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61.  フィクサー(2007) 《ネタバレ》 
人物の相関図がほんとややこしくて、2度見てどういうドラマかやっと分かった。 だけど、アーサーの長々としたセリフが、かなりすごい。たくみに、狂人のたわごとに見せかけていながら、実は、恐ろしい事実をちゃんとしゃべっているという、このセリフマジック!「天才と狂人は紙一重」という真実を利用して仕掛けた伏線だったとは。一度全ての事情を完全に掴んでしまってから、つまり、アーサーは、「躁うつ病だった」という先入観を完全否定してから、改めて再度視聴すると、アーサーの全セリフが、面白いほどすらすらと解読できてしまう。この感覚は、急に暗号が解けて文章が解読できるというか、全く聞き取れなかった英語が、突然日本語になって耳の中に飛び込んでくるというか・・・・・・。と同時に、急にマイケルにイライラしてくる。「何て鈍いフィクサーだ、必死でアーサーが説明しているのに」と。(でも、最初は私も確かにマイケルと同じ立場だった) 一度先入観が解けてしまうと、二度とアーサーの支離滅裂ぶりを味わえない。一言一句、まともに聞こえてしまう。では、なぜ一度目の視聴のときに、彼の演技が本物の躁うつ病に見えたかというと、「彼はふだんから薬を処方されていた」という設定があったから。マイケルはしつこいほど、「薬を飲め」「薬を飲むのをやめるときは」と強調する。これは脚本家の巧みなテクだと思う。2度目の視聴ではっきり分かる。アーサーが自分で壁に書いていたように、彼は精神など病んでいない、と。それにしてもトム・ウィルキンソン、台本を見て卒倒しなかったろうか、そう状態でしゃべるセリフだから、饒舌になるのも無理ないけど、古畑任三郎どころじゃない早口で、何ページ分もの量を一気にしゃべる、あれは撮影も、声優さんも大変だったんじゃないかと。クルーニーの相槌のタイミングがちょっとでもずれてNGが出たとしたら、そのときのトムの落ち込みようが目に見える(笑)。また、この作品は二度失笑するシーンがあった。1つ目は、アーサーが「フル・モンティ」のジェラルドよろしくいきなり服を脱ぎ出したとき。2つめは、「オーシャンズ11」の時限爆弾のドジを彷彿させる殺し屋たちのミスで、クルーニー自身が命拾いをしたこと。(オーシャンズではクルーニーがドジったのだった)「フィクサー」はコメディではない、と言い聞かせながらも、つい笑ってしまった。
[DVD(字幕)] 10点(2009-09-28 23:59:32)(良:1票)
62.  
記憶の断片が無秩序に並び、それはカラーだったり色を失ったり。さらに各々の人物は台詞をつぶやくように語る。自分は画面に向かい、覚醒していながら、「夢」を体験している気分だった。明確なストーリーがなくてもラストまで酔えるのは、映像の美しさの奥に流れる、センチメンタルな潤いを感じるから。母性への憧れ。異性、子への愛情。自然の美にそれらの感情を溶かして、決して力むことなく、一篇のポエムを歌いあげている。そして、間に入るドキュメントタッチの映像があってこそ、人類が歴史というものに抱かれて、そこから逃げ出しようもないという哀愁を帯び、さらに深いのだ。ストーリー性が弱いだけに、かえって観る側の想像力が広がり、鑑賞後には、不思議な充足感が残る。あれだけ映像の数々が無秩序に散らばっていても、決して意味のないばらばらの「絵」を寄せ集めたものではないからだ。映像のコラージュ的作品で、その中に、監督の類まれな集中力を感じる。
[DVD(字幕)] 10点(2004-06-13 10:41:38)(良:1票)
63.  サウルの息子 《ネタバレ》 
皆さんの評価が低いのでびっくりした。主役のすぐ後ろにカメラマンが始終ついて回っていたはず、その不自然さを一切感じさせない一体感だった。サウルの向こう側で起こっている惨劇がぼやけたり、一部しか見えないのは、彼自身が全身全霊かけてそれを見ることを拒絶しているからだ。作業上、物理的に目こそ開けてはいるが、心の目が頑なに閉じている。それでも防ぎきれない惨劇の気配が、わずかなアングルを狙って画面の隅にするっと潜り込んでくる。この演出は、視聴者の怖いもの見たさの好奇心を刺激するのと同時に、サウルが五感の拷問を受けていることを示唆している。不完全な映像は、生死の悲鳴のようなメッセージに満ち溢れている。最小限の表現の巧みさに、本当に驚いた。    サウルが頑として放さない少年の遺体は、『キャスト・アウェイ』のウィルソン(バレーボール)のように思えた。川に入って遺体がサウルの手から流れていったとき、そのイメージは決定的になった。ぎりぎりの正気を保つために、彼には息子に見立てた少年の体が必要だったのだろう。   視聴中、気になったことが2点ある。1つは、筋の通らない奇妙な行動をとっているコマンドがサウルだけだということ。この状況下でラビにこだわり続ける彼の極端に狭い思考、言動は確かにおかしい。ただ、当人たちは気も狂わんばかりの腐臭を四六時中浴び、衣服も身体も臭気が染みついている上、いずれ我が身も殺される運命とわかっている。満足な休息もないままの過酷な肉体労働に、精神的拷問の連鎖・・・・・・視聴が進むにつれ、正常な理性を保っている他のコマンドたちの方が、かえって不自然のように思えてきた。  2つ目は、シャワー室へ先導されるユダヤ人たちが、なぜ無抵抗だったのかということ。現代では、衣類や壁に付着した煙草の副流煙ですら取りざたされている。ましてや大量殺戮後の死臭や吐瀉物、ガスの残り香などは、コマンドたちがどんなに洗い清めても落ちるものではない。なぜ誰一人、シャワー室行きを疑わなかったのか。惨事の予感はなかったのだろうか。子連れのユダヤ人もいただろうに、何の命乞いもなく渋々命令に従う彼らが、腑に落ちなかった。本を読めば多少事情がわかるだろうか。   とはいえ、サウルのように非人間的な任務を負わされ、殺害されていった人々が、歴史に埋もれることなく、映画によって光を当てられたことに大きな意義を感じた。同じ人間の一生とは到底思えない、ファシズムがもたらす狂気の恐ろしさを存分に味わわされた。
[DVD(字幕)] 8点(2018-04-24 23:55:07)(良:1票)

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