1. ゴジラ(1954)
《ネタバレ》 日本ほど特撮怪獣が沢山創られた国はないでしょう。主にウルトラ怪獣ですが、ゴモラ、ゼットン、バルタン星人と、きっとどの世代でも名前くらいは知っているんじゃないでしょうか?そんな中で、元祖であり王者と言える怪獣がゴジラです。 私はちょうどゴジラ空白の世代でした。小さい頃、ウルトラシリーズは沢山再放送されていましたが、ゴジラ映画は観たことなくて。子供向けの雑誌などから『人類の味方として、悪い怪獣と戦う正義のゴジラ』なんてイメージがあった程度でした。そんな中“まだ白黒映画の時代、最初のゴジラは人類の敵だったんだよ。そして今度公開されるゴジラ('84)も、悪者なんだよ。”なんて聞いて、何かとても不思議な感じでした。 本作を最初に観たのは20歳くらいの頃です。街の焼ける様子、逃げ惑う人々から、まだ戦後間もない印象をとても強く感じました。公開年は、戦争が終わって僅か9年。でも僅か9年でここまで復興している日本の逞しさと、ゴジラという巨大なモンスターを創り上げた日本の受けた傷の深さが感じられました。 アメリカの水爆実験が生んだ怪獣ゴジラが、本土に上陸して無目的に都市を破壊する。令和に入った現在に至るも、唯一無二の被爆国として、当事者のアメリカ人を主要人物に出すことなく、原水爆を表現した作品と言えるでしょう。 どうしても後年のシリーズ化したゴジラのイメージに引っ張られていたため、今回始めてゴジラのデザインが理解できた気がしました。モノクロ映像のゴジラの、黒くゴツゴツしたあの皮膚は、水爆の高熱で表皮が焼け焦げてたんですね。 背中のヒレは皮膚に刺さったガラス片でしょうか。そしてゴジラは苦しみの叫び声を上げながら、自ら焼け野原にした東京の街を彷徨います。 本作公開の僅か9年前に、他国により自分の国が焼かれる地獄を観た人々が作った地獄絵図。この映画からは、他国に国を焼かれた恨み節より、日本をここまでしてしまった、原爆が落ちるまで戦争を続けてしまった、自ら国を焼け野原にしてしまった、そんな自責の念が感じられます。 山根教授のゴジラを保護し、生命力の研究をするべきだという主張は、今なお放射能被害に苦しむ被爆者たちを救うことが出来たらという気持ちからでしょう。そう考えるとオキシジェン・デストロイヤーは、例えるなら苦しみから逃れるための安楽死に思えます。 芹沢教授がオキシジェン~の研究成果ごと死を選んだ結末は、どんなに苦しくても前だけを見て生きていく。そんな日本の決意にも思えます。 本作を観てどう思うかは人それぞれですが、戦争で受けた傷を娯楽映画にしてしまう日本人のパワー。創意工夫。結果本作は、世界でいちばん有名な日本映画の一つになりました。 [ビデオ(邦画)] 8点(2024-04-03 23:51:41)(良:5票) |
2. スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け
《ネタバレ》 EP8→ソロ→本作。この流れはマズイと察知したのか、EP8公開直前にEP9の監督交代劇があったようで、再びJ.Jが監督。 EP8のリカバー(尻ぬぐい)と、J.Jが頭の中で描いていたEP7の続きと、SWサーガの結末を組み直す作業。私の気持ちも新作にワクワクと言うより、最後だけど、どうオトシマエを付けるんだろう?って感じだったかな。 結論から言うと、あの厳しい流れから、よく1本の映画にまとめたものだと思う。あの密度ならいっそハリー・ポッターのように『EP9を前編・後編にする作戦』を使ってほしかった。でも興行成績の悪かったハン・ソロの後だし“SW疲れ”から“SW離れ”を招きかねないので、2本ぶんの内容でも1本で行くしかなかったんだろう。その一番のシワ寄せが冒頭の“パルパティーン復活”。こんな重要なエピソードを文字で見せるなんて。黄色い液体に入った操り人形スノークたち…あんなシーン、エヴァで観たなぁ。 ルークのセイバーをレイアに返したり返されたり。チューイが死んだり生きてたり。C-3POの記憶が無くなったり戻ったり。ちょっとキャラが被ってるゾーリとジャナ。ベンとレイの戦いが3回も。このへん前後編に分けるとスッキリしたと思う。パルパティーンの復活とレイの秘密を前編の最後にして。 時間さえあれば、懐かしいタナヴィーⅣがレジスタンスの旗艦になった経緯、ナイン・ナンとランドの再会、ウェッジも旧型X-ウイングで活躍させられたかもしれない。パッとしなかったレン騎士団。アッサリしたハックスの退場「私がスパイだー!」はぶっちゃけ過ぎ。笑ったけど。 フィンは本作でベンの気配さえ感じ取れるようになった。彼がレイに言おうとしたことは、たぶんフォースが使えることだと思うけど、彼がジェダイの血筋の者なのか、ホウキの少年と同じ一般人かは不明のまま。 ただ、レイアの死期が近いことレジスタンスの人たちが察知しているような描写もあり、フィンは後者の可能性が高いかも。 こんな終盤に修行してるレイ。自分で壊したマスクを直すベン。ホルド提督のワープ特攻は100万分の1の成功率。ルーク「ジェダイの武器にはもっと敬意を払え」と、EP8の尻ぬぐいは続く。「ここに残れって言われた」大幅に出番が減ったローズ。最後チューイ(SWオリジナル・メンバー)と抱き合ってるのは、この映画のために苦労させられた彼女への、制作側に出来る最大限の謝辞に思えた。 レイ「私には不可能です」レイア「不可能なんて無いわ」レイ「えぇ、不可能なんて無い」…レイア、フォースで丸め込んでないか? チューイ救出の時に撃ち殺されたトルーパー、たぶん7人くらい女。人材不足なのか、ポリコレに対するJ.Jの回答か。 アイテム探しとお遣いイベントが続く。たまたま流砂にハマって、ヘビを助けたら先に進むとか、限られた上映時間にRPGみたいな要素を入れたのは謎。 一方で回を重ねるたび、メキメキと魅力が増していくベン。デス・スターでのレイとの戦いも、レン騎士団相手のセイバーさばきもカッコ良かった。EP7を彷彿とさせる父ハンとの対話。レイに生命を分け与え、母レイアとともに消えるのも良い。 ベンが死の間際にシリーズで初めて笑顔を見せるところ。この時ベンの顔の右半分しか映さない。笑うときに口角を上げる、ハンの面影を見せる上手い演出。ここ最高にカッコイイ。 最後のシス・パルパティーンの血を引き継ぎ、最後のジェダイ・ベンと生命を分け合ったレイ。自分の杖を改造して作った黄色いセイバーは、もうジェダイ(ライトサイド)もシス(ダークサイド)も無いという意味だと思った。レイはジェダイを引き継いだのではなく、“フォースのバランスを正す者”スカイウォーカーの起源=~The Rise of Skywalker~となったんだろう。タトゥイーンに沈む夕陽で終わった前日譚に対し、昇る朝日が後日譚を締めくくる。 物語の最後は駆け足だったけど、42年にも渡って創られた壮大なサーガが終わった。私の長~いSWレビューも、ここで一旦おしまい。 続3部作に対し賛否はあると思うけど、この作品群でキャリー・フィッシャーが、彼女の代名詞とも言えるレイア姫を演じて他界されたこと。彼女が過去の人ではなく、歳を重ねてもなお気品あるプリンセスの姿を私たちの目に焼き付けてくれたこと。そして改めて、ルークやハン、レイア姫の当時の活躍を観たくなったとしたら、このタイミングでこの続3部作が創られた意味もあったと思う。スピンオフに新シリーズ、今後もSWの世界は広げられていくだろうけど、それはソレとして、生きているうちに全てのエピソードを観られて、本当に良かったと思う。 [3D(字幕)] 7点(2021-10-01 00:29:21)(良:3票) |
