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プロフィール
コメント数 1332
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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1.  太陽の法 エル・カンターレへの道 《ネタバレ》 
最近少し仏教関係の映画を見た流れでこれも見た。数十年間存在を知っていただけの新宗教だが、具体的に何を言っていたのか今回初めて聞いた。 世界観としては、この映画を見た限りではある程度の科学知識を前提に、既成宗教や各界著名人やオカルトも取り込んだ宇宙統一理論のようなものを作ろうとしたかに見える。壮大な宇宙の成り立ちから始めておいて、最後は現代日本の個々人にまでちゃんと話をつないでいた。 また信仰という面では、この映画を見た限りではわりと穏健なことを言っていたようである(一部論議を呼びそうだが)。ところどころでなかなかいい話と思わせるものもあり、ムー帝国の指導者が太陽について述べた場面などは少し感動した。  信者以外にとっては突っ込みどころも多いだろうが個人的に一つ思ったのは、大昔に地球へ移住者をよこしたという①「マゼラン星雲」、②「オリオン星座」、③「ペガサス」(ペガスス座?)に関して、①は大マゼラン雲か小マゼラン雲だとすれば実体のある天体だが、②③は星座の名前なので地球から見た場合の方向でしかなく、①と並列に名前を出すのは違和感がある。これが例えば地表から天球を眺めた感覚で①〜③を並べたとすると、宇宙空間を三次元でなく二次元的に捉えていたことになり、いわば天動説的な宇宙観ともいえる。こういうところは昭和のTVアニメ並みの発想かと思ったが、ただし映像の方では一応宇宙が三次元的に表現されていた。その他、elとかlaは定冠詞でないのかというのも気になったがあまり細かいことを言っても仕方ない。 評価は人によるだろうが、個人的には特にけなす理由もない(そもそも関わりがない)ので、ここは普通にSFファンタジーか何かを見たという想定で、昔のアニメ大作「地球へ・・・」(1980)と同じくらいの点数にしておく。これ以外を見る予定はない。
[インターネット(邦画)] 3点(2025-06-21 20:29:43)《新規》
2.  親鸞 白い道 《ネタバレ》 
明らかに初心者向けでない。当初はひたすらわけがわからないのでこんなのに付き合っていられない気もしたが、そのうち一般に知られた人物名も出てきて伝記との対照ができるようになる。 最初に京都での弾圧をイラストなどで見せた後、新潟県(頸城〜蒲原)→群馬県→茨城県下妻市小島?→同県笠間市稲田と移動し、栃木県真岡市高田に寺ができたところで終わりになる。回想場面では弾圧時の斬首風景のほか、法然上人への入門に先立ち京都六角堂に参籠した場面らしきもの???があった。かなり荒唐無稽な展開になっているところがある。  題名の「白い道」とは浄土教でいう「二河白道」のたとえの中にある、現世から浄土に向かう道に由来すると思われる。それだと真宗だけでなく、同じ浄土門の浄土宗・時宗などにも共通ということになるが、この映画での意味は主人公が言った「我が命を尽くすことのできる道」のことらしい。その道に立つのが「往生」であり、そこから新しい生き方が始まる(=終幕場面)とのことだった。観念的で、屁のようなものだとその辺の男に言われたのも仕方ないが、考え方感じ方は人それぞれなので当人が納得できるかが大事とはいえる。 なお主人公は来世を否定していたようで、専門用語風にいえば現生正定聚→命終往生ではなく現世往生を説いていたらしい。死後の世界に関知しないということで近代的解釈ではある。  社会的な面では、いわゆる反差別の立場から被差別者を登場させていたと思われる。うち全編を通じた重要人物の「犬神人」が終盤で問いかけた内容は、この時点の主人公にも答えが出せない問題だったようで、これを現代社会(または真宗教団?)に改めて問わねば済まないという趣旨の映画だったかも知れない。なお劇中なぜか唐突に「아이고」と叫ぶ人物が出ていたのは差別と関係あるか不明だった。 また反権力ということでは、世の中が権力者の欲と争いで動かされているという基本認識はいいとして、地方権力者が権謀術数の道具として念仏衆を利用したからこそ、真宗が関東で影響力を拡大できたように見えたのは皮肉に思われる。特に「真仏」という人物が、自ら権力者の手先になった結果として高田の寺を預かったという展開は、見る人によっては(高田派など)反発を覚えるのではと思った。 これを嫌った主人公が最後に一人で去ったのは「沙弥教信」(実在の人物)の例に倣ったようで、ここまで名前はずっと「善信」だったが、この後が本当の「親鸞」だという意味かも知れない。しかしここで本当にいなくなったとすると、まるで立派な寺を建てた地方権力者が現在の真宗教団の基を作ったように見えてしまうがそれでいいのか。あるいは実際に、現在の大教団の存在をこの映画が否定的に捉えていたのなら、かなり皮肉な映画を作ったものだということになる。ただしこの映画は「西本願寺・東本願寺」も後援していたのでどうなのかはわからない。  見る前は、どうせ作った本人のこだわりばかりで変な映画だろうと思っていたら結果的にはそれほどでもなかったが、しかし個人的にはどうせ葬式仏教徒なので関係ない。ちなみに脚本には微妙に裏日本への差別感情が見えた(暗い・寒い・ツツガムシ)。この映画自体が差別者だ。
[DVD(邦画)] 5点(2025-06-21 20:29:42)《新規》
3.  日蓮 《ネタバレ》 
