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1.  ウォーリー 《ネタバレ》 
愛しているよ、という言葉は1つも出てきませんが、これは良質な恋愛映画です。しかも恋愛対象の2人(2機)には性欲もなければ、子供を欲しがる人間的な本能もないので、完全無欠の純愛映画に仕上がっている。男が好きな女性にたいして「好きだ」と言っている姿をそのまま映像にするのがTVです。しかし映画とは、「好き」だという想いを、台詞にせずに、隠喩や外面描写を用いて表現すること。そして観客にそれを想像させること。だから映画は芸術だと言われるのです。最初はウォーリーが男に見えるだろうか?イヴが女性に見えるだろうか?という心配はありました。ウォーリーに「ぼく」と言わせて、イブに「わたし」と言わせれば、簡単に男と女の説明ができますが、ピクサーはそれを避けた。私はこの時点でピクサーは理想主義者だと思った。彼らは観客に大きな期待をかけていた。物語が進むにつれて、2機のロボットを見事に「男」と「女」として、観客に想像させることに成功した。私はこれほど観客の「想像力」に大胆に挑戦した作品を他に知らない。愛する恋人に甘い言葉をささやくシーンもなければ、もちろんセックスシーンもない。でもこれは紛れもない恋愛。「ある男」が愛する女性の手をつなぐために命をかけた壮絶な愛の物語。この映画の純愛を観たらヨン様も裸足で逃げだすでしょう。
[DVD(字幕)] 8点(2009-10-25 23:44:03)(良:2票)
2.  マネーボール 《ネタバレ》 
自分が応援しているチームを、TV観戦していると、負けるジンクスは私にもある。昔その確率を統計で調べてみたら7割を超えていた。だから私は大切な試合では、DVD録画して、結果で勝ったと判明したときだけ再生してみる。ちなみに日本シリーズで中日が巨人にまさかの3連敗を喫した理由は私のせいだ。我ながら厄病神だと思う。しかしビリービーンの厄病神ぶりもすごい?11点差を追いつかれたときは、呆れて笑ってしまったが、実話らしい。てゆうか、7点取られたあたりから、空気を察して、球場から去れよ。へんなところでビリーに共感してしまった。ところでアスレチック=松井を獲得したチーム。日本マスコミは好意を込めて、ケチケチ軍団と報道した。たしかにこの映画でアスレチックの吝嗇ぶりがよく分かる。松井:ヤンキース時代の打率・292。出塁率・370!松井の打率は、イチローより下だったが、出塁率はイチローより、はるかに上だった。イチローを買うのに数十億円、松井を買うのに3億程度、どっちを買うか?やはりビリーならば、松井を選ぶ。イチローよりも安くて、そのうえイチローよりも塁に出る回数が多いのだから必然だ。逆にビリーにとって一番嫌いな選手は、おそらくイチローのような選手だと思う。それは高額商品であるにもかかわらず、それがチームの勝利に結びつかないからだ。それはチーム事情という一言では片づけられない何かがあるのだと思う。また松井がワールドシリーズでMVPになったのも何か理由がある。その何かを見極める手法、選手個人の活躍ではなく、チームの勝利に貢献する選手の発掘こそが、マネーボール理論なのである!あーたいそうなことゆっちゃった、解説ぶっちゃってまあ。とにかく、私が言いたいことは、松井はまさにマネーボール理論の申し子だったとゆうことです。  
[DVD(字幕)] 7点(2012-10-27 13:03:06)(良:1票)
3.  エリザベスタウン 《ネタバレ》 
クロウの映画にはM男が多く登場する。本人もMなのでしょう。そしてオーランド・ブルームはそういう意味では適役のMでした。キルスティン・ダンストは底抜けに明るくて気さくな女性を演じている。まるで2人の関係は、しっかりしたお姉さんと頼りない弟という関係です。彼女はいい意味でオーランドを攻め続ける。オーランドは始めのうちは、上の空で彼女の話を受け流していましたが、だんだん彼女の熱のおびた話しかけにひきこまれていく。・・・・・。 いきなりですがここでキルスティン・ダンスト論をぶちまけます。彼女はヘタレ男を癒す不思議な魅力があると思う。ヘタレヒーローのスパイダーマンが惚れるのも無理はない。 この女優さんは、弱い男を励ましたり癒したりすると、なぜかスクリーンのなかで不思議な輝きを増す。