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ユーカラさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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781.  トイ・ストーリー3
序盤の列車アクション、2度のゴミ回収、飛翔による脱出、夜間の「脱獄」のシークエンス、そして溶鉱炉へ向かうコンベアーラインの活劇。いずれも縦の構図による遠近法に立体効果を活かした極上のサスペンス演出。同時に、水平軸から垂直軸へのアクションを複合させることで共通しており、空間表現としても大変充実している。(第一作でみせた、カーアクションから一転、ロケット上昇という見事な軸転換から全くぶれていない。)  それら空間造形術といい、暗いナイトシーンが支配する「サニーサイド」保育園の構造的隠喩といい、ポール・グリモーから宮崎駿経由の継承が窺える。(冒頭の同時上映『デイ&ナイト』の主題とも通じ合う)  絶妙にデフォルメされた全身表現によって付与される人形たちの喜怒哀楽の感情と生命感。内気な少女の細やかな仕草・表情変化の豊かさ。脱出シーンの切れ味の良いパンショットやダンスシーンの見事なカッティング。溶鉱炉の赤から、夜明けの美しい光への推移。全編見所に溢れている。  そして、文字に拠らずに行為の画面で語ったラストは大したもの。
[映画館(字幕)] 8点(2010-09-25 23:15:07)
782.  悪人 《ネタバレ》 
各役者とも決して動の演技が少ないわけではないにもかかわらず、表情芝居のショットが多い。ために、キャラクターへの心理的同化の効果は高いだろう。 (久石譲の雄弁な劇伴も相変わらずだ。)  雨の事件現場、傘の中で柄本明に無言で応える満島ひかりの表情の切り返しショット、続いて真上からの俯瞰ショットを繋げた喪失感の演出などをはじめ、確かに随所で達者な表情が引き出されている。  けれどよりエモーションを掻き立てられるのは、遺体安置所の廊下で支えあう夫婦のシルエットや、バスにお辞儀する樹木希林の背中であったり、湯によって温まる足指や、引き離される手と手といった部位による芝居だ。  あるいは・夜・曇天・風雨が主体の撮影のなかで、フロントガラスを流れる雨垂れを通して滲んだ不鮮明な表情や、灯台のシーンで夕闇の黒の中に消え入りそうになりながら強風の中を駆け上がる深津絵里の俯瞰ショット。つまりは見えない表情の喚起力である。 そしてその夜間においても見事な情景撮影は、凍えるような外気温と、二人の体温をも確り伝えている。  灯台に迫る警官隊のライトの列は、伊藤大輔の御用提灯を想起させるような粋な趣向だった。  
[映画館(邦画)] 6点(2010-09-20 22:04:23)
783.  借りぐらしのアリエッティ 《ネタバレ》 
さらにシンプルさの美徳を極める宮崎脚本。百戦錬磨のストーリーテラーにとって、一般受けしそうな物語的起伏や善意の公式テーマ的なものをそれらしく放り込んで安い感動を作リ出すことなど容易いはずだろうが、それらは結果として作り手の最も見せたいものを見えなくするだろう。  例えば、テントウムシやアリ達の足の動きが表現する生命感であり、蔦の葉の揺れ具合が表す大気の感覚である。針子仕事や洗濯物干しといった労働の所作の体感。上下軸を活かしたアクションの爽快感。少年からもらった大事な角砂糖を両手で受け取り右足でバランスを取りながら大切にバッグにしまう細やかな動作が伝える少女の感情。  それらの瞠目すべき動画再現力、つまりはアニメーションの本質的な醍醐味が、作劇の賢明なシンプルさによって引き立っている。 音の感覚についても同様だ。  スタジオロゴに風鈴の音が重なり、「あの夏の一週間」を回顧する少年のモノローグで映画はスタートする。風と音の記憶に導かれた少年の回想としての物語であり、それは二人が出会う時、風と音を介していたことに拠っている。  孤独な者同士が始めて見詰め合う官能的な場面の息詰まる感覚の素晴らしさ。頬を赤らめる少女と、穏やかな息づかいの少年。それぞれが纏うシーツとティッシュペーパーの衣擦れの音。「見られてはならない」禁忌ゆえに、少女の内奥に芽生えたかもしれない裏返しの願望。彼女はラスト、自分を見てくれた相手に真っ直ぐに視線を返してあげる。  宮崎脚本が本作でも一貫したモチーフとして描くのは、存在そのものの孤独であり、関係性への憧憬であり、そしてそれへの共鳴と開放である。(少年がベッドで読むバーネットの童話もそれを示唆する。) 
[映画館(邦画)] 8点(2010-09-13 23:11:29)
784.  ベスト・キッド(2010)
北米の意識はもはや日本ではなく中国にあり、という感じでパワーバランスの時代推移を厳然と反映している点、リメイクだけに興味深い。  寄り気味のカメラは、多用されるフォロー移動とともに、観客が見るべき対象をひたすら限定して先導してくれる。ここだけ見なさい、というサービス過剰な介護式。加えて、饒舌なBGMがここぞという場面を盛大に誘導・援護してくれる。だからとにかくわかりやすい。 そして、アクションシーンの編集は少々リズム偏重気味で「ワンショット性」に欠け、剛柔の表現としては不満を残すのだが、序盤中盤で何度も反復された円や弧のモチーフは武術の基本として止めの回転技として活きてくる点は見事。  また、光を意識した印象的な画面も豊富でいい。ガールフレンドと戯れる公園の噴水に反射する光、影絵劇場の幻燈、J・チェンがJ・スミスを諭す中庭の場面での眩しい入射光、そしてヘッドライトの光の中に浮かび上がる二人の教育と伝授のシルエットが感動的だ。(それを影から見守るT・ヘンソンの姿も)  そして、キャラクター達も主演二人を始めとしていずれも魅力がある。いずれの登場人物も何らかの弱さを持ち、それを克服させ成長させるという作劇の丁寧さゆえでもある。 特に、作り手の少年少女に対する目線の温かさは心地よい。  トーナメントの前、贈られた道着に対してJ・スミスが漏らす『ブルース・リー』の一言に初めて顔をほころばせるJ・チェン。その笑顔が泣かせる。 
[映画館(字幕)] 8点(2010-09-04 20:57:59)
785.  ハナミズキ
『涙そうそう』に続いて有名楽曲をモチーフにしたアイドル映画だが、 安易な死を用いた泣かせ志向の脚本も相変わらずである。  ヒロインの生活感や身体感覚の欠如ぶりも初作『いま、会いにいきます』から全く進歩がない。新垣結衣はプラトニックな世界で単に物語に沿った喜怒哀楽の表情演技を見せるのみである。   たとえば「稲荷寿司を既に食べてしまった」というやり取りが象徴するように、この映画で彼女がまともに食事するシーンはほとんど無い。この映画に限ったことではなく、現在の「アイドル」映画の一般的傾向で、寝・食という非物語的かつ非アイドル的行為は説話的経済性と女優イメージ保護からか真っ先に映画のシーンから排除される。 結果的にヒロインは人間味を欠き、浮世離れする。  実際は物語的には無意味にみえる日常的な食事こそふとした人間味を露呈させる生活行為であり、優れた演出家は人間描写として食事シーンを決して疎かにしない。 ヒロインの実在感の希薄さ、人間性の欠如の一因は心理の説明不足などではなく、演出家の身体行為に対する感覚の欠如に由来するというべきだろう。  その点、生田斗真の朴訥とした所作と方言と労働ぶりはまだ共感性が高い。  原曲のモチーフとはいえ、甘い恋愛ドラマのお飾り程度に9.11やら戦場カメラマンを利用する安直ぶりも気になる。
