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1.  ゴジラ-1.0 《ネタバレ》 
シン・ゴジラ後の実写ゴジラを作るのは大変だろうなあと言うのが前作を3回劇場で鑑賞してからの感想だったが、結果としてはシンに勝るとも劣らない出来映えになった。敗戦直後という時代設定、その時代を描くのに三丁目の夕日シリーズで「あの頃」の描写に於いて右に出る者がいない山崎貴監督の起用(三丁目第2作でゴジラは経験済みだし)、朝ドラ主演コンビの再登場(撮影はこっちが先だそうだけど)など、作品作りも話題もシンと同じ土俵で勝負しなかったことが良かった。シリーズものにありがちな「前作から○年後」「主役交代してもあらすじは似たようなもの」というハイハイそうですか的展開は一切無い。明るい映画ではないのでさすがに何回も通えはしないが、余韻にひたりながら劇場を出られる作品であることに疑いは無い。 昭和シリーズなら「東宝自衛隊」が超兵器を携えて出動するところだが、警察予備隊も自衛隊も無い終戦直後、まして旧軍も解体され国民を怪獣災害から守る組織がないから民間中心でゴジラに立ち向かわなければならないという状況こそがこの作品の白眉だ。東京湾のゴジラ掃討作戦の説明を聞いて「降りる」民間人を描いたのはある意味新鮮だった。コロナ禍を経て同調圧力の息苦しさを経験した観客は大義に殉じることが義務、美学、美徳とされることへの反発がある。吉岡秀隆演じる技術者が明日のための戦いだ、全員生きて帰ってくることが大事だ、と説く場面は散華することを美しいとする昭和の価値観との決別だった(それでいて舞台はまごうかたなく昭和なのだけれど)。一方で「(この間の戦争は決死だったけど)対ゴジラ作戦は生き残れる(勝ち目はある)んだよな!」と鼓舞する者、やってやろうぜと気勢を上げる者はお決まりで、こういう方々がいなければ話も進まない(笑)が、このような場で死にたくない、怖い、逃げたいという人も少なからずいることをはっきり描いた最初のゴジラ映画かもしれない、と感心した。 テレビの特撮ものは別として、ゴジラ映画はもうCG無しでは成立しないところまで水準が上がった。それはゴジラ映画が大人の鑑賞にも堪えられるテーマを内包するために欠かせない条件になったからだ。それを支えるのが佐々木蔵之介、青木崇高、安藤サクラなどの助演陣のリアルな演技だった。みんな「この間の戦争」で理不尽に家族を亡くし、やり場のない怒りを押し込めて生きていることが切々と伝わる。戦争に行かなかった若者:山田裕貴が軽率な軽口を叩いて神木:主人公敷島に胸ぐらを掴まれるシーンは象徴的対比だ。ゴジラは滅ぼされていない、という不吉なラストシーンで物語は幕を閉じるが、劇中の世界で生き延びた人たちが今度こそ希望を持って生きていってほしいと思った。
[映画館(邦画)] 9点(2023-11-04 11:23:56)(良:2票)
2.  インディ・ジョーンズと運命のダイヤル 《ネタバレ》 
手元に当時のパンフがないので正確さに欠けるけれど、「バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3」のスタッフ(監督だったかプロデューサーだったか)がシリーズ完結の理由を聞かれて「そろそろマクフライ一族にプライベートを与えるべきだと思ったんだよ」と答えていて、なんてウィットに富んだ答えだろうと感動したのをよく覚えている。 シリーズ第5作目の今作を完結編としたのはハリソン・フォードの年齢を考えれば当然だが、作らなくても、というのが正直な気持ちだった。「クリスタル・スカルの王国」で登場したインディの息子マットにシリーズを引き継がせようという皮算用が映画会社にあったのは見え見えだったが諸般の事情でそれは叶わず(シャイア・ラブーフも公開後作品を批判してハリソンにたしなめられていたのは有名な話)、それでも懲りずにシリーズ続行を模索する映画会社に引導を渡すために完結編を作ったのではと邪推したくなるほどにインディが不憫だったからだ。