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1.  借りぐらしのアリエッティ 《ネタバレ》 
映像はとても美しいし、内容も惹きつけられたが、「借りぐらし」という言葉に最後まで引っかかった。借りてくるだけとはいいながら、あまりにも用意周到なお父さんの装備や、人間に見られないようにこそこそ動く彼らを見ていると、たとえ目当ては些細な物であっても悪質な窃盗にしか見えず、かなり不愉快だった。ジェリーがトムのチーズを狙うような茶目っ気や、ルパンがカリオストロの城壁を登っていくようなわくわく感もなく、ただただ大真面目に、冷静に、慎重に「ブツ」を持っていこうとするお父さんには、幻滅。黙って持ち出すことはしても、与えられたものには手をつけないという彼らのかわいげのない用心深さや、返すあてもなく寄りかかりっぱなしでありながら、感謝もせず人間を災いの種とし、果ては勝手に住み込んでいながら引っ越しせざるを得ないことまで人間のせいにする。何もかもがカチンときて仕方がない。一方動物は、理性がないゆえに食欲だけのつながりとして純粋に人と共生する分、よほどすがすがしい。リスクを背負ってまで人間界とつながっていたいなら、ひとかけらでも人への愛情くらい持ち合わせてほしかった。あれでは物質だけでしかつながっていない。だから素直に感動できなかった。
[DVD(邦画)] 4点(2011-11-01 22:39:11)(良:7票)
2.  容疑者Xの献身 《ネタバレ》 
石神の人となりが最もよく表れていたのは、湯川から託された問題を解くシーン。背中を丸めて一点に集中する姿は、逆に他のことは目に入らない、つまり極端に視野が狭いことを暗示しているよう。それでも旧友の寝姿にはちゃんと気づき、風邪をひかないか心配する優しさもある。不遇の親のため夢を諦めて仕事に就く孝行心もある。石神は、自分に少しでも関心を持ってくれる人間に対しては危害を加えることはできないが、自分に無関係な人間、例えば、数学に関心がない生徒たちやホームレスには、彼ら自身に五感があることすら忘れているようだ。このシーンには、ヒントになるメッセージがたくさん込められている。  花岡母子のために、明確な殺意をもって石神は湯川を冬山に誘った、にもかかわらず、旧友をどうしても殺せなかった。冬山のシーンはそう解釈したい。ホームレスの男性には容赦なく石で顔をつぶせたことの対比となって、石神の屈折した複雑な人間性が垣間見える。  もし、石神に柔軟なコミュニケーション能力があり、社会的に広い視野が効き、自分に自信のある人間だったら、隣室で乱闘の気配を察した時点で警察を呼ぶか、部屋へ飛び込み、被害者の蘇生をして救急車を呼び、母子を殺人者にしない配慮をしたはず。 それが最も正しく彼女たちを救う手段だ。なのに、数学には解答へのいくつもの道があると言いながら、事件に関して彼は選択肢を1つしか持たなかった。 なぜなら、彼女たちの悲劇のヒーローになりたかったから。 彼の犯行は、見た目には母子への捨て身の献身だが、私にはやはり相当歪んだエゴに見える。 自分の得意分野で、好きな女のヒーローになりたいというエゴがあるからこそ、彼女たちの正当防衛を証言する気はさらさらなく、目的のために無関係な人間も殺害できた。 ただ、巧妙にアリバイを作ることはできても、靖子が自分に無関係な死者を出されたことを知ればどんな気持ちになり、どういう行動に出るかという、いわゆる「人の心」が読めなかった。ひとえに、視野が狭かった。 また、自殺を厭わぬ者と、娘を守って生きねばならない者という、両者の生の執着の差も、齟齬の出た原因の一つだろう。 ラストで石神が号泣したのは、靖子が自分を救うために名乗り出てくれたことよりも、自分のひそかな誇りが台無しになってしまったからだ。 他者への優しさとそれ以上に自己犠牲の陶酔が混在した、そんな石神の涙と、石神を理解できないにもかかわらずむせび泣きながら謝罪する靖子の涙は、全く質が違う。  小説・映画は道徳的である必要はないと私も思う。