みんなの連続ドラマレビュー |
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《ネタバレ》 2007年のフランク・ダラボン版は密室で自制心を失っていく普通の人達の恐ろしさや、映画史上最恐クラスの鬱エンディングなど素晴らしすぎる作品であり、生涯見てきた映画の中でもトップ5に入るほどの重要作なのですが、そのダラボン版から10年を経て制作された本作にも興味津々でした。
世間的には非常に評判が悪く、シーズン2以降の制作がキャンセルされるほどの不評を買った作品なのですが、私は「どうやってもダラボン版を超えることは不可能」という期待値で見たためか、これが物凄く楽しめました。少なくとも、アメリカドラマの標準作のレベルにはちゃんと達していると思います。 ダラボン版との最大の相違点は、病院組・教会組・ショッピングモール組と舞台が3つに分かれ、多少の移動の自由もできたことから街全体の物語になったことであり、それぞれの舞台で狂気が同時多発的に発生していくことから、特に後半の怒涛の勢いには圧倒されました。ラスト4話は平日夜にも関わらず一気見してしまったほどです。おかげで翌日の仕事は上の空でしたが。 こうした舞台の広がりが最大限に活かされたのが最終話であり、3つの舞台の登場人物達が一堂に会したことによる最高潮の盛り上がりや、それまで閉鎖空間でそれぞれがおかしくなっていたところに、別の舞台の人間がやってきたことで「お前ら、そんなバカなことで揉めてんの」とお互い相手に対しては冷静な視点での批評が発生するという面白さがありました。特に、婆さんのインチキ宗教にハマっていたコナー署長が、舞台を変えて第三者と一緒にこの婆さんの説教を聞くとただの戯言であることに気付き、こんなものに自分は熱狂し、何人も殺した上に、息子まで失ったのかと呆然とする様には、「ほら、みたことか」という歪んだカタルシスがありました。この辺りの展開は、同じく一時期の混乱から冷静な判断能力を失って取り返しのつかないミスを犯した父親という点で、ダラボン版へのオマージュとして解釈しました。 問題点は、まず霧の規則性がよく分からないということ。巨大昆虫という分かりやすい脅威が発生していたダラボン版とは違い、本作の霧には潜在意識を具現化する機能があるようなのですが、苦手な知人や故人といった従前の人間関係に起因する脅威に襲われる者もいれば、虫や大蛇といった単純な脅威に襲われる者もいる。霧に入ってほんの数歩で絶命する者もいれば、霧の中でそこそこの距離を移動しても平気な者や、脅威に打ち勝って脱出できる者もいる。このように描写にムラがあるため、霧に入ることがどれほど危険なことなのかがピンときませんでした。 また、悪い人間は大勢いる一方で、感情移入可能な人間がほぼいないために、特に中盤には見続けることが苦しい回もありました。ヤク中の女なんて身勝手な行動が多くてイライラさせられるのですが、通常のドラマでは、前半で足を引っ張っていた人物が後半で大活躍したり、こういう人物のイレギュラーな行動が大きな転換点を作り出したりするものですが、彼女については一貫してただ邪魔をしているだけの味方。物凄くイライラさせられました。その他、「幼い娘を亡くした母親から自分は相当な恨みを買っている」という重大な認識を持たずにフラフラと勝手な行動を繰り返し、案の定危険にさらされる主人公の娘や、意図を説明せずに強硬策をとるために娘やその彼氏の反発を受けて余計に事態を悪化させる主人公の嫁など、バカな人がバカなことをしでかした結果として物事が進んでいくという、この手の作品でやって欲しくない展開が多いので疲れてしまいました。 あと素朴な疑問なのですが、3つの舞台において物資面でもっとも恵まれているはずのショッピングモールでまず食料が底を突いたのはなぜなんでしょうか。それに付随して、食料が底を突き、このままここに留まっても後先はないことが分かりきっている状態で、主人公一家をモールから追放する、しないでひと悶着している様が理解不能でした。 前述の通り、本作はシリーズ継続がキャンセルされたのですが、まだまだ多くの構想はありますよという状況で終わってしまったことは残念でした。アラも多かったものの、致命傷レベルの問題ではないのでシーズン2以降で軌道修正はできただろうし、できれば続きも観たかったです。 【ザ・チャンバラ】さん [テレビ(吹替)] 7点(2017-11-04 01:02:02)(良:1票)
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