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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2597
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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21.  クワイエット・ファミリー
数年前にこの映画をリメイクした「カタクリ家の幸福」を観て、監督の三池崇史が好きそうなアイデアだな~などと感じながら楽しんだが、オリジナルの今作を観て尚更に三池が惚れ込んだ理由を納得した。もうほんとに全編通して“怖可笑しい”。韓国映画はこういう雰囲気を作り出すのがとても旨い。韓国の俳優が基本的に持つ表現力や台詞の言い回し自体に、ドスの効いた可笑しさが含まれているように感じる。気だるそうにテレビを観る姿や無言で食事をする姿にさえ、可笑しさがにじみ出る。もはやこれは、この国の国民性自体が持つ、独特のユーモアセンスであると思う。
8点(2004-11-15 01:51:54)
22.  グリーンマイル
触れ込み通りの感動的というよりも、ラストに集約される哲学的なストーリーが感慨深い。だから感動して泣く映画ではなく、ファンタジックなストーリーに裏づけされた人間の業を描いた映画と言える。
[映画館(字幕)] 8点(2003-12-13 20:41:26)
23.  グラン・ブルー/グレート・ブルー完全版
美しい映像というのは作品を語る上でよく出る言葉であるが、この映画の場合、素晴らしいものは、その美しい青である。海というものはその存在のみで美しく、素晴らしいものだが、その魅力を100%映像として引き出すのはとても難しいことだと思う。この映画の偉大なところは、海の青を、その魅力を全力をもって映しつけ、主人公の海に対する狂おしいほどの純粋な思いを描き出したことである。
8点(2003-10-16 01:36:26)
24.  クリムゾン・タイド
今作も原子力潜水艦映画を代表する作品で非常に良く出来ている。ストーリーや設定は娯楽性が強く強引な部分もあるが、それ抑えるデンゼル・ワシントン、ジーン・ハックマンの白熱の演技合戦がこの映画の最大の魅力であろう。
8点(2003-10-06 13:45:12)
25.  くまのプーさん 完全保存版
小学3年生の息子は、太っているという程ではないけれど、お腹がぷっくりと膨れている。さらに小さい頃からの服を気に入って長く着るので、段々とお腹が見えそうになってくる。 「何かに似てるなあ」と、常々感じていたが、彼を小脇に抱えながら観た映画で、「ああ、なんだコレか」と思い至った。「くまのプーさん」だ。  念願のDisney+を契約して、とりあえず何を観ようと、息子と選んで何気なく観始めた。 2011年に製作された「くまのプーさん」は観ていたが、どうやら1977年に製作(実際は1960年代〜70年代に製作された短編映画の総集編的構成)された本作がオリジナルのようだ。自分の記憶の限りでは、描かれるストーリーとエピソードの大筋はほぼ同じだったように思う。 ただ、さすがにクラシカルなアニメーションの風合いが本作には溢れ出ていて、40年前からディズニー映画を観続けて育ってきた世代としては、やはりこちらの方が馴染みやすく、物語の世界観にも没入できたように思える。  ほぼ中毒者のようにはちみつを追い求めるプーの姿は、可愛らしさを少し越えてシュールで愉快だし、彼を取り巻く様々なキャラクターたちも、みんな少しずつズレていて可笑しい。 そして、そのキャラクターたちの世界が、クリストファー・ロビンという一人の少年の“イマジナリー”が生み出したものであるという俯瞰的な視点も、作品上にちゃんと表現されていて、それがこのゆる〜いファンタジー世界に「芯」を持たせているようにも感じる。 ラスト、クリストファー・ロビンが、成長していく自分自身の変化を感じつつ、プーに語りかけるシーンは、とても愛しくもあり、とても切なくもあった。  と、「くまのプーさん」を観て、くどくどと綴ってしまう自分は、いよいよ子どもの無垢な心とは離れてしまったなあと思う。 一方、傍らで観ていた小3の息子は、キャラクターたちの言動に合わせて足をバタつかせたり、フンフンとリズムに乗ったり、挙げ句は途中で「はちみつ食べたい」と言ってキッチンに行ってマヌカハニーを舐めていた。 「ああ、これこそが正しいプーさんの観方だな」と、まるでプーさんそのものの息子に教えられた気分だった。
