1. カイロの紫のバラ
《ネタバレ》 ヒロインは最後救われたかったなぁ… 「トップ・ハット」に、じゃなくって、現実世界で。 映画の中の探検家は現実には無理だし、かといって現実世界の俳優の方は、性格が最低だから、どちらを取っても幸せになれないけれど。せめてあのDV旦那とはいつかきっちり離婚してくれることを願わないではいられない。 (でも彼女の性格的に無理そうだなぁ…) まぁこういうオチの付け方をするのがウッディ・アレンなんだけど。(現実主義) 駆け落ちの約束をした俳優が待ち合わせの映画館にいなくって、仕方なく荷物をかかえたまま映画を見るヒロイン。 やっていたのは「トップ・ハット」。 これ、見たことないんですよね。 でも「グリーンマイル」で、あの大男君が刑務所の中での上映会で「トッㇷ゚ハット」を見て感動したり、クライマックスに近い場面で泣きながら「あいむいんへぶんっ…あいむいんへぶんっ…」って言ってたのが強く印象に残っていたので、「カイロの紫のバラ」でもラストシーンにこの映画のこの”I'm in heaven~♪”って歌うアステアのシーンが出てきて 「おおおおおっ!」 って思いました。 「トップハット」見なくちゃ。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2020-11-27 21:52:53) |
2. グロリア(1980)
《ネタバレ》 いやぁもう、子役が不細工すぎ、セリフ棒読みすぎ、演技へたくそすぎ。 モジャモジャの天パ、でかい鼻の穴… 「あんたはママじゃない!ボクのママは美人だ!」などと可愛くないことをほざくわけですから、カワイイ顔なら許せてもこの顔なら 私がグロリアなら「そういうおめぇはママに似なくて、とんでもないブサイクだな!」と怒鳴り散らかして溝に捨てて放置してる。 途中でモジャモジャと一緒に走っていた黄色いタンクトップの男の子のほうがよっぽどカワイイ。そっちを使えばよかったのに。 グロリアにしがみつく演技もへたくそで、子供の学芸会レベルで見てられない。 そもそもあの手帳が相当やばいものと知りながら、なんでモジャモジャにずっと持たせているかも謎。 鞄にしまっておきましょうよ。 ジーナの演技は素晴らしかったけど、子役のせいで映画の作品としての価値が低くなってしまっている。 それより、グロリアのところにいたあのペットどうなった!? [インターネット(字幕)] 2点(2020-10-03 17:03:21) |
3. ブルーベルベット
《ネタバレ》 清純なお嬢様とは真剣にお付き合い、でも既婚のセクシーでお股を簡単に開く女ともエッチしたい、そして最終的には、浮気がバレても許されてハッピーな生活をお嬢様と送りたい… そんな男の都合のいいロマンを見た気分で、嫌悪感いっぱいでしたね。 私はエロい人間でハードなSMもどんとこいっていう類の人間なので、劇中の「ぶって」とか「いじめて」のセリフも安直で稚拙に感じて、ぜんぜん刺激的に思わない。暴力シーンも、中途半端な感じ。 出陣前に呼吸器でスーハ―して目がランランとするデニスホッパーの狂った感じの演技は、出陣前に「レオン」のお薬ガリっと噛んで目がイッちゃうゲイリーオールドマンぽくて、唯一良い演出だと思いました。 [DVD(字幕)] 1点(2020-08-23 23:00:41) |
4. 刑事ジョン・ブック/目撃者
《ネタバレ》 サスペンスの面については、とてもシンプルで分かりやすい話。 悪い警察官たちのしでかした事件といい、バレないようにしようと立ちまわる振る舞いといい、やることなすこと”悪徳警察官”の典型的なパターン。 でもこの映画の年代だからこそ許せるような、古き良き時代の映画感がなんだか落ち着きますね。 ただ、レイチェルはアーミッシュを離れてブックと一緒になってほしかったなぁ。 あのなんか性悪そうで、エロそうな男がレイチェルと狙ってそうで、どう考えてもレイチェル母子を幸せにしなさそうなタイプだし、残された彼女と息子の将来が気の毒で。 あの男の存在がなければ、まだよかったんですけど、なんか、そこがひっかかって、気持ち良いラストではなかった そもそもあの男、映画の中で必要なキャラとも思えず、存在感が微妙だし。 ラブストーリーの後味の悪さで、5点。もし二人がくっついてたら9点はいけてた。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2020-06-19 11:45:13) |
5. エルム街の悪夢(1984)
なんなんだろう、この超有名なホラー作品に、とてつもないB級臭しか感じられない脱力気分は。 レビューを眺めてみても、ジョニデが出てるね、とか、3分クッキング、もとい10分トラップ、とかについてはよく触れらているが、それ以外のホラー映画レビューのキモであるはずのホラー要素やストーリーについては意外とあんまり熱く語られていないところが、この映画って有名だけど実はツマンナイっていう証拠じゃないのか。 怖くないホラー映画はもはやホラー映画のくくりじゃなくてコメディ映画のカテに引越ししたほうがいい。 [CS・衛星(字幕)] 2点(2018-08-16 11:23:50) |
6. 恋におちて
《ネタバレ》 私は、<子供のいない妻>の不倫作品がダイッキライである。 なぜなら、そこに何の苦悩も生まれないからだ。 不倫映画はあまた見てきたが、妻側に子供がいないというのは”逃げの設定”だと断言する。それは軟弱者の設定だと、はっきり言わせていただく。 男は女より母性が薄い。だから夫が妻や子供を捨てることは夫という人物の性格を多少マイナス評価にさせても、そこまで下がることはない。(子供や妻はかわいそうだが、子供にとっては絆の深い母との生活は充足したものになるものだ) しかし妻が、夫はさておき、子供を捨てることになるような不倫に走るというのは、母性の欠落、母より女という選択、となり、それはヒトとしてアウトになる。 母性不足のアウトなヒロインは、なかなか、まっとうなキャラとしては描きがたい。 だから子供を傷つけるという代償を払わないですむ、”子ナシの妻”を簡単に採用する。このヒネリのない設定が断じて許せない。 この映画にしても、メリルには子供がいない。日本の作品だが「失楽園」といい「昼顔」といい、ヒロインに子供がいない。だから、ヒロインは母という責任を背負いません。なんてイージーで、なんてずるい設定だ。 それでも世間には、”子ありの妻”という難解な設定に力強く挑んだ、優れた映画がある。 私は「マディソン郡の橋」は、子供のある妻の苦悩と最後の選択に、わたしは激しくこころ揺さぶられ、あの助手席のドアをあけようかどうしようか迷ってあけられなかった場面で号泣した。 「ピアノ・レッスン」では、子供のある妻自身がまるで子供のように、自分の子供を不倫のメッセンジャーとしてパシリに使い、ときに子供に「こんなことしたらだめよ」と諭されながらも、本能に従い欲望に向かって突進するという、いかにも芸術家的な気質に、圧倒された。 だから、この映画は何も胸を打たない。 そもそも、なんでメリルの友達もロバートの友達も、どっちも不倫やってて、「不倫いいよ~やってみぃ~」ってそそのかし役になってるんだ。 理由はわかっている。 メリルとロバートが惹かれあう理由がとぼしいからだ。 「ピアノレッスン」のように既婚者側のパートナーに、決定打的な、婚姻生活崩壊の原因があったとわけでもない。 「マディソン郡の橋」のように既婚者側が胸に秘めていた夢や備えている知性を理解してくれた男に出会えたというわけでもない。 普通にやってれば普通に続けられたそれなりの婚姻生活を、特に惹かれあうところもなさげな二人が、婚姻生活を終了させてまで付き合う相手なのか?さっぱり説得力がない。(そして、妻側は子なしという”逃げの設定”というオマケつき) この映画を楽しむとしたら、不倫のうしろめたさに葛藤するときのメリルの表情と、カレに会うための服のコーデを時間かけて選んでいてワクワクしているメリルの表情と、カレとついにベッドで抱き合って恍惚の顔をしてるメリル表情くらい。 でもそれを見たいなら「マディソン郡の橋」でも同じものが見られるので、そっちを見ればいいじゃんということに。 [CS・衛星(字幕)] 0点(2018-05-19 13:53:51) |
7. エイリアン2
《ネタバレ》 エイリアンはシリーズ全て見たが、2が一番のお気に入りである。 それは、リプリーという女性像を一番ストレートに、正しく描いているから。 強い女、賢い女、勇気ある女・・・そんなイメージで見られるリプリーだが、彼女は何よりも、”母性の強い女”。その側面を鮮やかに描き出しているのが唯一「エイリアン2」である。 リプリーにはもともと1人娘がいたが、「エイリアン」の脱出後から50年以上宇宙をハイパースリープ状態で漂っていたため、救助された(「エイリアン2」の時点)2179年の2年前に娘は死んでしまっている。つまりリプリーは、愛する娘と再会することなく母として不完全燃焼のまま、強い母性が残されている女性という設定になっていて、それはこの映画を、シリーズの中で唯一”人間味あふれた作品”に仕上げるうえで非常に効果的なものになっている。 リプリーは、ひとり取り残された女の子ニュートを、彼女が幾度と無く直面する危機から救い出し、最後の最後まで守り抜こうとする。彼女はきっと失った娘とニュートを重ねあわせていたのではないだろうか。 まさに”子供を守る母”である。 一方、クイーンは、まさに”卵を守ろうとする母”。 「エイリアン2」ではリプリーの母性をより一層きわ立たせるために、悪役(=エイリアン)にも、クイーンというエイリアンの母を配置して、母性を持つもの同士のコントラストをつけている所も上出来である。 ラスト近くで武器がタマぎれになったリプリーが武器を捨て、クイーンと同じ背丈になれるパワーローダーを装着してクイーンと対決する場面は、まさに母VS母の等身大の素手によるガチバトル。こんな場面は、シリーズ前作を通して「エイリアン2」だけであろう。 ついにクイーンを倒したリプリーに、ニュートが走り寄り、彼女に抱きつきながら思わず叫ぶ。 「ママ!」 このたった一言が、「エイリアン2」が間違いなく母性を描いていることを証明している。 ちなみに「エイリアン4」の原題は「Resurrection」(復活)なのであるが、そのタイトルになったのは、リプリーがクローンで復活したということだけでなく、人間とエイリアンのハイブリッド種であるニューボーンがリプリーを見て母親だと思い込むとか、リプリーもニューボーンに対して自分の子供のような敵のような複雑な思いで接するという、”母性”をにおわせる設定が「エイリアン2」で描かれたテーマを”復活”したものだから・・・と深読みしてしまうのは私だけだろうか? [CS・衛星(字幕)] 10点(2017-05-27 19:28:57) |
8. サイコ3/怨霊の囁き
《ネタバレ》 オチの部分で、ノーマンがハク製の母の首を包丁でアチョーってブった切って、その後警察の車に乗り込むとき「これで私は自由になれました」なんて言ってたのに、車の中で彼がふところにしまった母の手をそっととりだしてナデナデして ニヤ~~っと笑う場面を見たときは 「ふふふ・・・このネタであともう一回は続編で引っ張ってやる・・・」 って言ってるようにしか見えませんでしたw [DVD(字幕)] 4点(2015-02-24 17:26:51) |