ひろしま(1953)のシネマレビュー、評価、クチコミ、感想です。

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ひろしま(1953)

[ヒロシマ]
1953年上映時間:104分
平均点:7.55 / 10(Review 11人) (点数分布表示)
ドラマ戦争ものモノクロ映画学園もの歴史もの実話もの
新規登録(2012-05-08)【ユーカラ】さん
タイトル情報更新(2019-09-02)【イニシャルK】さん
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監督関川秀雄
助監督熊井啓
キャスト岡田英次(男優)北川先生
月丘夢路(女優)米原先生
神田隆(男優)千田先生
原保美(男優)伊藤先生
加藤嘉(男優)遠藤秀雄
河原崎しづ江(女優)遠藤よし子
山田五十鈴(女優)大庭みね
利根はる恵(女優)保母
薄田研二(男優)仁科芳雄
三島雅夫(男優)医者
花沢徳衛(男優)幸夫のおじ
信欣三(男優)科学者
梅津栄(男優)錯乱する男
永田靖(男優)
龍岡晋(男優)
河原崎建三(男優)
松山英太郎(男優)
下條正巳(男優)
織田政雄(男優)
脚本八木保太郎
音楽伊福部昭
撮影中尾駿一郎
製作伊藤武郎
美術平川透徹
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【クチコミ・感想】

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1
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11.実際見てみると言うほど反米という印象は受けませんでした。直接米国への怒りを表明するようなシーンがあるわけでもなくどちらかというと被爆者の苦しみに寄り添うことに比重が置かれていると思います。今までほとんど封印作品のように扱われてきたのは不思議に思えますが、時代の経過のおかげである程度相対化して見られるというのもあるのでしょうね。大きく三つのパートに分かれている構成で、序盤は戦後の広島の学校が舞台となりこのパートは教育や地元紹介目的のビデオのような演出です。中盤は原爆投下前後の広島の様子の再現です。ここが一番時間も長く製作費もかけられた部分でしょうが、今見ると時代の制約上致し方ないのですが絵の具を塗りたくっただけのような特殊メイクには真実に迫った力があるとは言い難いです。そして終盤は戦後の焼野原となった後の広島で生きる子どもたちの姿が描かれます。これが今見ると一番新鮮で、ハングリーとも呼ばれる原爆孤児たちや島から脱走をはかる子どもたちの姿がまるではだしのゲンのようで面白いです。この終盤のエピソードを膨らませて一本の映画としたら面白そうですが、やはり今でははだしのゲンの影響力の方が大きすぎてそちらで十分ではありますね。
Сакурай Тосиоさん [インターネット(邦画)] 6点(2023-07-10 23:40:54)
10.《ネタバレ》 この映画が原爆から僅か8年目に創られたことに驚く。そしてその目的が“原爆の記憶を風化させないため”ということにも驚く。
日本人の適応能力は素晴らしい物があるが、それと同時に忘れやすさも素晴らしいと思う。戦争が終わり、日を追うごとに戦争当時の痛みを忘れ、世の中にはどんどん欧米式の新しい建物が立ち、学生たちはGHQの指導の元で、戦後の新たな教育が施されていた時代。日々変わっていく世の中で、つい隅に追いやられてしまう過去の記憶。

鼻血を出す女生徒。原爆体験者の数を聞き、クラスにこれだけ居たんだと驚く教師。ABCC(原爆傷害調査委員会)は被爆者の診察はしても治療はしてなかった事実。この忘れやすさ、辛いことは過去のものとして、綺麗さっぱり前を向いてしまう辺りが何とも日本人臭い。
原爆は甘え。体験した人にはホントきつい一言だ。被爆者が口を閉ざすのも解る。日本の復興のスピードもこの当時から早い。東北震災から復興のスピードを見ても、8年目ともなると震災当日くらいしか思い返さないくらい、過去の出来事と化してしまっていたと思う。そして先生のように、未だに震災の被害から回復していない人に驚いてしまうとか。ホント今の時代と変わらないかも。

原爆当日の広島の様子、阿鼻叫喚の地獄絵図は凄まじく、また撮影の経緯も当時の広島の人達の気持ちが籠もっていた。自分があの日、目にしたものを再現して、より多くの人に映画として観せる。
戦災孤児。弱い孤児たちがグループを作って、米兵に物乞いして逞しく生きる姿。頭蓋骨について、はだしのゲンでも出てたと思う。本当かどうか定かではないけど、本当なら、アメリカ人が日本人をどのような目で見ていたかが解る。そしてそれは最初の“どうして白人の国ドイツではなく黄色人種の国日本に原爆が落とされたか”に繋がる。
当時は朝鮮戦争の真っ最中。幸夫は仕事で砲弾を作り、パチンコが戦争の資金になるって女の子も言ってた。
平和のために戦争に手を貸さない。結果それが反米だとして、広島に原爆を落としたのはアメリカなのは、未来永劫変わることはない。それを絶対に忘れない為に、その想いを込めて、この映画は創られたんだろう。
K&Kさん [インターネット(邦画)] 7点(2022-10-08 19:18:42)
9.《ネタバレ》 まずは冷静にこの時期に、この映画が製作された背景・経緯を理解するべきだろう。作品中にも出てくるが、朝鮮戦争特需があり、警察予備隊の結成があり、そして日教組が反対の意思表示として製作された非常に政治的作品である事に留意する必要がある。また、本作品は反米的であるとして、お蔵入りになったようであるが、純粋に作品としても出来がよいとは思えない。しかしながら、戦後8年で当事者が多数参加して制作された事を考えると、臨場感というか意気込みや気迫が伝わってくる。それにしても宮島で頭蓋骨が土産物として売られていたというのは本当なんだろうか?今日的感覚では信じられないが。
東京50km圏道路地図さん [地上波(邦画)] 6点(2019-09-12 01:43:43)(良:1票)
8.あの時の「ひろしま」はこんなふうだったのかと、大きな衝撃を受ける映画だった。
燃えさかる街から川へと逃れる大勢の女学生たち、負傷者で溢れる救護所など、胸に焼き付くような圧巻のシーンの連続だった。
原爆を扱った映画は多々あるが、ここまで生々しく迫る映画は他にないのではなかろうか。
特に、このような悪魔的兵器を民間人の上に落としたアメリカ人の言い分、第三者のドイツ人の見解をさりげなく挿入してくれているので、人間の犯した原爆投下という行為の恐ろしさが、より一層、胸に突き刺さる。配給会社はこのシーンを問題視して、配給を取りやめたそうだが、当時の日本人もアメリカにずいぶんと飼いならされてしまったものだ。残念なことである。
原爆投下による民間人大量殺害は、天変地異ではなく、人類の犯した最大の罪の一つだろう。この映画が一人でも多くの人に鑑賞されることを願って止まない。
駆けてゆく雲さん [地上波(邦画)] 10点(2019-09-10 16:23:44)(良:1票)
7.現在であればCGなどをふんだんに使って制作できるところを全てセットとエキストラで対応してここまで
の臨場感を演出したことに驚きます。
まだ原爆の記憶が残っていて実際に体験した人たちも参加しているということが、さらにリアルさを出して
いるのだと思うし、あの時代でなくてはこの作品は制作できなかったと思う。

それにしても松竹が削除を求めた箇所(①爆弾投下した米パイロットが地上にいる市民に同情などしないとい
う告白が学校で放送されるシーン、②病院で米国は無辜の市民を原爆のモルモットにしたと高校生が語るシーン、
③原爆で死んだ人の頭がい骨を集めて米人に土産物として売ろうとするシーン)がもし削除されていたら、この
映画の価値は半減していたと思うので、苦渋の決断だったとは思うけども、要求を断った制作側には敬意を表
したい。

