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1.  かぐや姫の物語
日本最古のSFを、矮小な仏教説話に書き換えた「罪」は重い。絵にも疑問はあるが、背景画だけはいい。
[映画館(邦画)] 2点(2014-02-11 22:55:49)
2.  アルゴ 《ネタバレ》 
 冒頭から、ニュース映像みたいなドキュメンタリー・タッチで「事件」の経過を追って行くわけだけれども、「これは訪イラン中の<映画>のロケハン部隊、ということにしよう」という<荒唐無稽>とも思えるアイディアが提出され、コレが採用される。ここで、実在のハリウッドのメイクアップ・アーティストのジョン・チェンバースが登場する。この役をジョン・グッドマンが演じているわけで、それまでの「あまり見たことのない人たち」の「リアル」な映像から、まさに、この作品自体もが「映画」へとシフトしてくれる。つまり「映画俳優」ジョン・グッドマン(大好きな俳優さん)の登場によって、ダブルミーニングで「これは<映画>なのだ!」ということになる。見事だと思った。   こういう「仕掛け」もあって、後半のケレン味たっぷりの演出にしても、「許せる」というのか、「映画なんだから」みたいな気分で楽しめた。さいごに作戦がみごとに(映画らしくもギリギリのところで)成功したそのあと、そのジョン・グッドマンが、「<アルゴ>? ポシャったよ!」というところまで、すっかり楽しませていただいた。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2014-01-03 10:37:36)
3.  武器人間 《ネタバレ》 
予告を観ていなければスルーしていただろう。期待はしていたが、期待以上の面白さだった。フランケンシュタインの末裔と、ナチスと、ソヴィエト軍との絡み。どいつが生き残ってもろくなことになりゃあしないというあたりの設定がいいし、結末には軽く笑わされた。監督はポール・バーホーベンの映画や「ホビット」などにも関わられているらしいが、これが監督第一作。CGをいっさい使用しない「手づくり感」がすばらしい。死体と武器とを縫合、結合させて、「シザーハンズ」で「ロボコップ」な、「鉄男」しているゾンビ軍団が、いっぱいいっぱい登場する。監督は「鉄男」の大ファンでもあるらしい。エイリアンのスペース・ジョッキーとしか思えない造形も一瞬登場する。堪能した。
[映画館(字幕)] 8点(2013-11-17 18:46:26)(良:1票)
4.  海炭市叙景 《ネタバレ》 
‥‥あの飲み方で、八千円なら安い! やっぱり、地方はイイね!
[CS・衛星(邦画)] 6点(2013-08-15 17:50:10)
5.  リアル 完全なる首長竜の日 《ネタバレ》 
●冒頭のマンションのなかを俯瞰する映像の、室内の光がどこか異様である。いったいどこから光がさしているのか不明な映像が続く。そして佐藤健が車を運転する車内の映像で、車外の景色はあきらかに別撮りになっている。なにか意図があるのだろうかと思って観ていたが、つまりはこの映画、その中盤で「あなたの夢に入っていくわたし」から、「わたしの夢に入ってきたあなた」(あれ?逆かな?)へと、まさに劇的な転換が行なれれてしまう作品であることがわかる。そうすると、そこまでの展開はすべて、実は佐藤健の「夢」のなかなのだ、ということになる。つまりは観客も知らずに佐藤健にセンシングしているわけで、「リアル」にものごとが展開しはじめるのは、綾瀬はるかこそが覚醒しているとわかってからあと。わたしはまだこの作品はいちどしか観ていないけれども、あとでこのことに気がつき、もういちどさいしょっから観なおしたくなってしまった。きっと、まるでちがうものがみえてくることだろう。また評価は変わるかもしれないけれども、とりあえずは8点ということに。 ●めずらしく上野の科学博物館でのロケ・シーンがあり、ここでその「首長竜」の化石標本へと近づいて行くカメラ、首長竜の頭部を見上げるカメラは、ほんとうにすばらしい。それに、黒沢清監督らしいみごとなロケハンの成果も、たっぷりと楽しめる作品である。
[映画館(邦画)] 8点(2013-06-19 11:47:26)
6.  愛、アムール 《ネタバレ》 
