181. 県庁の星
《ネタバレ》 これは面白い。 失礼ながら期待値は低かっただけに、嬉しい不意打ちを食らわせてもらった気分です。 劇中においても、こういった気持ち良い「不意打ち」が幾つかあって、特に印象深いのは主人公が婚約者に振られてしまう場面。 ここは観客の自分としても、主人公の気持ちとシンクロして「出世コースから外れたので振られてしまった」とばかり思っていたのですよね。 けれど、実際はそうじゃない。 「私の事を見てくれなかった」のが破局の理由であり、思い返せば、確かに伏線(=主人公は仕事について考えてばかりで、彼女のウェディングドレスを選ぶ際にも上の空)が張られていたのですよね。 これが「理不尽な裏切り」ではない「心地良い意外性」となっており、自分としても、この場面をキッカケとして(これは思っていたような映画とは違うぞ……)と襟を正して観賞する事が出来たように思えます。 潰れそうなスーパーを主人公が再生させる話といえば「スーパーの女」という先例が存在しており、あまり目新しさは望めないだろうと覚悟していたのですが、そんな予想も覆される事になりましたね。 あちらの作品は、ちょっと意地悪に解釈すれば「絶対的に正しい主人公が、間違っているスーパーを改革する話」という、やや一方的な内容であったのに対し、本作では公務員の主人公と店で働くヒロイン、それぞれに「正しい部分」「間違っている部分」が存在しており、対立を経て互いに認め合い、欠点を補完し合っていくという内容なのです。 それが非常に好ましいというか、自分の感性に合っていたように思えますね。 他にも「水で手を洗おうとしたら、蛇口が汚くて躊躇する主人公」という些細な描写で、その性格を端的に示してみせる辺りも好みでしたし「プライドの高さゆえ僅かなお辞儀しか出来なかった主人公が、研修期間を終えて店を立ち去る際には深々と頭を下げる」というベタな演出を挟んでくれる辺りも心地良い。 最後の最後で、店を守る決め手が「カンニング」という辺りには幻滅しかけましたが、そこで、またまたサプライズ。 それまで役立たずとして描かれていた店長が、意地を見せて店を守る形となっているのも嬉しかったです。 現実的な題材であるにも拘らず、そこかしこにリアリティの乏しい部分が見受けられる事。 主人公とヒロインが恋愛関係になる必然性は無かったように思える事。 そして、店のパートと行政パートが、あまり密接に絡んでいない辺りなど、色々と粗も目立ってしまうのですが、それでも全体としては長所の方が多かったかと。 研修を通して主人公が学んだのは「素直に謝る事」「素直に教わる事」「何かを成し遂げるには、仲間が必要だという事」と語る件も良かったですね。 完全無欠のハッピーエンドとはいかず、女性知事の狡賢さ、強かさを見せ付けるシニカルなテイストも備えており、それで後味が悪くなるかと思いきや、主人公は全て承知の上であり、前向きな姿勢と共に終わってくれたのも素晴らしい。 「そう簡単には通らないはずだ」「でも、諦めない」という、一時的な努力だけで済まさない、努力を継続する決意の恰好良さが伝わってきました。 その第一歩が、県庁におけるエスプレッソの有料化という、非常に小さなものであった辺りも、ユニークな落としどころだと思います。 面白い、楽しめたというのは勿論ですが、それ以上に「気持ちの良い映画」でありました。 [DVD(邦画)] 7点(2016-12-29 08:20:51)(良:2票) |
182. 忠臣蔵 花の巻・雪の巻(1962)
《ネタバレ》 正統派の「忠臣蔵」映画としては、これまで観てきた中でも五指に入る出来栄えではないかと思われます。 (ちなみに、正統派ではない変化球で真っ先に思い付くのは1990年のドラマ版です) とにかく、余計な事をしていないというか、必要なエッセンスだけを抽出した感じがして、観ていて安心させられるものがありましたね。 基本的には1954年版の同名映画のリメイクと言って良い内容なのですが、あちらが当時としては斬新な演出や解釈を色々と盛り込んでいるのに対し、こちらは旧来通りというか、真っ当な娯楽映画に仕上げてみせたという印象です。 岡野金右衛門が大工の娘と恋仲になる件の尺が長いのと、三船敏郎演じる俵星玄蕃の存在感が強過ぎて浮いているように感じる辺りは難点でしたが、きちんと作中のクライマックスを「討ち入り」に定めている為、全体のバランスとしては整っているように思えました。 特に感心させられたのが、吉良上野介の描き方。 冒頭にて「前々から浅野には怨みがあった事」「上司から浅野への復讐を促されていた事」などが語られている為、何故わざわざ意地悪をしたのかと、観客に疑問を抱かせない形になっているのですよね。 そういった情報を前もって提示する事で吉良側の動機を補強しつつ、浅野に対する場面では存分に「嫌味、吝嗇、欲深な爺様」っぷりを披露して(こりゃあ浅野が怒るのも分かるわ……)と思わせてくれるのだから見事。 作り手としては、恐らくそんな意図は無く、吉良の悪役っぷりを際立たせる為の台詞だったと思われますが「臆病と言われれば、それはいっそ儂には自慢になる」と言い放つ姿なんかも、妙に人間臭くて、自分としては好感を抱きました。 加山雄三が内匠頭を演じるというのは驚きでしたが、生真面目で、気が強くて、病的なくらいにプライドが高いという、難儀な人物を見事に演じており(こういう役も出来るんだなぁ)と感心させられましたね。 刃傷を起こした後、乱心したという事にすれば罪も軽くなるのに、それを潔しとしなかった堅物っぷりにも、説得力があったと思います。 内匠頭を描く上でネックとなるのは「自分の行いによって家臣達が路頭に迷うとは思わなかったのか? 本当に名君なのか?」という点なのですが、本作においては「賄賂が横行する現在の政治は間違っている」という正義感が動機の一つとなっている為、一応浅野側の言い分も理解出来ます。 松の廊下の件でも「先に手を出したのは吉良」という形になっており、浅野側が正しいという作中の価値観に対し、反感を抱かずに済むようになっていますね。 討ち入りの場面に関しても、二十分ほど掛けて丁寧に描いており、充分に納得のいく出来栄え。 雪を踏む足音に合わせるように流れる伊福部音楽は、最初こそ「ゴジラかよ!」とツッコませてくれますが、慣れれば「忠臣蔵らしい、重厚な迫力がある」と思えました。 暗い屋敷内に、侵入者側が蝋燭を配置していく流れなんかも面白くて、堂々とした合戦ではなく「夜陰に乗じて寡兵で攻め込んだ奇襲戦」である事を実感させてくれます。 また、吉良を殺害する場面を直接描かない事、事件後の切腹の様子をナレーションだけで済ませた事も、効果的でしたね。 それによってネガティブな印象が薄れ、本作は「主君の仇討ちを果たした赤穂浪士が、誇らしげに町を歩く姿」という、鮮やかな印象のまま完結を迎える形となっており、若干の苦みを含みつつも、後味は爽やか。 自分が忠臣蔵モノで何か一つ薦めるとしたら、上述の1990年のドラマ版なのですが、そういった変化球作品を楽しむ為には、やはり本作のような真っ当な魅力の「忠臣蔵」も味わっておくのが望ましいのでしょうね。 久々に、王道の魅力を堪能させてもらえた一品でした。 [DVD(邦画)] 7点(2016-12-05 18:23:50) |
183. 炎上
