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コメント数 19
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年齢 50歳

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1.  HERO(2002)
 とにかく綺麗で、素晴らしい。静かな雰囲気も好き。期待というのは、まず裏切られるもので、あまり前情報がなく観た方がえてして 感動するもので、これもそうでした。難しいことはよく分からないけど、とにかく色が美しいし、あっという間に終わっちゃった、という感じで、かなり満足です。 ●  ワイヤーアクション使い過ぎ、という意見もわからないでもないですが、そう言われてみれば、という程度で、観ている間は、別に気にならず夢中で見てました(^-^;)。 ●  ところで、この映画に限らず、途中で寝てしまいました、とかいう人がレビュー書いて点数をつけているのはいかがなものかと。そういうことを書きたくなるくらい、ひどい映画だったんだよ!という気持ちはよくわかるっ。でも、それでも、ルール違反という気がします(点数の高い低いに関わらず)。やっぱりレヴューを書いて点数評価をする以上、 最後まで全部観るのがスジってもんでしょう。 
8点(2004-02-01 01:15:11)(良:1票)
2.  カビリアの夜 《ネタバレ》 
 スゴイ。まさにフェリーニ&ジュリエッタ・マシーナ&ニーノ・ロータだけにしか作れない作品。フェリーニやゴダールのすごいところは、完ぺきにワン&オンリーな存在であるということだ。自分の才能を熟知し、「自分にしかできないこと」をいとも簡単に、しかもこれ以上ないという完成度でやってしまう。  この作品を観れば、そのことが心から実感できる。オーソドックスなのだが、天才の才能をまざまざと見せつけられる。 ●  さて、ジュリエッタ・マシーナの表情の実に豊かなこと! 前半では 決して心からの笑顔を見せることがないカビリア。それが後半オスカーに恋してからの、本当に乙女のように素直で屈託のない笑顔。そしてラストシーンでの神々しささえ感じさせる微笑み!! 
10点(2004-02-17 00:05:33)(良:1票)
3.  もののけ姫 《ネタバレ》 
  友達の家にあったビデオをなんとなく見たら、面白くて最後まで 集中して観た。んで、楽しかったし、深い。安易に結論を 出さない(出せない、のだ)所が、リアル(それが良いかどうかは 観る人によって違う評価を下すだろうが)。 ●  現実とはそういうものだ。みなそれぞれ自分の人生を精一杯 生きている。善悪とか正誤とかっていうのは、どの立場にいるのかで かなり変わってくる。だから、世の中を良くするっていうのは、 ものすごく難しい。そういう難しさをよく描いていると思う。 それだけに分かりにくい。よって、評価も分かれるのだろう。  ■  (以下脱線)結局、観衆はみなそれぞれ、自分が観たいものを 観たいのだ。みな、何らかの期待を(大なり小なり)持って 映画を観る。それが、裏切られれば、やっぱり腹が立って 金のムダだったとか言いたくもなるだろう。逆に期待通りであれば、 絶賛するだろうし。 ●  ただ、全ての評価は主観的なものである、と思う。自分は 一観客に過ぎない、という認識を忘れたくない。 
8点(2004-02-01 01:50:40)(良:1票)
4.  グリーン・デスティニー 《ネタバレ》 
 アクション(ワイヤー除く)のリズム感、そして、非現実的に美しく雄大な中国大陸の風景に関しては、本当に素晴らしい! しかしそれ以外は、作りがイージー過ぎるのではないか。  監督が何を撮りたかったのか、伝えたかったのかが、非常に中途半端で、ダイレクトに伝わってこないので、作品にスケール感がない。  ●  ストーリーは、見当違いな、or興行成績のためだけにつけられた邦題のせいで、相当歪められているのは確か。不幸には違いないが、演出・脚本にも問題ありと見る。  そして、「ワイヤーアクション」の過剰な演出。その代名詞ともいえる「マトリックス」では、初めから仮想現実という設定があったし、その他色んな演出(or口実)で不自然さを感じることはなかった(マヒさせられていた、とも言える)。また同じ中国の「英雄」でも、格闘シーンにおける時間の極端な引き延ばしや「静」に重きをおいた音効、統一されて幻想的な色彩、ストーリーの複雑な入れ子構造、etc.の要素で非現実感を醸し出した上で使われていた。だから、違和感を感じることはなかった。  ところが、この映画のようにごくごく普通のこととして出してこられると、どう好意的に見ても違和感を感じてしまう。ワイヤー技術自体がまだまだ発展段階で、こういう使い方には無理がある。実際に映っていなくても、頭の中の映像では糸がはっきりと見えてしまう。竹やぶのシーンも確かに新しい使い方をしているのはよく理解できるが、その結果があの薄っぺらい映像ではその実験精神だけしか評価できない。フィクションだからこそ、ディテールのリアリティをもっと追求して欲しい。言うまでもなく、特殊な撮影テクニックを使うから良い映画になるのではないのだ。  中国には、唯一無二の「カンフーアクション」という必殺技があって、この映画でも、それらのシーンでは非常にリズムがあって、夢中に させられてしまうのに、ワイヤーが入った途端、そのリズムが見事に切れて、緊張の糸も一緒に切れてしまう。ものすごくもったいないと思う。カンフーアクションというのは、今なお超現実的でとてもパワーのある映像を作れると思うので、あくまでそれを中心にその長所を伸ばす形で、ごくわずかに取り入れれば良かったんじゃないだろうか。 
3点(2004-02-02 18:16:10)(良:1票)

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