石神のように、良かれと思ってしたことがただの偽善にすぎず、不条理な結果を生む事例は、現実にいくらでも転がっているし、悪人だけで成り立つ魅力的なドラマもたくさんある。 問題は、湯川が登場しているにもかかわらず、その不条理(特にホームレスの殺害)に充分な光が当てられていないこと。 湯川が石神を哀れむだけで激しい怒りを感じなければ、彼の正義など、何ほどのこともない(『相棒』右京のキャラクターと比較すれば一目瞭然)。 話は面白くて深いのに、小説も映画も、この辺がとても弱い。そのため、石神や母子の登場するシーンは強く惹きつけられたが、湯川や内海は、物語の進行を促す程度のキャラクターにしか見えなかった。
[インターネット(邦画)] 7点(2018-05-13 22:26:09)(良:5票)
3.  シン・ゴジラ 《ネタバレ》 
高い発生率の南海トラフ地震におびえる太平洋側の住人としては、この映画は単なる娯楽として鑑賞できなかった。建築物の崩壊シーンはあまりにも生々しく圧倒的で、震災で身内を亡くされるなど、深刻な被災を経験した人がこの映画を観るにはかなりハードルが高い気がして心配になったほど。  巨大生物に善も悪もなく、ただ決して共存できない存在として描かれているため、ゴジラは生物というよりは、まさしく地震やその他の天災をつかさどる荒ぶる神の化身に見える。東日本大震災では、大きな地震や津波が起こったあと、二次被害として原子力発電所の重大事故が発生したが、そうした段階を踏んだ震災の様子が、ゴジラの上陸、建築物の破壊、放射能火炎放射らと重なって見え、考え込まざるをえなかった。何度もくり返された 「生物なら倒せる」 というセリフは、決して避けることができない天災を人類が直接手を下して牛耳りたい、防ぎたいという願望が込められている気がする。  海外のGODZILLAで描かれる人間ドラマは、怪獣と対比させるためにやむなく必要だったのだろうが(そのため、どうしてもとってつけたような感が残る)、このシン・ゴジラは、擬人化した「震災」に立ち向かう人間ドラマであって、どちらも重要な両輪の役目を果たしていた。核を使わず、ピンポイントでゴジラをしとめる人間の知恵と勇気は、東日本大震災の折、放射能拡散を防ぐため、命がけで発電所に放水をくりかえした東京消防庁の人々、バルブを閉めに行った熟練者たちへの思いに重なる。この映画を観た外国人の中には、退屈な官僚たちの人間ドラマなど不要という感想を持つ人が多いと聞くが、日本人にしかわからなくてもいいと堂々と開き直りたい。
[映画館(邦画)] 10点(2016-08-06 01:08:26)(良:3票)
4.  ゴジラ-1.0 《ネタバレ》 
ゴジラが海上からぬうっと鼻先を突き出し、船の後をついてくる様子にふと、「耳を倒して背中の毛を逆立ててるうちの子(猫)が、獲物にロックオン」というイメージが来て、それからというもの、あの恐ろし気なゴジラが、海上を匍匐前進する超巨大なCATにしか見えなくなってしまった!  厄介なことに一度こうと見えると、先入観は脳内からなかなか剥がれてくれない。 ゴジラが軍艦に体当たりし、かぶりつき、揺さぶり出すと、にゃんこがルンバにじゃれついている妄想が来て、初めに出たぐしゃぐしゃの軍艦は、猫パンチを食らったなれの果てかと納得し、勢い余ったゴジラが両腕を広げたまま、海上に仰向けにひっくり返ったときにはもう最高潮に萌えてしまって、キュートなんだかゾッとすべきか、わけがわからなくなった。 画面を横切って吹っ飛んできた軍艦はスリッパに見えるし、ゴジラが電車の車両に噛みついてるシーンは、サンマをくわえてる姿に見えてしまう。尻尾をはでに振り回すのは不機嫌モードの猫あるあるで、目の前をかすめて飛び回る戦闘機はコバエか猫じゃらしそのもの。壮大な音楽は荒ぶるにゃんこのパロディみたいに聞こえてきて、悲劇と喜劇、2つの映像を同時に見ているような超豪華なエンタメを味わえた。  ただ、ゴジラというキャラクターについて、今作もちょっと色々考えてしまった。 自然や神の象徴だったり、人類が不本意に創造してしまった核の産物、デストロイヤーとしての偶像として捉えられているけれど、それはゴジラが目的もなくひたすら街を破壊するからだろう。 