《ネタバレ》 小説では味わえない映画の魅力の一つとして「音」があります。 本作においても、作中の関西弁が早口であり、それによって主人公の吃音の「周りと歩調が合わない、取り残された感じ」が際立っていたのが印象深いですね。 序盤にて主人公が金閣寺(=驟閣寺)に見惚れているシーンで、唐突に音楽が流れだす演出などは「ちょっと分かり易過ぎるかな」とも思いましたが、総じて音楽は秀逸であり、それでいて多用する事は無く、静かな場面の方が多かった事も好印象。 また、何と言ってもラストにおける、燃える寺の囂々とした焼け音が素晴らしかったですね。 モノクロ映像ゆえか、それまでは驟閣寺の美しさを感じ取る事が出来なかった中で、炎上するその姿からは、圧倒するような美を感じられました。 原作小説には愛着がある為、柏木(=戸刈)よりも重要な人物であろう鶴川の出番が殆ど無い点。 そして、主人公が列車から身投げするという結末も、原作の「生きようと私は思った」という前向きな姿勢とは全く正反対である点などは、正直抵抗もあったりするのですが、そういった先入観を排し、一本の映画として観賞すれば、充分に楽しめる代物だと思います。 主演の市川雷蔵は、相変わらず惚れ惚れするような演技巧者っぷりだし、彼の悪友を演じる事となる仲代達矢の存在感も素晴らしい。 「あんた、その片端の脚が自慢なんやろ?」 「片端やなかったら、誰一人振り向いてくれる人あらへんもんな」 なんて痛烈な台詞を吐く新珠三千代の姿も、忘れ難いものがありました。 原作において、何よりも美しいと感じられたのが、あれほどのドン底に落ち込みながらも、なお生きようとした主人公の最後の姿だった事に対し、本作においては「驟閣寺と心中しようというかのように、刑事を振り払って身投げする主人公」の姿が、非常に醜く描かれているように思える辺りも、何だか興味深い。 様々な意味で原作小説とは異なる、意図的に対とした結末であるように感じられました。 [DVD(邦画)] 7点(2016-10-29 19:33:55) |
184. ロボコップ(2014)
《ネタバレ》 黒いロボコップが恰好良いという、それだけで満足してしまいそうになる一品。 フェイスオープンの状態から、バイザーが下りると同時に赤い目が光り、戦闘開始となるシーンなんてもう、痺れちゃいましたね。 正面玄関からバイクでビルの中に突っ込み、着地するより先に飛び降りて、その勢いのまま膝蹴りを敵のED209に見舞うアクションなんかも、これまた最高! その後、左腕がED209の亡骸に挟まって身動き取れなくなったら、自ら左腕を切断して窮地を脱する展開なんかも、実に良かったです。 ここは、痛みを感じない「ロボコップ」だからこそ成立するシーンであり、キャラクター性を活かしたアクション演出として、大いに評価したいところ。 黒人の相棒警官が、黒いスーツを纏った主人公に対し「これで色も相棒だ」と笑顔で軽口を叩いてみせるも、別れた後に、その「黒い背中」を悲しげに見つめる表情なんかも、味わい深いものがありました。 「最高のヒーローは?」「死んだヒーロー」という会話も、独特の皮肉が利いていましたし、ゲイリー・オールドマン演じる博士が、一旦は敵に買収された振りをして、その後にロボコップを助けようと奔走する姿も良かったですね。 特に後者に関しては、中盤にて「命令には逆らえない小心者」だと示すシークエンスがあっただけに、越えてはならぬ一線だけは越えずに踏み止まってくれた事が、本当に嬉しい。 主人公がロボコップとなった後、機械ではない「生身」の部分が、どれだけ残っているのかを見せ付けられるシーンも、非常に衝撃的。 もう決して元の「人間」には戻れない。 「ロボコップ」として生きるしかない……と思い知らせる効果があり、そういった布石があるからこそ、ラストの「機械ではなく人間である事を証明する」シーンの感動が、一際大きくなっているのだと思います。 勿論、過去作における銀色のボディもレトロで、メカメカしくて味があったのですが、自分としては如何にも「戦闘用」という趣きがある今作の黒ボディの方が好み。 それだけに、黒ボディが破損した後のエンディングでは、銀色のボディに変わってしまっているのが、実に残念。 「人間としての感情を取り戻した明るい笑顔」には銀色の方が相応しいし、元々「没デザインとなった銀色ボディも存在する」という伏線が張られていた以上、壊れたボディの代理として使われるのは自然な事なのでしょうが、出来るなら最後まで黒で通して欲しかったところです。 また、ニュース番組にて激昂するサミュエル・L・ジャクソンを映し出し、ブラックユーモアを叩き付けるように終わる手法も、決して嫌いではなかったのですが……どちらかといえば、家族の再会で綺麗に終わらせてくれた方が、より好みだったかも知れません。 いずれにせよ、旧三部作においても2の妻との対面シーンが一番好きだったりした自分としては、家族愛を中心に据えて作られている事が、非常に嬉しかったですね。 結局は命令に逆らえず機械のまま生き続ける1987年版とは全く違った、人間としての自分を取り戻し、家族とも再び一緒になるという、掛け値なしのハッピーエンド。 こういう「ロボコップ」が観たかったんだと、胸を張って言える作品でありました。 [DVD(字幕)] 7点(2016-10-08 11:26:21) |
185. 3人のエンジェル
《ネタバレ》 「男が遊びで女装するのは女装趣味」 「女性への変身願望が高じてチン切り手術をするのが性転換者」 「ファッションにこだわってハデに着飾るゲイがドラッグ・クイーン」 「人生を楽しめない女装坊やは、ドレスを着ただけのガキよ」 という作中の台詞が、とても興味深い。 第三者からすると、ついつい「ゲイ」と一括りにしてしまいそうな中にも、様々なタイプがいて、それぞれ拘りを持って生きている事が窺えましたね。 本作はキャスティングだけでも「この人達が女装するなんて、それだけで面白いに決まってるじゃん!」と予見させるものがあり、この辺りは元ネタであろう「プリシラ」よりも上手かったように思えます。 作中にて、ウェズリー・スナイプス演じるノグジーマを、か弱い女性と思って絡んでくる男共には(なんて命知らずなんだ……)と逆に心配になってしまうし、案の定あっさり撃退されちゃう姿には(当たり前だろ!)とツッコミつつも、笑いを抑え切れなかったです。 パトリック・スウェイジ演じるヴィーダが勢い良くドアを蹴り開けて、夫婦喧嘩に乱入し、妻を殴る暴力夫を殴り飛ばして家から追い出す展開なんかも、実に痛快。 この辺りは、彼らがアクション映画で活躍する姿を知っているからこその面白さなのでしょうけど、初見の人でも「えっ、こんなに強かったんだ!」という衝撃を味わえて、楽しめるのではないかなと思えます。 ちょっと気になったのが「メル・ギブソンのお尻はキュートだわ」という台詞。 「ハート・オブ・ウーマン」(2000年)でも彼は「可愛いお尻ちゃん」と評されていたのですが、あれはこの作品を踏まえてのネタだったのか、それとも米国ではメル・ギブソンのお尻がキュートというのは共通認識なのか? と、そんな疑問が浮かんできて、若干集中が乱れてしまいましたね。 また、作中のドラッグ・クィーンが三人とも「喉ボトケ」が無ければ女性と見紛うような美貌という扱いなのも、戸惑うものがありました。 女装コンテストで地区優勝しているのだから、作中世界の認識では美女と分かっていても(どう見ても男じゃん……)とノリ切れない感じ。 今となっては(それも一種のギャグなんだ)と納得出来ますが、初見では違和感の方が大きかったです。 キャットウーマンやワンダーウーマンといった、有名なアメコミヒロインの名前が出てくるのはテンションが上がりましたし、終盤にて描かれるボビー・レイとボビー・リーの恋模様なんかも、実に微笑ましくて良かったですね。 