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やましんの巻さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 731
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自己紹介 奥さんと長男との3人家族。ただの映画好きオヤジです。

好きな映画はジョン・フォードのすべての映画です。

どうぞよろしくお願いします。


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人生いろいろ、映画もいろいろ。みんなちがって、みんないい。


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1.  桐島、部活やめるってよ 《ネタバレ》 
神木隆之介クン扮する映画部の高校生と仲間たちは、ジョージ・A・ロメロ(!)のような「ゾンビ映画」を撮ろうとしている。そして撮影機材は、今どき珍しい「シングル8」の8ミリカメラ。その時、ぼくたちはただちにもう1本の「ハリウッド映画」を想起しないだろうか。そう、スピルバーグが製作したあの『スーパーエイト』でも、少年たちは「スーパー8」の8ミリカメラで、ロメロのような「ゾンビ映画」を撮ろうとしていたのだった。  それは、それぞれの作品にとって取るに足りない些細なことかもしれない。けれど、スクールカースト上位の生徒たちに端から無視され、せいぜい嘲笑の対象でしかない彼ら最下層のオタク映画部員にとって、「ゾンビ」とは自分たち自身の鏡像なのだ。そう、片田舎で鬱屈した日々をおくる『スーパーエイト』の、ブルーカラーな少年少女たちがまさにそうだったように(だから主人公の少年は、エイリアンと「理解」し合えたのだった)。  そしてロメロのゾンビ映画が、人間たちの「生存闘争劇」からついに人間とゾンビの「階級闘争劇」へと至ったように、映画『桐島』もまた学校屋上における「ゾンビたちの反乱(!)」でクライマックスを迎える。もちろんそれで、学校内の何が変わるというワケでもない。明日からも映画部員たちは、相変わらず無視され嘲笑されるだけだろう。しかし、中心人物のひとりである野球部のイケメンだけは、神木クンにカメラを向けられ、「俺はいいんだよ。俺はいいって」と涙ぐむ時、確実に知ったはずだ。自分(たち)の方こそが彼らに“負けた”ことを。  高校生たちのリアルな日常と心情を描いた群像劇のようで、ここにあるのは各階層[カースト]に位置する者たちの、その「位相」ばかりだ。ある階層とある階層との“あいだ”にある決定的なずれと断絶。それが、しだいに動揺し衝突することのなかに産まれるダイナミズムこそ、この映画を、悲劇でも喜劇でもない真に「劇的」なるものにしている。彼らがどんな「人間」かじゃなく、彼らの「立ち位置=場所」が“不在の主人公”を前に揺らぎ崩れていくさまと、逆に“揺るがない”ことの強さと輝きを放ち出すオタク映画少年たちの姿を鮮明にしていくのだ。その光景は、奇妙で、残酷で、滑稽で、けれど何と感動的なことか。  ・・・そう、あの野球部イケメンの涙にナミダしない奴らなど、ゾンビに喰われてしまえ!
[映画館(邦画)] 10点(2012-08-24 11:22:42)(良:5票)
2.  岸和田少年愚連隊
ただひたすら喧嘩を繰り返す。やったらやり返され、やり返されたらまたやることの繰り返し。いくら「岸和田」とはいえ、こんな中学生どもがおるかいっ! …と思う前に、その徹底した「反復」の“無意味さ”こそに井筒カントクは勝負を賭けたのだな、と思う。ナイナイ演じる主人公たちは、その際限のない喧嘩の「反復」の中で決して人生(!)を学んだり、人間的に成長(!!)したりしない。主人公の父親と祖父がいつも見ている、テレビの動物番組の野生動物みたく、果てなき闘争だけがどんどん“肥大化”していくだけだ(主人公たちを動物番組で暗喩する、心憎い語り口!)。しかし、一方で彼らは、この「反復」の外へ出なければならないことにも薄々と気づいている。だのに「出口」が見つけられないことの焦躁と無力感が、この一見ハチャメチャな土着(?)コメディに微妙な陰影を与えていることは間違いないだろう。…悪い冗談ではなく、この映画は何かとてつもなく「悲劇的なるもの」を漂わせていると、ぼくは本気で信じている。シジフォスの神話を思い出すまでもなく、果てしない堂々巡りを生きざるを得ないこと、無意味であることを承知しながらもその円環から抜けだせない“無間地獄”に陥ること、そういった「反復」こそが真に「悲劇的」でなくて何だろう。…たぶんカントク自身が「そんな屁理屈はいらんわいっ!」とおっしゃるだろうゲロ、ぼくはそれゆえに本作を“畏怖”し、愛するッパ! (←ゴメン、ぐるぐるさん。つい…)
10点(2004-04-16 16:39:05)(良:4票)
3.  キッチン(1989)
公開当時いろいろと賛否両論あった映画ですが、ぼくにとっては今もなお忘れ難い1本。お互いに一定の“距離”をとりながら、それでも(というか、だからこそ)どこかで“ぬくもり”を求めている「現代人」の肖像が、ここまで見事に、美しく描かれた作品も稀有でしょう。唯一の身内である祖母を亡くしたヒロインと、彼女を同居させる青年、そして青年の「母親(演じるのは、橋爪功…)」の関係は、あくまでも優しく、思いやりとおだやかさに満ちている。けれど、そこには常に“距離”があって、それがこの映画の独特な「空気感」を形づくっています。そう、ベタベタとも、カラカラとも違う、さらりとした「空気」を。それを醸し出すのが、函館の風土であり、青年たちの住むマンションのとんでもなくゴージャス(かつ無機質)なインテリアだったのでしょう(この映画を批判する向きは、そういったディテールを「現実離れ」として攻撃していたっけ。…そんな「非日常性」が、逆に登場人物たちの“関係性”をリアルなものにしているハズなのに)。…映画は、彼らの“間”にある「空気」が、少しずつお互いのぬくもりを伝えていく様子を、淡々と描いていく。「優しさ」が「愛」へと移ろいゆく様を、静かに、少しのユーモア(喜劇とはロングショットで見られた人生、とは誰の言葉でしたっけ)をたたえながら見つめていく。そう、もはや「愛」とは、人と人とがひとつになろうとするナマナマしさや暑苦しさじゃなく、ふたりの“間”にある「空気」をあたためるということなんだ…。原作者の吉本ばななよりも、むしろ村上春樹に通じる真に「現代的」なコミュニケーションを語った寓話として、ぼくは高く高く評価するものであります。
10点(2004-04-16 15:15:14)
4.  キッド(1921)
サイレント時代のチャップリン作品は、どれをとっても素晴らしい。キートンがもはや「人間」を超越した”超現実世界”の住人なら、チャップリンはあくまでこの現実世界に生きる者たちの代弁者であり、そのハートをすくいとる「詩人」だ。中でも本作は、最も純粋で、最も美しいチャップリン映画のひとつでしょう。感動的なシーンは数えきれないけれど、ぼくは、母親と子どもが、お互いを親子だとは気づかないまま街角で出会い、ニッコリと微笑みあうところで、いつも涙ボロボロに…。チャップリンが出演していないこの短い場面は、彼の演出家としての類い稀な才能を実証するものだと思います。まったく、何と言う情感の豊かさ、そしてエドナ・パーヴィアンスの美しさだろう。
10点(2003-11-19 15:37:19)(良:1票)
5.  きんぽうげ
最初にお断りしておきますが、本作は、欧米じゃあ公開当時酷評の嵐で、その後もビデオ化すらされていない(おそらく…)完全に忘れ去られ「呪われた」作品です。確かにこれは、観客を選ぶというか、誰にも受け入れられる類の映画じゃない。愛しあいながらも素直に相手と向き合えないいとこ同士が、かれらの身近な人々を、結果的に不幸へと陥れてしまう。そういった男女4人の破滅的なラブストーリーは、あまりに自己中心的な主人公たちの姿ゆえ怒りを覚える向きがあるかも。…ただ、この映画はそういった誰をも否定しない。ただ彼らと一緒に笑い、泣き、苦悩し、祈るといった、ひとりひとりへの純粋無垢な慈愛の眼差しに満ち満ちている。時にはそのあまりのナイーブさ(この語の持つ肯定的な意味も否定的な意味も含めた上で)に、見ているこちらが照れてしまうほどの…。そんな”天使的眼差し(!)”が、この映画を、少なくともぼくのような者にとっては、稀有な、忘れ難いものにするんです。いとこのひとりを演じるジェーン・アシャーは、もう1本『早春』というこちらも強烈なインパクトのある青春映画の傑作があって、うぶな少年を狂わせる美しいファム・ファタルを演じています。どこかの映画会社で、彼女主演のこの2本をリバイバルしてくれないものでしょうか…。
10点(2003-11-04 12:45:22)(良:1票)
6.  気狂いピエロ
必ずしも60年代中期までのゴダール作品に対して全面的に肯定するものじゃないけど、これはもう文句なし。ゴダールがこの1本のなかに、「映画(とは何か)」、「政治(とは何か)」、「アンナ・カリーナ(とは何者か)」という、自らのオブセッションをすべて注ぎ込み、映画とともに格闘し、苦悩し、歓喜する瞬間瞬間が、画面から鮮烈に浮かび上がってくる。これほど感動的な作品は、そうないです。いや、唯一無二かもしれない。それほどまでに、ぼくにとっても永遠の作品であります。 《追記》ハッキリ言ってゴダ-ル作品は、昔も今も普通の意味で「面白くない」です。そして映画は何も「お勉強」するために見るんじゃないのだから、もしアナタが普通の意味で「面白い」ことのみを求めているんなら、初めからゴダ-ル作品なんて見なくて結構。それこそハラたつか、カネを損したと後悔するだけでしょうから。もちろんぼくも、ただ単に「面白い」映画の存在価値を認めないワケじゃない。映画には決して安くない入場料を払った観客を楽しませる“義務”があるのだから。けれど、そういった映画を見ている間のぼくたちは、何にも考えていない。与えられた「面白さ」を、2時間なりの時間と引き換えに消費しているだけだ。そしてその後には、何も残っていない。対するにゴダ-ル作品は、そういった怠惰な姿勢をぼくたちに許さない。「さあ、どう思う。どう感じる。どう考える」と、常に見る者を刺激し、挑発する。そのへんを↑で【帰ってきたおっさん】さんもおっしゃっておられたんだと思う(11/26現在、その【帰ってきたおっさん】さんは本作のレビューを削除したまま帰ってきません…)。…たとえゴダ-ル作品を見て「何じゃこりゃあ!」と怒る向きがあったとして、その時アナタはすでにゴダールの挑発に乗せられているんです…。そしてぼくは、貴重な人生のいくばくかの時間を割くのだから、時には映画を見ている間、自分にも思いがけない「思考」が映画によって導かれることがあってもいいと思う。その時、「面白くない」ゴダ-ル作品が、何にも増してスリリングな映画体験をもたらしてくれるってことを、ぼくは信じて疑わないのです。
10点(2003-09-18 11:35:25)(良:6票)
7.  霧の中の風景
テオ・アンゲロプロス監督が、これほどまでに万人(?)に愛される映画を撮ったことに、公開当時ガクゼンとしたことを覚えています。ああ、ぼくだけのものでいてほしかったのにぃ~! って…。主人公の姉弟のうち、幼い弟の手紙がときどきナレーションとして挿入されるんだけど、そのナイーヴで詩的な野にも、心震えっぱなし。翻訳した池澤夏樹にも感謝の花束を。とにかく、本当に美しい、まさに詩のような逸品だとぼくも思います。
10点(2003-05-21 19:06:08)
8.  驚異の透明人間 《ネタバレ》 
上映時間は、たった60分たらず。まるでテレビの『トワイライト・ゾーン』あたりの1エピソードじゃないか…と思わされたりもする、すべてにチープな典型的B級SFスリラーには違いない。けれど、おそらく最低の予算をしか与えられなかっただろうこの映画には、その一方で実に“豊かな”としか形容し得ない充実感が随所にみなぎっている。たとえば、冒頭で主人公が刑務所を脱獄するくだり。最低限のセット(壁、監視塔の見張り台部分のみ!)を宵闇でカバーし、サーチライトによる光と闇のコントラストだけで見事に「刑務所」をシンボリックに表現してみせるあたりの鮮やかさはどうだ! そしてこの、金庫破りのプロである主人公が透明人間にされるのだけれど、その実験室の扉は、いかにも「放射性物質」を扱っているのだとわかるよう、分厚い鉛製になっている。そんな細部ひとつで、画面にリアリティがうまれることを、この映画の作り手は熟知している。さらにもうひとつ、主人公が実験室の別の部屋に行こうとして、計画の首謀者の軍人に「その部屋には入るな!」と制止される。それだけで、何の変哲もないはずの閉ざされたドアが、「この向こうには何が…」というサスペンスを醸し出すんである! ラストは、ほとんどロバート・アルドリッチの怪作『キッスで殺せ』を想わせる“核爆発(!)”により、ジ・エンド。いや、その爆発の後に、人間の透明化を実現した共産圏からの亡命科学者が科学と核の暴走の脅威を(カメラ目線で!)説くのだった。いずれにしろ、どこまでも荒唐無稽かつ安っぽいSFジャンクでありながら、ディテールの充実によって画面に驚くほどの「説得力」をもたらしている。…それは、カネがなくても、映画は作り手の創意によってかくも輝くことを、あらためてぼくたちに教えてくれる(…一方で、エド・ウッドは逆にその徹底した「創意のなさ」ぶりが、不思議な“愛嬌”を産むのだけど)。何でも、本作の監督自身が戦前のドイツからの亡命者なんだとか。ドイツ表現主義と呼ばれる“光と影”、さらには大胆に省略されたセットという技法が、低予算の映画づくりにこそ有効であることを実証してみせたその数々のB級映画は、もはやカルト化しているという。その真価は、この、必ずしも代表作とは言われていない作品にあってすらはっきりとうかがえる。…エドガー・G・ウルマーという名前は、あなどれません。
9点(2004-05-18 13:24:53)(良:1票)
9.  禁断の惑星
クレジットはされていなかったと思うけれど、”原作”はシェークスピアの『テンペスト』! 無意識(イド)が目に見えない邪悪な怪物となる、というあたりの設定にしろ、一見典型的な1950年代SFのようで、その知的かつ思索的な内容は、今見ても決して古びていません。愛嬌満点のロボットは、確かTVの『宇宙家族ロビンソン』にもレギュラー出演してましたよね。何より、超ミニスカート姿のアン・フランシスがラブリーだし、当時にしては本格的な電子音楽も、なかなかに新鮮だし…と、ほんと盛りだくさん。昨今の、精巧だけど味気ないCGによる紙芝居風映像にウンザリする向きにはぜひおすすめしたい、これぞセンス・オブ・ワンダーの真髄といった名作ですぞ。
9点(2003-11-10 17:25:00)(良:2票)
10.  紀元前1万年 《ネタバレ》 
神話や伝説なんかに接する時、往々にしてその「語り」の飛躍ぶりやご都合主義、デタラメさに驚かされる。そこでは人と動物が対等にコトバを交わし、何年もの時間がひと言で片付けられたりする。そして語り手(とは、その神話なり伝説を産んだ「集団的(無)意識」の具現化した存在=声に他ならないんだけれど)の思惑や気分(!)により、平気で展開や細部が変更・改変されることも常のことだ。でも、だからこそその「語り」は現代のような、緻密さと物語の整合性、テーマに汲々とした「神経症」的な息苦しさから解放された、あるすがすがしさや味わいがあるのだと思う。  オマー・シャリフの「語り」で物語が進行する『紀元前1万年』は、何よりも先ず、そうした「神話的・伝説的」な叙述[ナラティヴ]を映像化する試みとしてぼくは見た。というかこれは、最新のCG技術やらテクノロジーを駆使しつつ、しかし徹底して「現代的」な物語の叙述から身を離そうとする映画以外の何物でもないのじゃないか。だからこそ登場人物の「内面」やら心理的葛藤なんぞは、あっさりとナレーションで語られる程度なのだし(・・・例えばペーターゼン監督の『トロイ』は、登場人物たちの内面に寄りすぎたその「現代的」な演出ゆえに魅力を欠いたのだ、とすら言ってしまいたい)、死んだヒロインの“蘇生”場面にしても、あくまでそういった「語り」の要請に忠実だったゆえなのだ。すべてに成功している映画だとは思わないけれど(人々を支配する神のごとき存在がWASP風の「白人」だったというオチの、いささか安易な寓意性はむしろ不要だろう・・・)、その“大胆さ”こそ本作を真に興味深い作品にしているのではあるまいか。  そう、エメリッヒ監督の映画は、これまでもそのどこか反=時代的な「語り」のおおらかさこそが魅力なのだった(まあ、それを「バカバカしさ」ととる向きもあるんだが)。本作は、そういった「語り」そのものに監督自身がのめりこんでいるかのようだ。それゆえ、彼の映画としてはあまりに“作家性(!)”がオモテに出すぎた感がなくもない。が、「神経症」めいた映画にどこかイヤ気をさしていた観客にとって、これほど映画ごころを慰撫され、ホッとできる作品もないだろう。  エメリッヒ、やはり断固支持!
[映画館(字幕)] 8点(2008-06-03 16:03:59)(良:2票)
11.  キリコの風景
昔、失恋(笑)の痛手を抱え、函館で半年ほど暮らしたことがある。今思っても、温泉と、旨いサカナと、競馬場&競輪場がコンパクトにまとまったあの街は、「天国」だったなぁ…。 といった函館の空気感が、実に巧みに映像化されていることにまず好感大。小生同様この街が“大好き”らしい森田芳光の脚本によるシュールな世界を、これが初監督(だっけ?)の明石知幸は、あくまで日常的リアリズムで映像化しようとしている。そのシナリオと演出の緊張関係が画面から伝わってくるあたりも、実にスリリングです。 奇妙な精神的連帯を生きる3人の男たちが、どこか抽象的な、“地に足が着いていない”存在なら、そんな男どもが執着する小林聡美ふんするヒロインの、何ともアッケラカンとした“現実的生活感”あふれるドスコイぶりという対照の妙も、見事だと思うなぁ。 う~ん、やっぱり好きだなぁ。この映画。失恋して函館に行ったことのある人なら、きっと気に入っていただけるハズです(…そんな奇特な方がどれくらいいるのか、知らないけど)。
8点(2004-07-14 21:12:36)
12.  キル・ビル Vol.2
その過剰なまでの「趣味性」や「遊び」ばかりが語られるタランティーノだけど、彼の最も本質的な「才能」は、常に役者たちを“輝かせる”ところにあるのだと思う。彼の映画では、トラボルタやロバート・フォスター、パム・グリアーなど「あの人は今」みたいな“過去”の役者をこれまでも見事に再生させてきた。というか、それぞれのスターとしての魅力を最大限に引き出し、あるいはあらためて発見することに成功してきた。今回も、特にこの『vol 2』におけるデヴィッド・キャラダインやダリル・ハンナ(その怪演は、ハッキリ言ってユマ・サーマンすらも食った)、マイケル・マドセンといった面々を、一見コミックすれすれの設定や描写のなかにあっても、驚くほど「映画」そのものとして画面に定着させている。タランティーノは、彼なり彼女なりの持つ個性や魅力を、演じさせるキャラクターに“同化”させることにおいて天才的な演出家なのだ。だから、どんなに荒唐無稽な映像世界にあっても、人物たちは確固たる「リアリティ」(「リアル」ではなく、だ)を持ってぼくたち観客に感情移入をせまる。というか、感情をわしづかみにする。…繰り返そう、映像遊びに凝ったただのオタク監督のようで、その実この男は役者の魅力にこそ映画の“本質”を置く、その意味で最も正統的(!)な「演出家」なのである、と。その1点において、ぼくはこの映画(とタランティーノ)を支持したい。
8点(2004-05-19 21:30:58)(良:1票)
13.  木更津キャッツアイ 日本シリーズ 《ネタバレ》 
実はTVドラマの方を1度も見ていなかったので、前半など、他の観客は爆笑しているのに「???」だったのですが…。それでも! いやあ~感動しましたです。余命半年と宣告された主人公を中心としながら、何と言う突きぬけ方だろう。この「ぶっさん」をはじめ、草野球仲間の面々は確かに”ノーフューチャー”でしかないのだろうけれど、ここ[木更津]という奇妙なユートピア(!)で彼らが繰り広げるバカ騒ぎのなんという「幸福さ」。その向こうにある「死」への透明な哀しみすらが、じんわりと感じられるあたりも見事です。TVのスタッフがそのまま再結集したというだけあって、画面はあくまでフラットなTV的”薄っぺらさ”なんだけど、この作品だけには、そんなことどーでもいい、純粋に作品世界に自分も参加したい…と思わせる魅力とパワーがある。ラストの「ヘドラ」ならぬゴミ怪獣のオチすら、ぼくには素晴らしくチャーミングだった。今のところ、クドカンの脚本作品としちゃあ最高に”ヒップ”ですね! キャッツ! ニャ~ッ!!
8点(2003-12-03 10:51:43)
14.  ギフト(2000)
アメリカ南部の地方都市には、現代社会の抱える暗部が揃っている。それを、ひとりの女霊能力者がはからずも暴き出し、それによってある種の”救済”をもたらす…って構図かな。サム・ライミ監督は、本作と『シンプル・プラン』でいよいよ本物の実力派監督になったと思う。超自然スリラーという体裁ながら、この映画はまぎれもなくフォークナーやテネシー・ウィリアムスの「南部もの」のゴシック・ロマンスに近い志と野心をもった作品ではないか。また、だからこそこれだけの豪華キャストが集まったんでしょう。…でも、ひとつだけ告白すると、エラソーなこと書いていながら、ぼくもあのケイト・ブランシェットが転倒しての”大股開き”が、今も眼に焼き付いて離れないスケベ親父のひとりです。嗚呼!
8点(2003-11-19 16:00:50)
15.  鬼畜大宴会
スプラッターやエグいバイオレンスにはある程度へっちゃらだと自負していたものの、女の股間にライフル突っ込んでブッ放し、グチャグチャに飛び散った臓物を手でこねくり回すシーンは、さすがに胃にきました。ア~、見る前に食事とらないで良かった…。その他、撃たれた頭が半分吹っ飛んだり(それをやはり手でコネコネしたり…)、男のちんぽこ切り取ったりと、阿鼻叫喚の地獄絵図がこれでもかこれでもか状態。ただ、この映画が本当の意味で衝撃的なのは、ここで「何故、彼や彼女たちは殺し殺されねばならなかったか」という”テロルと狂気の連鎖”が、実に簡潔かつ鮮明に描かれていることに対してでしょう。閉じ込められ、追いつめられたネズミたちが”共食い”を始めるように、そこにはどんな「政治的信条」も「大義」もない、ただの生物学的な「本能」なのさと、若干23歳の学生監督がアッケラカンと解きあかしてみせるあたり、「政治の季節」の世代であるオジサンヤオバサンたちには複雑な感慨が残ることでございましょう。ラストの、誰もが死に絶えた森の風景に漂う虚無感をはじめ、ここまでニヒリスティックな作品もそうはない。ハッキリ言って絶対に好きになれない作品なんだけど、この監督の才能だけは「本物だ」と認めざるを得ないと思います。
8点(2003-11-19 15:14:26)
16.  キッスで殺せ! 《ネタバレ》 
冒頭、いきなり夜のハイウェイをトレンチコート姿(その下は全裸っぽい)が逃げ、と思えばアッという間に殺される。このあたり、ほとんどデヴィッド・リンチの『マルホランド・ドライブ』のノリです。その後も、1950年代のハードボイルド私立探偵ものにしてはやたらファナティックな人物や描写(夜の階段を撮る、あのカメラアングル!)が連続し、息つくヒマもないまま、原爆ドカンの驚天動地なラストへ…。す、凄い。あれって、つまりは開けると地上に災いをもたらす”パンドラの箱”だってこと? 実はこの映画、核への脅威を訴えた「社会派ドラマ」だったの? …そういったあらゆる解釈だの疑問だのをうっちゃったまま、観客を取り残して映画は唐突(にもほどがある…)に終わっていく。こんなところに、リンチのルーツがあったとは!
8点(2003-11-13 15:50:22)(良:1票)
17.  キング・オブ・デストロイヤー/コナンPART2
いいっすよね! ジョン・ミリアスの1作目が、力みすぎの重々しさがいささか鬱陶しさを感じさせたのに対し、こちらは、R・E・ハワードの原作にも通じる良い意味での冒険ファンタジー色が満載。この”軽さ”をこそ、小生は評価したいです。主人公コナンとユニークな彼の見方の面々が旅を続けるあたりの、ワクワクする楽しさ! 女優の趣味でも本作はピカイチです。
8点(2003-11-04 12:53:37)
18.  菊次郎の夏
前作『HANA-BI』で1等賞をとった後、そのテレかくしみたいにこんな愛すべき小品を撮る北野武。つくづく、憎めないヒトだなあ。母親に捨てられた少年が、世間からドロップアウトしたアウトサイダーな男たちとの「夏休み」を過ごすことで、癒される。同時に、ダメ男の極道者”菊次郎”もまた確実に癒されている…。この、自分の優しさをテレ隠しのギャグと粗暴な振る舞いでしか表現しようとしないキタノ・タケシという男が、ほとんどはじめて「素顔」を見せた本作。その繊細さとナイーブさ、天衣無縫のようで実は知的に構成された映像ともども、キタノ映画の本質(エッセンス)を知る上でも重要な作品と言えましょう。特に、井出らっきょう(絶品!)らと一緒に繰り広げられる後半の(これも北野武作品のトレードマークである)「遊び」のシーンは、出演者と一緒に笑いころげながら、このまま永遠に続いてほしいと思わずにいられない幸福感に満ちている。この天才の他の傑作群に劣らない、本当に素晴らしい映画であります。
8点(2003-11-04 11:52:11)(良:3票)
19.  奇人たちの晩餐会
最近あんまり笑ったことないんだけど、この映画見た時はそれこそ死ぬほど笑い転げました。バカを笑うつもりが、自分の方がバカを見たという、皮肉と諧謔とナンセンスのオンパレード。どうしても舞台劇調になるのは仕方ないけど、ここまでおかしけりゃ文句なし! ややペーソスをまじえての後半は、このまま無難に終わるのか…と思わせつつ、ラストでもう一発カマしてくれるあたり、ほとんどひれ伏したくなりましたです。おすすめ!
8点(2003-09-18 11:55:24)
20.  恐怖のメロディ
記憶の中では、たぶん一度も拳銃が出てこなかったのでは? あのイーストウッド作品なのに?? で、包丁振り回す女ストーカーにさんざんいたぶられる主人公という、ある意味実に情けない主人公を、初監督で自身に演じさせるこの男っていったい…。そういったアブナサ加減といい、唐突にモントレー(イーストウッドの家があるカーメルの御当地)のジャズ・フェスティバルの風景を盛り込むあたりといい、監督デビュー作にして100%完全無欠のイーストウッド映画!
8点(2003-05-21 18:55:19)
081.09%
140.55%
250.68%
3202.74%
4253.42%
5598.07%
67810.67%
79212.59%
817123.39%
98411.49%
1018525.31%

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