3. ロッキー4/炎の友情
《ネタバレ》 ロッキーシリーズは4が直撃の世代です。私が初めて買った壁掛けのカレンダーが、このロッキー4のやつでした。この時のスタローンの肉体には、ホント惚れ惚れします。あぁ懐かしい。本当に、カッコいい。 シリーズとしては、一番オカシナ方向に行ってしまった感があります。ロッキーはアメリカの成功者として、国を背負って戦います。…いや、ノンタイトルマッチなので、個人的な試合なんですが、国旗のトランクス履いて最後は星条旗を背負ってガッツポーズ。これって、トランプ大統領が目指す『偉大なアメリカ』そのものですよね。確かにカッコいいんですよ。 時代は東西冷戦下。ライバルはソ連の巨人イワン・ドラゴ。解りやすいほど米ソの代理戦争の図式です。オープニングの国旗を模したグローブが衝突して爆発するくらい。あ、このシーン、スローで観ると、ソ連のグローブだけ大破してました。負けず嫌いですね。 アメリカ人が一番燃えるシチュエーションが“復讐劇”です。シンプルにアポロの敵討ちです。これって、真珠湾攻撃を模してるんだと思いました。一方的に敵が攻めてきて、圧倒的火力で、旧式戦艦(アリゾナ=アポロ)を滅多打ちにして帰っていく。先に手を出したのは奴ら。リメンバー・パールハーバー!さぁ反撃だ!! そもそも、アポロが会見場で必要以上にドラゴを挑発したのも悪いのに、そんな事より復讐なんですよ。“先に手を出させて、徹底的に叩き潰す”この国は今も昔も変わらないですね。こういうのが、彼らにはカッコいいんですよ。 過去作と大きく違う点は、ビル・コンティの有名なスコアを使わないで、ノリの良いロックが全編流れてます。このサントラも当時、私の周りみんな持ってました。もちろんダビングしたカセットテープですが、当時の“みんなが持っていた3大洋画サントラ”と言えば『トップガン』『ロッキー4』『オーバーザトップ』…かなぁ? サバイバーの“Burning Heart”がメイン・タイトルだと思うけど、一曲丸々入ってる“No Easy Way Out”も捨てがたい。凄いんですよ、この曲の間、ロッキーはただ、夜の道をランボルギーニに乗って走ってるだけなんです。そりゃアポロの死を悲しんだり、ドラゴへの闘志を燃やしたりしてるんだろうけど、映像は、ランボルギーニと、運転するロッキーと、さっき観たばかりのアポロが負けるシーンと、1~3のダイジェスト。全部アポロ絡みなら解るけど、エイドリアンとのラブラブシーンとか必要性のない回想も入ってます。でもロッキーのイメージビデオとして、カッコいいですけど。 僅か91分の映画に、過去一番の長さのボクシング&トレーニングシーン。過去一番の長さのロックシーン。過去一番の長さの回想シーン。こう書くと、どれだけ内容が薄っぺらいか伝わると思います。更にペッパー君みたいな給仕ロボットまで出てきます。久しぶりに観たとき、このロボットの事すっかり忘れてて、吹き出してしまいました。ボクシングの映画なのに、あれ何だったんでしょうかね? ジェームズ・ブラウン(本人役)にゴルバチョフ(そっくりさん)も出てきて、更に賑やかです。 当時の私は、社会派の戦争映画『プラトーン』にショックを受けてました。そのため、社会派の対極にある、本作のような単純な娯楽映画に対し、何か悪い点ばかりを突いて観ていたような気がします。でも年を重ねると、こういうキラキラしたお祭りのような映画も、カッコいいよね。って思えるようになりました。 [ビデオ(字幕)] 5点(2025-01-29 23:16:46)(良:3票) |
4. 幸福の黄色いハンカチ
《ネタバレ》 映画の内容を知らなくても、結末は知ってるって人が多いであろう映画。それなのに何度観ても楽しめる大好きな映画です。 '77年の北海道が舞台のロードムービー。ちょうど映画が撮影された時代に道東に住んでいたのもあって、観る度に懐かしさを感じる。 札幌以外の市町村は、特にここ20年ちょっとで極端に過疎化が進んでしまったけど、当時の地方都市の人の多さ街の賑わいが懐かしい。 3人揃っての旅は3泊4日。網走で出会い、阿寒湖温泉に泊まる。その後足寄あたりの農家、砂川の旅館、そして終着点は夕張。美幌峠を最後に有名な観光地にはほとんど寄っていない。更に陸別でカニを食べた以外、北海道らしいご当地グルメもほとんど食べていないのも、本当の旅らしい。日本中どこでも食べられる“醤油ラーメンとカツ丼”がまた美味そうで… 誰も頼る者のいない土地で、何やかや3人が支え合って一緒に旅をする。鉄也は新しい出会いを求めて、朱実は傷心を癒やすあてのない旅だった。お互い嫌じゃないから一緒にいるのに、ついついがっついてしまう鉄也に、ラケット持って説教する勇作。かつて光枝の気持ちを考えられなかった勇作の説教は“もしやり直せるなら”と、過去の自分に言い聞かせていたのかもしれない。照れ隠しのように「ミットもない」で〆るのは、鉄也への優しさにも思えるし、光枝と会う決心が揺らいでいる不安な気持ちの現われにも思える。 ガタイの良い勇作が、ずっと狭い後部座席に座っているのも、終始勇作の気持ちを表現しているよう。旅が進むにつれ、徐々に明らかになる勇作の過去。妻と暮らした街に近付くほど自信を無くしていく姿。流産した光枝にとった当時の自分の態度。あれだけ腕っぷしが強く男らしい勇作だけど、過去の自分と向き合うのがどれだけ怖いことか。最終日にウジウジして行ったり来たりさせてしまう弱さ。これが勇作の一人旅だったら、あれこれ言い訳をして逃げてしまったかもしれない。そんな勇作を勇気付ける若い二人が微笑ましい。 当たり前のように風にたなびく黄色いハンカチ、それも大量のハンカチがホッとさせてくれる。ここは結末を知っていた初見の時も、また何回再視聴しても、やっぱりジーンと来てしまう。ゆっくりと光枝に歩み寄る勇作。 光枝の顔も見ず、別れの挨拶もしないで走り去る二人もまた良い。勇作はもう大丈夫だって確信して、道端で人目もはばからず熱い抱擁をする若い二人は、歳を重ねて再会出来た勇作と光枝の心の中を代弁しているんだろう。 生ビールより瓶ビールが好きで、居酒屋とかでサッポロ・ラガー(赤星)が出てくると、ついつい嬉しくなってしまうのは、間違いなくこの映画の影響。 [地上波(邦画)] 10点(2022-03-21 10:57:16)(良:3票) |
5. 七人の侍