生きるために「食べる」という行為が抜けている。ということは、自然界に属さない生き物、命のサイクルから外れた生命体という位置づけになる。 冒頭でミニゴジラが人間に噛みついて振り飛ばすシーンは、確かに怖いし迫力満点で見ごたえがあるけれど、口の中に入った人肉(たんぱく質)をわざわざ放り出してしまうとか、そんなのは狩りでも何でもない。 そもそも自然界の頂点に立つ猛獣は、満腹のときはあえて他を襲ったりしない。 それだけに、食欲に関係なくただただラリって殺戮、破壊行為でのみ生きるという生物が、どうしても不自然に感じられてしまう。 とはいっても、ハリウッド版のように、巣を作って、産卵して、幼獣が街中にあふれる繁殖率の高いゴジラでは、唯一無二の存在が希薄になってしまう。 だからこそ、「荒ぶる神」という孤高の位置づけがゴジラにはふさわしいのだろう。 それだけに、本作ではゴジラに己の咆哮を聞かせて「縄張り」を刺激する作戦がとられていて、いかにも従来の生物っぽい扱いにちょっと驚いた。  敷島がゴジラに挑むラストには息をのんだ。 もし彼が命を散らしたら「特攻隊」という戦時中の日本軍の過ちを肯定する映画になってしまう。だから死なないだろうと思っていた。 でも、放射能を振りまきながらゴジラが沈んでいった海に落ちれば、どう考えてもただではすまないはず。 でも、そこはもう、映画の世界だし、喜んで目をつぶりましょうという思いで安堵の涙を流した。 ラストのモコモコも、まあゴジラの映画ではお約束だものという思いで、スルーした。 映画館を出ると、表はすっかり暗くなっていて、うちのゴジラ(猫)会いたさに大急ぎで帰宅した。
[映画館(邦画)] 10点(2023-12-22 16:39:31)(笑:1票) (良:2票)
5.  シンドラーのリスト 《ネタバレ》 
やはりシンドラーとユダヤ人従業員たちとの別れのシーンが一番印象的。もっとも偽善的に見える演出、セリフ、シーンかもしれないが、実はあの瞬間から、ユダヤ人たちには通常の日常が、シンドラーには本当の地獄が始まる。敗戦までは、明日をもしれない緊張感で気がまぎれていたかもしれないが、いざ平和になると、助けた人の数よりも、助けられなかった人への悔恨がふくらんできて、始終彼を悩ましただろう。金のボタン1個で人が1人救えたという勘定をしてしまうくらいだ、何を見ても聴いても、ことごとく人間の命に換算してしまったろう。幸せになれるわけがない。案の定、その後は結婚も事業も全てうまくいかず、晩年は不遇だったというテロップが流れる。彼は大勢のユダヤ人を救ったけれども、逆に彼らがどれほどの人数をもってしても、たった1人の恩人を救うことはできない。この矛盾は、あのラストでいぶし銀のように光っている。達成感のない偉業というのは、悲惨だ。
[DVD(字幕)] 9点(2009-11-25 09:57:38)(良:3票)
6.  風立ちぬ(2013) 《ネタバレ》 
もし10代20代の頃にこの映画を見ていたら、きっとあれこれと物足らなくて消化不良に終わっていたかもしれない。思った以上に深かった。次郎が心血を注いで作り上げた飛行機は、機関銃を載せざるを得ず、強くて勇ましいが、防御力は弱く砲を浴びればひとたまりもない。愛妻は他者に感染する病気を患い一見弱々しいが、気持ちは最期まで凛とし、決して折れない。どちらもただ美しいでは済まない存在であり、のちに夢のようにはかなく消えていく。次郎の愛するこの二者が美しい協和音のように響いているように見える。そういう意味で、堀越二郎と堀辰雄を融合させたキャラは成功していると思う。  個人が自由に生きることが難しい戦時中に病身の妻を支える暮らしは、どれほど大変なことかと思う。しかし二郎は不平をこぼさず、その時々の条件下で自分にできることのみ集中し、黙々と努力を続けていく。心の声に驚くほどスピーディに反応して、リスクを恐れず迷わず行動に移す。生きることの集中力とでもいうか、侍スピリッツにあふれる二郎を見ていると、今自分が抱えている問題ごとなどやる気次第で案外何とかなりそうな気力が湧いてくる。夢破れても、亡き愛する人へ「ありがとう」という言葉でしめくくるラストも爽やかだ。
