぎたのか、金俊平の傍若無人ぶりばかりが強調されたような印象を受ける。彼にとって未知の土地で生きていくという事が、闘う事と同義語なのは理解できるにしても、これではハミ出し者が単に暴れているだけにしか見えず、本来の生きるという意味からは大きく逸脱しているように思う。純粋に愛を育んだ清子との関係に重点が置かれ描かれたように、人間としての内面をさらに掘り下げてほしかった。ビートたけしはこの人なりの力演を見せるが、相変わらずの一本調子で、過激なシーンだけは、まるで金俊平のDNAと一致したかのような暴れっぷりで、本領を発揮している。また濱田マリやオダギリ・ジョーなどが強烈な存在感を示しているだけに、鈴木京香の描き方には今ひとつ食い足りないものがある。 オープニングに新天地へ向かう若き日の金俊平が、目を輝かせながら工業地帯を遠景に臨むシーンを、エンディングにも用意したことが余韻をもたらし実に効果的であった。
[映画館(字幕)] 7点(2005-05-04 01:32:09)(良:1票)
222.  ハナのアフガンノート
姉のサミラが監督しようとしている映画、「午後の五時」のキャスティングが決まるまでの顛末を、妹のハナが手持ちカメラでそれぞれの表情を追い続けるというドキュメンタリー。髭が立派だという理由でスカウトされ一度はカメラの前に立つが、職業上の理由から突如出演を辞退してしまう老人。あるいはヒロインに抜擢されて出演に色気を示しながらも、長期に渡る撮影期間に難色を隠せない乙女たち・・・といったふうに、話は二転三転。製作者側の思惑は外れっぱなしで、勝気なサミラは撮影時期が迫っている事もありイライラが募るばかり。今更一歩も引けず、スタッフともども候補者たちに懸命な説得にあたるが、なにかと自己チュー的な候補者との溝はなかなか埋まらない。このあたりの藁をもすがる思いの必死さが良く表れていて、彼女らの情熱が十分に伝わってくるのと同時に、この国での映画製作に対する理解の困難さをも感じずにはいられない。ハナの廻すカメラ映像が素朴ゆえ、余計実感として観る者を惹きつける作品となっている。
7点(2004-07-26 23:44:58)(良:1票)
223.  スーパーマン(1978)
映画はカーテンの画面から始まり、やがて白黒スタンダードでコミック・ブックをめくる少年の手に。その中に描かれている建物の広告塔(デイリー・プラネット新聞社)の地球儀の周りを回り始め大宇宙に飛び出して行き、例の青く光る帯をひいてタイトル文字が現れては消える。やがてクリプトン星のクリスタル都市へ・・・という見事なオープニング・タイトル・シークエンスは、J・ウイリアムスのテーマ曲と共に見事であります。  緑の平原の中にポツリと家があって、とてつもなく広い青空の彼方には地平線が見えているという、アメリカのノスタルジックな風景が素晴らしく印象深い。今は不幸にも障害者となってしまったクリストファー・リーブだが、本作で華々しくデビューした彼の勇姿がなんとも眩しい。
8点(2001-02-17 00:05:07)(良:1票)
224.  宇宙大戦争
円盤のシャープなデザインが酷似していることから見ても、本作が東宝特撮映画の傑作「地球防衛軍」の姉妹編であることは明らかだが、基本的なコンセプトは同じでもアプローチの仕方がまったく異なるという、やはりこれももう一つの本格的侵略SF映画の傑作だったと言える。地球を遥かに臨み監視する宇宙ステーションが円盤に攻撃されるところから始まる物語は、鉄橋の整備士のカンテラがゆっくりと浮上した瞬間、鉄橋もろとも上空に吸上げられ、その影響で特急列車が谷底へ転落していくシーンへと繋がる。このオープニングの一連のシークエンスは、圧倒的な科学力を有した何者かが、外宇宙から地球への侵略を始めたという不気味さを漂わせ、観客を物語に一気に引きずり込むにはこれ以上無いほどの強烈なインパクトを与えている。ナタール星人の地球侵略に対しその月面基地を先制攻撃するなど、 この映画の特徴として言えるのは、人類がかなり攻撃的に描かれているということ。そしてそれによって舞台設定が次々と変わっていく点にある。中でも月面上での探査艇と円盤との壮絶なバトルは迫力十分で、脳にチップを埋められた隊員がスパイとして操られ、探査機の破壊を命ぜられるスリルと相俟って、本編の最大の見所ともなっている。