《ネタバレ》 黒澤監督の全盛期の作品って、実は観たことが無くって(乱と影武者だけ)。何かこう『観る時には正座しなきゃ駄目かな?』なんて、“世界のクロサワ”って冠に自ら敷居を上げて鑑賞。 普通に大人から子供まで楽しめる娯楽作品だったことに驚愕。肩肘張ってたところ、一気に楽な姿勢を取り戻して、戦国末期の世界感を堪能できた。『その世界に入り込める』というのは映画では結構重要な要素で、最近の邦画だと特に演者が番組とかで観る芸能人に見えた瞬間から現実に引き戻される。だけどこの作品では、三船ではなく菊千代、志村ではなく勘兵衛と、まるでこの世界で生きているように思えた。 序盤、言葉の聞き取りにくさは感じたけど、案外慣れてしまうもの。聞き取れない言葉はすっ飛ばしても楽しめるのが娯楽作の醍醐味かもしれない。 二百七分という長時間も、一部:侍集め『侍を七人集める』 二部:準備『侍と百姓の掘り下げ』 三部:戦闘『残る野武士三十三人を斬る』と、綺麗に三部構成に分かれている。それぞれの達成条件が解りやすい。 登場人物の魅力も一際で、平八の薪割りは胴に入っていて、浪人生活の長さを感じさせるし、五郎兵衛の優しそうな笑顔は仕官先を探している浪人(第一印象が大事)らしい。 利吉の女房の表情に息を呑む。目が覚めても慰み者の身は変わらず。現実世界に希望も見出だせない虚しげな表情の美しさ。一転して驚き、恐怖、恨みの笑みに変わる。凄い。ここで初めて味方側にも犠牲者が出るが、最後はとても淡白だ。あんなに魅力的な人物が、何の余韻も残さずに呆気なく死ぬ。娯楽映画とは言え、死の緊張感がある。単身闇討ちを掛ける久蔵が無事帰ってきたことへの安堵と、勝四郎が代弁する魅力。子どもたちが七人の侍遊びをしたら、きっと菊千代役と久蔵役の取り合いだったことだろうな。 魅力的な登場人物と分かり易い物語。よく出来た娯楽映画で、とっても面白かったです。 [DVD(邦画)] 10点(2022-05-15 23:21:13)(良:2票) |
6. ポセイドン・アドベンチャー(1972)
《ネタバレ》 ~The Poseidon Adventure~ポセイドン号の思いがけない出来事。でどうだろう? 船の転覆という異常事態から、命の掛かった選択と結果が連続する展開は、とてもハラハラするし、私がその場に居たらどうするか?を考えさせられる。 大晦日のパーティから、不気味なサイレン。さっきまでパーティを楽しんでいた人たちが死んでいく地獄絵図。 逆さまになった世界。ここに残るか、自力脱出を目指すか。判断材料の一つが“責任者や信頼できる人の判断に従う”だと思う。 そもそもの転覆自体、無理に速度を上げるよう指示したオーナーの命令からだった。もちろんあの中では一番権力ある人物。 会場内の最高責任者パーサーが『ここで救助を待つのが最善だ』と。一番船に詳しい人がそう言うのだから。多くの人は従うと思う。 船医と共に船首に向かう乗客。船の詳しさとか責任とか関係なく、単に誰かに頼りたい心理、自分の命さえ他人に委ねてしまったんだろう。 “責任者や信頼できる人の判断に従う”は、今回残念ながら全部が裏目に出てしまった。 ジョン牧師『残ったら助からないかもしれないが、全員を置いていけない』スコット牧師の考えを認めつつ、弱い人のため、怪我をして動けない人のために残る。考えの違う2人の牧師が、お互いを尊重して別れる演出が見事。 何かとスコット牧師と衝突するロゴ。エイカーズが落ちた時、真っ先に海水に飛び込んで探すし、船尾ルートを探すスコットを17分も待つ。愛情からリンダを6回も逮捕したように、周りに誤解されるけど彼なりの人への思いが感じられた。 見た目から足手まといになると思われていたローゼン婦人の活躍。映画観ながら一緒に息を止めてみたけど、私は助からなかったわ… 「最後に愛してるって言ったのは、いつ?」『さぁ20年前かな?昨日かも?』名セリフ、こんな老夫婦になりたい。 目的地は船底、薄いとは言え1インチの鉄板。そこから先どうするんだろう?と思ったが、彼らが助かったのは、波の影響で転覆すると読んで、早い段階でメーデーを出した船長の判断だった。そのため救助隊も早く到着していたんだろう。 パニック映画は数々あるけど、これほど、みんな助かってもらいたい映画も少ない。短い時間だけど人物描写が的確で、魅力を引き出せているからだと思う。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2021-08-28 20:37:55)(良:2票) |
7. 真昼の決闘
《ネタバレ》 “High Noon”『正午』。私の中でベスト・オブ・西部劇が本作かもしれません。午前10時35分から始まるこの作品は、上映時間と劇中時間がほぼ一緒のリアルタイム作品。その設定は今でも通用するくらい斬新で、とても72年も前の映画とは思えないほど、スタイリッシュです。 ケインはその日、若くて美しいエイミーと結婚式を挙げていて、新しい人生の門出の日として、幸せの絶頂でした。そこから僅か1時間ほどで、ケインが長年に渡って築き上げてきたもの全てを失っていきます。街の人からの協力を得られず、ジワジワと不利な状況に追い込まれるケインと、ミラーの乗った汽車の到着をのんびりと待つ3悪党。同じ時間が経過しているのに、受け取る人間の状況で、時間は残酷にも、退屈にもなるんですね。 一度は街を逃げ出した彼が、再び戻ってきてしまったのは、責任感と正義感からでしょう。一方でケインによって守られる対象の街の人々というのは、決して正義の側とは言えません。中には“稼げた”ミラー時代の復活を望む者も居ました。前回は協力したのに、今回は協力しない者。当然のように協力を申し出たのに、他に協力者が居ないと解ると怖気づく者。街を支配するのが正義でも悪でも、結果を受け入れるのみで、自ら変えようとしない人々。この辺、西部劇という私があまり得手でないジャンルと言えども、普遍的な集団の心理と、進んで積極的な行動をしない類の人間の生々しさを感じさせました。 もしケインが街に戻らずに逃げていたら、どうなっていたでしょうか?ミラーたちの目的が復讐であれば、街に居ないからと諦めたりせず、執拗に追いかけられるかもしれません。正義の行動だったのに、コソコソと隠れて生きていかなければいけない。そう考えると、やはりあの街で決着をつけるほか、選択肢はなかったのかもしれませんね。 [DVD(字幕)] 10点(2024-09-29 23:34:54)(良:2票) |
8. 天空の城ラピュタ