その理由は彼女の母性本能の強さにあると考える。彼女を起用する映画業界もそのことを充分に理解しているのではないだろうか。だから彼女と競演する男優はみんな筋金入りのヘタレばかりである。今回、はじめてその事実に気がつきました(気のせいでしょうか?) それと私はどうしてもオーランドのキャラが気に食わなかった。車のなかで、おいおい泣きまくる姿をみて、そんなに死にたいなら勝手に死ねや!と素直にそう感じたものです。人間を廃業して一生エルフでもやってなさい。 そういうわけで、キルスティンダンストには幸せになってもらいたいという思いと、オーランドには即刻死んでもらいたいとおもうジレンマを抱えながら、恋の行く末を見守っていました。 
[CS・衛星(字幕)] 6点(2007-04-25 19:45:37)(笑:2票)
4.  髪結いの亭主
歳をとるって嫌ね・・と、あの女性はそう言ったが、彼女は愛する夫に愛され続けたかったのだ。しかし夫婦は、年齢を重ねるごとに愛人同士から、共同生活者へと移行するのが現実だ。彼女はそれに耐えられなかったというわけだと考える。
7点(2003-10-14 19:14:24)(良:1票)
5.  ロケッティア
あの飛び方では壁にぶつかって即死だと思う・・
2点(2003-10-14 19:59:10)(笑:1票)
6.  スペース・カウボーイ
心不全で倒れて死んでもおかしくは無いな。
3点(2003-10-15 03:39:21)(笑:1票)
7.  許されざる者(1992) 《ネタバレ》 
結局最後はダーティーハリーになってしまった。  中途半端ではないか?この映画の「正義」は間違っていると考える。
2点(2003-10-14 23:40:05)(良:1票)
8.  マレフィセント 《ネタバレ》 
これは「ウィキッド」でしょう。ウィキッドは、誰も知らない、もう一つのオズの物語です。そして本作は誰も知らない、もう1つの眠れる森の美女です。どちらも共通するのは、歴史的に有名な悪女はじつは悪女ではなかったという点です。正直に告白すると、私はこの映画を観る前に結末を確かめました。もし、マレフィセントが死に、オーロラ姫が助かってメデタシメデタシというラストだったら私は観るつもりはなかった。それを私は心の底から恐れていた。しかし結末は完全無欠の予定調和だと知って、私は激しく安堵した。さすがディズニー。予定調和を嫌う観客もいるが、ハッピーエンドで何が悪い?リアルティが好きなら、映画を見ずに新聞でも読んでいろ。そう言いたくなってくる。映画は常にハッピーエンドであるべきだ。映画は希望だ、これが私の持論です。とは言っても、世間では罪には罰を与えよ!という意見があることも重々承知だ。つまりいくら悪人が更生しても悪人は最後にくたばってもらう。そして観客は悪人マレフィセントの死にざまに涙を流せという押し売り型の物語もよくある。私は断じてそのようなストーリーを受け入れるつもりはない。この映画のなかで悪役として登場するのはマレフィセントではなく王様だが、彼もマレフィセントを殺せるのに殺さなかった。生粋の悪ではないと思う。そういう何気ない描写も印象に残る。そしてマレフィセントの人物描写を決定づけるシーンはやはり憎むべきオーロラ姫をけっきょく愛してしまった描写だろう。オーロラ姫を憎みたいと思いつつ、どうしても憎めない。オーロラ姫は美人とは言えないまでも、どこまでも無垢な女性だ。彼女の心には悪も善も受け入れることができる純粋さがある。虚無に陥ったマレフィセントはオーロラ姫を救うことによって、自分自身が救われるという人生の1つの真実がそこに描かれている。つまり、人は人を救うことによって自分自身が救われるのだ。いずれにせよ、現実はもっと厳しいと思う人には向かない映画でしょう。いま、心が傷ついている人、将来に対する不安を抱えている人、失恋した人、優しい心を求めているすべての人に鑑賞してもらいたい。これぞファンタジー映画の王道です。久しぶりに泣きました。また、このような映画を泣ける自分の純粋さに満足しました。中年になっても私の感性はなかなかのものだ。いやぁ、映画って本当にいいもんですね。
[DVD(字幕)] 10点(2015-08-16 20:32:14)(良:3票)
