1. 精霊伝説ヒューディー
これに優るSFコミックに出会った事はない(未完だけどな)。 舞台が凄い。端から端まで何光年あるかわからんような、超巨大大陸ですぜ(作中の言葉を信じると数十光年は確実に越える)。どんだけヒューディーが暴れ回っても、あの世界の1エピソードにしかならない。その整理不可能な隈雑さが素晴らしい。 画が凄い。大野安之の画力はデビュー時から輝いていたが、このシリーズではフォルムが崩れてグチャグチャになる所まで行く。そのスタイルが完成したら、今度は他ジャンルの取り込みだ。絵柄を取り込むだけでなく、そのタッチが使われるマンガ世界のバックボーンまで取り込んでしまう。もちろんそんな程度で闇鍋化してしまうようなヤワなストーリーじゃなく、強大な敵(特に女王)が斬新なタッチで画にされる事で、他のキャラのインパクトなんて消し飛んでしまう。ヒューディーは、物語の上でも当然勝たなきゃならんのだが、タッチの強さの面でも敵に打ち勝つべく、様々に工夫が凝らされている。 言ってみれば北斗のラオウに立ち向かうシンプソンズ一家という画に、どうやったら説得力を与えうるのか。そんな、今までの作家がギャグに逃げて来た部分を、真剣に考察しながらペンを進めているのだ。 ネーミングが凄い。日本名を中国語に音訳し、さらに英語読みしたと言う固有名詞群は、他のSFファンタジーにありがちな安易なネーミングがひとつも出て来ない。当然、世界観は中国的なものをアメコミ風にブラッシュアップしたもので、一体どんな文明を元に構想したのかわけわからん状態になる。ネームが持つ力を損なわずに、様々な文献を元にしながらイメージ通りに画へ展開する根性は常人の想像の範疇を越えている。 そんな無茶やってるから未完に終るんだけどな…大野センセ、若いのに混じって萌系の画なんか描いてる場合じゃないっすよ。そろそろ一発、何かぶちかまして欲しいなあ…。 10点(2007-12-09 17:43:57) |
2. 辺境警備
オイラの根っ子のひとつになってる作品だなあ。 これを越えて好きになれるファンタジーは、まだない。 紫堂恭子の全作品に言えるんだが、テーマの軸芯とキャラの複眼的な配置が、物語を豊かにしていくように慎重に設計されている。これに加えてディスカッションの多い展開が、トルストイのようなロシア文芸風の香りを生み、かなり19世紀的な、ノンブルでノンキな物語だ。当然、嫌う人は嫌う(オイラの周囲にも大勢いる)。『グラン・ローヴァ物語』以降の紫堂恭子はシステマチックに物語を構築している事もあって、その設計図が透けて見えるのも難点だろう。 だが、彼女の第一作である『辺境警備』だけは違うのだ。そういう手法を手探りで発見して行く、若い漫画家の熱が、たっぷりと含まれている。 「設計図もなしに宮殿を建て始めたら、なんと見事なモノが完成してしまいました」。 そんな感じ。彼女は、自分の土俵とする近世ファンタジーの分野では、小説・映画・テレビも含めて、向かうところ敵なしの天才なんじゃないかと思う。 10点(2007-11-07 22:47:04) |
3. 気分はもう戦争
《ネタバレ》 なにぶん中国も大変貌を遂げたし、毎日あったり前に戦争のニュースが新聞に乗る時代になったからインパクトは減った。だが今でも一読しておく価値がある作品だろう。あのラストは、当時どんなポリティカル・サスペンスよりもショッキングだった。 あえてネタを書いておくと、この物語は西遊記のキャラクター配置を真似て構想されている。いるんだが、そんなものは明後日にうっちゃられて無茶を承知のバカが展開される。このマンガで勃発する戦争が、容易にイラク戦争に重ねられる点もまた、「国際社会の本質って何も変わってないねー」としみじみ嘆息できるアルヨ。 ウェルメイドに乾いた笑いを共有してくれい。 ネタバレ的余談。 個人的な推理ですが、このマンガの奥付け(スタッフリスト)も「仕掛け」が一枚噛んでると思ってます。なぜなら、3人にスペシャルサンクスが捧げられてるから。ラストでアメリカに渡った大友がコミック誌に描いた「売れる戦争マンガ」こそが、本作の中国パート…と考えると、全体構成が(マンガ業界への皮肉も含めて)ビシッとキマる。 もしかするとこの、交互に語られるギャグとシリアスの物語は、「本物の戦争」の周囲をグルグル回りつつも一向に核心へは近付いていないのかもしれない。原作の矢作がどこまで考えているかは知らないが、情報に踊らされる日本人まで包み込んだ重層的な構造を感じてしまうアル。 10点(2007-11-06 22:00:15) |
4. 風の雀吾
知る限りではマンガ史上最大の奇作。 話がただグレエトなだけなマンガなら他にいくらでもあるが、最終話まで計算しつくして故意に破綻させている、神業のような構成力。1話読むごとに、次の展開がどうなるのか全く想像できなくなる。そして読者はいつのまにか作者チームの手の上に乗り、普通の麻雀マンガから遠く、遠く離れたトンデモナイ世界へつれて行かれるのだ。 絶版して4半世紀近く経つので入手は困難だとは思うが、目にする事があったら一度読んでみて損はない。 あなたの世界観・麻雀観は確実に打撃を受けるだろう。 9点(2007-10-14 00:50:44) |
5. マージナル
萩尾ワールド版『闇の左手』。SFとしての完成度は、アイデア/ディテール/キャラクター共に『スターレッド』を凌駕している(スケールでは負けるが)。そして暗黙の男性上位にあるメインストリームSFの世界に撃ち込まれた、ヘビー級パンチ。 どこに出しても恥ずかしくない、堂々としたバイオテクノロジーSFで…普通やりますかぶぉーいずらぶオンリーの世界創造を…。 そもそもが、コミケ会場で「やおい」の言葉がやっとこさ現れ始めた80年代後半に本作は出版された。多くのジャンルで萩尾望都はいつも先駆者だ(コミケ自体の先駆者と言う話もある)。今なら普通に読めるこの作品も、当時、多くの人間が黙って通り過ぎて行った。萩尾アンテナは10年未来からのタキオン粒子に反応していたのだ。 まあ正直な話、ハードSF部分は女性層に受けると思えないし、メインストーリーは男性読者がドン引き。どう考えても、作者が「自分の読みたいマンガ」を描いたとしか考えられない。そういう手すさびにここまでのパワーを傾けちゃうんですか。後悔しませんか先生。 いっやぁ萩尾作品には永遠に勝てませんわー。 8点(2007-11-12 23:04:25) |
6. わたしは真悟
「叫び」で有名なムンクには、もう一つの代表作「マドンナ」がある。だが、精神病院で療養中に描いたクロッキー連作「アルファとオメガ」が、最も印象深く凄まじい。 絵本と呼んで差し支えない「アルファとオメガ」は全然恐くないので、「叫び」に比べれば最初のインパクトは薄い。だが、世界観全体が狂っているので、常識や理性が邪魔して容易に呑み込む事ができないのだ。自分の狂気に永住地を見つけてしまったムンクの逝きっぷりが、まるで『カリガリ博士』の物語のように読む者を「恐くない不安」に陥れる。ここで、真に恐いのはアルファでもオメガでもなく、ムンク自身なのだ。 さて『わたしは真悟』。ムンクのこの作品を目指したかは知らないが、物語を引き受けるナレーションが相当に恐い。この時期の楳図かずおはグロな恐怖漫画から一歩離れて、もっと凄い恐怖、さらにもっととてつもない恐怖…と自らの心を探求していたんじゃないかと思う(結局、本作の少し後の『左手右手』で原点に戻って来る)。そういう意味では『わたしは真悟』が、楳図マンガの最深部のように思える。もうここまで来るとトラウマになるような恐怖は描かれないが、もっと根深い、自由だった精神をねじまげられて奇怪な形の鋳型に押し込まれるような、「正常な思考って何だろう」みたいな哲学的恐怖が味わえる。 物語自体が直観的で、論理性が排され、電波でお花畑で幼児的で、換言すれば神話に近い。末期の星新一作品も同じような境地に達していたと思っているけど、果てしない試行錯誤/自己探索の末に他の選択肢をなくして自らの狂気(と言って悪ければ自分の内的空間)に安住した星と違い、楳図かずおの方がこの領域へ計画的に、パワフルに到達しただろうと思っている。 この話を語る真悟は、ある一人の人間の表現しがたいギリギリの内奥に、厳戒まで肉薄した姿だと評価する。オイラの中ではムンクと等価です。 8点(2007-11-06 22:38:04)(良:1票) |
