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はち-ご=さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 327
性別 女性
年齢 37歳
自己紹介 知的障害を持つ23歳女性です。
1週間に40時間働いているから多分社会人だと思うけど
今は旦那や発達障害者仲間とルームシェア生活です。

知能指数は11歳ですが、
この映画レビューサイトでは
見よう見まねで大人びた文章で気取らせて貰っています。

ちなみに登録自体は旦那がやっていますので
■妻投稿■がついているのが私です。
あ、でもそうじゃないので一人称が「僕」なのも
実は私が投稿していたものもあったり
「ドラえもん」とか「A」とか(^_^;)

インターネットの書き込みは初めてに近く
インターネットルールは一通り勉強したつもりですが、
「場の空気を読む」などの高度な技術は難しいので
そんな時にはスルーしてください。

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【製作年 : 2010年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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1.  クレヨンしんちゃん 爆盛!カンフーボーイズ 拉麺大乱 《ネタバレ》 
【妻投稿】  火曜日鑑賞。春日部という街に同居しているチャイナタウン。「ブラックラーメンを食べられる、そのほうがみんな幸せなんだ」という台詞。やたらと連呼される「出て行け」という台詞。破壊された胡同みたいな市街地。暴れまわる大人たち、スマホ写真という物理的証拠を見せても誰も信じずに襲ってくる状況。この状況に絶望し無茶苦茶な正義を欲するヒロイン。  完全に社会的少数者へのヘイトやポスト真実といった最近の世相を反映している。 悪役も「ラーメンで洗脳して世界征服をする」のではなく、ただ凶暴な大人を増やして社会を殺伐とさせているだけだし(なんか町の凶暴化した市民が『ブラックホークダウン』や『ホテル・ルワンダ』で暴れまわっていた連中みたいだし)。 相模原で45人の障害者が殺傷された時に犯人をヒーローだと思う人間がかなりいたように、「気に入らないなら社会から消えろ」「この社会にお前らなんかいらねぇ」って事を平気で言う考えは大人の社会でほとんどステイタスになりつつある。 映画ではそういう大人の姿を敢えて子供に見せていて、「この世の中でどう人を傷つけずに生きていくか」って事をテーマにしているかもしれない。  ラストシーンは唐突でナンセンスだが、確実にわざとやっている。春日部にいきなり野原が現れるなんてありえないから。 多分物語は夕日の鉄橋の下で終わっているのだ(本当にこれで終わりそうな勢いだった)。 だって今の社会はその状況だから。 ラストの電車ごっこダンスは、ドラえもん映画『夢幻三剣士』の〇〇が〇〇〇になっているといういろんな憶測を呼んだ場面のように、ナンセンスすぎて逆に不気味に見える。 この不気味さは日本の未来の不気味さに通じているような気がする。  カンフーのシーンはそこそこなんだけど、せめてビームは飛び道具ではなく相手にパンチを入れる形で発射すべきだと思った。 それと悪役の魅力がそこそこ。「世の中はもっと簡単よ。食うか食われるか」ってセリフはイカしているし、パンダみたいな食事もいい感じなんだけど、パラダイスキングくらいの思い入れを込めて作って欲しかったな。やっていることは北斗神拳だし。
[映画館(邦画)] 8点(2018-04-26 20:18:28)(良:2票)
2.  この世界の片隅に(2016) 《ネタバレ》 
妻投稿■  私は安倍首相が集団的自衛権を容認する憲法解釈をしようが9条改正しようが、日本が再び太平洋戦争と同じ惨禍に見舞われることはないと思う(もし世界戦争に巻き込まれるとしたら今の憲法のあるなし関係ないだろう)。でもクロ現の貧困女子高生がまさしく非国民みたいに(政治家も悪乗りして)日本中から集中攻撃され、憲兵隊気取りの活動家の恫喝にビビってはだしのゲンが閉架となり、「人工透析患者は日本にとってよくないから殺せ」という報道従事者のブログを半分位の人間が支持している現状を見れば、(戦争をリアルでは知らないから何とも言えないが)「ひょっとしたら今の日本は(徴兵制がブラック企業に変わっただけで)もうとっくの昔に戦前に戻っているんじゃないか」という気分になることがある。そういう意味ではこの映画は“自業自得”な「火垂るの墓」と比較して、今の日本人にウケ易い「模範的な戦時下の人たち」の物語にも見える。