[インターネット(吹替)] 7点(2024-01-08 12:01:22)
26.  狂った野獣(1976)
主演の渡瀬恒彦が、スター俳優であるにも関わらず、走行中のバイクからバスに飛び乗り、自ら運転する大型バスをド派手に横転させる、ノースタントで。 世の好事家たちの文献から聞き及んではいたけれど、この時代の渡瀬恒彦は“ヤバい”。その様は時に狂気的にも見え、故に俳優として魅力的だ。  或る深夜、ふいに古めの日本映画が観たくなり、時刻も深かったので上映時間が78分と短かった本作をサクッと鑑賞。 程よい雑多感や、荒々しい風俗描写がそのまま「娯楽」として“激突”してくるような芳しいエンターテイメントだった。  一台の路線バスに偶然乗り合わせた一般人と、悪党と、別の悪党。 それぞれが孕んでいた欲望と焦燥は、暴走するバスと同調するかのように行き場を見失い、破滅へと突き進む。 先に主演俳優の狂気的な破天荒ぶりに言及したが、この映画の登場人物たちは皆々狂っている。いや、結果的にそもそも人間がうちに秘めている狂気を抑えきれなくなったということかもしれない。  主演の渡瀬恒彦のみならず、脇役の俳優たちもみな個性的で印象的。 特に終始“小物感”を撒き散らし、衝撃的な死に様を見せる川谷拓三が見事。
[インターネット(邦画)] 7点(2022-03-27 00:30:27)
27.  クロール -凶暴領域-
まず最初に言っておくと、“B級モンスターパニック映画”好きとしては、この映画は断然アリ。 流石は「ピラニア3D」を手掛けたフランス人監督アレクサンドル・アジャ、この手のジャンル映画の何たるかをよく理解した上で、とても丁寧な映画作りがなされている。  競泳選手の娘が、ワニと洪水の恐怖の渦を得意の“クロール”で泳ぎ切り、父娘の絆を取り戻す話。  と、この映画のプロットを文面にすると極めて「馬鹿」みたいだけれど、そういう馬鹿馬鹿しさを、大真面目にパニック映画として映し出すことこそが、“B級映画”としての醍醐味だろうと思う。 馬鹿らしいプロット、馬鹿らしいストーリー展開だと感じつつも、主人公の心情や、恐怖に至るまでのプロセスがきちんと描かれているからこそ、彼女が突如として巻き込まれる悪夢のような状況にすんなりと入りむことができる。  また、極めてミニマムな映画的題材や素材を最大化し、エンターテイメント性溢れる「恐怖」を紡ぎだしていることも巧みだった。  まず「ワニ」という題材が相当地味だ。それも、馬鹿な科学者が遺伝子操作で狂暴化させたモンスターワニなどではなく、近所の“ワニ園”にいる極々フツーのワニが襲ってくるという設定が、地味すぎて逆にチャレンジングだった。  恐怖の対象となるワニの地味さを、舞台設定を主人公家族がかつて住んでいた家に限定することでカバーすると共に、フレッシュな恐怖心や緊迫感を創出することに成功している。 更には大部分の展開を、湿地の性質も加味されたジメジメと不潔で不快極まりない地下スペースに絞り込むことで、主人公たちが味わうストレスとパニックを何倍にも増幅させている。  そして、舞台となるかつての“マイホーム”は、主人公の娘と父親が抱える“喪失”とも巧みにリンクし、そこからの脱却が、父娘のドラマをエモーショナルに盛り上げる。  襲い来るワニの精巧なビジュアルや、しっかりと迫力をもって映し出される暴風雨や洪水の災害描写を見る限り、それなりに巨額の製作費が当てられていることは見て取れる。 もっと分かりやすく仰々しい舞台設定を構築することも恐らくできたのであろうが、それをせず、あくまでも“マイホーム(家族)”の映画に仕上げたことこそが、今作の最大の狙いだったのだろう。  そういう明確な“チャレンジ”に溢れた作品だからこそ、ベタベタな王道展開にも素直にグッと親指を立てたくなる。
[インターネット(字幕)] 7点(2020-11-23 23:50:08)(良:2票)
28.  クリミナル 2人の記憶を持つ男 《ネタバレ》 