《ネタバレ》 劇場で2連続で観て以来、TVでやってても観ることなく、今回DVDを買って36年ぶり?に観ました。 やっぱり面白いなぁ。宮崎監督が実力に伴う評価をされてきた時期の作品なので、アブラの乗り具合が違う感じ。フラップターとかゴリアテとか、アイデア満載の不思議なメカを出し惜しみしないところが、才能が溢れてる感じで好き。私は特にオープニングの永遠に穴を掘れるショベルがお気に入り。 宮崎監督の才能だけでなく、当時のアニメーターの実力、久石譲さんのセンス。要塞襲撃のカメラワークとテンポと音楽は神懸かってます。 さて“血湧き肉躍る冒険活劇”については皆さんのレビューをご参照頂くとして、“思春期と成長”について書いてみます。 少年少女の冒険は、なにも宝探しや悪者との追いかけっこだけじゃない。身近な女の子を異性として意識するのも立派な冒険。 おさげアタマに地味なネイビーのワンピースを着た、いかにも幼い少女という出で立ちだったシータ。パズーの服を着て帽子を被れば女の子だとバレないくらい。パズーの家で目覚めてから靴を履くシーンの子供っぽさは、誰も見てないところだけど、彼女のあどけなさを強調するために敢えて入れたんだろう。 そんな子がタイガーモス号に乗ってからは、ウエストを絞って、猫背がちだった背筋を正し、胸を強調してきたからさぁ大変だ。まさに“カワイイは作れる”を実践するシータ。大人の海賊たちも彼女にメロメロなんだから、パズーも溜まったものじゃない。 タイガーモス前と後で、胸に限らず等身から表情まで女になるシータ。当然、わずか3日位の劇中で彼女が成長したのではなく、主人公であるパズーがシータを“同年代の子供”から“異性”として見るようになったからだろう。 パズー目線だけでなくシータの中でも成長が見られるのは、ドーラからキッチンを任されたシーン。汚いキッチンを相手に腕まくりをするシーンから、極端に胸が大きくなる(ように見える)。『さぁ男どもの腹を満たすぞ!』と、彼女の中の女“母性”が目覚めたシーン。 ラピュタに上陸して、シータが腰の紐を解こうとしてると、パズーに急に抱きかかえられた時に不意に出た声。ヘタクソならここは「キャッ!」とか言わせるところを「うわっ」と言わせる。この「うわっ」は、女性が気を許した相手だけに“素の自分を見せる”アレね。当時のアニメのヒロインは普通「うわっ」って声出さないでしょう。宮崎監督と横沢啓子さんの手腕、高等テクニック。その後2人は(一瞬だけ)熱いハグをしてクルクル回りだす。シータの腰に回した手。ボーっと見上げる空にはツガイの鳥(ヒタキ)。あぁもうエッチ。 そして若い2人は滅びの呪文を唱えてしまう。皆さん大好きな「バルス!」。呪文の結果はあの通りだったけど、効果の範囲が分からない呪文を唱える意思の強さ。自分たちだけでなくドーラ達も死ぬかもしれない。もしかしたら世界が滅ぶかもしれない。好きな人を守るために世界を滅ぼしてしまおう。って思える若さが良い。少年に出来るのは世界を救うことでなく、目の前の女の子を助けるので精一杯なんだ。 ラピュタは子供向けのマンガ映画のワクに収まらない青春映画。未来少年コナンのラナと同じ12歳という年齢は、当時の宮崎監督の中の、性の対象/非対象の境界線だったんだろう。最後まで子供の容姿だったラナが、いかにしてナウシカ(16)のような“女”になるか。シータは登場時ラナ(子供)っぽく、映画の終わり頃にはナウシカ(女)っぽくなっている。その成長を安直な色気ではなく、直接的な描写・表現を入れずに一本の映画で表現。 パズーも赤ら顔一つ観せず、真っ直ぐな冒険少年の姿しか観せないから見落としがちだけど、少年少女の大冒険の中に、思春期の異性への思いを織り込んでいるのは、見事としか言いようがない。 [映画館(邦画)] 10点(2022-05-03 12:05:13)(良:2票) |
9. 男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎
《ネタバレ》 シリーズ33作目。本サイトでは寅さんシリーズ・ワースト3に入るくらい低い点に警戒する反面、私の好きな登が久々に登場する回(※事前に調べてた)ともあって、複雑な思いで観始めました。 当時私は中原理恵さんが大好きでした。欽ドン!毎週観てました。綺麗で可愛くて面白くて、こんな人が私のママンだったらなぁ…なんて思ったこともありましたよ。欽ちゃんブームが下火になった辺りから、彼女もあまり観なくなりましたね。今回久しぶりに彼女を観られて、そしてやっぱり綺麗な人で、なんかすごく当時を思い出せて嬉しかったです。 更に釧路(うわっ都会だ!)に根室(…田舎だ)に霧多布に中標津と道東てんこ盛りな回で、それもまた嬉しかった。あの樽の中をぐるぐる回るオートバイ・サーカス。札幌はじめ北海道の夏祭りの花形イベントでしたが、最後の一座もコロナの最中に人知れずひっそりと閉業されたそうです。 登の再登場は良かったけど、あの別れ方は悲しかったなぁ。だけど、カタギになった登と、時代に取り残された寅のフーテンぶりを敢えて観せる演出と思えば納得です。悲しいけどね。タコ社長の娘のあけみ。むか~し社長一家が出た時に、わらわら居た子供の一人なのかな?なんかぶっ飛んだキャラクターで好きです。美保純かぁ。味があるなぁ。トニー。名前からして住む世界が違う人です。ハーフ役かな?あだ名かな?思わせぶりなセリフを最後に出なくなるのは、確かにモヤモヤする。栄作。欽ドン…じゃないか、でも欽ちゃんファミリーの懐かしい顔。こちらも退場のしかたがちょっとだけど、面倒くさい旅の仲間っぷりが良いアクセントになってたわ。 マドンナ・フーテンの風子。中原理恵が好きなせいもあるけど、この後先考えずに憎まれ口叩いてしまう性格なのは、作中自分で言ってる通り。とらや&寅連合VSマドンナって図は初めてかも?最後のとらやでの言い方に怒りを覚える気持ちも解ります。みんなで優しくしたのに掌を返すようなやり方でって。その気持も解るけど、弾かれ者だった風子が、同じ境遇のトニーを嫌いになれない気持ちも解るなぁ。 最後の熊。モロぬいぐるみのニセモノ熊には失笑だけど、前作でレオナルド熊がニセモノ寅を演じた繋がりってことで、最低マドンナの烙印押されてる風子共々、許してやっちゃ、くれないだろうか? ちなみに私の中の最低マドンナは高見歌子(吉永小百合)です。 [CS・衛星(邦画)] 6点(2023-12-17 23:00:15)(良:2票) |
10. スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐
《ネタバレ》 新3部作の最後だけに悲しい結末は想像できたけど、そこに至るまで何を観せてくれるのか?アナキンはどうしてあのマスクを被り、ダースベイダーと名乗るようになったのか?色々な思いを持って劇場に行ったけど、思った以上に悲劇に向かって一直線だった。 序盤のパルパティーン誘拐は、本来のSWらしく楽しく描かれている。コルサント上空での大規模な艦隊戦は当時のCG技術の集大成とも言えるくらい美しく迫力がある。このシリーズのお約束になったR2の活躍や、アナキン「すぐR2が来ますよ」オビ「…プランBは?」ジェダイ2人のやりとりも微笑ましい。逃げる2人とR2と一緒に、場違いなパルパティーンが居るのがなんか可笑しい。…だけど公開当時は悲しい結末に身構えるあまり、ドゥークー伯爵を殺すよう命じたことや、2人のやり取りもどことなくピリピリしているような気がして、素直に楽しめなかったように思う。 あと場面の切り替えが頻繁で、どっかで戦闘が起きたら次コルサント。すぐまた場所が移って次コルサントって感じに。もっと一箇所のストーリーをじっくり見せてほしかったかな。 艦隊戦はクレオパトラやベン・ハー辺り、上陸作戦は史上最大の作戦辺りがモトだろうか。SWと言えば撃たれれば死ぬ。切られたら死ぬ。