[DVD(邦画)] 9点(2015-03-04 00:44:12)(良:3票)
7.  フローズン 《ネタバレ》 
氷点下20度で居眠りをすれば、低体温に陥って死ぬだろう。リフトに乗る時点ですでに空腹の女性が2晩も耐えられるはずがない、など突っ込みどころは満載だが、ずっしりと心に残った作品だった。逃げ場のない高さから下を眺めれば飛び降りられると思うのは本当らしい。その錯覚と戦って、いかに冷静に危機を脱するかという決断力が生死を分けるのだ。リフトに乗る前に聞いた「天候が荒れる」という話をちゃんと覚えていれば、月の出ているうち、思考力、体力のあるうちに迅速に行動すべきだと分かったろう。力の勝る方の男性が支柱へ移り、スキーで一気に下山するというベストの選択肢をとれたはずなのに。リフト券の損得でプレーを要求するなど、遊び優先で冬山の怖さに少しも留意しない。自然に対する彼らの甘い認識が、来るはずもない助けを待っていたずらに時間を費やし、まさに生還できる貴重なタイミングを奪ったのだ。またスキー場を営業する立場として見れば、改善策が見えてきて面白い。営業終了時はその旨を広域放送して客の下山を促し、全リフトに人がいないか光源を搭載した車で点検する。狼が出る山ならば、ゲレンデのあちこちに避難小屋を設置し、緊急電話が無料でつながる設備を整える。自然を相手に楽しむスポーツは、サービスする側、受ける側の危機意識なくては始まらない。
[DVD(字幕)] 8点(2012-01-04 10:47:12)(良:2票)
8.  崖の上のポニョ 《ネタバレ》 
 美しい絵も、話の尊さも、音楽のすばらしさも一応わかる。それでも全編に漂う偽善の匂いにむせ返りそうだった。監督がごっちゃにしているものが2組ある。まずは、大人と子供。魔法を見ても子供の心を忘れていないといわんばかりに、全く動じない大人たち。子供が望めば、ものわかりがよく全て受け入れ、いつもにこにこ笑っている。ちょっと意地の悪い老婦人以外は全員神の国の住人みたいだ。それは、大人と子供の世界をきっちり分けて描いたトトロ、またはハイジと決定的に違う。このお話は、過剰なまでに子供の世界に大人が入り込んできているため、登場する大人たちはみな幼稚に見えるのだ。さらに、宗助が母親以上にしっかりしている点も、大人と子供の境界線があやふやに。友達のような親子関係は問題が大きいから、あまり今の親や子供たちに推奨してほしくない。  2つ目は、現実と幻想の区別。そもそも、オーソドックスの人魚姫の方がよほど心に食い込む力を持っていると思う。なぜなら世界中の誰もが、この童話のテーマは無償の愛だと一言で説明できるからだ。でも、このぽにょは? 会いたくてたまらないから津波を起こしてでも宗助に会いに来た、という我儘ながらも愛くるしい一途な気持ちをテーマにするなら、津波はラストにもって来るべきだ。宗助の家に上がりこんで、現実とファンタジーをごっちゃにした辺りから、恐ろしく退屈になった。会えるか会えないかで、さんざん気を持たせてくれた方がきっと集中できたし、話の流れが分かるから退屈せず、ラストの感動も大きいというものだ。最近の宮崎さんは、話を必要以上に複雑化しすぎる。子供を対象にして作ったというなら、手塚作品のユニコのようになぜ極力シンプルにしないのだろう。この作り方は、やはり大人の視聴もほしかったのだと思う。
[DVD(邦画)] 3点(2009-07-20 10:05:16)(良:2票)
9.  ペコロスの母に会いに行く 《ネタバレ》 