まず断言したいのだが、この映画は、かつてのハリウッドの大スター俳優が惰性で出演している安易なアクション映画では決してない。 主演のケビン・コスナーは、60歳を超えてなお新境地を切り開くべく、精力的な役づくりに挑み、不幸な幼少時代に脳障害を受けた凶悪死刑囚を熱演している。  その主人公の凶悪犯に、死亡したCIAエージェントの記憶を埋め込み、世界の危機を救うミッションに挑むというプロットは、字面だけをみれば馬鹿馬鹿しく思えるが、そこから生まれたドラマ性はなかなかどうして見応えがあった。  断片的な記憶を辿りながら絶体絶命のミッションを繰り広げていくというような「ボーン・アイデンティティ」的なスパイアクションの二番煎じなのだろうと想定していた。 しかし、そうではなくこの映画は、ある種「障がい者」でもある凶悪犯が、強制的な脳手術により図らずも“人間らしさ”を得て、自分が置かれた立場との狭間で苦悩する人間ドラマを主軸に据えていた。そのストーリー展開は、非常に悲しく、新鮮でもあった。  また、その物語の構図は、ダニエル・キイスのSF小説「アルジャーノンに花束を」を彷彿とさせ、深い感慨を孕んでいたと思う。  と、想定よりもずっと面白い映画であったことは間違いないのだが、ラストの顛末があまりにモ惜しい。 主人公は、世界を陥れようとするテロリストに見事に打ち勝ち、世界を危機から救う。そこまではエンターテイメントとして爽快でとても良い。 ただ、その後、埋めつけられたCIAエージェントの記憶と人格が定着し、遺族である家族たちと懇意になるという“ハッピーエンド”は、いささか安直で都合が良すぎると感じてしまった。 更には、非人道的に彼を利用するだけして使い捨てるつもりだったに違いないゲーリー・オールドマン扮するCIA支局長(無能)も「スカウトしよう」とか言い出す始末……。  せっかく「アルジャーノンに花束を」のような感慨深いドラマ性を孕んでいるのだから、最後の最後まで、あの物語性を踏襲してくれたなら、相当に感慨深い余韻を残す傑作に仕上がっていたに違いない。 束の間の“人間らしさ”が夢だったかのように霧散し、再び監獄に戻っていくケビン・コスナーの後姿を妄想しただけで、涙が出てくるのに。
[インターネット(字幕)] 7点(2019-05-04 23:50:54)
29.  グランド・イリュージョン 見破られたトリック
原題にも用いられている「Now You See Me」とは、「見えてますね」というマジシャンの常套句の意。 この原題が表す通り、この娯楽映画シリーズは、“何が見えていて、何が見えていないのか”という“トリック”を全編に散りばめながらストーリーを展開させていく。 前作は、その思惑が100%達成できているとは言えないけれど、娯楽映画としての着想そのものはユニークだったし、実力派を揃えたキャスティングも功を奏し、及第点の仕上がりだったと思う。 あからさまな酷評も割りと多かったようだけれど、この映画が“マジック”を描いている以上、素直に騙され、それを楽しむことが、観客としてのマナーだとも思った。     なので、その続編である今作においても、間違っても「あんなマジックはあり得ない」などと、分かりきった難癖を付けるのは「無粋」というものだ。 映画のストーリー上で、どんなに荒唐無稽なマジックが展開されようとも、「わあ、すごい!」と楽しめる人は心ゆくまで楽しめばいいし、もしそれが出来ないような人は観なければいい。   と、少々傲慢な“予防線”を張ってしまった感も我ながら否めないけれど、個人的には前作同様に及第点の娯楽映画を堪能できた。 奇想天外で荒唐無稽な“マジック”を「武器」にした義賊チームによるケイパー映画として、作品のテイストを前作以上に振り切ったことで、より気兼ねなく楽しめる娯楽映画に仕上がっている。   ジェシー・アイゼンバーグをはじめ主要キャストは「黒幕」や「悪役」も含めて続投となっているため、安定感はあるものの、ストーリー展開的な驚きはそれ程得られない。(モーガン・フリーマンの役どころなどは、もはやベタ過ぎる)   ただ、だからこそ王道的な娯楽を楽しめるという、“ジャンル映画”としての面白味が生まれ始めているようにも見える。 これ以上の続編はおそらく蛇足になると思われるが、義賊チームにおける“チーム感”を更に高め、愛着を得られるようになるならば、例えば「ワイルド・スピード」のような大ヒットシリーズに成長するような「奇蹟」もありえなくは無い。
[インターネット(字幕)] 7点(2019-01-03 13:40:54)(良:1票)
30.  グレムリン