その前段の月に向かう途中、冒頭の宇宙ステーションで犠牲になった搭乗員が、座席に座ったままの姿で宇宙空間を漂っているというシーンがある。スピップ乗組員が、遠く離れていく彼に敬礼し哀悼の念を表すという、本編の最も感動的なシーンとして忘れられない。その後、地球上で迎え撃つ数々のメカも登場し、地対空、空対空といった円盤と地球連合軍側との戦闘シーンは最高潮に達する。終盤に登場するナタール星人の強大な破壊力を有する母船が意外なほどの迫力不足で、実に呆気ない結末を迎えるという点が唯一の不満として残ってはいるが、人類の英知を結集し徹底的に戦いを挑み、堂々と勝利してカタルシスをもたらすというこのストレートな冒険活劇は、物語の骨格が確りと構築されていること以上に、本多猪四郎と円谷英二という希代の才能があればこそ実現した作品だったと言っていい。しかしそれにしても「インデペンデンス・デイ」など、こういった本格的な正統派侵略SF映画が昨今ほとんど創られないのは、極めて残念なことである。
9点(2004-09-28 16:44:06)(良:1票)
225.  セルラー
今や我々の日常生活に欠くことの出来ない携帯電話の特質を巧妙にとり入れた、サスペンス・アクションの佳作。それはそれはタイトルが始まってからエンドロールに至るまで徹底されていて、主役はあくまでも携帯電話なのだという事が否応なく印象づけられてしまう。本作はいわゆる巻き込まれ型サスペンスで、プロットはいたってシンプルだが、さらに二重構造にすることで空間的な広がりが生まれ、またそれぞれがラインで繋がっていて、移動することにより局面が次々と変化し、そこに予測のつかないスリルが展開されていく面白さ。ストーリー・テリングの巧みさやトリックの仕掛け方など、考え得るありとあらゆるサスペンスのエッセンスをふんだんに作劇に絡ませ、娯楽作品として絶妙の味付けを施している。まさにアイデアの勝利といったところだが、やはり電話をモチーフにした「フォーン・ブース」の脚本で既に実証済みのL・コーエンならではの発想で、アイデアマンとしての面目躍如たるものがある。人助けという思いもよらないトバッチリを受けながらも、咄嗟に機転を利かせて大活躍をするC・エバンスが作品全体を盛上げているが、いかにも小市民的なおじさん俳優W・H・メイシーの意外性のある活躍も見逃せない。ただ、J・ステイサムは「トランスポーター」などで既にヒーローを演じている人だけに、今回の役にはそぐわないような気もする。いずれにしても、小品だが時々こういったキビキビした作品に出逢うから、やはり映画は止められない。
[映画館(字幕)] 8点(2005-05-17 00:24:46)(良:1票)
226.  キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン
タイトルバックにはあまり凝らないと言うか、拘らないのがスピルバーグ作品の流儀なのだが(それは本編に自信があるからこその裏返しともとれる)、今回ばかりはレトロっぽいアニメを今風にアレンジして、これから展開される作品世界に我々を誘ってくれるには、実に効果的なオープニングだ。陽光眩しいのんびりとした60年代の雰囲気の中、全編にわたり軽妙洒脱な語り口で魅せるこのスピルバーグの新作は、まさしく原初に立ち返ったような印象を受ける。SFXをふんだんに駆使したSFでもなければ、ド派手なアクションもない。あるのは贅肉をそぎ落とした、彼本来の姿そのもの。軽いフットワークで撮った作品のように見られがちだが、恐竜や宇宙人などが出ない分、いわゆる誤魔化しが利かないため、演出力そのものが作品の出来を左右してしまう。それだけに今までの作品中でも、彼自身かなり力を込めて撮った様子が窺い知れるというもの。そしていかにも彼らしい壮快な作品に仕上がっている。とくにデカプリオの七変化の伊達男ぶりと、不変のスーツ姿のハンクスの対比が面白く、頭脳明晰で常に奇策に転じて逃れるレオに対して、極めてオーソドックスな捜査で追い詰めていくハンクスという構図が、ふたりのキャラを殊更際立たせている。痛快作ではあるものの、実話からくる重みを感じさせるラストも巧い。
[映画館(字幕)] 9点(2003-04-25 01:07:54)(良:1票)
227.  ダーティハリー
