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フィンセントさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 202
性別 女性
自己紹介 閲覧&良票を入れて頂いた皆様ありがとうございます(*^-^*)
良票を頂けると励みになります!作品に対する意外なヨミと、読んでいて楽しいレビューを心がけています。楽しんでいただければ幸いです☆

ジャンルを問わず鑑賞していますが、ホラーを観るときは手で目を覆って指の隙間から観ますw

★好きな俳優★
M.ファスベンダー、E.マクレガー、J.ロウ、D.クレイグ、O.ブルーム、ジョナサン・リース=マイヤーズ・・・・・はい、そうです。イギリス俳優好きですw
さらには、ドナルド・サザーランド、S.ブシェミ、M.フリーマン、フランコ・ネロ、B.ウィリス、H.ジャックマン、C.イーストウッド、女性では、ユマ・サーマン、M.ジョヴォビッチ、C.セロン、A.セイフライド・・・などが好きです。

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121.  ハウルの動く城 《ネタバレ》 
「内容が理解不能」という趣旨の批判も多い作品だが、宮崎はそもそも内容など重視していない人であることを忘れてはならない。 以前NHKスペシャル「終わらない人~宮崎駿」の中で彼は  「ストーリーなんてどうでもいい。場面を見て『あ~すばらしい』って。それがいい映画だから。自分が好きだった映画はみんなそうだったから」と発言していたが、「ハウルの動く城」はまさにその通りである。  ”印象的なシーン”を数珠つなぎにした作品、それが「ハウルの動く城」。 それはまるで、ガンコおやじがいとなむ、メニューや価格が決まっていない独善的な料理屋のようなものだ。 その店の方向性やガンコおやじとソリが合わない客がいたとしても、その店の価値、存在意義そのものに何の変わりはない。  しかしあえて言おう。私はストーリー的にもこの映画が大好きである。 メッセージ性もある。それは  「自己肯定観って大事」ということ。  否定的な人達の意見として多いのが ”なぜソフィーは老婆になったり若返ったりするのか?”だが  彼女はそもそも<老婆になる呪い>にかけられたのではなく<自己否定している時に老婆になる呪い>をかけられたということを理解しなくては。  ケバい母親や、モテモテの姉が登場する意味が分からないという批判もあるが、彼女達は 「ハデな服装なんて私には合わない」「私なんてどうせモテない」というソフィーの自己否定感をより際立たせるために、対比として登場していることを理解しなくては。 (だからこそ、鑑賞者が「ソフィーって母や姉と大違いの劣等感の塊なんだな」と理解した後は、彼女達は用済みであり、後半には一度も出てこないのである)  そしてソフィーが老婆になったり若返ったりする理由は <自己肯定観が強まる時や、眠っていて自己否定の意識そのものを本人が感じていない時だけ若返り、自己否定観が強まると老婆になる>なのである。  もっと細かく言えば、自己肯定には<素直に恋をしている時>という事も含まれる。  サリマンの前でハウルをかばう時や、「未来で待っててー」等、全力でハウルを意識しているときだけ若返るのはそれが理由だ。 ハウルがソフィーに花畑を見せた時にも若返るのは、男から花を贈られて素直にときめいている証拠。 しかし直後に「ソフィーはきれいだよ!」とハウルが言った途端、老婆に戻ってしまう。(「私、どうせきれいじゃないし」という自己否定が出た証拠)  中盤で若返りと老婆が頻繁に繰り返されたのは、自己肯定観の不安定さの証拠であり、後半になったらほぼずっと若返りしていたのは、自己肯定観がしっかり根付いてきたという証拠である。   ハウルの存在も、ソフィーが自己肯定観を育てていく上で必要不可欠。最初はぎこちなく関わっていたマルクルやカルシファーも、彼女の揺れ動く自己肯定観とのせめぎあいの中で、次第に心を通わせていくのは微笑ましい。 カブも、終盤で壊れ行くハウルの城のブレーキ役として役割を果たす上で、脇役ながら重要キャラであるが、彼の魔法が解けるためにも、ソフィーの自己肯定観が必要だったことを思えば、ソフィーが自己肯定観を得たことで  【みんな、ハッピーエンド】となり、実に上手にまとめあげられたストーリーである。  また、カブが王子に戻ることは、ソフィーの自己肯定観が自分自身だけでなく、周囲をも助ける力になるという事を示している。   このエピソードは、我々が自己肯定観をもっともつべきだし、それが自分だけでなく周囲の力にもなるというメッセージだ。  ちなみに突然90歳になったソフィーがあっさり状況を受け入れるのは不自然だという批判もあるが、彼女はそもそも、恋するトキメキも若々しい快活さもない、おばあちゃんみたいな性格であるのだから「ちょっとやそっとのことには驚かない」のは当然なのである。  ソフィーは、老婆になってもすぐに気持ちを切り替え世捨て人になる自分を「年をとるメリットだ」みたく感じているが、老婆になる呪いはあくまでも、見た目だけで、性格は若いソフィーのまま。 私は老婆までは行っていないが、少なくとも10代だった頃よりあきらかにハラが座っていて、ちょっとやそっとのことでは大騒ぎしない(そういうことにパワーを使うのは無駄と悟っている)ので、ソフィーの落ち着きっぷりに何も不自然さを感じない。  批判者は、そこに注意しつつ再鑑賞してみは?
