Menu
 > レビュワー
 > 高畑カムバックプリーズ さんのレビュー一覧
高畑カムバックプリーズさんのレビューページ[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 16
性別

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(投票数)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
評価順1
>> 通常表示
1.  千と千尋の神隠し
一体この映画の何が日本人の心を打ったのであろうか。退屈の一言で、途中で退席していった老夫妻のチケット代を私は申し訳なく思った。何処に涙する場面があったのか、30代以上の男性の客観的な意見を伺いたく思う。「ほたるの墓」の百分の一の感動も得ることは出来なかった。「となりの山田君」は駄作中の駄作であったが、あれは原作が悪すぎたのであって、高畑氏の新作が見たい。
0点(2002-10-01 10:38:01)(良:2票)
2.  二十四の瞳(1954) 《ネタバレ》 
嗚呼高峰秀子、高峰秀子! どれだけ涙を絞り取るつもりなのか。例えば大阪に奉公に出された筈のかつての教え子松江に、修学旅行先の高松の丼飯屋で偶然にも再会した大石先生。積もる話もあるのだろうに、店の女主人の浪花千栄子(上手い!)の手前、ほんの挨拶しか出来ずに後ろ髪を引かれる思いで店を出る先生。離れた場所で俯きながら佇んでいた松江は、咄嗟にか意を決してか直ぐに追いかける。しかし通りで、嘗ては一緒に机を並べた、本当なら今日も一緒に旅行しているはずのクラスメートが、屈託なくはしゃぎながら先生を囲んでいるのを路地から見つけた松江。どうして顔見せが出来よう。流れる涙を必死に拭う松江とかつてクラスメートのはしゃぐ声との対比! これに泣かぬ者があろうか。 終戦後、先生の末っ子の一人娘が柿の木から落ちて死ぬ。二人の息子と墓参りをする大石先生の台詞「お腹をすかした小さい子供が柿の木に登って何の罪がありましょうか。お腹すいていたんだね。青い柿握って・・・」嗚呼、この時の高峰秀子の表情、台詞回しの、優しさに満ちた母性がこぼれんばかりの美しさよ。これに泣かぬ者があろうか。 日本的情緒、優しさに満ちた叙情性を完璧に表現した高峰秀子に感嘆する。 「何もしてあげられないけど、一緒に泣いてあげる」貧しさや、戦争や、病気や、挫折に遭遇したとき、涙を流すことで癒し、慰めてくれる母親や教師が今どれだけいるだろうか。又それをこれだけの演技で表現できる女優がいるだろうか。 高峰秀子はフィルムの中で永遠に輝き、生き続けるだろう。日本国民必見の作品。
[DVD(邦画)] 9点(2011-01-22 02:09:19)(良:2票)
3.  夜よ、こんにちは
この作品にコメントしたいが為に、会員登録をした。 圧倒的な緊張感、イマジネーション、芸術性。どれをとっても この何年間で最高の一作なのは間違いない。 イタリアで実際に起こった、極左による元首相誘拐暗殺事件に材をとり、 夢と現実がない交ぜになった極めて魅惑的、かつ思索的な、ベロッキオの世界 の到達点とも呼べる作品である。 シューベルトの『楽興の時』、100年以上の時を経て、映像との見事な 結婚を果たした。いつまでも、映像と共に耳に残って離れない。 近所の最大手レンタルチェーンには、どこにもこのDVDが置いてある。 是非多くの人にお勧めしたい。
[DVD(字幕)] 10点(2008-01-15 13:14:08)(良:1票)
4.  告白(2010) 《ネタバレ》 
キネマ旬報ベストテンは最早その役目を終えたのかも知れない。 受持ちの生徒に娘を殺された中学校女教師の復讐譚。まるでマンガの様な、ゲームの様な、荒唐無稽な、現実味の無い、痛みも涙も憎しみも悲しみも下手にカリカチュアライズされ、まるで蝋人形のように血の通わない、したがって観る者が作中の登場人物に感情移入が出来ない、いかにも作り物といった作品に仕上がってしまっている。 結局人間の感情、心の揺れが表現できていない為に、叫びや血や涙や炎が飾りとしてしか機能しない。 面白いでしょう、怖いでしょう、可哀相でしょう、今の中学生ぽいでしょうはい二時間経ちました、映画です。そんな印象である。 只「なーんてね」は、非行の矯正など不要で、罪には罰を! という製作者の意思が見えて良かった。 しかしこれがキネ旬の二位とは邦画の(洋画も似た様な状況だが)現況に暗澹となる。 ベスト作品を一本を選ぶことさえ儘ならない時代に、ベストテンはいかにもつらいのではないか。
