Menu
 > レビュワー
 > ドラえもん さんのレビュー一覧。7ページ目
ドラえもんさんのレビューページ[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 903
性別
自己紹介

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(投票数)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
評価順12345678910111213
>> 通常表示
121.  ブラックホーク・ダウン
“戦場映画”という触れ込みだけあって、それはそれは視覚的に良く出来ている作品で、その臨場感たるや、我々観客ともども戦地に放り込まれたような感覚に陥るほど。しかし要はそれだけのこと。ブラック・ホークが撃墜されたあと市民が次々と襲いかかるシーンなどは、「アラモの砦」でのインディアンのそれと酷似していて、アメリカ映画お得意の伝統ともとれるが、それら全編に渡る戦闘シーンは、凄まじさを通り越して滑稽ですらあるのは、そもそもわざわざ敵陣にやってきて絶望的な戦いを強いられる破目になったのも、相手を見くびった事に拠る米軍の傲慢さに他ならないからだ。「俺が死んだら妻や子に、勇敢に戦ったということを伝えてくれ・・・」「自分で言えばいいだろぅ」という戦争映画お定まりのセリフを用意するあたり、本作を見る限り被害者意識だけは十分だが、作戦の失敗の本質がなんら見えてこない。
6点(2002-05-19 16:30:15)(良:1票)
122.  それでもボクはやってない
周防正行監督の新作は社会のある一断面を描いた問題作である。ブランクというものをまったく感じさせない彼の手腕は、やはり本物である事をいみじくも証明した、実に力のこもった作品であり、待たされただけの甲斐はあったと言うものだ。描かれる内容は、日常生活に於いて普段我々が関知しないと思っている、裁判制度の現実と冤罪の怖さを否応無く思い知らされるものである。一般の民間人がある日突然、犯罪者として扱われ、罪に問われるべく裁判に持込まれた挙句、限りなく100%に近い確率で有罪とされてしまう司法の在り方とその不条理さ。映画は裁判が言い渡されるまでのプロセスを、実に肌理細やかに解り易く描き、訴訟制度に於ける組織が個を潰していくという構図を、由々しき現実的な問題として、我々ひとりひとりに訴えかけてくる。余りにも映画的に面白く創られている為か、深刻さを然程感じさせないのは、殺人といった重い犯罪ではなく、あくまでも微罪である事が考えられるが、だからこそ、いつ自分の身に降りかかるか分らない、より身近なものとしての怖さと理不尽さを感じさせる。この映画でとくに興味を引いたのは、対照的な二人の裁判官の存在である。片や人情肌で、一方は冷静沈着といった、良くも悪くも人間性というものが真実味をもって巧みに演じ分けられ、そのイメージだけでは判断しかねる程、現実の裁判官とはこういう人たちで成り立っているのだと実感でき、実に説得力がある。途中から何故か交代してしまう事や、彼等自身の評価基準の裏話、或いはどこまでも事務的に物事を進めていく姿勢などを随所に散りばめる事によって、彼等も所詮公務員である事を再認識させられる。このキモである裁判官を演じる小日向文世と正名僕蔵の、冷静な熱演が作品を引締めている。多くの民間人が訴訟中であることの現状や、当事者にならないと解らない心情などの様々なエピソードも、長きに渡る綿密な取材に裏打ちされたものだからこそ、真実味が生み出せているのである。本作の印象はやはり周防監督らしく、社会派と言うよりも硬派なエンターテインメント と言うべきかも知れない。
[映画館(邦画)] 10点(2007-02-25 18:22:02)(良:1票)
123.  世界大戦争