 けっこうおそろしい話を、ぜったいにエキセントリックにならない落ち着いた演出でみせられ、やはりハネケだなあと感心した。  映画の終盤に部屋のなかにハトが窓から迷いこんできて、それをだんなさんのジャン=ルイ・トランティニアンがつかまえる。‥‥いままでのハネケの作品では、こういう鳥だとか動物はたいてい殺される。たとえば「隠された記憶」でのニワトリだとか、「白いリボン」でのインコだとかをおもいうかべてしまうから、「ああ、また殺しちゃうんだな」なんて不遜なことをおもってしまう。でもそういう展開にはならず、ジャン=ルイ・トランティニアンは、おそらくは彼の遺書になるのであろう手紙のなかで、「ハトが部屋に迷いこんできたのをつかまえて逃がしてやった」と書く。映画ではそういう逃がしてやるシーンはないので、「ほんとうはあのハトは殺しちゃってるんじゃないのか」なんて、またもや不遜なことをおもってしまうわたし。‥‥しかし、そのハトを捕らえるとき、ジャン=ルイ・トランティニアンは、布をハトにかぶせて捕らえる。かんがえてみれば、この「布をかぶせる」という行為が、この映画での別の重要な行為を想起させられることになるわけで、そうすると、ここで彼はそのハトを殺したりするわけがないのである。それで、たいていの演出ではここで彼が窓からハトを逃がしてやるショットを入れるのだろうけれども、ハネケはそういうことはやらない。なんか、ここにこそ、この作品の「キモ」があるんじゃないかとおもった。「かんじんのことはみせない」というハネケ監督の演出術が、ここでも生きているんだなあという感想をもった。
[映画館(字幕)] 8点(2013-04-29 16:18:47)(良:3票)
7.  ウィンターズ・ボーン 《ネタバレ》 
 原作というのか脚本というのかが秀逸で、これってつまりはむかしのギャングものの「フィルム・ノワール」なストーリー展開なんだけれども、これをうまいことげんざいのアメリカ南部(ミズーリ州)の白人貧困層のもんだいに移植している、という印象。「ファミリー」はもろそのまんま「ファミリー」だし、「おきて」も「おきて」。みょうに芝居っけたっぷりな連中がいっぱいでてくるけれども、そういうなかではやはりヒロインのジェニファー・ローレンスというコの存在感は大きい。あとはティアドロップという人物を演じているジョン・ホークスという俳優さん、かつてのサム・シェパードだとか、デニス・ホッパーみたいな存在感がある、なんていうとあまりにほめすぎになってしまうか。でもよかった。  それと音楽。南部の伝承歌をさりげなくライヴ感覚で取り入れているところは、それだけで涙がでそうになる。ついつい、ここで唄っていたMarideth Cisco という人の名まえをメモして、ネットで検索してしまった。‥‥どうやら、この映画だけでフィーチャーされた方らしい。そういうこともまた、映画製作のあり方として賛同してしまった。バンジョーの取りいれ方に拍手したい。いい映画だとおもった。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2013-04-02 18:23:26)
8.  トゥルー・グリット 《ネタバレ》 
●コーエン兄弟の作品なんだけれども、「こういうストレートな作品も撮るんだ」という、これはほんとうに正統な西部劇ではないかという印象と、やっぱりどこか「ファーゴ」みたいな、奇妙にずれてねじれた感覚もあるか、という印象とがわたしのなかでせめぎあう感じ。演出のはじはじにただよう微妙なユーモア感覚はやはりコーエン兄弟の持ち味だろうし、とつぜん、あたまからすっぽりとクマの(おかしら付きの)毛皮をかぶった男が馬に乗って登場するところなんか、びっくりしてしまった。そのクマの歯がなんだか気になって観ていると、この作品、やたらと歯の話が出てくる。悪役のひとりを下からあおって撮影している場面でも、その悪党の歯並びが気になってしかたがないし、観ていても知らずに歯のことばかり考えていたりする。やっぱり、そんな変なことを考えてしまうのも、コーエン兄弟の作品だからこそのことかもしれない。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2012-04-11 08:21:49)(良:1票)
9.  ドラゴン・タトゥーの女 《ネタバレ》 
●二時間半があっという間だった。面白いのは先行するスウェーデン版の、美術やセッティングを意識的に踏襲しているあたりで、「ミレニアム社」の編集室や、犯人の「処刑室」など、「そこまで同じにしなくっても」と思ってしまうぐらいに、その部屋の間取り、美術、照明など、まるでおんなじ、なのである。脚本もおそらくは原作からそんなにいじっていないんだろうけれども、やはりスウェーデン版とまるでおんなじ、というところが多い。 ●スウェーデン版とちがうところ。それはまさに、主人公のリスベットという女性の解釈である。まずはもちろん役者がちがうわけで、ある意味でスーパーウーマン的な、強烈な個性をにじませた、食肉系の猛禽類をも思わせるスウェーデン版のノオミ・ラパスと対比すると、ここでのルーニー・マーラという役者はあまりに弱々しく植物的な印象で、「これではたしてリスベットを演じられるのか」と心配になるわけだけれども、つまりはこの演出において、フィンチャー版はスウェーデン版とは対称的な差異をみせている。また、この差異をきわだたせるためにこそ、あえて背景をスウェーデン版とおなじにしている、とみることもできる。 ●背なか一面に、大きなドラゴンのタトゥーを入れたノオミ・ラパス版のリスベットが、それこそアウトサイダーな生き方にどっぷりという空気だったのに対して、ちょっと遠慮がちに、背なかの左半分にドラゴンを彫ったルーニー・マーラのリスベットには、どこか「こうしたくてやっているわけではない」というような空気もあり、「まわりから追いやられてこうなってしまった」という哀しさのようなものも感じてしまう。彼女の設定は二十三歳とかそのくらいだったと記憶しているけれど、なんかフッ切れてしまっている感のあるノオミ・ラパス版にくらべると、このルーニー・マーラには、たしかに二十三歳らしい、そして女性らしい、愛し愛されたいという願望をもっていることもわかる。これがまさにラストでの、スウェーデン版とこのフィンチャー版との「違い」というものに如実にあらわれているのだろう。 ●もちろんわたしにはノオミ・ラパスの強烈な個性を否定するなどということはできないし、あちらはあちらですばらしい作品だったと思うのだけれども、わたしもやはり男だからか、こちらのルーニー・マーラの「愛おしさ」みたいなものも、やはり大好きなのである。
[映画館(字幕)] 7点(2012-04-11 08:17:39)(良:3票)
10.  ツーリスト 《ネタバレ》 
 ‥‥これって、むかしはハリウッドによくあった「ロマンチック・サスペンス・コメディー」ってヤツですね。「シャレード」とか、ああいうヤツ。まあこの作品ではコメディー度はちょっと抑えられているけれども、だいたい観ていれば「真相」は予測がつくようなつくりになっているわけで、そうすると観ているものがその「予測」にもとづいて役者の演技とか注視してみると、かなり楽しい作品になるという感じ。思わぬところに主人公のピンチがあったり(捜査官、あとひと押し、だったのにね)、「ほら、やっぱりね」とか、「え!そうなるの?」とか、ニコニコしながら観てられる。やっぱティモシー・ダルトンはいいところに出てくるし、ラストの「税金払ったから無罪放免」っていうのもまさに「ロマンチック・サスペンス・コメディー」。そうやってみれば、「だささ」を喜々として演じているようなジョニー・デップの(二重の)演技ぶりを楽しんで観るのがいいのかも。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2012-02-26 10:06:43)(良:1票)
11.  トロッコ
リー・ピンビンの撮影を堪能できた、という以外は、まるで観るところのない作品だった。   そもそもすべての登場人物がモノローグをくり拡げるだけで、いわゆる「展開」というものがなにもない。それに、舞台を親日的な「台湾」に置くことで、日中戦争からのもんだいを、なにもかも「いいかげん」にスルーしてしまっている。登場人物は演出の都合上勝手に動かされているだけで、「物語」として考えれば、なにひとつ解決もしていないまま、いつのまにか「いいかげん」に終わってしまっている。まあ珍しいぐらいに「いいかげん」な作品、だと思った。
[CS・衛星(邦画)] 2点(2012-01-19 13:44:29)
12.  ブラック・スワン 《ネタバレ》 
●いささか少女漫画っぽいバレリーナ物語なのだけれども、とにかく過剰サーヴィスというか、たたみかけるような演出で、観ていてもドーパミンだかアドレナリンだかが脳内噴出するようであった。終わってみると「あれ?」というところもあるのだけれども、とにかく観ているときには夢中にさせられたのである。 ●しかしこれはどう観てもポランスキーの世界で、ヴィジュアル的にも「ローズマリーの赤ちゃん」から多くを負っている感じだし、コンセプトの「妄想」は、やはりポランスキーの「反撥」に通じるところが大きいと思う。 ●主人公のニナ(ナタリー・ポートマン)の母親(バーバラ・ハーシー)のメイクなど、どうみても「ローズマリーの赤ちゃん」のうさんくさい隣人のおばさん(ルース・ゴードン)にそっくりであるし、そのニナが鏡に自分の背なかの傷を映してみるシーンなど、そのまま「ローズマリーの赤ちゃん」にあったショットの再現であったりする。  ●ついに「白鳥の湖」舞台初日を迎える前夜から、初日舞台終了まで(つまり、映画の終わりまで)のハイテンションぶりは異様なほどで、もうほとんどこれは笑ってしまう次元である。バレエのシーンはできるだけナタリー・ポートマンの全身を映さないように(つまりはやはり、それはムリだよということだろう)、たいていは上半身だけのショットで、そういう制約もあってのことか、全体に映像の美しさを堪能するような種類の作品ではない。それでも、「ブラック・スワン」を踊るニナの舞台シーン、「これはすごいんだ」ということを納得させるためというか、CGが最大限に活用されるわけだけれども、これは素材がダンスだとかバレエだからこそ、という特殊効果シーンなんだけれども、作品全体が「妄想」という非現実のフィルターがかけられているなかで、もうひとつ、観客の「妄想」をも巻き込んだようなこころにくい演出で、ここで映画としてのクオリティがいちだん上昇したような感覚である。
[映画館(字幕)] 6点(2011-06-12 18:54:36)
13.  キラー・インサイド・ミー 《ネタバレ》 
●原作のように主人公のモノローグを入れての進行なのだけれども、じつは核心のところでその主人公がなにを考えているのか、ということはモノローグからはみごとにオミットされている。これがこの作品ではうまくいっていて、モノローグのぶぶんは主人公のノーマルさを浮き立たせ、ところが映像では主人公ではそのノーマルさを裏切る非道さを際立たせることになる。だから主人公のなかにごくふつうの常識人と、そこからは想像できない人非人ぶりとが同居しているということが、原作以上にはっきりと示されることになると思う。「愛してる。すぐ終わる」と語りながら唐突に女性を殴り殺そうとする主人公が観るものに与えるショックは、そのケイシー・アフレックのなにげない顔とあわさって、尋常のものではない。ウィンターボトムの演出も、原作のストーリーを追うように見えながら、おそらくはストーリーなんて重視していないというか、この異常な主人公の造型をきっちりと組み立てることにのみ専念しているようではある。 ●わたしはもうほとんど原作をおぼえてなどいないのだけれども、おそらくたしかにこのようなストーリーだったとは思う。しかし、あきらかにある一点から先はこれは主人公の妄想というか、まちがいなく非現実として演出されている。お膳立てはとにかく現実と見まがうようにストーリーは続くのだけれども、もうここからあとはほとんどデイヴィッド・リンチの世界というか、現実とも非現実ともつかない、主人公にとっては甘美なことであろう破滅の世界がくりひろげられる。 ●医師の息子として教養ある環境に育った主人公は、書斎にすわってマーラーを聴く。書棚には膨大な量の書物が並んでいる。いっぽうで舞台となったアメリカ西部の荒んだ環境はBGMのカントリー・ミュージックなどでもあらわされ、とくにラストのSpade Cooley & His Western Band による「Shame On You」の、その一見陽気な曲調と辛らつな歌詞との対比は強烈である。ぜんたいにそういうカントリー・ソングの連なりでストーリーを引っぱって行く演出はみごとなもので、ここはさすがに音楽の取り入れ方のうまいマイケル・ウィンターボトムであると、うならされてしまうのである。  
[映画館(字幕)] 8点(2011-06-01 14:28:43)(良:1票)
14.  シャッター アイランド 《ネタバレ》 
冒頭の船上の映像からして、わざとスクリーン・プロセスみたいな非現実的な撮影になっていて、まあ作為たっぷりだなあと思うわけだけれども、みていて、ああこれは夢野久作の「ドグラ・マグラ」なんだなあと、気づくわけである。そうするとこのスコセッシの演出は雰囲気たっぷりで、つまりはすこぶる面白いわけで、監督の手腕をみせつけるわけである。ただ残念なのはこの結末の「モンスターとして生きつづけるか、善人として死ぬか」という選択肢の提示で、このあたりにスコセッシという監督の、カルトになれない限界もまたあらわれているように思うのだけれども、つまりこういうところに理性というか、理性による二元論を持ちこむのがスコセッシの悪いクセで、そんなことはことばで説明しないでみせるのが映画というものではないのか、ということになる。そこに、たとえばキューブリックの「シャイニング」や「時計じかけのオレンジ」などとの差異が生ずるわけだろう(キューブリック作品を手放しで賛美するわけではないけれども)。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2011-04-26 12:03:29)
15.  ランナウェイズ
 とても楽しい作品だった。Runaways の事実に則した演出などというのは適当に放棄していて、まあ基本はCherie Currie を主人公としての「ロック業界の虚飾」のなかで崩壊する精神という、誰でもが聴いたことがあったり想像することもできるあたりの着地点で、Cherie Currie の家族関係の描写あたりはそれなりにきちんとやっているわけだけど、Runaways というバンドの歴史なんて、ポイントポイントを押さえているだけで、そんなにち密なものではない。それで、この演出がいいのは、そういうストーリーとしてバンドのユニークさを語ろうとするのではなく、もうバンドの歴史なんか類型のなかに押しこめてしまって、ヴィジュアルでもって何かを語らしめようという演出姿勢がいい、ということになる。Kim Fowley なんかの描写もかなり類型化して、商売人としての側面をおもてに出しているあたり、正解だと思う。トレーラーでのバンドの特訓、彼女たちのステージ、そして圧巻の日本でのライヴ、その後の分裂への道をしめす混乱のレコーディング風景と、つまりはアラン・パーカーの「ザ・コミットメンツ」と同じような展開(かなり参考にしていると思う)なのだけれど、「じっさいがどうだったのかなんて追求したってしょうがない」といっている感じ。ライヴの映像のカメラとか、彼女たちのバンドの規模にあわせたというか、あまりパースペクティヴを効かせずに、それでもいい効果を出していたと思う。わたしは楽しめた。■この映画でここ、というシーンを書けば、彼女たちの日本でのステージの冒頭のシーンで、ダコタ・ファニングの演じるCherie Currie が、そのはいている高いヒールで床にちらばるドラッグの錠剤を踏み砕き、床に突っ伏してその飛び散ったかけらを舐め取ってから起き上がり、歌いはじめる場面こそ、であって、その場面でこそCherie Currie の音楽に賭けた根性をおもてに出すと同時に、ダコタ・ファニングという女優がその、もう子役ではないのだという女優根性を見せつけるわけになる。演出もいい。■欲をいえば、バンド解散後恵まれず、多くのミュージシャンのレスペクトを集めながら近年亡くなったドラマーのSandy West に対して、もうちょっとレスペクトがあってもよかったような気はした。
[映画館(字幕)] 7点(2011-04-15 11:35:25)(良:1票)
16.  ヒア アフター 《ネタバレ》 
■イーストウッド監督の作品としては、まえに観た「グラン・トリノ」が一面で「自死」を肯定するような内容だったということの揺り戻しからか、「死後の世界よりも、いまの<生>がだいじ!」というような映画だった。■少年のおかげでマット・ディモンは何かをつかむし、そのことは少年にとっても大きな「救い」になるわけだ。ラストのマット・ディモンの「いかにも人間らしい」夢想(「妄想」といってもいい)が、かわいいではないか。これが、彼もまた救われている証拠、なのだろう。■とにかくイーストウッドがこういう題材の映画をつくろうとは思っていもいなかったのだけれども、「グラン・トリノ」をさいごにして、みずからが主演するという足かせを外したのだということで、まだ観ていない前作もサッカーを主題とした話のようだし、「硫黄島」二部作、「チェンジリング」、そしてこの「ヒアアフター」と、これらを並べてみると、それこそまったく性格のちがう作品の連続に思える。イーストウッドには、これからは全方位でいろいろなジャンルの映画製作をしたいという欲求を満たそうとする気もちがあるのかもしれない。そういう意味で、この作品のプロデューサーがスピルバーグであるということも、わかりやすいことではないかとも思う。■冒頭の津波のシーン、それに続くニュースレポーターの臨死体験での、波間にただようクマのぬいぐるみの映像の意外さにこそ、イーストウッドの意欲を感じとってしまうことになるし、マット・ディモンが料理教室でとなりの女性の(けっきょくは彼の<霊能>にじゃまされてみのらない)誘惑を受けるシーンの、目にアイマスクをしたその女性(ブライス・ダラス・ハワードが演じているのだけど、すばらしい!)の「唇」に注目させる演出など、やはりイーストウッドは「みごと」な演出手腕を発揮するわけである。なのだけれども、「チェンジリング」をおなじ「人間ドラマ」と考えて並べてみると、「チェンジリング」に感じとれた周到な演出プラン(編集、撮影、色彩などなど)という側面は、ちょっとばかしこの作品では希薄に感じられてしまう部分もあって、イーストウッドとしてはちょっとばかり撮り急ぎすぎているんじゃないかという印象もある。あ、いつもこのひとは撮るのはめちゃ早いのだったか。
[映画館(字幕)] 7点(2011-03-02 14:08:13)(良:2票)
17.  ソーシャル・ネットワーク
冒頭のパブでの、主人公のマークとガールフレンドのエリカさまとの対話からしてすごい。ふたりとも間髪置かずにものすごい早口でしゃべりまくりつづけ、これを執拗なカメラのきりかえしでみせるのだけれども、このふたりの対話と、バックに流れている(おそらくは店内のBGM)テクノ調の音楽とが、だんだんにシンクロしてくる。というか、さいしょっからシンクロしているのかもしれないけれど、観ていてだんだんに気がついてくるわけだ。この、それなりに尺のある長い対話の終盤なんか、まるでふたりでラップやっているみたいで、観ていてもちょっとした高揚感を味わってしまう。わたしなどは字幕を読むのに神経を集中してしまったので(とにかく早口だから字幕の情報量もはんぱではない)、純粋に音と映像だけを楽しむことができなかったのが残念。このシーンはまた、何をしゃべっているのかとか気にしないで観てみたい。こういう演出のシーンはこの作品のなかでもう一ヶ所、マークの協力者になったショーンがクラブのなかで話をするシーンでくり返され、もういちど楽しむことができる。すばらしい! おそらくは音楽に合わせてセリフのタイミングを演出しているわけだろうけれど、とにかく堪能した。これに、撮影を「セブン」や「ゲーム」でもフィンチャー監督を助けたジェフ・クローネンウェスが担当していて、また被写界深度の浅い撮影でワンカットのなかでひんぱんにピント位置を移動させたりもしているわけで、このあたりの演出力には感服させられる(カメラの被写界深度の浅さには、ちょっと疑問もあるけれども)。 マークをめぐるふたつの訴訟を軸に、過去にさかのぼりながらも時系列にそった展開になるけれど、あいだに審判シーンをうまくはさむことで、スピード感にあふれる展開になっている。ストーリー的には、若くして富豪になったけれど、その原点には「得られない愛」があって、それをラスト(現在)まで引きづっているのだよ、というわけで、これは現代版「市民ケーン」なのだね、という感じである。ラストに主人公がノートパソコンを開くときにBeatles の「Baby, You're a Richman」の印象的なイントロが流れてきて、「ああ、やはりこの曲で来たか」とは思うベタな選曲なんだけれども、このイントロが流れてくるしゅんかんにはゾワッとしてしまった。ベタだけれども、あまりにはまりすぎであった。
[映画館(字幕)] 9点(2011-01-30 11:09:10)
18.  インセプション 《ネタバレ》 
「人の夢に介入して思考の条件付けをおこなう」なんてメインの話はまったく面白いわけでもなんでもなく(つくっている方でもメインのストーリーなんかどうでもよかったんじゃないかという気がする)、サブのストーリーというか、主人公のパーソナルな部分で展開されるストーリーこそが、この作品でもっとも面白い部分に思える。そこにはいくつかのギリシア神話からの引用が垣間見られるわけで、まず主人公の「家族の待つ家に帰りたい」という願望はオデュッセウスの航海をほうふつとさせられ、この作品全体を支配するのはこの「オデュッセウス神話」ということになる。そして、この作品であらわれる「夢」はつまりは「迷路」ということであって、ミノタウロス神話こそがこの「夢の世界への介入」というコンセプトを支える。そしてもうひとつ、おそらくはもっと重要なのが、主人公が過去に「夢」のなかで失なった妻へのオブセッションであって、主人公の夢の世界にひんぱんに混入してくる妻の幻影が主人公の行動を狂わせる。これまたオルフェウス神話からの引用で、オルフェウスは冥界で妻を振り返ってしまうことで妻を永遠に失ってしまうけれど、この作品の主人公においてはこの点はちょっと変更され、夢にあらわれる現実には再会の困難なふたりの子どもの姿の(この子どもたちに再会したいという願望が「家に帰りたい」ということになるのだけれども)、その振り返った顔を見てはならない、という意識になってあらわれている。 このような、メインのストーリーからはみ出した、三つの神話の組み合わせのなかを迷う主人公のストーリーを追うことこそが、この映画を観る楽しさではないかと思ってしまう。しかし、だからすばらしい作品なのかどうかというと、やはりそのあたりは映像と観念とが合致してイマジネーションを豊かにしてくれている印象でもないわけで(映像によるイマジネーションがまるで喚起されないのがこの監督の特徴だと思う)、じつは非常に似通ったプロットなのだといってしまえるタルコフスキーの「惑星ソラリス」を観たときのような感動を受けるわけではない、ということになる。  あと、映画の字幕で「現実」に拮抗するものとして「アイディア」ということばがなんども使われていたけれども、これは当然「イディア」のことで、ふつう日本語として使われる「アイディア」よりもずっと広い意味を持っている。
[映画館(字幕)] 6点(2010-08-26 17:25:35)(良:2票)
19.  アリス・イン・ワンダーランド 《ネタバレ》 
 まず3D映像については、従来の二次元撮影カメラで撮影しているせいで、ポスト・プロダクションでの不完全な3D映像。つまり写真を切り抜いて並べて動かしている感じで、違う人物間の前後の差は立体的に出ているけれど、同一人物内の立体感はまるでなし。店頭の等身大アイドルの看板が動いてる感じ。時代が経てば、この作品などは「初期の3D映画には情けないモノもあった」と云われるようになるでしょう。  内容はさすがディズニーで、ルイス・キャロルの原作から、映画版「ナルニア国物語」のような、浅い勧善懲悪ストーリーをよくぞ紡ぎ出したものだと感心する。元にあったナンセンスなロジックの遊びやチェスゲームは全滅で、この映画のタイトルは「アリス・キングスレーの冒険」と変えた方がいいと思う。ラスボスは「鏡の国のアリス」のなかで読まれる、有名な「ジャバーウォッキー」の詩から持って来ちゃっているけれど、このジャバーウォッキーのCG造型が、かなり情けなくて泣けます(原作の有名なイラスト、テニエル作の造型と比べてほしい)。  ティム・バートンらしい毒気はもうほとんどないのだけれども、芋虫の吐く煙、当時の阿片大陸中国への出発、ラストにむくむくと大きくなるキノコなど、ドラッグへのほのめかしはあるのかも。しかし、バンダースナッチの住処の中で、どーしてアリスは突然眠ってしまうの???
[映画館(字幕)] 2点(2010-04-24 22:42:26)
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