多分すずさんの逞しさを社会弱者を説教するのに使う人間もきっと出てくるだろう。  でもそんな私のクソみたいな考えをよそに、すずさんはとても楽しそうだ。結婚から食事を作る場面まで…。憲兵隊に長時間説教される場面。今の時代の人間なら「私は諜報なんてしていない」という自分の記憶の方を疑いだすだろう。でも彼女たちはそれを笑ってしまうのだ。食事の場面もジブリとは対極的に食事かクソ不味そうだ。しかし映画を見終わったあとに最初に私が食べた茶碗いっぱいのご飯。それが物凄くご馳走に見えた。こんな昭和20年を舞台にした映画(普通なら飯食う気もなくす)は初めてだ。  でもそんなすずさんですら壊れる事件が唐突に起こる。それでも日常が回っていき、そして戦争が終わったとき、娘を失った義理の姉もすずさんも号泣するのだ。戦争が理不尽で無意味なものだという現実が終わってみて初めて襲ってくる。胸が締め付けられる場面だ。そして原爆の描写。あれを見てからYouTubeで流れているロシアの隕石落下の瞬間を見るのが怖くなった。そのくらいの戦慄の演出。すずの両親が死に妹も原爆症に冒されているという現実を後から知る場面。感情表現ではなくシークエンスだけで観客をすずさんと一緒に呆然(絶望)とさせる。  そこにあのラストを持って来るのだ。右腕を失い、家族と自分の大切な個(絵描き)を奪われたすずさん。そのすずさんの右手は存在しないにも関わらず一人の戦災孤児の少女の手を取る。この演出は時限爆弾を生き残ったすずさんを全面肯定するものだ。おそらくその少女は「マイマイ新子と千年の魔法」のような平和な昭和30年の風景で楽しい思春期を過ごすのだろう。すずさんが立派な反戦家ではなく世界の片隅にいるほわほわな女の子だからこそ、このエンディングの絵は今を生きる人を肯定するものとなるのだろう。人生は誰かの正義や思想の為に否定されていいものではない。この映画は左右(右の人も反戦の人は多い)思想の「模範」である事を拒否し、人間の人生を肯定すること(義姉の生き方も肯定されていた)から戦争を描いた作品なのだ。  DVDを見ての追記■■■■■■■■ 北朝鮮の核兵器が落ちてきたとき。私が住む田舎には落ちては来ないだろうが…あんな光と地響きに遭遇し、遠くに見えるキノコ雲を見るんだろうか。
[映画館(邦画)] 10点(2017-01-14 01:36:03)(良:5票)
3.  映画 聲の形 《ネタバレ》 
妻投稿■■■■■■この映画を見て思ったことは「あの植野ってアマを殴りてぇ」という事だ。勿論グーでだ。物事の騒動はほとんどこいつのせいだ。こいつは自分の願望を叶えたいばかりに他人を偽善者として見下し、自分勝手な理由で相手に罪悪感を感じさせ、被害者意識丸出して喋っているうちに熱くなって暴力を振るう。(抵抗できないという意味での)弱い人間を洗脳して支配するタイプだ。将来はあのメガネの担任みたいな奴になるんだろうな。■■■■■■■■じゃあなんで彼女は殴られないのか。リアリティーの為か? いや、この映画でのリアルは手段であって価値ではないはずだ。リアルが価値ならば成立しない場面がいくつもある。■■■■■■■■■■■■この物語は障害者の物語ではなく、「いじめをしていた」「いじめを黙認していた」「いじめから逃げた」「いじめを自己肯定している」人間の物語だ。この映画ではいじめの中心人物だったヤショウが一番まともに見える。その行動が自己救済を動機にしていたとしても(これは「いじめてたのは自分だけだ」という言い訳にも現れており、監督はあえてそれを隠していない)、そもそもいじめに死ぬほどの罪悪感があるからこそ自己救済が必要なわけであって、結果的に少しずつ被害者や家族から許されていく。対してその救済を邪魔しているのは、そもそも罪悪感も償いの意思も持たない連中だ。その連中の醜さが作中ではさりげなく、それでいて確実に表現されている。■■■■■■■■■■花火大会の最中、彼女が自殺しようとしてヤショーが落ちるシークエンス。SF作家の山本弘はブログで「強引」と言っていたが、私はあれを見てランス・フォー・トリアーを思い出した。あれは硝子の激情だったに違いない。西宮硝子が目を見開いて夜の橋へ走り出し号泣したとき、彼女は小学生の時のヤショーのような激情で彼を殺してしまった事に泣いたのだ(いとさんが死んだ時の妹のと全く同じシークエンス。あの時ヤショウは死んだのだと思う)。目の前に将が現れたのは彼女の幻想だったに違いない。そして彼が回復して学校で全てに許されるのは、彼の死後の物語に違いない(そう確信したのは、マリアの台詞と同時期にDVDで見た「心が叫びたがっているんだ」との比較)。■■■■■■■■■■■■いじめていた連中は結局最後までそれを悔やまず、自分たちは「許す立場」にあると思っている。彼らが制裁を受けたり悔やんで光落ちする描写はない。その恐ろしさこそ「いじめをしたり黙認したりした」観客へのメッセージだ。ラストはヤショーの幻想であり、いじめっ子だった観客の幻想である。