刑事としての能力に優れていて腕も立つが、警察という枠に収まりきれず一匹狼で、ときには暴走してしまうという今日のはみだし刑事モノの“ハシリ”となった記念すべき第一作。暴力には結局、暴力でしか解決できないという、一人の刑事の無力観を漂わせたラストが心に染みる。
8点(2001-02-23 15:33:29)(良:1票)
228.  サハラに舞う羽根
全体的には、恋愛模様も戦闘シーンの見せ場も過不足なく、まずは手堅く纏め上げられているという印象をもったが、やや説明不足の感がある事も否定できない。で、捨て身で戦う男の真の勇気と友情というのが、本作のひとつのテーマとして挙げられるのだが、要はぼんぼん育ちの主人公ハリーが、士官以外に生きる道はないと悟るまでの心の葛藤や、勇気というには余りにも無謀で場当たり的な行動といったものに、説得力がないのである。だから再三に渡って窮地に追い込まれてしまうのだが、事あるごとに砂漠の黒人の傭兵に助けられるという情けなさ。この辺り、ほとんど通俗アクション映画のようなご都合主義で貫かれていて、この謎の傭兵こそが物語の真の主人公ではないかと思えるほど、ハリーの影は薄い。結末も予想通り甘ったるいものになっているが、それでも大スケールの迫力ある戦闘シーンは見応え十分で、砂漠で敵に四方から囲まれ攻め起てられるシーンを俯瞰で捉えた構図などは実に解かりやすく、そういう意味では、撮影の素晴らしさがこの作品を支えていると言ってもいい。
7点(2003-11-06 00:19:29)(良:1票)
229.  父親たちの星条旗
日米双方の視点から描いた硫黄島2部作とは、舞台が同じでありながらアプローチの方法がまったく違う為、大きく異なった印象を受けるものであった。それは作品の出来不出来という次元の話ではなく、民族の置かれた立場、描かれている内容、人間描写の密度の違いから受ける物語性の深さによるものであり、本作が「硫黄島からの手紙」ほど身につまされなかったのは、単に私が日本人だからという理由だけではない。硫黄島に星条旗を立てることの意味と価値観は、まさしくアメリカ人特有のものであり、それに纏わる裏話として関わった3人の米兵の後日談を綴っていくのが本作の主としたスタイルであり、攻防戦を基点にした過去を回想形式で描いた日本側の「硫黄島」と大きく異なる点である。帰国後、英雄として祭り上げられた彼等は、連夜のセレモニーの舞台に立たされるものの、その居心地の悪さに後ろめたさを感じたり狼狽するばかりであり、(端的な例として、悪酔いする一人の兵士に凝縮して描かれる。)戦意高揚の広告塔としての立場を経て、社会情勢の変化による大きなうねりに呑み込まれた挙句、人生をも狂わし、やがて人々から忘れ去られていく様を、映画は断片的に語り繋ぎ、戦争の悲惨さや虚しさを謳いあげる。しかし、それにしても“硫黄島の戦い”を舞台にしなければならない動機が今ひとつよく分らない。現在と回想シーンとがまったく別物のような印象を受けるのも、話の繋がりの解り難さからくるとも言えるが、ひとつには、終始無表情なR・フィリップに代表されるように、“彼等の顔”が見えないことだ。直截的な「硫黄島」と違い、彼等の屈折した心情というものが、十分に表現しきれなかった事に起因するように思う。要は、“戦争にヒーローなどいない!”という本来主張するべき部分にインパクトが無いのだ。また、彼等の嘆き節は、70年代後半から80年代にかけて、あまた作られたヴェトナム戦争後遺症映画で語られてきた事と同音異曲であり、ドラマに何ひとつ意外性が無く、テーマそのものにも目新しさというものが感じられない。ただ、「硫黄島」の強烈さと物語性に比べると損をしているとも言えるが、イーストウッドは余りにも冷静過ぎて、原作の良さを十分に生かし切ったとは言い難い。これをスピルバーグが自ら監督をしていたなら、もっとウエットな作品になっていたに違いないが、それが正しい方法論なのかは私には分らない。
[映画館(字幕)] 7点(2007-02-12 00:49:22)(良:1票)
230.  バティニョールおじさん