9.  羊たちの沈黙
犯罪者といのは、著名な事件の犯人ならファンレター殺到らしいという意見もあるが、もし本当ならどういう人間がファンレターを出すのだろう?私には理解できん心理。レクターというのはそんなに最高なのだろうか・・
1点(2003-10-15 04:13:49)(笑:1票)
10.  トランスフォーマー/ロストエイジ 《ネタバレ》 
これだけ長いのに主要な登場人物の名前をさっぱり覚えることができないという恐ろしい映画でした。母親が離婚したことや、娘が思春期であることや、父娘の葛藤など、ロボット映画にヒューマンドラマを合体させることにより、私の予想を遥かに凌駕するバカ映画に仕上がっています。とくにバカ娘が恋人に対して「例のやつをやって」と言って、車でビルからダイビングするシーン。いつもデート中にやっているそうですが迷惑すぎます。こんなバカカップルのほうが人類の敵だ。お前らロボットの下敷きになれ。一番納得できないのは、何のために衆議院を解散したのか理解できない安部政権のように、なんのためにロボットが戦っているのか理解できないことです。ハゲの社長の行動も意味不明。殺意すら覚えるほど低俗なギャグを連発してイライラしていましたが、いつのまにか善人キャラになっている。私にとってこの社長の存在がバカの象徴でした。ちなみに人間の脳細胞は1日に10万個減少、多いときで14万個も減少すると言います。この映画の鑑賞後は15万個減少すると思います。今まで監督のことをバカだと思っていましたが、本当にバカでした。ここまでブレないバカを追求した監督に敬意を表し、この映画をきっかけに、マイケルバカと改名してもらいたい。  
[DVD(字幕)] 1点(2015-01-04 17:02:13)(良:1票)
11.  ブレイブ ワン 《ネタバレ》 
あなたは暴力を受けたことがありますか?という明確な問いかけがありました。激しい暴力を受けた経験がある人は、もし誰かが暴力を受けている場面に遭遇したらどのように感じるか分かるでしょうか?体が震えてきます。それは恐怖じゃない、怒りで震えてくる。暴力を受けている他人に自分自身を投影させ、暴力をふるわれても「ごめんなさい、やめてください」としか言えなかった屈辱的な自分を思い出すこともある。怒りや憎しみという感情は生まれもってのものではなく、悪意を持った他人から植えつけさせられるものだとおもう。ジョディが何度も危険な場面に偶然遭遇するのは不自然だという意見が多くみられますが、それは偶然ではなく必然なのです。法治国家は建前にすぎず、現実は力の強い者が、力の弱い者を打擲する世の中だ、警察はすべての暴力に対応できるわけではない、非力な弱者は恐怖で震えているだけはなく、怒りで震えている、主人公はいつしか恐怖を怒りに変え、そのためこんだ怒りを放出するために危険な地域をさ迷い歩いていたと考えます。ラストは素直に驚いた。たとえどんな理由があるにせよ、連続殺人を犯した主人公に残された道は、みなさんもご存知のとおり、大抵の場合は、敵と相打ちの末に死んでしまうケースが圧倒的に多く、その次に多いのが自殺です。(死刑はない)つまり法律的な罰ではなく、見えない力による罰(神の裁き)を受けるのが当然という意識が、作り手にも観客にも、心の底に根強く残っている。そして主人公が死ぬことによって、彼女の行動の是非は問わないことにする、つまり死んでしまったのだから今さら何を言っても仕方ないという、うやむやな展開にしてしまう。それがなんと主人公を生かしてしまった。だから観客は主人公の「罪」をうやむやにできなくしてしまった。あえて主人公を生かすことによって「あなたは許せますか?」というキャッチコピーがはじめて意味を持ちはじめる。  
[DVD(字幕)] 8点(2008-11-12 19:33:27)(良:2票)
12.  猿の惑星:創世記(ジェネシス) 《ネタバレ》 