関係各位に打ち止めを納得させるためには戦後のインディの不遇(軍隊に入隊しおそらく戦死したマット、それが原因で別居状態まで冷え込んだマリオンとの関係、大学での講義を真面目に聞く学生は一人もおらず、定年退職当日の大袈裟なお祝いに精一杯の愛想で応えるも鬱屈を溜め込み続けるインディの苦悩)をこれでもかと描写することが一番だったろうが、インディのそんな姿は見ていてつらかった。 感傷と言われればそれまでだが、第1作「レイダース」のラストシーン近く、聖櫃を政府に取り上げられ「真価を知らん」と毒づくインディに「一杯奢るわ」と微笑むマリオン姐さんの格好良さを思い出すにつけ、インディにもプライベートは必要だったよなあ、とつくづく思った。思い出は思い出のまましまっておくのが良い、こともある。そう考えればスピルバーグが監督をマンゴールドに委ねたこともなんとなく腑に落ちる。マンゴールド作品は「ナイト&デイ」が楽しかったが、今回は無辜の市民が巻き添えのように次々殺されるのでどうにも後味が悪い。色んな葛藤を経て劇場に足を運んだのは、シリーズ掉尾の今作を「見届けに」行こうと思ったからだが、うーんうーんと思いながら劇場を出た。
[映画館(字幕)] 7点(2023-08-15 04:52:18)(良:2票)
3.  ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE 《ネタバレ》 
ミッション・インポッシブルシリーズはローグ・ネイションあたりから体張って頑張るトム・クルーズを愛でる映画に変容してきた。批判ではない。文句もない。今回もそれが観たくて公開初日に行くのだから。それよりも今作は女性キャラが我もわれもと八面六臂の大立ち回りを見せるのが見どころと言い切りたい。特に敵役のポム・クレメンティエフがおいしいところを全部かっさらっていく。ゴツい大型車(装甲車?)をゴリゴリぎゅわんぎゅわんとぶん回すように駆ってクルマもバイクも何十台と片っ端からなぎ倒し、テンション上がってハッハッハーと舌なめずり&大笑いしながらイーサンを追い詰めるシーンは本当にイカレている(褒めている)。ちなみに追われるイーサンが調達したクルマが「黄色のフィアット」、まさかカリオストロのカーチェイスを実写でやろうと監督が思ったか定かではないが。 ポム姐さんは格闘も強い強い、おまけに超々ドS。鉄パイプで壁をキィーキィーガリガリガリと耳障りな音立てて擦ってから振りかざし猛然と襲いかかるその凄さ。ポム姐さん観るのは初めてだけど、勝手に今回の最優秀助演女優賞を贈りたい。 と、なんで仇役をここまで褒めちぎるかと言えば、今回イーサンと不本意ながらバディを組まざるを得なかったグレースというキャラが、どうにもM:iー2のヒロイン、怪盗ナイア・ホールとキャラがかぶるのだ。そもそもグレースを演じたヘイリー・アトウェルより元英国情報部のイルサことレベッカ・ファーガソンが個人的圧倒的にひいきなのだからどうしようも無い。グレースとイーサンのカラミが多い分ベンジーとの漫才はぐっと少なくなった。まあ今度のミッションは現実に起きれば未来の世界線上にスカイネットが誕生しました、という話になりかねないほどの深刻な事件なので、わちゃわちゃやってる暇はないのだろう。だから米国俳優組合はストライキをさっさとやめてPART2を早く作りなさいと声を大にして言いたい。そうそう、潜水艦のシークエンスも「アビス」冒頭の米原潜を想起させる。要するにミッション・インポッシブルは好きなんだけど、今作はなんだかあちこちのシーンで既視感があってなんだか色々惜しい。面白いけど。
[映画館(吹替)] 8点(2023-07-22 01:52:44)(良:2票)
4.  ミニオンズ フィーバー 《ネタバレ》 