[DVD(邦画)] 3点(2011-01-22 01:08:59)(良:1票)
5.  野菊の如き君なりき(1955) 《ネタバレ》 
明治がそのまま真空パックにされて眼前に出現したかのような錯覚を起こす。 それほどまでに自然が美しく、回想シーンの画面を白く暈した靄掛かった 縁取りで描く演出法も、当時の匂いが鼻腔に漂って来る様な極めて効果的な成果を 挙げている。 所々に挿入される伊藤左千夫の短歌も情感を盛り上げ、脂の乗り切った天才監督の手に掛かれば映画は斯くも美しくなるという見本の様な作品だ。 主演二人の何ともおぼこい清純な演技も見事なもので、特に有田紀子の可憐さはその報われない悲劇的な結末を予感させる愁いのある瞳を含め、忘れられないものとなった。 映画には純愛物というカテゴリーが存在するかとも思うが、その最高傑作と言っても過言ではあるまい。 「政夫さんはリンドウのよう。私リンドウが好きになった」 映画の黄金時代は、天才監督の演出で、可憐な女優の口を通じて最も凝縮された純愛を充分なリアリティを以って画面に焼き付けた。
[DVD(邦画)] 8点(2011-03-06 02:19:12)(良:1票)
6.  愛の勝利を ムッソリーニを愛した女 《ネタバレ》 
オープニングで神の存在を否定するムッソリーニと、それを好ましく見詰める 女イーダ。 ドキュメンタリーフィルムの重厚な煙突が画面を突き上げ、そこに 「勝利を」のタイトルが被さる。 ここでこの映画の成功は約束されたも同然であった。勝利の文字が我々の目に飛び込んでくる。 前作の「夜よ、こんにちは」の衝撃は忘れられない。 待ちに待った、指折り数えたベロッキオの新作の公開である。自然ハードルも上がるだけ上がったが、期待に違わぬ傑作を創ってくれた。 主題は、女の狂気の愛ということになるだろうか、ベロッキオの過去の作品「肉体の悪魔」との類似性を散見した。檻の使い方であったり、精神科医の登場であったり、しかしながらそれは、焼き直しや冗長な繰り返しではなく、ブラッシュアップされた芸術の進歩を感じさせるものであった。 例えば、小津の戦後作品のほとんどが戦前の「戸田家の兄妹」に於いて完成されつつあった小津芸術のブラッシュアップであると言って良いとも思うが、それは決して負のイメージのものではなく、芸術の勝利そのものでありそれと同じエネルギーをベロッキオに感ずる。 もっと言えば「肉体の悪魔」はベロッキオの左翼性を強調する以外の何物をも与え得なかったが、「愛の勝利を」に於いては普遍性を確実に獲得している。 ベロッキオは、ムッソリーニに仮託して宗教の欺瞞性(イーダの哀願に答える老シスターの言葉の空虚さ)全体主義の非人間性、人が愛と呼ぶものの独善性等、重厚に、美しく、破綻なく描き切った。 重い映画である。チャップリンさえも重く伸し掛る。人生とはそういうものなのかも知れない。全米批評家賞最優秀女優賞は伊達ではない。彼女に見据えられ、その後終幕を迎えた時、図らずも目頭が熱くなるのを禁じ得なかった。 愛とは何か、未だに余韻を引きずったまま只ベロッキオに感謝したい。今や映画のクオリティは70を超えた老人の手に掛かっているのだ。 この作品を映画館で観なければ嘘だろう。シネマートに最高益を出させるくらい大入りが続くべき傑作である。言葉がいくらあっても足りない。我々はチャップリンやヒッチコックを観るようにリアルタイムで「古典」を観ている。 
[映画館(字幕)] 9点(2011-06-19 02:53:48)(良:1票)

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS