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ユーカラさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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921.  夫婦フーフー日記 《ネタバレ》 
『婚前特急』が悪くなかったので観てみたが、開始10分くらいで出たくなる ひどい映画だった。  がさつで可愛げのない永作博美のキャラクターはそれが美点に転化することはなく、 最後まで情が移ることがないのは撮影の巧拙の問題だけではない。 ハンバーガーを頬張る表情に何やら過剰に思い入れているようだが、 作り手の一部だけの自己満足のようにみえる。 はっきり云って、どうでもいい。  佐々木蔵之助に号泣芝居をさせれば、もらい泣きでも頂戴できると目論んだか。 はっきり云って、下品である。  シックス・センスがどうとか、固有名詞を羅列したボケ・ツッコミの 対話もことごとくつまらない上に、幽霊的存在の表象にもまるで工夫が みられない。 現在の二人が過去の場に立ち会うだの、時制弄りだの、 手垢のついた設定は無意味で退屈の極みである。  運動論的に云えば、看病や仕事や育児や執筆で悪戦苦闘する様を具体的に描写するのが 映画化の意義だろうに、どれもこれも中途半端で、 特に子供に関しては育児放棄の印象しかない。  移動は高速バスに揺られているだけ。 最後にとりあえず少しだけ走らせてみました、というのがまた生ぬるい。  結局、45分のテレビで済むオハナシに過ぎない。
[映画館(邦画)] 2点(2015-05-31 21:30:07)
922.  永遠の0
無駄に氾濫する説明台詞に、その会話が始まると同時に鳴り出す説明調のBGM。 このパターンが全編にわたって続く。 おまけに語り手自らが感傷に溺れきったナミダナミダの鬱陶しい表情芝居の羅列と、 手とり足とり。これは幼児向け番組か。  思い入れも過剰にキャラクターに寄りすぎのカメラは引くことを知らず、 ダラけた脚本は、省略というものを知らない。  一枚の写真は最後に一度だけ効果的に見せれば十分だろう。何度も見せる気が知れない。 橋爪功の知るはずのない、一夜の帰宅シーンのエピソード。 なぜ、それをあたかも橋爪のフラッシュバックのごとくに視覚化し、 現在シーンの三浦春馬らのショットへ繋げるのか。 ここも、後半の井上真央に語らせればすむだけのシーンだろう。  見せるばかりが脳。見せないことで語るということをまるで知らない。  いくらシネコン映画とはいえ、観客をなめすぎではないか。      
[映画館(邦画)] 2点(2013-12-26 22:26:51)
923.  しあわせのパン
いくら寓話とはいえ、この度を越してメルヘンチックで空虚で生活実感のない 主人公夫婦のキャラクターの空々しいあり方は何なのか。  いくら絵空事とはいえ、この度を越して退屈で幼稚で深みのない 妄想エピソードの漫然とした並べ方は何だろう。  生計であるとか労働であるとかは、ことごとくオママゴト以下の描写でしかなく、 山や湖は単に観光向けの小奇麗な風景でしかない。  そしてカップに注がれるコーヒーを、皿に盛りつけられる野菜スープを 単に真上から撮って良しとする安直なショットからは、 食の魅力というものがまるで伝わらない。  そもそも肝心のパンが大して美味しそうにみえないという、 褒めどころのない映画である。 
[映画館(邦画)] 2点(2012-09-10 22:45:13)
924.  アーティスト 《ネタバレ》 