約1時間半の上映時間があっという間だった。「怪盗グルー」シリーズはこれまで地上波やレンタルで、しかも半ば迎合的に鑑賞してきたけれど、この作品は可能なら是非劇場の大画面で鑑賞することをお勧めする。スケールが(無駄に)大きく、映像は細部に至るまで凝り、馬鹿馬鹿しくてくだらなくてアホらしいけれどキレッキレのアクションは実写を軽く凌駕し、打ち上げ花火のように猛烈な勢いで次々炸裂する、そんな映画だ。子供は大笑いするし大人は頭の中を空っぽに出来る。 シリーズのスピンオフという位置づけだそうだが、ミニオンズはもうグルーのお株を奪うほどの人気者だ。その人気の源はなんと言っても大勢で押し寄せる迫力にある。一応ケビン、ボブ、スチュアートという主役トリオが居るが、その他大勢も騒々しく勝手気ままに振る舞い、イタズラを繰り返す。行く先々で起きるのは破壊と混乱ばかりだがどうにも憎めない。今作では4番手のミニオン「オットー」が登場するがコイツが肝心な所でご主人グルーの命令を忘れ、自分の「好きなこと」を優先させてしまうスカポンタン。歯列矯正中(つまり半人前の暗喩)の外見と相まって頭を抱える問題児だが、責任感はとても強く、単独行動(これもミニオンの行動パターンから外れている)の末にクライマックスでイイ感じの活躍をするものだから、ホロリとしてしまう。 敵役「ヴィシャス・シックス」もくせ者揃いで一人ひとりがとにかく強い。まあそのぐらいで無ければミニオンズに対抗出来ない。余談だが市川正親、尾野真千子の演技がピタリと合っていて何の違和感も無かった。渡辺直美のカンフーマスターは外見ですぐ分かったが、これも文句のつけようが無い。「話題作りで有名人や芸人に声優をさせるな、プロ声優に任せるべきだ」という意見は世間に未だ多いが、この作品はその批判を跳ね返す稀有な例になるのではないかと思う。田中真弓、大塚明夫、立木文彦といった豪華ベテラン声優を脇役に配しているところにも話題だけでは無いキャスティングをしっかり考えている日本語版制作陣の志を感じる。 序盤のヴィシャス・シックスによる中国奥地での秘宝盗掘は「完全に」レイダース/失われた聖櫃のパロディだし、そこからの怒濤の展開はテンポも快調で見事だ。70年代の風俗が次々登場する物語は、30代以下の観客層(特にティーンズ以下)には新鮮に写るし、それ以上の層はニヤリとさせられる。主人を助けるために旅客機を(結果的に)ハイジャックしてサンフランシスコに向かう時の騒動は、70年代に流行ったパニック映画「エアポート」シリーズを彷彿とさせる(あのシリーズもあちこちでパロディのネタにされることが多く、ギターの弾ける尼さんや重病の手術を受けにいく少女、親に結婚を反対されているカップルが搭乗しているという設定自体がおちょくりの対象にされていた)。特に主役トリオがカンフーマスターに弟子入りしてからのくだりはブルース・リー人気を知る人には爆笑必至だ。 ディズニーやピクサー作品では味わえない馬鹿馬鹿しさがこの作品の一番の魅力だ。あー面白かったと映画館を出られる映画のお手本として推したい。
[映画館(吹替)] 9点(2022-08-21 05:55:51)
5.  シン・ウルトラマン 《ネタバレ》 
「シン・ゴジラ」は公開中3回劇場に足を運んだ。では「シン・ウルトラマン」はどうか。「ブルーレイ発売されたら特典映像コミでゆっくり観よう」というのが鑑賞後の感想だった。どちらも庵野秀明がやりたかった特撮作品で、彼が創るとこうなのね、という感想はあるけれど、禍特対の存在自体が圧倒的にフィクションなのでウルトラマンが現実の日本に出現したら日本の政治や軍事はどう対応するのかという興味には至らない。国外の反応も政府中枢要人の発言でしか知ることも出来ないし、自衛隊も禍威獣が出たら禍特対に指揮権をあっさり渡す。異形の外星人と総理大臣がいきなり対面で会談するシーンは相当シュールだが、かつてモロボシダンとメトロン星人が夕日差しこむ日本間で対峙したのを憶えていれば驚くにはあたらない。 VFXの飛躍的進歩を得たウルトラマンの登場シーン、格闘シーンは素晴らしい。それでいてうーんと思うのは何でだろう。アクション系作品に出演しようものなら即公安と揶揄される西島秀俊が本作ではつくづく公務員で、拘束軟禁されても実力突破しないこと。長澤まさみ扮する分析官の立ち居振る舞いがだんだん「ムシコナーズ」CMに出てくる姉ちゃん(但し大阪弁抜き)に見えてくること。メフィラス山本耕史が「私の好きな言葉です」を繰り返すこと。有岡大貴がとても学者に見えず、やたら頭は良いけど打たれ弱いオタクなこと。禍威獣がなぜこの日本にしか出現しないのかということがやっぱり良くわからないこと(そうそう、シン・ゴジラで鎌倉にゴジラが上陸した時「どうしてまたこっちへ来るんだ!」と怒声を上げた閣僚に、いやごもっとも、と心底思った)。一方で(ウルトラマンと融合した)斎藤工が人とのコミュニケーションを学習していく過程のやや頓珍漢な言動はユーモラスだし、早見あかりの生物学者は色々動じないタイプで肚も据わっていてこの種の映画では異色だ。予告編からして「霞が関の独立愚連隊へようこそ~」と長澤まさみへ声を掛ける距離の詰め方はさすが元ももクロ(笑)。へこたれないこの人がこの作品では一番好きだ。
[映画館(邦画)] 7点(2022-05-22 11:28:17)
6.  ステップ 《ネタバレ》 
予告CMが散々TVで流されていれば、そりゃあ観たくなる。「宣言解除」のあと劇場にいくには勇気が要って、それでもどうしても観たい映画だった。この親子がどう暮らしていくのかを観たかった。妻に先立たれた男の子育て話は正直目新しいものではない。でも、仕事と家事に忙殺され「駄目かもしれない」と弱音を漏らす予告篇の山田孝之に普段の不敵なイメージはみじんもなく、あれ?と思ったのが劇場で観たいと思った一番の理由かもしれない。10年間の子育て物語だから3人が次々に娘を演じていくのだけど、2人目から3人目に変わったところで風貌が「こういう変わり方する?」と正直思ってしまった(意見には個人差があります)。演技の巧拙ではなくて雰囲気が変わったというべきか。 だいぶ前に松山ケンイチと芦田愛菜の「うさぎドロップ」を観た。あれは「にわか親子」だが、今にして思えば結構なファンタジーだった。本作は思春期に差し掛かる娘の微妙な時期までを描くので地に足がついていて、妄想に逃げていない。主人公が「自分は親に恵まれた」と独白するが、この親とは本編に登場しない主人公の実の両親ではなく國村準と余貴美子演じる義父母だ。ずっと孫と義理の息子を気遣い、損得やエゴなしで支えてきた。それは義兄夫婦(東京03角田晃広と片岡礼子が実にいい)も同じだ。二人は主人公からベビーカーを譲り受けたものの結局後年不妊治療をあきらめた、という主人公のナレーションが実にやるせないが、そんなことはおくびにも見せない。かつての上司(岩松了)も昼飯にかこつけて主人公を励ます(なぜか中川大志がうろちょろしているが)。周囲が理解ある優しい人々なのがファンタジーと言えなくもないが、そんな中で小学校の担任は「お母さんは死んだけど、うちにいる」という娘の言葉の真意を判らず(気づかず、ではないと思う)「嘘はいけません」と決めつける。面談の場である喫茶店にも駆け込んできていきなり用件を切り出し、さして親の意見も聞かず用事が済めばさっさと立ち去る。父子家庭の子どもを受け持つことは彼女にとって厄介事でしかなく、関心があるのは学級運営だけではないのかと思ってしまう。浅慮の割に何にでも噛み付く人が必ずいる今の世の中の荒みようを感じさせて思わずため息が出る。 だから尚更、保育園のケロ先生(伊藤沙莉)や亡妻の面影を宿す行きつけ喫茶店のお姉さん(川栄李奈)、そして後に再婚することになる職場の同僚:奈々恵(広末涼子)と親子の交流は編中の清涼剤だ。特に終盤、初めて娘からお母さんと呼ばれ、義父から「孫と息子を頼む」と託され滂沱と涙する奈々恵とそれを見守る主人公の姿には涙腺が緩んで本当に困った。年なのかも知れない。 お涙頂戴という媚を含んだ厭らしい言葉があるが、この映画はその言葉からずっと離れたところにある。今この時期に観られてよかったと思っている。
[映画館(邦画)] 9点(2020-07-18 20:14:11)(良:2票)
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