クリスマス・イブの夜。自身の子どもたちへのプレゼントを傍らに、彼らが寝静まるのを待ちつつ、クリスマスらしい映画を観ようと、今作の鑑賞に至る。 僕自身が3歳の頃の映画で、ポップアイコンとしての“ギズモ”の存在は勿論知っていたけれど、鑑賞自体は初めてだった。  良い意味でも悪い意味でも“ファミリー映画なんだろうな”というイメージだったが、想像以上に楽しめた。 時折ふいに展開されるエグいブラックユーモアを多分に孕んだ描写が特徴的で、徐々にクセになってくる。 映画世界全体のクオリティは決して完成したものではなく、雑多で大味だが、その決してただの“可愛らしいぬいぐるみ映画”ではない明確な「雑味」が、ファミリー層を越えて、ウケた理由なのだろう。  CG以前の時代らしいクリーチャーの味わい深い造形もさることながら、制限のある動きを表現するための巧みなカメラワークも見事。スティーヴン・スピルバーグをはじめ、名だたる映画人たちが集った作品だけの映画的な上手さを随所に感じられた。  恐怖に絶叫しながら、ものの1分程の間に3匹の凶悪グレムリンを惨殺したママが、実は色んな意味で最強だった。
[インターネット(字幕)] 7点(2018-12-24 23:58:08)(良:2票)
31.  KUBO/クボ 二本の弦の秘密
昨年、世の好事家たちを唸らせたストップモーションアニメの今作をようやく観ることができた。 近年、ストップモーションアニメの進化が目覚ましい。 撮影技術の進化、3Dプリントをはじめとする造形技術の進化など、技術的な革新はもちろん大きかろうが、何よりも大きな要因は、観客も、作り手も、あらゆる作品に対して、本物の質感を強く求めるようになったことではないかと思う。  CG映像の隆盛に伴い、観客はもはやどんなリアルに見える映像を目の当たりにしても、驚かなくなった。映像上で何が起こったところで、「ああCGか」の一言で済ませてしまう。 言い換えれば、映し出される驚愕の映像がリアルであればあるほど、実際には触れないモノ、質感がないモノだと、無意識レベルで認識してしまっているのだと思う。 当然ながら、そういう感情を抱かせてしまった時点で、そこに観客の熱量は生まれない。観客の熱量を感じられないものに対して、作り手も熱量を注ぐことが出来なくなっている。  そこで再注目されている手段が、原点回帰的な特撮技術だったり、今作のようなストップモーションアニメなのだと思う。 人を形どったものに命を吹き込むというプロセスは、古来より世界中の文化が共通して培ってきたものであり、そこから溢れ出る芸術性と愛着感は、我々一人ひとりのDNAレベルに刷り込まれているのかも知れない。  そうして生み出された世界観とキャラクターが、これまた「物語」そのものの根幹に迫るテーマを紡ぎ出す。  「結末」があるからこそ、物語は美しく、価値が生まれる。 人は、心が弱ると、ついつい必要以上に「終幕」を恐れてしまう。 だが、結末を迎えた物語は、決してそのまま消えてなくなってしまうわけではない。  一つの物語を、また別の者が語り、紡いでいくことで、その価値は幾重にも折り重なり、新たな物語を生んでいく。 それは、「人生」の理とまったく同じだろう。  この世界は、そういうふうにできている。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2018-11-27 23:25:09)(良:1票)
32.  グーニーズ
1985年公開のこの有名すぎるアドベンチャー映画を、1981年生まれの自分がこれまで観ていなかったことには、何とも縁がなかったものだなと思う。 公開当時は4歳。劇場で観ることは出来なかったとしても、当然ながら何度もテレビ放映していただろうし、レンタルビデオで観る機会もいくらもあっただろう。全く縁遠いまま随分と大人になってしまったものだ。 先ず感じたことは、この映画をもし自分が4〜5歳の頃から繰り返し観ていたならば、きっと自分にとってもっと特別な映画になっていただろうなと思う。そういう可能性は大いに感じた映画だった。  スティーヴン・スピルバーグとリチャード・ドナーが組み、更にはクリス・コロンバスが脚本を担った今作は、オープニングクレジットから極めてテンポの良いエンターテイメント性に溢れている。 娯楽映画の玄人たちが生み出したそのテンポの良さは最初から最後まで一貫して、飽きさせることなく観客を映画世界に引き込む。 物語自体は、まったくもって荒唐無稽な絵空事でありながら、少年たちの葛藤を礎にしたジュブナイルとアドベンチャーを全面に描き出し、映画世界を成立させていることは、ひとえにスピルバーグをはじめとする超一流の映画作家たちだからこそなせる業だろう。  登場人物たちも、善玉悪玉問わずみな愛らしい。 特に、主人公のマイキーを演じるショーン・アスティンが何ともキュートだった。 この映画の往年のファンは、「ロード・オブ・ザ・リング」のサム役でショーン・アスティンが再び大冒険を繰り広げる様を見て、殊更に感慨深かったことだろう。 風貌はだいぶ変わってしまったけれど、彼が放つ仲間たちに愛される存在感は変わっていないもの。