それにしても終戦特集でEテレで放映されるまでこの映画の存在は知りませんでした。まさに忘れられた映画と
なっていたということ。その理由が、この映画がイデオロギー色が強く、東西冷戦が激化するなかで米国を刺
激しないようにとの忖度が働いたというのは、あまりにも酷いはなし。
平和や反戦を求める声に「アカ」と罵声を浴びせる風潮が今も残っているのは悲しいこと。
キムリンさん [地上波(邦画)] 6点(2019-08-20 16:40:00)
6.この時にこういった映画が作られていたとは知らなかった。
観続けるのは少し苦しい面もいろいろあるが、一度は見るべき作品だと思う。
simpleさん [CS・衛星(邦画)] 6点(2019-08-19 16:23:26)
5.《ネタバレ》 本編のドキュメンタリーが放送されていたため、視聴するには良い機会だった。原爆投下からわずか8年で大作を撮った、いや撮らなければならなかった関係者の強い憤りと訴えが、作品の粗に怯まず、執念としてフィルムに焼き付ける。原爆投下後から数年後に浮上した原爆の後遺症が、戦争孤児がその地盤を強固なものにする。現代のCG技術、メイク技術ならより凄惨な描写をカラーで再現できても、被曝して時が経っていないからこその生々しさには迫れないだろう。名も無き多くの人々が原爆によって死んだことを突き付ける、ラストの演出が強烈なインパクトを残す。語り部も少なくなり、核兵器禁止条約に触れないどころか、むしろ国を守るために憲法改正だ、核を持てという意見も散見し、この叫びが無力で虚しいものはない。劇映画の体裁を取った"記録映画"として貴重な作品。
Cinecdockeさん [地上波(邦画)] 8点(2019-08-18 01:39:49)(良:1票)
4.《ネタバレ》 世の中には「総合芸術たる映画」とは違った、作家監督が「自分達の主張を何とかして伝えたい・伝わって欲しい」という側面で作られた作品がある。 同年の「原爆の子(新藤兼人)」は鑑賞済であったが、恥ずかしながらこの作品は最近まで知らなかった。戦後8年経った広島。「原爆について学んでなかった・忘れようとしていた」風潮の中で人々はあの日の悪夢を思い浮かべる。この作品のポイントはやっぱり原爆の惨劇をとことん映し出した前半の群衆シーン、そこに尽きるのだと思う。正直このシーンだけで疲労感は極限に達した。...映画において「イデオロギーを声高に主張する」という方法は作家の押し付けがましさが過度に出がちな感があり、個人的な感想としては「原爆の子」「ゴジラ(’54)」には及ばない。そしてこの点(「ドイツではなく日本に原爆が落とされたのは、日本人が有色人種だからだ」台詞=松竹は「反米的」と判断)が全国上映の扉を閉じ、幻の映画となってしまったのだろう...   以上が初見時の感想(2017年)。 がこの度リマスター化したフィルムを劇場で見る機会があり、私は映画としての良し悪しとは別にこの作品に携わった関係者キャストの想い、特に「絶対に戦争を起こさない+この悲劇を風化させない」という気持ちをなんとか皆様に伝えたく、点を+2にすることにした。被爆者が語る「一番自分が経験した事を身近に感じさせるフィルム」「(実際にエキストラとして映画に参加した被爆者の証言)現実から比べたらとてもじゃないが、あんなものではない、と私たちから言えば思いますけどその体験をした人がどんどん少なくなっている現在だからこそ、何かの形で伝えていく事は絶対に必要な事なのではないかと」(ETV特集×NHK1.5chより)
Nbu2さん [DVD(邦画)] 8点(2019-08-07 13:06:02)(良:2票)
3.《ネタバレ》 【妻投稿】

1953年といえば原爆投下からわずか8年だ。戦後8年の高校のシーンでは被曝者が8割くらいいる設定になっている。それなのに「原爆を鼻にかけている」「原爆に甘えている」という言葉が出てくる場面がある。

この作品はおそらく広島の原爆投下の惨状を初めて描き出した部類に入るだろう。そしてその悲惨な状況を再現する事に物凄い「執念」が感じられる。私はNHKが作ったドキュメンタリーで、広島の橋でやけどに苦しみ死んでいく人々を撮影した写真を、最新の技術と当時その場にいた人の証言で「映像」として再現する番組を見たことがある。「ひろしま」の被曝者の場面とかなり近い。被曝者の記憶も新しい状況でこんな映画を作るのは、逆に難しかったのではないかと思う。