本作は昭和29年製作の「ゴジラ」以来、数々の特撮映画を生み出してきた本多・円谷コンビ作品とは味わいが異なるものであり、メガホンを撮った松林宗恵自身の戦争に対する深い思い入れで、「反戦」というテーマがより鮮明に打ちだされた作品だったと言える。まさしく次なる世界レベルでの全面戦争を描いたものであり、その終末イメージの強烈さは、公開されて40年以上経っても未だに脳裏に焼きついて離れない。市井の名もなき庶民の生活をホームドラマ風に描いた本編と、破滅へと向かう一連の破壊スペクタクルの特撮部分とのトーンが、明確に違うのが本作の特徴とも言えるが、それは勿論違和感があるという意味ではなく、ドラマも特撮も描き方がいずれも直截的であり、互いに拮抗するほど自己主張していることに他ならないからである。主人公のタクシー運転手を演ずるフランキー堺は、元々コミカルな持ち味で人気者となった人だが、同時期公開された「モスラ」の熱血漢溢れる新聞記者とはまた違った力演で、どちらかと言えば「私は貝になりたい」の主人公と重なるほどの性格俳優ぶりである。とりわけ終盤での物干し場から涙ながらに世界へ訴えかけるシーンは、「反戦」の代弁者としての熱演を見せてくれている。当時、典型的な「絶叫型反戦映画」と揶揄されたこともあったが、それでもなお、真実味のある血の通った生身の人間の素直な感情表現は、我々一人一人の心に十分伝わるものがあり、ストレートな感動を呼び起こす名場面となっている。またしっとりとしたラブストーリーでもある本作は、團伊玖磨の叙情的な旋律がより深い哀しみをもたらし涙を誘う。そういう意味でも、極めて日本的な反戦映画だったと言える。そして今回の「破壊」をテーマにした円谷特撮の素晴らしさは、国会議事堂やパリの凱旋門などの建造物のミニチュアを逆さ吊りにして、水爆のエネルギーで一瞬にして跡形も無く吹き飛んでしまうというイメージを具象化し、また溶鉱炉でドロドロに溶けた鉄などを使って焦土と化した東京を表現したりと、かつて無いほど画期的で大胆な発想を、そのまま実践に移すことの凄さにある。この「破壊の美学」とも言える、今や伝説となった彼ならではの奔放なイマジネーションには、CG万能の現代のクリエイターたちは足元にも及ばないだろう。
[映画館(字幕)] 10点(2005-08-15 17:20:39)(良:1票)
124.  エド・ウッド
いつも陽気で楽天的なE・ウッドは、嘘とお世辞とその場しのぎのごまかしを使い分けながら、映画と映画作りを愛し、自分の脚本と登場人物たちを愛し、ひたすら安っぽさを愛すという人物。このほとんど無駄とも思える程の凄まじいエネルギーを、駄作という形で発し続けた映画史上最悪の監督を、愛すべき人物として我々観客に知らしめたT・バートンと、見事に演じきったJ・デッブに敬意を表したい。
8点(2001-11-04 00:02:06)(良:1票)
125.  タイムリミット
警察署長という身分や立場を見誤ったが為に自ら罠にはまり、殺人事件の容疑者として窮地に追い込まれて悪戦苦闘するという物語。次々と生じる不利な証拠を先回りして揉み消していくというサスペンスは、佳作「追いつめられて」以来だろうか。優等生的イメージからの脱却を図ろうとD・ワシントンはここでも頭脳明晰ながら女にだらしない男を好演。自ら招いた事とはいえ、この何とも情けない人物に身につまされて、ついつい感情移入してしまう。設定に強引さが目立つものの、見ている間はほとんど気にならず、主人公と共に味あわされるハラハラ・ドキドキのスリルと、流れるような筋運びで一気呵成に見せる。ラストのオチのつけ方まで、C・フランクリンのソツのない演出テクニックには堪能させられる。派手なアクションがなくても面白い映画はできるのだという証明でもある。
7点(2004-07-15 17:46:38)(良:1票)
126.  007/カジノ・ロワイヤル(2006)