[インターネット(字幕)] 7点(2018-10-07 16:22:52)(良:1票)
33.  クローバーフィールド・パラドックス 《ネタバレ》 
再開したばかりのNetflixを開くと、「クローバーフィールド」の文字が。なんとシリーズ最新作がWeb限定公開とは。自分がそれを観られる状態にあることを喜びつつも、益々このサービスから離れられなくなるなと少々複雑な思いも巡る。  と、一瞬のうちに思うくらいには、このシリーズのファンだ。 何と言っても2008年の第一作「クローバーフィールド/HAKAISHA」が最高だった。“企画”先行の作品であったことは否めないが、圧倒的なクオリティで「怪獣映画」を文字通りの“別視点”で描ききった大傑作だと思っている。 そして、2016年に満を持して公開された「続編」というよりも、「番外編」に近い第二作は、僕達にファンに植え付けられた「怪獣映画」という概念を笑ってしまうほどの豪胆さで打ち消し、“戸惑い”必至のトンデモB級映画(かろうじて褒めている)に仕上げ、このシリーズの特異な在り方を示してみせたと思う。  そんなわけで、この第三作も、良い意味でも悪い意味でも「想定外」の映画世界を見せてくることは間違いない。 「クローバーフィールド」と銘打っておきながら、宇宙に飛び出して一体何を描くのかと思いきや、なんとこんなに機知に富んだSF的発想で、そもそもの“事の発端”めいたものを映し出してくるとは。 強引過ぎる「多言宇宙論」を持ち出してきて、平行世界が織りなす混乱と悲劇を描き出したストーリーテリングは、決して巧い語り口ではないけれど、「F先生」仕込みのパラレルワールドもの大好き世代には堪らない展開だった。 ストーリーライン自体が破綻しているわけではないので、もう少し巧い脚本が仕上がっていれば、純然たるSF映画の傑作になり得たとも思える。  企画として、崇高な映画を作ろうなんて端から考えていないはずなので、前作とはまた全く違うベクトルでのトンデモB級ぶりを展開しつつ、ラストの大オチを“ネット視聴者”に見せつけられたことで、J・J・エイブラムスをはじめとする製作陣は大満足なのだろう。  なんかチャン・ツィイーみたいな中国人がキャスティングされているなあと思っていたら、チャン・ツィイーだった。 アジアの宝石も歳をとったなあと思ったが、最期の“凍結”ぶりはなかなか印象的で良かった。 (恐らくは中国市場向けに、彼女の台詞が全編中国語だったのには、違和感を覚えたけれど)  さあ次はどんな「奇策」を見せてくるのか。こういう期待の仕方も映画シリーズとして独特でアリだと思う。
[インターネット(字幕)] 7点(2018-03-11 00:19:18)
34.  苦役列車
面白い“青春映画”だったと思う。 夢も希望もなければ、友もなく、女もなく、当然金もない、社会の底辺で生きざるを得ない男の束の間の青春を、取り繕いなく切り取ったユニークな映画だった。  日雇いの人足仕事でその日暮らしをしている主人公・北町貫多は、19歳にして既に人生を諦めかけている。 稼いだ僅かな金は、酒と風俗に費やし、家賃滞納を続けているアパートからはいつ追い出されるかも分からぬ日々。 そんな男に、ふと同い年の「友達」が出来たことで、ほんの少しだけ人生に「色」がつき始める。 ただし、わずかに19歳らしい色めきが立ったところで、この男に長年に渡って染み付いた下卑た根性が一掃されるわけではなく、次第にまた人は離れていく。親しくなった友も、焦がれた女も。  という一連のこの主人公の青春模様、人生模様が、愚かしくも、可笑しい。 彼が得た顛末は総てにおいて「自業自得」の一言に尽き、擁護のしようもないのだけれど、彼と一度は友達になった二人と同様に、この北町貫多という男のことが気になって仕方なくなる。   主人公・北町貫多を演じる森山未來が、流石の表現力を見せつけてくれる。 このキャラクターが持つ生活環境によって染み付いた下品さと屈折した性格を見事に表し、「誰にも愛されない主人公」をほぼ完璧に体現している。 また主人公の友達となる高良健吾、前田敦子の役柄と佇まいもそれぞれ良かった。 