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ユーカラさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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41.  バーレスク
カウンター席に並ぶC・アギレラとシェール。そこへ一旦はクラブを辞めたクリスティン・ベルが戻ってくる。すかさず、スタンドチェアを回転させて彼女に背を向けて場を外すアギレラ。そのあくまでドライで毅然とした所作がいい。  続く控え室の鏡台の場面。両者は鏡を介して互いを意識しあうが、その二人に対しカメラは交互にピントを送り、二人同時に焦点を合わせることをしない。従って二人は画面上では視線を交えることもなく、対話を交わすこともない。互いに尊重しつつも、馴れ合いを潔しとしないライバル同士の高貴なプライド。それらをシンプルな描写の中に垣間見せる、その視線のドラマがいい。  シェールからアギレラへ、睫と唇への触れ合いを通して擬似母娘の関係を築く化粧シーンもまた、簡潔にして情感豊かだ。柔和な画面が美しく、これも鏡台を巧く使っている。  歌曲では、唯一同時録音的な効果のある「Tough Lover」が白眉。 アギレラの声量が遺憾なく発揮されると共に、客席のざわめき、嬌声、雑音の満ち干きが採り入れられて、舞台・客席相互感応のライブ感がよく出ている。  その分、逆に他の曲の別録が気になってしまうのが皮肉なところ。重低音の音楽は気持ちよいが、リズム重視のカッティングの連続で少々飽きる。 せめてシェールの「You Haven't Seen The Last Of Me」くらいは同録でお願いしたい。
[映画館(字幕)] 7点(2011-01-03 16:45:34)
42.  ハナミズキ
『涙そうそう』に続いて有名楽曲をモチーフにしたアイドル映画だが、 安易な死を用いた泣かせ志向の脚本も相変わらずである。  ヒロインの生活感や身体感覚の欠如ぶりも初作『いま、会いにいきます』から全く進歩がない。新垣結衣はプラトニックな世界で単に物語に沿った喜怒哀楽の表情演技を見せるのみである。   たとえば「稲荷寿司を既に食べてしまった」というやり取りが象徴するように、この映画で彼女がまともに食事するシーンはほとんど無い。この映画に限ったことではなく、現在の「アイドル」映画の一般的傾向で、寝・食という非物語的かつ非アイドル的行為は説話的経済性と女優イメージ保護からか真っ先に映画のシーンから排除される。 結果的にヒロインは人間味を欠き、浮世離れする。  実際は物語的には無意味にみえる日常的な食事こそふとした人間味を露呈させる生活行為であり、優れた演出家は人間描写として食事シーンを決して疎かにしない。 ヒロインの実在感の希薄さ、人間性の欠如の一因は心理の説明不足などではなく、演出家の身体行為に対する感覚の欠如に由来するというべきだろう。  その点、生田斗真の朴訥とした所作と方言と労働ぶりはまだ共感性が高い。  原曲のモチーフとはいえ、甘い恋愛ドラマのお飾り程度に9.11やら戦場カメラマンを利用する安直ぶりも気になる。
[映画館(邦画)] 4点(2010-08-29 22:01:41)
43.  パリ20区、僕たちのクラス 《ネタバレ》 