任務を遂行しながらも、頭の中は、昨夜寝た女のコトばかり考えているような好色漢で、身のこなしはスマートかつエレガント。何事にもアクティブで多趣味だが、いかにも頑張っているイメージには程遠く。ピタリと決まるキザなセリフも嫌味にならず、どこか人を喰っているような余裕すら感じさせ、それでいてそれらが決してマンガチックにならない。我々が記憶するJ・ボンドのイメージの一端を述べたものだが、半世紀近くリアルタイムでシリーズと接してきた者にとって、ボンド=コネリーの強烈なイメージは、そうそう拭いきれるものではない。世代によっては肩入れが違うのは無理からぬところで、、比較的若い人は、P・ブロスナンを推すようだが、あの金太郎飴のような表情の乏しさだけは許しがたい。今回の新作におけるボンドは果たして如何に?“ジェームズ・ボンド・ビギニング”と呼称してもいいような、ボンド誕生前史を描いているだけに、D・クレイグ=ボンドはやたら人間臭く、無鉄砲で、いかにも若々しいがむしゃらさを前面に押し出して描かれている。“21世紀のニュー・ボンド”と言うよりも“先祖がえり”という意味で、我々がイメージとして定着する前のボンドであり、シリーズに於ける過去のあらゆる約束事をブチ破りながら、ストーリーそのものと、ボンドという人物像を築き上げていくプロセスの面白さで、純粋なアクション映画としては上々の作品であり、見せ場作りの巧さでは定評のあるM・キャンベルの新たなる代表作と言っていいだろう。しかし、言い換えると、ここには本来の“お正月映画としての007”の楽しさと言うものは無く、むしろ異質のものに感じるのは致し方のないところ。全般に演出も演技も真面目で手堅いものの、遊びや余裕が感じられないのが、シリーズを楽しんできた者にとっては、やはり物足りない。談笑しながら見向きもしないで、的をものの見事に命中させる離れ業を見せたのが、「サンダーボール作戦」でのクレー射撃場でのひとコマ。そのあと、まるで射撃が初心者であるかのように「単なるまぐれさ。俺は何の取り得もない、つまらん男さ!」のセリフで相手を煙に巻くコネリーの不敵さと、この痛快極まりないシーンを編み出した、T・ヤングのハッタリ演出が、今では懐かしい。
[映画館(字幕)] 8点(2006-12-16 17:24:53)(良:1票)
127.  わらの犬(1971)
若い魅力的な人妻に目をつけ、やがて精薄の青年を追っかけてきた村のならず者たちを、自宅への侵入を防ぐため自らの知力と体力の限りを尽くし皆殺しにする数学者。都会から逃れて新天地の田園での平穏な生活を求めてやってきた主人公夫婦だったが、しかしこの世の中、何処へ行こうとも暴力の危機からは逃れられない。S・ペキンパー監督は、主人公が大惨劇のあと精薄者を車に乗せて霧の中を彷徨うラストに、当時のベトナム戦争末期のアメリカの姿をダブらしているかのように描いてみせる。
8点(2000-10-15 14:59:48)(良:1票)
128.  ROCK YOU! ロック・ユー!
馬上槍試合を扱った映画としては極めて珍しい作品だけど、すれ違いざま槍を突き立てるという直線的で極めて単純な競技だけに、描き方はさぞや難しくあっただろうと想像できるが、その迫力と面白さは十分伝わってくる。音楽やコスチュームなどに今風の味付けをされているのも、若者たちの野望、冒険心、そのエネルギーのほとばしりは現代にも通じるということからなのだろう。しかし一方ではウイリアムが父親と再会するシーンなどの味わいはむしろ古典的でもある。
7点(2001-12-14 17:58:21)(良:1票)
129.  俺たちに明日はない
1930年代の不況時代に出逢ったボニー&クライドが、やがて87発の銃弾に青春を散らすまでを描いた、まさしくアメリカン・ニューシネマの代表作であるとともに映画史に残る秀作。ボニーとクライドが束の間の愛の時間を過ごすときに、ボニーの詩を書いた紙片が風に舞う草原の美しさ。銀行強盗に入ったまではよかったが、あまりの不況で銀行にお金が無いと分ったときの彼らのリアクションや、車中で同じ笑い話を聞かされる羽目になった彼らの無表情なシーンといった、血生臭い描写の中にもユーモラスな部分があって印象深い。
10点(2000-11-20 00:22:25)(良:1票)
130.  ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー
スーパー強盗に押し入った男女三人が、警察の追跡をかわしながら逃避行を続けるという、一種のロード・ムービー。P・フォンダ主演という事もあって、いわゆる反権力を謳ったアメリカン・ニューシネマのようなテイストもあるが、むしろこの頃の主流である「田園郊外型アクション」の代表作の一本と位置付けたい。物語の性格上、全編が凄まじいカー・アクションで貫かれていて、とりわけ地元警察の保安官が乗るヘリとの攻防が最大の見せ場となる。この保安官フランクリンに扮するのがV・モローで、そのクレイジーさはラリーと好一対をなし、追う側としてのインパクトは強烈で本作をより面白くしている。追われる側の三人だが、フォンダ演じるラリーは元レーサーという事もあって、その抜群のドライバー・テクニックを駆使して、カーチェイスを楽しんでいる野放図な男として描かれる一方、相棒のディーク(=A・ロアーク)は自分たちの行動に何かと疑問を抱く良識派として対比させていく、その妙味には捨てがたいものがある。そして、この二人に絡むチャーミングだがいかにも粗野で頭の弱そうな娼婦メリーを、この頃の売れっ子S・ジョージが好演という様に、アクション以上に登場人物のキャラが際立った作品でもあった。後半のある小さな事故が衝撃のラストの伏線としても効いていて、本作はこの時代の無軌道な破滅型の若者の青春を鮮やかに浮び上がらせている。
7点(2003-11-13 11:47:07)(良:1票)
131.  アンドロメダ・・・
とある村に宇宙から飛来したと思われる謎の細菌。宇宙服のような防護服を着て、死体がころがる村の中を偵察するシーン、その細菌に犯された死体の手首を切ると、血液が凝固して砂のように流れるショットや、のちに研究所での細菌に犯されていく動物実験を段階的に見せていくシーンなど、一種の科学ドキュメンタリーを見ているかのような錯覚におちいる。R・ワイズ監督の長年のリアリズム精神がいかんなく発揮され、又、ほとんど無名にちかい俳優を使ったのも成功の一因だと思う。ストーリはこのあと村民全滅の中、泥酔の老人と赤ん坊だけが生き延びたことが分かり、その原因と細菌の正体をつきとめるべく科学者たちの戦いがはじまる。終盤、このミステリアスな雰囲気ががらりと変わり、謎の解明を急ぐ研究所がついに細菌に犯されて自爆装置が働いてしまう。そのセットを解除にむかうシークエンスが実にスリリングで(途中、動物威嚇用レーザー光線で攻撃されるシーン等)、さすがはワイズ監督、サスペンスフルな娯楽作品としての見せ場もちゃんと用意してくれている。おススメのSF映画です。
10点(2000-10-08 16:02:37)(良:1票)
132.  壬生義士伝
腕は立つものの、家族第一主義のパッとしない地方出の下級武士という点で「たそがれ清兵衛」の主人公とだぶるが、本作の貫一郎の場合、出世と金銭には極めて貪欲で、そのなりふり構わぬ姿に周囲からの失笑を買うほどだが、そんな事はまったく意に介さないような男である。舞台は幕末の東北で、大飢饉の為に極貧に喘ぐ家族を必死に守ろうとした実直でひたむきな男のイメージは、如何にも浅田次郎の世界そのもの。中井貴一はじめ佐藤浩市や子役に至るまで、俳優たちそれぞれの個性が光り、なかなか魅力ある作品となっている。が、終盤にきての、満身創痍の貫一郎が家族への想いを切々と語るシーンのなんと長いこと!くどい事!ここにきて作劇の拙さがモロに出てしまい、私などは鼻白むばかりで評価が一変してしまった。如何に鮮やかなエンディングを迎えられるかで、映画の印象や評価は変わってしまうという好例がここにある。
6点(2003-04-24 00:22:42)(良:1票)
133.  ガルシアの首
“ガルシアの首を取ってこい”とは、まるで日本の戦国時代に出てきそうな復讐話で、いかにも東洋かぶれしたS・ペキンパー監督が好みそうな題材で興味が尽きない。W・オーツの食い詰め者の汚れた感じが素晴らしく、メキシコでの様々なエピソードの描写ともども独特の雰囲気を創りだしている。中でも太陽の照りつける田舎道を、ハエがブンブンとたかる包みにくるまれた首と一緒に車で道中するという、アブノーマルな描写が凄まじい。ラスト、雇い主の大地主に首を投げ与えたあと主人公のとった行動は、男として人間として最後の意地をみせた、ペキンパー流ダメ男の美学といったところだろうか。