「日蓮と蒙古大襲来」(1958)と同じ製作者による二度目の映画化である。前作と同じく安房での立教開宗から始まるが、ところどころに子役の出る過去の回想場面を入れ、最後は入寂までを扱うことで題名の人物の全生涯を紹介している。 前作のような大スペクタクルでもなくドラマが中心で、より一般向けらしく言動の過激さや、この人物に必須の奇跡・予言も控え目のようだった(ただし龍ノ口は派手)。超人でもなく一人の人間として戦った宗教者を表現しようとしたかも知れない。 また特徴的と思われたのは、いわば初恋の人(松坂慶子)が登場していたことで、これは原作がそうなっているらしい。役者の実年齢と無関係に少しお姉さんの立場だったようで、信徒らの受難で心が折れそうになった主人公をきつく励ましていた。  ところで全体構成を勝手に考えると次のように見える。 【一 希望】 立宗後、鎌倉での辻説法を中心に弟子や信徒を増やしていく。法華経の教えの何が人々を引き付けたのかこの映画でもわからなかったが、主人公は前作よりも人間味があり、普通に人格者であって好感が持たれた。微妙に可笑しい場面もある(丹波哲郎とサル)。 【二 逆境】 鎌倉政権への働きかけを開始したことで、各種の法難や流罪といった苦難が続く。その間には普通に幸せな場面もあった(池上季実子)が次第に殺伐とした雰囲気になり、主人公に共感できる場面もなくなっていく。 【三 晩年】 政治から離れて甲斐の身延山へ入ったが、文永・弘安の役は主人公の助力がなくとも日本が勝った(当然だ)。その後に信徒の受難に慟哭し逆上する場面があったが、個人的には全く共感できずに突き放した気分だった。 最後の場面(武蔵国池上)では後にいう「六老僧」に対し、日本中に法華経を広めるという夢の実現を託していた。しかし現代でも果たされていないその夢の実現は、この映画を見た全国の信徒に委ねられているという終幕だったと思われる。 前作のような愛国ヒーロー物語でもなくまともな宗教映画(宗教者の映画)だったようだが、やはり部外者にはついていきにくいところがある。途中まではなかなか面白いと思っていたが最終的には残念感があった。  その他雑事: ・天変地異の場面で、地震による山崩れや地割れは日本が沈没するかのような超迫力(誇大表現)だった。また凶兆たる彗星を人々が見ている場面があったが、「吾妻鏡」には実際に彗星が出たとの記事があるらしい。時期的にこの映画と合わないがハレー彗星も記録されているそうである(1222年)。 ・終盤の熱原法難の際、為政者を批判しているはずがまるで日本全部を呪詛しているかに見えたのは「保育園落ちた日本死ね」(2016年)に似ている。ここは主人公本人が悪鬼と化した印象だったがこんな演出でよかったのか。 ・佐渡でも撮影があったようで佐渡っぽい島影が見えていたが、有名な「波題目」は出なかった。現地では「梨ノ木地蔵」が映っていたようだが、こういう場での刃傷沙汰は(映画ロケで騒ぐのも)よろしくない。
[DVD(邦画)] 5点(2025-06-21 20:29:41)《新規》
4.  続 親鸞 《ネタバレ》 
吉川英治の小説を原作にした映画の続編である。最初に6分程度の「前篇解説」があるので、正・続というより全体を二分した前後編のうちの後編という扱いになる。今回は原作のうち「大盗篇」「恋愛篇」「同車篇」に相当する。 この後編では、恋心に悩む主人公がやっと法然上人に師事し、その教えのもとで僧侶として妻を持つことになる。そこまでで終わりなので、現代的にいえば自由恋愛を称揚する青春賛歌ではあるかも知れない。 しかしラストが変に宗教っぽい雰囲気で終わるので素直に喜べない。夫婦二人の朝食を前に主人公が面倒くさい話を始めたりするので、いいから早く飯を食えと言いたくなった。  また原作との関連ではどうも半端に終わった感がある。仮にこの後編も前編程度の長さだったとすれば、その後の念仏門への弾圧で主人公が流罪にされるところまでを扱うことで、これを機に広く地方へも布教しようという、主人公の生涯に関わる新しい希望を持たせることもできたはずである。ちなみに弾圧のきっかけを作った人物の名前(松虫、鈴虫)が、一部のキャスト情報には載っているが完成作には登場しないといったこともあり、実際そのような予定だったが短縮したかと思わせる。 また特にこのタイミングで切ったため、その後に大盗賊が改心する場面がなくなってしまい、いわゆる悪人正機の具体例を表現した場面が失われている。テーマを結婚に絞った形だが原作の映画化としては不足感があり、またそれならそもそも二部作にする必要もなかったのではと思った。長編小説の映画化は難しいということか。  以下個別事項: ・法然上人が口調と顔で圧倒的な説得力を出しているのはさすがと思った。ほかにも今でいう浄土宗の関係者が何人か出ている。なお「熊谷蓮生房」は平家物語でも知られた有名人である。 ・通報で駆けつけた六波羅の騎馬武者が速かった。ここは今でいえばジェット戦闘機が轟音とともに飛来したかのような印象だった。 ・最初から出ていた山伏は原作では最後に改心するので、途中で終わると出て来た意味がなかったことになるわけだが、実は三部作くらいで原作の最後までカバーする壮大な構想だったかと思ったりもした。そこまでやれば有名な河和田の唯円房も出て来る。 ・前編で大盗賊に誘拐された人物がその後に遊女になっていたのは、原作と違うが流れとしては自然であり、また前編序盤に出ていた遊女町との対比をなしている。この場面は、現代であれば社会悪の被害者を懐柔洗脳して問題が表面化しないようにしていると批判されかねないが、自分はそういうことは言わない。ラストではちゃんと元彼と一緒に念仏していた。
[インターネット(邦画)] 5点(2025-06-14 21:31:55)
5.  親鸞 《ネタバレ》 
吉川英治の同名小説を原作にした映画で、同年の「続 親鸞」と合わせて前後編になっている。宗教がらみの映画だが真面目に見た。 原作全部を映画化したわけではなく、この映画では原作全体のうち「去来篇」と「女人篇」だけを扱っている。幼少時に比叡山に入った主人公が初めて山を下り、社会の実相に心痛めるとともに初めて女色に惑わされる話になっている。なお主人公が最初から「親鸞」と呼ばれているのは明らかに変だが映画なので仕方ない。  物語としては原作に沿った形で展開し、変えた点もあるがそれほど違和感はない。 この映画で感心したのは、主人公が極めて純粋で真正直な奴だったことである。その人格のまま妥協も逃げもせず、真正面から考えて悩んで突き詰めていった結果として一宗を興したというなら納得できなくもない。 また「最も苦しみ戦うのは女色を禁ずるの戒め」とのことで、まずはそこを何とかするのが若い主人公にとってのテーマになるが、それにしても純情な男女の様子には笑わされた。プレゼントの礼を言われた姫が恥ずかしがって隠れたとか、宮中でも臆することなく冷静で怜悧な主人公が、好きな女性のことになると理性を失って逃げ出すなども微笑ましい。恋慕の情という最大最強の悪魔が襲来して仏壇に縋ったところで、怪獣が出そうな音楽が流れたのは笑った(音楽:伊福部昭)。 原作の主人公はあまりに貴族的で秀才でご立派すぎて正直好きになれなかったが、この映画では若い頃の話ということもあって結構好感の持てる人物像だった。  以下個別事項: ・京都市左京区に「雲母坂」という場所があることを知った。ストリートビューで「親鸞聖人御旧跡」の石柱が見える。 ・映像面では、目隠しをした主人公が暗中で姫の姿だけを見た場面が印象的だった。背景で歌われていたのは鬼ごっこ用の歌ということだと思われる。 ・御所の歌会始で詠まれた歌が市中の流行り歌になっているというのは面白い。この場面は、主人公が後に布教のための田植え歌を作った話につながるのかも知れない(この映画には出ない)。 ・大盗賊の一党は悪人ではあるが簡単に人を殺すことはなかったようで、諸外国と違ってさすが日の本は仏法の国だと思わせる。 ・婆様が蛇に噛まれたのは映画独自の場面である。慕えば慕うほど仏が遠のいていく、という台詞は切実な感じを出していた。現代に人々を救う仏はあるのかと思うが、今では阿弥陀仏など大衆向けに作られた架空のキャラクターだという説もあり、そもそも何に救われるのかがわからなくなっている。
[インターネット(邦画)] 6点(2025-06-14 21:31:54)
6.  日蓮と蒙古大襲来 《ネタバレ》 
題名の人物の生涯のうち、安房での立教開宗から元寇までを扱っている。冒頭説明には「歴史の事実から飛躍して自由に創作した」とあったが、実際はよく知られたエピソードを抜粋した感じになっていて、この人物の伝記としてはそれほど荒唐無稽でもないと思われる。主に元寇の部分で、主人公がわざわざ博多まで出向いていったこと、及び神風を吹かせたのが主人公だったことが飛躍+自由な創作ということかも知れない。 なお仏教映画なら白黒でもいいだろうと思うがカラー映画で、鎌倉武士の衣服や敵味方入り乱れる合戦場面がカラフルに見えた。鎌倉幕府の宏壮な御所も目を引いた。  主人公は個人的に馴染みがない人物だが、最初からやたら自信満々なのは引いてしまうものがある。親にも似ていない。 法華経の教えの何が人々を引き付けたのかこの映画ではわからなかったが、奇跡や予言でこの人物は本物だと思われたということはあるらしい。信者の病気が治るなど現世利益も期待されていたようだが、一方で主人公に仇なす人物が次々死んでいくのはやりすぎかと思った(これが常識なのか)。やたら災難が降りかかるのは、世俗的にいえば主に本人の言動のためだろうが、迫害されること自体が「法華経の行者」であることの証明というのはなかなかうまい説明だと思った。 歴史的な面では北条得宗家の専制体制が固まるとともに、得宗家の御内人が権勢を誇る様子が描写されている。また元寇では、元・高麗連合軍(むくりこくり)の非道の描写は控え目で、人の手に穴を開ける場面もなかったが、戦いになればちゃんと「てつはう」が爆発し、敵船団壊滅の場面もなかなかの大迫力だった。有名な竹崎季長がどこに出ていたかわからなかったが、戦にかける鎌倉武士の心意気は少し見えていた。 宗教関係の映画として見た場合、無関係者の立場としては共感できたともいえないが、要は冒頭の言葉に出ていた「熱烈な愛国の先覚者」による国防映画だったとすればわからなくはない。個人的には「日本海大海戦」(1969)を思い出したが、製作時期や名前の感じからすると(見たことはないが)「明治天皇と日露大戦争」(1957)のようなものかと思った。  以下は感動した台詞: ・比企大学(若侍の父)「他宗の一切を罵倒し、一天四海みな妙法に帰すべしとまで極言すれば、政事を司るわれらとしては、軽々にこれに賛同するわけにはいかん」…現代の一般論として、特定の主義主張により他者を罵倒し従えと迫るのでは社会の分断を生む恐れがあり、民主主義国の主権者としても賛同できない。 ・主人公「この大難に当たるには、およそ日本人(にっぽんじん)たるもの、一人残らず心を一にして、国を守らねばならん」…戦後でも、まだこんな台詞をあからさまに言える雰囲気があったらしいのが感動的だった。安全保障ではみなが一致できないと困る。
[インターネット(邦画)] 6点(2025-06-14 21:31:53)
7.  うらぼんえ 《ネタバレ》 
芸能プロダクション「テロワール」が主催する「短編映画ワークショップ」で制作された映画である。他の短編も見たことがあるので見覚えのある役者が出ている。 題名は盆行事のことなので、物語としても死者と生者の関わりを扱っている。日本古来の祖霊信仰とは直接関係ないようだが、とりあえず死者も生者も安心できる結末だったらしい。終盤の逆転は驚くほどのものではないが悪くない。 素材からするとジャンルはホラーになるだろうが、実際それほど怖がらせる気はないらしい。当初からかすかな不穏さがあって「ちょっと怖いですよね」という台詞もあるが、全体としては微妙にユーモラスで若干の不思議感のある映画ができている。 ほか主人公が絵画教室の講師ということで、映像中の水彩画の色彩感が特徴的だった。また人物関係では序盤で「あさちゃん」の挙動が少し面白いので目を引いた。その他いろいろ考えて作ったところもあるようで、なかなか見ごたえのある佳作と思った。  以下ネタバレ: ・絵画教室の人々は、人気画家(加藤休ミ)のTシャツを着ているとかドローンを駆使するなど現世の動向をちゃんと追っている。けっこう楽しくやっていたようだが最後は主人公と一緒に行ったと思われる。 ・「ムカサリ絵馬」が物語にどう関係するかは少し考えさせられた。主人公の絵は単純に現実を描いただけで本来の意味からすると裏返しだが、「あさちゃん」の絵が自分と主人公を描いたとすれば死者同士ということにはなる。役者の年齢で20歳以上離れているので年の差婚かと思ったが、魂であれば見た目の年齢差などは関係なく、純粋な心の問題になるのかも知れない。 ・主人公の母親は他の人々と境遇が違っていたらしい。例えばよく言うように自害した人物は成仏できないとかいう事情があって、全部わかっていながら現世にとどまっていたということか。息子をいつまでも自分のもとに置きたい思いはあっただろうが、最後は嫁に息子を取られた形になったようで、全体的にはハッピーエンドでもこの人だけは寂しい結末だったかも知れない。
