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1.  周遊する蒸気船
アン・シャーリーを連れ戻しに来た男たちを、「甥の嫁は渡さん。」と撃退し、 粗末な身なりの彼女に妹の形見のドレスをプレゼントするウィル・ロジャース。  口の悪い彼に反発していた彼女も、その一件を境にいっぺんに彼を大好きに なってしまう。  彼の右頬にキスし、もらったドレスを大事そうに抱きかかえる彼女の仕草の 何と可憐なことか。  その心変わりを大いに納得させる彼女の素直な瞳が美しい。  絞首刑判決となり護送されるジョン・マクガイアとの別れの際、 駅の丸柱に寄り掛かって悲しむ 彼女の左手の薬指にはめられた指輪をさりげなく映し出すカメラは、 その表情以上に彼女の心情を語る。  偉人の蝋人形を窯にくべていく、といったアナーキーな賑やかさの一方で ヒロインの心情を繊細に演出する細部の気遣いが尚のこと光る。  文句のない傑作だが、ダン・フォードの『ジョン・フォード伝』によると、 就任間もないダリル・ザナックが、すでに完成していた本作の「編集にハサミ を入れてテンポを速め、野放図な所作が見受けられるギャグシーンのあれこれ を切り捨てた」らしい。  確かに映画は展開が早く、グリフィス的救出と大団円後の 後日談などはわずかに2ショットだ。 現在の主流シネコン映画とは真逆の潔く鮮やかな〆具合の現行版も悪くないが、 本来のいわゆる「ディレクターズ・カット版」はどんなものだったのか。 興味はつきない。  「脇道にそれたり、道草を食って筋に関係ない何かに焦点を合せたり、そんな 類のことを軽くやるのが好きだった」(ナナリー・ジョンソン) それがJ・フォード作品の魅力なのだから。   
[DVD(字幕)] 10点(2014-09-06 15:33:49)
2.  十字路の夜
闇夜のカーチェイスが迫真だったジャック・ベッケルの『現金に手を出すな』や 『最後の切り札』。そのノワールなアクションの原型が、ここにある。 なるほど、ベッケルは『十字路の夜』の制作主任兼助監督だったのだ。  ヘッドライトに照らされた夜の街路が、荒々しい前進移動によって生々しく 流れていく。さらに、運転席からの拳銃の発泡が閃光を放ち、緊迫感を煽る。  尋問シーンに幾度か挟まれるコップの水のショット、排水口のショット。 そして霧雨のそぼ降る泥濘んだ街路の質感は、『水の作家』によるトーキー初期作品 らしく、流水や足音の湿った音響によって一層強調される。 自身の初トーキーに水洗トイレ音を響かせたルノワールらしい拘りだ。  胸の傷をピエール・ルノワールに見せるヴィナ・ヴィンフリードの艶めかしさも堪らない。     
[インターネット(字幕)] 10点(2013-11-17 01:08:57)
3.  ジャン・ルノワールの小劇場<TVM>
フル・セットの河岸の美術と照明が素晴らしい第一話「最後のクリスマス・イヴ」。 富者と貧者の残酷な対置があり、第四話の開放的なロケーションと対照する。  第二話「電気床磨き機」は悲劇と喜劇の融合の究極をいく。きれいに磨かれた床に滑って唐突に死んでしまう夫。生者と死者の語らいが対となり、寒色系を配された人工的な都会の姿もまた、第四話とコントラストになる。  ドレスを着たジャンヌ・モローがシャンソンを歌う第三話「愛が死に絶えるとき」。 ジャンヌ・モローの全身ショットから、顔へのクロース・アップへと移行し、またフル・ショットへと引いていく。 彼女の歌唱を一挙に捉える最もシンプルで最良のワンシーン=ワンカット。  そして、第一・第二話の「死」と対比される第四話「イヴトーの王様」には明るい自然光が溢れ、エロスというルノワール的な主題も浮かび上がらせながら「生」が賛歌される。 ルノワールの父オーギュストも愛した南仏ののどかな田園風景は『ピクニック』(1936)、『草の上の昼食』(1959)以来かわらぬ光と風と色彩でフェルナン・サルドゥーの絶望のみならず視聴者をも癒してくれる。  そして映画は、登場人物すべてが笑い出し、キャメラに向かって整列してお辞儀する、最も幸福で至高の大団円を迎える。  ルノワールが最後の作品で説いたのは、『トレランス』(寛容)だった。  
[DVD(字幕)] 10点(2011-04-16 22:48:45)
4.  10話
デビュー作『パンと裏通り』から一貫して登場する曲がりくねった路地の情景。フロントガラス部に固定されたカメラが捉える運転席・助手席の人物の何気ない所作や表情が素晴らしいのだが、その人物の背景を目まぐるしく、あるいは緩やかに流れていく車窓外の変化に富んだ光景もまた、本作を「映画」たらしめる重要な要素といえるだろう。固定カメラゆえに、観る者は二重フレーム(カメラと車窓)外の空間的広がりと奥行きを常に意識せざるを得ない。また、時間や進路の変化によって様々に推移していく陽光・夜の繁華街のネオン光など、予期不能な美しい光が座席の人物に投げかけられ、奇跡的とも呼べる一瞬間ごとの表情の素晴らしさが画面上に掬い取られている。一見、極めてシンプルな構成でありながら、画面上の豊かで複雑な移動感覚と、スリリングな対話の活劇性とサスペンス性によって終始画面から目が離せない。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2009-11-08 19:36:27)
5.  市民ケーン
当時の慣習的な映画話法を尊重しつつ、同時に技法的革新性を模索するパイオニア精神の発露こそ、この映画が時代を超えて支持される所以だろう。音響・撮影・美術・編集・俳優・脚本、諸々のパートが織り成す複雑精妙な知的魅力によって観るたびに新たな発見を与えられ、飽きることがない。  ケーンのポジティブな前半生は順光を基本とした照明、スキャンダル発覚から後半の晩年期および現在期は逆光と陰影を多く取り入れた表現主義的照明で対比させる画面設計。 構図をガラス玉等の小道具やアングル選択、カメラ移動で不安定に歪ませる特異で大胆な感覚。「拍手」のショットを挟んだ場面転換によって多重の意味を付与する秀逸な編集。終盤での、複数の鏡面とそこへの虚像の反映を用いた主題提示の鮮やかさ。幻想的なタッチが強調されたザナドゥの重厚な美術と音響設計(エコー)。複数の役者たちによって矢継ぎ早に交わされる台詞の応酬のスピード感と活劇性。朝食の場面にみられる見事な時間省略法。  語りきれないほど充実したこれらの要素をさらにドラマ的効果として高めたのが、撮影監督G・トーランドの貢献だろう。被写界深度の浅い画面が主流の当時、ストーリーに寄りかかる映画が大半である中、ルノワールら一部の監督が用いていたディープ・フォーカスと長廻しを基本とする撮影をドラマとより密接に連関させることでウェルズは自らのルーツといえる舞台的自由空間を提示する。これによって画面の奥行きを引き出しつつ、手前と奥で同時並行するドラマ対比によって物語の奥行きをも醸成している(母親と、窓外で遊ぶ少年時代のケーン等)。  舞台的演出と映画的演出。それぞれの優位を同時に尊重し、融合させ、発展させているのがこの映画のなによりの美質だ。
[ビデオ(字幕)] 10点(2009-10-10 21:23:38)
6.  姉妹(1955) 《ネタバレ》 
中原ひとみの初々しく、溌剌たる輝き。表情変化の豊かさ、発声の良さ、コメディエンヌとして抜群の運動神経を感じさせる。  同年のオムニバス映画『くちづけ』の一篇でも活発な次女役で見事な快足ぶりをみせるが、この映画でもその見事な走りはもちろん、友人宅の廊下や、凧揚げ場面、寮の階段での見事な転び方や、コミカルな演技の数々で楽しませてくれる。過疎山村の失業問題など、独立プロ的なテーマを盛り込みながらも映画が硬直しないのは彼女の起用に追う部分も非常に大きい。  姉妹愛の主題についてもこの映画は、その観念を実直に具象化してみせる。二人は言葉においてはあくまで個別性・自主性をお互いに尊重し仲違いもするが、彼女たちが画面に登場するときは常に身体的に触れ合わせるよう演出されている。お互いに肩を寄せ合い、手を置き合うという直截な映画表現がこの作品の視覚的な美質だ。 クライマックスとなる姉の嫁入りの日、妹は姉(野添ひとみ)にやさしく手を差し伸べ、自室へと誘う。その触れ合いの身振りが素晴らしい。  また、家己監督の心情表現は様々な小道具の活用においても発揮されている。社会の矛盾に憤る真っ直ぐな次女が、ポンプで乱暴に井戸水を汲む。ここで手桶に納まりきれず溢れ出る水のショットは彼女の思いを見事に視覚化する。不本意な見合い結婚を決めた姉を難詰する妹と、それに答えず一心にミシンを踏む姉。そのミシンが真っ直ぐに縫い進むショットは姉の決意の象徴だろうか。
[映画館(邦画)] 10点(2009-03-08 22:27:46)
7.  不知火海
シリーズ第一作『水俣-患者さんとその世界』(1971)より4年を経て、カラー映画となった『不知火海』はその海の青がひたすら美しい。胎児性水俣病患者の少女が始めて医師に質問をする有名な海辺の場面。引いた位置で海と彼女らを静かに見つめていたカメラが居たたまれないかのように左手にゆっくりとパンし、穏やかに光る美しい海を捉える。また、水俣病であることを否定する老人の弱々しい背中をキャメラは後ろからただつき従うように追うしかない。共にその対象との物理的間合いがスリリングであり、あまりに痛切である。「外部者」と「当事者」間の断絶的な境界で躊躇し自制しながらも、なお患者に寄り添わんとするドキュメンタリー作家の無言の情が画面に表出している。最後を飾るのはやはり、猟師達そして漁船群を包み込むような光に溢れる不知火海の光景だ。単なる美観ではない、その倫理に裏打ちされた美しさが感動的である。
[映画館(邦画)] 10点(2008-12-20 21:32:31)
8.  幸せへのキセキ
人間と人間。動物と人間。 それぞれが物云わず見つめ合う交感シーンでの繊細な眼の表情が、 最後のシークエンスに至るまでことごとく素晴らしい。  虎やグリズリーなどの動物たちだけでなく、不動産のセールスマンや検査官や レジの女性など、端役一人一人に至るまでの目配せも実に丁寧だ。  また、巧みなのは印象的な台詞の反復だけではない。 窓ガラス越しに出会うこと。相手に眼差しを返すこと。陽の光を浴びること。  そうした視覚的主題の反復もまた重なり合って、 マット・デイモンとスカーレット・ヨハンソンの表情の切り返し、 エル・ファニングとコリン・フォードの表情の切り返しをより美しいものにしている。  キャメロン・クロウの選曲自体も相変わらず良いのだが、 夜の動物や虫たちの声を静かな背景音として聴かすべき三箇所で 音楽を被せてしまっているのが残念なところ。 引越し前の賑やかな夜との対比は利かせて欲しかった。 
[映画館(字幕)] 9点(2012-06-11 21:44:19)
9.  ジョニー・ベリンダ
ヒロイン、ジェーン・ワイマンの出のショットとなる納屋のシーン。  雌牛の出産を手懸けるリュー・エアーズの指示で娘が灯りを高くかざすと、その彼女のクロースアップが暗闇から美しく浮かび上がる。 他にも、彼女自身の出産シーンやチャールズ・ビックフォードの葬儀シーンにおけるランプシェードなど、「闇から光へ」の宗教的主題を表すライティングの数々が素晴らしい。  舞台は冒頭の解説で示されるとおり東海岸だが、どうやらロケは西海岸らしい。 テッド・マッコードのキャメラは海沿いの風景を瑞々しく切り取り、嵐の前触れの不穏な感覚なども生々しく捉えている。 複数の人物を的確に配置した屋内のフレーミングもいい。  そして、叔母役:アグネス・ムーアヘッド、ステラ役:ジャン・スターリング、父親役:チャールズ・ビックフォード、いずれも地味な所作の中に人柄を滲ませる芝居で素晴らしいが、やはりジェーン・ワイマンの純真無垢な佇まいと表情が傑出しており、独壇場といって良い。  『舞台恐怖症』での彼女も外面のイメージと合致した役柄でとてもよいが、聾唖の設定である本作の彼女は、視線と手話の柔和な動きとで見事に役を生きている。 冒頭で、生まれた子牛に頬を寄せる彼女の慈愛の所作は、我が子を守り抜く映画の最後まで一貫して美しい。  父親を追悼する彼女の祈りの手話がとりわけ感動的だ。 
[DVD(字幕)] 9点(2012-04-20 23:59:56)
10.  神曲
1931年のサイレント作品『ドウロ河』から、今なお現役バリバリの監督。トーキー、カラー化のターニングポイントで多くの作家が淘汰されていく中、積極的にその技術推移に適応しつつ、作品を問い続ける強かさがここにある。  文学・哲学テクストをめぐる、際限のない対話と独白劇。マリア・ジョアン・ピアスのピアノ演奏。 言語、音楽、観念を肯定し貪欲に採り入れながらもなお映画を逸脱しないのは、それらを乗せる映像即ち視覚に対する意識の強度とセンス故に他ならない。  ピアノ曲は指という身体運動と共にあり、「神」と「罪」という主題は光と闇と色彩と共に、画面に定着される。巻末において登場人物たちが交し合う接吻という行為自体の感動的なさま。 ショットはただ1つの例外を除き、ほぼフィクス。舞台は2ショットを除いて精神病棟を出ることがないが、画面の奥行きと陰影の深みは圧倒的吸引力を持つ。  音、色、光に対する卓越したバランス感覚と、それらを映画へと総合していく意思が漲る。  そして、最後のショットと音がまさに映画を締めくくる。   
[DVD(字幕)] 9点(2010-12-20 22:10:39)
11.  ジャン・ルノワールの演技指導
楽屋裏のテーブルで向かい合った監督兼主演女優のジゼル・ブロンベルジェに対し、まずシナリオの台詞を棒読みすることを要求するルノワール。 曰く「感情を込めずに。」「電話帳を読むような感じで。」  相手を一心に見つめ、彼女の語りにわずかでも感傷のニュアンスを察知すれば即座に指摘し、やり直しを求める。 それは紋切り型の演技や経験則や先入観に囚われることなく、自分独自の表現を創造させるためだという。 その中で、「髪をかく仕草が良い。」とアドリブの所作を褒め、即興を取り入れつつ協同で演技を創り出していく。相手の無意識の小さな癖まで見抜く細やかな人間観察力、的確な助言による協同作業は、画家がモデルの魅力を最大限に引き出していくかのようでもあり、これがピエール=オーギュスト・ルノワール譲りの資質かと思わせる。  物語構成や主題を犠牲にしても、まず役者自身の人間的魅力を生き生きとフィルムに乗せることを第一義とするルノワールの映画術。 それが鮮やかに実践されていく様にただ魅入ってしまう。  最後のショットは、「エミリー」の役を生きるジゼル・ブロンベルジェの長台詞。 見届けたルノワールの台詞「tres bien」の温和な響きにその人柄が偲ばれる。 
[DVD(字幕)] 9点(2010-11-22 19:19:50)
12.  シルビアのいる街で
カフェのシーンの、重層的な画面設計とアングルの妙。「シルビア」の虚像性を際立たせる、窓ガラスへの映り込みの技巧。劇伴BGMなのか、現実音なのか、その真偽を一瞬戸惑わせる強かな音楽用法。主要台詞の極端な少なさと反比例して、鉛筆の擦過音からガラス瓶の回転音まで、過剰なまでの生活音への拘り。細部まで凝った充実した映画であることは確かだが、ここまで演出が勝ちすぎると、もう少し大雑把ないい加減さや生々しさも求めたくなる、というのは贅沢か。雑踏の尾行シーンで行き交うエキストラ達のリアクションに対しても、一見ヌーヴェルバーグ的ではありながら、どこか管理と作為が感じられてしまう。画帳の頁や金髪を舞わせる風のショットの過剰性も。某『映画時評』が言うところの「やりすぎ」感なのだが、逆説としてそれが映画的楽しさといえなくもない。流れる列車の車窓と、そこに瞬間的に映し出される儚い像は映画フィルムそのものを思わせる。いかにも映画の映画らしい。
[映画館(字幕)] 9点(2010-08-08 20:37:45)
13.  シックス・センス
奇しくも、死者との交流と癒しを描いた美しい日本映画『学校の怪談4』(1999)と同年公開である。こちらも子供の視点とアングルを多用した静謐で丁寧な作風が非常に好ましい。微かな音楽、あるいは無音を活かした世界構築と共に、全編にわたり無駄な台詞を極力切り詰めた優れた脚本が本作の静謐さを生む美質のひとつである。一例として挙げれば、亡くなった少女の家庭の状況を、部屋の中を移動する1ショットの合間に、遺族たちの最小限のささやき声と壁の写真のみで十二分に語りきってしまう卓越した手腕。大幅な省略ゆえに、逆に個々の台詞が重み、深みを湛える。または画面の美点。印象的ならせん階段に浮かぶ赤い風船、扉、ドアノブやテントに用いられる赤い配色は余計な宗教的意味合いなどに還元されずとも純粋にワンポイントカラーとして美しく、妖しく映画を彩っている。そしてこれはフィラデルフィアの映画、歴史に埋もれた被迫害者たちの慰霊の映画として忘れ難い。
[映画館(字幕)] 9点(2009-04-17 20:59:51)
14.  春琴物語
同原作では島津版に続いて2度目の映画化。こちらは軟らかなローキーのタッチが特徴的である。春琴(京マチ子)の視覚に同調するように極度に明度に落としながら、その中で舞い散る桜や枯葉、雪、驟雨を美しく浮き立たせ、あるいは終盤の暗闇の中で絶妙の配光で針を鈍く輝かせるといった繊細な照明設計が為されているのがわかる。序盤での暗い廊下の奥から玄関口を臨む構図で捉えられた二人の初めての出会いと、後日談として付加されたラストの佐助の故郷における明るく開放的な入江の光景との対比。それは二人の開眼した心象を示すものだろうか。『忠治旅日記』での極めて情緒的な1ショットのごとく、触れ合う手と手のアップも印象深い。佐助と目の不自由な春琴が手をとり合うショットは度々反復されるが、二人の微妙な心情の機微と変化がその重なる手のアクションの微細な変化として捉えられていく様が見どころである。実演としか見えない京マチ子の琴の演奏も素晴らしい。
[映画館(邦画)] 9点(2009-04-02 23:12:40)
15.  七月のランデヴー 《ネタバレ》 
楽団の演奏に合わせて踊る男女のエネルギッシュな躍動が、周囲で体を揺らす仲間たちの賑やかさと相俟って素晴らしい。  序盤での、電話を介した様々なカッティングはリズムを創り出し、クライマックスでは鏡の見事な使用法に唸らされる。 鏡を背にして立ちすくむヒロイン(ブリジット・オーベール)と対峙するダニエル・ジェラン。 二人の表情のクロースアップが切返され、それぞれの視線が一瞬横に逸れる。鏡に映し出されるのは、ドレスが半開きとなった彼女の後姿だ。 スリリングな短いショット連鎖の中で、ベッケルの平手打ちが炸裂する。 この鏡はもう一人のヒロイン:ニコル・クールセルが序盤で愛らしい姿を映し出すのと対照を為すものでもあり、ほろ苦い。  若者たちの乗り込む水陸両用のボートカー(?)の滑走にも驚くが、ラストが飛行機での飛翔というのもいい。
[DVD(字幕)] 8点(2016-10-10 22:34:23)
16.  シン・ゴジラ 《ネタバレ》 
ドラマパートと特撮パートの比率、構成は確かに第一作を踏襲している感じで塩梅がいい。 官房や防衛省など、相当のリサーチが行われたのだろう。そうしたいわゆるリアリズムの対価として、しがらみや忖度が付随するのはこうした作品の宿命だが、 制約の中で軽やかかつ真摯に風刺を混ぜ込んだシナリオには唸る部分が多い。  当然批判は覚悟しているだろう会議シーンの多さもいわゆる喜八カッティング&アングルと怒涛のダイアログによって活劇化しようという試みか。 実際、颯爽とした石原さとみや市川実日子の台詞廻しなどは内容以上に語りのリズムでシーンを動態化している。 とは云うものの、肝心の凝固剤注入シーンまで台詞で全解説というのは残念だし、長谷川博己が檄を飛ばすスピーチシーンも冗長に感じる。 (語る長谷川は特権的なクロースアップ、聴く側の民間協力企業隊員らは背中か手元だけで表情を一切映さないあたり、徹底して意地が悪い。)  特撮シーンは快晴の昼間、夕暮れ、夜景とバランスよく、庵野的な工場群や電線越しにゴジラを捉えた仰角ショットがよく決まっている。 やはりこういう部分で作り手のフェティシズムがものをいう。 怪獣の歩みによって屋根瓦が細かく振動するなど前半の純日本特撮的な数ショットに心躍るが、後半のビル倒壊アクションなどはハリウッド大作に 先行されている分、分が悪い。 それでも旧作に囚われすぎることなく、火の海を背景に陽炎に滲む「巨神」のイメージを象ったセルフオマージュ等も盛り込んでしっかり己の映画に仕上げているのだから天晴れである。  第一作同様、海のショットで始まるこの最新作。ラストは海へ還すことなく、日本を睥睨させる。
[映画館(邦画)] 8点(2016-07-30 22:55:06)
17.  ジャン・ルノワールのトニ 《ネタバレ》 
『列車の到着』に始まり、列車の到着に終わる。 映画の中で語られた一つの事件も、これから幾度も繰り返されるであろう束の間の出来事の一つに過ぎない、と。 着いた駅から流れ出てくる外国人労働者たちの歩み。石切場の勾配、入り江、鉄橋、官能的な葡萄畑の風景、それら南仏の実景に 同時録音と思しき環境音が生々しく響き、そして労働者たちの歌が印象的に流れている。  中景、遠景を中心とした撮影で風土と人間の存在・動きをまるごと捉える。その引きのショットの距離感が絶妙である。 女が入水自殺を図ろうとボートを漕ぎ出す水辺のショット。逃走するトニが猟銃であっけなく射殺されるショット。  それらは対象を突き放すような、それだからこそ凄味と誠実を感じさせるカメラである。
[ビデオ(字幕)] 8点(2015-11-08 06:07:09)
18.  条理ある疑いの彼方に 《ネタバレ》 
法廷内に据えられたテレビカメラが、審理の模様を中継している。 米国ならではの光景だ。 被告席に座るダナ・アンドリュースは彼に向けられたカメラを正面からじっと見据える。 彼を追い詰めていくのは、自らが捏造した状況証拠だけでなく、 マスメディアのレンズでもある。 『暗黒街の弾痕』のラストで、ヘンリー・フォンダを捉えるライフルの照準器のように。  映画のラスト、奥のドアへと退出する彼に、カメラのフラッシュが追い討ちをかける。 彼に浴びせられる、その唐突な白光が容赦無い。  予断を煽る新聞のセンセーショナルな大見出しや 儚く灰となる、証拠写真のネガ。  そこにメディアの危うさもまた浮かび上がってくる。 
[DVD(字幕なし「原語」)] 8点(2014-01-25 23:56:24)
19.  ジャンゴ 繋がれざる者 《ネタバレ》 
ロバート・リチャードソンによる、ライトの強弱を極端につけた メリハリのある画面が西部劇によくはまっている。  会食シーンの張りつめた緊張感も、このライティングあってのものと云っていい。  松明の並ぶ夜襲場面の斜面のスケール感や、 バウンティ・ハンター:ジェイミー・フォックスの初仕事となる場面の 崖上からの俯瞰ショット。 または玄関口を見下ろすレオナルド・ディカプリオ邸の広間など、 高低を活かした空間処理が随所でドラマティックな効果をあげている。  ポイントを押さえた高速度撮影ショットのケレン味も、アップとロングの配分も、 作品トータルのドラマツルギーも、ジャンルのルールに忠実すぎるほど忠実であり、 その安定感こそ逆に不満要素かも知れない。  イーストウッド後では、本来タメとなるべきヒーロー&ヒロインの身体的被虐シーンも まるで物足りなく映ってしまう。  逆に、フォックスとクリストフ・ヴァルツが作中で二重の芝居を貫くために ポーカーフェイスを己に課す、その冷静を装う表情と内なる怒りのせめぎ合いが呼び込む 映画のエモーションこそ強烈だ。  上に並べた映画テクニックの巧さより何より、そこが本作の要だ。  あくまでクールな素振りと表情のまま、臨界点を超え 復讐のアクションに突入していく二人の姿に揺さぶられる。 
[映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2013-03-23 23:19:00)
20.  人生の特等席 《ネタバレ》 
ベネット・ミラー『マネーボール』では裏方に徹する功労者を表わすように、 ブラッド・ピットの像は濃い陰影が強調されていた。  イーストウッド&トム・スターンなら更にロー・キーかと思いきや、 ストーリーの明朗さとロケーションの解放感にあわせて、 ポジティヴな画調が爽やかだ。  暗闇が活かされるのは、 エイミー・アダムスからの電話をそれと知らずに悪態をついてしまう イーストウッドを照らすランプの灯や、夜の漆黒の湖、 忌わしい過去を仄めかす短いフラッシュバック映像くらいである。 その回想の中に一瞬現れる彼の禍々しい形相はやはり 『タイトロープ』からのものだろうか。  スコープサイズを活かした横並びの対話劇。 それを捉える奇を衒わない構図と編集。その堅実な語り口に品がある。  視力の衰退した静のイーストウッドに対し、 ビリヤードにダンスに投打にと、颯爽とした動が 魅力的なエイミー・アダムスが彼の球を打ち返す。  楽しげにグラウンドを駆ける娘と、彼女を眩しそうに見る父親。 そこで緩やかに旋回するカメラと、 静かに流れる音楽によって豊かな情感が流れてくる。  そして、彼女は何の躊躇もなく携帯電話を軽やかに投げ棄てる。  その決断のアクションのシンプルさ・軽快さこそが素晴らしい。 
[映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2012-12-03 23:52:44)
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