Menu
 > レビュワー
 > さるさるさる さんのレビュー一覧
さるさるさるさんのレビューページ[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 16
性別 男性
自己紹介

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(投票数)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
評価順1
>> 通常表示
1.  アマデウス 《ネタバレ》 
私は大のクラシック・ファンのため、一般的な視点と異なっていることをまずはお詫びするとともに、大部分のクラシック愛好家といえるかどうかは判らないまでも、クラシック音楽マニアとしては世評の高いこの映画をどう思うか・・・その意味からレビューします。 ベートーヴェンを指導するなど偉大な教育者であり、慈善活動にも熱心で尊敬されていたサリエリは、作曲家としても凡人どころなんかではない。また、モーツァルトを毒殺したり、精神病院で終わるなどのストーリーについては、凄まじい史実の捻じ曲げであり、これは断じて容認出来ない部分だと思う。しかしながら、かつて色々と言われていたサリエリとモーツァルトの関係を面白く描いていて、音楽史の中に埋没していたサリエリを復活させたという意味、あるいはこれまでクラシック音楽に縁のなかった人々に興味を持たせたという、クラシック音楽人口膾炙の点からは意義を見出すことは出来ると思う。 映画では、オーストリアやドイツ文化圏と歴史が全てアメリカナイズされてしまっていて、この点からも個人的には致命的に感じている。 加えて、クラシックの音楽の転換期に当たるモーツァルトの時代の描写不足。とりわけモーツァルトの晩年には音楽の対象(聴衆)が、貴族社会から民衆へと移行しようかという過渡期に当たる時代である。このことは非常に重要で、その後の楽器改良、ひいては作曲技法が新展開し、萌芽ともなる下地を作っているからでもある。故に、作曲家にとってのいわば激動の時代・・・モーツァルトが一層深化していく姿をもっとフォローしていく必要があると思われる。 また、公開当時にこの映画を見たときは気にはならなかったけれど、クラシック音楽界ではピリオド・アプローチ(時代考証派)が隆盛をきわめる今日、バックで流れるマリナーの指揮も面白みがなく、ヴァイオリン等の弦楽器群などでもスチール弦を使用したモダン・スタイルによる演奏は、時代衣装を着て当時を再現している俳優たちとの間にどうしようもない決定的な齟齬、違和感を感じさせることになる。その意味で、当時は第一線だったマリナーが陳腐化してしまったという、時代の隔たりを感じさせるところだが、映画のバック演奏としては贅沢と言うべきなのだろう。 結局は娯楽作品と古典芸能としてのクラシック音楽との乖離に、最後の最後まで苦しめられる作品のため、個人的には非常に厳しい作品。
[DVD(字幕)] 2点(2010-12-25 14:57:01)(良:2票)
2.  第七の封印 《ネタバレ》 
第七の封印とは?神学論争ですら割れている難解なこの黙示録を読み解くことなど、神学者や敬虔なクリスチャンでもない私には不可能なことだ。そのために見る側によって、様々なイマジネーションが創出されるのかもしれないと思う。 私の場合、ベルイマンは敢えてこのタイトルを用いて、宗教への疑念や不信を表明していると思う(後の「ファニーとアレクサンドル」でも、継承されている部分でもあるが)。 まずは映画の冒頭、十字軍から帰還した話で始まるところから、人間が創り上げた都合の良い宗教の矛盾を提示してくる。すなわち聖都奪還の目的がイスラム諸国からの略奪へと変質してしまい、神とは人間の都合の良いように『侵略行為』の名目に利用されてしまったものだということ。 途中で登場する堕落してしまった聖職者たち、火あぶりで魔女裁判(魔女は火で炙っても死なない)、自虐的に自分の身体を茨で打ち続ける殉教団などなど、混沌とした中世の世界観というより、不遜にも神の名を語り、人間が人間を自分の都合の良いように裁いていく不条理な情景を次々に提示してくる。 一方、死神という死の影は容赦なく迫りくる。その追っ手から逃れるためには、信仰など何の救済にも役立ちはしない。むしろ主役たち一行の死という犠牲があって、最後に旅芸人たちが生き残る(救済される)と言う複雑な思い。 私には強烈なメッセージを放つ作品であった。
[DVD(字幕)] 9点(2010-12-27 03:17:18)(良:1票)
3.  続・夕陽のガンマン/地獄の決斗 《ネタバレ》 
最後の3つ巴決闘シーンなど、バカバカしいと思いながらも・・・あの引っ張り方といい、すっかり楽しんでいる私はもっとバカなのかもしれない。 誰が悪人か?なんて・・・みんな悪人なんだけど、主役3人の中のキャラクターでは個人的にはトゥーコが一番好きだし、それを演じるイーライ・ウォラックの味と演技に魅せられてしまった。それ故か、ややトゥーコを贔屓して見ている自分がいる。 このレオーネ初期三部作、1作目はクリント・イーストウッドに痺れ(もちろんヴォロンテもだけれど)、2作目はリー・ヴァン・クリーフの渋さに、3作目ではイーライ・ウォラックのコミカルで野卑だけど憎めない味わいに感じ入るという風情。一作ごとに加わった新しい主役陣に次々と目を奪われてしまったという感想。
[DVD(字幕)] 8点(2010-12-27 01:37:03)(良:1票)
4.  群れ 《ネタバレ》 
どうしようもない不条理、救いのないやり切れなさ・・・ラストで家族が離散するさま、頑固な家長と都会の雑踏の対比、その雑踏の中で全てを見失ってしまう家長。不条理さと矛盾に憤る、監督の社会告発的視線を痛切に感じる
[CS・衛星(字幕)] 9点(2010-12-14 16:42:12)(良:1票)
5.  第三の男 《ネタバレ》 
サスペンス映画として古典的で、古色蒼然とした雰囲気は現代の観賞者からすると、とても退屈な映画に写るものなのかもしれない。だけど、この映画の持っている情感と猥雑な時代感に、私はとても逆らうことが出来ない魅力を感じる。  ストーリーはともかく、映画の舞台となるウィーンという街・・・音楽や美術などヨーロッパの文化の中心都市のひとつであり、かつてのオーストリア帝国、ハプスブルク家をはじめとした宮廷文化の華やかで優雅なイメージ。 しかし内面は一筋縄ではいかない老獪さに保守主義や地元指向、地元文化に対する異常なプライドの高さ。それ故に連合国軍に統治されているというとてつもない屈辱。また、かつてオーストリアが併合、影響力を及ぼした国々、例えばルーマニア人、ハンガリーなどの人々が入り込んできている人種的な複雑さ。  こうしたウィーンという街の背後が到るところに盛り込まれていて、その中で人間関係に立ち入っていくのは、アメリカやイギリスといった英語文化圏の人々には伏魔殿のようなところであるという雰囲気を、私はこの映画を見るたびに感じる。  ジョセフ・コットン扮するアメリカの三文作家・・・いかにも純粋な人間で、良心的アメリカ人の典型?として描かれていて、老獪なウィーンでは彼の存在はとても浮いて見える。あれではアリダ・ヴァリをエスコートするには役不足であると思うのだけれど。オーソン・ウェルズのような怪物なればこそ、まさに伏魔殿的なウィーンの闇社会で暗躍できたのであり、男性二人の対照的な描写は実に面白く鮮やかだ。 そのオーソン・ウェルズのセリフ「ボルジア家の圧政の下、イタリアはルネッサンス文化を生んだ。では永世中立国のスイスは?ハト時計だけさ!」は印象的であり、自らを偉大な芸術の産物者に喩える不遜なセリフが、私の中で最も印象に残っているシーン。しかしジョセフ・コットンに自分の命を託すかのように・・・ウィーン人のような老獪さのない人間だから信用していたのだろう。 最後になるが・・・やはり音楽が素晴らしい。オーストリアの民族楽器ツィターの味わいは、まるでホイリゲンに居合わせるかのような錯覚に陥らせてくれる。軽妙で人生の機微に触れるかのような味わいを持つのは、名手アントン・カラスの腕によるものだろうが・・・彼は仕上がった映画を見ながら、ほぼ即興的に音楽を付けていったのだと言うから、余計に恐れ入る。
[DVD(字幕)] 10点(2010-12-29 15:14:49)(良:1票)

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS