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ユーカラさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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101.  東京公園 《ネタバレ》 
奇しくも、ゾンビの劇中映画で同時期公開の『SUPER 8』と微かに繋がりあうところが面白い。  『リップスティック』、『ゾンビ』、『瞼の母』といった直接的な映画ネタが飛び交う脚本は好みではないが、榮倉奈々のリズミカルな台詞廻しは小気味よくて大変よろしい。  大福をほおばりながら、あるいはおでん、さらにはケーキや肉まんや赤ワインを美味しそうに飲み食いしながら話す姿も愛らしい。  順撮りか、中抜きか、炬燵を挟んで向かい合う彼女と三浦春馬の対話シーンで、正面からの切り返しごとに二人の多彩な表情を見せていく編集が新鮮な感覚だ。 (後半さらに反復されると共に、木登りで笑わせてくれる高橋洋と、神秘的な井川遥の「正対」切り返しショットの幸福感もいい。)  それに対して、彼との正面からの相対を避ける小西真奈美。彼女は表情を隠そうとするがゆえに、三浦との抱擁シーンで見せる手のアクションは感動的だ。  今回のキャメラマンは月永雄太氏。屋内・屋外シーン共に、揺れる木漏れ日を繊細に捉えていて素晴らしい。 潮風公園、筆島のショットにおける波音、風音も聞き逃せない。 
[映画館(邦画)] 9点(2011-07-03 20:29:56)
102.  緋色の街/スカーレット・ストリート
ルノワールの『牝犬』と比較して、終盤の裁判シーンに拘りを感じさせる点が『M』や『激怒』のフリッツ・ラングらしい。  トーキー初期の『牝犬』の音響設計も傑出しているが、限定的なセットから最大限の効果を引き出していくラングの画面構成力と音響効果の見事さも決してそれに劣らない。  見晴らしの悪いジョーン・ベネットの部屋の仕切り構造によって、ドアの呼び鈴が鳴るたびに、観客は彼女と共にサスペンスを共有することとなる。  エドワード・G・ロビンソンが勤務するガラス張りの会計ブースは様々な俯瞰アングルによって視線を受け、また彼の自宅においても威圧的に配置された肖像画によって彼は常に睥睨され、心理的に抑圧される。  豊かな劇空間の達成は、手狭なセットを逆手に取り、逆に不可視の空間を活かした奥行きの創出と、豊かな音響効果の数々(レコードの音飛びやベネットの台詞のリフレインなど)、表現主義的照明術(窓辺から差し込むネオンサインの明滅が暗いアパート室内で怯えるロビンソンを照らし出す神経症的な陰影術。)、そして観客の想像力への信頼あってこそのものだ。 
[DVD(字幕)] 9点(2011-07-02 19:24:58)
103.  ヒア アフター
兄を失った少年が里子に出されるシーン。屋外から遠く雷鳴が聞こえてくる。続く逆光の窓には雨が降り始める気配がする。里親に預けられる事となった少年が外に出ると、雨上がりの濡れた路上に陽光が反射している。  何気ない地味なシーンが、降雨と雨上がりの光の丁寧な描写によって何故か忘れ難い。  他には、階上の部屋から窓外の暗い街路を見下ろすマット・デイモンのショット。彼の乗った旅客機がロンドンに向けて離陸していく夕景のショット。階段に座り込むブライス・ダラス・ハワードのショット等など。  物語上の軽重にも画面の濃淡にもかかわり無く、幾多のショットが深い叙情を湛えて脳裏から離れない。  それは主として対象への光の当て方に表れる作り手の思い入れの強度からだろうか。  マット・デイモンやマクラレン兄弟がベッドに横臥するモチーフ的なシーンで、彼らの頬を照らすベッドサイドのシェードランプの薄灯り。少年の頬を伝う涙を小さく美しく輝かせる癒しの光などは繊細の極みだ。 
[映画館(字幕)] 9点(2011-04-10 22:21:43)
104.  半分の月がのぼる空 《ネタバレ》 