[映画館(邦画)] 4点(2010-08-29 22:01:41)
786.  ペルシャ猫を誰も知らない
タブー的題材(アンダーグラウンド音楽)ゆえ、ほぼ手持ちのゲリラ撮影が主体。 ラフではありながら、迫真性とリズム感を持った「見せる」画面である。小手先の作為的手ブレ手法に寄りかかった作品群の浅薄さの対極といえようか。 暗い路地や階段での移動撮影も、対象を的確なフォーカスで捉え続ける撮影スタッフの優れた技量と臨機応変ぶりが伝わる。  題材の「規制」などまるで感じさせないバイク・自動車による奔放な移動の画面には若々しいフットワーク感覚が漲り、音楽と共に活写される街の表情、白い外光の中で音頭を取る音楽教室の子供たちの表情を捉えた画面が瑞々しい。 口八丁で警察を煙に巻く青年(ハメッド・ベーダード)の達者な長弁舌も音楽的に特筆すべきもの。  また、前3作に続きこの映画でも高地から望む情景が非常に特長的であり、印象強い。 ビルの屋上、高台から望むテヘラン市街の夕景。その高みが悲劇の場所ともなるのも、前作に連なる主題。
[映画館(字幕)] 9点(2010-08-20 19:26:35)
787.  インセプション 《ネタバレ》 
水飛沫を効果的に使った高速度撮影の用法と複数のクロスカッティングが、時間感覚の設定と巧く絡み、クライマックスのカウントダウンにはそれなりに切迫感がある。 チームメンバーの分散と各階層の分散によって、5つのシチュエーションのクロスカットを何とか強引に纏め上げたのは流石というべきか。それも、ハンス・ジマーの劇伴にかなり負っているが。  反復はクドく、主体が分散しすぎで、親子のドラマ、夫婦のドラマ、メンバー間のドラマと欲張ったもののいずれも冗長かつ中途半端で盛り上がらない。設定には凝る一方、アクションパートは付け足し感覚で、展開にはまるで緻密性を欠く。(夢だからね。)  夢には欠かせない水のイメージは豊富で良い。(波打ち際、土砂降りの雨、水槽、川)
[映画館(字幕)] 5点(2010-08-16 23:09:41)
788.  ソルト 《ネタバレ》 
一般的に「演技派俳優」は心の内面を表情・身振りの付加によって過剰なまでに主張しがちだが、余計な演技がない場合こそ、人物の心理・感情が生々しく伝わるのが映画の面白さ。 危険なアクションが全編にわたって連続するこの映画で、アンジェリーナ・ジョリーは走る・飛ぶ・格闘する身体運動に集中するとき、演技どころではなくなる。 一方で、心理のガードを高度に教育されたスパイの役柄を演じる彼女は、その表情を大きく変えることもない。  その演技・非演技ない交ぜの相貌が、画面に緊張とエモーションを呼び込む。特に復讐物語となる後半、その抑制的な表情と殺戮アクション自体の過激さと強度が、彼女の怒りと悲しみを強く画面に漲らせる。とりわけ中盤のアジトのシーンで、唐突にある場面に遭遇する彼女の無表情が示唆する内面の葛藤と、それに続く無表情の虐殺シーンのケレン味が感動的だ。  終盤の暗いヘリコプター内、交感する二者を結ぶ夜明けの薄明かりの水平ラインも美しい。  劇の二段構成、金髪と黒髪、高所感覚等〃の要素は『めまい』にも通ずる。
[映画館(字幕)] 8点(2010-08-14 22:59:49)
789.  シルビアのいる街で