人間が人間を殺すことは殺人、人間が動物を殺すことは処分、人間がうっかり他人のサルを殺すと器物破損だ。どれだけ人間が、サルやペットを愛していようが、対等なんて関係は茶番だ。サルや動物たちの立場から見た人間は、たとえ善人であろうが、それは毛皮のコートを羽織った動物愛護団体職員と同じ偽善者なのだ。反省猿に反省させて、それをみて「かわいいね、癒されるね」ってバカか?反省サルが喋られるなら、お前らが反省しろよと言われるだろう。人間はバカ者で、偽善者で、凶暴者の三拍子が揃った貴重な動物だ。そもそも狩猟とは何だ?住む場所をサルやイノシシやクマから奪っておいて、餓死寸前の動物がついに命をかけ、食料を求めて山から下りてきたら、山に帰れ、と憎しみを込めて殺すことが狩猟なのか?その一方で、人間と動物は友達だと、平気で嘯く人間の偽善などクソ食らえだ。人間のバカを象徴するラストシーンについて説明しよう。飼い主は「家に帰ろうよ」とほざく。帰れるかよ。これだけ暴れて有名人、いや有名サルになったのに、のうのうと家に帰っても見逃してもらえるわけがない。飼い主のその言葉を聞いたシーザーのあきれ顔が印象に残る。「やっぱりこいつバカだったのか」という顔だ。このシーンは決して友情シーンとして描かれているのではない。猿からみた人間の愚かさが的確に描かれているのだ。またこの物語は、組織を統率するリーダーのカリスマ性という面からも楽しむことができる。海千山千の曲者のサルたちに苦戦しながらも、徐々にまわりのサルたちを味方につけ、最後に組織を統一するシーザーの手腕は、ゴットファザーのマイケル・コルレオーネを彷彿とさせるのである。シーザーの人心掌握術は、下手な啓発本を読むよりも意義がある。我が国の首相も、サルに見習ってもらいたい。
[DVD(字幕)] 8点(2012-11-12 20:40:13)(良:2票)
13.  そして父になる 《ネタバレ》 
福山パパは、はっきりいって悪役です。金持ちで、エリート社員で、貧乏なご両親に対して常に上から目線で、悪徳弁護士と手を組んで、子どもを金で買おうとする、最高級のクソ男です。それに対してリリーパパは常に子供たちから愛されている。だから私はリリーパパには興味がない。やはり人間性が破壊されている福山パパに興味が湧く。福山の子供時代、突然母親がチェンジする。「俺はお前を母親と認めるつもりはない」←これは子供の立場からすれば正論だ。しかし今度は自分が突然チェンジする父親になる。新しい子供は憎々しい目で福山パパを睨む。「俺はお前を父親と認めない」という目だ。まさに因果応報!ここで福山パパは母親に電話をかけ、子ども時代の自分の態度を謝ろうとする。子供の人生を振り回す身勝手な親は死罪に値する。トラウマは一生付きまとう。子供が親を憎む権利は日本国憲法で保障されるべきである。しかし、親だって人生に振り回されながら生きている。被害者なのかもしれない。世の中はリリーパパのように子供から愛されるパーフェクトな父親ばかりではない。そう思うと勝ち組の福山が負け組に見えてきて応援したくなってくる。1つポイントがある。ケイタはひそかにカメラで福山パパをたくさん撮っていた。それを見てなぜ福山パパは泣くのか?彼は我が子から愛されていたことに気が付いたのだと思う。何を今さら、と思うかもしれない。しかし、幸せとは失ってから気が付くというのが人生のセオリーである。これが真の人間の姿だ。ラストはどうなったか?「時間」が勝ったのか?「血」が勝ったのか?子供を返すのか?返さないのか?くだらないことだ、事実(オチ)しか興味がないなら新聞で確認しろ。「物語」では結論は重要ではない。福山パパが、自分の愚かさに気が付き、悩み、暗中模索の中、前に進み、そして父になる、物語の本質はそこにある。私は福山の演技を非常に高く評価する。紛れもなく素晴らしい作品です。  
[DVD(字幕)] 9点(2014-08-12 20:19:36)(良:3票)
14.  私の中のあなた 《ネタバレ》 
最初から負け戦でした。それでもキャメロンママは戦いをやめない。それに対して父親は静かに娘を見守っている。非常に対照的な両親でしたが、娘に対する愛情はお互い不変でした。父の言い分が正しいのか、母の考えは間違っているのか、裁判は娘が勝つのか、母が負けるのか、誰が悪いのか、そんな単純なことを考える余地がないほどに、奥深い作品に仕上がっている。娘がお母さんにむかって、「もういいかげんに私を死なせてほしい!」と心の底で叫んでいることが1つのポイントになっている。それに気がつかないキャメロンママは、娘の気持ちに鈍感な愚かな母親なのかもしれない。こんなに痛々しい母親、見た事がない。娘を愛し、家族を愛しているのに、かえって娘を残酷な目にあわせ、家族をバラバラにして、それでも戦わずにはいられない─。