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ボビーさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1016
性別 男性
ホームページ http://blog.livedoor.jp/gepper26/
年齢 37歳
自己紹介 いつまでもこどもでいたいから映画は感情で観る。その一方で、もうこどもではいられないから観終わったら映画を考える。その二分化された人間らしさがちゃんと伝わってくる映画が好き。

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41.  東京公園 《ネタバレ》 
自分の真の願望を台詞で一言も発さぬまま、被写体として愛する人にレンズ越しに見つめ続けられている小西さんの苦しげな芝居は、この作品で唯一エモーショナルで緊張感をもって観れ、とても心に響いた。彼女を救ってあげたいような、守ってあげたいような、そんな願望に苛まれた。映画内の人物にこういった感情を向けられる映画体験というのをぼくはいつも求めて映画を観るのですが、この作品における最大のクライマックスはここで、それが物語全体の約7合目でやってくる。もっと掘り返せばそのきっかけとなるシーンは榮倉奈々さんが主人公の彼に、その事実をぶつける所から始まる。それは全体の約半分、映画が始まって40分も経ってから。それ以前の彼は受動的で、プロのカメラマンになりたいという願望はあるものの、この作品内での一本筋の通った葛藤を生むような願望は抱いていない。つまりこの作品そのものが「どこに向かおうとしている物語である」という前提も無く、ただ穏やかな風景や人々を描写して行く。浮気を気にする男が主人公に尾行を頼み出て、それが原因で姉が嫉妬して、それを榮倉さんが指摘して、姉と抱擁を交わした事で、男を説得する。なんだこの話?おばけのエピソードが「死」そのものと向き合う物語に進んで行くかというとそうではなく、血縁のない兄弟の「社会的に許されない愛」に進んで行くか?というとそうでもない。面白そうなエピソードを細切れに寄せ集めて、それら一つ一つと主人公が真摯に向かい合う姿も見れず、葛藤も無く、あるいは不満も無く、緊張感も高揚感もないこの映画は脚本の時点で誠実さに欠けているような気がしてならない。 せっかくなら小西さんのこれまでの葛藤や、その後に待ち受けるであろう苦悩の日々や対立を是非観たかった。古典的ではあるけれど、そっちの方がこの作品よりよっぽど満足感は得られたと思う。
[DVD(邦画)] 3点(2012-07-23 19:36:09)
42.  崖っぷちの男 《ネタバレ》 
飛び降り自殺者(ジャンパー)は何かに納得していない、という序盤の流れからの回想で脱獄劇が始まる、この畳み掛けるようなハリウッドお得意の序盤でバッチリぼくの心は鷲掴みにされました。そこからなぜ彼がそこにいなければならないのか、その理由が次々と明かされる中で、泥棒サスペンスと裏切り者探しのサスペンスも平行して物語が進み、伏線も次々と回収されて行きスリルは持続させられましたが、終盤はもう余韻も何も感じさせぬ疾走感であっという間に終わって行きました。しかし、その疾走感の中で観客に疑問を抱く隙間すら与えまいとする誤摩化しがあるような気がしてなりません。最後の最後に護衛が少なすぎるし、簡単にダイヤ奪い返され過ぎだし、みんな鵜呑みにし過ぎだし、不法侵入し盗んだことは罪に問われないのか?とか細部への気配りや辻褄の埋め合わせを一切放棄しているように見えて仕方ありませんでした。もやもやすら抱く隙を与えぬ!とばかりのクライマックスから結末までの約15分の畳み掛けの尋常じゃないあの感じは正直、強引で傲慢だと思う。この内容を100分に納める技量はもう凄いとしか言いようがないが、こればっかりは素直に認められる終わり方でもないと思う。そういう細部への気配りを無視するのはなんだかなー、と不満の残る作品でした。
[映画館(字幕)] 5点(2012-07-22 02:28:09)
43.  苦役列車 《ネタバレ》 
この主人公の目的とはなんだったんだ?ぼくの目には彼が目的なき日常を、そしてそこにある時間をヌキヤ、煙草や酒で浪費し、無駄にしていたように見えるのだが、それが一行に変化する様子がないのが退屈だった。そんな彼に芽生える具体的な目的意識は前田敦子演じる康子を友達にすることであったが、それ自体があまりにも面白くないし、結局は他力本願であったし。それが物語の唯一の魅力として、なんとかこの物語を欠伸がでない水位の作品に留めていたが、それ以外のシーンのなんと退屈なことか。目的意識もなく、傲慢で独り善がりで、面白みが微塵も感じられない彼の全てが、現代的ではあるけれど、そんな人間は勝手にやってろと思わずにいられない。好き勝手にやって、自ら多くを棒に振っている。そんな人間好きになれない。山下監督の演出とあって滑稽な面は豊かに描かれているのは確かだけど、物語はいつまでも曖昧な目的意識のままフワフワとどこに向かうのか定かではない状態で進行する。着いて行く億劫さはもの凄い。所々で魅力的なシーンはあったけど、一本の映画として観た時にこの作品はあまりにも退屈だと思う。なにしろ目的意識がないのだから当然葛藤もない。自分でやって自分で失って勝手に苦しんでいるだけなのだから。ただ、終盤で彼が多くを無くし、無気力状態の最中で見るテレビ画面の奥の夢のような現実に夢中になったシーンからのクライマックスは見応えがあるのは、彼に目的がはっきりと現れたからで、それが具体的に「なにをしたい」という表現はされてはいないものの、確実にそこには変化が描かれている。興味の持続を演出力のみで乗り切った技量は本当に素晴らしいが、根本的に「目的意識のない主人公」というのが大前提としてやはり映画に不向だという事実が大変参考になった。物語が転がり始めたのは最後の10分というのは、興味を持続して観るのは難しい。何もなかった男が目的を見出す話というのはやっぱりつまらない。
[映画館(邦画)] 5点(2012-07-22 01:57:07)
44.  ごくせん THE MOVIE 《ネタバレ》 
注意事項①いずれの理由があるにせよ一般企業に許可なく立ち入るのは不法侵入になります。注意事項②生中継されるような状況で、許可なく舞台に関係者以外が登壇しようとした場合、警備はいずれの理由があるにせよ取り押さえる必要があります。注意事項③生中継がされるような現場では多数の来場者が予想される為、警察の監視下にあるべきです。また、不足の自体が発生した場合警察は迅速克つ速やかに自体の収拾に取り組む必要があると思います。注意事項④東京都暴力団排除条例で世間を賑わす今、やくざをある種、正当化する設定を基盤とした安易なこの暴力映画を地上波で放送する行為そのものをいかがお考えでしょう。注意事項⑤いわゆる“不良”と称される自ら物事を社会性を持ってして柔和かつ細部への情報分析のできない若者がこの作品を見た場合、最後の台詞が命取りとなります。説明しますと「お前ら良かったな、こんな先生に会えて」つまり、このような自由法認主義、暴力に暴力で解決する教師が不良と称される若者教育には正しいと言っていることになっているのと、このような教師でなければ「犯罪者」になる可能性すら暗示し、その根拠なき思想を押しつけています。ぼくにはどれもこれも納得いかない、まったくもって見当違いなことを延々、都合良くやり通すこの作品の人物たちに憤りや呆れを通り越して絶望しています。
[地上波(邦画)] 0点(2012-06-29 23:16:05)
45.  裏切りのサーカス 《ネタバレ》 
あの重苦しい雰囲気漂うあの部屋の壁。凹凸が影を作り出し、薄らと碁盤目状に見えてくる。誰が“もぐら”なのかが浮き彫りになるまでのドラマには、男たち(スパイたち)の潰し合いの葛藤がある。相手の手の内を想像し、裏をかくように悟られまいと忍ぶ姿。そこは恐ろしく濁っていた。顔を着けて泳ぐのが憚れるのと等しく、そこは信用ならない奴らのいるところであることを暗示している。モノトーンのグレーを基調としたように、そこは憶測と不明解な状況が蠢いている。スマイリーとそこにいる人間たちの特徴無き特徴が、彼らの物悲しさすらも表現している。というなんだか、馬鹿みたいな評論家の文章になってしまうのもこういう表現方法がこの作品のテイストを分かりやすく説明できるような気がしたからです。また、原作は未見ですが、確実に映画ならではの表現が散りばめられているような気がしてならないのです。まずは上記にも述べた色調、そして最も面白いのは「チェス」を彼らに見立てて表現しているその構造がお見事です。あの部屋を碁盤とした場合、彼らは駒でしかなく、国家によって操られ、消えて行くのです。敵と見なした仲間を消し去り、トップの座に付くスマイリーのあのラストの表情。無表情ではあるけれど、あの朗らかにも取れるスマイリーの表情は唯一のスマイルと言っても過言ではないように思えました。果たして正義とは?悪とは?仲間とは?多くのことを観客に投げかけつつ、そして最後に描かれるのは、真に信じていた友による裏切りの淵に沈んだプリドーが、最終的に少年ビルに投げかける言葉が「哀しき駒になるな」という切なる願いにも見えました。それはとてと普遍的で、今日のぼくらにも届きうる強い想いを感じ、またこの映画がこの一点に向かい集約されていたことがわかったあの瞬間、鳥肌が立ちました。お見事です、素晴らしい!!※鑑賞前に事前に大まかなストーリーと登場人物の情報を入れておくのもありだと思います。本国では過去にテレビドラマ化されていたり、根本的に大変有名な原作であるため、多くの人にこの作品の大前提の理解があったことが評価される要因の一つにあるのは間違いないだろうと思いますので、鑑賞前にパンフレットをご購入されるのをオススメします。ちなみにぼくはそうしました。
[映画館(字幕)] 9点(2012-05-27 23:15:12)
46.  SR3 サイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者 《ネタバレ》 
まず、クライマックスのあの一連の超長回しにトライした果敢な心意気と、想像を絶する努力に賞賛を贈りたいと思います。あの絶妙なタイミングを生み出すのに、どれだけキャスト、スタッフが一丸となり努力したか…どこかで誰かが立ち位置やセリフや、やるべきことを熟さなかったり、間違えたりしたらゼロになるという緊張感は間違いなくあの画面から溢れんばかりに放出されていたように思います。手持ちカメラの作り出す臨場感と、繋ぎ目のない芝居に今そこで起きているドラマとして実在感を強く感じる事ができました。 あのシーンがもし、カットが頻繁に割られていたなら、あの偶然に作為を感じずにいられないご都合主義な場面なっていたように思います。あのご都合主義的な展開を和らげるには、ワンシーンワンカットをやらなければならなかったのだ思います。また、1、2作目のボンクラたちの必至でもがく様があったからこそ、今作のシリアスな作風が爆発的に意味をなしているのだと思います。そんでもって、最も凄いと感じずにはいられないのは「ストリートラップを違和感なく観れてしまっている自分がいる」ということです。意識して「酷い」ものは酷いと感じれるし、「凄い」ものは「凄い」と思えるのは当然ですが、征夷大将軍とSHO-GUNの「凄くはないけど、下手ではないし、嫌に感じる事もない」というのを彼らの過不足なく存在そのままの印象を気持ちのいいバランスで表現しているこの巧みさが素晴らしいです。征夷大将軍のメンバーはSHO-GUNと相まってみんな最高に輝いていますし、素直にがんばれーって応援したくなります。地続きのこの日本のどこかで今も必至になってがんばっているような気がしてなりません。ただ、マイティは馬鹿です。あんな奴らの下で働き続けたことも、あんな奴らに騙されたくらいで夢や人生を投げ捨ててしまうことも、全てはあいつが馬鹿だからです。せっかく努力して積み上げてきた夢をあんな馬鹿たちとつるんだ事で棒に振っていしまうなんて、ホント、死ぬほど馬鹿です。救いようがありません。でも、藁にもすがりたくなるのが人間の性で、そこに夢の可能性があるのであれば我武者らになるのもわかるから否定仕切れない。心の中は、「マイティの馬鹿野郎!いっその事死んじまえ!でも、がんばれマイティー!がんばれー!」って真剣に心からそう思っているぼくがいます。 涙が止まりませんでした。
[映画館(邦画)] 9点(2012-05-25 17:35:12)(良:2票)
47.  別離(2011) 《ネタバレ》 
冒頭ファーストシーンのタイトル入りまでのカットは、夫婦2人のカメラ目線によって観客には見えない“第三者”に向けられていますが、話が進むにつれてあのシーンが「観客に投げかけている」意思だったことに気付きます。その意図は、ラストカットのワンカット前とほぼ同じ状況、同じようなテーマで繰り返されます。それがつまるところ単純に、観客への「質問提起」と「答案回収」なのです。というのは観客に、「この夫婦のどっちなら信頼できますか?そしてできましたか?」という物語構造に捕えることができるのです。そして、それと表裏して社会への強烈なメッセージが込められた作品であることが如実にわかります。ラストカットのエンドロールの入る数秒前、夫婦の間を通るのは2人の娘です。「説明」はされていませんが、あの衣裳、あの背丈、あの仕草を見ればわかりますし、もしエキストラだとしても、誤った誤解を生むようなミスを監督がするとは到底思えません。そんな娘は終始、身勝手な両親に翻弄され、傷つけられても決して両親を思う事を止めませんでした。その健気さは、簡潔に言えば「世界中全ての子ども」の普遍的な親への願いであり、そうあることの“正しさ”を強く解いているように思いました。少女は節々で選択を求められ、その都度、答案を返し続けた末、両親はまた身勝手に離婚決めます。そんな両親に対して少女が決めたのは「どちらも選ばない」という「両親が元に戻る最終手段」だと思いました。巧みなミステリー構造の根底に流れる強いメッセージに、ぼくは心震えました。宗教的に嘘の許されないイラン社会で嘘をつく人間がいる現代イラン。離婚の許されなかった社会で法律が変わり、離婚が増加している現代イラン。イランに住んだこともなければ、イラン人に出会った事すらない。それなのに、イランで生きる人々の私生活とそこにある問題とそれに対する祈りを、まるでそれを知っているかのような感覚でそれについて真剣に考える事ができている。映画は人種や文明、時代を超えて全ての人間に届くものだということを強烈に考えさせてくれた。これだから映画は素晴らしい! 最後に、観客にさえ、あなたなら気付いてあげられたか、という嫌みな問いをも残した監督。凄過ぎる。
[映画館(字幕)] 9点(2012-05-22 21:26:42)(良:3票)
48.  ヒューゴの不思議な発明
今、この瞬間もそう望む人がいればこそだが、望む人さえいればいつまでも映画は消えないという、その切なる祈りに見えました。終始この映画から観えるのは「映画」そのもののように思いました。メタファーとしては、例えば他人の恋沙汰を「覗き見」するその行為そのものであったり、「ぺらぺら漫画」であったり、「機関車が迫ってくる様」など、もはや“=(イコール)”で結び付けてもまったく遜色のない映画の原型が散りばめられています。それらの進化系が現代映画なのだということを改めて痛感すると共に、サイレント期の名作映画がスクリーンに映し出された瞬間、映画好きのぼくの心は激しく興奮を覚えました。一瞬流れた「セブンチャンス」や「月世界旅行」をシネコンのあの巨大スクリーンで全編通して観ることができたらどれだけ幸せだろう、などと妄想してしまいました。また、サイレントや白黒映画に一切の興味を持たぬ人があれを目の当たりにするとどんな気持ちになるのだろうという、素直な疑問も覚え、それと同時にどうか「観たい」と思って欲しいと祈ってしまいました。つまるところこの作品の目指すところがそれであることを感じずにはいられません。現代映画とは比較にできぬほど、“映画”本来の面白みに溢れていた黎明期の作品群を観たいと望む観客が増えれば増えるほど、それらの作品のリバイバルが観れるのでは?という希望を抱いてしまいます。つまりそれが映画を朽ちさせない後押しになるのです。 現代映画は過去の作品群の積み重ねのその先っぽに存在しており、その先っぽを存分に楽しむには、引用元である下に埋もれてしまっている作品を知る必要が出てきます。“歴史を知る”というのはその文化を楽しむのと等しく、それを知るだけで今そこにあるものの“見方”がガラリと変わるのだと思います。この作品は映画のその重要な“映画史”を観客に刷り込ませた歴史的に見てもとても重要な作品になったのではないかと思います。しかしながら、作品そのもののドラマ部分とそれらの祈りが噛み合ってなさが尋常じゃないので、その意味でアカデミー賞作品賞を争っていた「アーティスト」に負けたのは頷けますが、あのロボットの描く事、あるいは描かせることも映画のメタファーになっている構造は結構好きでした。
[映画館(字幕)] 7点(2012-05-10 18:52:55)
49.  ドライヴ(2011) 《ネタバレ》 
冒頭から、どこの国の音楽かわからないがそれとなくキャッチーで若干ダサイ匂いのする音楽が多用され、雲行きに若干の不安を抱きましたがそれを一転させる静けさにグッと集中力が高まり緊張感が全身を包みました。音のON / OFFによる意識的な聴覚への刺激が生む、視覚の集中。冒頭でこの作品の、あるいは監督のやらんとしていることが明解で「ON / OFF」の切り替えによる効力を存分に発揮させた作りになっており、監督の作家性とすごくマッチしていたように想います。また、主人公の過去どころか名前すら明かされないこの物語が何を観客に投げかけているかと言えば、観客の想像力を信じているということです。大まかな人物像を描き、その他は説明はしないことによって観客は無意識に彼のバックグラウンドをおのおので想像するのです。このライアン・ゴズリング氏、序盤のポーカーフェイスはようするに理性、冷静さの作られた彼の表情であってそれがアイリーンを愛してしまった事で強固であった筈の理性が徐々に崩壊し出します。壊れかけの彼の心情は「説明」ではなく「画」の中の行為、それを象徴させる「何か」で表現されているのがラジエターを直すシーン。手元だけを照らす照明、顔は暗部。後ろに流れる音楽がその手元を狂わす。壊れているのは彼の心であり、車の心臓部ともいえるラジエター。正常に戻す為、また走り出す為、あるいは理性をそこに維持する為。メタファーが心を抉るようにその切ない心理がヒリヒリと胸に滲みる。そして狂い出したラジエター。理性とは。今日の文明社会ではやっていいこと、だめなことが山ほどあってそれをモラルとか道徳観とか法律とかマナーとか、そういった社会の一人として波風立てず生活する為に“破壊の本能”を押さえる自己制御の意識。その意識の強かったのは、本能が人一番強い彼がいたからだろう。彼自身が最も彼をわかっている、それが観れば観るほどよくわかるからこそ、その崩壊のカタルシスとアンビバレントに押し寄せる切なさに胸が苦しくなる。相手を求めれば求めるほどに比例して、喪失を予感させ、その一連が終わった瞬間、このシーンの全てが暴力であり、愛である事を強く感じました。ラストシーンも同じで、生きているかも知れないし、すぐに死ぬかもしれないが、その先を観客が想像した時、映画がその人の中で真に動き出す瞬間なのだとぼくは思います。
[映画館(字幕)] 9点(2012-04-13 20:50:42)
50.  借りぐらしのアリエッティ 《ネタバレ》 
世間からの圧倒的な「ジブリ」ブランドへの執拗な期待と理想から萎縮しているとしか思えない近年のジブリ映画。正直、序盤からつまらない。その要因はあまりにもたくさんある。まず、アリエッティと少年の間に“恋”がないこと。それに関してジブリが主として描いている印象は世間的にあまりないだろうけど、実はそこが淡い恋心として主柱になっていることがほとんどである。人の心理として恋という感情が成長を促し、歩み寄りを知る大きな踏み台になり、逆に言えばそれなしでは大人にはなれない。そこでの葛藤や他者を思う気持ちや、自己を犠牲(責任)にすることでの痛みを知り、成長するのがドラマの本質だとも思う。その点から言って、決して結ばれることのない恋というのは興味をとてもそそられるのに、そこはあくまで「小人」に興味のある「人間」という構図でしかない。まず、大前提に物語の推進力がそこから薄い。どこに着地したい物語かわからない。「余命幾ばくもない少年が最初で最後に知った恋は小人の少女でした」を描いたら最高のファンタジーラブストーリーだったのに・・・また、過去ジブリの最大の素晴らしさはその登場人物/キャラクターの実在感にある。例えばトトロをこの世界のどこかにいると感じれたり、日本じゃないどこかの街にキキがいるんじゃないかと思えたり、ラピュタがこの雲の上にあるんじゃないかと信じれたりする、その真実味はこの作品にはない。完全にファンタジーになっている。ファンタジーはもはやファンタジーとしてホラ話として楽しく観れさえすれば、オッケーではあるが、この作品はファンタジーに振り切れるわけでもなく、事実感を感じさせてくれるわけでもなく、リアルティーのラインがあまりにもボヤけ過ぎている。だから、何を面白いと思わせ観客を喜ばせたいのかも逆説的に理解できないことになっている。そこが最大に致命的。面白くなりそうな要素をかき集めて、何を見せたいのか練り込まなかったのがヒシヒシ伝わってくる。閉じこもっていた小人と一緒に少年も少しの時間でも構わないから外に出さなければならなかったし、アリエッティのお母さん魅力的じゃないし(キキのお母さんは1シーンのみの出演ながら記憶に鮮明)、灰汁の強いおばさんが結果的にどうしたかったのかわからないし、とにかく何に向けて集約されてる物語なのかわからない。だからカタルシスもないし、面白くもない。
[DVD(邦画)] 4点(2012-03-26 23:58:12)(良:3票)
51.  ヤング・ゼネレーション 《ネタバレ》 
映画の楽しさを感じれる瞬間は大きく分ければ当然のことながら二通りしかなく、一つは鑑賞のその瞬間で、もう一つは観賞後にあるのだけど、より良く感じれるのは、後者ではないだろうかとぼくは思う。この作品に関して言えば思い返した瞬間の感動が極まっており、多重の意味で幼き日々をノスタルジックに感じることができる。この作品を思い返すその行為そのものがまさに自らの少年期を思い返すような感覚にも重なる。子どもと大人のまさに境界線で、調子にのっている大学生にそうやっていられることへのルサンチマンを溜め込み、大人から強いられる子どもで居続けることへの揶揄と大人になることへの強要に苦しみ、板挟みの中で現実逃避に湖に飛び込む姿がもはや痛々しくて切ない。大人になる事もできなければ、子どもでもいられない。進みたいのに進めない彼らの心が終盤に向け、どんどん具象化されていく。背伸びするように、身の丈に収まらない憧れや口だけの希望を恥ずかしげもなく語っていた子ども達が、身の丈を痛感し、大人になっていく。そして、幼き日々と離別するかのように、自分の小さなプライドを捨て去り、飛ばされる揶揄を堪え、痛みを我慢し、自らのすべてを出し切り、一台の自転車でコースを駆け抜ける。近年の映画の青春ものようにやたらと華やかな画面でもなければ、馬鹿みたいに分かりやすい表現で台詞にしたり仕草で表現したりしない。だって、みんな内に込めてるのが若さだろう?表に出せないのが幼いぼくらの悩みだったろう?だから、わかる。いたいほど。何も成し遂げてこなかった奴らの出発地点の物語。ゴールこそ、始まりの物語!素晴らしい。
[DVD(吹替)] 9点(2012-03-26 23:07:08)
52.  アポカリプト 《ネタバレ》 
タイトルからもわかるように、この作品の主にしてあるのものは宗教的な観念であることは疑いようがありません。メル・ギブソン監督の前作「パッション」同様、宗教の概念があってこその作品でありつつ、それを持たぬ人にもそれの齎す力と恐ろしさが一挙に押し寄せてきます。宗教の善し悪しについては文化的宗教観のないぼくに語るべき言葉もないのですが、頼らざる者の強さと縋り付く者の弱さははっきりと脳裏に焼き付きました。という作品を覆う観念と平行に進み描かれるのは、人類とその人類の歩んで来た歴史の表裏です。冒頭の穏やかな分明なき日常の幸福感、満足感を一気に理解するものの不吉な予感は映画全体が放つただならぬ緊張感によって常に感じていました。そしてそれが滝から急降下し落ちて行くかのごとく、怒濤のように恐怖が押し寄せます。そこまでの一連の平穏な日常の崩壊と共に押し寄せてくるのは、もはや人類の歴史の早送りです。侵略による虐殺と人身売買、そして奴隷化(戦争のメタファー?)。奴隷と同様に肌の色を変える事での人種差別の比喩。その全てが歩んで来たのは人類の不毛の歴史です。それらを怒濤の如く体感し、あげくの果てには生贄の石台に乗せられ心臓を抉り出されそうになりますが、そこで偶然が起こり、一度姿を隠した太陽がまた地を照らします。歴史的に干ばつによる飢餓が進んだ頃にそういった生け贄の儀式がアステカ文明の頃にあったという説もあるようですが、そんな儀式に唐突に出会った人類が何を思うかと言えば、映画鑑賞者と同等に人間とはなんて愚かな生き物なんだろうという意識のただ一点。神に縋り付く意思とその存在への不信感。つまり人間が作り出した虚像の恐ろしさです。つまり人類とは己の都合の良いように情報を操作し、民を操り、また情報を共有できぬ者を排除し、殺戮してきたのです。そんな人類が歩んで来た人類そのもののリテラシーを一気に考えさせられるのです。それらが含んだメタファーだけでも凄いのに、そこにエンターテイメントの醍醐味まで入っているこの作品の構造!追われるストーリーから一転して追うストーリーへ(恐怖が一変して高揚感へ)。主人公の生きたい気持ち、生きなければならない責任感と緊張感。つまりスリル。それらを通過して最後にもまた問題提起をするこの仕組み。娯楽性、社会性の完璧なまでの融合を果たしているように思います!傑作です!
[DVD(吹替)] 10点(2012-03-23 18:19:20)(良:1票)
53.  コンテイジョン 《ネタバレ》 
エンターテイメントに徹せず、華やかさを押さえて描くことが=「リアルな人間描写」という方程式はまず根本的にぼくには腑に落ちない図式なのですが、必要以上の抑揚を押さえているのは序盤に関しては新鮮な印象を得ました。ただ最終的に至る結末が米エンターテイメントのお決まりな「平穏を日々を取り戻すきっかけを主となる人物たちが手にする」という“きれいごと”に収まっている為、着地点はようするに米エンターテイメント映画以外の何物でもない作品に収まっています。リアルというより、ぼくの感想としてはエンターテイメントの外見をしながら中身をくり抜いてしまった、ウイルス感染のシミュレーション映像を観ているように思えてなりません。人々の葛藤や変化や成長よりも、ウイルスの感染の仕方、ウイルスへの対処方、ウイルスによる混乱、略奪、暴徒たちの姿をただただ並列的に映しているだけで、出来事に直面し表面的な、言ってしまえば想定範囲内での変化を客観的な引いた視点で見せられるので、非エンターテイメントだと分かった頃にはもう期待すべきものがないことに気付き心は完全に萎えてました。こういう映画に求めるのは、絶望とも思える現実に直面した時の人間の真の愚かさや恐ろしさ、つまり人間の本当の弱さと真の強さをエンターテイメント性で色濃く観れることだったりするので、もはや終盤に向かえば向かうほど高鳴りがないので退屈です。題材自体が否応なくエンターテイメント娯楽作品なのに、最近流行のアンチカタルシス精神なのかなんなのか、背をどんどん向けていくので、もう本当にシミュレーション映像でしかないと思います。大在そのものに興味はそそられますし勉強にはなりますが、人間の魅力に触れていないが故に心に残る映画にはなっていないと思います。
[DVD(吹替)] 4点(2012-03-21 21:05:30)(良:1票)
54.  愛より強く 《ネタバレ》 
最後のベッドシーンが脳裏に焼き付いてはなれない。平穏な暮らしの中で、真に清く美しなった彼女を抱く男。彼女がここまで美しくなれたのは男がいたからにほかならないが、その反面で、確信的に感じるのが彼の傍にいたら彼女はきっとここまで美しくなってはいないということ。何かを捨て、何かを得る。何かを捨てないで、何かがこぼれる。その人にとって最も重要な決断が、ジェットコースターの登り坂の如く、上に上がれば上がるほどに急降下のカタルシスに「ウギャー!」ってなれる。この映画の上げては、落とす。上げては、落とされるの心地良さがたまらなく好きだ。そしてあの最後のベッドシーンでぼくの期待値、興奮度はマックスに達し、その瞬間ぼくの脳裏にあの画面が強く刻まれた気がする。
[DVD(字幕)] 9点(2012-03-16 10:22:23)
55.  おいしい生活
たった一時間半に詰め込まれたお馬鹿夫婦の紆余曲折物語。馬鹿も、真剣にやっている馬鹿と、馬鹿っぽくやっている馬鹿とでは雲泥の差があるわけですが、ウディ氏が演じているクソ真面目な馬鹿は笑って観ていられます。日本の漫画でもありそうな、わかりやすく明解な人物設定であるがゆえ、“偶然的な出来事”をくっつけてゆけば延々2人の物語を続けてゆけそうな構造です。シリーズ化さえ出来てしまいそうです。自分たちの真面目な意思や思惑が真剣になればなるほど、加速度的に真逆に転がっていく様に、人間の愚かさと可笑しさがコミカルに描き出されています。また、終盤に物語が進むほどに、やることなすことすべてが身の丈にあっていないのが、比喩して衣装にも描かれだされ、それもまたすごく滑稽で良い。ただ、おいしいけど灰汁の強い後味の悪さもまたウディ映画の特徴です。
[DVD(吹替)] 7点(2012-03-13 23:28:48)
56.  永遠の僕たち 《ネタバレ》 
彼の寝転がる左脇に出るタイトル「Restless」眠る事がないというより、この作品における眠りが死であることから、死ぬ事がない、あるいは永遠という意味になるのかも知れません。(なるほど、タイトルの日本語訳はあながち外れではないですね)ノーイックにとってそれが「君はいなくならない」ということにも見え、ラストの微笑みが心に響きました。彼がスクリーンに登場した時点で彼が感じれていなかったのは、“死の実感”だと思います。「死んだら何もない、何の意味もない、ぼくはそこに何も感じれない」そんな悲痛な叫び声が抑制された画面からヒシヒシと感じられ、だからこそ彼は実感を得るために自らの周りに検死線を引き、偽りの参列を続けていたのだと思いました。また、そこに常にいるのがヒロシ。死、そのものである存在と死にまつわる軍艦ゲームをし、「お前には死者への尊重がない」と言われているのに実感を得られないノーイック。