[映画館(邦画)] 9点(2016-10-22 00:53:37)(良:1票)
4.  山嶺の女王クルマンジャン 《ネタバレ》 
妻投稿■クルマンジャンは夫がコーカンドの内紛で処刑されたあと、部族長を失ったキルギス人たちを奮い立たせて崖の上からの待ち伏せ作戦でコーカンドの敵を追い返します。その後別のハン国の仲介で当地を収める領主「ダトカ」に任じられたクルマンジャンはその後ロシア帝国との戦いに臨みながらも、敵の圧倒的軍事力の前にキルギス人が壊滅することを恐れ、ロシアと交渉を図り、ロシア勢力の下で民族の文化的自由を守ろうと努力します。その時息子がロシア兵によって戦死したり冤罪で処刑されたりしますが、息子の復讐や奪還を望む部下を抑え、自分の個人的事情で民族を危険に晒させるわけにはいかないと、彼女は息子の処刑を見届けます。その時の女優さんの演技は圧倒的なものを感じました。彼女は1906年まで生きており(96歳で死去)、ラストシーンではフィンランドの英雄マンネルヘイムと会います(当時は中央アジアブームで、マンネルヘイムや本願寺の大谷光瑞率いる日本探検隊も中央アジアに出ていた時代)。女性が夫の所有物のように扱われる時代に抵抗し、民族を体を張って守るも、その為に大切な息子を母として守ることができないという悲劇的な女王の叙事詩が、キルギスの山と草原を舞台に展開されます。■まずキルギス政府が支援し現職の政治家がプロデューサーをやっている為、かなりお金をかけており映像も綺麗で戦闘シーンや時代考証もかなり本格的です。さらに女性が製作陣の重要ポストにいて、単にキルギスの英雄叙事詩、民族文化の全肯定ではなく、自国の文化の残虐さ、ロシアや欧州の文化を含めて、異なる文明が経緯を払い合う大切さも描いています。少なくとも「どうせ欧米はHIVと同性愛しか広めないんだから俺たちの文化に口出しするな。誘拐婚ヒャッハー」っていうスタンスを徹底的に批判しています。だからこそ、民族文化の誇り、独立への願いが説得力を持って描写されているんだと思います。この映画を見て思い出したのは天皇陛下の生前退位に関するお言葉。伝統を大切にしつつも伝統に依存せず、常に新しい時代における自己のあり方を模索する姿が、文化、伝統、民族の独立を意味のあるものにするんだと、この映画は中央アジアという見慣れぬ世界から教えてくれます。
[試写会(字幕)] 8点(2016-10-13 01:09:35)
5.  君の名は。(2016) 《ネタバレ》 
前半は文句なしに100点なんですよ。中半の衝撃的展開もいい感じ。ただ後半が微妙。私は最初「切ない青春ラブストーリー」と「SF」というものを分けて「前者を見たい人にはは100点」「後者を見たい人は50点」ってコメントをしようとも思った。でもそれは間違いだと思った■ちなみにSF50点なのは、SF設定で状況に臨場感を与える上で大切な「法則」が欠けていて、「主人公が与えられた条件の中でいかに困難を乗り切るのか」で部分の「与えられた条件(記憶がどうすればもどるのか)」がかなり曖昧である事。簡単に言えば「物語(脚本)の矛盾点を消すために記憶が消えているな(あと町長の判断基準がクレーターの外輪の感動場面を作るためだけに矛盾しまくってる)」ってのがダダ分かり。「いかに困難を乗り切るか」は頑張ってたんだけど、その頑張りの方向性を決める法則がこれじゃあ、空回りしちゃう。そしてラスト(あれは正直尺が長い)の奇跡が奇跡足りえない気がする。奇跡を起こすにはアイテムがあってこそでしょう。それで高校生のうちにカタをつけておくべきだった。監督は社会人にも夢や奇跡を感じて欲しかったのかもしれないが、社会人になった2人がそこに着地点を見つけるにはあまりにも曖昧な奇跡だ。■この映画の最大の失敗は「SFの矛盾点」をある程度妥協して、徹底して真面目に「夢の中のような切ないラブストーリー」を作ろうとした点。でも、その妥協のせいで「切ないラブストーリー」が「夢」になってしまった。5年後「夢」がある日現実になる奇跡というラストにモヤモヤが残ってしまった。監督はこの物語が夢なのか現実なのかはっきりするべきだった。映画って本当に怖いよね。素晴らしいSF青春ラブストーリー映画なのに。
[映画館(邦画)] 7点(2016-08-28 00:36:53)(良:3票)
6.  名探偵コナン 純黒の悪夢 《ネタバレ》 
妻投稿■つまらなくはないのですが、凄いアクションシーン(といっても登場人物の身体能力がONEPIECEレベルなんで、ハラハラしない。むしろ「これで生き残れるなら大丈夫だろ」って思っちゃう)とオッドアイの女性と少年探偵団の話と安室さんと赤井さんがイケメンだなって話。黒の組織関連に大きな進展はありません。あと、コナンが推理をせず、「犯人」という存在が存在しない映画です。次は久しぶりの平次主人公。そっちに期待です。