と単純だったけど、今回の戦闘シーンはパイロットが宙に放り出されるとか、撃たれて苦しむトルーパーとか、SWらしくなく生々しい。でもそれは後の“オーダー66”やジェダイ聖堂虐殺シーンに繋がることになる。 まだ幼いパダワンたちが殺されるのは辛かったが、これをルーカスが撮ったことが凄いことだと思った。ルーカスはSWというドル箱を掴みながら、ボバ・フェットやハン・ソロでなく、イウォークを主役にしたスピンオフを作ってしまうような人。子供が好きで、子供の楽しめるものを作りたかった人だと思う。だからEP1はずっと子供が主人公だし。そんなルーカスが子供を殺すシーンを入れた。前作のサンドピープルのように、言葉の説明だけで済むのに。 ルーカスが大事にしていると思う単語が2つあり、1つは“THX(-1138)”で、もう1つは“スカイウォーカー”。私は、アナキンがあのマスクを付けてからダースベイダーを名乗ると思っていたけど、あら予想外、アナキンの姿のままダースベイダー襲名になった。そうしないとあの聖堂の虐殺のやり切れない悲しさが出せないのと、やはりルーカスは、どうしてもアナキン“スカイウォーカー”に子供殺しはさせられなかったんだと思った。 「嬉しいお知らせよ、妊娠したの…どうしよう」過激な外交も厭わない、気丈な政治家の顔は鳴りを潜め、アナキンに頼る“か弱い女性”になったパドメ。前作では想像出来ない隠居生活を考えるパドメと、マスターとして評議会入りしたいアナキンの将来像のズレ。「子供が暮らしを変えるわ」「子供が幸せを運んでくる」悲しい伏線。ナブーの葬儀の時、パドメの手に幼いアニーからもらった「ジャポーのお守り」。EP2の序盤で再会した時、成長したアニーに気が付かない風なフリをして、パドメもずっとアニーを思っていたことが伺われる。 勝負が付いてアナキンの「I Hate You!」にオビは「I Love You!」と返す。SWで「I Love You」と言えば「I Know」と返すのが定番。きっとアナキンも、オビの気持ちは解っていたんじゃないかな。 マスクを付けられるアナキンとともに流れるダースベイダーのテーマ。離ればなれになる双子。オーガナ王女に抱かれるレイアとともに流れるレイアのテーマ。オーウェンとベルに抱かれるルークとともに流れるフォースのテーマ。新3部作で初登場(だったと思う)の、印象的なタトゥイーンの双子の夕日をココに持ってくるセンス。あまりの美しさに泣きましたよ。 “シスを倒しフォースのバランスを正す選ばれし者”のむかし話から、いまの我々の時代の~A New Hope~新たな希望の物語へ。見事に繋がる終わり方。 [映画館(字幕)] 8点(2021-09-04 20:12:55)(良:2票) |
11. ブラック・レイン
《ネタバレ》 -Black Rain- “黒い雨”。原爆のことを表しているのかと思ったけど、親分の「3日間防空壕に入っていた」ってセリフから、恐らく本土大空襲全般のことを表現してたんだな。爆弾の熱は日本人を焼き殺し、生き残った日本人には黒い雨が降り注いだ。そして親分曰く“金を崇拝するアメリカ人のような日本人”佐藤が生まれた。 監督はアメリカ人が映画を観てイメージする、スキヤキ・ゲイシャのステレオタイプな日本人像ではなく、家電や車で世界を席巻した、生まれ変わった今の日本を表現しようとしたんだろうか? そういう意味では今までの日本表現に比べ、スタイリッシュな都市像が表現されている。リアル・ブレードランナーの世界。 新しい日本人・佐藤と対極なのが松本。松本のような実直で真面目な古い日本人が、如何にして戦後から現代を生きているか。英語を学び、チャーリーとカラオケを歌い、ニックから“時にはブチかます”ことを学ぶ。古い日本人はアメリカから学び、どんなものでも吸収して今に至っている。 若くて気さくなアメリカ人チャーリー。どんな相手でも仲良くなれる彼は、さしずめ新しいアメリカ人だろうか?何でも吸収する姿勢は松本に近い。 そしてニックだ。妻と別れ、雨の日に子供をバイクで迎えに来るダメな父親(ってか母親も窓から見送るなよ、風邪引くだろ。きっとニックに懐いてる自分の連れ子には愛情がないんだわ、この母親)。仕事でも仲間の汚職に加担して、自分も賄賂を受け、それをチャーリーに言えないでいる。 金を崇拝とまでは行かないが、汚い金で子供を養う彼は、本質では佐藤と似ているのかもしれない。 この映画、本当はニックという汚職警官のダメっぷりを、もっと丁寧に描くべきだったと思う。だから最後の空港のシーン、シャツの下の偽札原板の意味がイマイチ“??”な感じになった。 ニックは日本の警察に原板を渡さなかった。松本はニックが原板を隠していることに薄々気が付いていたと思う。でも原版の話はするけど、調べるつもりもなかった。原版の使いみち、オイシイ話をするニック。 ここでお別れだと言ってシャツを渡す。そもそも松本に、日本で買ったシャツを渡すのは変なのに。空港には警護の警官も来ていたと思うと、松本と2人きりで話せる場として、あの狭い立ち食い蕎麦は好都合だったんだろう。 「後ろに気をつけなカウボーイ」原版をバレずに上手く使えよ。と、松本は絶対そんなコトしないの解っていて原版を託すニック。 ちなみにこのセリフ、内務調査前の別れ際にチャーリーがニックに掛けた言葉。 あの時、チャーリーもニックの汚職に薄々気が付いていたけど、ニックの自発的な更生を望んでいたのかもしれない。 …とここまで、松本に影響されて汚職から足を洗う決意をしたニックの照れ隠し。ニューヨークに帰ったら内務調査で真実を話す戦いが待っている。 あの戦争で日本人が変わったように、ニックのようなアメリカ人も、きっと変われるハズだと。 はにかみ笑顔のマサと、満面の笑みでサムズアップのニックさん。テーマソングも相まって、2人ともカッコええ… [ビデオ(字幕)] 7点(2022-02-11 15:46:12)(良:2票) |
12. 硫黄島からの手紙
《ネタバレ》 終戦の日。ということで鑑賞。 父親からの星条旗が思ったほどピンとこなかったため、劇場には行かなかったことを後悔してしまった。 アメリカ映画のスケールで、日本側の視点から極力中立に、丁寧に描かれた戦争映画。 ここまで違和感のない日本の文化と考え方を表現した映画を、アメリカが作ったことが驚く。夜中に国旗を掲げてるとか、あれ?って思う描写は少しあったけど、日本で作っていたら、きっともっと違和感を感じる、反戦メッセージの強すぎるチープな作品になっていたんじゃないかな。と思う。 廃トーチカ、朽ち果てた戦車。調査隊が洞窟を調べる現代から、戦中の硫黄島、灰色の空と土。西郷のボヤきに繋がるのが上手い。 一兵卒でさえ無意味だと思う穴掘りをさせられ、ボヤくとムチで打たれる。新しい司令官が作業を止めさせるよう命令しても、直属の上官が止め!と言うまで穴を掘る。今の日本社会もそう変わらない。 「ありゃいい司令官じゃねぇか」「メリケン好きじゃないか?」小澤や野崎との、今ならLINEなんかでするような普通の人の会話から、彼らと今の私達との距離をグッと縮めてくれる。 