そんな時に出会うアナベルが抱えているのは“死の実感”そのものでした。その象徴がダーウィンです。=“神への反発”ではなく、日々を変化させたい願望と学び続け日々成長していたいという、まさに生きたいと願う実感そのものでした。本来なら、そんな彼女の嘆きや悔しさなどの葛藤を映画的に描いても良さそうなもんですが、それはもう乗り越えた壁として描いているところも好感を持て、なおかつそれがノーイックとのとてもわかりやすい対比になっており、すごく効果的に描かれています。実感を言葉や態度で伝えるのではなく、そばにいて愛し愛されることで自然と彼が実感して行く姿が本当に素敵です。特に、序盤で彼一人によって描かれていた検死線が彼の抱く漠然とある死への虚無感だったものが、2人で描いたことによって愛の象徴と生きている実感、そしてRestlessの比喩になっているようにも見え、心震えました。実感を得たノーイックがついに抱いた感情は、死の実感から来る喪失の予感です。この映画における唯一の涙がノーイックのそれなのです。だからこそ、ラストの微笑みも意味を成すのです。ノーイックの思い出す彼女はどんな時も微笑んでいた。だから釣られて笑ってしまう。きっといつまでも。まさにRestless。
[映画館(字幕)] 9点(2012-01-16 02:18:09)
57.  ヒア アフター 《ネタバレ》 
タイトルを直訳すると「来世」で、そのことに執着して物語がどうだったか考えてしまうと、この物語に登場する人物たちはみな共通して「過去のできごと、過去となってしまった人物たち」に捕われている存在なので、なかなか「来世」との結びつきが困難でした。死を身近に感じる出来事に遭遇した主要三人がメインのストーリーになるわけですが、それぞれ抱えている重みや種類は違う訳です。まず、マットデイモン演じる主人公は死者と会話ができてしまいます。つまり、過去となってしまった人々と今この瞬間に向き合える力を持った人間です。自分ではない過去を生きた人間の存在によって、前進する事ができなくなっているのです。また、少年は瓜二つの双子の兄弟を失った事で、二人で一人だった意識に捕われて前進する事ができなくなっています。そして、彼女は臨死を経験したことによって、死のあまりの身近さに取り憑かれ、それ以外のことが考えられなくなっているのです。三人に共通するのは、今を生きているのにまるで生きていないかのように先に進めない硬直感です。この構成が巧みではありますが、やっぱり当然のように三人はいずれ会う事が予想できますし(あえてそういう作りにしたのだと思いますが)、心待ちにし、どういう流れで三人が巡り会うのかを期待します。そして、紆余曲折あって会う。凄い運命的な偶然を大団円的な華やさで描く事なく、穏やかにさも当然といわんばかりの落ち着いた雰囲気で会うのです。そこで行われることは、それぞれがそれぞれのHEREAFTERと向き合うという行為です。つまり、この先を三人が歩み始めたその瞬間が描かれている訳です。「来世」で考えてしまうと、グラントリノで死んだイーストウッドの神的目線物語?あるいはそろそろお迎えを感じ取った彼の遺書?とか深みにはまってしまうのですが、「この後、この先」で考えるととてもスマートな物語構成であることが納得できます。だからこそラストで見えたあれが、過去ではなくこの後であることに納得がいき、また抑制された状況からの解放によるカタルシスに酔いしれることができたのだと思います。80歳を過ぎ、多くの別れと出会いを繰り返し、そしてまもなく必然的に訪れるそれの実感があるからこそできる作品なんだと思いました。ただ、実感として高めすぎた期待値からするとその大きな落差は否めないほどのシンプルな作品であることも確かです。
[映画館(字幕)] 8点(2012-01-14 12:12:35)
58.  ブルーバレンタイン 《ネタバレ》 
まずタイトルからして面白いです。Valentine's dayで恋人に贈り物を贈る日や想いを告げる日になりますが、Valentineだけで簡単に表現すれば“恋人”や“告白”だったりするわけです。そこにBlueが付くと“青い恋人”や“爽やかな告白”にもなりますが、その一方で“赤みを失った恋人”や“憂鬱な告白”にもなり、さらには恋人の争い、 けんか、 口論にも読めるのです。なんと多面性を持っているタイトルなのでしょう!しかもどれもが答えであり、答えじゃないんです。もうそれだけでこの映画そのものですから、物語を考え始めたらそりゃもう凄いです。タイトル以上に複雑で豊かな表現の中で、溢れんばかりの感情が手に取るような理解でき、さらには自らの人生に投影し、重ね合わせてしまう。絶対的な主観に閉じ込められているぼくは完全に2人の思いに身を投じ、高揚し、落胆し、まるで自らの事にように思い悩みことができました。久々に最高の映画体験を味わえました。