心を通わせ合った女性と別れる事になったヴィーダが「愛してるわ」と言われて「私もよ」と返すのではなく「あなたに愛されて、本当に幸せだわ」と応えるのも、何だか凄く切ない。 もしも、ヴィーダが同性愛者ではなく異性愛者に生まれていたら、二人は「親友」ではなく「恋人」という関係になれたのではないかなと、ついつい考えてしまいました。 仲間から「自分の性を隠すために女装してる」と指摘され、ショックを受けていたヴィーダ。 そんな彼女が、男でも女でもない「天使」だと言われ、嬉しそうな笑顔になる姿には、本当に爽やかな気分を味わえましたね。 ラストにて、ハリウッドの女装コンテストに優勝してジュリー・ニューマーに祝福されるのも、ヴィーダの方が良かったんじゃないかと思えたのですが、この辺りは「第三の天使」とも言うべきチチの成長を示す為、仕方ないところなのでしょうか。 涙を流すような感動とも一味違う、笑顔になれるタイプの感動を味わえる。 そんな、魅惑的な映画でありました。 [DVD(字幕)] 7点(2016-10-04 05:43:42)(良:1票) |
186. ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣
《ネタバレ》 南海の孤島が舞台の怪獣映画という、実に好みな一品。 ちょっとしたリゾート気分も味わえるし、何よりキングコング(1933年版)同様に「怪獣が大き過ぎず、強過ぎず」なバランスが心地良いのですよね。 このくらいの「民家の倍程度の大きさの怪獣」って、妙に親近感が湧くというか、子供の頃に「怪獣と友達になるなら、ゴジラみたいな大き過ぎるサイズじゃなくて、キングコングくらいのサイズが良いな」と考えていたのを思い出したりしちゃって、とにかく大好きなんです。 ストーリーに関するツッコミ所は、余りにも多過ぎるので逐一指摘するのは止めておきますが、そんな中「メインは人間VS怪獣の物語である」という点に関しては、大いに評価したいところ。 しかも軍隊ではなく、あくまで一般人の主人公達が銃を手にして戦い、ガソリンを使ってゲゾラを火あぶりにしたり、ガニメの眼球を狙撃して盲目にした後に崖から落としたりするのだから、手に汗握るものがあります。 「こういうのを見たかったんだ!」と、喝采を浴びせたい気分になりましたね。 ただ、終盤にはお約束の「怪獣VS怪獣」そして「火山が全てを解決エンド」という形になっており、非常に残念。 単純に怪獣特撮という観点からしても、ゲゾラが現地の村を襲っているシーンがピークであり、以降はそれを上回る衝撃を味わえない形となっているので、何だか尻すぼみに思えてしまうのですよね。 憎まれ役だったはずの小畑さんが、最後の最後に人間の意地を見せて、自らの体内に巣食う宇宙生物もろとも自決する展開に関しても (火口に飛び込む姿を、もっと上手く撮ってくれていたら感動出来たのに……) と、勿体無く感じてしまいました。 怪獣映画といえば、人間のエゴに対して反省を促す終わり方が多い印象がある為、こういった形の「人間賛歌」とも言うべき結末は珍しく、好ましいものがあるだけに、手放しで作品を絶賛出来ない事が、何とも焦れったい。 そんな具合に、贔屓目で観ても、色々とディティールの甘さが気になってしまうような、隙の多い本作品。 それでも好きか嫌いかと問われれば、迷い無く「好きだ」と答えられる、愛嬌に満ちた映画でありました。 [DVD(邦画)] 7点(2016-09-30 04:07:24)(良:3票) |
187. キングコングの逆襲
《ネタバレ》 「ゴジラ対メカゴジラ」(1974年)に先駆けて、劇中で「キングコング対メカニコング」を行っている事。 そして1976年版の「キングコング」に先駆けて「コングに同情的なヒロイン」を描いている事は、特筆に値しますね。 それらの要素は日米合作のテレビアニメ版(1967年)を基にしている為、単なる二番煎じとも言えそうなんですが…… 見方を変えれば「アニメだからこそ許されるような展開を、実写でもやってみせた」という訳だし、本作の存在意義は大きかったように思えます。 個人的にお気に入りなのが、中盤におけるコングと恐竜との戦いの場面。 これは勿論、1933年版の展開をなぞっている訳なのですが「恐竜を倒した後に、顎をパカパカするシーンが無い」という違いがあったのです。 (あそこを再現するかと思ったのに、やらないんだなぁ……) と寂しく思っていたところで、死んだのを確認しなかった報いとばかりに、実は生きていた恐竜がコングに噛み付く展開となり、これには (そうきたか!) と嬉しくなっちゃいましたね。 倒された恐竜が泡を吹いてみせる姿は、現代目線だと間抜けに思えたりもするのですが、この辺りは古き良き特撮映画の愛嬌として、あたたかい目で見守ってあげたいところ。 クライマックスとなる東京タワー上での戦いも良かったですし、これまた1933年版の展開を逆手に取ったような「コングではなく、メカニコングが高所から落下する」という脚本でもってして、主役のコングを死なせずに、ハッピーエンドで終わらせた辺りも見事でした。 怪獣映画としては珍しく、人間ドラマの部分も退屈させないものとなっており、天本英世が演じるドクター・フーなんて、実に良い悪役っぷりだったと思います。 終盤、悪人であったはずのマダム・ピラニアが裏切って、味方になってくれる辺りは少し説得力に欠けますが、元々が謎の多い女性であった為「実は良い人だったんだ」と考えれば、何とか許容範囲内。 その他、当時の特撮邦画のお約束として、別の映画からの使い回し場面などもあり、色々と粗も見つかってしまう映画なのですが…… 愛嬌の方が目立っていて、あまり気になりませんでしたね。 海を渡って故郷へと帰っていくコングの背中に「終」の字が重なって幕を引く演出にも、渋いなぁと唸らされました。 「キングコング」が愛される理由としては、ラストにてコングが死んでしまう悲劇性が大きいと思うのですが、それに対し本作では「コングが死なないハッピーエンドでも、これだけ面白い映画が撮れるんだぞ」と証明してみせた形になっており、大いに満足。 楽しい時間を過ごせた一本でした。 [DVD(邦画)] 7点(2016-09-23 01:19:12)(良:1票) |
188. 息子(1991)