そんな罪深い母親を、最後に娘は「愛している」といって抱きしめる─。不覚にも涙でスクリーンが見えなくなった。私はこんな母親、大好きだ。「希望を持つ」ということは、じつは失望と紙一重なんです。希望を持たなければ失望などしなくてもすむからです。キャメロンママの行動は、多くの愛する人を傷つけた─。しかし誰よりも苦しんでいたのは彼女でした。なぜなら彼女1人だけが希望を持ち続けていた、だから数え切れない失望を味わってきた。それに対して「あきらめる」ってすごく心がラクになるんです。娘の死を「受け入れる」ことと、「あきらめる」ことの違いについて分かりますか?私にはまだ分かりません。おそらくキャメロンママも分からなかったに違いない。しかし1つ分かったことがある。家族とは喜びよりもむしろ悲しみを共有しあって生きていくことなんだと。介助犬と勝率91パーセントの弁護士にも拍手。この映画は100パーセントでした。 
[映画館(字幕)] 10点(2009-10-17 01:37:32)(良:6票)
15.  告白(2010) 《ネタバレ》 
いじめが原因で復讐する話だと思ったがすこし違った。「いじめ」とはなにか?それは憎しみで相手をいじめるのではなく、面白くて楽しいからそれを実行する。怒りながらいじめる子供などいない。笑いながらいじめるのだ。それがいじめの本質である。まだ生まれて10年足らずの子供には心に傷が少ない。だから相手の痛みなどわからない。ただひたすら「笑い」と「楽しみ」だけがすべてに優先される。その先にいじめがある。子供の持つ明るさは残酷さと表裏一体である。それに対して娘殺しの犯人は、心に傷を負った少年であり、トラウマが原因の殺人だった。「告白」で何が一番嫌悪感を感じるか?それを自覚している人はいるでしょうか?もちろん犯人の2人ではない。それはボロボロに傷ついた犯人2人と、もっと深い傷を負った女教師をとりまくまわりの生徒たちの「明るさ」なのです。中島監督の演出は抜群だった。ダンスなど子供の天真爛漫な「明るさ」を全面に打ち出すことにより、いっそう子供の残酷さを印象づけ、観客の嫌悪感を募らせていく。社会では「子供の明るさ」を無邪気だと捉える。しかし中島監督は子供の明るさを、他人の痛みに鈍感な残酷さと捉えている。それはあの熱血教師にも当てはまる。あの脳なしのクソやろう!と誰もが思ったはずだ。人間が一番嫌いな人間は、凶悪犯罪者やヤクザではない。それは偽善者だ。かりに復讐を行なう女教師の描写として、娘を見殺しにした自責の念が描かれていたらどうなる?観客はこの女教師を偽善者だと憎むでしょう。しかし女は復讐を行なう自分をまぎれもなく「悪」だと自覚していた。反対に少年犯人を「悪者」として、制裁を加える生徒たちの醜さは、罪の自覚のない偽善者としての醜さだ。彼らをみていると、「ドッグヴィル」を思い出す。中島監督とラースフォントリアー監督が重なってくる。いわゆる性悪説バンザイ映画だ。なんという醜悪な映画だろうか。じゃあ私もこのさい「告白」しておこう。こういう映画はたまらなく好きだ。松たか子も好きだ。  
[DVD(字幕)] 9点(2011-08-16 20:30:02)(良:4票)
16.  ミレニアム・マンボ
この映画は1人の女性の再生の物語。  主人公の彼女は髪はボサボサ、タバコをまずそうに吸いまくる、お酒を飲みすぎて吐きまくる、いつも泣く、そしてヒステリックに怒鳴りまくる。そして自分が嫌いになる。 しかしそんな彼女も黒の世界(欲望渦巻く夜の街)から白の世界(北海道)へ移り行く。 そういう彼女を見届けることがこの映画の目的だと思えてならない。
10点(2004-08-15 21:52:33)(良:1票)
17.  チチを撮りに 《ネタバレ》 