映画は時制の仕掛けを用いた、流行ともいえる「辻褄合わせ」的サプライズを用意する。しかし、伏線の控えめさと、その転機をさりげない振り返りとカットバックで処理するシンプルな手際によって賢しさを感じさせることなく、笑顔の忽那汐里の写真とともに静かに感動を盛り上げる。  この仕掛けの要請もあって、劇中では年代を特定するような装飾は極力排され、美術も落ち着いてすっきりしている。  その分、シーツやパーティション、カーテンの白布の白さが格段に引き立ち、手持ちの微細な揺れの中で光とシルエットと風が強く印象づけられる。  ベッドに並んで横臥する池松壮亮と忽那汐里が被るシーツが、月光を受け光を帯びる。その柔らかな光の感触が素晴らしい。  ランプシェードの光に照らされる大泉洋の横顔。ラストで月光のスポットライトに照らし出される窓辺の二人。その労わりの光が優しい。  宮沢賢治の一節も、会話劇の中に効果的に引用されていて胸を打つ。  
[DVD(邦画)] 9点(2011-02-27 22:09:18)
105.  ゲゲゲの女房
導入部の一本道の情景は、前作『私は猫ストーカー』のファーストショットの「風景から人物へ」と吸引していく感覚にも似て印象深い。 「自転車」、「アクセントとなる魅力的なアニメーション」、「生き物同士の、主従でも共生でも無い不思議な関係性」といったモチーフも共通項だ。  まず目に沁みるのが、前作に続いてたむらまさきによる滋味に富んだレトロタッチの原風景的素晴らしさ。 日本家屋の豊かな空間性・自然光の美しさを活かしつつ、人物の背後や天井から慎ましく見守るような穏やかな風情は、風間詩織作品や小川ドキュメンタリーを初めとする「黙って見つめる事に徹するキャメラ」あっての味わい深さだ。 夜の勝手口の、吸い込まれるような暗い闇。裸電球や蝋燭の炎の温かみ。玄関先の白い暖簾の揺らめき。生命の気配の濃密な空間性は絶品である。 あるいは鉄塔の垂直性と、石橋や農道の水平性、そして四つ辻を活かしたロングショットの映画的豊かさ。 茶の間でバナナを頬張る吹石一恵と宮藤官九郎の夫婦、宮藤が踊りだすと、庭先でも踊りだす妖怪たち。その共生の画面の至福感。 税務署員を追い返した後に二人が歌うデュエットに、自転車に二人乗りする夫婦の笑顔にと、一見非アクション的なアクションのうちに、心打つ幸福感が充溢している。  時間・空間・照明のトリッキーな解体操作といった、柔軟な発想も前作からさらに発展している。  さらには、音響の豊かさ。 祠に被さる水音の神秘性。風雨。壁時計のリズム。紙を走るGペンの筆音。(移ろわぬ音) 一方で時代の移ろいを仄めかす、開発の槌音。自動車の走行音。  書き出せばきりが無いが、まだまだ見逃した細部は多い。 見返せば、さらに豊かさを増すだろう傑作である。
[映画館(邦画)] 9点(2011-01-23 15:48:34)
106.  神曲
1931年のサイレント作品『ドウロ河』から、今なお現役バリバリの監督。トーキー、カラー化のターニングポイントで多くの作家が淘汰されていく中、積極的にその技術推移に適応しつつ、作品を問い続ける強かさがここにある。  文学・哲学テクストをめぐる、際限のない対話と独白劇。マリア・ジョアン・ピアスのピアノ演奏。 言語、音楽、観念を肯定し貪欲に採り入れながらもなお映画を逸脱しないのは、それらを乗せる映像即ち視覚に対する意識の強度とセンス故に他ならない。  ピアノ曲は指という身体運動と共にあり、「神」と「罪」という主題は光と闇と色彩と共に、画面に定着される。巻末において登場人物たちが交し合う接吻という行為自体の感動的なさま。 ショットはただ1つの例外を除き、ほぼフィクス。舞台は2ショットを除いて精神病棟を出ることがないが、画面の奥行きと陰影の深みは圧倒的吸引力を持つ。  音、色、光に対する卓越したバランス感覚と、それらを映画へと総合していく意思が漲る。  そして、最後のショットと音がまさに映画を締めくくる。   
[DVD(字幕)] 9点(2010-12-20 22:10:39)
107.  ジャン・ルノワールの演技指導
楽屋裏のテーブルで向かい合った監督兼主演女優のジゼル・ブロンベルジェに対し、まずシナリオの台詞を棒読みすることを要求するルノワール。 曰く「感情を込めずに。」「電話帳を読むような感じで。」  相手を一心に見つめ、彼女の語りにわずかでも感傷のニュアンスを察知すれば即座に指摘し、やり直しを求める。 それは紋切り型の演技や経験則や先入観に囚われることなく、自分独自の表現を創造させるためだという。 その中で、「髪をかく仕草が良い。」とアドリブの所作を褒め、即興を取り入れつつ協同で演技を創り出していく。相手の無意識の小さな癖まで見抜く細やかな人間観察力、的確な助言による協同作業は、画家がモデルの魅力を最大限に引き出していくかのようでもあり、これがピエール=オーギュスト・ルノワール譲りの資質かと思わせる。  物語構成や主題を犠牲にしても、まず役者自身の人間的魅力を生き生きとフィルムに乗せることを第一義とするルノワールの映画術。 それが鮮やかに実践されていく様にただ魅入ってしまう。  最後のショットは、「エミリー」の役を生きるジゼル・ブロンベルジェの長台詞。 見届けたルノワールの台詞「tres bien」の温和な響きにその人柄が偲ばれる。 
[DVD(字幕)] 9点(2010-11-22 19:19:50)
108.  コロッサル・ユース
スラムの住宅街。階上の窓から家具が押し出され、地面に落下するファーストショットから強度と重量感に満ち、重力を強く意識させる。 前作と比べてより低位置に置かれたカメラは、終始人物を地面に留まらせるかのごとく画面下半分の空間に捉え、背景の壁面を主体として浮かび上がらせる。  特徴的な深い陰影の中、経年を印すスラム地区の建物や壁面の混濁した色彩が醸しだす存在感は非常に濃密。テーブル上に置かれたグリーンの透明ボトル1本も豊かな色彩と光沢を画面に放つ。 一方で、移住先となる新しい集合住宅の鋭角的で無味無臭な白い壁は異質なコントラストを生む。 格別凝った照明設計を行ってはいない風でありながら、いずれのショットも豊かな明暗の領域をもって視覚を刺激する。  ラスト近くの屋外シーン。木々に反射する波光の揺れとカメラの緩やかな動きが美しい。  
[映画館(字幕)] 9点(2010-11-10 21:08:30)
109.  ペルシャ猫を誰も知らない
タブー的題材(アンダーグラウンド音楽)ゆえ、ほぼ手持ちのゲリラ撮影が主体。 ラフではありながら、迫真性とリズム感を持った「見せる」画面である。小手先の作為的手ブレ手法に寄りかかった作品群の浅薄さの対極といえようか。 暗い路地や階段での移動撮影も、対象を的確なフォーカスで捉え続ける撮影スタッフの優れた技量と臨機応変ぶりが伝わる。  題材の「規制」などまるで感じさせないバイク・自動車による奔放な移動の画面には若々しいフットワーク感覚が漲り、音楽と共に活写される街の表情、白い外光の中で音頭を取る音楽教室の子供たちの表情を捉えた画面が瑞々しい。 口八丁で警察を煙に巻く青年(ハメッド・ベーダード)の達者な長弁舌も音楽的に特筆すべきもの。  また、前3作に続きこの映画でも高地から望む情景が非常に特長的であり、印象強い。 ビルの屋上、高台から望むテヘラン市街の夕景。その高みが悲劇の場所ともなるのも、前作に連なる主題。
[映画館(字幕)] 9点(2010-08-20 19:26:35)
110.  シルビアのいる街で
カフェのシーンの、重層的な画面設計とアングルの妙。「シルビア」の虚像性を際立たせる、窓ガラスへの映り込みの技巧。劇伴BGMなのか、現実音なのか、その真偽を一瞬戸惑わせる強かな音楽用法。主要台詞の極端な少なさと反比例して、鉛筆の擦過音からガラス瓶の回転音まで、過剰なまでの生活音への拘り。細部まで凝った充実した映画であることは確かだが、ここまで演出が勝ちすぎると、もう少し大雑把ないい加減さや生々しさも求めたくなる、というのは贅沢か。雑踏の尾行シーンで行き交うエキストラ達のリアクションに対しても、一見ヌーヴェルバーグ的ではありながら、どこか管理と作為が感じられてしまう。画帳の頁や金髪を舞わせる風のショットの過剰性も。某『映画時評』が言うところの「やりすぎ」感なのだが、逆説としてそれが映画的楽しさといえなくもない。流れる列車の車窓と、そこに瞬間的に映し出される儚い像は映画フィルムそのものを思わせる。いかにも映画の映画らしい。
[映画館(字幕)] 9点(2010-08-08 20:37:45)
111.  ローラーガールズ・ダイアリー
主人公がローラーダービーに惹かれる瞬間を、チラシ配りの選手達が店を出て行く逆光の縦構図1ショットで印象づける技量。父親、母親それぞれが娘の出場するダービー会場へと向かう途中経過の描写などは省いても物語に一切支障なしとする大胆さと聡明さ。  対話シーンの切返しなどは極めてオーソドクスなのだが、圧縮と省略を駆使したシークエンスごとの繫ぎが圧倒的に巧く、テンポとスピード感は抜群だ。ありふれた物語でありながら、場面転換の妙によって観客を全く飽きさせない。簡潔性と経済性の美質が弁えられている。  一例あげるなら、ヒロインがコンテストの控え室から決勝戦の試合会場へ向かうシーン。車の発進をワイプの効果として使い、一人の少女がヒロインの着るはずだった衣装を纏い見送る姿を捉える。その簡潔にして雄弁なワンショットが、さらにラストのスピーチ原稿に連なっていく語り口の見事さ。  それでいて、物語とは無縁なショットの豊かさが映画を充実させる。金色の草原の情感。プールシーンの光の揺れや、二人の飛び込みと同時に水中に潜るカメラの垂直移動の気持ちよさ。腕立て伏せなどを始めてしまうあの司会者の可笑しなパフォーマンスは即興だろうか。 愛すべきキャラクター達の魅力的な表情を的確に掬い取る手腕に恐れ入る。  エンディングロールを見ると膨大な楽曲数なのだが、全編すっきりまとまっているのも好感度高い。
[映画館(字幕)] 9点(2010-07-26 23:21:58)
112.  ランジュ氏の犯罪 《ネタバレ》 
オープニングタイトル文字の背景ともなる中庭の石畳。その中庭空間を自由奔放に移動しながら多くの登場人物たちを活き活きと映し出していくジャン・バシュレのカメラが素晴らしい。屋内シーンなら窓外、屋外シーンならば窓内と、一つの画面の中には二つ以上の空間が常にあって重層的で豊かな世界を作り出す。出版社社長バタラ(ジュール・ベリー)と愛人(シルヴィア・バタイユ)の別れを列車の中から捉えたショットや、足を事故で骨折した青年が寝ている窓辺に、通りを挟んだ向かい側の窓から同僚に支えられて恋人がやってくるショット等が特に印象深い。特に後者などは暖かい陽光の感覚と、二人が寄り添う窓枠に座った犬がまた良い味を出していて幸福感は格別だ。続く自転車のシーンの開放的なロケーション撮影も清新な感覚に溢れている。そして本作品でのカメラワークの極め付けは、ランジュ氏(ルネ・ルフェーブル)が神父姿のバタラを追って階下に下っていくのを屋外から追う下降移動と戸口からのさらなるパンニングのショット。抜群の照明処理とも相俟って、観る側も息詰まる圧巻の場面である。寒風の吹く砂浜を男女が行くラストの切返しが暖かい印象を残す。
[DVD(字幕なし「原語」)] 9点(2010-07-12 21:34:42)
113.  パリの灯は遠く
カメラは『召使』のように部屋の間を不穏な感覚を伴って移動しながら、深度の深いパンフォーカスで的確に構図を決めていく。画面奥を動く人物、室内の調度品や絵画類、衣装といった情報密度の高い背景と細部は説話とも密接に連携し、ショットの持続が生む緊張感と相俟って最後まで映画は弛緩することがない。二人のクラインを駅ホームの前景・後景で重ね合わせる構図取りの見事さ、鏡や窓への主人公の映り込みや等身大の影(虚像)を多用した主題の視覚的提示等々、あらゆるショットが細心に設計されている。市街を走り周る黒塗り車の動きの異様な不気味さ、鋭角的なパースをもって強調される駅構内やゲットーの威容(美術:アレクサンドル・トローネル)も圧巻である。随所に深い「緑」を配した渋い色調設計も終始徹底され、夜の路地や移送列車のシーンの、闇の深みも素晴らしい。DVD版の画面は少し明るすぎの感あり。ビデオ版の濃厚な暗さのほうが本来志向された画調のように思われる。
[DVD(字幕)] 9点(2010-05-19 19:59:39)
114.  殺人容疑者
街頭ロケーションを活かしながら、縦構図、横移動、俯瞰と豊かなバリエーションを駆使して描写される、捜査員と容疑者の尾行シーンの緊迫感が素晴らしい。東宝俳優陣を配した『彼奴を逃すな』の住宅街における尾行シーンのサスペンスも見事だったが、それに4年先立つこの新東宝作品は無名俳優及びゲリラ撮影的効果と相俟って一段勝る迫真性を獲得している。大勢の通行人たちが逃走する容疑者を取り押さえる中盤の群衆シーンのスペクタクルは圧巻だ。街路を俯瞰するロングショットに同時録音と思しき現場の生々しい喚声がかぶり異様な高揚感を生む。さらには、列車での尾行シーン。横浜駅ホームに到着する列車から飛び降り、そのまま階段を駆け上がる丹波哲郎のアクションを捉えたショットなどは非常に充実している。あるいは逃走車両が農道から落下横転する危険なスタントシーンをワンショットで捉えたカーチェイスの迫力。そしてクライマックスの下水溝では水面の照り返しを活かした揺れる光と闇、アフレコによる水音の効果が最高の緊張感を醸成する。これら無音と環境音の組み合わせによる音響効果の妙もやはり後年の『彼奴を逃すな』で結実することになるだろう。
[映画館(邦画)] 9点(2010-05-08 22:32:26)
115.  2/デュオ
柳愛里と西島秀俊の二人を引き気味の位置から捉えるカメラ(田村正毅)が醸しだす緊迫感が尋常でない。会話の反復と、台詞のトーンの変調で一気に画面が張りつめる。一人買い物に出た男がアパート二階にある女の部屋に戻ってくるまでのサスペンス感の醸成も秀逸。白いカーテンの微かな揺れや、一階のドアの開閉、その「間」が画面に不穏な空気を横溢させる。あるいは、後半で女が自転車を駆る疾走感の見事さ。その彼女を見つけ、男が追走する横移動のショットも素晴らしく良い。自転車で逃げる女と、自動車で追う男が窓のフレームを挟んで緩やかに近づいたり、離れたりを繰り返す。続く質素なアパートの場面では、窓からの西日が作り出す陰影が強く印象づけられる。尚且つ、環境音、ノイズ、声音といった聴覚的要素も最後まで見事に物語に活用されている。役者、撮影、録音、照明、、すぐれたスタッフワークの賜物といえる。
[ビデオ(邦画)] 9点(2010-03-22 22:50:33)
116.  オルエットの方へ
16mmからのブローアップによる画面の微妙な粗さが、ささやかな異世界というべき夏の海辺と陽光のカラーと相俟っていい味を出している。通奏低音となる波音も同様だ。ジャック・ロジエの長編2作目となる本作の設定もまた、3人娘のヴァカンスというシンプル極まりないもの。本作に限らず、この作家はいかなるシーンも物語に従属させることなく、何よりも場の空気を清新に掬い取り、人間関係の微妙な揺れを的確に捉えることに徹しているようだ。嵐の夜のおしゃべりやうなぎ騒動、海辺での戯れ、乗馬の疾走感等々、、本作の優れたシーンの数々は、物語的にはまったく意味が無いが、それゆえにこそ彼女らの生きる場を捉える画面は豊かさと鮮度を増す。とりわけ、ヨットシーンの滑走とローリングの感覚は格別だ。今流行りの3Dにも全く引けを取らない体感度で、スリルと緊張感、そして波と風と光を受け取ることができる。
[映画館(字幕)] 9点(2010-02-13 20:00:38)
117.  メーヌ・オセアン
ブラジル人女性がチケット発券し、改札を通過、そして間一髪のタイミングで列車に飛び乗るまで、カメラは彼女の後姿を延々と追い駆けていく。開巻早々の駅構内ロケの場面から、段取り感など微塵も感じさせずに時空間を自在に操るその絶妙なゲリラ的長廻しに心躍る。カメラが奥へ奥へと進む度に構内の一般通行人たちが、何事かとカメラに気を取られる様を映し出していくのも楽しい。  その自由奔放さ・平等主義は、作劇全体にも及ぶ。当初は、旅客である女性二人が主役かと思いきや、偶然的出会いの繰り返しの中で主人公は群像化し、かつ対等化して行く。たまたまレストランの奥にいた女性や、偶然呼び出された牧師たちが主役・脇役の別なくジャムセッションに興じるクライマックスは真に民主的だ。(その後に淡々と描かれる各人の離散の様もまた同様。)ヒッチハイクで偶然出会う端役としての(恐らく本職の)船員一人一人の表情まで丁寧にショットに収めて行く律儀さにジャック・ロジエの資質が現れている。  また、景観に対する視点も当然素晴らしく、印象深いショットは数多い。港湾を望むホテル二階の窓と、出帆する船とのカットバック。小型飛行機の離陸と、その夕暮れの空を捉えた情景。船を乗り継いでのユーモラスなヒッチハイク場面での、船上から岸辺を捉えた横移動ショットの悠然とした運動感。干潮となった広大な泥地の中をとぼとぼ歩く男ののどかな光景。いずれも情感に溢れ、忘れ難い。
[映画館(字幕)] 9点(2010-02-12 21:19:50)
118.  光に叛く者
ウォルター・ヒューストン扮する刑務所長の着任する場面と、仲間を裏切った密告者をボリス・カーロフが処刑する間に囚人たちが看守らの気を引きつける場面で、囚人たちが示威の喚声を上げるその響きが強烈に禍々しい。トーキー初期の音声の用法としても、相当なインパクトを持っただろう。主人公の青年を苛む製麻工場の単調労働の様や、新所長へに向ける憎悪の表情、密告者を暗殺するための「2.15」の暗号を連鎖させていく囚人たちの場面で用いられるオーヴァー・ラップも非常に視覚効果が高く、音声効果と共に緊迫感を煽る。特に、新任の刑務所長が彼に恨みを持つ囚人たちの間を堂々と進む場面、および2時09分から発動する暗殺シーンの数分間が圧巻。両場面共に、囚人たちの威嚇的な叫び声のみが所内中に響く中、抜群のショット連鎖で緊張感を高めている。役者も好演。ウォルター・ヒューストンも、フィリップス・ホームスも適役で、所長の娘役コンスタンス・カミングスも非常に初々しい。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2009-12-26 21:36:59)
119.  イングロリアス・バスターズ
テーブル上の一点を浮き上がらせる不自然なスポットライト(第一章の屋内場面や第四章の地下酒場の場面)、背後からのライトで俳優の輪郭線をまばゆく浮き上がらせるアクセントの利いた画面(第五章のメラニー・ロランの化粧場面など)は、撮影ロバート・リチャードソンの真骨頂。真上からの俯瞰を組み合わせたドラマティックな移動撮影や、しかるべき見せ場において抜群の効果を発揮するクロースアップの仰角ショットなど、変化に富んだアングルと構図も映画のエモーションを増幅する。映画館の踊り場、梯子、床下、地下酒場、映画内映画の鐘楼など、垂直構造を活かした舞台設計の巧さゆえである。各ショット自体の素晴らしさもさることながら、主に4箇所で用いられるスローモーションの効果、地下酒場における銃撃戦の細かいカット割りといった編集の緩急も見事だ。 役者でいうなら、やはりクリストフ・ヴァルツが圧巻である。限定空間かつ椅子に座っての演技が主ながら、表情と手の所作のみで優れて活劇的な画面を作り出している。演劇における転調のタイミング・音楽的なエロキューションがとても素晴らしい。
[映画館(字幕)] 9点(2009-12-13 13:02:54)
120.  最前線物語
約2時間の劇場公開版も十分素晴らしいのだが、S・フラー監督の本来意図したと思われる約3時間のバージョン(スタジオによる再構築版)はカットされたショット・エピソードの大幅な復活と再編集によってさらに充実し、作品の深みを増している。元々が大戦中の断片的な挿話を積み重ねていくスタイルのドラマ構成にさらに複数のエピソードが追加された形だが、散漫になるどころか、逆に旧版では解りづらかった部分もより明瞭になり、「生き残る」という主題がより強烈に印象付けられるものとなっている。木陰で休憩する四銃士たちの会話。ドイツ側スパイとの攻防。『フルメタル・ジャケット』(1987)の先駆けともいえる古城での戦闘。リー・マーヴィンに花で飾ったヘルメットを少女が手渡す美しい場面の後に綴られていた残酷な顛末、、。埋もれていた印象深い断片の数々が加わることによって、戦闘/休息、大人/子供、悲惨/ユーモア、正常/異常、敵/味方、生/死といった諸相はさらに渾然とし、クライマックスである収容所の場面の静かな感動は間違いなく「短縮版」以上だ。  
[DVD(字幕)] 9点(2009-11-02 21:18:31)
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