[インターネット(邦画)] 6点(2025-05-17 20:58:23)
8.  I Just Wanted to See You ~誰かに見られている気がする~ 《ネタバレ》 
世評としては主人公が荷物を置いたまま去ったことが話題になっていたようだが、個人的には上戸彩の父親が犬というCMを思い出す映画だった。脚本・監督は日本で活動するイギリス人だそうである。 まず題名のうち日本語の副題のような部分は変だ。曖昧な「誰か」ではなく特定の不審者であり、また「気がする」どころか明らかにつきまとわれている。話しかけたりせず逃げて警察に通報するのが適切だ。 【1】また内容的には結局何が言いたいのかわからない。監督インタビューに書いてあることがテーマとすると主人公の心の問題ということになるが、しかし主人公本人がこれまで何を思って生きてきたのか想像させる描写は特になく、今回の行動も単に本人の直情的な性格(または映画的な作為)によるものでしかないようで、見る側として共感するところが全くない。短い映画なら短いなりにちゃんと中身を詰めておかないとスカスカの印象になるという例かと思った。  【2】それとは別に、そもそも不審者がかつて日本を去った理由が不自然である。手紙の文章は多少変な日本語ではあるが、この程度書けるなら「美幸」くらいは問題なく書けるだろうと思うと、日本人としては男に対する不信感しか生じない。要はいい加減な理由をつけて一度は逃げたが、今回また来て嘘くさい演出で母子を欺こうとしているのではないかと思わされる。 実際の経過がどうだったのかを適当に考えると、例えば外国人は日本で女性に不自由しないとの噂(むかし言われた「イエローキャブ」)を聞いた男が英語講師とかの名目で来日し、避妊の配慮もなくやりまくったため子ができてしまい、それで一時は父親気分になったが結局逃げたということではないか。母親役の実年齢からすると、17年前は20歳になるかならないかだろうから恨みも深いと思われる。 今回また来た理由に関しては、題名の英語部分を信じるなら単純に会いたかったからということになるが、実は自国で行き詰ったか何かの事情があって、改めて母子を食い物にするため来日したとも考えられる。よくいえば、そういう不埒な目的で来る外国人を戒める映画と取れなくもないが、悪くいえば、日本人はこの程度で簡単に騙せる連中という表現のようでもある。 もしかすると日本人を相当舐めてかかった映画でないのかと思ったが、しかし点数は一応良心的に、上記【1】を想定した数字にしておく。
[インターネット(邦画)] 2点(2025-05-17 20:58:22)
9.  編集霊 deleted 《ネタバレ》 
映画の編集作業に焦点を当てた業界ホラーで、「女優霊」(1995)以来の制作現場モノということらしい。ちなみに「録音霊」(2001)というのもあったが音楽業界の話だった。関係ないが「劇場霊」(2015)は演劇である。 登場人物は編集助手、アシスタントプロデューサー、俳優2人の若手が中心で、その他スタッフに編集霊本人も含めた全員が映画関係者だった。どの程度リアルか不明だがお仕事映画の雰囲気があり、「順撮り」「バレモノ」といった業界用語も紹介している。まめに差し入れするのも業界文化の一端か。さすがに枕営業の話はなかったらしい。  ホラーとしてはそれほど怖くないが特殊メイクや造形物の気色悪さはあり、また突然の音で笑わせる場面が多い。 題名の編集霊は、編集時に特定場面を削除した者(指示した者)の顔を削いでいたので編集霊というより削除霊かと思った。ビジュアルとして公開されている能面のような顔は実は表層で、その下に本当の顔があるということになっている。面が剥げるのと顔を削ぐのは相似関係のようだがちょっと意味不明で、これは何か本人のこだわりがあったと思われる。 また映画の台詞を言ったら消えたというのもちょっと意味不明だが、これは長い台詞を覚えて最後まで言うと助かるという意味か? 都市伝説によくある対抗手段として使えるものかも知れないが(口裂け女でいうポマードなど)覚えるのが大変そうではある。とりあえず編集助手の人が無事でよかった。  物語的には、前向きに仕事している若い連中にはなるべく死んでもらいたくないと思っていたが、結果的には一番軽薄そうな1人がやられてしまっていた。編集霊の望みが劇場公開だけなら観客に被害が及ぶとも限らないが、しかし現実問題として4人も死ねば公開困難であり、以後も関係者が死に続けることが考えられる。公開を安請け合いした男はどこまで生きていられるかわからないが、とりあえず編集助手の人が無事ならいいことにする。 全体的にちょっと意味不明な点もあるが、個人的には本来こういう気楽なホラーが好みなので悪い点数はつけられない(劇中映画も多分似たようなもの)。なお序盤の台詞で「レンタルDVDほぼ壊滅」で「配信」などに頼ると言っていたのは現在の実態のようで、確かに自分も映画を見るのはほとんど配信になっている。地元の映画館を応援しなければと思うがなかなか行けない。
[インターネット(邦画)] 6点(2025-05-03 23:00:39)
10.  黄龍の村 《ネタバレ》 
登場人物が変に多いと思ったが初めからグループ分けはできている。村に来た連中は明らかにテンションの違う2組に分かれていたが、迎えた側でも1人だけ胸の谷間を見せないことで微妙な差をつけていた。 後半の戦いではあえて格闘戦のアクションにこだわったようで、こういうのを作りたい監督だったらしいと想像させる。全体的には展開の意外さが面白いだけのようでもあるが、さっさと死ねと思わせる連中が全部死滅したのは悪くなかった。 なお撮影場所は埼玉県秩父郡小鹿野町のあたりだったらしい。橋を渡って山道を行く隔絶山村のように見せておきながら、普通に舗装道路が通っていて「通学路につき最徐行」という看板が出ていたのがとぼけた感じだった(わざとか)。  その他雑事: ・監督インタビュー記事を読むと、日本にある謎の慣習をぶち壊したかった、というようなことが書かれていて、それが一応のテーマということになるらしい。しかし理不尽な因襲を憎む者は現代だけでなくいつの時代にもいたわけなので、自分らより上の年代層を見境なく害悪と捉えて敵に回さない方が無難と思うが、若者受けだけ狙った映画とすればそんなことはどうでもいいのか。ちなみに最近は「老害」だけでなく「若害」という言葉もできているようで、年代層による社会の分断が進んでいるらしい。 ・題名は結局意味不明だったが、監督によれば無意味であるから深読みするなとのことで、そこに突っ込んではならないことになっているようだった。突っ込めば突っ込めるが書かない。 ・ちゃんと血抜きをしていたのは少し感心した。そういう風習なのか。