カフェのシーンの、重層的な画面設計とアングルの妙。「シルビア」の虚像性を際立たせる、窓ガラスへの映り込みの技巧。劇伴BGMなのか、現実音なのか、その真偽を一瞬戸惑わせる強かな音楽用法。主要台詞の極端な少なさと反比例して、鉛筆の擦過音からガラス瓶の回転音まで、過剰なまでの生活音への拘り。細部まで凝った充実した映画であることは確かだが、ここまで演出が勝ちすぎると、もう少し大雑把ないい加減さや生々しさも求めたくなる、というのは贅沢か。雑踏の尾行シーンで行き交うエキストラ達のリアクションに対しても、一見ヌーヴェルバーグ的ではありながら、どこか管理と作為が感じられてしまう。画帳の頁や金髪を舞わせる風のショットの過剰性も。某『映画時評』が言うところの「やりすぎ」感なのだが、逆説としてそれが映画的楽しさといえなくもない。流れる列車の車窓と、そこに瞬間的に映し出される儚い像は映画フィルムそのものを思わせる。いかにも映画の映画らしい。
[映画館(字幕)] 9点(2010-08-08 20:37:45)
790.  何も変えてはならない
スタンダード・モノクロームの画面を包む深い黒、その中に天井からのライトで浮かび上がる女性歌手と伴奏者が遠目に捉えられる。何とも端麗で繊細なファーストショット。カメラはそれ以降も、ストローブ=ユイレ以上とも思える厳格なフィックスの長廻しで歌手ジャンヌ・バリバールのリハーサル、ライブ演奏を収録していく。あるシーンでは距離を置いた客席後方から。またあるシーンでは、フレーズごとに何度もやり直しを繰り返す彼女の表情のみを側面からの光によって部分的に浮かび上がらせ、その様を正面近い位置からのカメラがじっと見守る。その距離感が醸す緊張感と、表情変化に滲み出る豊かな人間性。彼女らと協働しながらも、撮影はあくまで慎ましい。ペドロ・コスタ特有の黒の領域が、限定的な容貌と所作、歌声と器楽をよりシンプルに際立たせる。極めて純粋な音楽映画といえば良いか。
[映画館(字幕)] 8点(2010-08-07 22:14:49)
791.  ローラーガールズ・ダイアリー
主人公がローラーダービーに惹かれる瞬間を、チラシ配りの選手達が店を出て行く逆光の縦構図1ショットで印象づける技量。父親、母親それぞれが娘の出場するダービー会場へと向かう途中経過の描写などは省いても物語に一切支障なしとする大胆さと聡明さ。  対話シーンの切返しなどは極めてオーソドクスなのだが、圧縮と省略を駆使したシークエンスごとの繫ぎが圧倒的に巧く、テンポとスピード感は抜群だ。ありふれた物語でありながら、場面転換の妙によって観客を全く飽きさせない。簡潔性と経済性の美質が弁えられている。  一例あげるなら、ヒロインがコンテストの控え室から決勝戦の試合会場へ向かうシーン。車の発進をワイプの効果として使い、一人の少女がヒロインの着るはずだった衣装を纏い見送る姿を捉える。その簡潔にして雄弁なワンショットが、さらにラストのスピーチ原稿に連なっていく語り口の見事さ。  それでいて、物語とは無縁なショットの豊かさが映画を充実させる。金色の草原の情感。プールシーンの光の揺れや、二人の飛び込みと同時に水中に潜るカメラの垂直移動の気持ちよさ。腕立て伏せなどを始めてしまうあの司会者の可笑しなパフォーマンスは即興だろうか。 愛すべきキャラクター達の魅力的な表情を的確に掬い取る手腕に恐れ入る。  エンディングロールを見ると膨大な楽曲数なのだが、全編すっきりまとまっているのも好感度高い。
[映画館(字幕)] 9点(2010-07-26 23:21:58)
792.  私の優しくない先輩
序盤から延々と続くモノローグに、役者の漫画的身振りと表情演技とテンションに、過剰な画面加工と効果音に、この先どうなることやらと白け気味になりかけるのだが、中盤の恋の駆引き劇あたりから不穏感と気まずさを湛え始め、徐々に引きこまれる。  雨の中、山の手にある友人宅から坂を下り夜の川原へと、劇は浮遊感から下落のイメージに包まれ、後半の生々しい撮影スタイルと川島海荷のオルターエゴであるモノローグは凄味を増し、画面との齟齬は対位的に増幅されていく。  シンクロか否かよくわからないが、後半の体育館内および火まつりシーンでの二人の生々しい台詞の応酬ともつれ合うアクションが、炎と闇のスペクタル性と共に素晴らしい。  そして出演者全員によるエンディングも、スタイルは全く違うが大林版『時をかける少女』のラストを思わせる至福の時間。  キャストの振り付けの統率とロケーションに合わせた配置。時々刻々の入射光の加減を配慮し、手持ちからクレーンへの自然な繋ぎまでこなしたキャメラワーク。このロングテイクにはスタッフ・キャスト共々、相当な準備が費やされた筈。熱情の賜物といえる。
[映画館(邦画)] 8点(2010-07-25 23:56:54)
793.  パリ20区、僕たちのクラス 《ネタバレ》 
冒頭での教師同士の自己紹介などを除き、基本的に物語に関する背景や説明的描写は大幅に省略され、原題通りカメラは校舎の外へ出ることなく教師と生徒、あるいは教師同士のコミュニケーションをひたすら捉えていく。通俗的起承転結も大団円もなく、彼らの間では葛藤・摩擦・対立が次々と生起し、授業そのものが優れてサスペンスフルな劇となる。多国籍・多人種・多階級の社会を生きる生徒たちと教師による舌戦の丁々発止ぶりが非常に面白い。強かであったり、反抗的であったりと、個性豊かな生徒達の表情に現れるフィクションと写実のせめぎ合いが画面に緊張を漲らせ、非常に見応えがある。カメラは教室の全体像を収めることはなく主として発言者の横顔を大きく捉えるが、同時に周囲の生徒たちのリアクションも確りフレーム内に収めており、画面はフレーム外の世界と、共存者たちの存在を常に意識させる。極端に狭い校庭で、教師と生徒混合でサッカーに興じるラストの図はほとんど個人戦の様相だが、その雑然感が良い味を出している。  
[映画館(字幕)] 7点(2010-07-21 20:27:04)
794.  斬人斬馬剣
現存するのは、本来122分だった作品を26分に短縮したダイジェスト版(1秒間18コマ)。一般に傾向映画の先駆といわれるように、前半のコメディパートにも当時の不況の模様が滲んでいたり、農民と代官側が相対する「オデッサの階段」風のモンタージュ等に階級闘争の主題が窺えたりするが、それよりなにより活劇映画として頗る面白い。群衆の中を掻き分けるような移動ショットのダイナミズム。月形龍之介の贅肉のない上半身が繰り出す剣戟の凄味。十字架に磔にされていく農民とのクロスカッティングと共に、寄り引き自在の撮影技巧で魅せる怒涛の馬術アクションは素晴らしいの一語。全速力の馬と並走しながらの、槍による豪快な一騎打ちのショットなどは一体どのように撮影したのか。舗装などされていない畦道でのチェイスアクションをカメラは微振動に押さえつつ、被写体である騎手の表情をも確りと映し出す。その無作為の微振動が生み出す迫力と疾走感の前には、間違いなく影響を受けているはずの黒澤明『隠し砦の三悪人』の騎馬シーンすら霞んで見える。カメラの揺れとはこうあって欲しい。
[映画館(邦画)] 10点(2010-07-18 13:37:04)
795.  ランジュ氏の犯罪 《ネタバレ》 