[CS・衛星(邦画)] 9点(2018-08-15 00:29:35)(良:3票)
122.  ライフ(2017) 《ネタバレ》 
いつからだろうか、SF映画で、宇宙空間内にある宇宙船内部を無重力状態で描くようになったのは。  よく引き合いに出される「エイリアン」の宇宙船内は、重力があった。それは、当時の映像技術として、無重力状態を撮影することが難しかった・・・という現実があったわけだ。  しかしいつからか、映像技術が宇宙船内を無重量状態で描けるだけのものに進化して、それを利用してリアルでユニークな宇宙空間を描く映画もいろいろ生まれた。  そんな中でのこの映画。キャラクターたちにあまり個性もなく、感情移入できるエピソードも薄く、没入感が驚くほどない作品なのだが、無重力状態でエイリアンにヤられたり、事故が起きると、どんな景色になるか・・・を、いろいろ描いてくれたところは良かったと思う。  口から血がドバドバと吹き出る場面も、無重力なら血が出るそばから四方に分離して空中に散らばって、死体のそばを漂い続ける・・・なんて、非日常的な光景にちょっと気持ちが高揚した。 船外活動で、ヘルメットの中に冷却材の液体がブワブワと顔の目の前に侵入してじょじょに増水していくというドS水攻めシーンも、ちょっぴり興奮した。  そしてふと、以前見たSF映画(つまらなすぎてタイトル忘れた)のある場面を思い出した。豪華客船仕様の宇宙旅行船に乗っている女性客が重力発生装置によって地球上と同じように保たれているプールで、優雅に泳いでいる。ところが、装置の故障で突然プールの大量の水が宙に浮き、表面張力によって超巨大なまんまるの水の塊に!彼女はその塊になった水中で、パニックになりながら必死でもがく。(でも水の塊が宙に浮いていて、もがけど泳げど、つかまるものがないからさぁ大変)  そうだ、「ライフ」は、その塊の水中でもがく女性の景色のように、ストーリーとかどうでもよくて、現代の視覚効果技術で、”無重力状態でトラブルが起きた際に起きる、記憶に残る場面”の1つや2つでも、鑑賞者の心に残せればいい、そんな謙虚なSF映画なのかもしれない。  ところであの宇宙生命体。ただでさえ未知のもので、どういう性質なのかも分かってないのに、「アメリカの小学校の生徒たちからお名前募集~♪」って、その企画担当者、ISSの乗組員以上に馬鹿ですか?wパンダの赤ちゃんじゃないんだからw  そもそも知らない怪しいものに、名前つけちゃダメでしょ。「モンスターズインク」でも、サリーが危険生命体である人間の女の子をブーと名づけて呼んでいたら「名前つけたの?だめだよ、名前なんて付けたら愛着わいちゃうでしょ!」って厳しく叱咤したじゃないですか。「ミス・ポター」でも、ピーターラビットの作者の女性が近所の家畜農家のおじさんに「この牛はなんていう名前なの?」とたずねたら、彼は「名前はつけません。愛着がわいてしまうんでね」と答えた。  あの宇宙生命体をペットとして楽しむならともかく、得体もまだ知れていないのに、なぁにがカルビンだ! そもそも、焼いても不死身なんじゃ、カルビンのくせに、カルビ焼きにもならねぇし!  でもあのクリオネみたいな生命体、ネコみたいじゃなかったですか?すばしっこくて、つかまえようとしてもつかまえられない。でも気づいたら、足元にすりよってきたり。ラスト近くで、酸素キャンドルに飛びついてギュゥゥゥってキャンドルを抱きしめて「わぁいわぁい」みたいな顔してましたけど、普通においでおいでしてもツンってそっぽ向くくせに、ネコグッズをチラつかせたら、キーンって飛んできて飛びついてくるネコかいw   抱きしめたキャンドルのライトの明かりが、半透明のカルビンを、まるで間接照明のように美しく、薄暗い脱出ポッドの中で浮かび上がらせていて、この姿は<SF映画の印象的なエイリアンの姿>で上位5位以内に入りました。(ちなみに1位は「エイリアン2」でクイーンがにゅるにゅると卵を産み落としている姿)
[CS・衛星(字幕)] 5点(2018-08-03 08:45:37)
123.  ブロークバック・マウンテン 《ネタバレ》 
ジェイク・ギレンホールが大好きなので、彼が出ているからという理由で鑑賞。  序盤でジャックが、イニスに「ひつじを撃って食べちゃおう」って誘った場面を見た瞬間、「ジャックがウケで、イニスがセメだな」と直感で分かりました。ルールを破ることをそそのかす、まるでそれはアダムとイブのイブのよう。ゲイはどちらも男だけれど、やはり男役を受け持つ側と女役を受け持つ側がある。ジャックはあきらかに女のほうだと思った。  その後テントで初メイクラブのときも、最初はジャックから襲いかかったものの、すぐさまジャックがウケの態勢に・・・やはり直感どおり。  さてそんな目線(ジャック=女、イニス=男)でこの映画を見ていくと、まことに男女の恋愛そのものである。  ジャックの言動を見ていれば、まるで女そのものだ。 世間体とか気にしないで「一緒に農場やろ!」って無邪気に何度も誘うところといい、イニスが離婚したとわかったら車すっとばしてかけつけて「引越し先さがしてきたよぉ~!」ってニコニコうれしさ200%な表情を見せるところといい、イニスとなかなか会えないことを愚痴って「アタシ、もっと一緒にイチャコラしたいっ!」ってキ~ってなるところといい、イニスに冷たくされて帰りの車でクスンクスン泣いてそのあと誰でもいいから抱かれたいってなって路上の男を拾って抱かれるとことといい、いやまさにジャックの女っぷりがその女そのものな微妙な表情の演技によって痛いほど伝わる。  一方イニスはまさに男であり、いかにも女な感情的なジャックに対して、無口なくせに実はツンデレな男を見事に演じきってくれた。  私の中では、同性愛映画というと、どちらかといえば「モーリス」や「アナザーカントリー」のように、登場人物のイケメン俳優がからむ場面で萌えとか、そういう需要のためにあるというイメージだった。しかしこの映画は、そんな既成概念をふっとばすような、内容ありきな、すばらしい映画だったと思う。  この時代におけるゲイに対する偏見が、不倫という障壁と共にふたりの前にたちはだかり、「そんなの気にしないモン!」っていう無邪気なジャックと「いやそれやっぱむりでしょ」という現実主義のイニスの、お互いへの想いは本音であっても、どこまでも交われない平行線の建前が、心をしめつける。そう、この映画は男女のロマンス映画では描ききれない、ゲイだからこその苦悩を、それぞれの妻、あるいは恋人、仕事先、実家の家族・・・あらゆる関係者を巻き込んで、これでもかこれでもかという勢いで、完全に描ききった作品なのだ。  それを証拠に、この映画の受賞歴はおびただしい数。ゴールデングローブ賞作品賞、監督賞、脚本賞、アカデミー賞でも脚色賞、監督賞・・・やはりこの映画、だたのゲイ映画というククリでは終わらない、深いものを持っていることは確実。   ところでジェイク好きでジェイクのいろいろな作品を見てきた私の意見だが、ジェイクがイニスを見つめるときの色っぽい目つき、これ、女優相手の普通のラブシーンで見せてきた演技のどれよりも色っぽい。その他にも、イニスがらみで見せる、いろいろなシチュエーションでの喜怒哀楽やそれがにじみでるようなとても繊細で美妙な表情・・・すべてが色っぽい。ゲイの女サイド・・・という立場を演じているから、特に意識しているからだと思うけれど、とにかくイニスがらみで見せる表情がドキドキすぎて、ジェイク出演作品の中で一番ジェイクの”艶”が出せている作品だと思う。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2018-07-25 17:36:17)