冒頭での教師同士の自己紹介などを除き、基本的に物語に関する背景や説明的描写は大幅に省略され、原題通りカメラは校舎の外へ出ることなく教師と生徒、あるいは教師同士のコミュニケーションをひたすら捉えていく。通俗的起承転結も大団円もなく、彼らの間では葛藤・摩擦・対立が次々と生起し、授業そのものが優れてサスペンスフルな劇となる。多国籍・多人種・多階級の社会を生きる生徒たちと教師による舌戦の丁々発止ぶりが非常に面白い。強かであったり、反抗的であったりと、個性豊かな生徒達の表情に現れるフィクションと写実のせめぎ合いが画面に緊張を漲らせ、非常に見応えがある。カメラは教室の全体像を収めることはなく主として発言者の横顔を大きく捉えるが、同時に周囲の生徒たちのリアクションも確りフレーム内に収めており、画面はフレーム外の世界と、共存者たちの存在を常に意識させる。極端に狭い校庭で、教師と生徒混合でサッカーに興じるラストの図はほとんど個人戦の様相だが、その雑然感が良い味を出している。  
[映画館(字幕)] 7点(2010-07-21 20:27:04)
44.  春との旅 《ネタバレ》 
例によって、ゴーストタウンのごとく往来のまるで無い殺風景な地方の街路。『バッシング』でも、『愛の予感』でも、小林作品に登場する「北の辺境」は無機質で人間味を欠き、主人公らの殺伐とした心象の反映といった具合で一面的に捉えられる。それでもこの作品はオーソドックスな脚本の趣向によるものか、東北や道南地区(牧場シーン等)の生活感のある暖色系のロケーションや、徳永えりの羽織るジャケットの印象的な赤が作品に温かみをもたらしている。  『白夜』ほどではないにしろ、佐久間順平の音楽は心情説明的で少々押し付けがましいなど不満もあるが、祖父と孫娘のツー・ショットと歩行、食事、その様々なバリエーションと反復表現にはやはり妙味がある。序盤の拒絶の身振りから、旅館の二階と一階それぞれの窓から外を見る二人のショット、仙台の大通りのベンチで肩を寄せ合い眠る二人のショット、腕を組み牧場の坂を駆け下りていく二人のショット、そして冒頭と対になるラストの電車シーンへと、二人が横並びとなるシーンは触れ合いの所作とともに滋味と幸福感を醸していく。  また、味覚以上に活力としての食事が描かれるのもまた小林作品独特の味だ。ラーメンのスープ、コップの水も必ず飲み干させている所が良い。  その他、印象的な細部として、配膳する徳永の手付きをさりげなく見守る淡島千景の視線。一泊目の夜、旅館の風呂場で徳永が口ずさむ歌声の澄んだ響きなどが忘れ難い。
[映画館(邦画)] 7点(2010-06-12 21:02:18)
45.  パリの灯は遠く
カメラは『召使』のように部屋の間を不穏な感覚を伴って移動しながら、深度の深いパンフォーカスで的確に構図を決めていく。画面奥を動く人物、室内の調度品や絵画類、衣装といった情報密度の高い背景と細部は説話とも密接に連携し、ショットの持続が生む緊張感と相俟って最後まで映画は弛緩することがない。二人のクラインを駅ホームの前景・後景で重ね合わせる構図取りの見事さ、鏡や窓への主人公の映り込みや等身大の影(虚像)を多用した主題の視覚的提示等々、あらゆるショットが細心に設計されている。市街を走り周る黒塗り車の動きの異様な不気味さ、鋭角的なパースをもって強調される駅構内やゲットーの威容(美術:アレクサンドル・トローネル)も圧巻である。随所に深い「緑」を配した渋い色調設計も終始徹底され、夜の路地や移送列車のシーンの、闇の深みも素晴らしい。DVD版の画面は少し明るすぎの感あり。ビデオ版の濃厚な暗さのほうが本来志向された画調のように思われる。
[DVD(字幕)] 9点(2010-05-19 19:59:39)
46.  パブリック・エネミーズ
捜査本部内を歩くジョニー・デップの表情とその主観を捉えたスローモーションの何ともいえない浮遊感覚、彼の顔を白く照らし出す日差しの感覚が、どことなく『ヒート』でトンネルに入った車中のロバート・デ・ニーロを包みこんだ悲劇的な光を思い起こさせる。(無論、映画館内で彼を照らすスクリーンからの照り返しも。)ロッジでの銃撃戦や、マリオン・コティヤールと向かい合う砂丘の場面などで強烈な印象を放つ夜間の特異なライティングも、光源が不明ゆえにどこか超現実的な感覚を画面にもたらす。そのコントラストによってさらに深さが引き立つ漆黒の闇。銃撃戦の中、冷え込んだ林の中にたち登る夜霧の峻厳かつ夢幻的なショットはとりわけ素晴らしい。一方で、日中場面はネイサン・クロウリーによるセット・デザインと実景の迫真性が活きる。20年代を扱った『チェンジリング』にもCG処理による街並みのショットがさりげなく用いられたようだが、この作品はほとんど二次加工なしではないだろうか。脱獄時の暗く狭い通路、銀行前の通り、ところどころ残雪のある隠れ家、映画館前などの臨場感が見事である。