舞台は第2次大戦中のドイツ占領下にあるパリ。愛や希望を失ってしまった不幸な時代にあってなお、それらに押し流されまいと人々は必死に生きようとしていた。そんな中でも、ユダヤ人を強制収容所送りにする為ナチスに密告するといった、人間の最も醜い姿がある一方で、彼等を匿ったり逃がしてやったりと、正義感を伴った人間本来の美しい姿がある。本作はこういったまさに庶民レベルでの両者の戦いの物語とも採れる。主人公を冴えない中年の肉屋の親父(=バティニョール)にしたことで、この悲劇的なテーマがユーモラスで人間味溢れる作品になり得たのだが、このあたり自作自演のJ・ジュニョは、その風体からしてまさにハマリ役。ひょんな事から匿っていた子供たちをスイスへ脱出させるという、コミカルさからスリリングさへと場面展開していくが、その筋運びには些かの誇張もないだけに、十分に説得力があり面白い。結局、人間の尊さや人間の良心への問いかけをすると共に、この愚かしい大人たちの現実世界から、未来を子供たちに託すという、祈りにも似た気持ちを感じさせる作品だと言える。陽光と緑に包まれたエンディングも実に爽やかである。
8点(2003-07-26 00:19:01)(良:1票)
231.  オープン・ウォーター
実際にあったコワ~イお話。こういう作品を制作する際に問題となるのが、災難に遭った当事者でもない限り、その場の状況は誰にも分からない訳で、同様の事故から生還した人のコメントを参考にする以外は、想像の域を出ないという事である。従って、ドラマチックな感動を呼ぶ娯楽作品に徹するか、あくまでもリアルさを追求したドキュメンタリー風の作品にするかは、製作者の狙いによって随分と違ってくる。こういった再現ドラマには以前公開された「運命を分けたザイル」という秀作もあるが、舞台が雪に閉ざされた山岳地帯という事もあって、ドラマを構築するには有利に働いたように思える。しかし本作は周囲360度が見渡す限りの海が舞台であり、そこにポツンと取り残された二人の男女の運命を描くには、画面的には単調にならざるを得ないのは自明の理。どう考えたって娯楽作にはなりようがない。 そこで、その不利な条件を逆手に取り、接写撮影に徹して、観客をも巻き込んだ同時体感ムービーにしたのは、正解だったと思う。いや、もはやその方法しかなかったとも言える。主人公たちを俯瞰で捉え、空間的な広がりを感じさせるショットも無くはないが、ここで問われるのは、あくまでも状況の迫真性である。彼らの足元に蠢くクラゲや鮫といった、海に生息するモノたちからの攻撃による恐怖も然ることながら、一方では、何も起こらない事の恐怖も同時に味あわされる。取り残されたという心細さが徐々に不安感に繋がり、やがて恐怖に変わっていくプロセスは、なかなか巧みだ。とりわけ、延々と波に揺られることで船酔い状態になり、嘔吐する生々しい描写や、感情が微妙にブレ続ける二人のセリフの遣りとりなど、真実味や臨場感からくる恐怖演出は十分に捻出されているし、さらに、無名の俳優たちの真に迫った演技も見逃せない。それにしても、単純なミスで災難を被る映画としては異色の本作だが、安手のリゾート・ツアーには気をつけようという、戒めが込められているようだ。
[映画館(字幕)] 8点(2005-07-14 12:29:53)(良:1票)
232.  アイランド(2005)
「ジュラシック・パーク」のクローン恐竜が襲ったのは“彼ら”を創り賜うた人間たちである事で、一種のパラドックス的な面白さを有した作品だったと言える。それに反し、その人間たちから逃げ回るのがクローン自身というのが本作の基本的なコンセプトである。主人公のリンカーンが甘美な夢から目覚めるという冒頭から見ても分かるように、“彼ら”も夢を見るのであり、ロボットやアンドロイド等とは一線を画すという、あくまでも人間の複製であるという事を端的に言い表している。そして人間の持つ根源的な「意思」や「感情」から、やがて「好奇心」や「疑問」が芽生える事によって、彼らは“自分は一体誰なのか?”“何の為に存在するのか?”といった、言わば生きる為の“自分探し”を、逃避行という形で行動に出るのが、大まかなストーリー・ライン。ロボットやクローンが主人公というのも、昨今の近未来を舞台にしたSF映画では珍しくもないが、前述した意味において本作はもう一つの「A.I.」と言えるものであり、スピルバーグ自身が映画化したがっていたのも頷ける。その彼から直接白羽の矢を立てられた以上、M・ベイも今回ばかりは下手な作品には出来ない。結果的には監督として少しは見直した作品となっているが、近い将来に起こり得るというリアリティさを巧みに脚本化した功績が大いにモノを言ったようだ。もっとも、人間の死生観を探究するといった哲学的なテーマよりも、ベイらしいアクション主体の娯楽作品であることに変わりは無く、映画の中盤で炸裂する大スペクタクル・ショーは、いかにも彼らしい躍動感に溢れたものであり、ダイナミックなエンターティンメントとして純粋に楽しめる出来だ。ラストの閉ざされた居留地から地上への脱出の構図は、まさに奴隷解放のイメージそのものであり、それを実現したのが“リンカーン”というのは、シャレだろうか。いや、きっと“ジョーダン”だ。
