1. ダウト ~偽りの代償~
《ネタバレ》 しばらく自分の脚本で映画を撮っていなかったピーター・ハイアムズが、久しぶりに「監督・脚本」でクレジットされた作品。ついでに撮影監督も兼ねて、3点セットそろい踏み。 どういう風の吹き回しで脚本も書いたのか、しかしこの作品、『カプリコン・1』のハイアムズが帰ってきた!という感じがして、嬉しくなります。ハイアムズ作品は正直、ストーリーだけを見ると『カプリコン・1』はあまりオモシロくは無くって、もしかしてオモシロい映画を撮るためにはストーリーはオモシロくてはダメなのだ、という考えでも持ってるんじゃないか、と思えてくるのですが、今回はちゃんと、オモシロさを意識して脚本が書かれています。少々、やり過ぎで、いくらかスベってる気もしないではないですが・・・ もちろんこれは「映画」ですから、ストーリーが面白いとか何とか言ったところで、それは作品の魅力の一部でしかなく、それを作品の中でどう見せてくれるか、がやっぱり楽しい訳です。今回の作品、法廷モノではあるのですが、にも関わらず、まさかまさかのカーチェイスが登場し、しかもそれをクルマ目線で描いた「車載カメラ」の映像で描いている! 『カプリコン・1』『シカゴ・コネクション~』『プレシディオの男たち』のアレですよ。『ハノーバー・ストリート~』だって、そこに含めてよいと思います。ああ、帰ってきたハイアムズ。 駐車場で自動車に襲われるシーンは、まるで自動車が意志を持ったものであるかのような動きを見せ、これなんかも『カプリコン・1』における、ヘリ同士が会話するかのような動きを思い出したりもします。さらには『ザ・カー』・・・はハイアムズじゃなかったですね。 肝心の結末をどう見せればよいか、映画の作り手側がよくわからなくなってしまっている点も、ちょっと『カプリコン・1』を思い出してしまった。 まあ、今回の作品は、似ても似つかない題材ではあるんですが。 ストーリーがオモシロいとか言いながら、どういうオハナシかはちっとも書けていませんが、それは見てのお楽しみ、すみません。 マイケル・ダグラスのイヤらしさも、ピカイチ。 8点は多分、甘すぎなんだろうけれど、でも。 [インターネット(字幕)] 8点(2025-05-11 18:49:27)★《新規》★ |
2. スイング・ホテル
男2人、女1人でショーをやってた3人組が解散することになるも、三角関係で最後までゴタゴタ続き。やがてひょんなことから男2人は再会、そこに新たに素敵な女性が現れて、またも三角関係が・・・ という、何が面白いのやらサッパリわからない、というよりも、明らかにちっとも面白くないオハナシ、ではあるのですが、それが許されるのがミュージカル。それでも楽しめてしまうのが、ミュージカル。 男2人、というのが、片やビング・クロスビー、片やフレッド・アステア。クロスビーの歌が勝つのか、はたまたアステアのダンスが勝つのか、これぞまさに異種格闘技戦。という程ではないですが(歌とダンスは切り離せないですからね)、しかしとにかく、その両面から楽しませようというのが、この映画。歌をしっかり聞かせる分、そのバランスからか、ここでのアステアのダンスは、あの超人的な狂ったようなものではなく、優雅さを感じさせるものが多いですが、それでも「一人で何とか間を持たせてくれ」と言われて爆竹鳴らしながら踊りまくるシーンは、痛快です。爆竹もしっかりリズムを刻んで、これ、どうやって撮影したんでしょうか。 とってつけたようなハッピーエンドに至るまで、何とも他愛ないですが、楽しい気分が伝わってきて、幸せのおすそ分け、ということで。 [インターネット(字幕)] 7点(2025-05-11 17:23:00)★《新規》★ |
3. サンセット大通り
《ネタバレ》 ハリウッドの売れない脚本家がたまたま足を踏み入れてしまった謎の大邸宅。そこでは、今や人々から忘れ去られてしまったかつての大女優が、過去の妄執にとらわれたまま、執事とともに暮らしており、主人公の脚本家もズルズルとその閉ざされた世界に引きずり込まれてヒモみたいな生活を送るハメとなる、という、サイコスリラー寸前みたいなお話。不気味な要素、多々あり。 いっそ作品をそういう路線に振り切ってもらうのも、歓迎、ではあるのですが、この作品はそこまではいきません。作品をサイコスリラー路線にしてしまうのは、「要するにこの人はサイコな危ない奴なんだ」という線引きをしてしまうことにもなり、ある意味、安心感にも繋がってしまう。主人公と悪役との対立軸、我々と悪役との対立軸、という分かりやすさ。 この作品では、充分に不気味さを醸し出しつつも、そういう路線とは少し距離を置いていて、いや、少しどころか、実は真逆なのかも知れませぬ。不気味さの一方ではシニカルな視点が常に存在していて、そもそも、冒頭で死体として発見された主人公が「自分が殺された顛末」を語る構成となっているのが、なんとも人を喰っています。まるで、「脚本家が脚本を書いている」かのような、分析的な語り口。 まあ、死人が語るなんてあり得ん訳で、ずいぶん嘘くさい話。だけど、その「忘れられたかつての大女優」を、実際にかつての大女優(グロリア・スワンソン)が演じ、それどころか実際のハリウッドの大物(セシル・B・デミル)を本人が演じるなど、ハリウッド関係者が本人役で(しかも、いかにもソレっぽい登場の仕方で)登場するもんだから、話は一筋縄ではいかなくなります。 実際の華やかなハリウッドの現実と、かつての大女優が信じ込んでいる虚構との対比。だけどハリウッドに長年いる人たちの中には彼女のことを覚えている人もいて、全く接点が途切れた訳ではなく、要は、全くの虚構とも言い切れない。ハリウッドではいわば雲の上の人であるセシル・B・デミル、彼に話を繋ぐにも、何人もの人を介してようやく話が繋がる、という、これも皮肉の効いたシーンがありつつ、その彼と(面倒くさがられつつも)一応は話が出来てしまう大女優。彼女はハリウッドの歴史の一部ではあるんだけど、歴史に構っていられないハリウッドは歩みを止めることなく、どんどん先へ進んでしまう。ハリウッドが必要としていたのは、彼女自身ではなく、彼女の所有するクルマ。およそ「撮影に使うクルマ」なんて、いくらでも替えがききそうなもんですが、俳優という職業は、そのクルマよりもさらに替えがきく存在に過ぎなかったのか? さらに、彼女と、彼女を支える執事との関係が、作中の中で明かされてみると、事態はさらに複雑になってきます。