彼ら3人が、立入禁止の海辺で戯れる場面は、あからさまな青春感がどこか非現実的な雰囲気も醸し出しており、この作品に相応しい名シーンだと思える。   ただ一方で、原作「苦役列車」で書き連ねられたものは、もっと暗くて笑えない悲観そのものだったのではないかとも予測できる。 原作は未読なのだが、今作で芥川賞を受賞した西村賢太が描きつけた世界観に、この映画で示されたようなポジティブさは微塵もないのだろう。 自分自身の人生を象った私小説だからこそ、この映画作品の佇まいに対して憤りを感じたことも充分に理解できる。「俺には“何もない”がある」なんてキャッチコピーには、虫唾が走ったに違いない。  必ずしも原作通りに映画を作ることが正解だとは思わない。特に私小説をそのまま映画化することは独善的になりがちだし、あまりにリスキーだと思う。 しかし、実際、この映画作品の主人公・北町貫多が背負っている苦悩は、劇中で露わになっている以上に深く救い難いものだろう。 その主人公の苦悩をもう少しだけきちんと根底に描きつけることが出来ていたなら、“束の間の青春”がもっと特別な時間として映り、この映画はもっと確固たる名作になり得たかも知れない。 そして、この監督と演者たちにはそれが出来たと思う。
[インターネット(邦画)] 7点(2017-11-20 17:08:57)
35.  黒い罠
恥ずかしながら、初めてオーソン・ウェルズの監督作を観た。 冒頭の長回しは勿論のこと、随所に散りばめられた映画手法は、まさに革新的かつ秀麗。 50年前にこのような多彩な映画手法を生み出した天才が、もし今現在に蘇ったなら、一体どんな「革新」を打ち出し、映画という表現を進化させて見せてくれるだろうか。 そんな夢想をしてしまう。  ただ、この作品のストーリー展開そのものは、大味というか曖昧さが目立った。 特に主人公二人のキャラクター性があまりに大雑把に思えた。 チャールトン・ヘストン演じるメキシコの麻薬捜査官は、輝かしい実績を持った英雄らしいが、どうにも箔がなく、相手役の大物ぶりも相まって小物感が払拭しきれていなかった。 一方、その相手役であるオーソン・ウェルズ演じるアメリカのベテラン刑事は、その豪胆な存在感は抜群だが、結局過去の栄光にすがった小悪党の域を出ず、展開に伴いトーンダウンしてしまっている。 この二人の人間性が、ストーリー上でも濃密に描き出されていれば、同じストーリーテリングであったとしても印象は大きく変わっていたことだろう。  しかし、そんなストーリーそのものへの”ケチ”も、オーソン・ウェルズという映画史に燦然と輝く巨星は、自らの演出と演者としての存在感で蹴散らしているようにも思える。 緻密に計算され尽くされた画作りによる緊張感と緊迫感は、ストーリー展開すらも無視して観る者を圧倒する。 この巨星が、現在の「映画」そのものを生み出したと言っても決して過言ではないのだろう。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2014-10-26 21:21:58)
36.  グランド・ブダペスト・ホテル
ウェス・アンダーソンの映画を観るのは「ライフ・アクアティック」「ファンタスティック Mr.FOX」に次いで三作目となる。ビギナーと言えるだろうが、それでも映画が始まってすぐに「ああ、ウェス・アンダーソンの映画だな」と認知させてしまうのは、この監督の稀有な作家性故だろう。  映画は全編に渡って、この監督らしいウェルメイドなコメディと、拘り抜かれた美意識に彩られていて、映し出される一つ一つの「画」を見ているだけでも楽しい。 タイトルから想像したイメージは、風変わりなホテル内での風変わりな人間模様が“グランドホテル形式”で描かれるのだろうと思っていた。 しかし、物語は想定外に加速し冒険活劇へと展開していく。  激動の時代背景を根底に敷き、或る人間の或る人間に対する思い出がつまびらかになっていく。 そうして辿り着いた結末は、この映画世界が醸し出す雰囲気からは想像もできないくらいに、重く、悲しい。  ただし、この映画に登場する人物たちは、必ずしも悲しみに暮れているわけではないと思えた。 人生は、総じて過酷で辛いもの。 それは悲劇ではなく、受け入れるべき運命であり、それらを礎にして“新しい世界”は構築される。 昨日の世界と明日の世界は常に変わりゆくもので、それの善し悪しをその日を生きている者は判別出来ないのだと思う。  そういう達観めいたものを、過ぎ去った世界のことを語る老いた“ベルボーイ”に感じた。 