敵と撃ち合う事もなく、ひたすら戦場を駆け回る西郷の目を通してみる硫黄島の戦い。撤退命令に背き集団自決を選ぶ指揮官と、従うしかない一兵卒たちの現場の空気。私があの場に居たらと思うと、恐怖以外の何物でもない。 地雷を胸に体当たりを敢行する伊藤大尉。死ぬことが出来ず一晩以上放置され、軍人としての誇りも無くなり、孤独な自分と向き合うと、やはり死が怖くなる。助かりたい一心で士官の軍服まで脱ぐ、人間の弱さが生々しい。 負けて諦めて自決して。無能な士官ばかりでなく、バロン西のように人望のある士官も、活躍しすぎない適度なバランスで描かれる。 鬼畜米英と教えられた敵兵の母の手紙。日本兵もアメリカ兵も家族の思いは変わらず、また当時の彼らと今の私たちの思いも変わらない。 西郷が燃やさずに埋めて、61年後に発見された手紙。家族や子に宛てて書いた祖先たちの気持ち。 私達と変わらない普通の日本人が、あんな怖いところで書いた手紙。 生きて本土には還れない、家族には届けられないのを知っていて書いた文面の、何と穏やかなことだろう。 「ここはまだ日本か?」「はい、日本であります」 当時映画を見たあと、どこにあるかよく知らない硫黄島を地図で探した。彼ら英霊が眠る地は、今も日本の領土だ。 あんな遠い南の小さな島で、36日間も頑張ったんだ。 [DVD(字幕)] 9点(2021-08-15 17:40:27)(良:2票) |
13. チャップリンの独裁者
《ネタバレ》 ~The Great Dictator~偉大な独裁者。 冒頭の第一次世界大戦が結構リアル。あの威圧感ある長距離砲はセットだろうか?良く出来てるなぁ。 ヒンケル総統の、インチキ・ドイツ語によるスピーチが、いかにもそれっぽくて可笑しい。ヴィーナスや考える人の小ネタも笑える。 秘書の打つタイプライター・ネタ、コイン・ケーキ・ネタがシンプルだけどツボった。 独裁者なのに隣国の独裁者にはちょっと気を使ってるところとか、ヒンケルを憎み切れないキャラとして描いている。 だけど床屋の男とヒンケルがそっくりなことに、誰も触れないのが不思議。どう解釈すればよいんだろう? 突撃隊員によるユダヤ人への扱いは過激な暴力レベル。制作当時、ホロコースト大量虐殺の事実は世界に伝えられていなかったためらしい。 当時のドイツの社会的立場と勢いを考えると、今に例えると中国くらい強力だったんじゃないかな。 中国が香港や台湾、チベット自治区や新疆ウイグル自治区への過激な暴力を、習近平そっくりの主人公を出して、ユーモアを入れながらも真っ正面から批判できる有名人が、いま何人いるだろう? サイレント映画の王が雄弁に語る。ヒンケルでも床屋の男でもなく、コメディ映画としてのストーリーなんかそっちのけで、チャールズ・チャップリン個人が、コメディを見て笑いに来た観客にぶつける演説のパワー。 結果的にヨーロッパ戦線は第二次世界大戦になり、約7500万人の戦死者・犠牲者とともに、600万人のユダヤ人が一方的に殺された。世界が笑いごとでは済まない事態に向かっているまさにその時に、チャップリンの情熱によりこの映画が作られた事実が凄い。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2021-07-07 23:13:43)(良:2票) |
14. 男はつらいよ 拝啓車寅次郎様
《ネタバレ》 シリーズ47作目。カメラマンと(の)人妻の出会いと恋という、当時ブームになった『マディソン郡の橋』(イーストウッドの映画版公開の前だから小説版)からインスパイアされた作品。45作目の『髪結いの亭主』といい、流行りものを寅さん世界に落とし込む作風の一つですね。 ゲストは牧瀬里穂で、お父さんは郵便局長。過去にも『郵便局がスポンサーなんだな』って回はありましたが、今回は大々的でした。この映画の公開当時、牧瀬里穂は郵便局のイメージキャラクターでしたね。当時私は大きい郵便局で、年賀状を仕分ける短期アルバイトをしていました。そして記念品(お年玉?)として牧瀬里穂のテレホンカードを貰いました。同年代で貰ったって人、結構居るんじゃないかなぁ?そして映画の最後の方で、牧瀬演じる菜穂が郵便局の緑の制服を着て出てくるのは、ちょっと嬉しいサービスショットでした。当時を思い出して懐かしくなりましたよ。 今回も満男の恋が描かれますが、“3M”の一角を占めるトップアイドル菜穂とボンヤリした満男では、いくら映画だとしても不釣り合いに感じます。“国民的美少女”の泉とお調子者の満男は、同じ部活という繋がりがあったにせよ、それでもやっぱり不釣り合いで、振り返ると前作の亜矢くらいが、一番バランスが良かったんじゃないでしょうか? 寅がほとんど動けないのと、それでも工夫して撮ろうという配慮が伝わってきます。寅が騒動を起こす場面は、カメラの回ってないところで起きて、人づてに語られる手法です。仕方ないとは言え、スッキリ出来ないのも事実です。 それでも鉛筆売りの勝負は寅さんが満男に教えられる、世の中の生き抜き方って感じで良かったな。 満男以外の主要メンバーの高齢化も目立ち、笑えるところも多いとは言えず、コメディに分類して良いのかとても悩ましいところ。残り一作なのが解っているから付いて行けるけど、リアルタイムには観る側も辛かったと思います。寅さんメンバーの、年に一度の安否確認の意味合いが強い作品でした。 [CS・衛星(邦画)] 4点(2024-04-04 01:47:06)(良:2票) |
15. がんばれ!ベアーズ
《ネタバレ》 原題は~The Bad News Bears~『厄介者のベアーズ』とかだろうか? 映画観れば解るけど邦題『頑張れベアーズ』は勝利チームが負けチームに贈るエール。少年野球の健全さとスポーツマンシップから生まれたエールだろうけど、実際は歌う側の優越感、歌われる側の屈辱感が滲むのが伝わる。良い邦題だと思う。 出来損ないの寄せ集めチームのベアーズ。ユニフォームがyellow(臆病、卑怯)なのも意図的なものか? 出てくる子供達は悪ガキくそガキばかり。マセていて口が悪い。でも彼らを知るほどに愛着が増していくのは、撮り方上手いなぁ。 子ども目線中心に撮ってしまうと、一気にお子様向け映画になってしまうが、少年野球に係る大人の生々しさを見せることで、大人も楽しめる作りになっている。 デッドボール指示。上手い選手に一人野球をさせる。相手チームだけど強打者への敬遠策。アマンダの帽子にワセリンはバターメイカーが教えたに違いない。主役チームなのに、この大人げなさというかスポーツマンシップに反する試合運び。でも大人の世界では勝つために結構行われていたりする。 子どもたちが引いてしまうほど、勝つことだけを目指してきたバターメイカーのベアーズ。最後になって健全なチーム全員野球からの団結しての「来年見てろよ!」の展開は、ここに来て少年スポーツ映画の王道展開だ。子供たちビール飲んでるけど。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2020-12-18 00:33:26)(良:2票) |