「かつての監督」が「かつての女優」を支え、彼女の妄信する虚構を演出していた、という現実。こうなってみると、華やかなるハリウッドも、彼女の閉じられた世界も、たまたま大勢の人が関わり大金が動いているのか、いないのか、の差だけで、本質的には同じ、虚構に過ぎないのではないか。とも思えてきます。 サイコスリラーであれば、彼女は悪として葬り去られるだけであったかもしれないけれど、この作品では、主人公すらも退場してしまった後で、彼女は一世一代の鬼気迫る演技を披露します。それを、周囲の者たちは痛々しく見守るのみ。その姿は、明日は我が身かも知れない。ここにいるのは警察官、ではなくって、警察官役の俳優さんだし、ねえ。 不気味さ、狂気、といったものを描きつつ、どこかシニカルなユーモアも感じさせてこのメタな作品を成立させ、演出の妙も、お見事。その上で、ハリウッドの残酷さ(ハリウッドだけではないだろうけれど)もしっかり、浮き彫りにしてみせます。 [インターネット(字幕)] 8点(2025-05-04 11:21:46) |
4. バリスティック
あまり評判のよろしくない映画、とは言え、私が書く前の段階で平均3.27点だなんて、まさか。。。 とは思っていなくって、まあ、そんなもんだろう、という気もします。問題点はたぶん色々あって、アクションが売りの割に、アクションシーンの演出がときどき妙にギクシャクしてしまう、ってのもあるのですが、それより何より、やはり一般受けするにはちょっと、「説明」が足りないのかな、と。 私はむしろその、あまり「説明」をしない部分が気に入っていて、多少のアラはあってもこの作品を推したくなるんですけどね。 実際、セリフを聞いていても、いよいよ状況説明ゼリフに突入するんだろうか、という寸前で、フイとはぐらかされてしまう。こういうのが、心憎い。説明するくらいなら、爆破する。こういうのが、楽しい。クルマをどうせ横転させるなら、2台同時に。こういのが、最高。 そんでもって、ルーシー・リューがなかなかカッコいいんですね。ちょっと意外、と言っちゃ失礼かもしれませんが。何を考えているかわからない(何も考えていない?)暗殺マシーンのような存在でありながら、例えば、誘拐した子供に食事を運ぶ場面で、檻の中から礼を言う子供に視線を投げかける場面などで、彼女の抱えている過去をかすかに感じさせたりもする。 という訳で、せっかく皆さんが下げた平均点を、申し訳ないけど、、、少しだけ上げちゃいます。 [インターネット(字幕)] 8点(2025-05-03 09:56:00) |
5. コレリ大尉のマンドリン
《ネタバレ》 まず映画開始から南欧の素晴らしい光景が広がって、ニコラス・ケイジはなかなか登場しないのですが、実際、この光景に、ニコラス・ケイジは不要でしょ、と。ペネロペ・クルスがいて、クリスチャン・ベールがいて、いっそこのまま『潮騒』でもやればいいのに。 などと言うのはもちろん本心ではなくって、それでも敢えて、この冒頭に似合わないニコラス・ケイジが登場するからこそ、物語が動き始めるのですが、とにかく、そんなこともふと思っちゃうくらいに素晴らしい光景を見せた時点で、この映画は成功ではないでしょうか・・・ ・・・と言いたかったのだけど。どうもこの作品、いささか表面的、という印象が拭えません。 一種の三角関係が描かれるのですが、どうもその描き方が無難過ぎ、というか。ニコラス・ケイジ演じるコレリ大尉という人は、こんなところまでわざわざマンドリンを担いでやってくる音楽好きで、どうやら、「だからいい人」らしい。んだけど、どういう訳でこの大尉にペネロペ・クルスが惹かれるんだかが、よくわからない。「いい人」には違いないけど、意外性がなく、「平凡」でもある。彼女の視線の描き方があれほど印象的であったのに、こんなに男を見る目が無かったのか。やけに出来レース的な恋愛で、しかも三角関係なんだからそれなりに修羅場になりそうなもんですが、これもやけに無難な描き方にとどまっています。こんな不完全燃焼に終わるのなら、いっそクリスチャン・ベールとペネロペ・クルスは兄妹という設定にでもしておけばよかったんじゃなかろうか。 この平和なギリシャの島も、第2次大戦ではイタリア軍に占領されたり、ドイツ軍に占領されたりしてたんだよ、ということで、知られざる歴史に光を当ててみせるのは、それはそれで大事なことだと思うんですが、詰め込み過ぎて表面的な描き方に終始したのでは、意味がない。この美しい村が戦争で破壊されていってしまう、という描写がキモとなるはずなのですが、そういう衝撃的であるはずのシーンですらあまり衝撃的になりえていないのは、やはり描き方が表面的なのでは。正直なところ、破壊を惜しんだり悲しんだりする気持ちが皆無とは言わないけれど、やっぱり破壊されるシーンがここで入るよなあ、という出来レース的な印象があるのも事実。 さらには戦後の場面で唐突に地震までが描かれるに至っては、これはもう、完全に消化不良を起こしてます。 で、蛇足とも言うべきラスト。もうここまで来ると、逆に面白くなってくる(笑)。 この映画。冒頭は良かったんだけとなあ。 [インターネット(字幕)] 5点(2025-05-01 12:52:36) |
6. フォーエバー・パージ
《ネタバレ》 年に一度の“パージ”の一夜、その12時間だけはどんな悪事をはたらいても罪に問われない、ということなのですが、どの行為が正確に何時何分に行われたのか、アウトなのかセーフなのか、後から確定できる訳もなく、このルールはアカンでしょ、と思ってたら案の定、ルールが形骸化しちゃった、というこの第5作。モラル維持のために導入された劇薬とも言うべきパージ法が、かえってモラルの低下を招き、というかモラルを壊滅させ、パージ信奉者たちが終了時刻を過ぎてもパージを継続。収集がつかなくなったアメリカを後にして、隣国への国境を目指すサバイバルが描かれます。トランプ大統領の訴える「国境の壁」の、裏返し。 もともと、アメリカ社会の分断を描いていたのがこのパージ・シリーズですが、とうとう分断もここに極まって、今回描かれるのは、「危機からの脱出」どころか、「アメリカからの脱出」。もはや、諦めの境地、のような。 社会の分断を、ここまで徹底して二陣営間の対立として描くと、結局は、作品の賛否がそのまま社会の分断に輪をかけるだけ、だったりしないか、ちょっと心配になります。