 のっけから衝撃だった。オレオレ詐欺の電話で笑いをとっているが、笑えるどころか愕然とした。認知症の人よりも、逆にもっとしっかりした人(通帳や印鑑など貴重品の扱いがスムーズにできる人)が被害に遭う確率が高いのか!と。これは盲点だった。  物語が進むにつれ、少しずつ痴呆が進んでいく母。初めは声をあげて笑っていたのに、目に宿る光が次第に弱くなっていき、ついには何も見ていない、焦点の定まらない穴のような目になってしまう。その推移が赤木さんの神がかった演技でとても生々しく表現されていて、鳥肌が立つような心細さ、老いの残酷さを痛感した。  私にも認知症の親がいるので、とても他人事とは思えない。若い人には、この作品は退屈、ありきたりと思えるかもしれないが、当事者にとっては、些細なことでもいちいち「ぐさっ!」と胸に突き刺さる。子供が親を施設に初めて置いて帰るとき、ことのなりゆきを理解できない親は、子供に捨てられた気分を味わうに違いない。その代償に、子供は親に忘れられる。認知症の悲劇は、双方の絆が1つずつ時間差をもって切れること。ペコロスの涙の切なさに、「自分はこんな涙とは無縁でありますように」と願わずにいられない。  それにしても、親が子供を忘れる話は、身の回りでもよく耳にする。現実に、私の亡き祖母は息子(父)を忘れたにも関わらず、嫁である母を最期までしっかり認識していた(恐るべし嫁姑関係)。しかし、こんなやりきれなく辛い話はない。映画の母もペコロスを忘れ、かわりに自身の幼いころや夫や親友の残像に囲まれて満たされる(はあー・・・なんとやりきれない)。それでも息子は、たとえ自分がそこに含まれていないとおぼろげに感じていても、微笑む老母を「よかったなあ」と祝福する。無償の愛の形を見た気がした。
[インターネット(邦画)] 8点(2018-08-04 00:28:44)(良:2票)
10.  ジュラシック・ワールド
以前の「~・パーク」の方は、太古に生きた恐竜(草食種、肉食種を問わず)に対する深いリスペクトが感じられたが、今回は、人間と恐竜が当たり前のように共存している設定になっていて、なにもかもが薄っぺらい。恐竜を調教して心を通わせるというのも、未知なるジュラ紀の野生を操ろうとする人間のおごりに思えて全く共感できないし、ハイブリッド恐竜ときては、もはや太古のロマンなどみじんもなく、生物としてできそこないのモンスターとしか思えないので、これだけ強くて賢くても、その命自体に魅力を感じなかった。いくらでも創作が可能な怪物は、歴史上存在した恐竜の生の重みにはかなわない。ジュラシック・ワールドは、命をおもちゃにし、見世物にし、兵器にしようとした。人間たちはその報いを受けて、命からがら逃げ惑うことになる。本作を単純に言うとそんなところだが、パークの方は、人間と恐竜が同じ時代に生を共にするというあり得ない奇跡を起こし、歴史の彼方からかいくぐってきた未知なる野生の魅力や恐怖を、あますところなく描いていた。ジュラ紀の恐竜が現代の車を襲うなど、『バック・トウ・ザ・フューチャー』のように時代差の生じる面白さにあふれていた。残念ながら、ジュラシック・シリーズは続きをどう描いても、初作の二番煎じになると思う。
[映画館(吹替)] 5点(2015-08-12 23:06:39)(良:2票)
11.  理由(1995) 《ネタバレ》 
前半で思い切りむかついた。「(有罪は)顔を見ればわかるじゃない」 なんていう幼稚なことを、法の世界に生きる関係者たちが平気で言いまくる。「黒人=悪人」という先入観を捨てて仕事できないのか!とイライラしていたが、作品の真ん中あたりで問題の青年(犯人)が釈放されて、「・・・あれ?」と内心冷や汗。見事にプロットにだまされた。「私(視聴者)ならこんな下らない先入観で人を犯人とは決め付けない」と思っていたのに、実は自分がさっきまでムカついていた人々と同レベルだったことに気づき、ショックだった。つまり、なすすべもなく集団リンチを受け続けた被害者、その青年の穏やかな目、学を積んできた知的な語りなどで、ああ、この映画は人種差別で苦しむ男性と、差別払拭のために奔走する弁護士の映画なのだな、と思い込んだ。それだけに、真犯人を憎んでいる人々に対して、不快な感情を持ち続けてしまった。つまり、いかにも「らしい」様子に、人間は簡単に気持ちを左右されてしまい、他の意見を全く顧みなくなる。しかし、最も恐ろしいのは、たいていの場合、愚考が間違いであったと気づく頃には、自分の先入観が暴走して周囲を深く傷つけた後だということ。この映画で最も訴えたかったのは、「自分だけは正しい」と決してうぬぼれてはいけないということでは? また、ショーン扮する弁護士が自分の大きなミスに気づいた後、最も連絡したくない相手に間髪入れずに連絡をとったシーンにも深く感動した。真のプロとは、非常時に自分のプライドに左右されず行動をとれることなのだろう。