7点(2001-06-03 15:56:22)(良:1票)
134.  隠し剣 鬼の爪
山田洋次監督クラスの新作ともなれば、映画関係者のみならず巷での関心は並々ならぬものがあり、それだけ批評の目というものも自然と厳しくなるものである。そう言う意味において本作も、「前作さえなければ・・・」という但し書きがやはり必要な作品ではなかろうか。前作とは言わずと知れた「たそがれ清兵衛」であり、私個人としても十年に一本の傑作として断言して憚らないほど惚れ込んだ作品であった。従ってあれほどの完成された作品は、いかに山田洋次といえども、そうそう簡単に作れるものではないというのは、誰しもが感じるところだろう。しかしそういったリスクを物ともせず、敢えて再び姉妹篇の如く製作に挑戦したのは何故だったのだろうか。確かに本作だけを見てみると、良く出来た作品として位置付ける事は容易いが、藤沢周平の原作を基にしている事や、多少のプロットや細かいエピソードの違いはあっても、基本的なスタンスが同じであるがために、大方の批評がどうしても比較論となってしまうのが、この映画の損なところ。仮に松竹のお仕着せ企画であったとしても、彼ほどの大人物ならばノーと言えるだろうに、よほど藤沢周平の世界がお気に入りだったのだろうか。それならそれで「たそがれ」の後に現代劇をワンクッションとして撮ってからでも良かったのではないだろうか。まぁ天才の頭の中身は、我々凡人には計り知れないということだろうか。いずれにせよ「たそがれ」とはひと世代若いカップルを主人公に、現代に通じる若侍の潔い生き方という、一種の青春モノを描きたかったことだけは間違いなさそうだが、前作のクライマックスが大立ち回りであったのに対し、今回は一瞬でカタをつけるという感触が、そのまま映画の感触となったようだ。
[映画館(字幕)] 6点(2005-05-03 18:43:49)(良:1票)
135.  女王陛下の007
これだけ長年シリーズとなっているのにも拘わらず、そのコメント数の少なさは信じられないほど!このアクション映画の原点ともいえるこのシリーズをもっと観てコメントしてくださいっ!子供の頃からほぼリアルタイムで接してきた者にとって、J・ボンド=S・コネリーという固定されたイメージは拭いきれないけれど、本作で主演したジョージ・レーゼンビィだけは唯一の例外。彼はアクションの決め方にスピード感やパンチ力があり、コネリー=ボンドよりも好感がもてる部分が多い。僕的にはボンドの本来のイメージに一番近いと思っています。この作品、雪山が舞台だけに困難な撮影状況であったにも拘わらずカメラが素晴らしく、特にスキーチェイス(追っ手がラッセル車に巻き込まれ、吹き上げられた除雪が真っ赤に染まるショッキングなシーンもあります)や要塞を奇襲するヘリの朝焼けのシーンなど数多くが印象に残る。唯一という意味では、本作は見事なラブ・ストーリーとしても良く出来ていて、山小屋で一夜を明かし、翌朝揃ってスキーで下山するときの2人の歓喜の表情が印象的です。さらにボンドが結婚式をあげ、そしてやがて悲しい結末を迎えるというのも唯一本作だけであります。“邪道だ”とか“センチメンタルすぎる”とかいった批判もあったけれど、誰がナント言おうとこの作品を支持します。劇中の挿入曲、ルイ・アームストロングの“♪愛はすべてを超えて”はシリーズ中、最も好きな名曲でいつまでも耳に残っています。
9点(2000-10-08 18:15:54)(良:1票)
136.  追想(1975)