[映画館(字幕)] 7点(2014-07-02 16:19:27)(良:1票)
37.  グランド・イリュージョン 《ネタバレ》 
ジェシー・アイゼンバーグが、冒頭から「ソーシャル・ネットワーク」よろしく早台詞をまくしたてる。 その時点で自分自身を含め健全な観客は、この映画の“ミスリード”に引っ掛かっていたのかもしれない。  “マジック”を描いた映画になかなか良作はない。 マジックというエンターテイメントは、鑑賞者の目の前で見せるからこそ驚きがあるわけで、映画というそもそもが“つくりもの”の世界の中でいくらびっくり仰天の奇術を見せたとて、驚ける筈がないからだ。  今作においても、主眼を“マジック”に置いている以上、その障壁は免れない。 実際、繰り広げられる数々のイリュージョンに対しても、「まあこれが実際に目の前で行われた凄いだろうね」と一歩引いた立ち位置で観ざるを得なかったことは確かだ。  ただ単に、映画世界の中で壮大なイリュージョンを繰り広げて「スゴイでしょ?」という作品であったならば、極めて駄作と言わざるを得なかったろうけれど、この映画の場合は、全編に渡るテンポの良さと、キャスティングの巧さで、そういったマイナス要素をカバーし、映画としての質を高められていると思う。  この映画の中では当然ながら数々のマジックシーンが描かれるが、マジックショーそのものの魅力は、冒頭の4人の路上マジシャンたちの登場シーンに集約されている。 彼らの鮮やかなマジックの手腕をいきなり見せつけられて、観客は「ああ、これからこいつらがとんでもないイリュージョンを見せるのだな」と強く認識させられる。 先に記した主演俳優の早い台詞回しも含めて、この“見せ方”が映画全体に効いている。  もちろん端からマジックの「タネ」もとい、映画の「オチ」を先取りしようと“ステージ”に対して斜めから映画を観たならば、わりとすぐにネタバレしてしまうかもしれない。 ただそういう観方は、マジックを観るにしても、映画を観るにしても、「無粋」というものだ。 勘ぐること自体は結構だと思うけど、娯楽として真っ当に楽しみたいのであれば、きちんと真っ正面から観て、気持ちよく騙されることも大切だと思う。
[映画館(字幕)] 7点(2013-11-02 00:09:34)(良:2票)
38.  グランド・マスター 《ネタバレ》 
久しぶりにウォン・カーウァイの映画を観て、自分がこの人の映画に惚れていたことを思い出す。 6年前に前作「マイ・ブルーベリー・ナイツ」を観たときも、同じような思いをしたような気がする。 近年決して多作ではない映画監督なので、映画を観始めてしばらくして、描き出される映画世界の特異な空気感に「おや?」となり、「ああそうか、これがウォン・カーウァイだ」と記憶が呼び起こされる。  誰もが楽しめ、受け入れられる類いの作風ではないことは明らか。 時に酷く散文的で、ビジュアル的な美しさが強調される世界観を嫌う人は多いと思う。 この映画にしても、ストーリー的にはあまりにまとまりがなく、「結局何の話なんだ?」と主題がぼやけて見えることは否めない。 詰まるところ、激動の時代における、伝説の武術家イップ・マン(葉問)をはじめとするカンフーマスターたちのそれぞれの人生模様を描いた作品なわけだが、「伝記映画」と謳っている故か、超人的なカンフーマスターたちがドラマティックに絡んでいくように見えて、実は直接的な絡みは殆どない。 アンフェアな予告編に騙されて、“カンフー映画”としてのエンターテイメント性を期待してしまうと、きっと肩透かしを食らう。  ただし、十数年前に「恋する惑星」を観て以来、この映画監督の作品に惚れてしまっている者としては、映画全体からほとばしるその「美意識」だけで、諸々の否定的要素は霧散してしまう。  ハット姿のトニー・レオンが土砂降りを切り裂くように敵を蹴散らす。薄い化粧(けわい)が秀麗なチャン・ツィイーが降雪の中で強く美しく舞う。  ビジュアル的な「美意識」だけが先行してしまっている映画という評は間違ってはいまい。しかし、その「美意識」だけで充分だとも言える。 ウォン・カーウァイがカンフー映画を撮るというのはこういうことなのだ。と、理解してもらうしかない。  兎にも角にも、映画自体の完成度はともかく、大好きな監督の最新作を久しぶりに観られたことの満足度は高い。 ああ、「恋する惑星」が無性に観たくなった。
[映画館(字幕)] 7点(2013-06-16 00:57:03)(良:2票)
39.  グッバイ、レーニン!
