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61.  エデンより彼方に
舞台はニューイングランドのハートフォードという片田舎。エリートの夫には貞淑な妻であり、子供たちには賢い母親として、何不自由ない暮らしを送る美貌のキャシー。周囲からは憧れの的であり、理想の主婦ともいえる彼女が迎える人生のターニングポイント。これは様々な意味合いを込めて、50年代と言う時代背景を意識した作品だと言える。それはまさに偏見と言うものが、人の生き方をも大きく変えてしまうという哀しい時代。昨日まで仲の良かった親友でさえも、手のひらを返したような排他的な態度。このまやかしの楽園である見せかけの世界に、真の自分というものを失わずに生きていこうとする彼女の姿には、やはり共感せずにはいられない。大メロドラマのスタイルをもったこの作品の魅力は、ストーリー以上に、見事なカメラワークによる色彩の美しさ、この時代の男と女のエレガントさ、女性たちが身に纏うコスチュームの素晴らしさ、そして何よりもヒロインを演ずるJ・ムーアが魅せる眩いほどの美しさ。そう「めぐりあう時間たち」と錯覚するほど、この作品での彼女と酷似しているのは単なる偶然だろうか。そしてこういった役どころは、もはや彼女の独壇場と言っていいかも知れない。夫フランク役のD・クエイドにはこういった役柄はむしろ不似合いな気もする。黒人の庭師レイモンドを演じたD・ヘイスバードは今後の注目株。
8点(2003-09-07 16:46:34)(良:2票)
62.  リード・マイ・リップス 《ネタバレ》 
仕事はこなせるものの難聴というハンデの為、会社ではなにかと苦々しい思いをしながら日々を送るヒロイン。そんな陰鬱でストレスの塊のような彼女に、ある日ひとりの助手が充てがわれる。この見るからに風采の上がらない男は、務所帰りのチンピラで、更生を誓っての職探しの結果、彼女のお眼鏡に適ったという訳。しかしどこが気に入ったのだろうか。お互い社会に爪弾きにされている孤独な者同士という、まさに“類は類を呼ぶ”であり、この女と男の愛称の微妙さを、少ないセリフながら表情の変化で積み重ねていくプロセスが見事で、とりわけ男に恋心を抱くヒロインの変貌ぶりが心地いい。映画はやがて、難聴のため読唇術に長けたヒロインとこの盗みのプロとが大金強奪を決行するや、物語は一気にクライム&サスペンスの様相を呈するようになる。そして捕われの身となり窮地に追い込まれた男が、咄嗟に思いついた或るアイデアを、遠く離れた彼女に読唇術を使って自分の唇を読ませ、一発大逆転の行動に出るというシークエンスが実にスリリングで、この映画の最大の見所となっている。このあたりのヒヤヒヤ感は「バウンド」と酷似しているが、キッチン・ルームの使い方など、むしろ一連のタランティーノ作品に近いものがある。ハンデを持ったヒロインが活躍する作品に「暗くなるまで待って」という秀作もあるが、本作の場合には動機が不純ということもあって、あくまでもダークなイメージで描かれている。そこがまさにこの時代の女のしたたかな生き様であり、本作の狙いの面白いところ。まさに映画は時代を映す鏡なのであります 。
8点(2003-11-21 00:37:55)(良:2票)
63.  世界最速のインディアン
これもやはり、ひとつの人生の応援歌と呼べるものではないだろうか。人間、何か一つの事に一生を賭けるという事など、誰にでもその機会はあっても、なかなか実行に移す事は難しいもの。それも世間の常識を覆すようなものであるならば、尚更である。情熱や経験だけでは達成することなど到底不可能な事。しかし、それを自らの人生の生きている証しとし、目的として、ついに夢を実現させた男の生きざまを描いたのが本作。歯を食いしばり、いかにも頑張っている風には見えない主人公。その颯爽とした立ち居振る舞いの清々しさ。それが持病持ちの老人とならば、尚更際立つ。その気概の持ち主を、A・ホプキンスが自身とダブらせ、孤高の人物に成り切って、実に気持ち良さそうに演じている。