124.  フランス組曲 《ネタバレ》 
不倫モノの洋画。私は基本的に、最後は結ばれない(が、心はきっと永遠につながっている)という着地点で描いていくストーリーが好きだ。  これを読んでくれている映画ファンの皆さんも、「あ、それならあの映画もそうだったね、あとあれもね」と、いくつかそういう作品を挙げられるかと思う。  そういう映画の中でもこの「フランス組曲」は、あまりにも切なく、胸をかきむしられ、身が引き裂かれるような思いをしながら見終えた。  不倫の障壁は、基本的に”既婚”である。  だが世間では既婚以外にさらにもう1つ障壁が立ちはだかるケースがたまにある。たとえば教師と保護者の個人的なつきあい禁止のように、学校側の”ルール”という障壁がその一例だ。他にも、成人と未成年という”年齢”の障壁というのもある。そしてこの映画では”戦時中の敵同士”であるという障壁がセットされているのである。  リュシルとブルーノが既婚であること、それはまぁ乗り越えられるとしよう(だってそもそも愛情とかなさげな結婚だから)。しかし敵同士という、世間の目があまりにもキツイ状況。ダブル障壁。  痛い。心が痛い。  ブルーノとの2人分のゴハンの用意をして、官能的な赤いドレスと赤い口紅でオメカシして彼が戻ってくるのを待っているリュシルのもとに、夫をかくまって欲しいとお願いにきた知り合いの女性がやってきた場面も心が痛んだ。 知人女性の「え?敵の男とネンゴロってこと?てかあなた、結婚してるじゃん」という不審の表情と、リュシルの「いや、あなたの夫を助けてあげたいのはヤマヤマよ、でもこれから彼とようやっと二人きりになれる最初で最後の時間なの・・・ほんと困るのよ、よけいな邪魔しないで・・・ほんと、ほっといて・・・」というオロオロした表情の駆け引き。  結局リュシルとブルーノは、唯一のチャンスを逃し、体をひとつにすることは二度となかった。  そして最後の二人の別れの場面。 ブルーノが彼女をせめて最後に抱きしめたくて、車に乗ろうとする彼女の腰に手をまわすが、まるでそれがただの風かのように、スっとすり抜けて車に乗り込むリュシル。  二人のお互いへの想いは確実にそこにあった。でも、想いがあったって、結ばれることもなければ、想いをあからさまに口にすることもできず、胸に秘めたままもう二度と逢えない・・・  不倫の切なさ、ここに極まれり。  障壁を二つ抱えながら、人を好きになり、相手も脈ありとわかりながらも、一線を越えないまま、すれ違い、そして二度と逢えなくなった・・・という経験のある私としては、なんだかヒロインが同じ気持ちを分け合える女友達に見え、お互いの傷を見せ合い、なぐさめあえたような気がした。   (それはそれとして、この映画で印象的な、<楽譜のラブレター>はグっときましたね。「ピアノ・レッスン」の<鍵盤のタブレター>といい勝負です。そもそもピアノを介在させたロマンス映画はピアノ弾きの私としてかなりヒット率が高いです。)
[CS・衛星(字幕)] 8点(2018-07-25 16:22:39)
125.  日の名残り 《ネタバレ》 
ニュアンス。そう、ただひたすら、ニュアンス。英国のお屋敷の、執事やメイドたちがあくせく働く姿、お金持ちたちの晩餐風景、だだっぴろい生垣迷路のお庭でのあれやこれや・・・。  ストーリーは  ”仕事人間だけどプライベートはぶきっちょな執事と、感情的で我が強いメイド長が、惹かれあってるかんじだけど、コクれなくって、お互いに何も起きずに終わるお話”  にすぎないが、その不完全燃焼なストーリーを2時間近くかけて消化させるために、上記の<ニュアンス>場面が延々と続く。  ご主人がナチ寄りだとか、お屋敷にアメリカ人が住むことになったとか、ヒューグラントがパパラッチだとか(ちょい違う)いろんなエピソードを盛り込んだところで、「いやいやそういうことじゃなくって、二人の恋愛にもっとグリップしろや!」と机をドンドンっとたたきたくなるわけである。  二人が惹かれあう理由がそもそも、そういう<英国ニュアンス>場面に尺をとってるせいで、描ききれていないところも問題だ。   執事が、感情を殺して仕事に専念し、見事な采配ぶりを見せるという姿はアッパレではある。 サイボーグアイドルのようにスキャンダルはいっさい起こさず見事にアイドルを貫いたAKB48まゆゆが引退後に 「いろいろなことが起きるからいちいち感情を動かしていたら身がもたなくなる。10代の頃に感情は捨てた」と言っていたが、つまり仕事を完璧にこなす人間は私情だの感情だのにふりまわされないこそ、そうあれるのだろう。  だからといっても、執事とメイド長が惹かれあう理由を描ききれておらず、説得力にかけることの言い訳にはなるまいぞ。  二人が再会し、そして永遠に別れるバス乗り場での場面も、エマが顔をシワッシワにさせて泣きじゃくってはいるものの「ん~なんでそこまで泣ける?そこまで好きになれる?」って、心がゆれることはなかったですよ。  それで悶々としたあとに切り替わった最後の場面では、お屋敷の暖炉にハトが飛びこんできちゃったので、執事とアメリカ人が一生懸命外に出そうとして、ワタワタする様子が描かれている。そしてハトは無事、屋外へ。めでたしめでたし・・・the end。  ・・・って、ぜんぜんめでたくないわっ!  何が言いたいのかサッパリ。屋敷に入ってきたハトみたいに、キョトンとした顔をするしかないではないか。
[CS・衛星(字幕)] 4点(2018-07-14 20:33:45)
126.  パディントン 《ネタバレ》 