[映画館(字幕)] 8点(2009-12-23 18:08:52)
47.  パンドラの匣
不整呼吸の固パン(ふかわりょう)を安静させる夜の場面、停電した道場の場面全般、看護婦長・竹さん(川上未映子)が床磨きをする薄明の場面など、薄暗い場面が単に薄暗く不明瞭なだけでことごとく見栄えしない。特に固パンを安静させた竹さんが小さく欠伸する横顔のショットなどは、主人公ひばり(染谷将太)が彼女に惚れ直す場面であり、何度も回想されるショットだけに尚のこと照明術を駆使して彼女の魅力を引き立てるべきだと思う。日中の窓外を青白く飛ばす趣向も、無意味に人物を逆光で潰す結果にしかなっていない。マア坊(仲里依紗)との布団部屋の場面に見られる特異なアフレコ効果や、独特の言い回しを用いたリズミカルな会話劇など、音声面での技巧への拘りは窺える一方、画面の、特に照明効果に関する無頓着が惜しまれる。エンディング・ロールの集団スローモーションはとても素晴らしい。
[映画館(邦画)] 5点(2009-11-03 21:01:37)
48.  バニー・レークは行方不明
ムルナウの『最後の人』に匹敵するくらい、ほぼ全編が「ドア」やそれに類する開閉装置(門、窓、トランク)のショットに満たされ、そのいずれもが見事に活用されている。(オープニングとエンディングも黒地画面の開閉である。) ドアを介した人物の頻繁な出入りと縦横の移動撮影を組み合わせたショット接続は映画の運動感を高め、また舞台となる保育所、屋敷、病院、人形ショップなどの家屋構造を立体的に表現する機能を発揮している。  人形の並ぶショップ地下室の不気味なムード、キャロル・リンレイが夜の病院を脱出するシークエンスから犯人との対決までの緊迫感の持続はこの優れた空間提示の賜物だ。  尚且つ、ドアをめぐるアクションはその鍵の用法や所作によって主要キャラクターの心理を表象化し、内/外の分断というドラマ上の伏線としても機能する重要なアイテムといえる。  まさに「ドア」の映画。序盤から持続するサスペンス感覚が、ブランコの揺り戻し運動を高所から捉える不安定なカメラによって視覚的にも極大となっていく展開も見事。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2009-10-27 20:35:55)
49.  BALLAD 名もなき恋のうた
水面上を移動するカメラがゆるやかに河辺の娘に寄っていく。ススキの生い茂る水辺。思わず、溝口健二『山椒大夫』の安寿を想起する。娘(新垣結衣)は髪型も安寿(香川京子)そっくりだ。『三丁目の夕日』の劇中に図らずも『雨月物語』を忍ばせた山崎貴らしい衒いのないしたたかさ。ここから、溝口的主題も浮かび上がってくる。『山椒大夫』の安寿、『近松物語』のおさんと、溝口映画の中で時代のシステムの犠牲となる女性を演じてきた香川京子が、クライマックスで自由を求め駆け出していく新垣結衣を感慨深げに見送る。そこで初めてアップとなる彼女の柔和な表情の素晴らしさ。大女優に対する敬意に満ちた感無量のショットである。小津安二郎を思わせずにはおかない記念写真の使い方も秀逸だ。全般的にショットはシネスコを上手く活かし、アップを抑制しながら長めのショットで役者の演技をじっくりと見せる撮り方で非常に好ましい。水辺での二人掛けの殺陣や、敵本陣への朝駆けから乱戦への突入、本陣内での決闘まで、いずれの擬斗シーンもカットを割らずにしっかりと草彅のアクションを撮っている点を大いに評価したい。河辺の場面で、四名を捉えていたショットを微妙なカメラのずらしで二者の会話に移行させていく巧さ。ラストで新垣が城門から画面手前まで走ってくるのを望遠の長回しで捉えたショットの長さによって、最後の銃声のショックを強調する演出。少年の一家が現代へと消える瞬間を、新垣の微妙な目の表情変化とフレーム外の音で処理する演出などなど、VFXの監督がしかるべき場面では自らの得意技に寄りかかることなく、シンプルな映画的工夫に徹する姿勢が実に好ましい。実写映画はあくまで実写的に映画を志向すれば良いのであって、別物であるアニメ原作に隷属する必要など全くない。映画の中で、少年の目が変化していく(実写ならではの)見事さ。しっかりと「成長」が描かれた映画である。
[映画館(邦画)] 8点(2009-09-14 20:35:36)
50.  裸のキッス
開巻と同時にまさに襲い掛かるバイオレンスの唐突性と、タイトルバックでコンスタンス・タワーズが鬘を直すカメラ目線のインパクトがもたらす不穏な感覚に一気に引き込まれる。  撮影スタンリー・コルテスによる夢幻的で美しい画調と、露悪的な主題提示のギャップも強烈に倒錯的である。 特に絶妙な光加減が醸しだす夜間場面の妖しいまでの艶かしさは比類ない。その対象を輝かせるキーライトの強さは逆に表情の側面に落とされた暗い影の強さをも際立たせ、人物の後ろ暗い一面を暗示的に浮きあがらせるようでもある。  最後の俯瞰ショットで、陽光を受けながら出所する彼女に対し、取り巻く街の住民たちが建物の影の中に配置されているのは偶然だろうか。  子供たちの縄跳び遊びやレコード・録音テープ等の回転運動、合唱、クロースアップ。これらの反復がニュアンスを変えながらクライマックスに収束していく絶妙な語り口が素晴らしい。
[DVD(字幕)] 9点(2009-08-30 16:04:45)
51.  ハウルの動く城
街中を歩く主人公たちの後景では、様々な人々が往来している。実写でいうところのパン・フォーカスであり、そこでは物語とは直接的に関わることのない市井の一人一人が驚くべき細かさで描き分けられている。予算上・技術上・手間の問題から最も省略されがちなこうした「その他大勢の生物たち」のアクションにこの映画はひたすら拘りぬく。そうした手間をかけた動画だからこそ、映画最初期の「リュミエール工場の出口」の1ショットが捉えたような、世界を構成する豊かな要素(煙、風、雲、光、影、仕草)に気付かせてくれる。テレビアニメの功罪によって本来最も肝要であるべき動画の豊かさが軽視されてきた流れの中でこれほど徹底して人間の基本動作を高度にアニメートした作品は稀だ。劇中で「歩く」ことの大切さが語られるが、この映画は終始、様々な人々の様々な歩行・登行のアニメーションにもこだわりを見せる。それも一般的に枚数節約のために用いるリピート動画ではなく、その一歩一歩をこの映画は手抜き無く描く。終盤で、生きている大切な火を移動させるためにバランスを取りながら階段を慎重に下りるヒロインの動き、重い材木を懸命に運ぶ動きなどは絶品の職人技だ。「活き活きと人が歩く」それだけで映画が感動的足り得ることを最初期の映画やヌーヴェルバーグの映画群と共に宮崎映画は証明する。宮崎駿は「ストーリー・テーマ最重視、動画最軽視」が主流の業界の中でのあくまで「アンチ」として位置する。前作「千と千尋~」にも連なる明快なメッセージは、不可解なもの・異質なものに対して「わからない」と拒絶し他人に責任を押し付けることなく、その世界を受け入れ、順応し、積極性を発揮していくヒロイン像に打ち出されているはずである。
[映画館(邦画)] 9点(2008-07-23 22:49:50)
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