軽妙洒脱な面を見せながら、人間味を滲ませていくという、彼の引き出しの多さには、今更ながら敬服する。幾つになっても夢を追い翔る少年のような気持ちを抱き続けられるのは、男の特権であろう。それを身をもって証明してくれているのだ。本作でとりわけ優れているのは、年老いてから旅に出て、様々な人々と出合うことで、一種のカルチャーショックを受けながらも、人の意見には素直に耳を傾け、人情の機微を感じていく彼を、単なる頑固一徹な老人といった画一的な人物としては描いていない点や、周囲の多くの暖かい眼差しが、彼の夢を実現させたという視点を巧みに描出できた事だろう。実話をベースにしているからこそ、一見すると奇想天外なストーリーにも、真実味が帯びてくるのであり、ポンコツ・バイクを引っ提げて、世界の名立たる強豪を相手に出し抜く姿には、もはや喝采を挙げるしかない。近年稀に見る、ロードムービー痛快篇の誕生である。
[映画館(字幕)] 9点(2007-07-29 17:11:52)(良:2票)
64.  悪魔の発明
半世紀の時を経ての念願叶い、生涯最も観たかった作品とついに巡り逢えた。作品の素晴らしさは筆舌に尽くしがたく、そのイメージは想像で思い描いていた以上であり、これが五十年も前に創られた映画なのかと改めて驚くと共に、長年待った甲斐があったとしみじみ感じる。噂では知っていたけれど、実際には観たことがないカレル・ゼマンの世界は、まさしく「イメージの宝庫」と言えるものであり、それ以上に「斬新さと独創性」というものが強烈に印象付けられるものであった。作品世界は今で言う“SFファンタジー・アドベンチャー”だが、如何にも使い古された感のあるこのフレーズには全くと言って当て嵌まらない。私にとっては、まさに“未知との遭遇”なのである。その映像は“実写とアニメの共存”とでも表現すればいいのだろうか、例えば「ロジャー・ラビット」等とは対極にある、絵画で言う平面画にこだわりを見せている点である。アニメーションと言っても現在のイメージとは大きく違い、西洋の古き書物の挿絵あるいは絵画の下絵から抜け出てきたような、まさに“絵が動く”のであり、その新鮮な驚きは感動的ですらある。しかもそれらアニメ部分や実写との合成、或いは書き割りに至るまで、銅版を用いた線画で表現することに徹していて、さぞや気の遠くなるような手間隙かけた作業であったろう事は容易に想像できる。さらにモノクロ映像にしたのも功を奏したようで合成だと思っていたら巧妙に創られたセットだったりと、目を凝らしていても解からない。これらの、まるで騙し絵のような摩訶不思議な映像の洪水には圧倒されてしまう。もはやストーリーやテーマなどそんな事はどうでも良く、目の前で展開される予測のつかない、まるで玉手箱のような映像に身を委ねていればそれでいいのである。ミニチュアからセット・デザインに至るまで、映像のプロとしての緻密に計算され尽くした画面構成と、カレル・ゼマンの少年のような無邪気さと奔放な遊び心とが見事に結実したこの「悪魔の発明」は、「天才の発明」した、まさに世紀を超えた傑作であると、私は断言したい。
[映画館(字幕)] 10点(2005-06-01 18:39:22)(良:2票)
65.  サトラレ TRIBUTE to a SAD GENIUS
コミカルにテンポよく進んでいく前半に比べ、ヒューマン・ドラマ色が濃くなる後半はかなり大仰で、とりわけ終盤の手術シーンとそのあとの屋上で号泣するシーンとの、いわゆる“泣かせの二段重ね”はクドくて、手法としては頂けない。傑作になり損ねた作品という印象は拭えない。
7点(2001-04-01 18:02:11)(良:2票)
66.  いつか読書する日