では何故こんな「再現」に拘る映画を作ったのか。そのヒントが前述の映画の冒頭とラストに存在する。ラストの台詞は2010年代どころか当時から「反米的」「思想的」だと言われていたようだ。だが私にはこれは「思想」ではなく、広島を被曝させ人々を虐殺させた戦争への「怒り」の台詞のように見えた。その後群衆が原爆ドームに歩いて行き、犠牲者が起き上がって歩く場面は、「原爆を語ること」「核兵器や戦争を許さないこと」「怒る」は決して思想的に偏っているわけでも甘えているわけでも間違っているわけでもないという事を表現しているのだ。この場面は(骸骨を売ってでも)生き残った(そして1950年代も死の恐怖と戦っている)被曝者の為に作られたものだ。そして被曝者の視点から、日本人に原爆の悲惨さをぶつける為に作られた場面だ。
はち-ご=さん [ビデオ(邦画)] 10点(2017-08-07 02:45:28)(良:2票)
2.《ネタバレ》 原子爆弾によって罹災した広島の惨状を描く大作。原爆が投下された日の惨劇を群像劇で描くのみならず、原爆症や差別、戦災孤児、風化など様々な問題を盛り込んでいる。三十分続く原爆投下直後の被災地の様子や人々の惨状の映像は文句なく素晴らしい。あの日を再現したいという情熱が伝わってくる。熱風で全身火傷を負い、蓬髪弊衣で逃避場所を求めてさまよい歩く異様な人々の群れ。焼け跡に立ち、泣いて母を呼ぶ幼児。建物の下敷きとなり、最後の声を出して助けを求める生徒。下敷きの人を助け出そうとしても果たせず、生きながら炎に焼かれる人。川に逃避したものの、力尽きて流れに呑み込まれる先生と女学生。重傷者でごった返し、うめき声と嬌声の入り乱れる臨時病院の様子。累々と横たわる死体と焼かれる死体。ありとあらゆる阿鼻叫喚の地獄絵が再現されている。場所、建物も、広島城、学校、川、橋、銀行、電車、防火水槽、埠頭、似島とひと通り押えてある。時代を考慮して特撮の拙さには目をつぶろう。子供たちの生硬な台詞回しも置くとして、彼等の体当たりの演技は評価できる。特に、延数万人を動員したという群集場面は圧巻である。ただ有名な、腕の皮膚が剥がれて布のように垂れ下がった様子や体に多数の硝子片の刺さった負傷者の描写が無いのが残念だ。被爆者は差別され、嫌われるので隠れるように暮らしているのはその通りと思うが、戦後八年にして既に記憶の風化が著しいとは思わなかった。「広島の恐ろしさとあの非人道的なことを先ず、広島の人に知ってもらいたい」と生徒が訴えている。1952年までのGHQ統治下では原爆の報道規制が敷かれていたことと、急激な人口流入が原因だろう。問題なのは、製作者側の政治、思想が混入していることだ。原爆を投下した爆撃機の添乗員の手記と、日本人が有色人種だから原爆を落とされたというドイツ人の手記を紹介し、警察予備隊が創設されたからまた戦争が始まるとの危惧を伝え、朝鮮戦争の特需で砲弾を造った軍事産業への批判、戦争遂行を優先して被災者を棄民扱いしたとして軍部批判を行っている。それで大手映画会社の配給を受けられず、幻の映画となってしまった。余計な事は排して、惨事を描くことに特化すれば良かったのだ。何も語らずとも、惨劇は雄弁に語るものだ。最終場面で大勢の死者が起上がり、訴えかけてくる。演出手法としては斬新だが、演技と演出が洗練されていない。
よしのぶさん [DVD(字幕)] 8点(2014-12-11 21:30:44)(良:2票)
1.敗戦から7年。
GHQによる映画検閲の廃止に伴い、原爆被害の言説に関する厳しい規制がようやく解かれ、新藤兼人監督の『原爆の子』と、本作『ひろしま』が製作公開される。

アピールの形式はそれぞれ異なるが、どちらの作品の画面にも表現の自由を束縛されてきた鬱憤を晴らさんとする作家の情熱と、「記録すること」への意思、そして犠牲者への想いとが尋常でない強度で充溢している。

それを支えたのが、当時第二の黄金期を迎えていた日本映画産業の充実したスタッフワークだ。

3分弱のシンボリックなカットで被爆の状況を表現した『原爆の子』に対し、本作で表象された被爆の図は、美術セットも衣装もメイクも、そして芝居も現在に至るまでに作られた原爆映画の中でも最も凄惨で、迫真的で、生々しいものだろう。
それだけに、戦争犯罪者に対する怒りと糾弾は直截的だ。

が、本作が指弾するのは、原爆投下者だけではない。
「何故か」当日空襲警報を出さず、新型爆弾の情報隠蔽を画策した軍上層部の棄民体質。
過去の痛みを忘れ、次なる朝鮮戦争特需へ向かおうとする世。
原爆症に対する無知。

現在からすれば、「8年しか経っていない」1953年だが、当時からすれば記憶の風化に対する危機感、切迫感が相当にあった事が映画の語りからは伺える。

硬直した作劇と台詞が貶しどころではあるが、その愚直さゆえに止むにやまれぬ思いが
伝わるのも確かだ。
原発事故一年後の現代日本とを重ねずにはおれない。

ユーカラさん [ビデオ(邦画)] 8点(2012-05-29 21:31:54)
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【点数情報】

Review人数 11人
平均点数 7.55点
000.00%
100.00%
200.00%
300.00%
400.00%
500.00%
6436.36%
719.09%
8436.36%
900.00%
10218.18%

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