[映画館(邦画)] 5点(2016-04-18 01:03:02)
7.  バケモノの子 《ネタバレ》 
妻投稿■ これは細田監督最高傑作かも知れない。何より体技格闘シーン、固い(≠硬い)動きが素晴らしい。最近のアニメの戦闘シーンは動きがやわらかすぎる。敢えて動きを固くしつつ素手と力と刀といった多様な姿勢で如何に相手の縄張りを崩し、攻撃を受け止め受け流し、止めの一発を決めるか(騙し合いではなく相手に合わせた戦い方の中で)…。その緊張感を少年ジャンプみたいな技名を繰り出して背景すっとばした世界で主人公跳躍するようなものではない、それこそ私が観客になったような視点で見て感じることができた。  内容について…(特に後半)これは間違いなく3.11後の日本をモチーフにしているのではないか。渋谷で沢山の車を持ち上げる黒い鯨は間違いなくあの恐ろしい津波のメタファーだ。故郷を失った人、大切な人にもう合うことができない人…その人がどう立ち直っていったら良いか真剣に考えた映画なのではないか。父親に反発する蓮の姿は、(原発)被災者に寄り添うふりをしながら自分たちのイデオロギーに利用するだけの連中への痛烈な批判、全てに絶望してしまうことに対し「(「そうじゃないよ」じゃなく)そう思ってしまったとしても大丈夫だよ」と抱きしめる楓の言葉、あの津波のような鯨を見て「死によって解決するしかない」と追い詰められる蓮、そして熊徹が刀となって蓮の体の中に入ることの意味。一人で戦っているんじゃない…という言葉。「蓮と熊徹の強くなることの意味」というテーマがそこに終着した時、私はこの作品は傑作だと思った。  この作品は感動シーンと女子高生が喜びそうな格好可愛い男の子の活躍が目立つ。後ろの席10代の女の子は大喜びしてた。でもお涙頂戴場面とかわいい男の子登場させれば彼女は喜んだだろうか。そうじゃない。やっぱり九太も連も、熊徹もすごく格好いい奴なんだ。
[映画館(邦画)] 9点(2015-08-25 23:58:25)
8.  クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん 《ネタバレ》 
妻投稿■正直、こうなる展開は中盤からは読めた。「ロボットとの絆を描いた作品」のお決まりのパターンだ。だが、その「使い古された見飽きたパターン」と「野原ひろしの父親としての物語」をこんな形で融合させるなんて、「製作者は何を考えているんだクソッタレ!!!」と私は思った(ボロ泣きしながら)。■すでに述べられている方がいらっしゃるが、これは野原ひろし(あえてそう表現する)と野原しんのすけが、「死」によって別れる物語だ。劇場版しんちゃんで、死や消滅という運命を受け入れなければならなかったキャラクターは過去に2人いた(他作品のネタバレになるので書かないが、わかる人はいると思う)。だが、今回はしんのすけの視点ではなく、消える側(ロボ)ひろしの視点からしんのすけの成長が描かれる(逆に本物の方はロボになる前の最初以外は主観で描かれない)。ラストのしんのすけの「大きくなる」という勇姿、みさえの(確かに)夫の死をみとらなければならない表情(映画のラストがみさえで終わっているところがまた…)、そしてしんのすけがロボを父ちゃんと認めて涙を流す表情・・これが砂嵐の中で見える演出、そして、家族をこれから守っていく自分の分身…。■野原一家は最強だが、いつか死によって別れなければいけない。「こんなの父ちゃんじゃない」「あなたじゃない」と言えば、その現実から今は逃げられた(ロボひろしもそれを望んだ) 。だが、しんのすけははっきり「父ちゃん」と言った。さらに大きくなると言った。野原一家はやっぱり最強だった。野原ひろしは消滅する前にそれを確かめられた。この場面が名作でないわけがないじゃないか。
[映画館(邦画)] 10点(2014-05-04 23:20:19)
9.  名探偵コナン 異次元の狙撃手 《ネタバレ》 
妻投稿■「どうせ原作の流れをぶち壊す秘密の暴露なんてやらないだろうな」と思っていたら、最後の10秒で度肝抜かれました。これは某人気刑事ドラマ劇場版のラストに準じる衝撃ですね。■内容も最近のコナンの映画ではちゃんと作りこんである方。コナンの目の前で一方的に三人の人間を遠距離から殺害(さらに別の場所で2人を殺害。さらに警官が乗ったままパトカーが脱出した描写もないまま数台完全に爆破炎上しているので、死亡者数は2ケタにはなっているはず)する犯人の冷徹(コナン犯人史上最強の殺人マシンではあるわけで)さもあって、事件解決までは非常にスリリングでした。■注目すべきはスケボーのシーン。あれリアルじゃないくらいぶっ飛んでいるという点は共通ですが、11人目のストライカーでは「こんなことできるわけないじゃん」と萎えてしまったのに対し、こっちは割かし手に汗握る追跡劇を見せてくれて、同じ「無茶苦茶」でも違うのか、演出って大事だと思いました。■あと世良が調べ物をしていた場所。当たり前ですが、あの館長の古巣ですwwww。
[映画館(邦画)] 8点(2014-04-21 13:42:45)
10.  名探偵コナン 絶海の探偵 《ネタバレ》 
妻投稿■相棒の脚本家が書いているだけあって、ストーリー構成(殺人事件の状況とか、スパイと殺人犯が別々にいるとか、それがミスリードにつながるとか。一方でこれがXの正体がすごく簡単にわかってしまい、Ⅹが捕まった後の展開が長いというマイナス要素にはなっている)が完全によくありそうな相棒スペシャルでした。多分「某国」は総書記が死んで、第一書記が軍部を抑えきれず、核ミサイルで一発で日本滅ぼさないと勝てないから、日本を丸裸にするためにⅩを送り込んだんでしょうね(^^ゞラストに「これはフィクションで実際の事件をモデルにしていません」って…すっげータイムリーな話です■ミステリーとしては、前作のサッカーみたいな無茶苦茶でどうでもいい暗号がなく、純粋にスパイの正体、目的、あぶり出しを純粋に楽しめる点で、最近のコナンでは一番おもしろいんじゃないかと思いました。蘭を最後助ける話も「もうミステリー終わってあとは蘭が助かってめでたしめでたしだろう」といういつもの展開ではなく、「どうやったら蘭を助けられるか」というギリギリの点がまあ、楽しめました(あの金色名刺は御愛嬌な気がしないでも)。■あと和葉ちゃんかわいいね。
[映画館(邦画)] 7点(2013-04-20 17:17:16)
11.  ファイナル・ジャッジメント 《ネタバレ》 
妻投稿■プロパガンダって、実はすごく作るのが難しい映画の分野なんじゃないのかなと思います。だって、下手に作ってしまうと、主張自体が嘘っぽくなり、物凄い逆効果になるから。この映画もその典型だと思います。全体のリアリティのなさ、特に主人公を簡単に逃がしちゃうオラン国の兵隊のへたれさは、中国(ぶっちゃけこの国がモデルだとはこの馬鹿でも分かっているのですよ)に実際に支配され苦しめられているチベットやウイグルの人たちを応援するものには絶対になり得ず、逆に「主人公のオ〇ニー演説で全てが解決するなら俺たちは苦労しないわ!」という気分にさせると思います。■まあ、これが宗教映画の限界と言うか、映画の目的が「私の宗教に入ればこの問題は解決する」と思わせる事なんですよね。でも実際はそうじゃないから物凄く嘘な映画になるわけです。宗教ってのは、「こんな糞みたいな現実でどう生きたら救済されるか」というものなのだから、実は確実な実績が必要。いくら憲法や平和主義といった「現状」を否定したとしても、そのあとが嘘だったら全然心に響かないです。
[映画館(邦画)] 3点(2012-10-05 23:00:42)
12.  おおかみこどもの雨と雪 《ネタバレ》 
妻投稿■花の子育てスタンスが気に食わない。一見すると子供を全肯定し、安っぽい親子ドラマで子供ひっぱたいて「自分はお前を大切に思っているんだ」と表現するような馬鹿親と一線を画しているように見える。が、周囲の人がびっくりするからという理由で自宅分娩し、健康診断にも顔を出さず、アパートの隣人が怒鳴るからという理由で田舎へ引っ越し、子供たちにも自分の素性を隠すように厳命する。要するに排斥に次ぐ排斥を受け入れてしまっている。それでいて子供たちに「みんなが嫌っていても、私は味方だから」と、親子の空間と社会の空間を隔絶させてしまっているのだ。■花がこうした行動をとるのは、子供を狼人間という汚い生物(「だから自分が守らないと」)と思っているからに他ならない。こういう味方のされ方をしたから、雪は「学校を追放されるかも」と心配して過剰に女の子らしくしようとし、雨は野生児を選択してしまった。「子供を肯定する」というのは確かに大切だが、それ=「味方をする」という事では必ずしもないと思う。「赤ちゃんが泣くのは国民の受忍限度だ!」と隣人に啖呵切ったり(ちなみに裁判の判例でもそのようになっている)、「この子は狼子供なんです」と開き直って子供の安全の為に児童相談所の人間に相談し、健康診断を受ける事、それこそが厳しい現実でも子供が「自分は不当に酷い事をされなくていい存在なんだ」と思える事=肯定する事ではないのか。■作画、演出レベルから5点はあげようかとも思ったが、やはり(現実的に野生児になるという選択権のない)マイノリティーのお母さんに「こーひっそりとする義務があるんだよ」と要らぬ心的負担をかけそうなこの映画、0点としたい。