《ネタバレ》 何といっても、終盤における次男のアパートでのシーンが素晴らしかったですね。 息子が良い娘さんと結婚してくれるのが、もう嬉しくて嬉しくて眠れなくて、思わず唄い出してしまう老父の姿が、何とも微笑ましい。 それまでが結構「しんどい」描写も多かったりしただけに、あそこで一気に救われたというか、心が晴れやかになるのを感じられました。 息子達は「出来の良い長男」「出来の悪い次男」という対比になっている訳ですが、後者の方に同情的というか、真に父親想いなのは次男の方であると感じられる描き方にしている辺りは、如何にも寓話的。 長男だって父親や弟の為を思って、色々考えて行動しているのに、どうにも空回りしていたのは、ちょっと可哀想でしたね。 次男目線では非常に幸福な映画なのですが、長男の側にも、もう少しフォローが欲しかったところです。 そんな長男が、父親に対しては方言で話すのに、会社で同僚や部下に接する際には標準語に切り替わる描写を自然に挟んでいる辺りは、実に上手い。 中々方言が抜けなくて、その事にコンプレックスを抱いている様子な次男とも、良い対比になっていたと思います。 また、次男が鉄工所に務めるようになった後、お風呂場で気持ち良さそうに汗を洗い流し「働く喜び」を感じる描写なんかも良かったですね。 序盤にて「汗水垂らして働く事」を軽侮していた台詞があっただけに、余計に響いてくる形。 やれ「あの頃の方が良かった」だの「どうなるのかね、この国の将来は」だのと、こんな昔の映画の中でもオジサン連中が愚痴っている事には苦笑しちゃいますが、何時いかなる時代でも見受けられる風景なのだろうなと思えば、何だかほのぼの。 戦中は部下に対して厳しく接し、手を振るう事もあった伍長さんが、何十年振りかに部下と再会したら、ひたすら低姿勢で謝るだけというシーンなんかも、シニカルな笑いを感じられましたね。 上述のように、老父がアパートで眠れぬ夜を過ごすシーンは本当に大好きなのですが、ラストにて、実家へと帰り、誰もいない部屋で一人「家族みんなが、この家にいた頃」を懐かしんで終わる形だったのは、ちょっと受け入れ難いものもあったりして、残念。 「次男が孫を連れて、里帰りしてくる未来」を思い描き、父も生きる希望を取り戻した様子だったのに、結局は過去の出来事こそが最も幸せであったかのような描写で終わってしまったのが、何だか凄く寂しかったんですよね。 勿論、未来だけでなく、過去も大切にするのは良い事だと思います。 ただ、個人的な好みとしては、駅に着いた後の、地元の知人とのやり取り 「息子と会って来たか。幸せだな、おめぇは」「……あぁ、幸せだ」 という台詞で終わってくれた方が、より傑作に仕上がったのではないかな、と思えました。 [DVD(邦画)] 7点(2016-09-18 19:15:39)(良:1票) |
189. ぼくのプレミアライフ
《ネタバレ》 姉妹編「2番目のキス」に比べると、何処か真面目で、御洒落なセンスすら漂わせている本作。 「趣味」か、それとも「愛する女性」かと、世の男性に対し二択を迫るような内容となっており、観賞後は色々と考えさせられるものがありましたね。 結論から先に言えば「一番大切なのは愛する女性、趣味は二番目」という、ごく真っ当な答えを出したエンディングとなっているのですが、主人公はアーセナルの優勝決定の瞬間には「趣味」であるサッカー観戦の方を優先させている為、ちょっと中途半端な印象も受けてしまいました。 あるいは、長年の宿願であるアーセナルの優勝を目に出来たからこそ、スッキリとした気持ちになって、一歩進んで、大人になれたという事なのでしょうか。 この辺りの心理に関しては、劇中で必要以上に説明しない演出となっている為、解釈が分かれそうなところです。 スタジアムに連れて行った父親も引いてしまうくらい、サポーター活動に熱中していく主人公の姿は、何処か微笑ましくて、好印象。 「大人が何かに夢中になって、何故悪い?」という主張にも、大いに共感を抱きましたね。 このくらい強烈に没頭出来る趣味があるというのは、羨ましい事だな、と思えます。 優勝出来なかった時の失望が怖くて「どうせ無理」「絶対に負ける」なんて悲観的な事を呟き、自らの心に予防線を張っておく主人公の気持ちなんかも、同じスポーツファンとしては、実に良く分かりますね。 それだけに、優勝決定のゴールが決まる瞬間には、完全に気持ちがシンクロして、大いに興奮する事が出来ました。 その一方で、彼とは正反対な現実的思考のヒロインに関しても、きっちりと描かれていたんじゃないかと。 一定の理解は示しつつも「父親になるのだから、もっと落ち着いて、大人になって欲しい」と訴える姿は、説得力満点。 これだけしっかり者の奥さんがいてくれるなら、多少子供っぽい旦那さんでも、家庭は安泰だな……なんて、男目線で無責任に考えてしまったくらいです。 ラストシーンにて、二人は明確に「結婚」というワードを口にした訳ではありませんが、寄り添いながら歩く姿を見ていると、無事に夫婦になれたのじゃないかな、と思えますね。 生まれてくる子供は、父親に似てアーセナルファンになってくれるのかどうかも、気になるところです。 [DVD(字幕)] 7点(2016-09-05 12:30:00)(良:1票) |
190. 赤毛のアン/完全版〈TVM〉
《ネタバレ》 こういった映画を鑑賞する際には、主人公の子供側ではなく、保護者である大人側に感情移入する事が多くなったなぁ……などと、しみじみ実感。 とにかくもう、マシューとマリラの老兄妹が素晴らしかったですね。 主人公のアンが、子守の仕事をサボって読書に熱中したり、自分をやたらと「悲劇のヒロイン」アピールしたりする姿に、少々ゲンナリしていたところで、この二人が登場し、大いに和ませてもらったという形。 作中の大人達が、次々にアンを叱ったり、厳しく接したりする中で、マシューおじさんだけが彼女を気に入り、優しく接してくれるのだから、アンだけでなく観客の自分にとっても、彼は本当に癒しの存在という感じなのです。 妹のマリラおばさんのキャラクター性も抜群で「なるほど。ツンデレとは、こういう女性を指すのか」と、思わず感心してしまったくらい。 当初はアンを嫌っていたはずの彼女が、段々と愛情を抱くようになっていく姿が、本当に丁寧に描かれているのですよね。 それだけに、駅でアンの旅立ちを見送る二人の姿と 「あの時(孤児院には男の子を頼んだのに)女の子に間違えてくれて良かったな」 「あれは神の思し召しですよ。ウチには、あの子が必要だった」 という台詞のやり取りには、じんわりと感動。 気が付けば、マシュー以上にマリラの方がアンを可愛がっていて、そんな妹にマシューが少し呆れているような様子も、実にチャーミグでした。 終盤、アンが帰郷した際に、農作業中のマシューが心臓の発作で倒れてしまうのですが、その時の会話も、素晴らしいの一言。 「私が男の子だったら、畑の仕事を手伝えたのに」 「そう思った事は無いよ」「女の子で良かった」「自慢の娘だ」 と、幸せそうに語りながら息を引き取る姿には、思わず落涙。 父娘の絆に、大いに心を揺さ振られました。 そんな具合に、自分としてはマシュー視点の映画として、娘を見守るような気持ちで観賞した本作。 でも、全体の主人公としては、間違いなくアンである訳で、その少女漫画的なストーリー展開には、多少の違和感を覚えたりもしましたね。 ギルバートとの恋愛模様に関しては、特にそれが顕著であり、彼がやたらと都合良くアンの前に現れる事なんて、もしかしてギャグでやっているのだろうかと疑ってしまったくらいです。 ボートが壊れて溺れそうになったアンを助ける姿や、ラストシーンで馬に乗って現れる姿なんて、典型的な「王子様」キャラといった感じ。 この辺りは、やはり女性向けの作品なのかな、と思わされました。 とはいえ、そんな具合に「女性向け」の内容が苦手であるはずの自分さえ、これだけ感動させられたのだから、凄い映画である事は、疑う余地が無いかと。 また何年か経った後に、今度は懐かしさと共に観賞して、穏やかな世界に再び浸ってみたくなる…… そんな一品でありました。 [DVD(吹替)] 7点(2016-09-01 10:37:00)(良:2票) |
191. ドラフト・デイ