「2」をスクリーンで見て面白かったので、原点の「1」を鑑賞。  「2」で登場した骨董屋のグルーバーおじさんがすでに「1」に登場していたこと(どうやら原作ではグルーバーさんも主要キャラのひとりらしい)や、骨董屋さん界隈の雰囲気といい、オカンの古着コーデといい、ブラウン家の各部屋の内装といい、何から何まで、私の感性にビンビンきた。  とにかくパディントンという世界観すべてが、私に合っているらしい。  家を求めてさまよっているパディントンがバッキンガム宮殿の前にきて建物を見上げている場面があったが、ロンドンで一番住まわせてもらえなさそうな場所でそういうことするという、ものすごく上品なジョークも性に合う。  中でも気に入ったのが、ロンドンの掃除機2本を使ったエントツ脱出作戦のジョーク。  充電式の掃除機2本を使って、えんとつの壁に吸い付かせながらよじ登るのだが、途中で片方の掃除機の3灯の充電ランプが全て緑から赤になってしまい、ズルっとなって、その掃除機を落としてしまう。  「なにこれ、ミッションインポッシブルの高層ビルの手袋のヤツと一緒じゃんw」って思わず言ったら、小2の息子が「そうだよ、最初にミッションインポッシブルの音楽が流れたもん」って普通に言うので巻き戻したら本当に、えんとつ登りだすときにあのテーマが・・・w  ということで、「これはミッションインポッシブルのパロディなのだな」という目線で続きを見たが、トムクルーズばりに煙突から出る瞬間ジャ~~~~ンプ!!・・・するが、パディントンなので煙突の外側のフチをつかめずそのままストーンと煙突に再び落下・・・w  いちいち、上品なジョークに笑わせられた。  「2」がパディントンの滅私的で献身的な行動がハッピーエンドにつながる・・・という物語だったため、思わず泣いてしまったが、それに対して、「1」は彼の生い立ちや家族探しの物語。そもそも話なので、どちらかというと、笑いに身を任せ、パディントンとブラウン家の絆が結ばれていく過程をサラリと楽しむのがいいと思う。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2018-07-08 12:02:45)
127.  マッチポイント 《ネタバレ》 
非常に後味の悪い作品。  クリスも、最初は手堅いテニスがうまくて誠実そうなイケメンだと思っていたのに保身保身・・で最後は人殺しまでしちゃうし、その嫁も、品のいいお嬢様かと思いきや 金持ちなパパの力をチラつかせてどこまでも強気でクリスを「さぁ子作りよ」と追い詰め、ようやく出産したら「次は女の子よ」ってせっついてくるようなカワイゲのない女だし、ノラも妊娠してしまえば当初の神秘的な魔性の女から一転、「おくさんとわかれてよー!」と、よくあるパターンで騒ぎ立てるやかましいねーちゃんに成り下がるし、後半になればなるほど、誰一人メインキャラに感情移入して「がんばれよ!」って言いたい人物がいなくなっていくという、ガッカリな展開だ。  個人的には前半のあの、クリスとノラの駆け引きで盛り上がってからの、二人によるこれまでの婚外交際を描いたどの作品にもないような意外な展開でのハッピーエンドを期待していたのだけど。  飲食店でノラとクリスが語り合っている場面で、ノラが「男は私に夢中になるの」「私は特別な女なの」「後悔させないわ」とノタまった場面では思わず「確かにその通りだけどそれを自分で言っちゃうとかスゴイな」ってクスって笑ってしまったが、クリスもそれを利いて苦笑いしていたので、「うわ一緒に笑っちまったw」って、普通に面白かった。  クリスが何かにつけて嫁の目を盗んで彼女に電話したり会ったりするコソコソ感とか、その時の複雑な表情とか、「ひょっとしてジョナサン・リース=マイヤーズ自身、こういう経験あるんじゃないの?」って思うくらい演技が秀逸で、食い入るように彼の動きにみとれもした。  それだけに後半のグダグダサスペンス(警察のツメ甘すぎ)には、しらけてしまったし、メインキャスト総悪役化というビックリなシナリオにもガッカリさせられた。
[CS・衛星(字幕)] 1点(2018-07-05 20:19:55)
128.  セブンティーン・アゲイン 《ネタバレ》 
ザックエフロンが好きだから見た。  結論からいえば、ザックエフロンだから最後まで見れたw  舞台がハイスクールということで、いやというほど見てきたザックの「ハイスクールムービー」シリーズを見ているようで食傷気味だし、出てくる高校生のキャラといい先生といい、なにもかもが”型”どおりで、目新しいものは感じられない。  さらに言えば、ザック推しとしては、中年になった父親が、まったく違う俳優が演じている(あきらかに魅力のなさげなサエない顔と体型の男)時点でアウト。  せっかくのラストシーンも、中年のドラマ俳優と女優の、陳腐な再会場面のようだ。  ザックに特殊メイクなりCG加工を施して、体も増量でなんとかして、ザック自身が父親役を演じてほしかった。それがそうにならなかったのは予算の問題なのか。  いくらなんでも”冴えないオヤジ”を演出するためといったって、あれだけのイケメンなザックが、ここまでしょぼくれた冴えない顔になるか?って、素直に受け止められない内容である。  内容アウト、ザックの数十年後の表現方法もアウト。2点は、ザックが出ていたから加点されたもので、ザックが出てなかったら0点である。
[CS・衛星(字幕)] 2点(2018-07-03 13:23:54)
129.  スリー・ビルボード 《ネタバレ》 
個人的に「月に囚われた男」で1人芝居かつ1人二役をやってのけたサムロックウェルが好きだったので、この映画で彼がアカデミー賞の助演男優賞をとったこともうれしく期待値高め設定で鑑賞。  結論からいえば「そうだね、うん、サムロックウェルの名演技が見れてよかったよ」程度の映画である。 特にサムロックウェルが、ヤケドして入院した病室で、窓から突き落とした男にオレンジジュースをおごってもらってシクシクするところは印象的だった。  でもそれ以外に何かグっとくるものがあるかといえば特になく期待値を大きく下回った。 イライラしている人たちをこれでもかこれでもかと見せ付けられて、胃もたれするな映画。上映時間の8割はイライラしてる人たちのイライラしてる場面ばっかりである。  「広告出したのはオメーか!」  「ホモはむかつくんだよー!」  「このウサギの置物ぶっこわしたるわ!」  「車かしてくんないならいいわよ!」  「あの娘、くさいわね!」・・・・     見てるこっちも  「さっきからイライラしてる人間ばっかで、いい加減飽きるわ!」となり、オチのフワっとした終わりかたに「もっとエッジはっきりさせぇやゴルァア!」  ってイライラする映画だった。
[CS・衛星(字幕)] 2点(2018-06-29 20:54:12)
130.  シェイプ・オブ・ウォーター 《ネタバレ》 
半魚人という極秘実験動物が置かれた実験室に、なんのセキュリティチェックもなく、警備員ひとりなく、掃除婦がヒルメシ食べに気軽に入れて、半魚人にユデタマゴをおすそわけできるという、ゆる~い環境にまず萎えた。  ソ連のスパイの科学者が、半魚人を逃がすとき、「これを水に混ぜてだな、これくらい割合の塩分で満たしてだな・・・」と、細かく保存水の作りかたを教えていたのに、掃除婦はバスルームの水を出しっぱなしにしてバスルームを水で満たして半魚人とイチャイチャ遊ぶことに夢中で、水の量が増えた分の塩分割合とか全然考えてなかったり、かと思えば「なんか元気ない!そうだ!塩いれよう!」ってクッキングソルトを目分量でドバドバいれるという、半魚人の彼氏に超テキトーで雑な扱いをするもんだから「おいおい、そこに愛はあるんか!」とツッコミをいれたくなり、さらに萎えた。 (んな雑な扱いするから、彼氏のウロコがハゲまくるんだよ・・ったく)  とりあえず、エロ・グロ・ファンタジー・ミュージカルスパイものロマンス映画というゴタマゼ作品で観客をビビらせた勢いでアカデミー賞の作品賞をかっさらう手法が通じるのはこれが最初で最後であろう。  ・・・にしても、サリーホーキンスの全裸&オナシーンって誰トクなん(笑)