[映画館(字幕)] 8点(2005-08-04 18:29:25)(良:1票)
233.  シュレック
兜を外したシュレックの顔を初めて見たときのフィオナ姫のなんとも複雑な表情が、後の彼女の秘密を知る上での伏線となっていた訳で、結局のところこの作品の主要な登場人物は、自分の容姿に少なからずコンプレックスを持っているのだが、自分も人並みに幸せになりたいという気持ちも共通の願いでもある。で、表面的な美醜に捕われていると本質が見えてこないという戒めを、きっと作者は言いたかったのだろう。しかしそう言った「美女と野獣」や「ノートルダムの鐘」に一脈通ずるテーマ性よりも、やはりこの良く出来たエンターティンメントとしてのアニメを存分に楽しむのが正しい鑑賞の仕方だと思う。とりわけ姫を城から救出するくだりがやはり面白く、アニメならではの醍醐味がここにはある。そして何と言ってもこの愛すべきキャラのシュレックを始めとする様々な登場人物たちの表情の豊かさには、CG技術の進歩とは言え驚嘆するばかりだ。
8点(2002-02-03 17:17:57)(良:1票)
234.  砂の女
何故か砂丘に穴を掘って、その穴の底で暮らしている女と、そこに捕らえられ幽閉生活を余儀なくされ、無駄な穴掘りを終日やらされる男との奇妙な男女関係。極限状況の中で、男はこの蟻地獄から脱出しようと再三試みるが、砂は雪崩の如く、そして岩から流れる滝のように崩れ落ちるばかり。その描写はただひたすら美しい。男は一時脱出に成功するものの、逃げ惑った挙句の果て逆戻りしてしまう。しかし、都会で日々の暮らしをする事と何が違うと言うのか?戸籍や様々な証明書といった管理社会に対する疑問と、人間が生きていく上での営みという根源的な意味を、勅使河原宏監督はこの不条理劇を通して問いかけているように思う。キャストとスタッフの名前に並べて押印しているという、ユニークなオープニング・タイトルも象徴的で、まさに日本映画史に残る傑作だと言える。
10点(2001-10-13 01:13:58)(良:1票)
235.  地獄の黙示録
R・デュバルがサーフィンをさせる為にベトナムの村を急襲するシークエンスは、人間が本能的に持っている戦争をすることの快楽を徹底的に表現し、その迫力たるや、まさに戦争そのものをフィルムに収めたような錯覚を起こすほど。又、兵器としてのヘリコプターの性能を駆使することで、この作品のテーマでもある「恐怖」の表現にも成功している。ただ、“戦争の狂気”を躍動感溢れる演出で描いた前半に比べ、哲学書の引用と意味ありげな独白過多の後半は芸術性を重んじるあまり、話が曖昧で急につまらなくなってくる。カーツ大佐のような白人を「神」として崇拝するほど「未開」ではなかったベトナム。コッポラ監督としては、残虐性と神秘性が同居するアジアというアメリカにとって異質なな文化を、あまりにも図式的に捉えすぎたのではないだろうか。
8点(2001-04-22 18:11:25)(良:1票)
236.  g@me.(2003)
インターネットと携帯電話という通信手段を巧みに利用した、まさに現代身代金略奪物語といったところだが、金銭が本来の目的ではない事は明らかだ。復讐という共通の目的の為にこの偶然が招いた(かの様な)狂言誘拐劇を利用して「勝つか負けるか」といった、いかにもゲームを楽しむように実行していく主人公カップルは、あたかも現代の都会に生きる若者の象徴のようで、テンポ良くそしてスリリングに描かれていく様子は、壮快ですらある。誘拐される側が必要最小限もしくは想像上の描写しかされないのがミソで、話は二転三転と予測がつかない展開をみせる。結局ゲームは本当の決着がつくまで「やられたら、やり返す」という精神に徹している点、昨今の変な物分かりの良さでかえって不満を感じるといった作品が多い中、これはむしろ潔いし溜飲の下がる思いだ。しかし話はまだある。このクールな二人が果たして本当に愛し合っていたのだろうかという疑問が残る。再三出てくるハッとした表情も実は演技だったのかと考えると、恋愛ゲームとしての面白さも見出せる作品と言える。ラストの締めくくり方は少々カッコつけ過ぎかとも思えるが、終盤の映像トリックの面白さも十分効いていて、昨今流行りのトリッキーな作品群の中ではかなり良く出来た一本である。