見たいもの、知りたいことだけ受け入れ、それ以外は駄作だとか偏向だとか言って拒絶する今の社会に、この作品は一石を投じることになるのか、それとも分断を批判することで分断を深める、自己撞着に陥るのか? ちなみに、私もこれまで、“駄作”なる言葉を全然使わなかったとは言いませんが、極力、使わないようにしています。ただ、思ったこと感じたことを書きはするけれど、ある映画が駄作かどうかを判断する力が自分にあるとは、思っていないので。 それはともかく。この作品では、パージが終わらない世界が、描かれます。パージの一夜が明けてもそれは本当の夜明けではない、もはや真の夜明けがやってくることのない世界。 昼間が舞台になり、メキシコ国境近くの荒野なども舞台になってくるのが、新趣向。閉塞感みたいなものはちょっと希薄。多彩な登場人物が織りなす逃亡劇、だけではなく、集団抗争劇っぽい内容にもなっています。長回し(あるいは長回し風?)の演出もあったりして、緊迫感も充分。 先住民の長老っぽい人物も出てきたりして、西部劇の世界を逆サイドから描いたような要素も。 結局、アメリカを突き放すように終わってしまいましたが、トランプ政権が復活した今、パージシリーズも、復活するのか、どうか。 [インターネット(字幕)] 7点(2025-04-26 19:14:03) |
7. ノー・セインツ 報復の果て
《ネタバレ》 アクションシーンがただただゴチャゴチャしていて全くうまく撮られておらず、もちろんこれは本当にヘタなのではなくって意識的な演出なのだろうとは思う(思いたい)のですが、でもやっぱりアカンでしょ。これでは。 というこの一点で、いくら減点されてもしょうがないと思う一方、それでもなお、この作品には無視できないもの、心を惹かれるものが、あります。 元殺し屋の主人公が、誘拐された息子を救うために再び暴力の世界に身を投じていく物語。主人公にはイエス・キリストのイメージが重ねられている……と言うにはあまりにやっている事がかけ離れていて、他の人々の原罪を背負って磔刑に臨んだイエスとは逆に、この主人公は行動すべてが凄惨な暴力へと繋がり、罪を作り出してしまう。いわば人類の原罪そのもののような存在。そういう意味では、作品の背景にイエスの存在というものがあったとしても、それを真逆から、裏返しに描いたような主人公像となっています。原題はThere Are No Saints. 聖人などいない。 その息子というのがこれまた、イヤミなほどの美少年で、どうしてまたこんなムサい親父にこんな息子が?などと人を見た目で判断してはイカンのだろうけれど、無垢のイメージが強く感じられます。 息子の行方を追い、助け出すためには手段を選ばない主人公。行く先々で、血の雨が降る。息子を救うためとは言え、本人のこれまでの荒んだ半生が招いた事態でもある訳で、過去の暴力が新たな暴力の連鎖を生み続ける無間地獄のような世界が描かれています。 で、その終着点に待ち受けている、悪の権化のような男。ロン・パールマン演じるこの男は、まるで中村文則氏のいくつかの小説に登場する悪そのものを体現したような怪人物(「掏摸」「王国」の木崎とか、「悪と仮面のルール」の久喜幹彦とか、「教団X」の沢渡とか)を彷彿とさせます。もはやそこには悪意すらない、形而上学的な純粋の悪。その存在がロン・パールマンの姿をもって、我々の眼前に現れる。 クライマックスにおけるこの圧倒的な絶望感たるや、作品に瑕疵はあってもやはり、無視できんなあ、と思うのです。 [インターネット(字幕)] 8点(2025-04-13 08:40:20) |
8. ネゴシエーター
《ネタバレ》 『交渉人』という作品と『ネゴシエーター』という作品があってややこしいけれど、交渉するのが『交渉人』、しないのが『ネゴシエーター』という、とりあえずの覚え方。 とは言え、ごめん、正直、路面電車のアクションがスゴかったよなあ、という点以外は何も印象に残っておらず、久しぶりに改めて見ながら、やっぱり路面電車スゴいなあ、とテンション上がっちゃいました。いったいどれだけ下り坂が続くのやら。 しかしこれは全然記憶に無かったんですけど、こんなに雨のシーンが多い映画だったとは。「雨のシーンを入れる」というひと手間が、見る側としては嬉しかったりもするのですが、こうやってやたらと雨を降らせるのも、何だかよくわからなくなってきます。1998年の『GODZILLA』で雨が降ってたのは、もしかするとCGの都合もあったのかもしれないけれど、雰囲気の面でもそれなりに納得するものがありましたが。。。 雨の暗さでもって、エディ・マーフィの陽気さと対比しようとしたのか、中和しようとしたのか。納得感以前に、そもそもこの主演はエディ・マーフィで良かったんだろうか?とも思えてきます。ここはやはりウェズリー・スナイプス、、、ではちょっとベタ過ぎますかね。いや、エディ・マーフィも今回は「お調子者」ぶりを控えめにして、持ち前の軽妙さは残しつつシリアスな演技にも挑戦しています。チグハグ感は否めないですけどね。でも、まあ、頑張ってます。もともと、アクション俳優としてのキレのよい身のこなしは、持ってますしね。 犯人側が何かとモタついたり(自分だけ刃物を持ち、相手の不意をついておきながらなお、女性を仕留められないって・・・)、相棒がイマイチ魅力なかったり(終盤、隠密行動なのに「今から狙撃します」という目立つ服装をしているのは、ちょっと愛嬌ありますけどね。笑)、キャラの弱さに関してマイナス要素もありますけれども、それが互いにちょうどバランスが取れたのか、中盤の路面電車だけでなくクライマックスの港の対決も、なかなか盛り上がります。 小気味よさに、派手なアクション。悪くないんじゃないでしょうか。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2025-04-06 06:46:36) |
9. インフィニット 無限の記憶