[CS・衛星(字幕)] 1点(2018-06-28 18:32:41)
131.  マイノリティ・リポート 《ネタバレ》 
今年から数えれば14年前のSFながら、シャープでクールなハイテク機器がかっこよく、予知夢で犯罪予防とかユニークな設定だし、展開もトントン進んでかなり引き込まれた。 しかし、結局はジョンの息子は誰がさらってどうなったかは分からずじまい。ラストシーンでジョンが妻の8ヶ月目サイズの妊婦腹をさすってニンマリして、ハッピーエンドですよと言われても、ぜんぜんこっちはシャクゼンとしない。  プリコグのアガサの母が殺害された真相の解明にばかり皆が奔走していて、アガサがきらいなわけじゃないが、なんでアガサばっかりーって思ってしまう。 息子のことも解明してやれよーと。  途中まで引き込まれていていろいろな穴に気づいていなかったが、こういうオチをみせられると   「別にわざわざラマーが自らの手を汚してまでアガサの母を殺さなくても、1番目のおとりとして雇った人間がいたなら、自分じゃなくて2番目の本番の殺害用にもう一人ひとを雇えばよかったじゃん」とか  「そもそもアガサは、自分の母が不当に殺害されていたことに感づいてたなら、ジョンをいきなりガバって抱き寄せて『あれが見えるぅ!?あれが見えるぅぅううう!?』なんて半狂乱でわめかないで『お母さんはワナにはめられて殺されたのよー!』ってハッキリ言いなさいよ」とか  「ジョンと外を歩いているアガサがいきなり通行人の女性に『あなたは浮気がバレる』とか教えたり、そのうち雨がふることを予知して『傘をとって』とか教える余裕があるなら、ララの家にジョンと隠れている時に、警察に突入される直前にいきなり「ルァアアアアアアーーーーーーーン!(逃げて~)」なんて叫ぶんじゃなくて、1分くらい前に『警察がくるわ』って普通に教えてあげとけよ」とか  「予知夢による犯罪防止対策は、個人のプライバシーを侵しませんとか宣伝するわりに、街頭や店内を通りがかるたびに看板が網膜スキャンで本人確認できちゃって、所かまわず「アンダートンさん、お洋服はいかがっすか」「アンダートンさん、車はいかがっすか」みたいなノリで不特定多数の人前で本人の実名をバンバン大声で発するというプライバシー侵害しまくりの未来図ってどうよ」とか  「3人の予知夢でたまに1人の夢が一致しないこともあるという不確定さがある犯罪予知システムだっていうのに、それで捕まえた”加害者予定者”を裁判ナシでいきなり刑務所カプセルに入れるとか、テキトーすぎるんじゃないの。」とか  「ララがジョンと別れた理由は、『あなたと一緒にいると息子を思い出すから』だと言ってたわりに、なんかドサクサやってるうちに、妊娠してまたジョンと仲良しになってるってあなた前に言ったセリフ忘れたんかい」とか  「ジョンはラマーにハメられたあの現場に散らかっていた幼児の写真の中に息子の写真を見つけて『誘拐されてからずっと、2つのことを考えてきた。1つは息子が生きていたら今どうなっていただろうということだ。そしてもうひとつは、犯人をどうしてやろうかということだ。』なんて殺気立った顔つきで言ってたわりに、息子の誘拐事件が解明されて犯人逮捕されたとか息子が生きていたとか何かしらのフンギリがついているようでもないのに、妻と次の子作りとか、なんという安易な心変わり」とか   穴という穴をつっつきまくりたくなる。  でも、ピーターストーメアーがブっとんだ目医者で登場していたので、それで加点して6点。 彼って、「8mm」でブっとんだAV監督で登場したり、「アルマゲドン」でブっとんだロシア人宇宙飛行士で登場したり、中盤でいきなり現れてものすごいインパクト残してく役者だなぁ・・・
[CS・衛星(字幕)] 6点(2018-05-21 09:24:00)(良:2票)
132.  恋におちて 《ネタバレ》 
私は、<子供のいない妻>の不倫作品がダイッキライである。  なぜなら、そこに何の苦悩も生まれないからだ。 不倫映画はあまた見てきたが、妻側に子供がいないというのは”逃げの設定”だと断言する。それは軟弱者の設定だと、はっきり言わせていただく。  男は女より母性が薄い。だから夫が妻や子供を捨てることは夫という人物の性格を多少マイナス評価にさせても、そこまで下がることはない。(子供や妻はかわいそうだが、子供にとっては絆の深い母との生活は充足したものになるものだ) しかし妻が、夫はさておき、子供を捨てることになるような不倫に走るというのは、母性の欠落、母より女という選択、となり、それはヒトとしてアウトになる。 母性不足のアウトなヒロインは、なかなか、まっとうなキャラとしては描きがたい。  だから子供を傷つけるという代償を払わないですむ、”子ナシの妻”を簡単に採用する。このヒネリのない設定が断じて許せない。  この映画にしても、メリルには子供がいない。日本の作品だが「失楽園」といい「昼顔」といい、ヒロインに子供がいない。だから、ヒロインは母という責任を背負いません。なんてイージーで、なんてずるい設定だ。    それでも世間には、”子ありの妻”という難解な設定に力強く挑んだ、優れた映画がある。  私は「マディソン郡の橋」は、子供のある妻の苦悩と最後の選択に、わたしは激しくこころ揺さぶられ、あの助手席のドアをあけようかどうしようか迷ってあけられなかった場面で号泣した。 「ピアノ・レッスン」では、子供のある妻自身がまるで子供のように、自分の子供を不倫のメッセンジャーとしてパシリに使い、ときに子供に「こんなことしたらだめよ」と諭されながらも、本能に従い欲望に向かって突進するという、いかにも芸術家的な気質に、圧倒された。  だから、この映画は何も胸を打たない。  そもそも、なんでメリルの友達もロバートの友達も、どっちも不倫やってて、「不倫いいよ~やってみぃ~」ってそそのかし役になってるんだ。  理由はわかっている。  メリルとロバートが惹かれあう理由がとぼしいからだ。 「ピアノレッスン」のように既婚者側のパートナーに、決定打的な、婚姻生活崩壊の原因があったとわけでもない。 「マディソン郡の橋」のように既婚者側が胸に秘めていた夢や備えている知性を理解してくれた男に出会えたというわけでもない。  普通にやってれば普通に続けられたそれなりの婚姻生活を、特に惹かれあうところもなさげな二人が、婚姻生活を終了させてまで付き合う相手なのか?さっぱり説得力がない。(そして、妻側は子なしという”逃げの設定”というオマケつき)  この映画を楽しむとしたら、不倫のうしろめたさに葛藤するときのメリルの表情と、カレに会うための服のコーデを時間かけて選んでいてワクワクしているメリルの表情と、カレとついにベッドで抱き合って恍惚の顔をしてるメリル表情くらい。  でもそれを見たいなら「マディソン郡の橋」でも同じものが見られるので、そっちを見ればいいじゃんということに。
[CS・衛星(字幕)] 0点(2018-05-19 13:56:38)