学生時代につき合っていたカップルも、やがてそれぞれが別々の人生を歩むことで疎遠になってしまうのは誰しもが経験のある話。しかし、この映画の女と男の場合は、お互いに町から一歩も出ることなく、30年もの年月の間、秘め事のように相手を思い続けて暮らしているのである。そしてある日、二人はひょんな事から急接近する運命に遭遇してしまう。紅い糸で結ばれていた宿命なのか、或いは運命の悪戯なのかは分からないが、二人にはやはり縁があったということなのだろう。もちろん不倫を扱った作品でない事は明瞭で、それぞれの人生の紆余曲折が、やがて大きなうねりとなって結びついたのであり、男の妻の願望はそのきっかけに過ぎないのである。そこに女と男の出逢いの不思議さを感じさせる本作のストーリーテリングの巧さがある。家庭を持たない美奈子は、彼女なりに充実した人生を過ごしているが、痴呆老人を抱える老夫婦という身近な問題があり、また、結婚したものの余命幾ばくも無い妻を抱えた高梨には、仕事上での児童虐待問題に頭を悩ませている。共に自分たちに無いものに拘り合う事で男と女の結びつき、延いては夫婦の在り様を自分たちの現実の問題として、否応なく直視させられる。そこへ降って沸いたかの様な運命の急展開が待っていたのだが、結局思い半ばで成就しないのも、また二人の宿命なのだろうか。運命に弄ばれ長い歳月を経ての二人の決着としては、無残というよりはむしろ滑稽ですらあり、アイロニーを感じさせる。人生とはそういうものなのだろう。息を切らしながら坂道の長い階段を駆け上って行く彼女の人生は、今再び始まろうとしている。いつか(誰か好きな人と一緒に)読書する日を胸に秘めながら。その神々しいまでの田中裕子の表情が素晴らしく、女一人で生き抜いてきた精神力を感じさせる上手さは際立っている。また脇を固める演技人の充実ぶりも瞠目に値する。それだけに高梨を演じる岸部一徳には、長年思い続けられるほどの男としては、今ひとつ魅力に乏しいと言わざるを得ないのが、残念である。
[映画館(字幕)] 8点(2005-11-03 15:55:26)(良:2票)
67.  猫の恩返し
「もののけ」や「千尋」といった、いわゆるジブリ・イベント大作を見慣れてしまった為か、本作はなにやら“普通のアニメ”といった印象が強い。しかしアニメとは本来こういうモノなのではなかったか。我々はいつから作品に深いテーマ性や映像の美しさと言ったような完成度の高さを求めるようになったのだろうか。つくづくジブリ・アニメの功と罪というものを感じると共に、今後の方向性に一石を投じた作品のような気がする。
6点(2002-10-04 00:14:50)(良:2票)
68.  ヒストリー・オブ・バイオレンス 《ネタバレ》 
無表情で淡々と仕事を片付けている男二人。彼らは何者なのか。これからどのように展開していくのか。その余りにもアブノーマルな(まるでタランティーノを彷彿させる)導入部の冷酷で身震いするような思わせぶりは、その後、実に呆気なくカタが着いてしまう。物語の主人公の素性がバレてしまう切欠となる、実に巧い作劇である。生半可ではない無類の強さと凶暴性を秘めた男が、過去をひた隠しにしながら家庭を持つ事の矛盾と難しさがテーマの本作は、演じる役者のイメージだけで、有無を言わさぬ説得力を齎した稀有な例だと言える。彼の名はV・モーテンセン。なるほど、“アラゴルン”だもの。だから、いくらE・ハリスが強面のメイクで凄んでみても、不気味で貫禄十分なW・ハートであろうとも、所詮彼の敵ではないのである。家族の幸せを邪魔する者。男にとって彼らはまさに「許されざる者」であり過去を清算する為に単身乗り込み、何の躊躇もなく一気呵成に一撃を食らわせる姿に、命を賭けて家族を守る事しか男には無いことが雄弁に物語られる。しかし、妻や子供の前では、借りてきた猫のようにしおらしくなってしまう姿には、思わず微笑んでしまう不思議さ。監督はD・クローネンバーグ。いかにも彼らしいグロっぽさが随所に見受けられるが、近年の作品群からは推し量れない程、冒頭から幕切れに至るまで、余りにものストレートなアクションであり、このような通俗的なタイプの作品も撮るのかと、その様変わりは少々意外な気もする。しかしながら、たたみ掛けるようなテンポの良さとカタルシスは、カナダ人でありながら、伝統的なハリウッド作品を十分に熟知し継承している証しだと思う。なかなか現実には有り得ない設定だが、妙に納得してしまう作品だ。