転生、がテーマですね。人類の中に、前世の記憶を持って生まれ変わりを続ける連中がいて、2大勢力同士が戦っている、という。 ところで超常現象ネタとしてこのリインカネーションってヤツが話題になったりするのですが、地球人としての前世記憶はあっても、宇宙人としての前世記憶の持ち主がいなかったとしたら、宇宙人の存在を否定することになるような気もするが、超常現象ビリーバーとしてはOKなんだろうか?(とか言ってると、自称“元”宇宙人がそのうちワンサカ出てきそうな気もするけど)。 それはともかく、転生をくりかえす一族(?)の一人である主人公、演ずるはマーク・ウォールバーグ。この筋肉男、「何やら過去を後悔しているようだけど、実際は中身空っぽで全然後悔なんぞしていないようにも見え、しかしそういう人ほど意外に後悔を抱えてたりするのでは」ってな事を感じさせる雰囲気がありますよね。そうでもない? とにかく、何となくそれに類する感じがするのが、この人の魅力。 そしてもちろん、アクション俳優としてちゃんと「動ける」魅力・・・という点で言うと、この作品ではもう少しガンバって欲しかった気もするけれど、メンタル面で不安を抱えた役どころでもあり、アクション一辺倒という訳でもなく。 日本刀での殺陣あり、カーチェイスあり、飛行機内の無重力チックな格闘あり、SFとしての自由さを活用したごった煮的なアクションが散りばめられた作品にはなっていて、マーク・ウォールバーグ云々よりもむしろ、アントワーン・フークアがこういうのを撮りたかったりするんだなあ、と。 輪廻転生がテーマとして取り上げられているもんで、断片的な記憶、と思しき映像が登場し、それが後々、焦点を結んでいく展開が(それなりに)面白い。正直、ゴチャついた印象もあるのですが、ゴチャついた内容をゴチャつかせて描き切るのも、意欲的と言えば意欲的。意外性もある。 だけど結局、作品全体の印象としてはもう一つ弱く、同じく輪廻を取り上げた『リトル・ブッダ』なんかの余韻を思うと、いくらこちらがSFアクションでアプローチが異なるとは言え、この余韻の無さ、味気なさは、ちょっと奇跡的。。。この作品を「無限に記憶」しておくことは、ちと難しい。 [インターネット(字幕)] 6点(2025-04-05 04:37:24) |
10. マキシマム・ソルジャー
監督:ピーター・ハイアムズに、主演:ジャン=クロード・ヴァン・ダム、という組み合わせ、しかし製作が2013年ですから、その20年くらい前ならテンション上がっただろうけれど(過去に手を組んだのもその頃だけど)、さすがに今さら感も色濃く、これじゃあまるで・・・とまたけしからぬ喩えを書こうとして、気が引けてきたので、やめておきます。他人の事を言える立場でも年齢でもないしなあ、という自覚からの、自主規制。。。 邦題がもう、ヴァン・ダム映画2本組み合わせただけの、「誰か、レンタル屋で間違って借りて下さい」的なタイトルで、自己主張は皆無。しかし、ヴァン・ダムのメジャーな活動はユニバーサル・ソルジャーに始まりマキシマム・リスクに終わったのだ、という隠れ総括がもしもこの邦題に込められているのであれば、実は悪くない邦題なのかも知れませぬ。 という毒にも薬にもならない邦題の話はさておき、映画の中身はというと、いやこれも、実は悪くない、と思いましたよ。さすがハイアムズ、さすがヴァン・ダム、と持ち上げてみたとて、遅いか。まずもって、ヴァン・ダムの変な髪型に意表を突かれ、今回は悪役に回っているということにまた意表を突かれます。舞台は、のどかな森林が広がる、とある島。そこを住み込みで警備しているお兄さんがこの映画の主人公で、他に島に住んでいるのは、気難しい爺さんくらい。そして警備と言っても、仕事と言えば、たまにやってくる若者を注意するくらい。そんな島に、ヴァン・ダム率いる極悪一味がやってくる。冒頭の小型機墜落シーンで、あっと思わせ、一味の狙いがそのシーンに繋がることで、おっと思わせる、上手さ。 かつ、もう一人の登場人物が、この島にやってきます。主人公に逆恨みのような感情を持つ男。この男と主人公との間に緊張感を孕ませつつ、悪党一味との対決が描かれていき、映画の尺はたったの85分で、その攻防の一夜が、物語のメインとなります。 夜を描く、となると、撮影監督ハイアムズの腕の見せ所。と言っても辺鄙な森林が舞台ということもあり、夜が舞台だとおしなべて同じようなシーンになりがちですが、救援を求めるためにあげた炎の照り返しの赤い光などで、画面にアクセントを加えたりして。 ヴァン・ダムの怪人物ぶりもまた、この作品の楽しさ。これぞ、ハイアムズ&ヴァン・ダムのコンビの真骨頂。というより、変に大作を期待せず、こういう小品こそ彼らに任せるべきなのでは、と思えてきます。 [インターネット(字幕)] 8点(2025-03-30 07:46:39) |
11. ハンバーガー・ヒル
《ネタバレ》 1980年代後半、『プラトーン』が社会現象といえる程の話題になってから、ベトナム戦争関連の映画が続々と作られた時期があって、大抵の作品は、監督が誰だとか、主演が誰だとかいった売り文句がある中、これと言って馴染みのある名前が全く出てこない無印の作品だったのが、この『ハンバーガー・ヒル』。 このベトナム戦争映画ブームとでも言えそうな時期の前にも、『地獄の黙示録』はさすがに特殊だとしても、80年代前半には『ランボー』だとか『地獄に七人』だとかいった娯楽映画の中ですでに、かつてベトナムに従軍した兵士の「一人称で語る」ような作品が出てはいたけれど、『プラトーン』を皮切りに、あの経験、あの時の想いを、胸を張って語っていいんだ、語るべきなんだ、という流れができたような。 でももしかしたら、「なんだ、ベトナム戦争の映画だったら、あまり大勢のエキストラ雇わなくっても戦争映画が作れちゃうんだ」という経済的な気づきが、あのブームを支えていたんだったりして。 で、この無印の『ハンバーガー・ヒル』ですが、あまり知られていない若手俳優ばかりで構成された群像劇、ということもあって、まとまった物語と言えるものは無いのですが、ケンカしたり、娼館で騒いだり、戦闘があったり・・・という日々があり、いわば「等身大の兵士」たちが描かれているあたりは、『プラトーン』以上に“オレたちのベトナム戦争”に目を向けた作品、とでも言えましょうか。 母国から見ればほとんど地球の正反対に位置するようなジャングルで泥にまみれた彼ら、時には友軍の誤射で仲間を失うという矛盾にも直面しつつ、その彼らを待ち受けるのは、大勢の兵士が命を落とし肉塊と化していった丘、いわゆる、ハンバーガー・ヒル。 終盤はいつ果てるともない戦闘と、次々に命を落としていく兵士たちが、容赦なく描かれていきます。作品のバランスとしてどうなのか、という意見もあるでしょうけれど、これだけ徹底してこそ、当時の諸作品の中でも異彩を放った作品になりえていると思います。 にしても、音楽がフィリップ・グラスって、、、勘弁してよ(笑)。この人の音楽が映画にマッチする訳もなく。劇中で殆ど使用されていないのが唯一の救い、ですな。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2025-03-23 13:43:50) |