[インターネット(字幕)] 9点(2010-08-10 09:32:42)(良:2票)
12.  千年の恋 ひかる源氏物語
とにかく女優さんたちがかわいそう、につきる。聖子ちゃんだって、ああいう風に演出されてしまったからそれに従っただけじゃないの? それとも本人が希望したのかな。どっちにしろ一番の被害者だよ。笑いものにされて当然の演出でそのまま出しちゃった監督が悪い。役者たちの言葉遣いがまずメチャメチャ。後はいわずもがな。難解な源氏をソフトに分かりやすく現代向きに仕上げたっていうのが狙いだとしたら的はずれもいいとこ。古典をまだ読んだことない子供に見せられる作品じゃないからね。とんでもない先入観を植えつけるようなものだよ。源氏の世界を常識として知ってる年頃になってから見たんじゃうんざりだろうし。ビジュアルに凝りすぎて、哲学というか精神を描いてないから軽いんだ。日本の誇れる最高の小説をよくもこんなでたらめに作ってくれて、どうして自分の国の宝をメチャメチャにしてしまうのか、その神経がわからない。(我々日本人てのはマゾなのか?)バラエティで面白さを前面に出して興行的に業績をあげたいのなら、オリジナルのファンタジーを生み出しゃいいだろ、こんな素晴らしい古典を軽々しくダシに使わないでくれ!
1点(2003-12-29 00:54:48)(良:2票)
13.  解夏 《ネタバレ》 
一言で言えば、自分(視聴者)とは関係のない誰かが突然不幸を背負って、彼女と二人三脚でがんばっている、という姿を描いた話。当人たちは死に物狂いで恐怖と戦っているのに、それが傍観者には「面白くない」「ドラマ性が薄い」としか感じられない。でも、これが恐ろしいくらいに真実をついている。あっさりこそ、リアリティそのもの。人間は、自分に関係のない人がどれほど苦しんでいようと、どこかよそごとに思えるものだ。この作品がつまらないと思える人は、身内に視覚障害者がいないのだろう。私は最初から最後まではらはらし通しだった。どのシーンで、いつ発作が起きて倒れるか。ハレーションが映る度にひやっとした。青年は発狂するほど苦しまないか、鬱に陥って発作的に自殺を計ったりしないか。もっとリアリティに、と皆さんは書かれているが、失明の苦しみをとことん追究して描いたら、とてもこんなに美しい長崎の情緒を表現する余裕はない。だからこそ、登場人物たちはアップになることが少なく、カメラを引いて撮影され、わざとある程度客観的に描かれているのだと思う。この作品には随所に、各登場人物たちの何気ないやさしさが動作に表れている。見る側は受身としてではなく、いろんなところに注意して、いろんな発見をしてもらいたいと思う作品。
[ビデオ(邦画)] 9点(2006-04-25 00:25:31)(良:2票)
14.  善き人のためのソナタ 《ネタバレ》 
悪役が次第に心変わりして人を助ける話に弱い。決して感情を顔に出さないヴィースラー大尉だが、意気消沈しているクリスタを励まし、恋人たちの危機を救い、2人が愛と信頼を回復しているさまを確認して、自分が冒した冒険の成果に酔いしれる。シャンパンのコルクが弾ける音に耳を痛打され、体制批判を繰り返す劇作家たちの言動に、「こらえろ」「みのがしてやる」とぶつぶつつぶやき、彼らの部屋が捜索される際には気をもみながらハラハラする。こんなかわいらしいおじさんが、泣く子も黙るシュタージ関係者とは驚きだ。無表情の彼の心情をどこまで視聴者が汲めるか試すような、決して饒舌ではない脚本の素晴らしさに舌を巻く。また、劇作家が自分の生活を盗み聞きしていた体制をクズと呼びながら、その実行犯に対して謝意を示すという複雑で繊細な心理を、この映画はとてもしなやかに、粋に描いている。人を許すこと、愛に生きること、人のために、自分のために生きることの尊さ等が、『善き人のためのソナタ』というラストの「書名」に収れんされていく…。 (「ソナタ」とはあるが、これは音楽、演劇、小説を問わず、あらゆる芸術の象徴として選ばれた言葉ではないかと思う)