戦時下で妻子を殺害され(それも火炎放射器で焼き殺されるという凄惨さ!)、残された夫がたった一人で戦いに挑み個人的な復讐をするという、先日亡くなったロベール・アンリコ監督の傑作サスペンス。敵をじわじわと追い詰めていくF・ノワレの飄々とした演技は素晴らしいが、なんと言ってもR・シュナイダーの美しさは筆舌に尽くしがたいほどだ。それだけにその殺戮シーンの残酷さがなおさら強調される。夫は妻子がされたのと同じ方法で仇討ちを果たし、映画は我々にカタルシスをもたらすのだが、そのあとにくるのは虚しさ以外の何ものでもない。オープニングとラストに挿入される、妻と子と三人並んで幸せそうにサイクリングするシーンが印象的だ。
9点(2001-06-03 16:41:27)(良:1票)
137.  至福のとき
チャン・イーモウ作品だからといって身構えて見ると、人によっては案外肩透かしを食らったような印象を受けるかも知れない。意外なほどの軽いタッチに戸惑う人もいるかも知れない。盲目の少女が主人公というだけで、チャップリンの「街の灯」を連想する人もいるようだが、むしろ吉本新喜劇風の人情小噺に近い。近代化が進む都会の片隅で、貧しくとも逞しく明るく生きている人々。その彼らが盲目の少女を励ます為に、ひと芝居打つ姿は実に無邪気であり、愛おしい。設定上どうしても深刻になり勝ちな展開を、努めてコミカルに描こうとする監督の苦心が窺い知れる。ただよく考えてみると、彼らのとった行動は一見美談のようだが、障害者をコケにしていることに何ら変わりがない。盲目でありながら彼らの嘘を簡単に見破ってしまう彼女。障害者が一人で生きていくには、健常者以上に強く逞しくなくてはいけないという事を、改めて思い知らされる。そして新星ドン・ジェが、その強い意志をもった少女を見事に好演している。
7点(2003-03-15 00:08:18)(良:1票)
138.  シャイニング(1980)
独特の映像哲学であらゆるジャンルに挑戦し続けるS・キューブリックの今回のテーマはオカルト・スリラー。この作品、観る人によって意見が分かれるでしょうね~。ただ原作をあえて無視してまでも自分独自の世界を構築するといった、彼の一貫した姿勢だけは評価しておきたい。相変わらずの洗練されてはいるが無機質な左右対称の構図や、本来誰もいないはずの広間に大勢の話し声が聞こえてくるシーン、クライマックスの積雪でできた迷路でのスティディカムの撮影効果などなど、これぞキューブリックの世界だと強烈に印象づけられるシーンばかり。ただ少女の亡霊などのさまざまな魑魅魍魎の登場シーンや、あるいはエレベーターから血が噴出すシーンなどは、意外なほどパンチが効いていない。J・ニコルソンの怪演がモノをいったような一作でもありました。
8点(2000-10-12 14:59:56)(良:1票)
139.  フレンジー
どこまでもツキに見放され挙句の果て殺人犯に仕立てられる男と、実に要領よく世間を渡り歩き殺人を繰り返す男と、そして事件の真相を探る警部とがそれぞれの運命の糸に引き寄せられるように、一同に会する皮肉なラスト。実に巧みな話術とストーリーの構成力には思わず唸らせられる。警部と奥さんの手料理のシーンは一服の清涼剤として笑わせられる。
8点(2000-11-26 23:25:02)(良:1票)
140.  笑う蛙
とある夏の別荘で展開される人間悲喜劇。乱歩の「屋根裏の散歩者」をヒントにしたような、納戸の中と外というどちらも隔絶した世界という構図が面白い。納戸の節穴から好奇の目で覗き見するものの、自らはどうする事も出来ない立場の男。終始覗かれていることも知らずにいる来客たち。たった一人事情を知っている男の妻。このほとんど感情を表さず、自分の気持ちひとつでどの様にも転ぶ、悪く言えば男を手玉に取る女の存在が、恐ろしく痛快である。それを実にクールに演じる大塚寧々は、なかなかのハマリ役。お定まりではなく、少々キツい結末にしたことで、人間ドラマとしての深みと面白さが増したように思う。自分の都合と欲望だけで生きているような人間たちを、庭の蛙たちが高見の見物をして笑っているという図は、あたかも小噺の洒落の世界。監督は平山秀幸。今まさに旬の人だ。
8点(2003-03-07 00:33:08)(良:1票)

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS