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1.  シャイニング(1980) 《ネタバレ》 
ホラーだというのに画面はいっつもピーカン照りというか、暗い照明のシーンなんて皆無。それで、その明るさでもって恐怖感をかもし出させるような演出であり、やっぱりただ事ではない作品なのだと思う。   あらためて、伝説になっているジャック・ニコルソンの怪演などよりも、恐怖におののくシェリー・デュヴァルの演技の恐ろしさに釘付けになってしまい、全部観終わったあとにその部分だけ(ジャックの原稿を読んでしまい、ジャックに追いつめられて階段を後ろ向きに上って行くシーン、それからジャックがドアを斧でぶち割る背後で恐怖に叫ぶシーン)二度見してしまった。すっごい!
[CS・衛星(字幕)] 9点(2014-11-22 12:35:01)
2.  ジャーロ
まるでその現場に観客も立ち会っているみたいな、ゆらぐ手持ちカメラによる映像(カメラがとめられた車に近づいて行くとき、「ほら、ここで車の窓におそわれた女性の手がはりつくぞ」と期待すると、その通りの展開になる)。いつものどこかメランコリックな音楽。極彩色の画面。画面を赤く染める血。「鮮血の美学」である。もう、ストーリーなんかどうだっていいではないか。エイドリアン・ブロディ(犯人役との二役を楽しんだだろう)も、エマニュエル・セニエも、ちょっと期待したほどでもなかったけれど、「羊たちの沈黙」以降のサイコメトリストものの影響をたっぷり受けながら、「それがどうした」みたいな演出になっているあたりが、さすがダリオ・アルジェント、である。ある意味で、「捜査」と「人命」とどちらが大切なのかという、「サイコメトリスト」否定という文脈で観られなければならないのかもしれない。唐突なエンディングには「えっ!」と、思わず笑ってしまったけれども、みごとなエンディングだと思った。やはりダリオ・アルジェント、偉大なり。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2012-01-15 09:57:06)
3.  沈まぬ太陽 《ネタバレ》 
●ううーん、ひっさしぶりに、ド汚い画面の、しょうもない紙芝居映画を観たという感じではある。いろいろな場面での画面の汚さというのはもう特筆モノで、こんな汚い画面を撮れるのはやっぱり、あの「出口のない海」とかのあの監督か、と思ったら、これはこれでまた別の監督ではあった。ところがこの作品、ナイロビでのロケの場面だけ、撮影クルーががんばっている。この場面だけ、ふつうに映画としていい画面になっている。ここだけはどうやら別クルーでの撮影になったわけだろうけれど、演出姿勢が一貫していないので、ここでの鳥瞰撮影などいいんだけど、映画としてはまったく無意味だったりする。まあナイロビでのドキュメント撮影とかになれている現地によく行っているスタッフが、ここでがんばっちゃったんだろう。まるで映画のなかでナイロビにとばされた主人公「恩地」そのままのような状況ではないのか。●70年代以降、この日本では露骨な組合つぶしが国の政策になり、たとえば国鉄の民営化などがその最大のイヴェントだったりするわけだけれども、この作品でのマフィア映画の観すぎのような演出で、そのような状況が観客に伝わるだろうか。ドライに伝えたいのか、それともウェットにせまりたいのか、根本的な演出姿勢がぐらついているという印象。
[CS・衛星(邦画)] 1点(2011-07-13 11:34:39)
4.  白いリボン 《ネタバレ》 
●北ドイツの小さな村におこったあれこれの事件、それらの事件に通底したものは何だったのかということを、単純な犯人探しのミステリーを越えた、もっと大きな歴史の流れのなかに置いて描く演出にはみていても背中がゾクゾクしてくる。●映画は、その村に外の町から来ている教師の語りで進行することになり、この教師が村のなかの人間関係を深くは知らないということからはじまり、それでもだんだんに「いったいこの村に何が起こっているのか」という真相に近づいていくわけになる。しかし映画はその教師の知り得ないことがらをも目撃し、観客に知らせることになる。映画で語られるあれこれの事件にかんして、語り手の教師と、その恋人(婚約者になる)のエヴァという女性だけが、ある意味であれこれの事件にまったく無関係な立場にあるように描かれるわけだけれども、では、この語り手の教師はいったい何者なのか、この教師の回想にはどんな意味があるのか、というあたりまで含めてのこの作品であって、この教師がこの村でのそれらの事件の裏にあるものを垣間見て、その事件ぜんたいの構造を想像でき得ていたとして、ではこの教師はどういう存在になるのか、というあたりをこそ、この作品はいいたいのではないのか、などと思うわけである。この教師にも、「白いリボン」は結び付けられているのではないのか。●ハネケの作品には、なにからなにまで、「これにはこういう意味がある」などと解読してしまうことで、そのいちばんのテーマが手もとからすり抜けてしまうようなところがある。スクリーン上で展開するものからはみ出てしまうものこそを感知すること、そんなことが観客には要求される。だからわたしにもこの作品の背後にあるものなどほんとうにはわかっていないだろうと思うし、わかったような顔をしてストーリーを解読してもしかたがないじゃないか、などと思うわけである。ただ、彼の作品にはヴィジュアル的にひとをゆさぶる、ショッキングなショットがかならずあるわけで、それは監督が観客に贈るインヴィテーション・カードのようなものでもあると思うのだけれども、この「白いリボン」では、牧師の娘がその父の鳥かごの鳥のあたまをハサミで切断し、その羽根を拡げてあたまの部分にハサミを刺し、十字架のようなかたちにして父の机の上に置いたショットあたりではなかったか。
[映画館(字幕)] 7点(2011-06-12 18:51:17)
5.  シャッター アイランド 《ネタバレ》 
冒頭の船上の映像からして、わざとスクリーン・プロセスみたいな非現実的な撮影になっていて、まあ作為たっぷりだなあと思うわけだけれども、みていて、ああこれは夢野久作の「ドグラ・マグラ」なんだなあと、気づくわけである。そうするとこのスコセッシの演出は雰囲気たっぷりで、つまりはすこぶる面白いわけで、監督の手腕をみせつけるわけである。ただ残念なのはこの結末の「モンスターとして生きつづけるか、善人として死ぬか」という選択肢の提示で、このあたりにスコセッシという監督の、カルトになれない限界もまたあらわれているように思うのだけれども、つまりこういうところに理性というか、理性による二元論を持ちこむのがスコセッシの悪いクセで、そんなことはことばで説明しないでみせるのが映画というものではないのか、ということになる。そこに、たとえばキューブリックの「シャイニング」や「時計じかけのオレンジ」などとの差異が生ずるわけだろう(キューブリック作品を手放しで賛美するわけではないけれども)。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2011-04-26 12:03:29)
6.  しびれくらげ 《ネタバレ》 
「でんきくらげ」にひきつづき、渥美マリや川津祐介、玉川良一が出演している。渥美マリは前にも増して一本調子の演技になり、川津祐介もその一本調子に合わせて同じようなことをやる。これが奇妙なアンサンブルというか、この映画のちょっとした個性になっているように見える。だからやはり前作のようにストーリーに膨らみを持たせるようなことはやっていない、直線的な演出なのだけれども、それが悪いというわけでもない。こちらでは、玉川良一のかなり強烈な個性の「ダメおやじ」が、準主役級の活躍で、彼が登場人物すべての運命をひっかき廻し、当人は平然としてまたとんでもないことをやらかしていく。素晴らしい。  ヒロインの渥美マリのまわりに集まる男たちは、皆彼女を利用してそれを金銭に換算しようとする。彼女はダメダメな父も愛したいし、心から愛せる男を求めてもいる。それでも物語の終りに父は金欲を絶って更生できるかどうかはわからないし、ヤクザから足を洗って欲しいと願う男もやはりどうなるかわからない。ラストにビル街を無表情に歩き抜けていくヒロインに希望があるのか、絶望しているのか、その表情からは読み取れない。彼女もまた「運命の誤差」を求めて、硬貨ならぬ小切手を投げているのかも知れない。  もうここまで来ると「しびれくらげ」などというタイトルは内容と何の関係もないけれども、映画内に出て来る週刊誌のグラビアに掲載された渥美マリの写真、その写真の彼女の肢体に対して注がれる男たちの欲望のまなざしをこそ作品化した、ちょっとしたメタ構造作品とは読み取れるだろう。「しびれくらげ」というタイトルも、そういうメタ構造の中にあるものだろう。
[DVD(邦画)] 7点(2010-05-08 11:18:21)
7.  ションベン・ライダー
脚本(原案?)はレナード・シュレーダーで、撮影に田村正毅の名前が見える。  いきなりの超長回しで始まり、カメラはぐんぐんと移動して行き、ドラマは場所を変えて拡がって行く。観ていてこれは壮大な野外劇(の記録)なのだろう、という印象を持ち、ストーリーの飛躍、登場人物のシンボル性などから、唐十郎のテント芝居を思い出す。特にこの作品では、「川」というものを、場として非常にうまく活かしている印象で、逃走シーンの多くで、川の存在が場面をつくっている。少年少女たちが歌をうたって高揚感を盛り上げて行くのは、「台風クラブ」にも活かされていたけれども、ラストの「あさま山荘」的な場面での展開(この家屋の構造は実に演劇的)は、観ていてワクワクした。観終ってもやはり、唐十郎の演劇などとの親和性を考えてしまったが、「観たことのない映画」という感覚で、興奮した。
[DVD(邦画)] 8点(2010-05-08 11:09:42)
8.  地獄門 《ネタバレ》 
「平治の乱」の時代を背景に、平家に代表される粗野な武士階級の擡頭と、貴族階級と共に没落して行く平安文化の姿を、三人の男女の悲劇として象徴的に描いた作品とみる。もちろん、琴のつま弾き手である袈裟(京マチ子)が平安文化を象徴する存在で、おそらくは(自分を庇護してくれた)夫の階級の無力さ、以後の没落を予想し、権力で美の世界を牛耳ろうとする武士階級の隆盛を予測しての行動であろう。それでも、登場人物の誰一人として是認し得る行動を執れていないと思える辺りに、悲劇の悲劇である処の美学が美しく描かれているだろう。 終盤の公卿の屋敷を歩く三人の登場人物の背後の影、色彩が、それぞれの人物の心理をも顕わしているようで、観ていて息を呑む。色彩設計(近代美術館に作品も展示されている画家、和田三造が担当)も見事な、日本映画の傑作だと思う。この時代の日本映画の隆盛振りは素晴らしい。
[ビデオ(邦画)] 8点(2010-01-18 11:43:28)
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