《ネタバレ》 アメフトには詳しくない自分ですが、それでもジョー・モンタナやジョン・エルウェイの名前が出てきたり「ザ・ドライブ」の映像が流れたりすると、興奮するものがありましたね。 本作は、そんなスター選手の再来になれそうなくらいに将来有望なクォーターバックの指名権を獲得する為、GMである主人公が悪戦苦闘するというストーリー。 ドラフト全体の一位指名権を手に入れる為「三年分のドラフト一巡指名権」を手放してみせる冒頭の決断にも驚かされましたが、終盤にはそれを凌駕する程の「魔法の如き交渉術」を見せてもらう形となり、気持ちの良いドンデン返しを味わえました。 基本的に劇中では情報収集と交渉を重ねるだけで、派手なアクションは殆ど出て来ないのですが、それでも飽きずに最後まで観られるのだから、これは凄い事です。 恋愛模様やら、家族との感動エピソードやらも絡めている点に関しては、個人的には然程楽しめず (ドラフトの駆け引きオンリーに絞って欲しかったなぁ……) と思わされたりもしたのですが、それらに長尺を割いている訳でもない為、何とか許容出来る範囲内。 今になって振り返れば、そういった諸々の要素も、ハッピーエンド色を強める効果があって、良かったんじゃないかと思えてきます。 上述の一位指名候補に対し、疑問符を抱く最大のキッカケが「誕生日会にチームメイトが誰も来ていない事」だった辺りも面白い。 こういった些細な情報から「こいつはプロで通用するか否か」を見極めていく流れが、良質なミステリーのように知的昂奮を誘う形となっているのですよね。 最終的に、主人公は元々自チームに所属しているクォーターバックの能力、人格を再評価して、ドラフト指名は他のポジションに移す事となる訳ですが、そうなるに至るまでの描写も、実に丁寧。 「作戦書の最終ページに張り付けておいた百ドル札」のエピソードなんかは、特に良かったですね。 それまでの積み重ねも併せ (未知の新人よりも、このクォーターバックに投げさせて欲しい!) と思わされるからこそ、ドラフト指名の瞬間に痛快さがある訳で、本当に上手いなぁ……と感心させられます。 不満点というか、ちょっと気になった点としては、作中における主人公のドラフト戦略が「いくらなんでも絶賛され過ぎな事」が挙げられるでしょうか。 全体の流れを把握している観客ならともかく、断片的な情報しか知らないはずの地元のファンまで完全に掌を返して騒いでいるのは、少しやり過ぎな気がしましたね。 特に、成功の代償として「三年間の二巡目指名権」を失っている事が、終盤では意図的に無視されているような辺りが、どうも引っ掛かります。 また、上述の一位指名候補は、人格に問題ありとして指名を回避したはずなのに、暴行事件を起こした過去があるランニングバックを指名する辺りも、ちょっと一貫性を感じられなくて、残念。 クォーターバックの対比において「真に優れたプレイヤーは、人格的にも優れている」というメッセージ性があり、一位指名したラインバッカーも家族想いの良い奴だという描写があったのだから、暴行事件に関しても「あの時はイカれてた」で済まさず「実は冤罪だった」とか、もっと明確なフォローが欲しかったところ。 そして何といっても物足りないのは、このドラフトの結果が成功だったのか失敗だったのか、答え合わせが行われるシーズン開幕と同時に、映画が終わってしまう点ですね。 これはもう、実に残酷。 あそこで終わるからこそ「ドラフト」の映画として完成されるのだという事は分かりますが、だからといって納得出来るものでもありません。 無粋かも知れませんが、エンドロールにて「それぞれの選手達が、どんな活躍を果たしたのか」を、テロップで表示して欲しかったなぁ……と思わされました。 そして願わくば、チームがスーパーボウルを制し、勝利の喜びに包まれる瞬間まで、是非ともお付き合いさせてもらいたかったところです。 [DVD(字幕)] 7点(2016-08-31 15:04:11) |
192. ディープ・カバー
《ネタバレ》 潜入捜査を題材とした映画は好みなので、充分に楽しむ事が出来ました。 何といっても、主演を務めたローレンス・フィッシュバーン(ラリー・フィッシュバーン)の目力が素晴らしい。 冒頭、潜入捜査官を選抜する為、黒人警官達に面接を行うシーンがあるのですが、何の予備知識も無いと、ここで「んっ? こいつが主人公?」と思わせるような潜入捜査官候補が、次々に登場する形になっているんですよね。 でも、幾つかの面接が不首尾に終わり、フィッシュバーンが画面に現れた途端に「間違いなく、この男が主人公だ!」と納得させられてしまう。 それほどまでに、その精悍な顔付きと、鋭い眼差しには、独特の存在感が漂っていました。 父親が麻薬中毒であった為に、厳しく自己節制し、酒も飲まずにいる主人公。 そんな彼が、潜入捜査で麻薬の売人として振る舞い「悪」になりきろうとする内に、段々と自らの内面に眠っていた「悪の素養」とも言うべき一面と向き合う事になる脚本が、実に秀逸。 終盤、彼が酒を飲み干し、麻薬にも手を出してしまう場面では「とうとうやってしまったか……」という、人が堕落する瞬間の、後ろ向きなカタルシスさえ感じられましたね。 仮初めの生活を行う裏町のアパートにて、近所の少年を可愛がる主人公に対し、その子の母親から「あの子が好きみたいね。二千ドルで売ってあげる」と提案されるシーンなんかも、潜入した先の闇の深さが窺えて、印象深い。 また、売人としてコンビを組む事になった、ジェフ・ゴールドブラム演じるデビットとの、奇妙な友情も良いんですよね。 主人公に正体を告げられた後も「デカでもいい」と答え、一緒に悪党としてのし上がっていこうと誘い掛ける姿なんかも、忘れ難い魅力がありました。 あえて不満点を挙げるとすれば、主人公が最後の最後で「正義」を選ぶキッカケとなる「牧師さん」の出番が少なめである為、その決断に今一つ重みを感じられなかった事。 そしてラストシーンにて、上述の少年の母親の墓に、手向けの花と現金を添える行為によって、主人公が少年を引き取った事を示す演出が、ちょっと即物的に思えてしまったくらいでしょうか。 隠れた傑作と呼ぶに相応しい、もっと多くの人に観賞してもらいたくなるような、そんな一品でありました。 [ビデオ(字幕)] 7点(2016-08-21 19:55:16) |
193. 永遠の0
《ネタバレ》 「上手い」と感じる部分と「ズルい」と感じる部分とが混在しており、評価が難しい一品ですね。 まず、本作はフィクションであるはずです。 にも拘らず、さながら事実をそのまま映像化したような印象を与えてしまう。 これは創作物として非常に優れた点であると同時に「現実と虚構の区別をつかなくさせる」作用も大きく、純粋に「映画」として楽しむ事を妨げているようにも思えました。 実質的な主人公である宮部久蔵というキャラクターは、非常に魅力的ですね。 軍人でありながら命を惜しみ、誰にでも敬語で礼儀正しく接して、端正な顔立ちの二枚目。 大人しくて卑屈な性格かと思いきや、仲間の尊厳が踏み躙られた時には上官に反抗だってしてみせるという、正にフィクションだからこそ許される存在。 この映画のタイトルに「実録」なんて付いていようものなら(これ、絶対美化しているよね?)と疑ってしまうのは避けられなかったはずです。 積極的に戦争に参加していないくせに、実は凄腕のパイロットであるという矛盾した一面も良い。 同僚と「模擬空戦」を行い、瞬時に相手の背後を取って、鋭い眼光で睨み付けている時の姿なんて、とても格好良かったです。 上述の「ズルい」部分に該当する話でもあるのですが、この映画って「戦争は良くない」という基本スタンスでありながら、空戦シーンは非常に面白く撮っていたりするのですよね。 主人公が零戦を宙返りさせる姿にも、思わず見惚れてしまうような魅力があり、そういった意味においては「軍人に憧れる子供」を生み出してしまう可能性はあるかも。 