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鱗歌さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 3877
性別 男性
年齢 53歳

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81.  マジック 《ネタバレ》 
アンソニー・ホプキンスが全然人気のない手品師で、舞台でスベりまくってる冒頭シーンから、引きこまれてしまいます。芸人が舞台でスベる怖さってのが、よく伝わってきますね。この焦り具合。ははは。いや笑いごとじゃないって。 その彼が、腹話術をマジックに絡めた新ネタで、評判を呼ぶようになる。典型的な一発屋ですね。この後が、コワいですね。 という展開になる前に、この映画は別のコワさへ向かって行く。どうやらこれ、普通の腹話術芸ではないらしい。一人っきりの時でも人形との会話を続ける彼は、もはや二重人格みたいな状態になっちゃっているらしい。 そこまでは映画の比較的早い段階でわかるのですが、その重症度が掴み切れない。重症度と言っても、病の深さ、という意味を超えて、もはや超自然現象の域にまで達しているのか否か。基本的には、主人公の手で人形は動かされるし、主人公が横にいて初めて人形はしゃべるのだけど、明らかに音声が人形から発せられているシーンもあったりして。人形がしゃべっているのか、それとも主人公の幻聴なのか。 こういう曖昧さが、怖いんですね。何が起きるのか、何が起きうるのか、わからない怖さ。もしも人形がひとりでに動いたら怖いけれど、本当の怖さは、「もしも人形が動いたら」という怖さ、「もしかして今、動いたんじゃないか」という怖さ。 そしてもう一つの怖さは、人形の存在に引きずられていく主人公の姿。主体性を損なった主人公は、どう流されていくかわからない。この主人公と不倫してしまうアン・マーグレットは、さらにこの主人公に支配され、主体性を失いつつあるようにも見えるけれど、ラストで彼女は主体性を取り戻し・・・たように思いきや、もしかして別の何かに支配されたのでは? という「可能性」だけを提示した、曖昧な幕切れ。そう、こういう曖昧さが、怖いんです。
[インターネット(字幕)] 9点(2023-09-10 18:20:05)
82.  ジャンパー 《ネタバレ》 
テレポーテーション能力を身につけた若者が、何者かに命を狙われる。もうホントに、それだけ、の映画でして、その割り切りには好感が持てます。もちろん、登場人物が沢山出てきて、エピソードが複雑に絡みあって・・・という映画も大歓迎ですが、そういうのを作れもしないのに無理に作ろうとするくらいなら(失礼)、いっそこうやって、ただただテレポーテーションしまくる事に徹するのも、悪くないです。 この主人公、特殊能力を持ってはいるものの、それをロクなことに使っていない。この能力をどう使うか、という方向にも話は膨らまないし、膨らませない。 生き別れた母親も登場するけれど、かつストーリー上、それなりに重要なキャラのような気もするけれど、やたら印象薄くって。涙の再会なんぞどこ吹く風、サバサバしてます。 ついでに言うと、主人公がガールフレンドの母親と再会する場面もありますが、このシーンなんて、まともにこの母親の表情を映しもしない。もう、どうでもいいんですね。いかにして、物語を膨らませないか、脱線させないか。88分という短い尺を、ひたすら走り抜ける。 ひたすら繰り返す、空間移動。意味も無く東京にまで飛んできて、東京ロケを敢行したり。その他その他、いったい一本の映画に、どれだけの光景を詰めこもうというのやら。 と言うわけで、いや何かこの映画オモロイなあ、と思いながら見てはいたのですが。しかし、アクションシーンが雑なのか何なのか、イマイチわかりづらい。そこにさらに空間移動が重なって、正直、何が何やら、画面に集中し切れず。こういうハチャメチャな映画を作ろうという意気込みには頭が下がりますが、映像で惹きつけようという映画のその映像が、「見にくい」というのは、ちと痛い。
[インターネット(字幕)] 6点(2023-09-10 17:15:26)(良:1票)
83.  ホドロフスキーのDUNE
結局は製作されなかった実在しないSF超大作を、「まさに傑作である」とドキュメンタリ冒頭からやたら誉めそやす。これだけでも充分、聞いてて不安になってきますが、その後続く証言を聞いているうちに、その熱量に圧倒されて、不安も消し飛んでしまいます。もっとも、実際には作られなかったんだから、不安に思う必要は無いのですが。 しかし、いやコレ、もしも作られちゃったりしていたら、大変な事態に陥っていたんじゃなかろうか、このホドロフスキー監督作の『DUNE』。ヤバそうな臭いが、プンプンと。 自分が目指すのはあくまで芸術だ、ということで、芸術のためなら採算度外視、成算までも度外視・・・という訳にもいかず、サルバドール・ダリ相手のギャラ交渉のくだりではチャッカリしたところも見せるけれど、基本的にはすべてが規格外。このとんでもないプロジェクトには、仲間となる「戦士」が必要だ、ということで、各界に手を伸ばし、仲間に引き入れるべくアタックする。そのメンバー選定が、話を聞く限り、なんだかその場の思い付きに過ぎないようにも思えてくるのですが、思い付きであろうがなかろうがとにかく、これぞと思えば早速アタックし、次々に仲間に引き入れてしまうこの情熱と行動力。恐るべきものがあります。 早く誰かが止めなきゃいけなかったのかもしれないけれど、誰も止めず、あるいは止められず、ホドロフスキーの妄想は、具体的な形を伴ったものとなっていく。商業的には絶対に大コケしそうなこの企画、芸術的にも「?」な感じが拭えないこの企画、このまま行くとあわや実現しかねないところで、結局ストップがかかってしまい、幻となってしまう。芸術のためなら一切妥協しないという姿勢が、プロジェクトをここまで進めた原動力でもあると同時に、それを葬ってしまった原因にもなっている訳で。必然と言えば必然のような気もするけれど、それを思うと、あのナゾの「太陽の塔」を建設する一大プロジェクトをまとめ上げ、完成させた岡本太郎は、やっぱり凄い人だったんだなあ、と。 この作品、ドキュメンタリ映画というよりは、メイキングビデオを見せられている感もありますが、普通のメイキングと違って、本編を我々は見ていないし、そもそも見ることができない、という点で興味をそそられるし、聞けば聞く程とんでもないこの作品に、ついつい思いを馳せてしまいます。インタビュイーであるホドロフスキーが話しているうちに興奮していく様を捉えているのがまた、面白くて。冷静な中にも残念そうな気持ちを垣間見せる息子との対比。 この企画が、いかにその後の大ヒット超大作に影響を与えたか、というくだりは、要するに「パクられた」と言っているのですが、これまたこじつけのようで胡散臭くて、しかし言われてみればそうかも知れない、とも感じさせて、これもまた妄想の楽しさよ。
[インターネット(字幕)] 7点(2023-09-03 07:22:37)
84.  ザ・ブルード/怒りのメタファー
「何のこっちゃ」な邦題ですが、映画を見ればこれが意外に「どストライク」な邦題であったことに気づきます。 映画の内容の方も、あくまでホラーでありファンタジーなので、こういう事が実際に起こり得るかどうかは問わないことにし、細かい部分まで納得のいく説明がなされているかも問わないことにすると―――そういう事を問うのは元々、野暮というものだけど―――「何のこっちゃ」な展開かと思いきや、最後まで見ると、邦題のコンセプトに沿ってそれなりにまとまった内容であり設定であったことがわかります。 にも拘らずこの作品には、気持ち悪さ、落ち着かさなさ、といったものが横溢しています。何とも言えぬ、割り切れなさ。 前触れなく、突然、映画に登場する襲撃者。映画の中でその正体は明かされるものの、この最初に登場した時の「いる訳のないものがいた」「見てはいけないものを見てしまった」という感覚、これがずっと尾を引いて、最後まで何とも言えぬヤな感じが続きます。確かに、「怒り」の象徴としてこの異形のものたちは存在するのだけど、そういう可視化された「怒り」の裏には、可視化しきれない人間関係のドロドロしたものが渦巻いている。もっとも近接した人間関係である家族、その家族の中にすらドロドロが渦巻いている、という落ち着かなさ。わかっちゃあいるんだけど、それをこうやって映画で突きつけられると・・・。 音楽はハワード・ショア。まだキャリア初期の仕事だと思いますが、これまたなかなかに落ち着かない音楽を響かせて、ヤな感じをしっかり増幅してくれます。
[インターネット(字幕)] 8点(2023-09-02 13:17:54)
85.  狂武蔵(2020)
子どもの頃に何となく思っていた、テレビの時代劇と映画の時代劇との違い。映画ではチャンバラしている周りに、すでに斬られた死体役が転がっているけれど、テレビでは、死体役が転がっていない・・・。 という見方が妥当だったのかどうか、今もってよくわかりませんが、もしもその基準に従うのなら、この『狂武蔵』はかなりテレビ寄り、ということになっちゃう。なにせ、宮本武蔵たった一人が、吉岡一門73人ならぬ400人(私が数えた訳じゃないけれど、そういうことらしい)を相手に、ひたすら斬って斬って斬りまくり、死体が転がっていない訳がないのだけど、なにせワンカット/ワンショットのノンストップチャンバラ77分間(私が計った訳じゃないけれど、そういうことらしい)。チャンバラの邪魔になるので斬られたヤツはそそくさと画面から退場し、これで思う存分、暴れ回れるというもの。ただし、チャンバラが小休止すると、死屍累々たる光景が現れて、死闘の凄惨さを表現します。 相当に無謀な企画で、これを面白いと言ってよいのかどうかもよくわからないし、これを映画と呼んでよいのかどうかもわからない。夕日の差す中、武蔵が動けばカメラも動き、スタッフの影なんかもしっかりと画面に写っちゃったりしているのですが、もはやそういうことは超越していて、ノンストップチャンバラという無謀なチャレンジの実況中継、ドキュメンタリみたいな側面もあります。林海象の『ZIPANG』における連続斬り、あれと発想が近い部分、無きにしもあらずですが、結果的にはほぼ真逆の方に突っ走っている。むしろプロレス中継とかに近いかも知れませんな。体を張り、限界を超えようとするその姿を、固唾をのんで見守る我々。ただし、プロレス中継の場合はカメラも複数台使うし、中継のノウハウも蓄積されているだろうし、何より、プロレスラーの多彩な技があるのですが、この映画はチャンバラのみ、カメラ一台、まさに究極の一本勝負。 だから一見、同じようなことを延々と繰り返しているように見えてしまうのは確か。なんですが、武蔵が戦いながら移動するにつれ、場所が変わり景色が変わっていく。時間の推移が感じられるかというと、これはやや希薄な気もしますが、それでも夕暮れ時の一時間余り、何となく夕日が傾いていくような感覚の一端は、映画の中に刻まれています。 いわゆるミニマルミュージックみたいな感じですかね。同じことを繰り返しているようでいながら、少しずつ変化し続け、決して元には戻らない。 「面白いと言ってよいのかわからない」と上に書いたけど、普通の意味の「面白さ」とは違う意味での感銘が、残る作品です。「映画と呼んでいいのかどうかわからない」とも書いたけれど、映画の枠ををハミ出すことによって、新たな可能性が感じられたりもする。 この作品、もう一回撮れば、まったく別の作品になっちゃうかも知れないし、10回撮れば、異なる10本の作品が出来上がるかも知れません。ただ、その「もう一回」が、できない、ということ。その非再現性が画面から滲み出てくるところに、本作の凄みがあるように思えます。 でも、どんな映画であってもそれが実写である限り、完全には二度と再現できない瞬間をカメラに収めたもの、という点は同じなんですよね。。。
[インターネット(邦画)] 7点(2023-09-02 10:25:26)(良:1票)
86.  ル・ミリオン
冒頭、屋根裏部屋の窓から男女が顔を出していて、そこからカメラがズンズンと横に移動して、屋根が連なる夜の街並みを映し出す。こんな高所でこんな横移動、どうやって撮影したんだろう、と思っているうちにだんだん、この屋根が連なる光景が、ミニチュアのように見えてくる。ワンショットで撮ってるんだからミニチュアのはずはないのに、と思いつつ、それでも何だかオモチャみたいな景色が、広がっていきます。 とか思ってたらやがて画面にオッサン2人が顔を出す。やっぱりこれはオモチャではなく、実際の街並みの光景だったのか? ちょっと不思議な感覚に陥ります。 で、このオッサンたち、何やら喧しいわい、と、とある建物の屋根の窓から中を覗くと、そこではドンチャン騒ぎ。覗かれようが、そこから口を挟まれようが、誰も気にせず陽気に騒いで、無防備というか適当というか。しかしこれ、見ようによっては「長屋モノ」の風情もあって、フランスだとこんな感じになるのね。 で、なんでそんな騒いでいたのか、そこに至るまでのドタバタを描いたミュージカル。登場人物はだいたい、適当な連中ばかりで、中でも主人公は実にいいかげんなヤツ。しかしこの文無し男が宝くじにあたって、ひと騒動、しかししかし、その宝くじが行方不明となって、ふた騒動。 ミュージカルですからトーキー作品ですが、まだまだサイレントの味わいが多分に残っていて、迷路のような屋根裏の通路でも追いかけ合いなどでも、サイレント映画風のドタバタが展開されます。これが実に楽しいんです。 オハナシもバカバカしいんですが、二転三転の楽しさ。もう宝くじは手の届かないところに行ってしまったのか、と思いきや、意外な形で帰ってきて、これもバカバカしいギャグと言えばギャグなんですが、ドタバタの後ゆえの、不思議な感動があります。一種の、緊張と緩和。 だけどだけど、それでもまだ終わらないのがこの映画。最後までツイストをかけてきます。 これ、楽しいですよ!
[インターネット(字幕)] 9点(2023-09-02 07:29:17)
87.  折れた槍
一人の若者が3年の刑期を終えて刑務所から出てくる冒頭。ちょっと任侠映画みたいですな。で、家に戻った彼は肖像画を見上げ、さらに兄弟たちとのやりとりの中に不穏な空気が流れる。 過去に何があったのか? がそこから描かれて、終盤にまた現在、そして肖像画へと物語が帰ってくる、という魅力的な構成になっています。ツカミの上手さ、回帰する物語。 頑固過ぎる親父役にスペンサー・トレイシー。困ったヒトではあるのですが、どこかユーモラスです。父と徐々に対立を深める長男が、リチャード・ウィドマーク。まさにこの親にしてこの子あり、こちらも充分過ぎるほど頑固そうな。 スペンサー・トレイシー演じるこの頑固オヤジ、何かと周囲に突っかかり、座っている最中に機嫌が悪くなると、やたらと席を立とうとするそぶりを見せる。なんか他の切り口の演出もあってよさそうな気もしますが。 冒頭の「現在」へと帰るラストでの、対決。岩場での取っ組み合いで、頭を岩にぶつけないか、見ててヒヤヒヤします。 先住民への差別なども織り交ぜつつ、家族の愛憎劇を描いた西部劇で、意外性もあり楽しめました。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2023-08-19 11:33:30)
88.  キングダム2 遥かなる大地へ
とにもかくにも、セリフ多すぎ、何でもかんでもひたすらセリフで説明する。戦況を説明し、作戦を説明し、状況が危機的であることを説明し、何も説明するネタが無いヤツは代わりに一生懸命、感想を述べる。質問するのもストレートなら、それに対する答えもストレートで、何のヒネリも無ければ含みも無い。 ここまで「わかりやすさ」が徹底されているとなると、これはもう、作り手側も意識的にやってるんでしょう。このくらいわかりやすくしてあげないと、どうせ見てる側はついてこれないだろうから、、、と高をくくられているのなら、つまるところ我々の側にも責任があるのかも知れませぬ。 とは言え、やはりこのセリフまみれには閉口してしまいます。例えば職場で、みんな大変な状況なのは誰しもわかっているのに、わざわざ自分がどう大変かをアピールして、忙しい忙しいと連呼するヤツがいたらやっぱり、鬱陶しいじゃないですか。 映画では時々、合戦シーンが入って、その間はセリフが控え気味になるので、ホッとします。 合戦シーンはさすがと思わせるものがありますが(中には「あれ、それでおしまい?」というシーンもあるけど)、荒野を舞台にやや似たようなシーンが続いてしまう点、派手な割には薄味にも感じます。 主人公サイドには暴走キングコング真壁が参戦(ちょっと古いか)。と思ったら敵方にはファンキーウェポン田口が登場し(これも古いか)、『パパはわるものチャンピオン』以来の共演ですかね。メディアミックス戦略にしてはプロレスラ―っぽさを出せていないですが(せいぜいショルダースルー)、新日の発言権の弱さか、それとも一種の節度というものか。
[地上波(邦画)] 3点(2023-08-15 07:25:14)
89.  リトルトウキョー殺人課
監督のマーク・L・レスターは、みんなの大好きな『コマンドー』の監督さんなので、大抵のことは大目に見なければいけません。 しかしこの、「さあ今から間違ったニッポン文化を描きますよ」と宣言してるようなヤバそうなタイトル、どうなることかとヒヤヒヤする訳ですが、さすがは『コマンドー』の監督。やっぱり面白い。むしろ、面白い。 そもそも、舞台はあくまで日本ではなくリトルトーキョー、ですから、描写が全部間違ってるのか、それとも一部は正しいのか、私にはわかりません(全部正しいということはまさか無いと思うが)。わかりませんが、もし実在するのなら一度は入ってみたい、盆栽クラブ。 この作品が現地の日系人に対する偏見を助長していないこと、みんな笑ってスルーしてくれること、それだけを願っております・・・。 さて、主演がドルフ・ラングレンで、相棒がブルース・リーの息子。武士道に生きる白人と、あくまでアメリカ的な感覚を持つ日系人、という組み合わせが設定の妙で、ある意味、互いに何のチェック機能を果たしていない(笑)。もはや日本文化の描写は間違え放題。ドルフ・ラングレンが再三披露する二ホン語は流暢過ぎて、ネイティブの我々にもほとんど聞き取れません。 でもって、わずか79分という尺に、無理やりアクションを詰め込んで、まさに無類のスピード感。ストーリーなんぞ無いのに有るかのように感じさせる、あるいは、ストーリーが無いことに気づかれる前にさっさと映画を終わってしまう、見事な手腕と言えましょう。 クライマックスで日の丸に「闘魂」と書かれたハチマキ姿になるドルフ・ラングレン。ここまでせっかくムキムキで強そうだったのに、ハチマキ姿になった途端、何だかラルフ・マッチオの霊が乗り移ったように弱そうに見えてしまうのが、残念でした。どうでもいいけど。 ケイリー=ヒロユキ・タガワのイッちゃってるような表情は、インパクトありまくりでした。
[インターネット(字幕)] 8点(2023-08-14 09:18:32)
90.  悪魔の赤ちゃん2
前作でかなり出し惜しみしたとは言え、例の悪魔の赤ちゃん(←あくまで邦題ですが)の姿はすでに画面上に登場して我々も知っているので、2作目では遠慮なくガンガン登場するのか、と思いきや、やっぱり画面になかなか現れない。予算の関係なのかどうなのか(いや、そうに決まってる)。 しかし、この画面になかなか登場しない(させられない)制約というのは、これはこれで別の可能性も引き出している訳で、姿を写さない代わりに不気味な泣き声でその存在を描くのが、効果を上げています。いや、いくら低予算だろうが、リック・ベイカーの手によるナイスな造形の撮影用ギニョールはあるんだから、登場シーンを増やすことは可能、というか、むしろ増やしたくなるのが人情だろうけれど、そこはグッと堪えて、出し惜しみ。 見せてナンボのCG時代にはこういうアプローチも難しくなって(こういうアプローチをとる必要も無くなって?)、これもまた、良くも悪くも当時のホラー作品ならではの味わい、でしょうか。こういう映画が後の80年代のホラー量産の礎を作った、と思えば、ラリー・コーエンの先見の明みたいなものが感じられてきます。 という訳で、微妙なホメ言葉を並べて結局は、地味な作品だと私は言っているのですね。 姿は露わさねど、人数は増えた悪魔の赤ちゃん(数少ない出番ながら、動きは前作よりも良くなった気が)。彼らの抹殺を図ろうとする警察と、それを阻止しようとする組織の対立が描かれる、という趣向ですが、それなりに地味。地味ですが、雰囲気はある。夜の不気味さ、みたいなものがよく出ています。 で、例によって、我が子となると理性が揺らぐのが親心。周囲からすれば、次には一体何を言い出すやら予想できない、それが親心。 ラストの尻すぼみ感も含めて、これは一種のホームドラマなんですよ、きっと。
[インターネット(字幕)] 7点(2023-08-14 08:31:05)
91.  新・網走番外地 さいはての流れ者
映画冒頭の出演者クレジットを見ていると、おっ、と思う。「下沢広之」と出てきて、要するに子役時代の真田サンなんですね。子役時代にこうやって何度か健さんと共演して、ハリウッドスターの今がある、と思うと感慨深いものがあります(モンスター・イン・ザ・クローゼットに出てるポール・ウォーカーを見た時ぐらい感慨深い)。健さん演じる主人公の息子(血は繋がらないけど)ということで、出番もセリフも比較的多い、重要な役。今の面影があるかというと、「そういわれてみれば」ぐらいではありますが、時々、確かにこれは真田サンだわい、と思わせる美少年ぶりが垣間見えます。 というのが、正直、作品の最大のインパクトでして、もうひとつはじけていない印象の作品です。監督は佐伯清で、本シリーズではこの一本のみ。真面目過ぎるんですかね。いや、荒海を舞台にしたアクションもあるし、息子その他を人質にとられて危機一髪なんていう場面もあるし、もちろんラストはしっかり殴り込みで締めてくれるし、硬派なアクション映画にはなっているのですが、真っ当なだけに、この何でもアリなシリーズの中では、あまり目立たない作品になってるように思えます。 馬ゾリレースが前半のハイライトで、ここでも色々と作品を盛り上げようとはしているのですが、いかんせん、もともとスピード感の無いレースなもんで、地味な印象は拭えず。 谷隼人はどうあがいても作品に活かせそうにない役どころですが、せめて山本麟一は物語上、もう少し活かせなかったものかと。単細胞っぽいところは持ち味ではありますが、最後まで雑魚キャラっぽいままだったのが残念。
[インターネット(邦画)] 5点(2023-08-11 06:40:27)
92.  ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE
何だかよくわからんがとにかく、ここまでやってくれたらもう、10点でいいじゃないか、と思いました。 潜水艦のくだりはさておき、まず見どころは砂漠での攻防戦。すさまじい砂嵐の中で繰り広げられる銃撃戦が圧巻ですが、こんなのまだまだオープニングの一環に過ぎないよ、と。 次から次に展開されるアクションと、そこに仕込まれた意外性。ストーリー自体は、何やらしょうもない鍵の争奪戦に過ぎず、理屈もヘッタクレもない。メンドくさい設定をあれこれ映画の中で説明して失速するくらいなら、どうでもいい設定でもって一気に突っ走ってしまえ、というのが潔い。実際、ホントはどうでもいいのに、無理やりややこしそうな設定を持ち込んで尺を伸ばそうとする映画の何と多いことか。このシンプルさが、かえって新鮮です。 手錠でつながれた二人のカーチェイス。クルマの横転も意外なら、横転によって引き起こされる事態も意外で、映画の面白さが次々に引き出されていく。 トム・クルーズが実際にバイクで崖から飛び降りるスタントは、予告編でももっとも目を引くところですが、「そこからどうやって走る列車に乗り込むか」という大きな問題がまだそこには残ってる。それを、実にバカバカしくも意外性をもって、「これしかない」というタイミングで画面に再登場してみせるトム・クルーズ。いやホント、あり得ないしバカバカしいし、だけど最高。 そんでもって、列車を舞台にしたアクションをこれでもか、と。いやあ、列車モノにハズレ無しですね。どんなに例外が多くとも。 列車とくると、「駅」というのも昔から、映画の中にしばしば魅力的な舞台として登場する訳ですが、本作では「駅」を描かなかった埋め合わせのように、「飛行場」を舞台として取り入れ、サスペンスを展開します。 いやホント、サービス満点。お馴染みのメンバーもいいんですが、主人公を追う二人組、目立つ存在ではないながらも彼らが実にいい味出してるんですねえ。 PART ONEと銘打ってますが、某ワイスピ最新作のような愚を犯すこともなく、非常にキリがよく気持ちのよい終わり方です。最初から最後までワクワクさせてくれて、もう充実感しか残らないではないですか。
[映画館(字幕)] 10点(2023-08-10 14:36:27)
93.  無法の王者 ジェシイ・ジェイムス 《ネタバレ》 
ジェシー・ジェイムズものの一本。とくると、『地獄への道』を思い出しますが、なんだかやたらそっくりなシーンが出てきて、フィルム流用なのか、それともパロディなのか。たぶん前者の気が。 とは言え映画自体が『地獄への道』をそのまま踏襲している訳ではなく、回想シーン主体で、時間が行き来するやや複雑な構成。回想シーンが多いというのは、どうしても語り口が断片的になって求心力が落ちる反面、シーンの転換の早さが作品の面白さになっていたりもして。限界と可能性が、表裏一体。 銃撃戦に、ダイナマイトを使ったアクション。爆破シーンに遠景を交えるのがカッコイイ。 ラストシーンでは、傍観者たる町の人々が動きを止め、その中をホームレス風のオヤジが歌をうたいながら歩いていく。 ところで、物語の背景には、南北戦争とその後のゴタゴタ、というのがある訳ですが、こういう作品見てると、アメリカって国にはもともと結束力など無くって、この国は常に何らかの形で対立を必要としているんじゃないかと思えてきます。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2023-07-30 08:59:46)
94.  ワイルド・スピード/ジェットブレイク
いやーやっぱり、磁石、ですよねえ。磁石に吸い寄せられるクルマ、クルマ。現実世界の力学を無視しつつ映画独自の力学が展開され、何が起こるかわからないけれど、起こってみたら納得の世界観。「んなワケないやろ~」と思いつつ、“磁石”なんだから、仕方がない。やっぱり、磁石映画にハズレ無し、ですね。と言っても他に何があるのか知らんけど。 それでも邦題が「ジェットブレイク」ってんだから、この作品の売りは、磁石よりも宇宙、ってことなんですかね? 007を宇宙に送りこんでしまったムーンレイカーの失敗から何も学んでいないこの能天気さ、確かに作品の大きな特徴ではありますが。 冒頭が回想シーンから始まって、物語を「ドミニクの弟の登場」「ファミリーの絆」みたいなところに繋いでいく方便とは言え、なかなかいい雰囲気であります。後に廃墟となったレース場が登場するのも、埋め切れない(かもしれない)歳月を感じさせて、効果的。 結局今回も登場人物を増やすだけ増やして、さらには減らしたはずの登場人物まで再動員し、いやオマエは沖田艦長かよ、とツッコミたくもなるところ。ついでに言うと、シリーズ中の異色作であり、かつ、最高傑作との呼び声が高い訳じゃないけど多分そうなんだと思う、第3作TOKYO DRIFTもしっかり作品の中に取り入れてます。ある意味第3作を「番外編扱い」「準ファミリーくらい?」「無かったことに近い状態」にしてしまって、これで一件落着。 例によって、ファミリーは食卓を囲む。ドウェイン・ジョンソンも呼んであげちゃったり、しませんか?
[インターネット(吹替)] 7点(2023-07-22 08:43:34)(良:1票)
95.  クラッシャージョウ
見た感じの印象はあくまで旧来のリミテッドアニメの枠内の作品、ですが、メカの立体的な動きや人物の細かい仕草を取り入れ、製作者の意気込みを感じることができます。 ただ、申し訳ないけど内容はかなり薄く(ごめんね)、いかにも「キャラ立ちした4人組に会話させときゃ何とかなるでしょ」みたいな感じ。それが三文小説風の魅力と言えばそうなのかもしれないけれど、それにしては作品が大作めいているのが、なんとも不釣り合い。 ドタバタしてる割に起伏が少なく、長すぎ。でも、スターウォーズだって結局は、同じようなノリ、なんですよねえ。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2023-07-22 07:49:32)
96.  デッドヒート
西欧人の悪党にこれでもかと理不尽なイヤガラセを受けたジャッキーが、ついに怒りを爆発させる、という点、同年の『レッド・ブロンクス』の同工異曲といった感もあり(海外への意識とか、スポーツカーへの愛着とかも。あと、意味も無くボールをばら撒くとか)、じゃあ、あのくらい面白いのかというと、共通点があるだけに正直、見劣りする印象は否めません。 が、あくまで見比べてしまうからであって、基本的にこの路線、面白い。 パチンコ屋は見るからにウソ臭いけれど、要するにコレ、セットな訳で、ロケ撮影ではできない派手なシーンを展開してやろう、ということ。通路も実際のパチンコ屋より広くとって見通しよく(単にパチンコ台の数をケチっただけだったりして?)、しっかり暴れ回る。トランポリン風のアクションなど、工夫も盛り沢山。 クライマックスのカーレースでは、露骨な早回しもあって撮影上の制約も感じさせ、苦しさが垣間見えますが、それでもチェイスシーンやクラッシュシーンもたっぷり取り入れて、総じていえば迫力あるレースシーンになっています。 気になった点としては・・・まさか加山雄三、この程度の出演の仕方で、ギャラ受け取ったりしてないだろうな!ということですかね。
[インターネット(字幕)] 7点(2023-07-22 07:20:08)
97.  クロール -凶暴領域-
冒頭、「CRAWL」というタイトルがプールのシーンに被って示され、もしも何の予備知識も無い人が見たら、これはきっと水泳の映画なんだろう、と思い込み、しかし実はワニ映画でした、という仕掛け? いや、そこまで完全に予備知識の無い人はこの映画を見る確率は限りなくゼロに近そうな気が。 とは言え、ある意味これは水泳映画。主人公の泳ぎ、が見どころ。この点については確かに作品の魅力となっています。手に汗握るワニとの競泳。 そういやミスター・デンジャーことプロレスラー松永光弘もその昔、ワニ(ちっちゃいヤツ)と棺桶デスマッチをやってましたね。一応、かろうじて勝利、したはずですが。やっぱり誰しも、ワニと戦って勝つのが夢なんですねえ。 動物が襲ってくる映画と言うと、『ジョーズ』なんてのは、サメがいると思わせてからもなかなかサメを登場させない映画でした。一方、本作は、ハリケーンで洪水に見舞われた町で、主人公が何の前触れもなく突然ワニに襲われる。思わせぶりは抜きにして単刀直入、スピード勝負、テンポ重視。ただ、それが成功しているかというと、ちょっと疑問。 『鳥』という作品は、後半の鳥の襲撃に対し、前半はそこそこ前兆現象を見せつつも、割と普通のドラマを描いていて油断させ、そこで突然のギアチェンジを見せる、というちょっと意地悪な構成。しかし後半のパニックに対し、前半でのんびりした海辺の町を印象づけることには成功しています。 今回のワニ映画は、前兆すらなく唐突にワニを登場させてきますが、映画開始早々から町はハリケーンに見舞われていて、最初から異変の連続。テンポが良い反面、洪水に見舞われる前の平穏な町の姿が対比されないのは、ちょっと勿体なかったような気もします。 洪水パニック+ワニの襲撃、という合わせ技で、次から次に訪れる危機を描くことにひたすら徹しよう、という趣向。しかし、何パターンかのシチュエーションを準備しているとは言え、基本的に同じような状況が続いてしまうので、バタバタしてる割には盛り上がりに欠けます。「海底47m 古代マヤの死の迷宮」にも感じたような、ゲームの設定のような間延びした印象。 映画の中心人物たる父と娘だけは、ワニに噛まれてもあまりダメージを受けているようには見えず、もしかしたらそういうDNAなのかも知れませんが(?)、ヘンな安心感が漂ってしまう。この二人以外の登場人物たちはワニに対する耐性が無く(松永だってそうだ)、片っ端からヤラれてしまうので、イマイチ物語に貢献しません。これもまた、展開をシンプルにしてスピード重視、ってなことなのかも知れませんが、ちょっと寂しい。 とは言え、ワニの描写については、ホンモノっぽくって、なかなかよく出来ておりました。すでにこのこと自体、貴重な気がしないでもなく。
[インターネット(字幕)] 5点(2023-07-16 07:59:56)
98.  スポンティニアス・コンバッション/人体自然発火
世に数多ある超常現象ネタの中では、比較的人口に膾炙している部類のものでありながら、お世辞にも人気があるとは言い難い、この「人体自然発火現象」というヤツ。このネタで映画が一本撮れると考えるのが、さすがトビー・フーパーであり、本当に撮ってしまうのがこれまたさすがトビー・フーパー。誰も止めなかったんでしょうか、というのは、言いっこなし。 見てるとやっぱりグダグダで、ほら言わんこっちゃない、と思うのですが、見てるうちにどんどんテンションが上がってくる。なんだかわからんが、テンションが上がっていることだけは間違いない。やっぱり彼は、「悪魔のいけにえ」の監督であり、「悪魔のいけにえ2」の監督なんだなあ、と。たぶん彼自身が内なる炎で、自然発火寸前なんでしょう(ジョン・ランディスはとうとう劇中で発火してしまいましたが)。 体制への怒りなのか、周囲の無理解への怒りなのか、とにかくその怒りを主人公に託し、炎として可視化しまくる。なんだかやっぱりよくわからんが大変に盛り上がる映画でした。で、誰か止めろよ。
[インターネット(字幕)] 8点(2023-07-16 06:59:33)
99.  シェラマドレの決斗
いかにも「映像にこだわりました」という作品。レオーネ風(?)に顔面どアップを繰り出したかと思えば、会話シーンで手前の人物の後ろ姿を画面の中心に据えるなど、画面ナメまくり、視点歪ませまくり。 こういうのは、ふとしたシーンで目を引くからこそ効果的なんであって、こんなに乱発しても、目障りなだけ。 思えば「バック・トゥ・ザ・フューチャー」なんていう映画は、他愛ないっちゃあ他愛ないのかも知れませんが、それでも「このシーンをどう撮影してどのように見せれば、物語が面白く動いていくか」という点へのこだわりに関しては、本当に素晴らしい作品だったと思います。頭が下がります。それぞれのシーンが事件を孕んで物語の進行を促し、面白いシーンの積み重ねが面白い映画を作る。 たいして面白くないオハナシを、「その代わり映像にはこだわりました」というシーンがいちいち停滞させてちゃ、やっぱりダメでしょ、と思っちゃうのですが、こういうのも一種の、流行りすたり、でしょうか。一風変わった、西部劇。 サソリがデカくてなかなか見栄えがしてたのは、そこは良かったですかね。ああいう腕相撲はしたくないよね、というのはよく伝わりました。まあ、そんなもんでしょうか。
[CS・衛星(字幕)] 4点(2023-07-16 06:34:11)
100.  ヴィジット
この映画が本当に言いたかった事とは、実は、「若い世代からしたら爺さん婆さんの世代の言動はいちいちアヤしくて理解不能かもしれんが、爺さん婆さんの世代からしたら、何かと言えば動画だのラップだのというあんたたちこそ意味不明なんだよ!」ということなんじゃないか、と。いや、誰も賛同してくれなくても結構ですが。しかし関係ないけど、「YouTuber」ってのはアレ、職業と言っていいのかい?(ブツブツ・・・)。 さてこの作品、姉弟の撮影する動画、が構成の基本になっている(一部、プロの手?と思しき風景ショットあり)、一種の疑似ドキュメンタリ形式。複数のカメラの映像に基づくので映画の視点が切り替わったり、はたまた登場人物がカメラの存在を意識する場面があったりして、我々もまた、カメラの存在、というものをつい意識してしまう。この構成が本当に有効であったかどうか?  カメラの存在、編集という作業、が我々に意識されれば、そこには実は隠れた意図があるんじゃないか、とか何とかいう疑いも湧いてくる訳で、ある意味、映画を収束から開放(多義性)へと向かわせる効果もあるのかも知れません。が、それ以前に、どうしてもそこには不自然さが伴い、せっかくの緊迫感が削がれてしまったりもします。その状況でも撮影を続ける不自然さ。映像の緊迫感を支えている視点、「一人称」であるはずの視点が、ちゃっかり切り替わってしまう、この「編集」という第三者的な人為作業・・・。 その構成自体の危うさが、作品の持ち味なのかも知れませんが、少なからず、制約になってしまっているように感じました。 物語上は、大小いくつもか仕掛けがあるのですが、「大」が大きすぎると「小」があまり活きてこなくなるのも、これもシャマラン作品の宿命なんでしょうか。
[インターネット(字幕)] 5点(2023-07-16 05:52:31)
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