133.  ポセイドン・アドベンチャー(1972) 《ネタバレ》 
海洋パニック映画における  "脱出の際必ず一度は水中にもぐらないといけない”  という黄金ルールをつくったのがこの映画なのではないだろうか。   さらには、どの場面でも役に立っておらず、奮闘もせず、誰かを助けもせず、ネガティブオーラ全開で、難所にくるたびに「私はもうムリー!」「私はここにいるー!」などと、いちいち面倒発言を連発するヘタレ歌手のノニー(足手まとい度200%)が生き残り組に入っているのだが   脱出系映画における  ”脱出成功して生き残るのは、意外と、どーでもよいキャラ”  という黄金ルールを作ったのもこの映画ではないだろうか。   「神なんてくそくらえ!」な牧師も小気味よく、仲間が死んでも「神の御許へ安らかに・・・アーメン」なんて言わずに  「どうしてこんな良い人を!」とか「何人いけにえがほしいんだ!」とか、まっこうから神とバトルしている。 かなりパンチのきいたキャラで、このアウトサイダーな牧師のダークヒーローっぷりは 「神父なのに!?」「脱出作戦のリーダーなのに!?」というギャップを生み出し、この作品をより印象的なものにしているだろう。  ところで、この映画は何十回も見てきたけど今回初めて気づいたのが、最後の難関エリア突破の場面(牧師がハンドルをまわして蒸気をとめてストンと落ちるあの場面)で、奥さんが死んで呆然として、もう脱出なんてどうでもいい・・・みたいになってた刑事のおじさんに向かってマーティンが「それでも刑事かよ!」と、言いたい放題のことを言って発破をかけたとき、刑事のおじさんが上目づかいにマーティンをにらみつけ   「オゥケイ、ジュー!」(OK、ユダヤ野郎!)って言ってたことに気づいて   いくらシナリオとはいえ、ユダヤ人差別はなはだしいな・・・と思ってふと調べたらマーティンをやった役者は本当にユダヤ系アメリカ人だった。(よけいやばくないか)
[DVD(字幕)] 8点(2018-05-13 11:40:06)(良:1票)
134.  ピアノ・レッスン 《ネタバレ》 
私はヒロインに完全同意だ。感情移入度100%である。  私はピアノが大好きだ。 だが21でデキ婚した夫(実はデキる前に、自己中心的な性格により別れを考えていたが、予定が変わってしまって流れに任せて結婚することに)はピアノに興味はなく、いやむしろ敵視している。  引っ越しするたびに膨大な別途運搬料金がかかるとか、置く場所がないだ、圧迫感があるからジャマだといって、私の意に反して、親がムリして何十年ローンで買ってくれた3歳から使っていたアップライトピアノをある日勝手に売り飛ばしてしまったのだ。  あれから20数年、アップライトほど大きくなくて「ジャマだ」だと言われなそうなスピネット型の中古ピアノ(ボールドウィン製)に一目惚れし、中古を知人からタダで譲ってもらったのだと言って自腹で買ったのだが、その後も「床が抜けるぞ」「家が壊れるぞ」といちいちピアノを敵視する。実に、この映画のエイダの気持ちがイタイほど分かる私なのである。  そんな私がハーヴェイみたいな男と出会ったら、惚れないワケがない。  実際、ピアノを通して知り合えた相手はいないが、映画やアートといった芸術の分野で話が合った男の何人かと、サラリと不倫も普通にしていたし。  倫理観がない女だと思われるかもしれないが、この映画を楽しむことができたから幸いだ。 ついでにテーマ曲の楽譜を入手して弾いて楽しんだり。  不倫映画を毛嫌いする人も多いが、それを否定してたら楽しめる映画も楽しめない。 不倫映画を楽しむために不倫しようとかそこまでは言わないけれど、禁じられた恋に走る人間の心と同調させられるくらいは心をニュートラルにできたほうが、いいと思う。  「昼顔」やら、「失楽園」みたいな、ベッドシーンありきな近所で起こってそうな昼ドラっぽい不倫映画は大嫌いだが、「ピアノレッスン」のように、テーマがピアノ(品格あり)で、ヒロインの相手が典型的なイケメン&ナイスバディじゃなくて(いわゆる昼ドラテイストではなくて)、舞台が原始的風景の残る荒野のニュージーランド(非現実的)という、作品として独特のカラーがあるものは、感情をとことん移入して没入できて、本当に素晴らしいと思う。  特に、なによりもピアノを自分のアイデンティティとして命より大切にしていた感のある彼女が、愛する男と島を出るための船が危険になったときに「ピアノを捨てて」と、そう、ピアノより男を取った、その瞬間もグっときた。 でも、そういいつつピアノとの絆を断ち切れそうにないゆれる心をあらわすかのように、ピアノとつながっていたヒモに足をつっこみ、自らピアノと共に海に入水したが、やはり最後にはブーツを脱いで彼の元に戻る、なんていう場面も、グっときた。  それに、セックスシーンも実はよく確認すれば分かるが、そればっかりをカメラでがっちりとらえて延々と流しつづけるような下世話なものではなく、必要最低限のものであり、露骨に裸がくんずほぐれつしてハアハアするみたいなものでもなく、また、娘が穴からちょっと覗いたら見えちゃいました、みたいな、個人撮影の盗撮みたいな(笑)よく見えない映像もあったり、個人的には猥褻さをあまり感じないものだった。  いってみれば、”雰囲気エロ”。  人間で一番いやらしい場所は脳だといわれているが、その脳でいかにこの映画の”雰囲気エロ”を、体じゅうをめぐるるエロ熱に変換して楽しむかも、鑑賞者にゆだねられている。   ただ、エイダがラブレターみたいに白鍵を1つ外して彼のもとに届けた行為だけは、ちょっと・・・って思った。  子供を巻き込んで、大変なことになったから。じゃなくて、だってあの白鍵がなくなったらその音だけ弾けなくなっちゃうじゃない。ヤマハみたいにお買い上げのあとのお客様フォロー窓口があって、抜け落ちた白鍵を1本注文して修理してもらうとかだってできないじゃない。(心配するのがソコとか、きっとやっぱり私は普通の女じゃないわなとあらためて思う)
[DVD(字幕)] 10点(2018-05-05 16:15:05)
135.  ブリッジ・オブ・スパイ
アメリカ映画といえば、アメリカによるアメリカのためのアメリカが正義として描かれるアメリカ映画が常である。しかしこの映画は、アメリカを完全な正義として描ききらないであることで成功しているのだ。  敵国のスパイなら情けも法律も関係ねぇ!という世論や裁判関係者も存在したことを描く。  太平洋戦争時の日本は「捕虜になる辱めを受けるなら自決せよ」という非情な教えを全国民にすりこませていたが、そんな<自国民の命より、こちらの情報が捕虜を通して敵国にもれないことのほうが優先>という当時の日本のポリシーと変わりのない、自決用の1ドルコインをスパイ飛行士に持たせていた事も、包み隠さず描く。  橋の上での捕虜交換時も、アベルが「引き渡されたあと、自国の関係者に片寄せ抱き合ってもらえるか、あるいは黙って後部座席に座らせられるか」という話をしていて、それはつまり肩を抱かれれば”信用”、黙って乗車させられたら”不信”ということだという意味なのだが、ソ連側関係者はアベルを黙ってクルマに乗せたのに対して、アメリカ関係者はパワーズを笑顔で抱き寄せて”信用”のフリをしながら、実際飛行機に乗せたあとは、パワーズを全員が完全シカトというアメリカ関係者の裏表の表情も、サラリと描く。  そんなふうにアメリカのダークな部分も包み隠さず描くことで、ドノヴァンという”アメリカの良心”をより際立たせているのが本作だ。  そして私は本作を「シンドラーのリスト」「リンカーン」と並び、スピルバーグの描く伝記映画としてとらえたい。「ブリッジオブスパイ」は、スパイの仲介者という意味であり、それはそのまま、ドノヴァンのことである。タイトルをあえて「ドノヴァン」にしなかったあたりは、彼がシンドラーやリンカーンほど世界でよく知られた歴史上の人物ではないからかもしれない。だがこの映画を通じて、ドノヴァンはアメリカの良心、アメリカの正義として世界に広く認知されることになった。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2018-05-05 14:57:01)
136.  月に囚われた男 《ネタバレ》 
冒頭でサムベルがルームランナーでカラダを鍛えているときのTシャツの文字が   「WAKE ME UP WHEN IT'S QUITING TIME」   (やめるときに、私を起こして)   って書いてあるのが、わかりやすくて最高ですw   これは映画「トライアングル」で主人公の女性が車でビーチ方向に走っているときに  海沿いの看板に「さようなら、また会いましょう」って書かれていたのと同じくらいわかりやすいですw   あと、基地には「SARANG」ってハングル語で「愛」って文字が書かれてて、あと採掘場にいく車も「SARANG ROVER」って書いてあって、おそらくこの映画のテーマはやっぱり「愛」(主人公の妻や娘に対する)であることを示してるのかな~なんて思ったり。   あと、後半でサムベルが、採掘場のコントロール部屋みたいなロフトみたいなところのハシゴに腰掛けながら、人工知能のガーティに「ボクは昔妻に乱暴だった。だから彼女は出ていった。僕は変わろうとした。そして変わった」的なことを長々と話すんだけど、   あんなことがあって、こんなことがあって、そして僕は悔い改めて変わったんだ   っていう話の内容と、彼の右背後に見える「MIND STEP」っていう文字が   なんかつながってるように深読みしてしまった。   MIND(こころ)のSTEP(昇段、ステップ)   のように読めるなと。 (本来は「足元に注意」っていう慣用句なんだけど。)  それにしても人工知能のガーティは、会社が用意した会社のためのものなんだけど、かなりガーティをかばうサムベル寄りのキャラになっている。 2度目に見たときは「こんな現地のクローンをかばいまくりの人工知能じゃ会社の利益にならないリコールものだわ」と一瞬思ったんだけど、ふと気づいた。  3年も月でたった一人で、さらに人間と生の会話ができない環境下であると、ウツになったり半狂乱になって逆に正常な作業が滞るクローンも現れていたかもしれない。人工知能だから、これまで何十体ものサムを相手にしていくうちに、サムが心穏やかでいられるにはどういう言動をとればいいかを次第に学習し、ついに何十代目かのサム(この映画の中のサム)の頃には、「大変そうだね、わかった、会社にはちょっとナイショにしておいてあげるよ」くらいの人間的な判断をとれる発達をとげたのではあるまいか?   人工知能の声はケビンスペイシー。これもすごくよく合っている。静かで、感情のないかんじの、敵か味方か、何考えてるかわかんないような、いい声質。
[地上波(字幕)] 10点(2018-04-17 12:40:42)(良:2票)
137.  ある天文学者の恋文 《ネタバレ》 
ジェレミーアイアンズ、うーん、もう恋愛担当のキャラはムリがある。  「ダメージ」(1992)でジュリエットビノシュと、年増の義理父&若き息子嫁のタブーな恋愛を犯すキャラをやったときは、まだよかった。  でも68歳。どうみてもむりだ。  あのクリントイーストウッドだって、かなりおじいちゃんになってからも、恋愛担当キャラをやっていたが、65才で「マディソン郡の橋」の恋愛担当キャラをやって以来自重しているというのに。  あと、不倫相手を自分が死んだあとも寂しくないようにとか、ひとりぼっち気分にさせないために、とかいって、あれやこれや演出を考えて時間差のコミュニケーションをとり続けてようとしたわけですが、いずれはそのネタも尽きるわけで、結局はエイミーは、ひとりぼっちになるわけですよ。  それを、わずかな期間だけ引き延ばして、思わせぶりなプレゼントしたりしても、それってどうなん、と思うわけ。  彼女の幸せに役立つか?ってなるわけ。  人間って愛する人を失っても、それによって気づくこととか、成長して強くなるとか、いろいろ得るものだってあるでしょう。  だから時間差コミュニケーション(期限あり)をとってズルズルと博士の存在を感じさせ続けているより、ダンボールに、長文の手紙と遺品の指輪と彼の家の相続書類とかぜんぶまとめてブッこんで、「はい、これが博士からの全部です」って弁護士からセットでゴソっと受け取ればいいって話になる。  その中に、母親のこととかもまとめて書いておけば、もっとスムーズに彼女も実家に戻ってただろうにって話しになる。  まぁそれを言ったら話しがそれで終わっちゃうわけですが。  それから、博士の娘が「あなたみたいに愛される女性、うらやましい」って言ってたけど、そうか?68歳のおじいちゃんに手紙やDVDで粘着されて、うらやましいか?って思ったり。  とりあえず、トルナトーレが、「自分が若いオナゴとデキたら、こんなふうなロマンチックな終わりかたとかサイコーやなぁフフフゥ♪」って色ボケが始まっちゃったのだと思っておきます。
[CS・衛星(字幕)] 1点(2018-04-17 12:32:08)
138.  ゆりかごを揺らす手 《ネタバレ》 
ソロモンの冒頭からの登場によって、彼が最後に救うであろうことが読めてしまうことは、まったく問題ではない。  クレアが行きずりのペイトンをすんなり乳母にさせてしまうことも、まったく問題ではない。  なぜなら「ゆりかごを揺らす手」は、ペイトンによる”お手紙ビリビリ工作”、”マリーンのライターで浮気工作”、”お誕生日サプライズの場で赤っ恥工作”、”ソロモンの工具いれにオパンチュ工作”、”吸入器の中身ヌキヌキ工作”といった、陰湿さの湿度が非常に高い楽しいシークエンスをひたすらただ楽しむことに尽きる作品だからだ。  特にクレアの性格設定はきちんとできている。  「乳母って信用できないわ」といいつつ、3歩歩いたらモノを忘れるニワトリのように、道で出会った女性を乳母として家に入れてしまうヌケ感がきちんと描かれているからだ。 命にかかわるくらい大事な吸引器も、家のあちゃこちゃの引き出しに、乱雑な中身の間にテキトーに放り込んであるだけのヌケ感がきちんと描かれているからだ。(容量の残りの確認もこれでは把握しずらいだろうに)  子供をペイトンにまかせっきりで、自分は庭のお手入れや植物園でのボランティアに精を出し、3人でいるときさえ赤ん坊にかまわないのも、彼女が親として、子供を敵(ペイトン)から守ることがまともにできない、頼りない女であることを、しっかりと描きこんでいる。  だからこそ、産婦人科医はセクハラの相手としてクレアをターゲットにしたというプロットにも説得力が生まれる。 電車内でチカンでも、”しっかりしていない”、”甘い”・・・といったオーラが出ている女性ほど、チカンの対象にされやすいが、まさにクレアがそのタイプだろう。  ペイトンの工作にも、まんまと次々とひっかかっていく単細胞っぷりをひたすら楽しむ。それが鑑賞者のたしなみだと言っても過言ではない。  最後にペイトンが、それまでの地味な陰湿工作に反して、力技でカタをつけようとする姿勢についても、違和感はない。  手紙ビリビリ工作を植物園のトイレで行った際、ビリビリしながら次第にブチギレで、トイレのバッコンで壁やドアをメッタメタにし、バッコンのさきっちょが吹っ飛ぶほどたたきまくっていた様子から見て、ペイトンは  <ホントは力技でクレアをこの世から抹殺したかったが、グっとこらえて、工作活動に専念していた>  ということがありあまるほど分かる。本来は力技でいきたかったペイトン。 ペイトンが、温室の屋根を開けてクレアを抹殺しようとしたり、最後にクレアを屋根裏で叩き殺そうとするといった、力技を行使するときは  <窮地に立たされて、ワレを忘れた時>  であることもポイントだ。すなわち温室作戦のときは、家族が自分だけ置き去りにして旅行に出て自分の処遇を勝手に話し合われてしまうと知ったとき、屋根裏作戦のときは、クレアが自分がモット夫人であることを知ってしまい追い出されてニッチもサッチもいかなくなったときである。  力技で来た敵には力技しかないわけで、クレアがペイトンを窓から吹っ飛ばしたプロットについても、特に意義はない。   最後にひとつ。  ソロモンが、柵を立てててくれるように頼まれたときに一家にたずねたセリフ  「それは、家の人が外に出ないようにですか?それとも外の人が家に入らないようにですか?」  は、実に絶妙である。  実際ペイトンにトドメを刺したその柵は  ★家の人が外に出ないようにする→ ペイトンに家庭を乗っ取られて、クレアが家を出るハメにならないようにする ★外の人が家に入らないようにする→ペイトンが家庭を乗っ取って、自分の家にしてしまわないようにする  という意味で、非常に有効な働きをしたからだ。  ソロモンの質問に対して、笑いながらクレアが「どっちもよ」と答えたが、ソロモンに功労賞を送るなら、ギア付きの自転車どころか、ブリジストンの20万くらいする電動機付き自転車をあげないといけないくらいだね。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2018-04-14 09:57:21)
139.  レミーのおいしいレストラン
ネズミーランドをかかえるディズニー企業がネズミを主役にした作品を作ったことに違和感はないし、リアル系ネズミが料理をしようがまったく問題も感じないのだが、昨今のディズニーが王道としている”絆の愛”という深いテーマでシンプルに涙腺を刺激する近年の作品に比べると  「おもしろいね、うん。・・・それで?」  で終わってしまうところが残念ポイント。  今作の後のこれもまた「おもしろいね、うん。・・・それで?」な「ウォーリー」(面白さは、「レミー」より上だが)以降は、「カールじいさんと空飛ぶ家」、「トイストーリー3」、「アナ雪」「ベイマックス」「ファインディングドリー」「モアナ」「リメンバーミー」など、人やモノとの深い絆を前面に押し出してヒネリをきかせ、見終わった後にちょっと考えさせられる作品に明らかにカジを切っているディズニー。  今作のように、見終わった後に特に考えをめぐらせるようなテーマもなく、単純なエンタメに終始する作品は、おそらくもう出してはこない気がする。そして、そういう作品は、名作にはなりえないのだ。  主人公の恋愛対象のキャラとしてはキツすぎるあの女料理人(むしろ敵役のキャラの顔だち)とのエピソードはこのさいバッサリと切り捨て、かわりに主人公の母とのエピソードを盛るなど、ちょっとした工夫があれば、まだよかっただろう。  味付けをちょっと間違うと、星を失うのは、料理でも映画レビューでも一緒。
[CS・衛星(吹替)] 3点(2018-04-09 07:57:00)
140.  運命のボタン 《ネタバレ》 
なんやなんや!  この世界で欲深で誘惑に弱く自制がきかなくって自己中心的なのは女やといいたいんかー!  アダムとイブが楽園追放されたのもそもそもイブが悪いっていいたいんかー!   イナズマがあたったあのオジサンが”あの方”の部下になって、人間達をボタン使って”試す”とか、なんか新約聖書のニオイぷんぷんやないか!  神はヒョウ(気象現象のほうの)とイナズマを送って地上に火を放った(出エジプト記9章より)的な、懲罰っぽい設定とか! そういえば時期設定がクリスマスで外にしょっちゅう雪ふってたけど、それがヒョウと関連づけてるんやろ!   そうや、それにあのボタン赤かったから、赤いリンゴのかわりなんやろ!え? で、それを手にしちゃうのは、夫婦のうちのいつも奥さん(女=イヴ)だといいたいんやろ!   じゃぁあの”あの方”の手下のヤケドしている男は、いってみればヘビみたいなもんかいな!    なんやなんや!私も女やけど、ボタンおすのは毎度女のほうでわるかったなー!   そんな、ボタン押したら100万ドルもくれるなんていわれたら、いつも家計がギリギリでサイフとニラメッコしていつも頭かかえて気にもんでいる主婦のほうが、押したい衝動にかられるのは当たりまえやないかー!   あの箱配るのは勝手だがなー!たまには「100万ドルの札束なんてお尻ふき用に使えるわねホホホ」程度にしか思わない大富豪の家に配ってみれや!  ”あの方”がどこのどやつかしらんけどなー!宇宙人だか神だかしらんけどなー! 99%の貧困層の上にいる1%の富裕層が支配するこの格差社会の地球上で、弱小市民が経済的に追い詰められる状況を、神か宇宙人かしらんが、おまいたちに分かるんかー!  カネに左右されない世界に住んどるおまいたちに、オカネの苦労がわかるんかー! ビンボー人の気持ちが分かるんかー! 消費税8%が10%になるのに軽減税率がコメだけ対象だとエンゲル係数ハネあがって日本に中間層が消滅するとかそんな問題抱えてヒィヒィいっとるワレワレの気持ちがわかるんかー!  そうやそうや!おまいたちに、弱小市民に「他人の死かカネか」を選択させる権利などあるんかー!   神が宇宙人かしらんけどなー! 堂々と出てこいやー!!    まじこの作品、世界中の一般家庭の主婦を敵にまわしたな。
[DVD(字幕)] 2点(2018-03-31 18:50:16)
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