8点(2003-12-10 00:44:36)(良:1票)
237.  コックと泥棒、その妻と愛人
難解な作風で知られるP・グリーナウェイ監督の、これは比較的解かり易い作品。タイトルからも容易に想像できると思うが、まさにドロドロとした生身の人間の感情のぶつかり合いと、そのかなり歪んだ愛と復讐の物語。その作品世界は極彩色の悪夢とでも言うべきか、グロとエロスのまさに退廃と悪趣味の極みを描き、また悪には悪をもって征すというカタルシスも用意され、媚薬のようななんとも魅力的な作品となっている。
9点(2001-12-14 17:29:38)(良:1票)
238.  クイール
この世に生を受け、盲導犬として育ち、様々な人々との出逢いと別れを繰り返しながら、紛れもなく人間の役に立ったことを生きてきた証として生涯を終えたクイール。本作はそんな一匹の犬の生きざまを、周囲の人間たちとの哀歓を絡めながら克明に綴った秀作である。生まれながらにしてその素質を見込まれ、本人の意思とは関係なく人間の都合だけで盲導犬としての宿命を背負わされた訳だが、それだけに訓練させられる犬と言うよりかは生身の生き物といったあくまでも一匹の動物といった感覚で表現され、そのあたりが実に細やかに描かれていく。この作品が溢れんばかりの愛情をそそぐといった、単に可愛い可愛いだけの動物映画と一線を画するのも、実話に基づいて製作されているという現実感からくる重みという点にある。登場人物たちのクイールに接する距離感を微妙に違わせたり、言わば紋切り型の人間を登場させていないことなども、物語を説得力あるものにしている。椎名桔平はまさにハマリ役で、地味ながらどんな役柄でもその人物に成り切るソツの無い演技力は、もっと評価されていい。熊の縫ぐるみにじゃれついて遊ぶいじらしい幼犬から、今や老犬となったクイールがそのボロボロになった縫ぐるみを相手に余生を送る姿は、ただひたすらに愛おしく、切なさを感じずにはいられない。
8点(2004-08-30 15:59:53)(良:1票)
239.  バンディッツ(2001)
思いつきとは言え「お泊り強盗」というのは初めて聞く話で、トントン拍子に仕事が巧く運ぶ様子は心地良いが、後半、男女の三角関係(しかも奇妙な)が中心となるにつれて、話が急にもたつき始める。さらに、仲間の一人がスタントマンであるということがあまり生かされていない為か、ラストの大芝居も唐突にしか感じない。バリー・レビンソン監督としては、粋でお洒落なコメディを目指したようだが、よほど苦手な分野のようで、上手く行ったとは言い難い。ただ救いは、三者三様の強烈なキャラによる力演に尽きる。
7点(2002-02-03 16:30:27)(良:1票)
240.  ザ・ダイバー
激しい人種差別の名残の時代にあっても尚、主人公が黒人と言うだけで、"なぜ”差別(虐め)を受けなければならなかったのかという根本的な描写が、あまり深く掘り下げられていない。例えば、他の訓練生が彼と寄宿舎で一緒に寝泊りすることを拒否しているのにもかかわらず、実習の場面に変わればすでに行動を共にしているという何とも不可解な描写がある。差別を扱う作品としては全編が何とも中途半端で、もっと執拗にねちこく徹底的に描くべきではなかったか。又、本来感動的なシーンであるはずのクライマックスにしても、彼の姿勢に周囲が感服したとは言え、あのパーフォーマンスだけで果たして現場復帰させられるものなのだろうか。実話の映画化という事だが、ドラマチック性重視でかなり脚色された分、どうしても甘さが残ってしまう。
7点(2001-07-07 23:33:17)(良:1票)

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