[映画館(字幕)] 9点(2007-01-22 00:07:54)(良:2票)
69.  フォーン・ブース
携帯電話では決して成立し得ない、昨今では珍しい“公衆電話ボックス”という小さな小さな空間から、やがてこの作品世界は際限なくグローバルに広がっていくという、今までにない独自性をまず感じさせられる。無差別犯罪のターゲットにされ、極限状態に追い詰められた男の恐怖を描く本作は、まさに監督J・シューマカーの得意分野でもある。で、およそ映画的スケール感とは無縁の限定された世界の話であり、しかもプロットは極めてシンプルなだけに誤魔化しが効かず、より演出の緻密さが要求される。そういう意味においては、小品だが彼の本領が存分に発揮された佳作となっている。とりわけ分割画面の効果を最大限に生かしている点などは、上映時間の短縮には実に有効だったと思う。また、F・ウィティカー演じる警部を機知に富んだ聡明な人物として配置するなど、バランス感覚にも細やかな配慮がなされている。しかしそれも、全編のほとんどを一人芝居で演じきったC・ファレルの的確な演技があってこそ。世の中はすべて金!といった傲慢で世渡り上手な面がある一方、脅迫で自身の人間性を曝け出すような弱さも併せ持っているという、この何処にでもいるような男=スチュを演じて見応え十分。ただ警察より一枚も二枚もうわ手で、すべてが計算ずくで、ゲームを楽しんでいるような犯人の動機や真の目的が謎である以上、ラストにチラッと姿を見せたのはやはり間違いで、謎は謎のままにしておいたほうが、より不気味さが出たように思う。
8点(2003-12-17 17:02:37)(良:2票)
70.  火火(ひび)
信楽焼で有名な滋賀県は信楽を舞台に、実在の陶芸家神山清子とその息子とを中心に描いた、感動のヒューマンドラマ。映画は焦点の絞込みという意味で、前半と後半とでは作劇がまったく違った形で描かれている。言わば構成の妙で見せる作品である。夫に去られた彼女が極貧の中、孤軍奮闘で二人の子供を育てながら、女性陶芸家として名を成すまでの凄烈な生きざまをみせる前半と、陶芸家を目指しながら志半ばで白血病に倒れた息子と、病魔との闘いを共に歩むというのが後半である。そして全編を通して言えるのは、本作は明らかに「闘いの物語」であるということだろう。生活の為。あるいは陶芸家として成功する為。そして命を守る為。それぞれの場面で執念のように命の炎を滾らせる神山清子という女性を、田中裕子が緩急自在の演技で魅せきる。生きていくことに厳しく陶芸家として自他共に妥協を許さないという、シリアスで清冽な姿を見せる一方で、心の底では優しさ溢れる肝っ玉母さん的な人情家といった面を、コミカルに演じ分けてしまう。才能とはいえ、永年培ってきた彼女の芸の幅の広さと奥の深さ所以だろうが、改めて上手い女優さんだと感じるし、演技もその姿形も、そして雰囲気さえも、いつまでも若々しい人である。骨髄バンク運動が展開される中、壮絶な闘病生活を強いられる後半の主役でもある息子・賢一。彼を演ずる窪塚俊介も意外なほどの好演(兄貴よりも上)で、将来が楽しみな若手ホープである。ややもすると嫌味になりそうなテーマを内包した本作だが、演出・構成・演技それぞれが絶妙のバランスを保ちながら光彩を放っている秀作である。
[映画館(字幕)] 9点(2005-04-08 01:10:38)(良:2票)
71.  真珠の耳飾りの少女
17世紀のオランダのさり気ない日常を描きつづけた画家フェルメール。寡作家でその大半が室内画であり、また謎の多い人物だったことから、タイトルにもある少女をモデルにした絵が出来るまでを、人間ドラマとして大胆な仮説をもとに綴ったのが本作。作品を魅力的にしているのが、メイドとして雇われた美少女グリートを演じるS・ヨハンソン。  腫れぼったい唇の困惑顔で、いつもどこか不機嫌そうなその表情が男心をくすぐる。C・ファース演じるフェルメールも、彼女をあくまでも絵画の良き理解者という表向きの体裁を繕ってはいるが、彼女の魅力の虜になってしまっているのも事実。