[映画館(邦画)] 0点(2012-08-05 02:57:14)(笑:1票) (良:9票)
13.  名探偵コナン 11人目のストライカー 《ネタバレ》 
妻投稿■サッカー私結構好きなんだし、サッカーが好きな人が作ったんだなとは思うんですけど、それにしては八百長ストーリーや実在選手の棒読みが、なんだか大切なものがパッケージ化されているような印象を私に与えました。ラストの爆弾を止めるシーンで遠藤選手のコロコロが引用されていたのには吹きました。
[映画館(邦画)] 5点(2012-05-09 18:09:00)
14.  映画 けいおん! 《ネタバレ》 
妻投稿(原作未読、アニメは映画が終わった後で見始めた。さらに私は中卒で「女子高生」なるものも未経験)■「冷たい熱帯魚」やら「闇の子供たち」やら「シティ・オブ・ゴッド」を見て映画と人生、「人間の闇」を知った気になっている私。見事に撃沈されました。こういう「何も起こらない」「ほのぼの日常描写」って「オタク向け」だとか「現実逃避」だとかって言われるんだろうけど、よく見るとどうして彼女たちがここまで仲がいいのかがわかります。それはお互いに思いやりがあって下らないことで他者を軽蔑しなくて、とにかく人間としての器が大きいから、映画としては多分つまらない部類に入るストーリー展開でみんなここまで一生懸命で楽しそうにしていて、だから実際見ている自分も楽しくなるんじゃないかと思いました(故に映画の中でクレヨンしんちゃん映画みたいに「非日常」が起こっても彼女たちは乗り越えていけると思う、それだけ素晴らしい女子高生だと思うので、第2作は劇しん原恵一版みたいなバージョン強求)。■ラストの後輩の女の子に歌う歌は、うちでみんなで育てている今5歳の女の子の結婚式で流れようものなら涙がナイヤガラすると思う歌でした。海外旅行、自分たちが学園と言う世界から消滅しないといけないとき、後輩に対して、というよりたった一人残される妹みたいな存在に何をしてやれるか。これって日常的ながらも10代の女の子にとっては滅茶苦茶重大な問題じゃないですか(*^_^*)ストーリーを突飛にすれば映画が面白くなると言って設定負けしている映画が多い中、この映画はちゃんと冒険、冒険に対する独特のキャラの独特の態度、友情、感動は全部良質で、全部しっかり観客に届けている。だから余計に第2作は劇しんちゃんみたいな恐慌状態の中で、彼女たちのきずなを再確認できる映画を見たい。
[映画館(邦画)] 8点(2011-12-05 23:08:14)(良:5票)
15.  ちづる 《ネタバレ》 
妻投稿■「相手のありのままを見つめる」という事はどういう事なんだろう。この映画で20歳の知的障碍者で見た目は美人女子大生で仕草もかわいいちづるはお母さんのお金を盗む。愛する人がそういう事をしたとき、私はどうすればいいんだろう。そりゃ、インターネットで知的障碍者が犯罪を犯したニュースを見たとき、私なんか「こいつ牢屋に閉じ込めるべきだ」(罪を犯した知的障碍者に対する同じ知的障碍者からの目線は、自分が犯罪者とひとくくりにされてしまう分、健常者の世論以上に厳しい)と言うだろう。でも、この映画はそういうある種インターネットユーザー的な簡単な「断罪」とは別の方向に作品を持っていこうとする。■映画でお金を盗んでお母さんとバトルするちづるがカメラに向かって話しかけるシーン。これによって、作品はマイケル・ムーアのドキュメンタリーにあるような「カメラがただそこに存在しているだけ」というものではなく、「カメラを通じて観客がそのコミュニケーション世界に存在する」映画なのだという事に私は気づかされた。そのうえで「相手と向き合うという事はどういう事なのか」という一生答えの出ない命題に悶々と観客に突き合わせるコンセプトは、画面の前で観客が安穏とできない分、かなり怖いことなのかもしれない。■そして多分、「人と向き合う」という事はどういう事か」監督も明確な答えを出していない。しかし、ちづるを「障碍者」「かわいい20歳の女の子」という記号で受け取る(監督の自省にも受け取れる)という事をまずやめてみよう…という意志は感じさせる。人間を何かでひとくくりにすることは複雑な社会では仕方がないのかもしれないし、それに「盗み」が関わるならむしろ記号化はしなければいけないと思う。しかし、「記号化こそ真理」というような世の中は爬虫類の世界だ。そういう考えが蔓延している昨今、この映画はスパイスとして十分な効能を持っていると思う。
[映画館(邦画)] 8点(2011-11-16 02:53:02)(良:1票)
16.  悪魔を見た 《ネタバレ》 