[DVD(字幕)] 10点(2012-03-13 10:34:19)(良:2票)
15.  ブレイブ 《ネタバレ》 
ゲーテの「ファウスト」は未読でぼんやりしたあらすじしか知らないものの、悪魔に魂を売り渡す行為=ファウスト、のイメージが始終つきまとった。金という一時的な魔法を手に入れ、わずかな幸福の時間を仲間たちとともに過ごす。小説では「おじき」と称された悪魔、映画ではマーロンを起用してかなり象徴的な悪魔像を描いていると思う。衛生面はもちろんだが、中でもひどい差別は、子供たちに教育の権利を与えていないことだ。だから彼らはいかに自分たちが不当な扱いを受けているかを悲しみをもってしか自覚できず、現況を打破していく術も見出せないでいる。教会よりもまず学校だろう!と思った。己を殺して他を生かそうとする献身的な主人公の大きな愛が胸に迫り、ラストは涙でくもり、見えなかった。
8点(2004-05-06 21:45:36)(良:2票)
16.  初恋のきた道
ヒロインの一途さはもちろんだが、タイトルにもある「道」にひたすら感動。四季おりおりで姿を変えながらも、何年たっても道はひたすら同じ道であり続ける。町と田舎をつなぐ道は、過去と現在を結ぶ道でもあり、道の彼方には、こちら側には見えない世界があり、とどまるところを知らず想像の膨らんでいく世界でもある。だからこそ一度としてあちら側(町)を写さないのだろうし、先生を直接、深く描こうとしないのではないか。先生の偉大さを示すのは、大勢の弔問客が彼を偲ぶシーンだけで充分だと思う。そのときでさえ、道はとても重要な役目を果たす。棺を担いで過去と現在を意味する「道」を歩くことは、先生の崇高な精神、無形遺産を人々が未来へと橋渡ししていくことを暗示している気がしてならない。また、このラブストーリーが特異で優れているのは、たった一つの恋を村中が応援し、さらに死してもなお尊敬、哀憫の情をそそぐところにあると思う。
9点(2004-07-26 13:49:11)(良:2票)
17.  髪結いの亭主 《ネタバレ》 
日本の民話「天女の羽衣」や、デンマークの「あざらしのお母さん」を思い出す。男が異形の女に惚れて結婚し、相思相愛にもかかわらず妻は夫の元を去っていく。天女もあざらしも、天や海に帰るために必要なアイテム、羽衣や毛皮を見つけてしまうのがきっかけだが、マチルドの場合は、夫との些細な喧嘩がそれにあたる。幸いすぐに仲直りができたからよかったものの、今後、どんなトラブルに見舞われて夫婦生活に亀裂が入るかわからない。仲の良い夫婦生活をずっと続けていきたかった彼女は、大きな不安に襲われたのだろう。アントワーヌと同じくマチルドも彼に一目ぼれしたのだと思う。容姿の好みや性的嗜好も完全に一致した夫婦は、はた目から見ると羨ましい限りの幸せぶりだ。それなのに、妻は入水してしまう。映画では多くは語られなかったが、結婚するまで孤独を愛してきたマチルドは、過去に悲惨な性的虐待を受けた、あるいは愛する男の子供を堕した経験があったのかもしれない。膨らみようのない腹という言葉からも、不妊のにおいがする。彼女の寂しそうな笑顔は、常に秘密を抱えているせいだ。過去を一切語らない妻を、夫アントワーヌは丸ごと愛して子供すらも欲しがらなかった。マチルドは、そんなアントワーヌにいつか愛想をつかされることに、死ぬほどおびえていたのだろう。民話の哀しい妻のイメージが、どうしても彼女について離れない。アントワーヌも、マチルドも、深く心にしみこんだ。
[インターネット(字幕)] 8点(2018-04-13 22:46:31)(良:2票)
18.  蜘蛛の巣を払う女 《ネタバレ》 