この危険な香りを放つ両者の拮抗した演技には魅了されてしまう。二人に果たして男女の関係があったかは、 映画ではついぞ描かれる事はなかったが、耳にピアスの穴を開けるシーンに暗喩としての匂いを嗅ぎとれる。グリートの苦悶の表情のその艶めかしさだけで十分であろう。真実は誰にも分からない事であり、後は個人個人が想いを巡らしてロマンを感じとればいいのである。そしてもう一つの魅力は、フェルメールたちが間違いなく生きていたこの時代を、なんの違和感をも感じさせることなく再現してみせた衣裳と美術そして撮影技術の進歩。湿り気のある空気や柔らかな光と渋めのトーンで統一された色彩処理など、その徹底ぶりには只ならぬものを感じさせ、この作品の雰囲気を余すことなく伝えることに成功している。
9点(2004-09-16 15:38:55)(良:2票)
72.  007/スカイフォール 《ネタバレ》 
D・クレイグに代わってから3作目。ボンド役もすっかり板について・・・と言いたいところだが、そうはならないところが辛いところ。彼を起用した理由の一つに、原作のイメージに最も近いらしいのだが、、それにしても、これほど“ボンドのテーマ”の似合わない男も珍しく、ワクワク感がまったく感じられない。「ロード・トゥ・パーディション」の監督S・メンデスだからと言うわけでもないが、とにかく画調が終始、暗く陰鬱なのは、おおよそ「007」らしくなく、クレイグのフィルモグラフィーを見ても、何故か鬱陶しい映画ばかりがズラリと並ぶ。彼の極端にこけた頬とおちょぼ口、薄い眉毛の容貌は、ちょっと不気味で、「ロシアより愛をこめて」がリメイクされたら、敵役でもある、グラントをこそ相応しいと思うのだが・・・。「007」の定義は、3年に一度の“お祭りムービー”であり、つまりはオリンピックのようなものでる。スケールも然ることながら、どこまでも荒唐無稽な夢物語であり、また、小粋でエレガントでエロティックで、なにより主人公のボンドに華がないと成り立たない映画なのである。長年に渡って製作者として携わってきた、アルバート・R・ブロッコリやハリー・サルツマンから世代交代してからは、趣や目指す方向性も変貌を遂げ、何とも無味乾燥なシリーズに変質してしまった感がある。だからと言って、リアリズムやハードボイルドに徹してるのかと言えば、そうでも無く、とりわけ、冒頭の列車上のアクションからタイトルを挟んでからの後のシーンへの流れなどは、ご都合主義に過ぎる。また、らしくないという意味では、秘密諜報員が町中を追い掛け廻るなんて図は、まるで刑事モノ。今まで時代をリードしてきたシリーズだが、優れたアクション映画の後塵を拝しているかのように、何やら焦りのようなものを感じさせる作品となっている。
[映画館(字幕)] 5点(2013-04-06 16:49:25)(良:2票)
73.  アラビアのロレンス
「アラビアのロレンス」と言えばP・オトゥール。P・オトゥールと言えば「アラビアのロレンス」と言われるぐらい、他にも多くの作品に出演しているにも拘わらず印象が希薄なのも、彼がいかにこの作品で際立っていたかという証明でもある。彼もまたロレンスを演ずる為に生まれてきたような、そんな男のような気がする。とりわけ彼の端正な顔立ちとその美しい瞳。いかにも英国人らしいアクセントの喋り方などがその最たるもので、中でも酋長に衣裳を贈られ、砂漠でその白衣を纏い裾をひるがえして嬉々として舞い、ナルシズムを表現する姿が強烈だ。さらに映画史において、これほど全編に渡ってスケール感が突出している作品も珍しく、砂漠の雄大さ、美しさ、清潔さ、厳しさ、そして人間と自然との関わりあいをドラマの中で見事に融合させている。ロレンスが消したマッチの焔が、そのまま砂漠の真っ赤な空に変化する場面や、O・シャリフが馬に乗って陽炎漂う遥か彼方から登場し、初めてロレンスと出会う場面など、印象に残る名シーンは枚挙に遑がない。
10点(2002-06-30 17:35:26)(良:2票)
74.  誰も知らない(2004)