[映画館(字幕)] 10点(2012-01-12 01:03:05)
59.  スーパー! 《ネタバレ》 
この作品の監督であるジェームズ・ガンはこれまでに「スリザー」で監督・脚本を勤めた他に「ドーン・オブ・ザ・デッド」の脚本を勤めたことからもわかるように、この人のホームがホラーであることがわかります。フランクなノリで始まる作品のコメディっぽい雰囲気とは裏腹に、この作品に強く反映されているのはホラーで、レイン・ウィルソン演じるフランクとI LOVE エレン・ペイジ様演じるリビーから感じるのは人の狂気です。神からのお告げで始めた制裁の行為が知らず知らずの内に、腹いせや個人的な感情に昇華されてしまい、沸き上がる快楽と共に理性が追いつかなくなっている姿にぼくは恐怖を覚えました。それは「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」にある、ホラーエンターテイメントが本来持っていた人間の狂気へと変わりゆく様の恐怖が、この作品には見事に描き出されていました。特に如実に描かれているのがエレン様演じるリビーの興奮し過ぎてアドレナリン出過ぎで、理性を見失い、快楽おバカちゃんに急速になって行く姿には、まさにSuperがしっくりきました。この作品におけるSuperはスーパーマンのような英雄的な憧れではなく「過度、超過」で、つまり「そこまでしなくても。やり過ぎじゃない?」だと思いました。この作品は奪われた妻を取り戻す為に始めたそれが、やりすぎてしまい、結果的に最愛の妻と真の友人を失う話だとぼくは思いました。人類がそれぞれの正義の名の下に始めた数々の争いの歴史は、常にやり過ぎの歴史で、後に残っているのはいつだって悲しみなのです。まぁ、深読みかも知れませんが、正義と倫理、結果と責任、理想と現実、つまり生きることに付きまとう表裏を問う話なんだと思いました。あと、蛇足ですが「JUNO」でカウンターに立っていたレイン・ウィルソンと、妊娠検査機を買った(買ってはないけど)エレンちゃんの立ち位置が逆転し、そんな二人がSEXすることに関連性がある気がして無駄に興奮したりしました。
[DVD(字幕)] 9点(2012-01-12 00:01:42)(良:3票)
60.  宇宙人ポール 《ネタバレ》 
この作品はオマージュ塗れだけど、それ以上に感じるのは製作者側の「大好き」や「感謝」の気持ちとその素直な姿勢です。それらを具体的に挙げていったら切りがないのでぼくはそれに関してはパスしますが、それらを除いても、つまりそれらを一切知らなくても(一緒に行った彼女)楽しめるということが、逆に言えばそれらが映画を面白く、豊かにする上で必要不可欠なものとして描かれているということが素晴らしいです。また、SFを好きということが作中の登場人物たちと観客それぞれをリンクさせてくれます。スピルバーグとそれ以降のSF作品により、ETが宇宙のどこかにいるかもと夢に抱き、未知との遭遇にノスタルジーを感じ、理論を超えた世界にどれだけの人々が神秘的なロマンスを抱いたことでしょう。この作品はそんな構築された時代のさきっぽの今を生きるぼくらにとって最善のSF映画であり、待ち望んだ宇宙人ものだと思うのです。ようするに「まじで宇宙人がいたらどうする?」「そりゃ、なんでもやるさ!だって待ってたんだから、会えるその日を!」です。それを具現化する作業に置いて欠かせないのは、やはりスピルバーグの存在です。彼がいなかったら今のSF映画の流れがどうなっていたかわかりませんし、ファンがいないのも当然ですが、今当たり前のように心にあるロマンスも抱けているかどうか定かではありませんから、この映画が感謝で溢れているのは当然なのです。またそれを描いているのがイギリス人というのも最高です。それが意味するところは冒頭から描かれていますが、ピザを運んできた男にする「宇宙人っていると思う?」の質問の答えが「ぼくも宇宙人(外国人)だもん」であり、この映画はみんな誰かにとっての宇宙人であることを描いていると思うのです。この映画は違いのある人間を理解、尊重し、他者との歩み寄りの重要性をも描いているのです。サイモン・ペッグ脚本作品に一貫して感じられる「みんな争い事とかやめない?未知との遭遇でも観て楽しく行こうよ」という姿勢が素敵なのです。そして、何よりも最新技術を駆使しポールの動き全てを疑いようのないものとして作り上げた技術と、ポールの気持ちいい人懐っこさが相まって一切の違和感を抱く事なく好きになれ、そして今この瞬間も宇宙のどこかで美味しそうに葉っぱを味わっているんじゃないかと想像させてくれる事が、この作品の最大の賞賛ポイントです。
[映画館(字幕)] 9点(2012-01-11 19:00:03)(良:1票)
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