妻投稿■この映画を見て「私の心の中にも悪魔が潜んでいる」と感じるのは無理だと思う。仮に私が殺されたとしても、みんなで育てているチビが殺されたとしても、私の旦那は加害者への復讐に走らず、自分は何ができるかを考えて、残された人、それがいないなら社会福祉のために身をささげるだろう(ただし私の命を守るために他に方法がないなら、6人くらい殺しそうな一面はある)。殺人被害者家族や暴力被害者当人の方々も、その多くが憎悪に苛まれつつも、他者の権利を尊重する原則を固持し、激しい無力感の中で社会的義務を果たしていかなければいけないのが現実だ。犯罪被害者家族の気持ちの側に立って(・・たような気になって)加害者への死刑を連呼する人たちも、被害者家族が復讐のために社会に反逆したら、たちまち非難に転じるに違いない。■犯罪被害者家族が犯人を殺したいと思うことは、悪魔に魅入られているということなのだろうか。極自然な事なんじゃないのか。そして「悪魔に魅入られる」というキーワードの下に、犯人を憎むことと、周囲を巻き込んで犠牲にして復讐する事を同一リンクで扱っていいのだろうか。両者には大きな断絶があるはずで、その断絶とは何か、何と戦わないといけないかが提示されていることが、こういう種類の映画の価値だと思うが、この映画はそこを素通りし、さも「犯人に殺意を持つことが既に悪魔に魅入られている」という描き方をしている。■「私の心の中の悪魔の発露」はもっと思いもよらないところにあると思うんだけどなあ(特に「多数派」になったときは注意すべき)。
[インターネット(字幕)] 5点(2011-09-23 03:17:38)(良:1票)
17.  カーズ2 《ネタバレ》 
妻投稿■ピクサーの映画の続編ものって1より2の方が面白いですよね。理由は、第1に、1作目で出たメッセージ性を2作目でひっくり返すような諸刃の剣的な演出を平気でやる事(トイ・ストーリーラストの○○な展開は、こうした作業を繰り返したせいで、集大成にふさわしい切ない場面に完成されたと思う)。第2に、1作目で提示された世界観を、2作目ではその4倍くらいに広げてしまうということだと思う。「世界観を一から作ること」を映画作品の魅力として謳うピクサーにとって、続編作品など眉唾のはずなんだけど、ピクサー続編作品の第1作目からの世界の広がり方は、第1作目の世界観の提示よりも衝撃だったりするので侮れない。■さて、この映画において、車たちの世界の広がりはまさに衝撃の一言。車たちの世界では日本はどうなっているのか、とか、イギリスの王制度はどうなっているのか(日本のシーンで天皇陛下が車化されて出てきたら、私は大爆笑していたと思う)といった疑問に、建築構造分野や生活文化、日常分野(日本語トイレ)に至るまで完全に答えている。これってたぶんミニカー好きな男の子たちにとってはすごいことだよ。■一方でメーターとマックイーンの関係を主軸にした友情物語は、前作のメッセージ性を否定するまでには至っておらず、若干物足りない気もする。でも旦那やルームメイトが大喜びしていた映画だ。ピクサークオリティの素晴らしさを見ても、私は8点以下はつけられない。
[映画館(吹替)] 8点(2011-08-31 02:51:07)
18.  冷たい熱帯魚 《ネタバレ》 
妻投稿■ご愁傷様としか言えない内容。眼鏡のお父さんも、村田みたいな人間が近づいてきたら奥さんを犯されたり娘さんが危害に遭いそうな事ぐらい予測はできると思うんだけど。それが出来ずに村田の言いなりになったのは、たぶんお父さん人間以前に動物としてすでに死んでいるということだと思います。「人生は痛いんだよー」と言っていますが、誰も守らずに痛みから逃げた人が説教しても娘には伝わらなくて当然だと思います。■ちなみにこういう現実事件や虐殺を題材にした映画で、暴力が動物的本能や狂気によって発生するような描かれ方をするパターンは多いのですが、大概残虐で死者数の多い事件ほど、大勢に支持された「高潔」な精神、理性的、論理的な思考のもとで発生するものだと思います。だって動物は人間ほど同種同士で殺しあわないもん。縄張り争いにしたって動物は本能的に致命的な殺し合いを回避していますし。一方で、村田さんの営業話術や指導法は社会に必要とされる技術だと思うし、殺人や死体解体、部下の奥さんに手を出して部下を拘束するやり方にしたって社会を有利に生きる上では何も間違ってはいない。■つまりこの映画の人間たちは自分達を抑制する「動物的本能」を置いて行って、「社会的関係」の名において頭を「理性的」に働かせた結果こうなっちゃった、実は物凄い「人間らしい」存在としてこの映画で描かれていると思います。映画のメッセージは「人間は進化によって暴力から離れたんじゃない、近づいたのだ」という当たり前のこと。そして受動能動問わず「人間・理性・社会(および宗教)」というキーワードだけで殺人や暴力から解離出来ると考えている現代人への警告。だけど問題を考える上では動物的本能だけでは当然不十分で理性も社会も、そしてなにより自立能力が必要なんだよね。■だが、そう考えると私はこの映画の点数を下げてしまう。だって園子温がこの映画で描きたい物は無法同士の殺人と言う一面のある埼玉愛犬家殺人よりも、市井の従業員や子供を含む家族同士でヒエラルキーを作らせて殺し合わせた北九州と尼崎の事件の方にあると思う。だが園はそれをモチーフにしなかった。これ彼の逃げ道じゃないだろうか。おかげで私は劇中「こんな状態になったら逃げるわ」と思ってしまった。これはこの映画の致命的な失敗。そんな園監督が人間の猟奇性を炙り出した問題監督と予告編でもてはやされるのも変だと思う。