幾度も導入される鏡面、水面、質屋のショーウィンドウといった反射装置、または肖像画、あるいは階段などの建築構造で以て「映画スターと映画」という虚像および虚構空間の隠喩をやらんとする意図だけは伝わる。 しかし、まさにその意図だけしか伝わらない。理屈だけの、体裁だけのオマージュ。  「モノクロ」「サイレント」に対するも然り。モノクロは単にモノクロであるだけで、レンズのフォーカスや照明の繊細な技法が創り出す画面の艶やエモーションに対する無頓着を見せつける。   『サンライズ』など、どこにも見当たらないが。  フィルムが燃え上がる炎も煙も、タランティーノの画面にも遥かに及ばない。  犬の「芸」はただ単に人間の調教ぶりを示すだけだ。  加えて、饒舌で説明的で煩わしい劇伴音楽がさらに画面の邪魔をする。  恐らくはグリフィスを意識しただろう「最後の瞬間の救出」のクロスカッティングがこうも盛り上がらないとは。  とどめは、サイレント俳優がトーキーへの「適応手段」として思いつきのような「名案」に乗って要領良くタップダンスに転向し活路を見出すという安直な作劇。 幼少から鍛錬と努力を積み上げてきたはずのハリウッドのダンス「アーティスト」達も随分と舐められたものだ。この脚本では、そう取られても仕方ない。 だから、頭でつくられたダンスになりさがる。  ケリーかアステアか。どうでも良い。そういうスタイルの問題ではない。 
[映画館(字幕)] 2点(2012-04-12 22:09:09)
925.  おっぱいバレー
序盤の校庭場面をはじめ、無駄にダイナミックなクレーンショットが多いのだが、肝心の試合場面になると急に鳴りを潜めてしまう。ラリーが続かないのだから当然だが。タイトルに競技名を冠する映画にあるまじき非スポーツ感覚である。大半の試合場面はほぼ割愛。大半の練習場面は準備運動レベル。クライマックスはスローによる引き伸ばしにごまかし編集と、どこまでも動感を欠く。(冒頭の坂道のシークエンスも疾走感覚まるで無し。)  レシーブからスパイクまでの連携プレーを捉えたショットはかろうじて1箇所しかなく、上達や成長や努力を示すのは台詞のみで、それらを提示する画面は終ぞ現れない。僅かなりとも役者本人による実技の上達ぶりこそ、同系統の映画のせめてもの見せ場だろうに。「Aクイックも出来ない」という台詞が序盤にあるのなら、せめてその程度は最後に実演してみせる矜持が欲しい。 基本のフォーメーション描写を一切欠いた上でのフェイント攻撃に何の驚きや感動があるのか。『トップガン』の、ファンサービスに過ぎない僅かなバレーシーンのクレーンショットの方が遥かにマシなのだから困ったもの。  本来、身長・体格で個性を描き分けられるべきメンバー6名がみな似たような容貌で没個性となり、ドラマの中でも、教師とも仲間とも何ら葛藤といえるものがないのだから、盛り上がらないのは当然である。もはや手垢まみれのレトロ趣味戦略に、安易な懐メロ垂れ流し、露骨な感傷志向と、あまりに程度が低い。  夜の操車場や廃車置場、部室小屋の風情は良いし、体育館内から捉えられた眩しいグラウンドなど、良いショットもそれなりにあるのだが。
[DVD(邦画)] 2点(2010-05-23 23:09:31)
926.  牛の鈴音
「農薬を使えばよいのに。」「機械を使えばよいのに。」夫婦間ではとうに了解済みのはずの矜持を、愚痴の形で観客に説明することを強いられる夫婦に同情する。キャメラという権力による暗黙の強要。可哀想なことに、逆説的な自慢に聞こえてしまう。企画段階から当然目論見通りというべき結部も、案の定、安易で破廉恥な品性を露呈させている。穿った見方で恐縮だが、余命一年のはずが予想外に寿命の延びた牛に予算不足のスタッフは何を思ったことか、実に興味深い。三年目にして、臨終が近いと連絡を受けたスタッフ達は「久方ぶりに」「勇躍」、現場に駆けつけたという(解説書参照)。町中で、デモの群衆の前に夫婦の牛車を思惑通りに配置させるいやらしい構図。市場で牛が売れないことをあらかじめ見越した上で、ぬかりなく用いられる感傷的な高速度撮影。埋葬場面に立ち入り、墓穴まで覗き込むキャメラの無節操、さらには媚びと阿(おもね)りそのものというべきBGMの挿入。いずれにもスタッフの醜い打算と邪心を感じずにはいられない。
[映画館(字幕)] 2点(2010-04-08 20:36:37)
927.  COACH 40歳のフィギュアスケーター
シンプルなドラマなら誠実に正攻法で描けば良いものを、このやたら奇を衒った目まぐるしい編集は何なのだろう。シークエンスを細かく寸断しまくり、無闇やたらにフラッシュバックしまくりで観客に無駄な混乱を与える意義がまるでわからない。このような細切れ編集がスタイリッシュとでも勘違いしているのだろう。人物相関も不明瞭な上、主人公を美しく撮る意気が見えないので当然、キャラクターへの思い入れなども起きようがない。主人公と少女が再会する会場内の位置関係の不明に見られるように、空間把握も不満足。試合場面は、延々と解説者の解説音声を垂れ流すという極めて安易なテレビ的発想に寄りかかる貧困ぶり。悪趣味の極めつけは、彼女を応援する観客たちに、足を踏み鳴らして採点に抗議させるというクライマックスの信じ難い見苦しさだ。やる気のない仕事どころか、積極的な悪意を感じた。
[映画館(邦画)] 2点(2010-03-10 19:42:16)
928.  宇宙戦艦ヤマト 復活篇
ロクに動かない、ほぼ一枚絵(「非アニメーション」)で表現された覚束ない野生動物の動き。要するに、観察力も作画力もなく、チェックシステムも機能していない。CG主体のメカニックアクションや、爆発描写には嬉々として拘る一方で、人間・動物のアクションはまるでダメという、アンバランス極まりない主流現代型日本アニメーションである。人物の動作は最小限、ほとんどがバストショットあるいは正面と横顔のアップで、単純な目パチ・口パク・頷きで間を持たすバリエーション。いかにもメッセージ・テーマを最優先させる典型的省エネ作品だ。個々のショットの豊かな活劇性を重視する宮崎監督型の対極。(手書きのタッチに拘った最新作とも好対照だ。)例えば、主人公の艦長が娘を残骸の下から助け出す作画の貧弱さ。宮崎監督ならば、腰をかがめ梃子を押し上げる渾身の動作をより力感をもって演出し父娘の感情表現に結びつけるだろうし、生存者を探す動作も忘れまい。何よりも上述した動物のアニメーションに対して絶対に手抜きしないだろう。この映画が一応掲げているらしい「地球賛歌・生命賛歌」の主題を提示する、本来なら最も重要な場面のはずなのだから。正に画面は正直で、この映画の謳うテーマが心にも無い取ってつけたようなものだから、肝心の場面で心のこもらぬ「動かない動物」の絵と成り下がる。
[映画館(邦画)] 2点(2009-12-22 23:01:43)
929.  真夏のオリオン 《ネタバレ》 
ファンタジー映画に考証ミスなどはどうでも良いとして、劇構成・脚本がかなり幼稚。過剰なファンサービスであろう主演タレントのクロースアップ過多の画面には、潜水艦映画の演出とは違う意味で窒息感が充満していた。麗しいロマンスから専門用語羅列に頼んだ似非アクションまで、戦争をダシに「売りの要素」を節操無く八方美人的に詰め込んだ「水増し大作主義」の散漫さはこの映画のというよりシネコン興業システム自体の問題とは思うが。回想形式の作劇自体の不味さがサスペンスを損なわせ、回想の回想が何度もドラマの流れを阻害するという、これはやはり「水増し」の弊害にもよるのだろう。その割に人物像の掘り下げのない、何とも浅薄な二時間である。  
[映画館(邦画)] 2点(2009-06-27 19:27:36)
930.  感染列島
キャスト数の無意味な膨大さは逆に誰一人として満足に人間を描写出来ず、舞台の散漫な広げ方は映画全体を弛緩させるのみ。冒頭の農村での無駄な説明台詞からして、早々と語るに落ちた冗長さ。余計な音楽の入れ方からして盛り上げたいらしい魂胆は十分伝わるものの、まるで情感の湧き上がらない恋愛ドラマとしての演出。深度が極端に浅く工夫も面白味もまるで無い、『雷魚』の監督らしからぬ構図、照明、カッティング。「映画内テレビ」が象徴するように、文字情報と必然性なきCG映像に頼りきった無味乾燥な画面。俳優の悪趣味な記号的絶叫演技。主題としても、画面としてもほとんど活かされることのない「りんごの木」や「東南アジア養殖問題」に明らかな、いわゆる社会派作品として見ても致命的に弱い問題提起力、etc、、、悪い面を挙げればきりがない。
[映画館(邦画)] 2点(2009-01-24 23:09:35)
931.  傷物語Ⅱ 熱血篇 《ネタバレ》 
あの字幕はゴダールを気取ったか何かだろうか。ただただ鬱陶しい。暗闇と雨と蒸気と、確かに「NOIR」かもしれないが、しつこい。 面白味の無い格闘に、面白味の無い会話のサンドイッチが続く。  『魔女の宅急便』で二木氏が原画を担当した細やかな草々のなびきには文化の味わいがあるが、 この無機質なCG草原の機械的な動きに感興を覚えるのは困難だ。  主人公共々さして魅力的でもないヒロインが下着を見せたり脱いだりというアレは一応エロティックなつもりなのだろうか。 ただただ醜悪でしかない。
[映画館(邦画)] 1点(2016-08-24 23:44:50)
932.  県庁おもてなし課
画面に語らせず、「高知県は最高。」「凄い計画。」と 幾度も抽象的な台詞で説明する愚。 クライマックスまでがテレビ演説というのだから、安っぽい。  たかだか5名の課員の具体的「仕事」・労働をロクに描出できない愚。安っぽい。 誰も仕事するなとは言っていまいに、「仕事がしたい」「仕事をさせろ」 と叫ばせるセンスに頭を抱えたくなる。高知県庁はよほどヒマなのだろうか。 工事中のHPも、トイレの改善の件も、すべて放り投げられているわけだ。  幾度も同じようなシーンで同じパターンで甘いBGMを入れてくる芸の無さ。安っぽい。  ご当地映画でありながら「自然しかない。」のセリフの通り、 フレームから郷土の人々を締め出し、 人間の気配の無い絵葉書のような景観だけをキレイに収めることにのみ 躍起になっている似非郷土愛。致命的に安っぽすぎる。  マーケットのシーンですら、無機質な群衆の場でしかない。  この作品、本当に登場人物が少ない。職場の人間関係、主人公らの家族関係、 街の人々の表情。何もないので、生活者としての人物像がまるで浮かび上がらない一方、 主要俳優約5名の思い入れ過剰なクロースアップだけがひたすらくどい。  「パンダ誘致論?さあ、知らない。」の三回反復の編集に象徴的なテンポの悪さ。 折角の自転車を映画の中でロクに活用しきらない感覚の鈍さ。 欠点の山である。  こういうのは、テレビだけでやって欲しい。 
[映画館(邦画)] 1点(2013-05-19 17:20:23)
933.  僕等がいた 前篇 《ネタバレ》 
同じ生田斗真出演、同じ釧路地区ロケでありながら、俳優にきちんと方言指導を施し、ロケーションを多彩に展開してみせた『ハナミズキ』の仕事のほうが数段誠実である。  主人公を取り巻く人間関係の展開、男女の距離の見せ方、映画的交通手段のあり方、季節の提示、携帯電話の用法など、様々な観点においてあまりにも演出が貧困でレベルが低い。  特に最初に挙げた二点のいい加減さは、作り手の単なる怠慢に他ならない。  方言は人物の人間味の演出と上京のドラマを語る上で必須の要件だろうし、主演二人の実力からすれば雑作もないことであるのは過去の出演作に明らかでありながら、それを課すことが出来ないのはスタッフよりもキャスト優位の環境ゆえか。それら手抜きの集積によってキャラクターの生活感が失われていく。  説話の効率の悪さも致命的である。  一例だが、生田斗真と吉高由里子が噴水のベンチで語り合うのを、本仮屋ユイカが見ていたというシーン。縦の構図一発で十分に語れるものを、俳優のスケジュールの都合かどうか知らないが、ショットをただただ官僚的に連ねひたすら説明に勤しむ。その繰り返し。 おまけに、使いどころを間違えているとしか思えない劇伴音楽がひたすら耳障りだ。  そうした陳腐で不出来なドラマと、要領の悪い語り口が駅での別れまで延々と続く。 結果、この程度のオハナシが自堕落に引き延ばされ、詐欺のごとく二時間超まで弛緩する。  そして結局、肝心の主演二人の人物像すら満足に描写できていないという体たらくだ。  後篇まで付き合う気は無い。
[映画館(邦画)] 1点(2012-03-31 23:39:01)
934.  世界侵略:ロサンゼルス決戦 《ネタバレ》 
厭戦と不況と失業率悪化の中、なりふり構わぬリクルートに精出す米軍と、物資・施設協力の見返りに露骨なゴマスリぶりをみせる製作側。(ベビーブーマーへの配慮もぬかりない。)  あまりの臆面の無さに、逆効果ではないかと心配してしまうくらいだ。 キャスリン・ビグロー『ハート・ロッカー』ほど巧妙でないぶん実効性は低いだろうが、本質は一緒だ。  軍関係の画面占拠率とアクション規模は、迎合とアピールの度合いにはっきり正比例していて、イラク侵略泥沼化を経て、尚も仮想敵の捏造と徴兵宣伝に勤しまねばならない懸命ぶりが気の毒にもなってくる。  それはともかくこの映画、相も変らぬ「故意の手振れ」にまず萎える。 こんな手垢のついた「詐術」をまだやってるのか、と。そのダサさに心底、呆れる。  いくら揺らしの為に揺らしたところで、対話シーンでは平気で切返しを使い、ビルやバスへの突入シーンの度にキャメラが先行して、兵士が銃口を向けるのを「川口探検隊」式に幾度も正面から捉えるのだから、緊張感も臨場感もあったものではない。(『ハート・ロッカー』もまったく同様。)  出鱈目な視点で、単に揺れてさえいれば「ドキュメンタリータッチ」だというなら、観客愚弄というべきだろう。  これまた手垢塗れの近視眼的「小状況」設定と近視眼的顔面アップの連続は、文字通り近視眼的ヒロイズムにまみれ、無線遮断も時間制限もカウントダウンも、ドラマの中で何らサスペンスとして立体化せず、退屈極まりない。  新鮮味も皆無で、端的につまらない。    
[映画館(字幕)] 1点(2011-09-23 21:56:47)
935.  プライド/運命の瞬間
某スポンサー丸抱えによって製作されたこの映画。 法廷シーンで「本作」が弄する恣意的改竄・方便・歪曲の数々は、山田和夫「日本映画の歴史と現代」なり、木下昌明「映画と記憶」なり、「映画芸術No386」なりに詳しいので省く。  勿論、恣意的に再構築された虚構たる劇映画を真に受けるほど観客もウブでも愚かでもなかろうし、政治性よりも社会性よりも映画はまず映画として見られるべきであるのは云うまでもない。  冒頭の、焼け跡から東條家の庭のトマトへとパンするカメラなどは良しとしても、津川雅彦のグロテスクな表情芝居と、それを捉える仰角クロースアップが何よりも映画として醜悪であり、『裁かるゝジャンヌ』とは比ぶべくもない。  「闘う東條」という劇画をやりたいのなら徹底して劇画タッチを貫けばよいものを、一方ではパールのモノローグ、大鶴義丹の狂言回しと、主観と客観が中途半端に混交し、視点が拡散し、一貫しない。苦肉の戦略上、インドを無理矢理盛り込まざるを得ない関係から構成も自堕落となり、冗長である。  『女囚さそり』シリーズや『誘拐報道』の劇画タッチと、曖昧なリアリズム演出との致命的な齟齬、それは本作同様に実際の事件を題材とした近作『ロストクライム‐閃光‐』においても変わっていない。 
[ビデオ(字幕)] 1点(2006-02-04 03:13:43)
936.  ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還
権威を盾にするわけではないが、宮崎駿などは当然ながら解っている。 「(ロード・オブ・ザ・リングの)原作を読めばわかりますけど、 実は殺されているのはアジア人だったりアフリカ人だったりする。 それがわかんないでファンタジーが大好きって言ってるのは、馬鹿なんです。」 (『ダーク・ブルー』パンフレット)と。 原作など読まなくても映画を見ただけで解るが。 9.11を経て、なおも「ピュア」に勧善懲悪を楽しめてしまうような、 隠喩も解らぬ「馬鹿」な大人にはなりたくないものだ。  この、他種族を殲滅してメデタシメデタシという欺瞞的でうすら寒い大団円には 反吐が出る。 古典という権威に寄りかかり、単に原作を絵解きしただけの、単なる原作従属物。 A級ならA級らしく、現代世界への問いかけくらい含ませたらどうか。   おまけにこのダラダラと間延びした後日談はもはや拷問である。
[映画館(字幕なし「原語」)] 0点(2014-04-05 22:43:51)
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