7. 童夢
レビューというか思い出話。 バブルもすっかり終わった頃、中野のまんだらけに、当時ホームステイしていたイギリス人の学生を連れて行った事がある。彼は幕末の浮世絵師、月岡芳年に衝撃を受け、浮世絵研究をしたくて日本語学に手を染めたという(なので神保町にも連れて行った)。 浮世絵の製作システムは、現代ではマンガに受け継がれている。絵師と刷り師と版元の関係は、漫画家と印刷工と出版社のそれに置き換わり…とか書くと長いんで省くけど、要は現代にも浮世絵文化は継承されている事を知ってもらいたかった。 所持金二千円。これで日本のマンガ文化を知らしめるために、何をチョイスするべきか? 結局セレクトしたのは、『百億の昼と千億の夜』、そして本作『童夢』だ。ヒトによって選択は異なるだろうが、オイラにとっては今でもこれがベストの回答だったと思っている。 写真、映画と違い、マンガは全てを作者のペンによって創造する。本作が書かれた時代はまだコンピュータも使用できず(少し後で大野安之がMacでの作画を、寺沢武一がン千万円かけたCG専用システムでの作画を始める)、画家のペン先が世界を産む全てだった。 本作は間違いなく旧時代のマンガ製作システム(印刷・出版を含む)における写実の頂点だと信じている。 件のイギリス人からは、その後インターネットが普及した頃にメールをもらった。大学を卒業した後は国連職員になったらしい。数年前に検索してみたら北朝鮮の兵力分析のレポートを出版していた。今やすっかり極東アナリストだ。 いろいろな意味で、時代は変わったんだと実感した。 7点(2009-08-09 10:39:33) |
8. ハジメルド物語
SF界の異才・竹本泉のデビュー作。 同人誌ヤッターペンギン時代にはあの絵柄でクロカワいいマンガを書いていた竹本泉も、なかよしでの初連載ですから無茶はできない…と思ったら原始人マンがですよ。『おはようスパンク』の頃のなかよしで。 お約束の棍棒持った巨漢も登場、恐竜も登場、火山も大噴火。要するにナンチャッテ原始時代ムービー『恐竜100万年』の、竹本解釈ほのぼの版です。マニアックすぎます。当然、単行本が出るのは遅れに遅れ、何度か再版したものの即時絶版という悲しいデビュー作に。 『あおいちゃんパニック!』で(マニア間で)プチブレイクするのは、この後数ヵ月を待たなければならないのであった…。 7点(2007-11-03 09:32:29) |
9. 私立味狩り学園
良質のエンターテインメントというモノは、言ってみれば流れを邪魔しないで、受け手が物語世界へ接触できる空間なり作品である。言い替えると「ツッコミのないボケ」である。そもそもツッコミは受け手の代わりとなって、その世界の独自ルールなりを橋渡しする役目。そんなまだるっこしい手順はない方がいいのだ。「突っ込む必要がないボケ」を実現できるのが良質のエンターテインメントだと言っていいだろう。 料理マンガの世界を見回すと、この「ツッコミ役」が異常に幅を利かせているのがわかる。ブームの発端が『美味しんぼ』だから、仕方のない面はある。あるんだが、あまりに物語の流れが生まれない。知る限りで唯一及第点を出せるのが本作だ。 というより本作にはツッコミ役はいない。山積みの米俵を炎上させて「この熱で釜飯を作れ!」と言われてはサスガにツッコミようがない(『スーパー食いしん坊』なら突っ込みかねないが…)。この全編ボケまくる、読者の立場に立ったジャッジメントが一切ない展開は、平凡なキッチンを軽々と異世界へ飛ばしてくれる。最後のカレー対決など、まさに「命賭ける必要ないんでないの」という無駄にパワフルな展開でブッちぎってくれた。 …もちろんこのマンガ、常識人には失笑を買うんだけどな。 7点(2007-10-20 23:14:40) |