努めて過剰な演出を避け、ひたすら冷徹な眼差しで対象を凝視し、刻々と変わる日常を淡々と綴ることで、現代の病巣をえぐり出していく。是枝監督が培ってきた“必要以上にドラマを作らない”という精神が静かなしかし力強い感動を呼び起こす秀作。ベルイマン作品流に言うと「ある家庭の風景」とでも表現できようか、一見何処にでもいるような母親と4人の子供たちの物語。「母子家庭」という言葉そのものも久しいが、母と子が肩を寄せ合って懸命に生きていく感動のドラマかと思いきや、ここでは母親がなんと家庭を放棄してしまうのである。失踪同然の母親から見離された子供たちの生きざまが物語の中核をなすのだが、彼らは母親を決して恨むこともなく怒りを顕わにもせず、むしろ自分たちの宿命だとさえ悟っているかのようである。ある程度の年齢にもなれば、子供は親の考え方を肌で感じるもの。それは性癖でさえも。引越しをしてきて子供を連れてお隣さんにきちんと挨拶するという、表面的にはいかにも躾の行き届いた面がある一方で、自らの幸せだけを願うという身勝手さをも併せ持つ母親。しかし、通り一遍の自堕落な女としては描かず、極めて普通の人間として描いているのがこの作品の恐いところ。男にはだらしないものの、子供には出来得る限りの愛情を注ごうとするこの母親を演ずるYOUの自然な演技は、彼女の奔放なキャラそのままで素晴らしい。学校に憧れを抱き、友達とゲームなどで遊ぶという、ごく当たり前の好奇心旺盛な子供たちの姿は、画面の中で生き生きとして輝いている。しかし貯金が底をつき彼らの生活もしだいに荒れ果てていく。ライフラインを絶たれるという悲惨な生活も、やがて生きる知恵を覚え、弟や妹の面倒を見る柳楽優弥クンの懸命ぶりが後半に描かれていくが、なけなしの小銭で母親に電話するエピソードがとりわけ胸を打つ。ここに登場する大人たちは身勝手ではあるが、決して悪人ではなく、生きていくのに精一杯な普通の人間たちである。それだけに、大人社会のその不可解さに翻弄される子供たちの姿がより痛ましい。そしてそんな子供たちがいることを、誰も知らない。いや、知ろうとも思わない。現代とはそういう時代なのだろうか。
9点(2004-08-19 01:20:31)(良:2票)
75.  旅情(1955)
イタリアを舞台にした束の間の大人の恋。広場に群れ飛ぶ鳩。夜空にくっきりと浮かぶ満月。波に揺れるゴンドラ。その思い出ひとつひとつを胸に刻もうとするヘップバーンの顔のなんと眩しく美しいことか。刺刺しいほどのオープニングと、ラストで見せる哀しくも穏やかな彼女の表情の変化が印象的だ。中年になって初めて知った燃えるような恋。果たせなかった恋にもかかわらず、人が人を想う優しさにふれ、彼女にとっての終生の思い出を胸に、新たな人生の旅立ちを予感させる幕切れの鮮やかな事。人間の情感というものをこれほど切なく描いた作品も滅多にお目にかかれるものではなく、D・リーン監督作品の中でも最も好きな、これぞ珠玉の名作。
10点(2002-06-30 15:47:31)(良:2票)
76.  南極日誌
何の予備知識もなかった事で邦題から浮かんだイメージから、てっきり「運命を分けたザイル」のようなセミドキュメンタリー・タッチの再現ドラマとばかり思っていたのだが、まったく私の予想を大きく覆す作品であった。ここに登場するのは、南極を探検する者が未だ成し得ないと伝えられる「到達不能点」を目指す韓国クルーたち。その彼らの身に起きる不思議な体験を描いた本作は、韓国映画お得意のホラー的要素を取り入れたミステリアスな冒険譚である。碧空に眩しく光り輝く太陽の下、真っ白な氷原を突き進むクルーたちの姿は、南極探検としては極めて常識的な光景である。このゆったりとした日常的な描写のオープニングから、天候の変化と歩調を合わせるかのように、ドラマは次々とその様相を変えていく。太陽が沈むことのない世界では昼夜の区別もつかず、不眠に悩まされる隊員たち。来る日も来る日も真っ白い氷に閉ざされた自然を前にして、徐々に彼らの精神状態に狂いが生じていく。映画はそういった隊員たちの様子を、真実味をもって丁寧に描いていく。