[インターネット(邦画)] 3点(2025-05-03 23:00:37)
11.  怪獣の日 《ネタバレ》 
YouTubeにもあるがU-NEXTで見た。世間ではシン・ゴジラとの関係で受け取られているようだが、単純に怪獣映画として見た場合に問題なのは、劇中政府にとって保管施設の建設に何の得があるのか不明なことである。また主人公が、怪獣であるからにはどういう危険があるかわからない、という点にひたすらこだわっていたのもあまり説得力がない。 しかし見ている側が頭の中で、怪獣→原発と完全に読み替えれば言いたいことはよくわかるので、要は怪獣映画の形を借りた社会批判の映画という方が実態に合っている。製作時点ではまだ2011年の原発事故が記憶に新しかっただろうから、こういう映画を作るのはけっこう度胸が必要だったのではないか。  この映画では「原発」を「怪獣」の姿にした上で、地方に突然降ってきた原発立地の話を海洋生物の漂着(ストランディングstranding)に喩えている。悪くないと思ったのは地元民の描写であって、突然国から押し付けられたことへの対応をめぐり、立場や考えは違ってもみなそれなりに地域社会のことを考えていたが、住民が何を言っても考えても結局は落ちるところに落ちるしかないという無力感も出していた。町長も気の毒な立場だったように見える。 また「建屋」という言葉が原発事故の報道でよく出ていたこともあり、個人的には単純に原発の新設を扱った話なのかと思っていたが、しかしU-NEXTの映画紹介を見て、なるほど高レベル放射性廃棄物の処分地選定でも今後こういうことがありうるわけだと気づかされた。候補地の皆さんは心してこの映画を見た方がいい(「100,000年後の安全」(2009)も見た方がいい)。 なお2025年の現在でいえば、地域環境への影響が懸念される大規模な再エネ発電施設(洋上風力含む)も同様ということになる。グローバルな社会正義が武器にされるのは困ったものだ。  [付記1]動物の死体は「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」第6条の2第1項の規定により市町村が運搬、処分しなければならない。怪獣ともなると劇中の町単独では厳しい負担だろうが、劇中政府はその費用について同法第22条などにより町を支援するわけでもなく、代わりに交付金(原発の立地交付金のようなもの)を餌にして迷惑(有害)施設を押し付けたらしい。いわゆる飴と鞭ということだ。 ちなみに、ただのクジラの場合なら2023年の大阪市による処理費用が8019万(海洋投棄)、2024年の大阪府の費用が1507万(埋設)という事例があるが、大阪市が高すぎだと批判されていた。 [付記2]単純に怪獣映画として見た場合、この映画の怪獣はクジラに手足がついたようなものだったらしいが、これは1954年のゴジラが「海棲爬虫類から陸上獣類に進化しようとする中間型の生物」だという説明の「爬虫類」を「哺乳類」に変えたようでもある。
[インターネット(邦画)] 7点(2025-04-19 12:55:17)(良:1票)
12.  大怪獣のあとしまつ 《ネタバレ》 
「怪獣の日」(2014)の前座として見たが、東宝のシン・ゴジラを茶化すために作ったような印象だった。日本人が知力と意思の力で災厄に立ち向かう真面目な話が嫌いらしい。 死体処理という発想自体は「ウルトラマン研究序説」(1991)の頃からあるが、そういう小ネタを長編映画にしようと誰も思わなかっただけと思われる。またそもそもシン・ゴジラのラストから直接思い付くことでもある。  内容的には安手の風刺と寒いギャグでまともに見る気が早々に失せる。政府閣僚のコメディは、舞台劇の観客ならともかく一般人には笑えない。「どですかでん」とは何のことかと思うが劇中群像の比喩か何かなのか(見たことがないので不明)。ウンコで笑うのは小学生、下ネタで喜ぶのは中高生だろうし、また政治を喜劇化して嘲笑するのは昭和(戦後)感覚の人々(どちらかというと高齢層)向けだろうから自分は対象範囲から外れるが、年齢層の上下幅が広いとはいえる。 また最後の締め方も呆れるしかない。謎は解明されたのだろうが、それまで展開していた人間ドラマらしきものの結末が見えない。「御武運を」というのも何の戦いなのか不明だが、次の第2弾でまたヒーローが臭いものを処理させられるという意味か。この監督の映画を見たことはなかったが今後も見ない。 なお公開後に、プロデューサーの「予想以上に伝わりませんでした」という言葉が世間で話題になっていたようで笑わされた。ノベライズを読めば映画を見なくてもわかるらしい。  その他雑記 ・劇中日本では2012年に国防軍が創設されて徴兵制も導入されていたようだが、一方の現実世界では近年のウクライナ情勢に対応して、ヨーロッパ諸国でも徴兵制(兵役)を復活させようとする動きがある。また中立と思わせておいて今さら軍事同盟に加わる国や、最近では基本法(憲法に相当)を改正してまで軍事費増額を図る国もあったりするが、劇中日本はそれよりはるかに先を行っていたことになる。 ・「国民の知らなくていい権利」というのはいわゆる「報道しない自由」とセットになるものかと思ったが、確かに自分に降りかかって来ない限りは知りたくもない人々も一定割合いるので微妙に納得した。 ・全体として政治的な右だけでなく左の一部や近隣国(半島+大陸?)も含めて愚弄する態度だったらしい。いわば国民各層の共感を期待したのかも知れないが、作り手側が高いところからその他全部を見下していたようでもある。
[インターネット(邦画)] 3点(2025-04-19 12:55:16)
13.  おるすばんの味。 《ネタバレ》 
何ということもない話だが悪くない。自分がシングルマザーに育てられたわけではなく、誰かをシングルマザーにしたわけでもないがこういう話には弱いかも知れない。 母親との関係は悪くなかったようだが、しかし一つだけ主人公の心に刺さっていた棘が今回抜けたという感じのことだったか。主人公も自分の子どもを育てることが世代を越えた恩返しだというようなことを言いたくなるが、しかし現代では少子化が進むと同時に、次の世代のために生きようという価値観も通用しにくくなってきているようなのはつらいものがある。 なお同僚がカーネーションを放り投げた場面では、それを主人公が持って帰る展開なのかと一瞬思ったが、なるほど主人公の場合は白でなければならなかったと最後に思い出した。確かに赤白の区別はそういう意味だった。これを見なければ死ぬまで忘れていたかも知れない。ちなみに白いカーネーションの花言葉は「尊敬」「私の愛情は生きている」だそうである。ラッピングを外して花瓶に立てた方がいい。
[インターネット(邦画)] 6点(2025-04-05 16:06:39)(良:1票)
14.  午後3時の悪魔 《ネタバレ》 
古びた感じの映像は意味不明だが悪くない。ろくな説明もなしに何となく進んでいくのも悪くないと思っていたが、最終的にはわけがわからなすぎだった。 事実関係については仮に次のように思っておく。 ・公園で寝ていた男は多額の借金があってとても全部は返せないので、とりあえず本当に世話になったと思った世田谷区の大澤という人物にだけ返済し、あとは踏み倒した。 ・警備員風の男は別件の取り立てで公園に来たが、金を主人公に取られたと思って追って来た。 ・外国人の男はただその辺にいただけ。当世風のイケメンだったので、主人公は歩道橋上なら目立たないかと思って立ち止まって眺めていたら、向こうが気づいて目が合ってしまい、気まずくなってその後は避けていた。  また主人公の物語に関しては、次のようなことを少し無理して考えた。 ・主人公は、一度は彼氏から金を取り返そうとしてやめていたが、代わりに他人の金を盗んだのでは人の道を外してしまうことになる。結果的にそうならないで済んだのは、いわゆる天の配剤か何かとすれば外国人の男が天使だったとか(根拠なし)。彼氏はまだ返す気があったようだが、取り返しがつかなくならないよう無理のない範囲に止めておけ、という天の警告だったかも知れない(不明)。 ・何となくの不安感が続く展開だったが、最後に登場した母親は呑気な感じで一応安心した。怪我させた相手のことより金の心配ばかりするのはわりと適当な人物の印象もあるが、娘としては嫌いでなかったらしい。あんな彼氏を母親が認めるかどうか不明にしても、娘としてはとにかく見せたかったと思われる。母親もああいう曲は案外好きかも知れない。  そのように一応考えたがやはり全体として意味不明で困る。同監督の新作映画が公開されたようだが、長編でこういう面倒くさいことをやられるのはつらいので見ない。 その他、製作は「九段下プロ」とのことで、映画もその周辺でローカルに展開していたらしい(クソガキの場所は別)。外国人の男の正体を適当に考えると、例えば「ロケーション協力」の二松学舎大学が招聘した研究者であって、しばらく滞在の予定だったが初日は大学周辺をふらついていて主人公とすれ違う場面が多かったなど。
[インターネット(邦画)] 5点(2025-03-29 20:00:15)
15.  君たちはどう生きるか(2023) 《ネタバレ》 
昔の熱量に比べれば枯れてきたようでもあるが、一応の冒険ファンタジー的展開もあって普通に面白く見ていられる。 原作でもない同名の本は年少者向けの道徳読本のようなものだそうで、前に読んだらあまりにまともな内容なので感動というか感激したことがある。この映画は同じ題名で何を表現しているのかと思って見たが、題名の問いに対する答えとして、映画では次のようなものが含まれているかと個人的に思った。  【1】まず、現世を嫌って別世界を夢想するのでなく、現世をよりよく変えていこうとするのが人としての正道であり、そういう前提で自分の生き方を現実的に考えろ、ということかと思った。主人公に関していえば大伯父ではなく父親の後継者になって、技術の平和利用で社会に貢献するという感じのことかと思われる。物語を離れた一般論としてはいいにくいが、要は昔あったような、書を捨て町へ出よう的なことかも知れない。またはアニメの世界に閉じこもって完結してしまうなといったことなど。 【2】もう一つ思ったのは、人の人生は生きた時間の総体を捉える必要があるということである。終わりよければ全てよしというのはまあいいとして、終わりが悪ければ全部ダメとはならない。病気や災害や事故や犯罪や戦争など、早すぎる死とか不遇な死だから人生全体が不幸だったと断定するのでなく、その死の時点までに何をしてきたかにより、結果的に生まれた意味があったと本人が思えば幸せだったことになる。この映画では、塔の世界での出会いによって母子ともそれを確認できた形になっていた。さらに一般化していえば、いつどのように死んだとしても自分の人生に意味があったと思えるよう、悔いのない生き方をしようという意味になるかも知れない。 【3】その他、人間は常に善人でいられるわけでもないが、主人公に関しては庶民の中にある素朴な善意を知ったことで、これに応えていこうとする生き方も期待される。また自分の世界を広げるために友達を作る(異質な者と付き合う)という点は元の本とも共通だったかも知れない。 全体としてはまとまらないが、要はどう生きるかをテーマにそれぞれが考えればいいのだろうと思った。  【その他雑記】 塔の世界はいわゆる来世のようだが、誰かが作ったものという点で、仏教でいう「浄土」のようなものかと個人的には思った(サギも南無阿弥陀仏と言っていた)。しかし仏様が作ったわけでもなく、浄土にしても残念浄土とか失敗浄土というしかないものになっている。住民のうち死者?こそ殺生ができないことになっていたが、飢えたペリカンは餓鬼、肉食インコは地獄の獄卒のようで、それ自体に六界を含むものが浄土ともいえない。 一方でなぜか出生前の魂を生産?養殖?する場でもあったようで、これは良質の魂を現世に供給する意図とすれば前向きな取組みといえなくはない。しかし出荷途中でペリカンに食わせていたのは出生前段階で淘汰選抜していたようでもあり、人の受精時における熾烈な競争と似ているようでもある。人間が作ると来世も現世的にできてしまうのか。