16. インディ・ジョーンズと運命のダイヤル
《ネタバレ》 “Dial of Destiny”邦題ままだけど、どうして今さら『と』を付けたのか?それならいっそ『インディアナ…』にしちゃっても。なんて思う今日この頃。 満を持して創られた前作でコテンコテンにされたから、本作に新たな何かを期待する層も少ないだろうと思う。もうただ、私達を熱狂させた往年のシリーズがここで終わる。その時に一緒に立ち会う。どんな出来であっても暖かく見守ろう。そんな決意で劇場に足を運んだ人が多かったんじゃないかな? パラマウント山からの~…無いんだ。それでもOPの若いインディに期待が高まる。あのクオリティで表情豊かに動けるなんて、スゴい時代になったものだわ。ナチスとの追い駆けっ子が懐かしい。役者の顔を貼り付けた実写アニメとも言えなくもないけど、CGって良くも悪くも安心感があるね。 現代パートに戻って、老いたインディのパンツ姿。あぁ、これからこの御老体が、体を張って冒険するのかと思うと、興奮よりいたわりの気持ちの方が強く湧いてくる。だってハリソンってウチのママンと同じ年なんだもの。 徐々に明かされるインディの現状。なんか、低評価だった前作の存在を否定するような、そんな今の生活なのね。 老いたインディ。家庭環境の変化。アンティキティラが時空と関連するオーパーツと来たから、インディの環境が変わるのかなぁ?なんて想像は立ちました。 懐かしいサラー登場。そのうちショート・ラウンドやウィリーも出てくるんだっけ?(※出ません。この映画の情報を極力シャットダウンしてたので、無関係な雑音をキャッチしてました。) 実際に走る姿は痛々しいけど、アクションはそれなりに自然に観えました。これもCG技術の賜物なんでしょうけど。トゥクトゥク走らせたり崖を登ったり。老体に鞭打つインディの活躍を、興奮するでも冷めるでもない、不思議な気持ちで見守っていました。 私がまだ若かった頃、映画は映像娯楽の中でもかなり共通認識の高い方に分類されていたと思います。新作が出る度に熱狂したスクリーンの中のスーパーヒーロー。新作が公開されると即劇場に足を運び、ビデオが出るとレンタルして何度も観る。もちろんインディ・ジョーンズは誰もが知るスーパーヒーローの一人で、演じるハリソン・フォードもまた、誰もが知るハリウッドの大スターでしたね。 今では映画は、数ある映像コンテンツの一つでしか無くなり、ハリウッドの大スターといえば、'90年代から活躍していた人ばかりです。 何年も前にヒットした作品を、当時の設定、当時の俳優のまま、リブートすること無く創って、終わらせる。シリーズを終わらせるために眠りから起こされるスクリーンの中のヒーローたち。 本作を観て、良し悪しは別にして、今のスタイルの映画という文化が、いよいよ変わる時が近づいているのかなって、そんな気持ちになりました。 [映画館(字幕)] 6点(2023-07-10 23:13:20)(良:2票) |
17. スター・ウォーズ
《ネタバレ》 ~STAR WARS~星!戦争!。 わざわざ訳す必要がないくらいシンプルなタイトル。世界中誰でも理解できる、絵文字やピクトグラムに匹敵する単純な組み合わせ。 “遊園地の代わりに家族みんなで観に行く劇場映画”。 ストーリーは子供でもわかる勧善懲悪のシンプルなもので、大人も満足できるジェットコースターに匹敵するアトラクションとして、家庭用の小さなカラーテレビでは体験できない、迫力の映像と音響を満足できる劇場映画の誕生。当時体験した人は大興奮しただろうな。 私のSWデビューは、水曜ロードショーのテレビ初放送だった。名前と存在だけは知っていた話題の映画。 それがいよいよ放映される。ただ我が家では“次の日学校がある時は、子供は22時に寝る”というルールがあった。けどその日は20時から前倒し放送だったから、最後までは無理でも、かなり後半まで観られるぞ!とワクワクしてTVの前に座ってたっけ。 C-3POとR2-D2がテレビ局をウロウロして芸能人と話をするという、どうでも良い内容がダラダラと続き、いつまで経っても始まらない本編にだんだんイライラ。結局本編が始まったのは21時くらい。せっかくのアドバンテージも台無し。大人って酷いことするわ。 それでもワクワクしながら視聴。OPのオーケストラとともに流れ行くでっかいタイトル。宇宙、星…そして画面上部を覆い尽くすスター・デストロイヤー!!「ぅわあーーーーー!!」って叫んでた。いま、目の前で凄い事が始まった。今まで生きてきた中で考えた事もないことが起こった。 あとはもう流されるまま…圧倒的な数の敵兵。砂漠を歩くロボット。用途の解らないロボットいっぱい。双子の夕日の美しさ。ホバーカー浮いてる。サンドピープル怖い見た目怖い。ライトサーベルの音カッコイイ。ガンダムのビームサーベルと全然違って熱そうでカッコイイ。お父さんたち(叔父叔母)が骨に。変な宇宙人いっぱいの酒場。ワープで星が流れていく。さぁ、お姫様を救いに宇宙へ! 「ちょっと、何時間見てるの?いい加減寝なさい!」これからって時にタイムアウト。 え?ちょっ!待ってママン!ってかお母さん。いま、大変なんだから!宇宙が!お姫様がっ!! 抵抗虚しく私のSWデビューはここまで。22時以降も起きていて良い兄は続きを観てる。悔しい… 次の日兄に『あの後どうだった?』って聞くと「う~ん…お前が寝る辺りまでが一番面白かったよ」と、いま思うと気遣いある回答を貰ったっけ。 この時は最後まで観てないけど、映画ってこんな凄い事が出来るんだって思った。このSWがキッカケで、私はマニアックな映画の見方をするようになったのかもしれない。最初のSWのストーリーなんてオマケもいいトコ。頭を空っぽにして映像と音と世界観を楽しむ映画。 今回SWシリーズを観直すに当たって、旧3部作を観てから新3部作、ローグ・ワンを挟んで旧3部作の特別篇を観ている。劇場版と特別篇がセットになった、昔のお得なDVDだけど、収録されている劇場版は“Episode IV - A New Hope”が付けられる以前のものだった。 [地上波(吹替)] 10点(2021-09-13 00:50:58)(笑:1票) (良:1票) |
18. ラ・ラ・ランド