オープニングタイトル文字の背景ともなる中庭の石畳。その中庭空間を自由奔放に移動しながら多くの登場人物たちを活き活きと映し出していくジャン・バシュレのカメラが素晴らしい。屋内シーンなら窓外、屋外シーンならば窓内と、一つの画面の中には二つ以上の空間が常にあって重層的で豊かな世界を作り出す。出版社社長バタラ(ジュール・ベリー)と愛人(シルヴィア・バタイユ)の別れを列車の中から捉えたショットや、足を事故で骨折した青年が寝ている窓辺に、通りを挟んだ向かい側の窓から同僚に支えられて恋人がやってくるショット等が特に印象深い。特に後者などは暖かい陽光の感覚と、二人が寄り添う窓枠に座った犬がまた良い味を出していて幸福感は格別だ。続く自転車のシーンの開放的なロケーション撮影も清新な感覚に溢れている。そして本作品でのカメラワークの極め付けは、ランジュ氏(ルネ・ルフェーブル)が神父姿のバタラを追って階下に下っていくのを屋外から追う下降移動と戸口からのさらなるパンニングのショット。抜群の照明処理とも相俟って、観る側も息詰まる圧巻の場面である。寒風の吹く砂浜を男女が行くラストの切返しが暖かい印象を残す。
[DVD(字幕なし「原語」)] 9点(2010-07-12 21:34:42)
796.  アウトレイジ(2010)
横長を活かし居並ぶ組員の顔を次々映し出す水平移動のファーストショットは、真正面からの唐突なバストショットで開始された従来作品のような不可解性がなく、状況説明としても格段に解り易い。並んだ彼らのお辞儀のロングショットのみで組織内の序列も簡潔明瞭に示される。  主眼のヴァイオレンス描写の一方で、何気ない所作やありふれた小道具一つを以って人物の性質を語ってしまう演出力は依然として冴える。旧作において、組長を前に畏まる幹部の中で北野一人が平然と煙草をふかしていることでアウトローぶりを際立たせた人物描写(『ソナチネ』)や、喫茶店のウエイトレスがいつしか煙草を吸うようになっていることで示された経年描写(『キッズ・リターン』)等、さりげない煙草の演出は本作品でも巧妙に変奏される。警察署前での吸殻をめぐるエピソードの反復によって、椎名桔平の人物像とパワーバランスを明瞭に浮かび上がらせてしまうのがそれだ。あるいは、國村準の台詞「コレ(高級洋酒)、飲んじゃおう。」なども彼の人間性を雄弁に語らせており、小道具活用は自家薬籠中のものといった感がある。  黒の車体、革靴の表面を彩る黒光りの艶かしい様や、鈍いブルーの印象的な配置も堂に入っている。  新味としては、殺戮後のサウナ内や路上の惨殺死体の横を車が通過する緩い水平移動の不気味な感覚など、死体と車両のショットにおいて最もシネスコが意識されているように感じられる。あえて静の間を延ばすような、中盤でのフェードアウトの繰り返しも新しい趣向だがあまり効果を感じない。  
[映画館(邦画)] 8点(2010-06-27 20:20:42)
797.  ヒーローショー 《ネタバレ》 
ラジオから流れ出した軽快なエンディング曲『SOS』がドラマの哀切と一種の対位となり、効果を挙げる。その70年代の曲調が映画に陽性の余韻をもたらすかと思いきや、最後に再びラジオ音源へと戻ることでシビアな現実への回帰をダメ押しする。空疎感と厳しさと温かみが綯い交ぜとなった絶妙なバランス加減。または夜のアパート、後藤淳平とちすんが語り合う静かなシーンで、突然後藤の腹が鳴って二人は笑う。その悲喜の組み合わせが何とも言えぬ切ない情感と人間味をさらに引き立てる。『のど自慢』の秀逸なバリカンのシーンを思い起こさせるような、泣き笑いの結合の演出はいまだ健在だ。それは、各々の役者が独特な個性を体現し、ぶっきらぼうであったり所在なさげであったりという佇まい自体がこの作品によく嵌っている事にもよる。特に夜のシーンが多いが、その暗がりの中に浮かび上がる眼の光、顔の艶光、硬く強張る表情だけで以って画面に強度を与えている。
[映画館(邦画)] 7点(2010-06-25 21:31:53)
798.  書道ガールズ!! -わたしたちの甲子園-