[映画館(邦画)] 4点(2011-08-23 15:13:38)(良:2票)
19.  相棒 -劇場版Ⅱ- 警視庁占拠!特命係の一番長い夜 《ネタバレ》 
妻投稿■まずこれほどまでに映画の内容が予告編で予想できる映画も少ないのですよ。予告編でそれらしく見せかけて別の方向に持っていこうとする相棒の常套手段を期待したのですが、ストーリーは「過去に船が爆発」→「籠城事件」→「警察組織の陰謀」→「右京と神戸が官房長と監察官に捜査をさせてもらえない」→「官房ちょおおおおお」と、名探偵コナンの映画並みに予測可能でした。多分映画館でデジャビュに襲われた方も多いはず。これは人間が知らず知らずに頭に描くストーリー予想そのままの展開をしたからだと思います。■相棒シリーズは私が知る限り外務省、防衛省、厚生労働省、財務省、国土交通省、法務省などでやりたい放題してきたある種のゲテモノドラマシリーズなのですが、いくら話を大きくしても女の人が涙を流すパターンとかが一緒だと飽きてきちゃいます。杉下右京シリーズはどんな小さな事件でも大きな事件でも風変わりな事件でも面白く対応できる物凄く守備範囲の広い、それこそ世界中から食材を供給可能なレストランみたいなシリーズなので、映画第3作を作るとしたら、国家的陰謀話以外のあっというような謎をひたすら追求するミステリーを期待するのですが。■あ、最後に一つだけ。うちの旦那はやたらと「官房ちょーーー」と言いながら、キッチンにいる私に指で浣腸をしてくるのですが。そんな事は(顔を震わせて)、けして許されるものではありません。恥を知りなさい。
[映画館(邦画)] 7点(2011-01-19 11:40:18)
20.  トイ・ストーリー3 《ネタバレ》 
妻投稿■本編で時代を感じさせたのが、中盤のプリズンブレイクシーン。「1」と「2」時点では「無限の彼方へ、いざ」という単純馬鹿ながらカッコ良かった「スペースコマンド」が、上官にそそのかされて無実の囚人を収監したり懲罰を加える(ジェシーたちを捕えるシーンで人間(人形)ピラミッドになっているのは、まさか風刺的意味合いはないですよねハハハハハ(^_^;))場面なんか、昔のピクサーは絶対描かなかったと思う。■愛されなかった人形がもっと弱い人形をいじめ、苦しい事や痛い事を強制する設定もそう。おもちゃと子供の物語なのに、明らかにネグレクトやアダルトチルドレン当事者の方を恐怖させる設定になっています(あのおぞましすぎる赤ん坊の人形なんだけど、PTSDの友達が「首が180度曲がる赤ちゃんの人形が嬉しい事や楽しい事があるたびに私の心に現れて私を責める」と言った事がある)。等身大のオモチャ同士が傷つけあうという、シリーズを締めくくるにはあまりにも閉鎖的でおぞましい設定です。■■で、そういう収容所の場面や溶鉱炉で死を覚悟する場面、そして「1」と「2」では見られなかった日常に戻っても楽しい生活が待っているとは保証できないという設定。その果てにあのトトロの人形を持っている女の子が待っているんですよ。■■アンディのお母さんがアンディの前で別れを涙ぐむ場面→そこからアンディから女の子におもちゃが渡されるシーンのシークエンスで、私はこの映画が「子供に遊んでもらえなくなったおもちゃの話」という予告編でやたら強調されていた概念を捨てた。これは「家族」の物語だ。トイ・ストーリーのおもちゃっていうものは子供にとって「子供」でもあり「親」でもある(ラストの「じゃあな相棒」というシーンは両方を合わせた意味だと思う)。虐待を受けても、放置されても、愛する人と別れなくてはいけなかったとしても、また女の子の遊び相手になる=生きて行く上での役割がなくなったわけじゃない…というメッセージ。第1作から15年。子から親になった観客に伝える最高のメッセージではないかと私は思うのですが■■で、今回のMVPはサディスティックバービー。よくバービーの会社が許可しましたねえ(^_^;)
[映画館(吹替)] 9点(2010-07-16 08:10:27)(良:1票)
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