その一方で「上手い」と感じたのは、作中において大きな謎である「何故、命を惜しんでいたはずの宮部が特攻したのか」に対して、明確な答えを出さなかったという事。 作中の情報から推測する限りでは、教え子達が次々に特攻して死んでいくのに、自分だけが生き延びるという罪悪感に耐えられなかったからだと思えます。 ただ、自分としては、この「理由を知りたいのに決して知る事が出来ない」という現象が「何故なら、その人は死んでしまったから、訊きたくても教えてもらえないのだ」という答えに繋がっているようにも感じられたのですよね。 恐らくは戦争行為における最大の喪失であろう「人の死」が「決して明かされる事のない謎」を生み出してしまったという、何とも悲しい結末。 だからこそ、特攻していく宮部の姿を最後までは描かず、不思議な笑みを浮かべさせたまま、戦死の直前で終わらせたのだと思われます。 一度死んで0になってしまったものは、永遠に0のまま、1には戻らない訳です。 面白いというか、少々意地悪なユーモアを感じられたのは、現代パートにおいて宮部の孫が「特攻と自爆テロの違い」について語る場面。 ここは作中の流れを踏まえて考えれば「特攻は無差別に民間人を狙ったりしない。空母だけを狙うのだから、自爆テロとは違う」という結論で終わらせても良かったはずなのです。 けれど、本作においては議論の相手から「昔の日本軍を美化して考えるのは、今現在の自分に不満があるがゆえの逃避行動だ」という指摘が行われており、結局それに対して宮部の孫は反論出来ず、大声で怒ってから逃げ帰るというストーリーにしている。 この「特攻を美化して話す人間の格好悪さ」を、意図的に描いているような辺りは、良いバランスだなと思えました。 山崎貴監督は、基本的には好きな監督さんですし、本作においても家族愛を軸に据えて、万人が感動出来るような形に仕上げてみせたのは、実に見事だと思います。 ただ、どうも演出過剰な面もあり、ラストに零戦の幻影を見るシーンなんかは、それが悪い方向に作用してしまった気もしますね。 あそこは、もう少し静かに余韻を残して、平和になった現代の姿を映し出すだけでも良かったかも。 その一方で、過剰だからこそ良いと思えたのは、宮部の戦友である景浦が感情を発露させる場面。 「特攻がどんなものか、見ていますよね?」 「殆ど敵艦に辿り着けていないって!」 「殆ど無駄死にだって!」 と訴える姿には、大いに心を揺さ振られるものがありました。 もし、この映画に何らかのメッセージが込められているとしたら、それはこの叫びに尽きるのではないかな、と思う次第です。 [DVD(邦画)] 7点(2016-08-11 19:58:46)(良:1票) |
194. 黒蜥蜴(1968)
《ネタバレ》 美輪明宏こと丸山明宏の妖艶さに酔いしれる映画ですね。 とはいえ、あくまでも「女装した男性の美しさ」といった感じであり、劇中では純粋に女性として描かれている事に、多少の違和感もあるのですが、それでも文章にすれば「主演女優」「彼女」という表現が自然と飛び出してくるのだから、我ながら驚かされます。 そんな彼女と「人形」とのキスシーンにも「三島先生、何やってるの!?」と吃驚。 著作を読む限りでは、結構お堅い芸術家肌の人というイメージがあったのですが、こんな剽軽な一面もあったんだなと、妙に感心させられました。 脇役である松岡きっこも、主演女優とは正反対の、まだ初々しい純情な美しさがあり、画面に彩を添えている形。 その一方で、探偵の明智役には、もっと美男子を配しても良かったのでは? と思ったりもしたのですが……この物語において黒蜥蜴が惹かれたのは「明智小五郎の容貌」ではないのだから、知的さを漂わせる木村功で正解だったのでしょうね。 落ち付いた声音の魅力を、長椅子越しに黒蜥蜴と対話するシーンなどで、じっくり堪能する事が出来ました。 ラストシーンの耽美さも勿論素晴らしかったのですが、個人的に最も心惹かれたのは、黒蜥蜴が男装した姿を鏡に映し出し、その「もう一人の自分」に語り掛ける場面。 「返事をしないのね。それなら良いわ」 「また明日、別の鏡に映る、別の私に訊くとしましょう」 という台詞回しには、本当に痺れちゃいましたね。 本作における黒蜥蜴は、普段の姿は「女装した男」にしか思えず、そしてこの場面においては「男装した女」にしか思えないという、実に倒錯性を秘めたキャラクターなのです。 それゆえに「本当の私なんてない」という台詞も切なく聞こえ「男に生まれてしまった女の悲劇」あるいは「女に生まれてしまった男の悲劇」を感じさせてくれます。 存在自体が罪深く、哀しくも美しい人物として、観賞後も、何時までも心の中に残ってくれる。 そんな素敵なヒロイン、素敵な女優と出会えた、魅惑の八十六分でありました。 [ビデオ(邦画)] 7点(2016-08-07 08:32:28) |
195. 近松物語
《ネタバレ》 溝口健二監督作を幾つか観賞し終え「この人の映画って、登場人物が不幸になる話ばかりだなぁ……」という偏見を抱いていた自分を、痛快なまでに打ち倒してくれた一品ですね。 あらすじとしては、不義密通の濡れ衣を着せられた男女が、望まぬ逃避行を強いられる話になるのだと思います。 しかし、その過程で本当に愛情が芽生えてしまい、周囲の迷惑すらも顧みずに互いを求め合うようになるという、純粋極まる恋物語へと、鮮やかに変貌を遂げてくれるのです。 最後には「処刑場に連行される二人」という、悲壮感漂う場面になるのですが、そこには「逃亡の苦しみから解放された幸せ」「これで二人が引き裂かれる事は二度と無いという確信」といった感情も描かれており、不思議と後味は爽やか。 背中合わせに縛られた男女が、固く手を繋ぎ合い、満足気に笑みを浮かべる姿は、忘れ難い印象を与えてくれました。 なお、元ネタとなった「大経師昔暦」においては、主役の男女二人は死んでいません。 処刑の寸前、助けが入ってハッピーエンドを迎える事になっています。 それを「ほんまに、これから死なはんのやろか?」という呟き一つで、生存の可能性を示すだけで済ませてしまうのは、如何にも溝口監督らしく思えましたね。 「悲惨美」「芸術的な悲劇」を好む感性がそうさせた可能性もありますが、自分としては「殺されるのを承知の上で、愛を貫き通した二人の覚悟」こそが大事なのであり、この後に二人が死ぬか生きるかなんてのは、些細な事なんだ……というメッセージなのだと解釈した次第。 勿論、個人的好みとしては、二人はあのまま殺されてしまうのではなく、原作同様に危機一髪で助かったのだと思いたいところですね。 共に死ねる喜びではなく、共に生きる喜びを分かち合って、幸せな夫婦となって欲しいものです。 [DVD(邦画)] 7点(2016-08-04 10:47:22) |
196. 鬼畜