前半に登場する、昔ながらの半紙作りをしている小さな製紙工場は実際の現場だろうか。その地味ながら年季の入った風情と生活感が非常に渋い。売れ残った半紙を燃やすドラム缶の炎なども印象的な画だ。 ローカル駅や、寂れた商店街、丘の一本道や煙突を望む海辺の風景など、地方色の出し方は『シムソンズ』のように定番的で地元FC任せの感もあるのだが、そのロケーション自体の魅力にかなり助けられている。  121分という冗長なドラマもオーソドクスというより、ただただ官僚的。秘されていた楽曲が判明する夜のシーンと、翌日の部室のシーン、話の流れとはいえ同じ曲を2回も立て続けに流すというのは、あまりに芸が無さすぎのような気がするが。岩代太郎の音楽も主張しすぎ。書道を映画表現するにあたって、半紙を走る筆の音をBGMで邪魔してどうするのか。せっかくの紙ズレの音がよく聞こえず、書道の感触が伝わらない。ヒロインの力感ある大筆さばきはとても素晴らしいのに。(体育館での書道の練習中、飛んできたバレーボールをレシーブで防いだ男子生徒の咄嗟のアクションもナイス。)  それにしても、クライマックスでヒロインを見舞うアクシデントまで先行の劇場予告編で小ネタばらししてしまうテレビ的無神経は腹立たしいばかりだ。
[映画館(邦画)] 4点(2010-06-22 21:47:18)
799.  座頭市 THE LAST
緊迫した長回しの中、縦構図で捉えられた長屋のオープンセットの奥側右手から、あるいは賭場の衝立の裏から、不意に出現する市の瞬発性。そのまま持続するショットの中で雪崩れ込む殺陣の速度感が見事。雪山の急峻な崖から、屋敷内の小さな段差まで、殺陣には緩急だけでなく高低差のサスペンスも活かされ、多人数掛けから一騎打ちまで、アクションに関しては全く申し分なし。  序盤の山林から、廃村、水田、浜の小屋など、庄内映画村のセットを活かした個々の美術も多彩で、時代劇映画の地勢的制約や窮屈さを感じさせない。(ただ些細ながら、砂浜と農村のロケーションがちぐはぐで位置関係的に無用な混乱を招く。)  また、再会した香取慎吾と工藤夕貴が海を背に語り合うショットや、香取と倍賞千恵子が夜の雪原を背に語り合うミドルショットの対話の間にはいかにも阪本監督独特の味わいがあり、『王手』の日本海のシーンなどを思わせる何ともいえない情感を湛えている。  概して主演アイドルは顔面に心理を大仰に貼り付けすぎるだけに、こうしたシルエットのシーンや、包帯等で顔を隠したショット、引いたショットでのアクション等のほうが逆に強度を以って迫ってくるのだ。
[映画館(邦画)] 8点(2010-06-19 16:35:29)
800.  トロッコ
台湾の潤い豊かな緑の中をトロッコが走り出すと共に高鳴る叙情的なヴァイオリン音楽。川井郁子のノスタルジックな音色と、李屏賓の移動撮影の高揚感と、その融合の具合がとても絶妙で陶然となる。 トロッコの軌道上から縦移動で捉えられた、緩やかに流れいく情景ショットなどには侯孝賢礼賛が直截に現れている。  超微速のカメラの動きが醸す緩やかな時間の感覚。屋内に入り込んだ自然光が、床からの照り返しで人物の顔を浮かび上がらせるナチュラルな光の感覚。 昼の屋内でも、暗闇の空間が確りと活きている旧家屋建築の魅力。夜の食卓を照らし出す電球の灯の温かみと、ブルーがかった夜の庭の色調バランス。いずれも素晴らしい。  下手に父親の回想シーン等を持ち込まない慎ましさも好感度高いが、それらにしても、律儀に侯孝賢をなぞっている感があって、やはり既視感は否めない。  母親役の尾野真千子が役者的演技をしすぎの感があって、惜しい。  
[映画館(邦画)] 7点(2010-06-13 17:39:42)
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