[ブルーレイ(邦画)] 6点(2025-03-22 09:16:00)
16.  狭霧の國 《ネタバレ》 
基本は怪獣特撮映画のようだが、ドラマ部分を俳優が演じるのでなく人形劇にしたのが特徴ということらしい。着ぐるみやミニチュア、また人形の顔が極めてリアルに作ってあり、手書きアニメや現地ロケの映像も組み合わせた独特の劇中世界ができている。 怪獣特撮の部分はなかなか圧巻で、盆踊り会場とか古風な伝統家屋を怪獣が襲うのは、個人的には東宝映画「地球防衛軍」(1957)を思い出す。室内や地面に視点を置いた臨場感にこだわっていて、また人のいる高い塔に怪獣が迫るのは「ゴジラ」(1954)以来の趣向と思われる。なお人間側の反撃で自衛隊が来るわけはないとして、代わりに帝國陸軍とかではなく一般人が怪獣を砲撃するのはやりすぎかと思ったが、これは花火の応用ということだったか。  物語としては悪人の悪人ぶりが単純すぎるとか、盲目の人物が失明に至った経過がむごすぎるといった難点はあるが、何より最後は観客が期待したい結末にちゃんと落としたのが好印象だった。全てが終わってエンディングテーマの「守りも嫌がる…」が始まったところは正直感動した。 また登場人物がそれまでの暗く閉ざされた世界からいきなり未来が開ける一方、怪獣はもといたところに帰るだけというのも安心した。工事がどうなるかの心配はあるが、同じく山中の湖にいた「大怪獣バラン」(1958)の頃とは違って、明治時代ならしばらくは棲家に安住していられるかも知れないという気はする。 ほか全体テーマとしては、外見にとらわれずに本質を感じろという考え方も出ていたようだった。  なお映画の舞台は大分県とされていたが、具体的には監督が幼少時に住んでいた竹田市とのことで、話に出ていた「犬飼」という地名も近くに実在する。終盤の石橋は市内に2つある「石拱橋」(せっこうきょう)がモデルのようで、2つあるうち「鏡石拱橋」(かがみせっこうきょう)が完成したのが明治42年だそうだが、劇中年代をこの年にした理由がそれだったかはわからない。 またエンディングテーマの「竹田の子守唄」も竹田市関係に見える名前だが、実は京都府の民謡だそうで誤解を招く選曲ということになる。しかしこの歌本来の由来からすると、劇中で疎外され迫害されていた人物のためにあえて選んだとも考えられなくはないと思った。
[インターネット(邦画)] 7点(2025-03-08 22:33:38)(良:1票)
17.  暮らしの残像 《ネタバレ》 
前に見た「ヤツアシ」(2021)と同じく、芸能プロダクション「テロワール」が主催する「短編映画ワークショップ」で制作された映画だった。監督はこれ以前に「電力が溶けるとき」(2021)などのショートフィルムを撮っていた人物で、この短編の直前から現在までに3本の長編も手掛けている。  基本的な発想としては場所の記憶というようなものかと思った。何が起きていたのか不明だが、例えばこの102号室自体が人格をもって想像力を発揮して、自分の記憶に残る住人をキャラクター化してドールハウス的に遊んでいたというなら面白いかと思った。住人は単身者が多かっただろうから、あえて多数集めて大家族にする趣向だったかも知れない。 あるいはそこまで変な発想でなくても、例えば現在の住人が昼寝していたところに場所の記憶が影響して、過去の自分が出る変な夢を見たということか。それだと単純な夢オチだが、目が覚めてから鍋に参加しないでしまったことを思い出し、仕方なく一人でカップラーメンを食っていたという考え方はできる。独り者上等と強がっていても、大家族の夢を見てしまったあとの寂しさをかみしめていたかも知れない。扇風機がスイッチを入れる前から首振り設定になっていたのは変だが、これで過去の住人にも風を送る形にはなっていた。 しかし一方、終盤でドアが開いた音がしたのが現在の住人=主人公の帰宅を意味するとすれば、やはり夢オチでもなく留守中に何らかの超常現象が展開していたことになる。その場合もカップラーメンは一人の侘しさの象徴ということになるか。ラストのピンポンは住人ではなく来訪者だろうから、今後の人間関係の生成発展を期待させるものかも知れない(不明)。  そのように、まともに考え出すと面倒くさいところもあるが、いろいろ想像が広がらなくもない映画だったとはいえる。とりあえず主人公が面接に落ちて彼女も取られて死んでから地縛霊になっていた、というような悲惨な事態(親が気の毒)ではなかったと思っておく。出て来た11人全員が地縛霊ならとんでもない事故物件だがそういうことはない。
[インターネット(邦画)] 6点(2025-03-01 21:33:58)
18.  電力が溶けるとき 《ネタバレ》 
題名は意味不明である。現代社会の構築と維持に不可欠な電力を、鋼なみの剛性イメージで捉えたのかも知れないが何ともいえない。物語としては電力による縛りがなくなった空間で、人々が本音や本当の顔を晒した話のようだった。  主な登場人物は同期の若手社員3人で、また会話に出ていた部長もあとで顔を出す。 若手のうちで個人的に好感が持たれたのは「いのうえ」という人物だった。低めの声が飾り気のなさを感じさせ、また若干変人っぽいのを隠さないのが正直で謙虚にも思われる。当日の面会予定は結果的にどうでもよかったようで、それよりたまたま起きた何でもない出来事の方が思いがけない贈り物だったらしい。部長も声をかけてくれていた。 またその部長は笑ったのを初めて見たと言われていたが、それは言った本人が見たことがなかっただけで、そもそも本来がこういう人物だったとしか思われない。悪口といってもそれほど根本的な人格否定のようでもなく(理不尽な中傷で笑ってしまう)、かえって本人は若い連中と接点ができて嬉しかったのではないか。今回の更新で人間関係もアップグレードされたようだった。 なお最後のアラームも意味不明だが、当日中にインストールが完了し、翌日は更新後の再起動というイメージかと思っておく。大感動でもないが少し気分がよくなる短編だった。  [雑記] 最後に「すずらん通り」の話題が出ていたが、それより個人的には大昔に「ぴあmap」か何かを見ていたところ、東京にも××銀座というのが多数あることがわかり、そういうのは田舎だけにあるものと思い込んでいたので意外だった。ただその××銀座も戸越銀座(品川区)が元祖だそうで、さらにその戸越銀座に砂町銀座(江東区)、十条銀座(北区)を加えて東京の「三大銀座」という呼び方もあり、本家の銀座を頂点にしたピラミッド構造ができているかのようである。数としては「すずらん通り」より××銀座の方が多いだろうが、もしかするとそんなことは東京の住人には常識なので、あえて「すずらん通り」の方を出したということか。地方民には計り知れないところがある。