《ネタバレ》 ~La La Land~ちょっと狂ったタイトルで、造語だとしたら歴史に残る名タイトルなんだけど、既存の言葉らしい。 『現実的でない陶酔状態』とか『夢の国=LA(ロサンゼルス)≠ハリウッド』 底抜けに楽しいオープニングのハイウェイのダンスから、カラッとしたミュージカル・コメディかと思ったら、意外にも切ない物語だった。 これはもしや、後半の走馬灯のような~if~のシーンが現実で、映画の本筋が妄想なのでは? 売れない女優のタマゴが、たった一回限りの、しかも大失敗した一人芝居で注目されて主演に抜擢、5年後は大女優に… 本格ジャズが売れない時代に、片手間で参加したバンドが大ヒットして、夢だったハリウッドのジャズ・バーを買い取って繁盛させる… う~ん…そんなに上手くいくか?って思ったけど、本筋が妄想だと辻褄が合わない事が多く発生するので、そのうち再検証したい。 なので、あの~if~のシーンは、セバスチャンからミアへ『有名女優になる君の夢は、きっと僕と付き合い続けても、別れても、どんな道を辿っても絶対実現できたよ。でもハリウッドのジャズ・バーのオーナーになる僕の夢は、君と別れないと実現できなかったんだ。これで良かったんだよ、君は後悔しないで良いんだよ』って意味に捉えよう。 店の名前が“チキン・オン・ザ・スティック”じゃなく“セブズ”なのは、セブのミアへの未練だろうか?感謝かな。 男優、女優、ミュージシャン、シンガー、ダンサー。自分の夢を実現すべくハリウッドに向かう希望に溢れたタマゴたちで、ハイウェイは大渋滞だ。 心の中で笑顔で踊る夢を抱きながら、現実は我先に目的地(地位と名声)に行こうとクラクション(競争)の応酬。成功者はほんの一握り… そう思うと底抜けに楽しく見えたオープニングも切ないな。 渋滞する夜のハイウェイから降りることで二人が再会するのも、競争から抜けるって意味だろう。 なんか無性に『マルホランド・ドライブ』を観たくなったぞ。 [CS・衛星(字幕)] 9点(2021-04-17 13:12:25)(良:2票) |
19. インデペンデンス・デイ
《ネタバレ》 “Independence Day”『独立記念日』。アメリカがイギリスから独立した記念日です。 宇宙人の地球侵略を、これでもか!ってくらいストレートに表現し、大迫力の都市破壊シーンを映像化した映画の元祖かもしれません。都市を飲み込む巨大な円盤。どう考えても勝てっこない相手に、現役のF/A-18が果敢にも戦ってます。 当時のCMを観て、劇場の大画面と大音響サラウンドで観てこそ、この映画の価値は最大限に活かされるであろうことは、想像するまでもないことでした。 うん、後日テレビ放送も観たけど、F/A-18が母船のバリアに突っ込んで爆発するシーンなんて、ハエが飛んでるくらい小さく観えたわ。 序盤は“もし、巨大なUFOが現れたら、政府はどうする?”を、結構リアルに表現できていたと思います。偵察機を飛ばしたり、ヘリで歓迎の意を示してみたり、UFOに発砲しないようニュースで呼びかけたり。民主主義国家は未曾有の出来事に対し後手後手に回ってしまうのは、先の震災でも体験したとおりです。だけどそこはアメリカ(製の映画)、一方的にやられてからの反撃の決断が早い。当時、それまで再現されたことのなかった物量攻撃。でも流石に最終手段の核を使うまでは悩むんだな。そして核さえ効かない絶望感。さぁどうなる? 初期のCGでスター・ウォーズ並みに迫力のドッグファイトを観せてくれるけど、都市破壊映像はミニチュアのビルの模型を使ってるのが凄い。ビルの砕け方とか、いまのCGじゃ再現できないハリウッド職人の技術を感じてしまう。 色々飛ばして大統領が「インデペンデンス・デイ!!」「うぉお~~~!!!」ってトコ大好きです。本作の『最終決戦。リーダーが演説で兵士たちの士気を高める』シーンの中で、この映画の右に出るものはないかもしれません。今でも娯楽番組で使われる劇中音楽も良いよね(大統領の紹介とかでよく掛かるイメージ)。そしてやっぱり親父の特攻はホロリと来てしまう。ここを観ないとこの映画は終われない。 テレビのUFO特番でよく聞いたエリア51とかロズウェル事件とかを“劇中ほんとにあった話”にしたのは斬新…というか、劇場で観ていた当時、まさかこの映画で矢追純一な設定持ってくるなんて思ってなかったわ。 まぁ一見陳腐な設定に思えたけど、変に新しい設定創って話を難しくするより、誰もが知ってるミステリーから引っ張ってきたほうが分かり易いよな。だって派手な破壊シーンを楽しむ映画なんだし。 エリア51のクリーンルーム。完全防備の研究員の奥からマスクすらしてない白衣の博士が…。デビッドが反撃を思いつてから、トントン拍子に一晩で色々諸々が完成。ウイルスが効くなんて敵の母船はマイクロソフト製か?小型UFO、宇宙人もテレパシーでなく手動で操縦してたの?研究施設なのにどうしてUFOの射出カタパルトみたいになってるの?大統領が戦闘機で出撃なんてブッ飛んでんなぁ… 敢えて残したと思えるくらいツッコミどころは多い。けど、面白かった。 [映画館(字幕)] 7点(2023-09-06 22:40:32)(良:2票) |
20. 八日目の蝉
《ネタバレ》 -八日目の蝉-というタイトルの意味に色々な説があるようだから、決まった答えはないんだろう。私は“本来は与えられない時間”と解釈した。蝉は八日目を迎えられない。でももし八日目があったら?という意味なのかと。それは希和子にとって、自分が産むことの出来なかった子との時間。薫と名付けるつもりだった、中絶したために産まれて来なかった娘と暮らす時間なんだろう。 誘拐。最初は秋山家への突発的な復讐心からの行動だったろうけど、不倫相手への執着よりも、子供に対する母性が勝ってしまったんだろう。秋山に身代金や何かを要求するでなく、希和子にとって恵理菜は薫となり、掛け替えのない四年間を過ごすことが出来た。 裁判での、まるで秋山夫婦を見下すような感謝の言葉は、娘との“本来は与えられない時間(八日目)”を過ごすことが出来た、希和子の本心と思えてならない。もうそれだけで、あの四年間の思い出だけでもう充分だから、出所後に当時の写真を取りに来た。もとから成長した恵理菜と会うとか、そういう考えは無かったんだと思う。 恵理菜の母親は逆に、奪われた時間が戻ってきた。誘拐されて生死不明の娘が四年後に戻ってきた。これもまた“本来は与えられない時間(八日目)”なのに、こんなに嬉しいことはないハズなのに、失った時間を埋められないまま、空回りした母性。 他の蝉が見られなかった“八日目”が、必ずしも幸せな時間ばかりとは限らない。 そんな二人の母親に育てられた恵理菜。不倫関係から出来てしまった“望まれない子”を自分の境遇と重ねて、堕ろす決意で産婦人科に向かった恵理菜。だけどお腹の子に“八日目”を与える決意をする。生まれ出る前に目覚める母性。記憶の奥底に封じ込められた希和子から与えられた愛情。 永作博美の演技が素晴らしかった。写真館で、顔を上げるあの数秒はホント神がかっていた。薫と過ごせる時間がもう僅かしか無いことを肌で感じている表情。あんな素晴らしい感情表現が出来る女優なんだ。 小池栄子も素晴らしかった。猫背気味で自信なさげに恵理菜の跡を付いて回る姿は、私の知ってるタレント・小池栄子ではなく、安藤千草という男性恐怖症の一人の女性をしっかりと演じ切っていた。 薫ちゃん役の子が「暗いねえ~。怖いねえ~。」って言う言い方が、私の友だちそっくりで・・・彼女私より2つ歳上なんだけどね。 “見上げてごらん 夜の星を”のシーンで泣いた。この歌だったんだ。恋愛や不倫は男と女がするものだけど、その先に女は母性が目覚め母親となる。子を産めなくなった母親に芽生えてしまった他人の子への母性。「その子はまだご飯を食べていません!」あまりに悲しい別れの言葉。とても良い映画でした。 [インターネット(邦画)] 9点(2022-01-06 00:43:15)(良:2票) |