12. 誰かに見られてる
《ネタバレ》 『誰かに見られてる』ってのも妙な邦題ですが、おそらく、メアリ・H・クラークの小説のタイトル「誰かが見ている」をモジって付けたんでしょうなあ。原題が『Someone to Watch Over Me』だから、当たらずとも遠からず・・・だいぶ遠いけど。先日、エンドクレジットを眺めてて初めて知ったのですが、この原題は、ガーシュインの歌曲のタイトルから来ているようで。あと、さらに余談ですが、その昔、日曜洋画劇場で『ニューヨーク25時・少女誘拐/恐怖の地下密室!レイプ殺人が招く二重犯罪』なる映画が放送されていて、これが実はメアリ・H・クラークの「誰かが見ている」の映画化作品であったのだそうな。そりゃ気づかんかったわい(笑)。何となく原作小説よりも面白かった印象もあるのですが、シャワールームの少女を映す無駄なサービスカットがあったりして(大したシーンでは無いけど)、もうテレビ放送とかはできないのかなあ、とか。 余談が過ぎました。さて。 1980年代にリドリー・スコットに対して持っていたイメージというと、「CF出身のスタイリッシュな映像作家」というもので、要は都会的なイメージ。特にブレードランナーあたりの印象が強かったんでしょうなあ。ところが90年代以降を見てると、結局どうやら、そういう監督さんでは無かったらしくって。『デュエリスト/決闘者』の監督であり、『エイリアン』の監督なのであって、「都会的」どころか、時代が現代ではなかったり、そもそも舞台が地球上ですらなかったり。現代が舞台であっても、都会的、というのとは大なり小なり、距離があるような。 そんな彼のフィルモグラフィの中で、この『誰かに見られてる』は珍しく、「都会的」と言ってよい作品だと思います。大都会の中心、ではなく、多少ゴミゴミしてますが、夜の街の雰囲気。リドリー・スコットって本当は、こういう作品をこそ撮りたかったんじゃなかろうか、と思えてくるぐらい、神経を使って作られた作品であるように感じられます。ぶっちゃけ、ストーリーは大してオモシロくないんですけどね、雰囲気が魅力的なのです。 大人の恋愛を絡めたサスペンス。いや、サスペンスを絡めた大人の恋愛映画、なのかな。殺人事件を目撃した女性と、彼女を警護することになった刑事のちょっと不器用なラブロマンス。彼女を付け狙う犯人役は、あの『逃亡者』の「片腕の男」のヒトで、確かに悪そうだし怖そうでもあるのですが、ガンガン襲ってきて大活躍するようなタイプでもないので、どちらかというと主人公である男女をめぐり合わせる方便として存在しているような、やや黒子じみたところがあります。 トム・ベレンジャー演じる刑事には妻と息子がいて、家族仲睦まじく暮らしてきたのですが、この事件に関わるようになり、警護のために夜は家を空ける生活に。さらには、その守るべき対象であるミミ・ロジャースとも何となくいい関係になってしまって、家族との間がギクシャクしてくる。 という設定も映画のための一種の方便であって、この設定のお陰で、ミミ・ロジャースと逢うのはいつも夜。彼女は、夜の雰囲気をまとった女性、なんですね。一方、妻や息子と会うシーンは、主に昼間となる。夜、妻と息子が不安そうにしていても、そこにはトム・ベレンジャーはいない。 女性と夜に逢う、と聞くと、何となく隠微な感じがいたしますが、実際にはあまりそういう印象が無いのは、刑事の不器用さ、ってのもあるのですが、彼女に関わるシーンでバロック音楽やオペラが流される、ということも関係しているようです。これがジャズ全開だったら、一気に2人はいい関係になりそうなところですが、そうはならないし、映画もそういう演出はしない。最初の方で小雨の中をトム・ベレンジャーが機嫌よく(?)歩いていると、流れてくるのはやや場違いとも思える、ヴィヴァルディのグローリア。ただの夜の雰囲気では、無いんですね。こういう音楽の使い方もあって、二人の関係がベタベタした印象にもならず、二人がだんだんいい関係になったとて、共に朝を迎えるシーンが無いから、エロい感じはいたしません。 二人でダンスするシーンは、これはやっぱりジャズですね。二人っきりではないので、ジャズが流れても安心です。いい雰囲気ではありますが、すでに少し、二人の間には距離もある。 で、クライマックス。例の悪人との対決。ですが、浮気相手と妻子が鉢合わせ、なもんで、ある意味、それ以上の修羅場かもしれぬ。男は妻子のもとに行き、女とは視線のみを交わす。このシーンも夜。夜が明けてから改めて別れるシーンとしてもいいのかもしれないけれど、あくまで夜のまま、女は立ち去り、映画も終わる。 うーん。いいじゃないですか。 [インターネット(字幕)] 8点(2025-03-23 08:42:55) |
13. トリプルX
体育会系007映画。ロジャー・ムーア時代の007シリーズとか、MIシリーズとか、あと『ザ・ロック』とかいった作品から、アタマの悪そうな要素をこれでもかとかき集めてきたような作品で、これで面白くならない訳が無い・・・というのは短絡だけど、実際面白いんだから、仕方がない。 こんな映画の主役、いったい誰につとまるのか、と言えば、うーむ、今となってはやっぱりトム・クルーズの専売特許としか思えなくなってしまっているのだけど、この貧乏くじを引いたのがヴィン・ディーゼル。製作総指揮にも名を連ねているんだから、別に貧乏くじではないですね。前年の『ワイルド・スピード』に続いてのロブ・コーエン監督との再タッグ。それにしても、あれからたった一年で、早くもこんなぶっ飛んだ世界観に至るとは。 で、このヴィン・ディーゼル演じる今回の主人公がどうなのかと言えば、えーい、どうなのよ、と思っちゃうんですけどね。ヴィン・ディーゼルは別に演技らしい演技をしなくても、スカしていればそれで良い、と思うのですが、この映画ではおよそ似合わないような感情表現を、それもホンのときたま思い出したように、入れてくる。ちょっと余分だなあ、と思っちゃう。バカ映画のノリで突っ走っていれば、それでいいのに。 しかしもちろん、そんな事で失速するほどヤワな作品では無い訳でして。だいたい、この主人公自体、特に映画の最初の方では、顔よりも、首の後ろに彫られた3つの✕の入れ墨が優先的に映し出される。こういうのを見てると、ふと、「10円玉とか100円玉とかの硬貨は、算用数字で大きく金額が書かれている側が実は裏なのである」というお馴染みのトリビアを思い出したりして、ああ、この人もきっと、首筋の入れ墨の側がオモテで、ヴィン・ディーゼルの顔がついている方がウラ、なんだろうなあ、とか思っちゃう。とにかくこの3つの✕に象徴される、3度の重罪(?)を犯した極悪人。やることなすこと、すべて派手。破天荒。大暴走。まさにスパイにうってつけの人材・・・って、一体スパイを何だと思っているのか? とにかくスパイとしての見込みを買われた彼。3つの✕と呼応するかのように、物語もスカウト1次試験⇒2次試験⇒本番、の3段構成で進みます。その展開の中で、オハナシそっちのけで主人公は大暴れして見せるのですが、特殊効果も少なからず使用されているであろうとは言え、驚きのスタントも多く織り込まれていて、やっぱりこういうのには、度胆を抜かれてしまう。戦場を駆け抜け炎の中を駆け巡るバイクスタントもエゲツ無いけれど、スノボ履いてのスカイダイブから、雪崩とのチェイスまで、どうしてここまで無茶なことをする必要があるのかサッパリわからない超人的アクションの数々。まず、こういうことを映画の中でやろう、と思いつくことがスゴイし、実際に映像化しちゃうのがスゴイ。 そして何より、化学兵器を搭載したミズスマシみたいなオマヌケなマシーンが、風光明媚な趣き溢れる街の中、ヴルタヴァ(モルダウ)川と思しき川面を疾走する、あのオマヌケなシーン。いやこれ、オマヌケ過ぎるでしょ。と言いつつ、そのオマヌケなマシーンが、本気モードで疾走し、それを主人公が本気モードで追跡するのを見ていると、その場違い感ゆえに、感動すら覚えてしまいます。しつこいようですが、オマヌケなんですよ、でも感動的なのです。 [インターネット(字幕)] 9点(2025-03-22 07:17:09) |
14. 追跡者(1998)
『逃亡者(1993年)』でキンブル医師を追いかけてたジェラードさんが、今回は物語の中心、というほど中心と言えるかどうか、しかし演じるトミー・リー・ジョーンズが主演扱いなんだからまあ一応そうなんでしょう、という作品。もっとも、主人公が誰なのかか俳優名のクレジット順で決まる訳ではない、ということは『スーパーマン(1978年)』の例を出すまでもないけれど。 『逃亡者』という作品の成功の立役者であることは間違いない、この「トミー・リー・」ジェラードさんではありますが、一方で、彼で映画をもう一本、ってのがすでに、誰の目にもハズレ企画感が濃厚だったりして、ハードルが高いんだか低いんだかよくわからない作品でもあります。 実際、作品としては、なんとも微妙な位置に着地しております。毒にもならなければクスリにもならず・・・。 今回追いかける相手は、ウェズリー・スナイプス。ハリソン・フォード演じるキンブル医師よりはしっかりしていて、相手としては手ごわそうだけど、と言って『デモリションマン』の時みたいなハジけたキャラではなく、すなわち極悪ではなく、彼の逃亡には何らかの裏がある、という設定。だもんで、イマイチ迫力が無く、どっちかというと『逃亡者』の二番煎じ的。 たぶんそれは製作サイドの意識的なもので、『逃亡者』を彷彿とさせるシーンが織り込まれているのも、そういった表れなんでしょう。バスでの護送は飛行機に置き換えられて、その不時着シーンが大きな見せ場になっています。機内のパニックシーンにミニチュア撮影の細かいショットが挿入され、はたまた実物大と思しき機体のセットも登場したりして、あの線路上の危機一髪のシーンに負けない印象的な仕上がり。それから、スナイプスがビルの屋上に追い詰められて・・・という場面も、『逃亡者』の例のシーンの変奏、と言えましょう。 と、いろいろ頑張ってはいるのですが、どうにも、作品全体としての弱さは否めません。そもそも、ジェラードが単なる人の好いオジサンみたいになっちゃってて、キャラが弱まってしまってるのがイタイ。『逃亡者』を何かと引きずりつつ、キャラが弱まって印象も弱まってしまっては、『逃亡者』の二番煎じ、オマケでしか、なくなってしまいます。 しかし、そこも含めての、製作サイドの狙いなんですかね? 絶妙なハードル設定のオマケ戦略。もしそうなら、このテキトーな邦題もまた、何だか絶妙な気がしてくる。。。 [インターネット(字幕)] 6点(2025-03-09 07:07:51) |
15. 西部に賭ける女
アンソニー・クインとソフィア・ローレンが旅芸人一座で、、、という以外は何だかよくわからんオハナシでして(笑)、何ともとりとめがなく、考えようによっちゃ随分、デタラメ。フェリーニの『道』の西部劇に置き換えて、ジェルソミーナの役をソフィア・ローレンが演じたら、そりゃよくわからん作品にもなろうというもの。 登場人物が皆それぞれ難あり、だもんで、それぞれトラブルを抱えていたりもするけれど(ついでに先住民の襲撃を受けたりもするけれど)、概ね大過は無く、こんなとりとめのないオナハシ、どうやって終わるんだろう、と思ってたら、なーんとなく浮き彫りになってくる三角関係だか四角関係だかが落ち着いたところで、大団円。 しかし、見てて退屈はしません。なーんとなく、惹きつけられてしまう。のは、やはり、ソフィア・ローレンのいかにも小悪魔的な魅力、でしょうか。人によっては大悪魔と言うかもしれませんけれども。 自由で、おおらかで、いいじゃないですか。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2025-03-02 16:48:02) |
16. モータルコンバット(2021)