有史以来、人類が積み重ね経てきた数々の歴史的分岐点。一つの政治判断に伴う変化により、人々の生活が一変したということは、世界中でそれこそ星の数ほどもある。 そのすべてに共通して言えることは、影響下にあるすべての人々が何の不満もなく受け入れた「変化」などただの一つもないということだと思う。  「東西ドイツの統一」にしてもまさにそうだったのだろうと思う。 分断された国が一つになるなんてことは、表面的な聞こえの良さの反面、非常に根深く絡み合った数々の問題が渦巻いていたはずだ。  そんな歴史の過渡期に生じた大渦の中で、或る一つの小さな家族の「愛情」と、家族を想うからこそ生じたあまりに無謀な「嘘」を、とてもユニークに描き出した映画だった。  東西ドイツの分断と統一の歴史的実情をもう少し詳しく知っていれば、おそらくもっとこの映画が描き出す複雑な心模様を掴めたのだろうと思い、自分の無知が少し悔しい。 ただし、そういう知識が無くとも、息子が最愛の母親を想う気持ちはひしひしと伝わるし、またそれを受け止める母親の気持ちにも最上の感慨深さが残る。  取り巻く社会の劇的な変化の中で生きる若者の心情。ただでさ多感な思いは、大きく揺れ、動き、一つに定まらなかったろうと思う。 それが、母親のための無謀な嘘を貫き通そうとすることで、ある意味クリアになり、また定まらなかった自分自身の意志自体が統一されていった。  その息子の成長を見て、母親は「素晴らしいわ」と遺したのだと思う。
[DVD(字幕)] 7点(2010-04-10 00:41:11)
40.  クライシス・オブ・アメリカ
前々からレンタルショップに行っては、パッケージを手に取り借りようか借りまいか迷った挙げ句、棚に戻すという行為を繰り返していた今作。 デンゼル・ワシントンとメリル・ストリープというある意味“間違いがない”キャスティングを見た時点で、それほど躊躇することはなかったろうと思うが、何か「不穏」なものを感じ取っていたのかもしれない。  「不穏」なんて言葉を使うと、なんだか物凄い駄作だと言わんばかりだが、決してそうではない。トータル的にはよく出来た映画だと思った。  ただし、終始とても“気持ちの悪い”感覚に覆われる作品だと思う。  アメリカの国家を揺るがす程の大陰謀に主人公のデンゼル・ワシントンが気付き、その黒幕がメリル・ストリープで、二転三転しながら巨悪に向かって対峙していくというような、「陰謀」を描いたサスペンス映画にとっては王道的なストーリー展開を想像していた。 しかし、実際に描かれた映画世界は、人間そのものの利害と精神の「闇」が広がり、端的に言ってしまうと、非常に悪趣味だった。  ただその悪趣味さが、そのまま映画に対する嫌悪感に繋がるということはなく、想像に対してアウトサイドな世界を見せつけられつつ、どんどんと引き込まれていく。 それは、「羊たちの沈黙」で禍々しいサイコサスペンスを“名作”として完成させてみせたジョナサン・デミ監督の成せる業だろうと思う。  演出の効果だろうが、多少編集のブツ切り感が目立ち、キャラクターの相関関係も粗いので、展開が伝わりづらいところもあり、完成度が高い映画だとは言い難いけれど、独特の見応えがある映画ではある。   メリル・ストリープの禍々しさが非常に怖い。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2010-03-13 12:46:53)
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