《ネタバレ》 これまた、何とも判断の難しい一品ですね。 まず、ストーリーは文句無しで面白い。 演出も冴えているし、主演の緒形拳も、難しい役どころを見事に演じ切っていると思います。 ただ、子役の台詞が……ちょっと棒読み過ぎて、辛かったです。 他人様が「棒読みだ」と指摘するような役者さんでも「これはこれで味があって良いじゃないか」と感じる事が多いはずなのですが、今回ばかりは白旗を上げてしまいましたね。 特にキツかったのが、岩下志麻演じる継母に折檻される場面で「痛い、痛い、痛い。放せ。やだよう」と言う息子の声が、どう考えても打たれている時の声じゃないんです。 それでも効果音で身体を叩く音が聞こえてくるし、岩下志麻の方は鬼気迫る熱演をしているしで、そのすれ違い様が実にシュールでした。 ただ、そんな子役達も、黙って大人を見つめる時の目力は凄いものがあって、それには素直に感心。 また、上述の棒読み演技が効果的に作用している面もあり、ラストシーンの「違うよ、父ちゃんじゃないよ」に関しては、感情が籠っていない声だからこそ良かったのだと思いますね。 この場面、脚本の流れを考えれば「息子の利一が嘘をついて父親を庇っている」はずなのです。 (父子で新幹線に乗っている時、父親の懐具合を思いやった息子が、車掌に嘘をついてみせるのが伏線) けれども、その感情の窺えない、どこか突き放したような声色がゆえに「息子を捨てたりした人間は、父親なんかじゃない」という意味合いも含んでいるように聞こえてくるのですよね。 意図的な演出だったのかどうかは分かりませんが、結果としては、映画に深みを与える形になったんじゃないかと。 娘が東京タワーに捨てられるシークエンスにも、印象深い場面が幾つもありました。 父親が娘に対し「父ちゃんの名前、知っているか?」「お家はどこだ?」と確かめて、娘が幼く無知であり、我が身に警察の手が及ばない事を確信してから捨ててみせる流れなんて、観ていて恐ろしくなります。 何かを勘付いたのか、娘が中々父親から離れようとしない辺りの演技も良かったですし、父親が娘を置いてエレベーターに乗り込んだ際、閉じゆくドアの隙間越しに、一瞬だけ父娘の目が合うシーンの衝撃も、これまた凄まじい。 希望的観測ですが、あの娘さんに関しては、途中で出会った優しい着物の婦人に拾われて、幸せに暮らす事が出来たのだと思いたいですね。 利一が、楽しそうに笑い合う他の家族を見つめて「何故自分達はそうじゃないのだろう?」とばかりに、寂しげにしている姿も切なかったし、前半と後半にて「子供の口に無理矢理ものを押し込む親の姿」を二度描き、最初は同情的だったはずの父親さえも、継母と同じ鬼畜に堕ちてしまったのを、間接的に表す辺りも上手い。 全体的に息が詰まるような、苦しい映画だったのですが、そんな中、田中邦衛に大竹しのぶなど、子供達を保護する警官役が本当に善良そうで、優しそうで、観客にも癒しを与えてくれた辺りは、嬉しかったですね。 こういったバランス感覚の巧みさが、本作のエンタメ性を、大いに高めているのだと思います。 この映画を観終わった後、自然と脳裏に浮かんでくる「一番の鬼畜は、誰だったのか?」という問い掛け。 自分としては、父親でもなく、継母でもなく、三人の子供を残して姿を消した、小川真由美演じる菊代が一番酷かったと、迷いなく答えられますね。 彼女の顛末は語られず仕舞いですが、せめて遠く離れた場所で、子供達の幸せを祈っていたのだと思いたいところです。 [DVD(邦画)] 7点(2016-08-03 06:44:49)(良:4票) |
197. 気球クラブ、その後
《ネタバレ》 青春の「その後」といっても、続きではなく終りの話であった訳ですね。 気球クラブ「うわの空」にて、情熱を抱いて気球を飛ばしているのはクラブの創設者である村上しかいない。 その他のメンバーは、主人公の二郎を含めて「本当は、気球なんかどうだって良い」と考えているような奴ばかり。 序盤は、この設定に対し(それって、村上以外のメンバーは楽しいの?)と疑問を抱いてしまい、今一つ映画に入り込めずにいたのですが「花見」という喩えが出てきた場面で、ようやく納得する事が出来ました。 頭上に美しい桜が咲いていても、集まった連中は殆ど見ていない。 ただ酒を飲んで、騒ぐ口実が欲しいだけ。 気球を飛ばす事に「夢」を見出している村上の存在は、酒の肴であり、宴の名目であり、単なるシンボル以外の何物でもなかったのだなと、微かな寂しさと共に理解させられました。 「気球クラブの部屋に一人でいる時に、誰かが入って来て、こう言うの」 「なんだ、まだ誰も来てないのって……私がいるじゃん」 という台詞なんかは、凄く印象深かったです。 クラブのメンバーが求めるのは「個人」ではなく「集団」であった事が窺えるのですが、それよりも何よりも、単純に発言者の女性が可哀想で仕方ない。 そういう場合は、せめて「他の皆は来ていないの?」と言ってあげたいものですね。 村上の死を契機に、気球クラブのメンバーは再び集まって、昔のように気球の中で、最後の宴会を開く事になる。 そこで「もう二度と会わないから」と、互いの携帯番号やメールアドレスを抹消する訳ですが、それが非常に爽やかに、明るく描かれているのも驚き。 けれど、その明るさは決して前向きなものではなくて、どこか後ろ向きであるように感じられるのです。 この映画の主人公が、夢追い人の村上ではなく、傍観者の二郎である点も含め、伝えたかったテーマとしては「夢を抱き、追い続ける事の素晴らしさ」ではなく「夢を抱かない人間の虚しさ、夢を諦めてしまった人間の切なさ」であるのかな、と思わされました。 その後の「ボクは社会人の振りをして生きるのがうまくなった」という独白。 忙しない日常の中で、空飛ぶ気球を見つめて、淡い笑みを浮かべる登場人物達の姿。 ここで終わっていれば「爽やかな青春映画」と評する事も出来たのですが、そうさせてくれない辺りが、園子温監督。 時間軸を巻き戻して「村上と、彼の恋人である美津子が、気球クラブを作った頃の話」を描き、映画に深みと苦みを与えてくれているのですよね。 このエピローグによって「誰が電話しても繋がらなかった美津子が、二郎の恋人からの電話は受けた理由」が明かされる形となっており、それには感心させられたのですが、最後の最後で「村上が風船に託した手紙の中身」を明らかにしなかった事は、大いに不満。 こういった謎を残す形の方が、余韻が生まれて良くなる場合もあるのは分かりますが、完璧に謎のまま終わらせた訳ではなく「主人公の二郎は手紙を読んだのに、観客に内容は明かさないまま」というのが、何とも意地悪に思えたのですよね。 それなら手紙を拾っても開封しないまま、秘密は秘密のままで、再び空に浮かべてあげる形にして欲しかったなぁ、と。 仕方ないので、以下は自分なりの推理。 気球で二人きり、空を飛びながら村上に求婚された際「地上で、これ(指輪)を渡して欲しい」と応えた美津子の台詞からは「もっと地に足を付けて、立派な社会人となってから求婚して欲しい」というメッセージが窺えます。 そんな美津子の提案を、村上は受け入れられず、地上で指輪を渡す事は出来ないままで、二人は別れてしまいました。 そして「僕の気持ちは変わらない」という村上の台詞。 別れた後でさえも村上が「手紙の中身」を明かせなかった理由。 二郎が手紙を読んだ際の、全く驚きが窺えない表情。 他の誰にも内容を明かさず、再び手紙を空に浮かべるという選択。 以上の判断材料からするに、そこに書かれていたのは「既に皆が知っている事」「今更明かす必要も無い事」であったと考えられます。 つまり、手紙の内容とは「いつか空の上でプロポーズさせて下さい」だったのではないか、と推測する次第です。 [DVD(邦画)] 7点(2016-07-27 07:30:09) |
198. くちびるに歌を