目的地へ向かう極限状況の中、疲労で脱落していく者。或いは方向感覚を失って幻覚を見る者。救助を求める者に対し頑なに拒否し、何かに取り憑かれたように歩みを止めないリーダー。それには理由があるのだが・・・。しかしホラー色が強まる後半の作劇はむしろ余計であり、それまでの濃密な描写までもが薄っぺらなものに感じてしまう。ここはやはりギリギリにまで追い詰められた男たちの緊迫のドラマを、あくまでも正攻法で最後まで描ききって欲しかった。ただ、大自然を捉えた撮影の素晴らしさは言わずもがな、朽ち果てた小屋の幻怪的な効果などは美術力の賜物であり、どんなジャンルの作品を撮っても韓国映画の本気度が伝わってくる。どこかの国のユルさ加減とは大違いだ。それにしてもソン・ガンホの狂いっぷりは見事で、彼独特の目の演技はここでも遺憾なく発揮されたと言える。
[映画館(字幕)] 7点(2005-09-15 01:04:41)(良:2票)
77.  モンスター(2003)
当初は確かに被害者的な立場だったアイリーンも、単なる金が目的の行きずりの強盗殺人犯に変貌していく。そしてその金も、その日暮らしの生活にと言うよりは、むしろセルビーとの関係を繋ぎ止めておく為であるかのようだ。何とも虚しい二人の関係だが、愛に飢えていた彼女にはセルビーが最後の砦だったのだろう。が、そのアイリーンへの曖昧な愛は、ラストの証言台でのセルビーの姿に象徴される。セルビーの描写の希薄さは、そのままアイリーンへの気持ちの希薄さそのものではないだろうか。そもそも、アイリーンの幼い頃に両親が離婚した事。虐待されて男に憎しみをもっている事。娼婦として体を売って一人で生きてきた事。これらの事はよくある話で、さほど珍しくも無い。ただ、彼女が自暴自棄になって男を殺し続ける事とは本来何の関連性もなく、その生きざまにも必然性が感じられない。映画は決して彼女を美化していないし、ほとんど事実に即して描いているのだろうけど、ありのまま描き過ぎて彼女の行動そのものが即物的な印象を受ける。そして愛を知らずに苦悩し彷徨する人間というよりも、男に憎しみと恨みを抱いているという大義名分を振りかざしている人間にしか見えてこない。だから、一度上手くいった事に味を占め次々に罪を犯す彼女にもはや感情移入などできなくなってしまうのである。それにしても、こういった車での道すがら娼婦を買うという行為は、いかにもアメリカ社会ならではの特徴とも言え、そういう意味でも本作は、この国の病巣と人間関係の不毛さをえぐり出した作品だと言える。
8点(2004-10-19 17:40:20)(良:2票)
78.  キング・コング(2005)
映画史上余りにも有名なキャラクターであり、“怪物映画”の原点とも言うべき「キング・コング」を最新テクノロジーを駆使してリメークしたのが、P・ジャクソン版の本作。ここまで徹底して映像化してくれれば、リメークした意義があろうと言うもの。SF映画の古典のリメークとしては、スピルバーグが「宇宙戦争」に今日的な味付けを施し、その独自の切り口と驚愕の映像で我々を魅了したのが記憶に新しいが、本作はあくまでも正攻法で描ききった、見所満載の超一級品と呼ぶに相応しい作品だと言える。ストーリー・ラインも然ることながらデティールにおいてもオリジナルと大差なく、また数々の名場面はそのまま踏襲されているが、CGでダイナミックに再現された映像は、古き良き冒険活劇としての味わいを些かも損なってはいない。計算され尽くした画面構成の巧みさと映像表現に於ける技術力とセンス。そして得意の長尺ドラマの組み立て方など、P・ジャクソンの魔法のような演出は冴えに冴える。こういったド迫力の超大作を撮らせたら、今まさに“旬の監督”と言えるのではないだろうか。特筆すべきは、やはりオリジルをも超越した言ってもいいほどの、野性味溢れるコングの仕草の数々。いかにも密林の王者らしいふてぶてしさとその雄叫びの凄まじさ、時折見せる物憂げな表情など、息づかいまでも感じさせ、CGとは思えないほどの完成度の高さである。