愛人を作って逃げたクソオヤジが末期がん。母親は「くたばる瞬間のミジメなオヤジの顔を写真で撮ってきて見せろ」と姉妹に命令する。ふつうはありえない。しかしこの姉妹がとにかくユルイ。「そんなの面倒だよ」と意味不明なことを言い出す。姉妹の醸し出すユルイ空気が美しい自然風景と重なって、絶妙な癒し効果を生んでいたと思う。姉の設定は水商売の女、妹は不登校生徒、ろくでもない子供だという設定にしているが、物語がすすむにつれて、この2人が母親からどのように育てられたかが分かってくる。その象徴が火葬場へ向かうシーン。「私たちはお母さんから人を恨むような育て方はされていない」「私たち2人はお父さんを恨んでいない」ということに気が付くシーン。このシーンはクソオヤジを恨んでいないという事実よりも、むしろ姉妹が母親からどのように育てられたのかということにはじめて気が付いたことに重点が置かれている。母親の無限の愛情を再確認する大切なシーンだ。しかし火葬場で姉がくたばったオヤジに対して「オヤジ、アンタには感謝していないけど恨んでもねえぜ」と言っていたことでもわかるように、けっして2人はオヤジに対して愛情が芽生えたわけではない。そこは力説しておきたい。ラスト間際で宝くじの売店で働く母親を眺める姉妹のシーンが素晴らしい。夢を買うよりコメを買うと豪語していた母親、1日も休まずに汗水たらして働く姿─、カッコ悪い母親だと思っていた。しかし今自分たちがこうやってまっすぐに誰も恨まず、妬まず、素直に生きていられるのは母親のおかげなのだ。久しぶりに泣いたと思う。それと笑いのシーンが意外と多い。深刻になりがちなストーリーだが、姉妹が道端の人に「いま、ヒマですか?早くしないとお父さんが焼かれちゃうので火葬場に連れてってくれますか?」などユルさ加減が絶妙だ。ラストで母親がクソオヤジの骨を川に放り投げて「テメエなんて食われてしまえ」と言ったら本当に魚に食われてしまうシーンがシュールで最高でした。映像は終始美しいです。
[地上波(邦画)] 8点(2014-10-25 23:06:07)(良:1票)
18.  ギルバート・グレイプ
家族ってなんだろう?過食症の母親と知恵遅れの弟を愛せる主人公はすごいけど、私は主人公の人間像にリアリティはないと思う。もっとあの拒食症と知恵遅れの2人に対して軽蔑や憎しみがあっても良いではないか?それが人間の本当の姿ではないだろうか。ギルバート・クレイプは、良い奴だとは思うが感情移入できなかった理由はそこにある。 家族だから、という理由だけでこんなにも苦しみを背負うくらいなら私だったら逃げるだろう。なぜ自分の幸福のために家族を捨てていけないのか? 私から見ればギルバート・グレイプは非のうちどころが無いスーパーマンだ。だから心の弱い私には共感できない。 しかしもう少し深く考えてみる。もし、あの2人を愛さなかったら兄や姉妹は負担がだいぶ減るだろうと思う。でも愛しているからこそ苦しんでいる。 と、いうことは苦しむということはまったく無駄なことではないのかもしれない。愛するからこその苦しみなのだから。
10点(2004-04-01 22:06:29)(良:1票)
19.  遠い空の向こうに
子供がロケットで食べていこうと考えるなんて親としては当然反対するだろうと思う。あまりにも夢を追いすぎると思ってしまう。 現実に目を向けて真面目に働きなさいと親は考えるだろう。 しかしけっきょく一番大事なことは好きなことにチャレンジするということだと思う。 それが失敗しようが成功しようがとにかくチャレンジしたという事実そのものが大切なことではないだろうか。 最後にロケットに挑んだ少年たちの末路が紹介されたけど、そんなことはどうでもいいこと。 「私はそれを実行した」ということだけで成功失敗の有無に関わりなく、誇れる出来事じゃないか? 若いときの行動とは利己的なものではなくてこの映画の少年たちのように無謀と思えるくらい一途で純粋であって欲しいと素直に感じた。 成功すればそれは良いことだ。しかし大きな失敗を経験することも大事。 成功も失敗もしないで人生を終える人間に比べたら行動するということがいかに大事か分かると思う。
9点(2004-11-21 20:58:08)(良:2票)
20.  シェルブールの雨傘
セリフが全部歌になっているのだけど違和感がなく観られる。  内容があるとはとても言えないけど、始まり方がすっごくお洒落なんです。 こういう映画をいっぱい観て感性を磨いていきたいですね。これぞフランス映画の真髄!     CGなんて使わなくても~ワイヤーなんて使わな~くても~・・これだけ~面白い~♪♪  
9点(2003-11-11 13:06:16)(笑:1票)

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