タイトル前の映画冒頭、およそ日本らしくない「日本の光景」が出てきて、ついでに真田サンも出てきて、ああ、このパターンだと、真田サン出演作と言ったってどうせこのシーンにしか登場しないんだろうなあ、とか思っちゃうのですが、実際にそうなのかどうかは見てのお楽しみ。役名はハサシ・ハンゾウ。もちろん違和感はあるけれど、いちいちツッコまない。ということで、一つよろしく。 一応、この冒頭で、「妻子を守れなかったハンゾウ」ってのが提示されて、それから時は流れて現代。よくわからんがきっとコイツはハンゾウの子孫なんだろう(ハンゾウの子供は何やら怪しい坊主に救出されたので、きっと今でも子孫がいるんだろう)、と思われる男が主人公で、やっぱりコイツにも妻と娘がいる。だから、最終的に、彼が妻子を守る話にはなるのだけど・・・ それにしちゃあ、その要素が随分、薄味。冒頭のハンゾウの家族の描き方が簡潔だったから(雑、とも言う)、現代パートでもバランスをとって簡潔に描いたのか。はたまた、格闘映画一色に染めるために、そういうまどろっこしいファミリー描写は省いたのか。 正直、映画を見終わっても、主人公の妻と娘の顔が思い出せないくらい印象が薄くって(笑)。敵や味方の怪しい格闘家(?)連中のキャラの濃さを前にしては、主人公の家族の存在感など、風前の灯。ストーリー上の要となるべき「家族愛」が、この程度の描かれ方でよいのだろうか? 映画を格闘色で染めきるために削ぎ落した、というのであれば、さて映画の全編が格闘シーンで埋め尽くされているんだろうか、というとこれがそうでもなくって、何やらモタモタとよくわからないやり取りが続きます。あまりスピード感が無い。では映画が退屈なのかというとそうでもないのが不思議。なぜかズルズルと映画に付き合ってしまう。。。 クライマックスはちゃんと、格闘シーンのオンパレードです。敵味方入り乱れ、闘いがこれでもかと繰り広げられます。 ただし、やたら画面が暗い。ただでも細切れで見にくいアクションが、さらに見づらくって。CGの都合で暗くしているのか?と疑いたくもなるけれど、もし、この闇を描くのが主眼なのだとしたら、光があってこそ、闇が生きるのでは。暗いだけでは芸が無い。手から炎を出すキャラがいて、この炎だけが唯一、画面上で目を引きます。 残念ながら、肝心の格闘シーンの、見せ方が今一つ、という印象。。。 結局、格闘大会だか何なんだかよくわからない乱戦となりますが、見ててふと、かつて『バトル・マスター/USAサムライ伝説』というそれはそれは面白い(?)映画があったことを思い出しました。どうせダメダメなんだったら、いっそああいうのをリメイクしてはどうでしょうか。 あと、これは大抵の人がそうかも知れませんが、真田サン繋がりということもあり、『魔界転生』も思い出してしまいます。いつの日か、ハリウッドでリメイクされないですかね~。 [インターネット(字幕)] 5点(2025-02-23 06:33:20) |
17. ボヘミアン・ラプソディ
やっぱりこの作品のヒットには、映画のタイトルの上手さが少なからず貢献しているような気がします。バンド名でもなければ個人名でもなく、楽曲の一つが映画のタイトルに選ばれている。楽曲って云ったって、「フラッシュのテーマ」が映画のタイトルではさすがに弱いですしね(と言うかそもそも劇中でも触れられず、もしかして黒歴史扱いなのか?)。 一種の伝記映画ということもあって、まとまったストーリーが語られるというよりは、バンド結成からの彼らの歩みが飛び飛びの時間軸のエピソードで綴られていく構成。劇中ではいくつかの楽曲が登場し、「ボヘミアン・ラプソディ」は彼らにとって大きな契機になった曲ではあるんだろうけれど、あくまで登場する楽曲の一つに過ぎない。だけど、この曲が映画のタイトルである以上、映画はきっとこの曲へ回帰するんだろう、という期待が持続し、そしてクライマックスとなるライヴエイドのシーンで、それは結実します。 映画に挿入される楽曲シーンそれぞれがスリリングで、まとまった物語など無くても充分に映画に惹きつけられますが、このライヴエイドにおいて、それは最高潮に。 そしてまた、まとまった物語は無くとも、エピソードが積み重ねれていく中、主人公の抱える孤独というものが、しっかりと浮かびあがってきます。功成り名を遂げ、富を得たとて、埋められない周囲とのズレは、容赦なく主人公を孤独に追いやります。一見、彼の同性愛的な部分がその孤独をもたらしているようではありますが、それだけではなく、エキセントリックなスターの持つ宿命、でもあるかのような。 フレディ・マーキュリーの家の壁に金閣寺の護符が貼ってあって、いやこれ、ウチの壁にも貼ってるよなあ、と思いながら見てたんですけどね(笑)。よくこんなのわざわざ撮影のために準備したよなあ、と。 [レーザーディスク(字幕)] 7点(2025-02-02 08:58:25) |
18. 裸の拍車
《ネタバレ》 大自然を背景に描かれる、5人の登場人物。この5人がそれぞれに、油断ならないのです。と言っても、明確な下心を誰かが持っている訳でもないのだけど、どこか、不安定。微妙な人間模様が描かれます。ヒーロー役であろうジェームズ・ステュアートですら、最初は保安官であるかのようなことを言っていたのに、何だか怪しい話になってくる。とりあえず、道中知り合った二人とともにお尋ね者を捉えてみると、彼の娘だか何なんだかよくわからん若い女性ジャネット・リーが一緒にいて、彼女が一番マトモと言えばマトモなんですが、そういう女性が一人、この一行に混ざっているだけで、充分に不穏な空気が漂います。ある意味、このヒトが一番、油断ならないかもしれない。 そんな5人の背景には、彼らの存在など素知らぬ風の大自然が広がっており、急流には轟々たる水の流れが。 途中、先住民との戦いになったりして、こんな風に先住民を惨殺するシーンを割とアッサリ描いちゃうのも、今の目で見ると大丈夫か?と思ったりもするのですが、アッサリ描いているだけかと思うと、さにあらず、彼らが立ち去る前に先住民たちの死屍累々たる様を振り返るシーンを挿入することで、後追いでその残酷さ、ショッキングさを描くとともに、5人の行く手がますます不穏な空気に満たされていくような予感を色濃く感じさせます。 映画の最初の方の落石シーン、撮影用のニセモノの石なのか、それとも本物の石なのか。ニセモノとは思えない重量感を感じさせる石が落ちてきて、いやしかし本物だったらえらく危険な撮影ですが、とにかく凄みがあります。それ以外にも、険しい崖を登るようなシーンも再三あったりして、自然の厳しさってのが、物語の背景に常に存在しております。 この大自然を舞台にした、立体感あるガンファイトがこれまたイイのですが、しかし所詮、人間の存在などこの場においては矮小なものに過ぎず、そういった人間たちのゴタゴタなんぞ、大自然はいともたやすく呑み込んでしまう。 運命。ですね。 [インターネット(字幕)] 9点(2025-01-12 10:27:09) |