ただ、恐竜たちの描き方は迫力あるものの、画一的で面白みに欠けるし、また谷底での巨大化した無数の虫の襲撃シーンはインパクトがあり過ぎ、恐竜たちの存在を霞ませてしまうだけで、少々余計な気もする。時代設定に拘りを見せているのは、夢とロマンが溢れていたあの時代だからこそ成立し得たオリジナルへのオマージュともとれるが、やはりエンパイア・ステートビルでのクライマックスの攻防戦に焦点を絞っていたからだろう。それはコングを攻撃するのはあくまでも複葉機でなければならないからであり、蝿を追い払うかの如く叩き落とされる複葉機に対し、ビルの頂上で雄叫びを上げるコングという構図が「キング・コング」という映画の最もシンボリックな部分である以上、最新のジェット戦闘機では絵にならないのである。エンパイア・ステートビルの向こうに広がるパノラマは“カラー作品”ならではの鮮やかな色彩設計で、コングとアンを包み込むように束の間の至福感を見事に描出している。
[映画館(字幕)] 10点(2006-01-29 17:55:14)(良:2票)
79.  ディパーテッド
基本的なプロットは同じでも、描かれる舞台と作り手が違うだけで、こうも印象が変わるものかと、改めてハリウッド映画の底力と魅力を感じさせられた作品だ。ニコルソンのディモンとの親子のような師弟関係は、冒頭部分にさり気なく端的に描かれているのに比べ、ディカプリオへの信頼関係の成立ちへのプロセスには、かなりの時間を割いているのが良く見てとれる。スコセッシが目指したのは、“いつ正体がバレるか”といった、潜入捜査における手に汗握る“ヒヤヒヤ感”を描きたかったからに他ならず、そのあたりが希薄だったオリジナルに対し、難局を次々とかわしていくスリルと、ディカプリオの精神的な苦悩をポイントにしている以上、それなりの時間をかける必然性があったという事なのである。それは、マフィアと警察内部へと互いに潜入しているとは言え、ディモンの置かれた立場に対し、正体がバレることは死を意味するディカプリオを主体にドラマの興趣を盛上げていくのは当然だからだ。この囮捜査モノは、ハリウッドの伝統的な得意分野とも言え、そのあたりはさすがに面白く創られている。また、人間関係で言えば、アジア映画のひとつの特徴とも言える女性を話の中心に添えて物語を膨らませ、男女のエモーショナルで濃密な時間を描出したオリジナルに比べ、ハリウッド版はいかにも乾燥した土地柄の如く、そのあたりの味わいは実に淡白で、ラストへのお膳立ての為だけに存在しているようにすら感じる。むしろ警察内部での対立や、ギャング仲間の疑心暗鬼に興味を繋いでいくあたり、どこまでも男の映画だと言う事である。本作のディカプリオは、頭脳明晰だが経験の浅さからくる恐怖心や焦燥感を、他の捜査官などのヴェテラン組との対比でより際立たせ、病的なほどの熱演で体現している。オリジナルに心酔している人には受け入れ難い作品のようだが、結末はともかく、大筋で同じでありながら、それでも興奮させられる映画など、そうザラにはない。メリハリの効いたストレートなアクション映画が好みの私などは、むしろこちらに軍配を挙げたい。それほど良く出来た作品だと思う。
[映画館(字幕)] 9点(2007-03-18 18:05:53)(良:2票)
80.  ゴジラ(1954)
単に怪獣映画という事なかれ!“空想科学映画”の言葉すら一般的に無かった時代の、これは紛れもなく日本映画史に残る傑作であり、そのキャラクターは日本のみならず世界中を席巻している。核兵器反対というテーマを、つけ足しではなく正面に堂々と打ち出している唯一の作品でもあり、又、ゴジラが現れるまでの不安な状態と異常なパニックの描写が優れていて、特撮シーンと本編とを違和感なく成立させているなど、円谷英二特技監督も当時の不自由な器材を使って最大限の効果を上げている。後年シリーズ化されたものは、この作品の蛇足に過ぎない。
10点(2001-03-02 01:38:48)(良:2票)

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