《ネタバレ》 合唱のシーンは、素晴らしいの一言。 ただ唄うだけではなくて、スポーツと同じように身体を鍛える必要もあると示す練習シーンを、事前に積み重ねておいた辺りも上手かったですね。 皆の努力の成果である歌声に、純粋に感動する事が出来ました。 その他にも、色々と「泣かせる」要素の多い映画であり、それに対して感心すると同時に「ちょっと、詰め込み過ぎたんじゃないか?」と思えたりもして、そこは残念。 特に気になったのが「柏木先生がピアノを弾けなくなった理由」で、どうも納得出来ない。 「私のピアノは誰も幸せにしない」って、誰かを幸せにする為じゃないとピアノを弾きたくないの? と思えてしまったのですよね。 終盤、その台詞が伏線となり「出産が無事に済む」=「音楽は誰かを幸せにする力がある」という形で昇華される訳ですが、ちょっとその辺りの流れも唐突。 世間話の中で「実は先生は心臓が弱い」という情報が明らかになってから、僅か三分程度で容態が急変する展開ですからね。 これには流石に「無理矢理過ぎるよ……」と気持ちが醒めてしまいました。 「マイバラード」を他の学校の合唱部まで唄い出すというのも、場所やら何やらを考えると、少し不自然かと。 個人的には、音楽というものは存在自体が美しくて素晴らしいのだから「音楽は素晴らしい」だけで完結させずに「……何故なら、人の命を救うから」という実利的な面を付け足すような真似は、必要無かったんじゃないかな、と思う次第です。 終盤の合唱シーンは、ただそれだけでも感動させる力があったと思うので、もっと歌本来の力を信じて、シンプルな演出にしてもらいたかったところ。 主人公を複数用意し、群像劇として描いているのは、とても良かったですね。 合唱というテーマとの相性の良さを感じさせてくれました。 特に印象深いのが、自閉症の兄を持つ少年の存在。 彼が「天使の歌声」の持ち主である事が判明する場面では「才能を発見する喜び」を味わえましたし、内気な彼が少しずつクラスメイトと仲良くなっていく姿も、実に微笑ましかったです。 「兄が自閉症だったお蔭で、僕は生まれてくる事が出来た」という独白も、強烈なインパクトを備えており、色々と考えさせられるものがありました。 欲を言えば「アンタもおって良かった」という優しい言葉を、彼にも聞かせてあげて欲しかったですね。 ストーリーを彩る長崎弁は、耳に心地良く、のどかな島の風景と併せて、何だか懐かしい気分に浸らせてくれます。 細かな部分が気になったりもしたけれど、それを差し引いても「良い映画だった」と、しみじみ思える一品でした。 [DVD(邦画)] 7点(2016-07-21 06:40:21)(良:2票) |
199. 白鯨との闘い
《ネタバレ》 白鯨の襲撃を受けて、船が瞬く間に破壊されるシーンは、迫力満点。 想像していた以上に「漂流」のパートが長く (あんまり白鯨とは闘わないんだなぁ……) と下がり気味だったテンションを、一気に高めてくれるだけの衝撃がありました。 序盤は「分かり易い悪役」であったポラード船長が、徐々に成長した姿を見せてくれる展開なんかも好み。 当初は対立していたオーウェン航海士と、少しずつ認め合い、再会時には喜びを見せる辺りも良かったですね。 鯨油を採る為に命懸けで船旅をしていたトーマスの口から「地面を掘ったら油が出てきた話」が語られる際の、何とも言えない笑みなんかも、非常に味わい深い。 もう危険な航海で油を集める必要もない、石油の時代への移り変わりを象徴する台詞。 とても雄大な気分に浸らせてくれると同時に、一抹の切なさも感じられました。 作中で最大の禁忌として扱われているカニバリズムに関しては、それを扱った品を既に何作も観賞済みなせいか、あまり大事には思えなかったりして、残念。 如何にも勿体ぶって描かれていた分だけ、こちらとしては少々白ける気持ちを抱いたりもしましたね。 結末では「全部を書く必要は無い」と、その禁忌をあえて秘した上で小説「白鯨」が書かれたという形になっており、作者であるハーマン・メルヴィルの優しさが示されています。 その一方で、本作品は「せっかくメルヴィルが気遣って隠しておいた秘密を暴く」ストーリーとなっている訳であり、そのチグハグさも気になるところ。 良い話として纏めているけれど、この映画の存在自体が「あえて全てを書かなかった」配慮と真っ向から反しているのではないかと、最後の最後で疑問符が残りました。 告白者であるトーマスの妻が、毅然として言い放った 「初めて会った時に、その話を聞いたとしても、私はずっと貴方の妻でいたでしょう」 という台詞が印象深いだけに、真実の秘匿を肯定的に描く形にはして欲しくなかったなぁ……というのが、正直な気持ちです。 そんな本作のクライマックス。 白鯨と目が合ってしまい、銛を突く手を止めてしまうシーンは、実に素晴らしかったですね。 とにかくもう「視覚的なメッセージ」の力が圧倒的で「何故、殺さなかった?」という作中の台詞に対しても、こんなに美しいものを殺せる訳が無いじゃないか……という気持ちにさせられます。 傷口を映し出す演出、そして白鯨が攻撃を加えずに去っていった事からするに 「白鯨と航海士との間には、闘いを通じて奇妙な友情が芽生えていたのだ」 と解釈する事も出来そうな感じ。 でも自分としては、白鯨があまりにも美しかったから見惚れてしまい、それを壊す事など出来なかったのだと思いたいところです。 [DVD(吹替)] 7点(2016-07-13 21:32:00) |
200. 映画 ビリギャル
《ネタバレ》 あらすじを知って(やれば出来る、の見本のような話だな……)と思っていただけに、劇中にて塾の講師が「やれば出来る、という言葉は良くない」と言い出した時には、驚かされました。 その後に「やっても出来なかった時に、挫折感を味わってしまうから」と説明してもらう形となっており「なるほど」と大いに得心。 実話が元ネタで無ければ「有り得ない」「大学受験を馬鹿にしている」と批判も受けてしまいそうな非現実的ストーリーゆえか、登場人物もステレオタイプな描き方。 塾の講師と、学校の先生の描き分けなんて、正に善と悪。 理想の教師と最低の教師という対比となっており(ここまでやっても良いの?)と最初こそ戸惑いましたが、結果的には思いっ切り極端化させた事が、成功に繋がっていたように思えますね。 主人公同様に、観客も余計な懸念は捨て去って、講師を全面的に信頼し、純粋に受験を応援する気持ちになれたかと。 また、上述の「最低の教師」を後半あまり登場させず「嫌な奴を見返してみせた」という陰湿な復讐の快感をズルズル引っ張らなかった事によって、終盤の爽やかな成長物語に繋げた辺りも、お見事でした。 母親が苦労して塾の費用を工面した件では(これは何としても頑張ってあげないと!)と思わされたし、父親の「野球馬鹿親父」っぷりなんかも、説得力があって良かったです。 私的な事ではあるのですが、身近にあの親父さんに良く似たタイプの人がいるもので、確信を持って「こういう人、いるよ」と言えたりするのですよね。 その父親も完璧な悪役にする事は無く、ちゃんと良い部分(困った人は見捨てられずに人助けする場面)も見せる辺りなんかは、不器用なやり方でしたが、何だか凄く嬉しかったです。 この作品に関しては、全体的に「実話ネタである」事が上手く作用していたみたいで、恋愛要素が極めて薄い辺りなんかも好印象でしたね。 これが完全な創作であれば、先生なり同じ塾の生徒なりと恋に落ちていたかも知れませんが、そういった要素は取っ払い、受験のみに専念してくれたので、安心して楽しむ事が出来ました。 野球映画を観た後に、キャッチボールをやりたくなる。 音楽映画を観た後に、歌い出したくなる。 それと同じように「ビリギャル」を観た後は、勉強してみたくなったのだから、間違いなく良い映画なのだと思います。 [DVD(邦画)] 7点(2016-07-04 10:09:11) |