えええ、違和感がありすぎる。リスベット、なんで自分と無関係な男相手に『必殺』みたいなことしてるの? そんなことしてる暇があったら、それこそカミラの言うとおり、救いきれなかった彼女をさっさと助けに行きなよ(子供の頃、DVを受ける母親のために父親を焼き殺そうとしたクソ度胸のエピソードはどこいった!? )。 敵役のセリフに共感し主人公に矛盾を感じた・・・・・・終盤にきたこのねじれ感にはモヤらずにいられない。そもそも、天才肌のリスベットが簡単にアジトを敵に察知されるって、何で? 即行で少年にチェスに負けるし(気づかないし)、敵陣に乗り込んだはいいけれど、スタンガンを振り回すばかりで、作戦BもCも考えてないって・・・・・・(プレイグたちの援護射撃が作戦Bだったにしては、ガスで気を失い、気がつき、拷問を受けるまでの長時間にさっぱり動きがなかった)。それにこれは仕方ないことだけど、この女優さんが大竹しのぶにそっくりだったのも、ちょっと辛かった。  ブルムクヴィストも存在感薄いなあ。3年もリスベットを捜し続けていながら、負傷した彼女をどうしていいかわからず童貞のように躊躇してしまう。人妻と関係を持つほどの男が娘のような若い女にハグもできないなんて、男性としての包容力や経験値を感じられない。リスベットの足を引っ張り、保育士さながら子供だけきっちり保護して、なんとか退場。記事も白紙に戻し、何かと戦い、糾弾することもなくジャーナリストの仕事をせずにさらりと終わる。薄いよ、ミカエル~。  それに核絡みのサスペンスも、いい加減腹が立つ。「核」をちらつかせれば悪事にハクがつくとでも? 2度も核を落とされた側としては、これっぽっちのストーリーごときにやすやすと絡ませないでくれと言いたい。
[DVD(字幕)] 5点(2020-09-13 00:46:15)(良:2票)
19.  ゼロ・グラビティ 《ネタバレ》 
さすが無重力をタイトルにすえるだけあって、3Dによる宇宙遊泳のリアリティはハンパじゃない。「アポロ13」のファンとしては、細々な設定では「ん?」と首をひねりたくなることも多かったのだが、ありとあらゆる点を徹底的にリアリティに描く必要はない作品なのだと途中で気がついた。特にラスト。ポッドが海に落ちて飛行士が1人で這い出し、陸地にたどりつくなど考えられない。あのラストでこの作品は、臨死体験して命が生還する、輪廻の叙事詩のようなものだったのではと感じた。no_the_warさんの書かれているとおり、「出産」をイメージして描かれている作品だと考えれば、数々の事故でヒロインが感じる苦痛や苦悩は、陣痛に苦しむ胎児、ヒロインの呼吸は、出産時の産婦があえぐ呼吸と思えなくもない。映画「ガタカ」の或るレビュワーが、主人公自身を卵子に向かって泳ぐ精子ととらえていて、その鑑賞力に感動したことがあるが、この作品も同じようなニュアンスを感じる。 またこの作品は伏線も何点か張られていて、そのうちの1つ、火災が発生して消火器が登場するが、これを噴射素材として利用するアイデアにはびっくりした。まるで「ダイ・ハード」のノリ! それにしても「ザ・インターネット」といい、サンドラはよくよく消火器に助けられる女優さんだ(笑)。
[映画館(字幕)] 10点(2013-12-18 23:48:02)(良:2票)
20.  禁じられた遊び(1952) 《ネタバレ》 
ポーレットのことが好きでたまらないミシェルにとっては、宗教も、戦争も、大人たちの争いごともみな色あせて見えたことだろう。十字架の窃盗を神父に告白しつつもさらに大きいのを盗もうとしたり、大人からみれば、こうした子供の心が純粋だなんて、まず信じられないに違いない。少女の気をひくためなら、自ら小動物を殺し、十字架を盗み、墓を作る。叱責を恐れても良心が痛むことのない子供特有のエゴイズム、残酷さ、そして愛する者を奪われる悲しさなど、子供の心情が素直に描き出されていた。それは『ピアノ・レッスン』で母を独り占めにしたいと願う少女に通じるものがある。さらに戦争を絡めることで、子供のエゴイズムや大人の無理解は、反戦という、より深いメッセージ性がこめられる。禁じられた遊びとは、神を象徴する十字架をもてあそぶことだが、遊びの真相を周囲の大人は結局誰一人知ることがない。戦争こそ、愛国心から端を発し、途方もない矛盾が積み重なり、誰も解明することのできない殺戮の遊びなのではないか。
[インターネット(字幕)] 10点(2007-04-20 15:22:41)(良:2票)

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