19. パッセンジャー57
旅客機が凶悪犯にハイジャックされるも、そこにたまたまハイジャック対策のプロが乗り合わせていて、孤軍奮闘、敵と戦うオハナシ。本来なら『ダイ・ハード』の続編がやってもおかしくないようなネタを、『ダイ・ハード2』が少し変化球で来たもんで、代わりにやってあげましょう、という訳でもないのだろうけど、『エアフォース・ワン』に先駆けて、そんな感じのことをやっている作品です。 で、それらの作品と何が違うのかというと、これはもう見ての通り、安っぽい。尺も短くて、クレジットタイトルの部分を除いた正味で言うと80分あるかないか。しかしこの短さは、侮れません。中には、中身も予算も無くやむを得ず短くなっちゃった作品もあるだろうけれど、曲がりなりにもこの作品は、ハイジャックという大事件を描き、さらには意味も無く飛行機から降りてなおアクションを繰り広げ、さらには主人公の抱えた暗い過去まで描いています(その描写が充分なものかどうかはともかく・・・)。これだけの内容を詰め込んだら、ちょっと油断すると映画の尺は簡単に延びちゃうものであって、それでもここまでコンパクトにまとめ上げたのはやはり、それなりの志が無いとできないことです。 いや、映画が長いとダメだ、というつもりはないんですけどね。短さゆえの物足りなさ、ってものもあったりします、例えばまさにこの映画。だけど一方には、テンポの良さの魅力、ってのもある訳です。まさにこの映画。 テンポがよく、そして物足りない。一種の安心感、ですわな。ホントはもう少しだけ、主人公の暗い過去を丁寧に描いてくれたら、とも思うし、サスペンスの要素ももう少し加えてくれたらとも思うし、ここまで短くする必要もなかろう、とも思うけど。 主演はウェズリー・スナイプス、さすが、動ける男は一味違います。キレのある格闘アクションで敵を斃していきます。しかしここも、やや演出が雑と言うか、もう少しじっくり彼のアクションを見たかったような、、、 と、私も油断するとだんだん本音が出てきて(?)文句が多くなってしまうのですが、いえいえ、やっぱり魅力はテンポの良さ。敵の冷血残忍さを最小限の描写でしっかり印象付けたり、ハイジャックものかと思いきや物語の舞台を機外に移動して、遊園地でのアクションを展開したり。さらにはあの、旅客機に飛び移るべく、飛行機の巨大な車輪に自動車を並走させる素晴らしいスタントシーン。 やっぱり侮れないですよ、これは。物足りないけど。 [インターネット(字幕)] 6点(2025-01-12 09:15:30) |
20. 心の指紋
《ネタバレ》 大赤字で映画会社を潰しかけたり、作品の内容が差別的だと叩かれたり、何かと物議を醸してきたマイケル・チミノ監督。結果的に、長編映画としてはこの作品が最後の監督作品となりました。こんなセンスの感じられない邦題をつけられてしまうくらい(?)、一見、穏当な作品で、もはや物議を醸すこともなく・・・いえいえ、充分、変な作品になってます。さすがです、チミノ監督。 わたしゃ、好きですよ、こういうの。 先住民の血を引く末期がんの少年が、人質にした医師とともに、自らのルーツとも言うべき“聖地”を目指して旅をする。まずこの少年がとても「16歳」には見えないイカツさで違和感ありまくり。医師が彼の元に向かうと、というかそれ以前に病院自体が(病院にしては)暗いように思ったのだけど、その少年のいる部屋へ入ると、そんな診察室があるかよ、というくらい異常に部屋が暗い。不気味過ぎ。 まんまと銃を手にした少年が、医師を脅して自動車で移動を始めると、その道中、この物語と全く関係のない「抗争の現場」があったりして、映画に対する違和感が募るばかり。こういう違和感が、たまらない(笑)。どうしてこういう描写が取り入れられているのか、製作サイドの意図を正確に汲み取ることはできないけれど、私は勝手に、現代アメリカ社会における対立の構図、みたいなものを織り込んでいるんだろうなあ、などと受け止めてます。というのも、その後も少年と医師が店に入るたび、だいたいイケ好かない客や店員がそこにいたりして。バラバラ、雑多な社会。医師の方も健康至上主義みたいなイヤな態度を取り続け、そのバラバラ感に輪をかける。ただし彼のこの態度は、一種の伏線になっている・・・。 少年は先住民の血を引いており、その先住民はこのアメリカ大陸に太古から住み続けていて、このアメリカ大陸というのは、こうやって多くの移民たちがバラバラ雑多な社会を作り上げる前からずーっと、先住民たちが根づく神秘の土地だった。今のアメリカ社会なんて所詮、ごく最近作られたものに過ぎず、都会を離れて車を走らせていくとやがて、峡谷がどこまでも連なる神秘的な「真のアメリカという土地」の景色が見えてくる。わざわざ物語に関係の無い「抗争現場」が映画に挿入されていたが故に、そういう対立とは無縁の、この不動の土地が、より神秘的に、しかし現実感を以て、感じられてきます。 一方で、それに比べりゃ矮小な存在たる人質の医師。少年に振り回され、少年と衝突し、ガソリンスタンドの場面で二人の対立は深刻なものとなるけれど、どんなに脅され、どんなに命の危機を感じようと、その手に嵌められた指輪だけは絶対に少年に渡そうとしない。このシーンを、これでもかという焦燥感をもって映画は描くのですが、この場面にグイグイひきつけられていくに従い、我々も「なぜ医師はあれほど頑なに健康至上主義のような態度をとっているのか」に気づかされます。彼がどれほどまでに、癌という病気を憎んでいるのか、ということに。 アメリカ大陸が長い長い歴史を抱えている一方で、それぞれの矮小な人間たちもまた、それぞれの歴史を抱えている、ということ。 最後に医師がその指輪を少年に渡してしまうのは、ちょっとセンチメンタルに過ぎるようにも感じたのですが、そう感じてしまう自分こそ、「その指輪がかけがえのないもの」だというセンチな気持ちにとらわれているのかも知れませぬ。やっぱりここは、断捨離、なんでしょうか。どうも馴染めぬ言葉だなあ。という、自分の弱さ。 少年は大地と一体化し、医師はそれは叶わないながらも精一杯、大地を駆け巡り転がりまわる。なんか、いいじゃないですか。 [インターネット(字幕)] 8点(2024-12-21 09:33:32) |