[インターネット(邦画)] 6点(2025-03-01 21:33:56)(良:1票)
19.  ひとりぼっちの人魚 《ネタバレ》 
Amazonプライムビデオで公開されている。10分なので時間的には負担にならないが、見て困惑したくない人は見ない方がいい。 見た目としては昭和の素人ビデオのようだが製作年は2016となっている。関係者は全員素人かと思ったが、出演者に関しては新潟のシンガーソングライターや地元アイドルなのでプロの印象がないのも当然である。ちなみに千葉県のTVで放送されたこともあるらしい。  話の内容は全部適当に作ったものではなく、エンディングのURLに出ている地元の伝説をもとにして人物の性別などを変え、最後にオリジナルのオチを付けた形である。「人魚塚伝説之碑」は新潟県上越市に実在するもので、わざわざ佐渡から通ってきていた設定なのはその伝説がそうなっているからである。なお関係ないが佐渡汽船のフェリーは佐渡と上越市の直江津港の間でも運行しているそうで、映像に出ていた船が多分それだと思われる。 オチの部分はいろいろ意味不明だが、まず人魚側の意図としては、題名からすると普通に主人公を道連れにしたと解される。主人公の「あれっ!?」は素っ頓狂な感じだったが、ここは死んでしまってからやっと不審点に気づいたことの若干コミカルな表現か。 また特に水死者を人魚扱いする意味がわからなかったが、これは水死者というより人を海中に引き込んで死なせるものという、どちらかというと西洋的な人魚観によるものか。もとの「人魚塚伝説」からして登場人物と人魚の関係性が不明瞭だったりするので、そこに少し独自色を加える余地があったかも知れない。ほかにも不明な点があるが長くなるので省略。 なお褒めるところは特になかったが、全体を黄色くした映像の中で、水色のクレヨンが鮮やかに見えたのは特に意図したことかと思われる。  ほか出演者として、「新潟痛車フェス」オフィシャルキャラクターの「越後姉妹Geeks」(2017.6.16解散)のメンバーが人魚役などで出ている。そういえば2014年に新潟市に行ったら古町でそういうイベントをやっていたのを見かけて、これは何をやっているのかと思った覚えがあった。だから何だということもないが個人的思い出ではある。 [付記]その後、ここの「人魚塚伝説」をもとにしたといわれる童話「赤い蝋燭と人魚」をわざわざ読んだ。物悲しく怖い話だった。
[インターネット(邦画)] 1点(2025-02-22 22:38:35)(良:1票)
20.  金星 《ネタバレ》 
金星に人類が行くとか地球に何か来るという話ではなく視覚障碍者に関わるドラマである。なお制作側は「障碍者」の表記を使っている。 主な登場人物は視覚障碍者2人(少年・少女)と介助者2人(妹・兄)であり、これに途中で出た男2人を加えれば、日本社会の大部分をカバーしている印象がある。  登場人物のうち、介助者2人は普通に良心的な人々の代表と思われる。うち妹は今回の件で少年への向き合い方を変えていたが、兄の方は終始一貫した態度で安定感があった。カメラの記憶媒体?について少年が「そんなのいらない」と言い放った場面では、この兄が脇から手を出して受け取ったのが適切な行動で安心できた。煙草のマナーはひどい男だったが、これは完璧な人間などいないことの表現か。 また途中の男2人は特に良心など期待できない連中だが(少し差はあったが)、それでも自分に支障のない範囲で他人を助け、自分が世話になれば礼を言う、まずいことをやれば謝るというのを常識にしていて、これで日本の平和な市民社会の構成員に一応なっている。少年も今回は謝ることが大事と受け入れたようだった。  ところで終盤のエピソードで、少年と介助者(妹)が同じ星を見た(見ようとした?)ことの意味はよくわからない。そもそも全天の天体のうち、何で制作側が金星を選んだのかが不明だが(夜中は地平線下で見えないわけだが)、これは金星Venus→愛と美の女神→劇中少女とつながるのなら、発想に飛躍はあるが意味はわかる。 映画のキャッチコピーによると「きれいなもの」がテーマの一つだったようだが、具体的に何を表現したかったのかは疑問である。見せたくないものが見えないことを少女が利用したというのは意図として理解できるが、見たいものを心の目で見ればきれいだ、とまでこの映画が言いたいとすれば観念論の綺麗事に思われる。最初から見えないのなら、きれいかどうかも最初から問題にしない話でなければならないのではないか。終幕時に、人の容姿がきれいかどうかをまともに問うような表現があったのは素直に受け取れない。 真摯な制作姿勢とは認めるが、全部が全部納得できる話ともいえなかった。  出演者では、少年役の演者は熱演だったが少し演技(演出?)過剰ではないか。また少女役の岸井ゆきのという人は当時本当に高校生年代と思うが、ラストで少年に「きれい?」と聞いた顔がきれいというか上から目線の冷ややかな感じで(クラムスコイの「見知らぬ女」風)、このガキんちょが、と見下したようだと思うと少し可笑しい。役者としては少年役より年上だが(学年で4つ)、劇中人物としてもお姉さんとして面倒見てやる立場になるか。
[インターネット(邦画)] 5点(2025-02-08 13:35:44)
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