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プロフィール
コメント数 2518
性別 男性
自己紹介 〈死ぬまでに観ておきたいカルト・ムービーたち〉

『What's Up, Tiger Lily?』(1966)
誰にも触れて欲しくない恥ずかしい過去があるものですが、ウディ・アレンにとっては記念すべき初監督作がどうもそうみたいです。実はこの映画、60年代に東宝で撮られた『国際秘密警察』シリーズの『火薬の樽』と『鍵の鍵』2作をつなぎ合わせて勝手に英語で吹き替えたという珍作中の珍作だそうです。予告編だけ観ると実にシュールで面白そうですが、どうも東宝には無断でいじったみたいで、おそらく日本でソフト化されるのは絶対ムリでまさにカルト中のカルトです。アレンの自伝でも、本作については無視はされてないけど人ごとみたいな書き方でほんの1・2行しか触れてないところは意味深です。

『華麗なる悪』(1969)
ジョン・ヒューストン監督作でも駄作のひとつなのですがパメラ・フランクリンに萌えていた中学生のときにTVで観てハマりました。ああ、もう一度観たいなあ・・・。スコットランド民謡調のテーマ・ソングは私のエバー・グリーンです。


   
 

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1.  歓びの毒牙 《ネタバレ》 
ストーリー自体はけっこう破綻している感は否めないが、監督デビュー作としてはまあこんなもんでしょ。映画スタイルとしてはイタリアン・ジャーロの王道パターンにはきっちり嵌まっているけど、その映像美には「さすがアルジェント!」と唸らされるところはありました。音楽担当はエンニオ・モリコーネ、アルジェントとのコンビは初期作だけなんだけど、なんか雰囲気が違うんだよな…アルジェント映画=音楽担当ゴブリンというイメージが自分には刷り込まれているんだろうな。この映画では原題にもなっているように“鳥”がトリックというかモチーフになっているんだけど、種明かしされても「そんなことどうでも良くない?」ってのが正直な感想です。やっぱアルジェントだけに“鳥”じゃなくて“虫”に拘りたかったんじゃなかったな?まあ駆け出しの身だしいきなり自分の趣味を押し通すのはムリだったんでしょう(笑)。他にも、普通はこれは伏線だろ?って描写があるけどストーリーには全然寄与しないところがあるのは、この映画の大きな難点です。脅迫電話の録音から「この二回の電話をかけてきたのは、同一人物じゃない」なんて苦労して解明するけど、それが事件の結末にはちっとも関係していないんですからねえ。思ったよりエロもないしジャーロ要素も薄目だし、“ダリオ・アルジェントの初監督作”という惹句がなければ忘れられたB級作品だったんだろうなと思います。
[CS・衛星(字幕)] 5点(2025-05-30 22:41:03)
2.  スーパーフライ(1972) 《ネタバレ》 
実は『黒いジャガー』のゴードン・パークスが監督した映画だと私はずっと勘違いしていまして、メガホンをとったのは息子のJrの方でした。親父のゴードンは調べてみると写真家、詩人・小説家、音楽家とけっこう多才な人物だったみたいで驚きました。息子の方は飛行機事故にあって80年代まで生きのびることは出来なかったのは残念でした。 この映画は、麻薬の売人として成功した主人公がなぜか足を洗って引退するために最後の大勝負に挑むというのがストーリーですが、いくら70年代とは言っても倫理観の欠片もないお話しには辟易とさせられます。まるで煙草のようにコカインを吸いまくる登場人物たちには、観ているほうが感覚を麻痺させられそうです。これは当時のハーレムの実態だったのかもしれませんが、当時の観客だった青少年には悪影響を与えたことは十分考えられます。確かにカーティス・メイフィールドの音楽はしびれるほどカッコよいけど、歌詞はもう滅茶苦茶ダークで引いてしまいます。「俺たち黒人は今まで虐げられてきたから、反社会的な行動をしても許されるしそれがカッコよいんだ」という驕りが透けていて、とてもじゃないけど共感出来ません。まあ大したアクションもなく典型的なB級ブラックスプロイテーション映画だと思うんだが、『死ぬまでに観たい映画1001本』に選出されるなど近年に評価が高まっているそうな。比べるのもなんなんだが、同時期の東映ヤクザ映画の方がよっぽど出来がイイと思いますよ、こういう麻薬に甘い米国の大衆文化はほんと困ったもんです。
[CS・衛星(字幕)] 4点(2025-05-27 23:06:48)
3.  裸のチェロ 《ネタバレ》 
正直いうと、以前から私は女性の後ろ姿のヌードとチェロやヴァイオリンのシルエットに、近似性を感じていました。その私のちょっと人には言いづらい性癖をラウラ・アントネッリ=チェロという図式で映像化してくれるなんて、さすがイタリア映画です。 監督しているのがパスクァーレ・フェスタ・カンパニーレで、この後にほとんど狂気と言えるほどのぶっ飛びぶりが強烈な『セックス発電』という私が愛して止まない艶笑コメディを撮っているんですよ。実は本来は小説家・脚本家で業績を残して来た人で、ヴィスコンティの『若者のすべて』『山猫』などでも執筆し、『祖国は誰のものぞ』ではアカデミー脚本賞にノミネートされています。60年代からは監督業にも進出して20年間で42本もの作品を手がけていますが、この分野ではB級映画専門の職人監督に徹しています。 オーケストラのチェロ奏者ニッコロ・ヴィヴァルディ君はイケメンだが影の薄い人物で、指揮者にもどうしても名前を覚えて貰えない。ヴィヴァルディなんて姓の音楽家ならインプレッションが普通の人よりありそうなものですが、名前の喪失というモチーフはこのストーリーの心理学的な背景になっている感じです。妻のラウラ・アントネッリも時々夫の名前を度忘れするし、終いにはニッコロ本人まで自分の名前を思い出せなくなる記憶喪失状態にまでいっちゃいます。アントネッリは『青い体験』でブレイクする前でこれが実質的に初主演みたいな感じですが、その見事な肢体には圧倒されてしまいます。この映画は俗にいうイタリア式艶笑ものとはちょっと違う路線のような気もしますが、だんだん変態地味てくる夫の要求に嫌々ながらも応じて露出癖に目覚めてくる、まあ当時のイタリア男性(というか全世界)の理想的な都合の良い女なんですが現在のフェミ界隈からは「女性を男性に都合の良いモノ扱いしている!」と怒られそうですがね。 ラストはニッコロ君は艶笑コメディではあり得ない悲惨な末路になってしまうのですが、まああんだけのこと仕出かしたんだからしょうがないよね。でもチェロのケースの凹凸にぴったりと収まるアントネッリの美ボディを拝めたんだから、損はないかな。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2025-05-18 21:52:23)
4.  フェリーニのアマルコルド 《ネタバレ》 
北イタリアのアドリア海沿岸の町リミニで生まれ育ったフェリーニが、自分の少年時代の思い出を虚実取り交ぜていわゆるフェリーニ・ワールドに仕立てた映画ですね。彼は1920年生まれですから、その当時はもろにムッソリーニ・ファシスト政権時代となります。「この映画はファシスト政権時代を賛美している、けしからん!」とイデオロギーの眼鏡をかけてしか映画を語れない評論家が当時いましたが、こういう程度の低い映画評論家が昔はゴロゴロいましたよ。とはいっても初見の時は「なんか退屈な映画だな、これがアカデミー賞をとるなんてどうなんだろう?」というのが自分の正直な感想でしたが、時がたって観直してみるとこの映画の不思議な魅力に気づけるようになりました。 全体の構成は10分ぐらいのエピソードの積み重ねで、たぶんフェリーニの少年時代的な存在チッタとその家族が主人公となるでしょう。この家庭は父親は建設業で家政婦を雇えるぐらいでそこそこ裕福、でも彼はファシスト政権には批判的でそのせいで酷い目に遭ったりもする。チッタは町のミューズであるグラディスカ(素性は高級娼婦か?)と豊満なタバコ屋のおかみさんに妄想を抱くがグラディスカには相手にされず、おかみさんとはあと少しというところまでいくが、当たり前だが下手過ぎて愛想をつかされて初体験は成就できなかった。このおかみさん女優こそがフェリーニの巨漢女ごのみが具現化したような存在で、数あるフェリーニのフィルモグラフィ中でもっとも強烈な印象を与えてくれるキャラです。ファシスト党のパレードやアラブの王族のエピソードなんかは「これぞフェリーニ!」という感じで、ファンには嬉しくなるところです。チッタの祖父や精神病院に入院している叔父はもちろん、町の様々な住人たちも個性豊かで引き付けられますね。 春の訪れを告げる綿毛の飛翔から始まって母の死とグラディスカの結婚で終わる約1年間の物語でしたが、主人公の成長のような教訓じみた要素はなく、自由奔放に生きる人々の姿に古き時代へのノスタルジーを濃厚に感じさせてくれる味のある一編でした。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2025-05-12 20:50:31)
5.  ジョニーは戦場へ行った 《ネタバレ》 
反骨の脚本家ダルトン・トランボが監督として製作した唯一の作品で、自作の小説の映像化です。1939年に書かれた小説で第二次大戦時と朝鮮戦争の間はその強烈な反戦性で出版されなかったそうですが、大戦中の差し止めは政府による発禁処分じゃなくてトランボ自身の判断によるものだったそうです。当時は共産主義シンパだったトランボがソ連を攻めているナチス・ドイツと戦う米国の戦争努力を邪魔したくなかったからだったのが本心みたいで、主義者にありがちなこういうダブスタはなんか嫌ですね。私はこの映画は史上最恐の反戦映画の一つだと思っています(もう一本は『火垂るの墓』)。初見はたしか中学生の時だったと思いますが、あまりの衝撃に永い間トラウマになって、その後ソフト化されたりして観る機会が増えたけど、どうしても再見する勇気がなかったほどです。 トランボが原作を書いたのは新聞に載ったカナダ軍将校の悲惨な運命に触発されたからですが、実はこの記事は事実を歪曲したほとんどフェイクニュースだったみたいです。でも江戸川乱歩の『芋虫』みたいな人間芋虫みたいになってしまったジョニーの過酷な運命は、考えるほどにこれほどダウナーな気分にしてくれるストーリーはないんじゃないかと思います。手足や顔、そして五感をすべて失ってしまっても生きるしかない人生なんて、身の毛もよだつというよりももはや想像することすら困難です。つまり「肉体を失って意識だけの存在になっても、それは果たして人間と呼べるのだろうか?」という問いでもあり、そうなってしまったらもはや『禁断の惑星』のイドの怪物となんら変わりのない存在なのかもしれません。 現実の病院での監禁生活がモノクロで、過去の思い出や頭に浮かぶ幻想はカラーという演出が効果的です。その思い出と幻想にクロスオーバーするように登場するイエス・キリスト=ドナルド・サザーランドのキャラが秀逸、神の子のくせに誰も救えず単なる黄泉の国への案内人程度の存在なのがキリスト教への強烈な皮肉になっています。けっきょくモールス信号というジョニーが外界とコミュニケーションを取れる唯一の手段を教えてくれたのが、死んだ父親の霊魂だったということも宗教の無力さを強調していたような気がしました。でもそのジョニーがやっと発することのできたメッセージが“SOS”と〝kill Me”だったという結末は、あまりにも悲惨でした… あまり人にお奨めする気にはなり難い種類の作品ですが、死ぬまでに一度は観てこのストーリーが持つテーマを考えてみるだけの価値はあると思います。
[映画館(字幕)] 9点(2025-04-03 23:31:13)
6.  夢のチョコレート工場 《ネタバレ》 
この映画は、ティム・バートンの2005年のリメイクを観ているかどうかが、微妙に評価に影響を与えているみたいですね。ちなみに私はバートン版はまだ観ていません。それでも大体のプロットは知ってはいましたが、このオリジナル版がミュージカル仕立てだったとは知りませんでした。最初のシークエンスでお菓子屋の店主が歌う”キャンディマン”を聴いたら、これがすぐに『恋のゆくえ/ファビュラス・ベイカー・ボーイズ』でジェニファー・ティリーがオーディションで歌った下手な曲だと合点しました。なんせあのジェニファー・ティリーのオーディションのシーンは未だに鮮明に記憶に残っていますからね。サミー・デイヴィス・Jrもこの曲がお気に入りで、彼のライブでの定番曲だったそうで、米国じゃスタンダード・ナンバーと言える存在みたいです。日本ではなぜか未公開でバートン版が世に出るまで知名度が低かったのが不思議なくらいです。 確かに現在の眼で見ればセット撮影など古臭さを感じるのはやむを得ないですが、独特のブラックな作風は当時の基準から見れば斬新だったんじゃないかな。本作を児童向け映画に分類しちゃうのはちょっと観方が浅い様な気がしますね、だいいちチャーリー以外の4人の子供たちはある意味この世から抹殺されてしまったとさえ思える節もあるんじゃないでしょうか。招待された親子たちに向けるジーン・ワイルダー=ウィリー・ワンカの眼差しには冷やかなものがあるし、完全にサイコパス的な世捨て人風味が印象的です。ウンパ・ルンパたちのダンスや歌も、微笑ましいという感じじゃなくどちらかというと不気味な感じです。もし自分がこの映画をリアルタイムで観ていたら、きっと軽いトラウマが残ったことでしょう。まあこのストーリーは、本格的なミュージカル舞台にしたら面白いんじゃないでしょうか。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2025-03-28 22:43:02)
7.  吶喊 《ネタバレ》 
岡本喜八が東宝を離れてATGで撮った知る人ぞ知る異色作、彼は明治維新を評価しないことが知られているが、その明治維新の欺瞞性を官軍側視点で撮った『赤毛』の反歌のように戊辰戦争を賊軍のストーリーとして語っているとも言えます。 百姓の仙太と官軍と賊軍の狭間を行ったり来たりしている万次郎のコンビネーションがもう可笑しくてしょうがないです。巨根を持て余しヤルことしか頭のない仙太、ATGらしく東宝じゃ考えられない下ネタが散りばめられているのも愉しいところかな。ところがそんなおふざけだけじゃ無く、戊辰戦争で起こった史実も巧みに取り入れているストーリーテリングがまた巧みです。世良修蔵の阿武隈川岸での斬首、そして山川大蔵の彼岸獅子の行列に扮しての鶴ヶ城入場など、この入場は嘘みたいなほんとの話です。後半は細谷十太夫=高橋悦史の博徒を組織化したからす組の活躍がメインになりますが、この高橋悦史が実にカッコイイんです。土方歳三=仲代達矢もカッコイイんだけど、冒頭だけのカメオ出演だったのは残念。本作は仙太や万次郎と女郎やからす組隊員たち以外はみな実在の人物みたいです。官軍の残虐行為だけじゃなく、賊軍=仙台藩のだらしなさぶりもきっちりと描いていて、一種の革命だったとは言え戦争の非人道性・虚しさは訴えるものがありました。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2025-02-28 22:01:09)
8.  バラキ 《ネタバレ》 
『ゴッドファーザー』の様なエモさの欠片もない、いわばアメリカ版実録マフィア映画の始祖とも言うべき存在かな。ジョセフ・バラキという米上院公聴会で初めてマフィア=コーザノストラの存在を証言した人物の映画化という訳ですが、はっきり言ってこの人マフィア歴は長いけど所詮下っ端に過ぎず、全米マフィア組織の上層部の様なことを知っていたわけじゃない。だけどこの証言によって闇に包まれていたマフィアの存在が周知となったという意義があったと言われています。 ストーリーは、刑務所でジェノヴェーゼ=リノ・ヴァンチェラに命を狙われるようになったバラキ=チャールズ・ブロンソンが、FBI捜査官に自分のマフィア歴を語るという構成で、大部分のパートがバラキの回想シーンとなります。これによってNYマフィアの歴史を判り易く伝えようとしますが、如何せんそんなに派手なアクションやドラマがあるわけじゃなくて平板というか退屈な展開となりました。同じマフィア構成員の告白をもとにした『グッドフェローズ』と比べれば、映画としての出来の違いが実感されます。あと、マフィア構成員だけじゃなく登場キャラがみなアメリカ人っぽくないと思ったら、実際にマフィアの妨害があってい大部分がイタリア人俳優を使ってローマで撮影されたそうです。まあ実際のところ、ジェノベーゼとバラキが獄死してようやく映画化出来たってくらいですからね。出番はブロンソンより遥かに少なかったけど、リノ・ヴァンチェラの存在感は圧倒的でした。この人はもう顔からしてマフィア顔ですから、怖いぐらいです。でも実際のジェノベーゼは大戦中にイタリアで逮捕されて強制送還されているのに、この映画では戦後麻薬ルートを確立させて悠々自適で帰国したようになっているのはどうしたことかな。まだ色々と忖度しないといけないことが多々あったのかもしれません。洋の東西を問わず、実録犯罪もの映画は難しいところがありますね。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2025-02-19 22:52:48)
9.  サタデー・ナイト・フィーバー 《ネタバレ》 
ご存じジョン・トラボルタの出世作にしてディスコ映画の金字塔です。自分はもちろん70年代のディスコ界隈なんて経験していませんが、こうやって観直してみると当時のディスコダンスは本場のNYでも現在のクラブ・シーンとは大違いでかなり社交ダンス的な感じだったんですね。イタリア系の無学な塗料店員を演じるトラボルタと家族そして彼の仲間たちも、能天気なディスコ映画の予想を裏切るほどしっかりとキャラ付けされています。思ったよりトラボルタのダンス・シーンが少なかったのですが、さすがに彼が踊りだすと場の雰囲気がガラッと変わってしまうのが強烈な印象です。その半面、やはり相方ステファニー役のダンスは見劣りがして、劇中で名手トニーが惚れこむような才能があるようには見えません。この女優はヒロインとしてはやけに老けてるよなと思ったらなんと撮影時34歳!二十歳という設定のトニーの相手役としては違和感ありありでした。ほんとなんでこの人がキャスティングされたのかは訝しむところで、やはりジェニファー・ビールスぐらいのスキルがないとねえ。あとこのステファニーが劇中でやたらとトニーにマウントとるのが不快で、最後まで単に性格悪い女としか思えなかったです。まあトニーもダンス以外はガキ丸出しって感じでしたがね、と言ってもラストでは多少は成長の成長の兆しが見えたので良しとしますか。でもそうなるとトニーがソデにした女アネットがとてもいじらしくて可哀そうになってきます。トニーたちが橋の欄干から落ちたふりをしてドッキリをアネットに仕掛けるところは、彼女が口をあんぐり開けてちょっと見たことないような迫真のリアクションを見せるので「凄い演技だ」と感心したのですが、なんとアネット役にはその展開を知らせずに撮影してまさに本当のドッキリだったそうです、そりゃあんな表情になるわな(笑)。この映画で感情移入出来たのはアネットと神父を辞めたトニーの兄フランク、そしてトニーの勤め先のオーナーぐらいだった気がします。 能天気なミュージカルっぽい映画と思ってみたら肩透かしを喰うでしょうが、意外と底辺に近い存在の若者の苦悩が伝わるストーリーだったのは確かです。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2025-02-16 22:48:33)
10.  暗殺のオペラ 《ネタバレ》 
ベルナルド・ベルトルッチが撮った映画だから政治色が強めなのかと思ったけど、最初はミステリー仕立てで進行して行き、終わってみれば不条理系ホラーでした。 ムッソリーニ政権時代に反ファシズム闘士だった父が暗殺されてから30有余年、父の愛人だったドライファから呼ばれて終焉の地だった小村タラにやってきた父と同名の息子アトス。彼の容姿は亡き父と瓜二つだったので村人たちは驚きます。ドライファから父暗殺の真相を解明させるために呼び出したと聞かされたアトスだけど、なんか不穏な雰囲気を感じてすぐに帰ろうとするが、知らぬ間に村に腰を据えて真実を探ることとなってしまう。 まずこの映画の摩訶不思議なところは、ジュリオ・ブロージが父と息子の二役をこなすのですが30年前の父が現代のタラに現れるところで、かつての反ファシズム活動の同士やドライファまでもが現代の加齢した姿のまま逆に30年前の出来事に登場するところで、そう、どこまでが現代でどこからが過去の出来事なのかが判別しにくくなり、観る者の頭を混乱させます。こういう演者をシンクロさせる演出は凝ってますけど、本作を難解なものにしているのも確かでしょう。広場には父アトスを顕彰する胸像があるのですが、なぜか中盤以降にはその眼だけが白く塗りつぶされているのが不気味です。この白眼の胸像はこの映画のポスターにも使われていて、本作のキービジュアルになっていますね。 前半は訳が判りにくい上にはっきりいって退屈ですが、中盤から父アトスの暗殺の真相が明らかになりだすと俄然眠気も吹っ飛んでゆきます。そしてある意味で驚愕のラスト、息子アトスが迷い込んだタラは実は異界だったのか!もう完全にホラーですよこれは。まさかベルトルッチの映画でこんなサプライズが味わえるとは、意外でした。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2025-02-10 22:27:11)
11.  新 仁義なき戦い 組長最後の日 《ネタバレ》 
もう飯干晃一の原作とは何の関係もなくなっていた新シリーズの白鳥の歌、そして未練がましく続行するつもりだった東映の思惑が外れて文太・深作コンビの最終作となってしまった一遍です。すでにまったくのフィクションですが、実録ものじゃないだけに考えようではキレまくったストーリーだったとも言えます。個人的にはけっこう愉しめました。 末端のチンピラ売人同士のイザコザが大阪の大組織と九州の暴力団連合との戦争になってゆくというストーリーですが、手打ちになる展開を昔気質というか単なるKYとも見える菅原文太がぶち壊してしまうという展開です。東映がカーアクションに凝り始めたころの撮影ですので、とくに山道でのダンプ2台での襲撃シークエンスはけっこう見応えがありました。文太に狙われる大阪の組長は、どうもあの神戸の組織の三代目がモデルみたいですね。この小沢栄太郎が演じる大物は結局心臓発作で瀕死の状態になるのですが、その病室にカチこんで子分が「おやっさんはもう助からない、どうか安らかに逝かせてくれ」と懇願するのに射殺する文太の非情さにはちょっと震えます。もっとも護送される直前にパトカーを奪って小沢栄太郎を殺しに行く展開は、さすがに「そんなことあり得んだろ!」と呆れてしまいましたがね。妹の松原智恵子とは近親相姦の関係だったとか、文太のキャラはかなり癖が強かったですね。 まあ普通のヤクザ映画としては退屈しない出来だったと思いますが、このシリーズを通じてエスカレートしてきた手振れカメラ撮影が五月蠅過ぎた感がありました。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2024-11-02 22:27:45)
12.  新・仁義なき戦い 組長の首 《ネタバレ》 
菅原文太が主演するだけでもはや『仁義なき戦い』とはなんの関係もなくなった物語で実録路線でもないフィクション、ここまで来るともはやタイトル詐欺、『組長の首』にしてもペキンパーの『ガルシアの首』のパクりですしね。ヤク中で破滅するサブキャラになんと山崎努が起用されているのが驚き、彼は東映初出演だったが本来は松方弘樹が予定されていたキャラだそうです。でも『暴力金脈』の単独主演が成功して役者としての自信が出てきた松方はキャスティングを拒否、文太も「わしゃぁもう実録路線には出演せん!」とごねた挙句の完全フィクション脚本、いろいろと製作には苦労があったみたいです。でも山崎のシャブで破滅する大物組長の娘婿というキャラはさすがにいい演技を見せてくれ、なんかお得な気分になれました。“修羅の国”北九州が舞台で文太が演じるキャラの方は単に“旅人”としか説明がない流れ者、でも『仁義なき戦い』の広能昌三とは違ってなんか脂ぎって執念深い生々しい男で、自分が対立組長を射殺して7年も懲役くらったのに出所後の対応が酷いと流れ者のくせにゴネて老舗組織をひっかきまわす。仁義とか義理なんて眼中になくひたすらカネと地位を追及する男で、考えてみればこいつさえ存在しなければ西村晃も成田三樹夫も室田日出男も死なずに済んだんじゃないかな、最後に自分だけは野望を成就して終わりってなんか酷くない?実在のモデルが存命中だった『仁義なき戦い』ではでは無理だったリアルなヤクザ像を、フィクションであるからこそ文太のキャラに投影できたんじゃないかな。あと抱いた男がみな死んでしまうという究極の死神女・ひし美ゆり子が強烈な印象を残してくれます。なんせあのアンヌ隊員が脱ぎまくるんですからね、こりゃ衝撃ですよ。薄幸の女という梶芽衣子が演じそうなキャラではなく、自分の魔性を自覚しながらしぶとく世渡りするしたたかな女だったところも良かったです。この死神女ぶりを判っているのに愛人としている成田三樹夫の(ちょっとここでは書きづらい)厄除け法が面白い、というか笑っちゃいます。けっきょく彼もジンクスは破れなかったけどね(笑)。まあ『仁義なき戦い』に拘らなければ、普通に退屈させないヤクザ映画だったと思います。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2024-09-24 23:49:02)
13.  スカイエース 《ネタバレ》 
原作は第一次世界大戦西部戦線での英軍の塹壕戦をテーマにした戯曲で、いわば『西部戦線異状なし』の英国版みたいな感じだそうです。それを航空隊の物語に変更して、志願したパブリックスクール生の若者が、部隊配属から戦死するまでの7日のストーリーとして脚色されています。この若者が配属された第76飛行中隊の指揮官は実はパブリックスクールの先輩で姉の婚約者、つまりもうすぐ義兄になる人で演じているのがマルコム・マクドウェル、すでに23歳で少佐のベテラン・エース戦闘機乗りで同窓の英雄というわけです。製作されたのが76年でマクドウェルにはまだ『時計仕掛けのオレンジ』のアレックスのイメージが残っている頃ですが、そんなパブリック・イメージにはそぐわない有能で老獪な戦闘機乗りです。設定は1917年の10月ですけど、史実としては西部戦線の航空戦は激しさを増していて、少数のエースパイロットが奮闘しているけど新人として配属されてくるパイロットはバタバタと撃ち落されてゆき、7日で戦死というのは実情に近かったんじゃないでしょうか。そんなわけでパイロットたちは酒に女と戦闘後はひたすら快楽を求めますが、中には精神が破綻して離脱する者も出てくる始末です。 空戦シークエンスにはレプリカの複葉機が使われていますが、英軍機はけっこう再現度が高かったと思います。それに反して独軍機の方はイマイチどころかイマサンぐらいの代物で、一次大戦の独軍戦闘機は赤く塗装しておけばそれらしく見える、というのは大間違いですぜ。とはいえ空戦シーンはそれなりのものでしたが、英軍機のパイロットが撃墜されたときに全身が燃えながらパラシュートなしで空中に投げ出され、地面に激突するまでをワンカットで見せるところは強烈でした。 『レッドバロン』や『ブルー・マックス』の様な派手な空戦映画を期待すると肩透かしを喰いますけど、塹壕戦と同じように消耗品として消費されてゆく戦闘機乗りにスポットを当てた地味ながらも英国映画らしい佳作でした。ジョン・ギールグッドやクリストファー・プラマーなどの渋い大物俳優たちも脇を固めています。
[インターネット(字幕)] 6点(2024-09-18 22:14:46)
14.  オール・ザット・ジャズ 《ネタバレ》 
巨匠・名匠と呼ばれるぐらいの映画作家は大なり小なり自分なりの『8 1/2』を撮る傾向があるけど、これぞまさにボブ・フォッシー版の『8 1/2』でございます。ぶっちゃけて言うと、フェリーニの『8 1/2』を知らなかったり好きではない人には響かない作品なのかもしれません。 この種の映画はその時の監督自身が抱える悩みや迷いがテーマになるけど、本作ではずばり“死への恐れ”だと言えるでしょう。実際フォッシーはこの後8年しか生きれなかったし、すでに自分の健康状態に不安を持っていたんじゃないかな。その他にも劇中で完成に苦労する映画『スタンド・アップ』は明らかに『レニー・ブルース』のことですし、女性関係のイザコザも赤裸々にぶっこんでいます。あのケイティを演じたアン・ラインキングに至っては実生活でも劇中通りのフォッシーの愛人(の一人)であり、いわばセルフパロディみたいなもんです。オードリーは妻のグウェン・ヴァードンで娘のミシェルはニコル・フォッシーがモデルであり、ほとんど私小説みたいな感じです。 やっぱ圧巻なのはラスト三十分の“Bye, Bye Love”のミュージカル・シークエンスでしょう。このキレッキレッのパフォーマンスはボブ・フォッシーのミュージカル集大成という迫力を感じます。自虐的なネタも光っていて、毎朝目薬さしてヤクでキメて「イッツ・ショータイム!」と気合い入れするのが繰り返されたり、ギデオンが入院して舞台制作が危ぶまれたときにプロデューサーたちが保険会社を呼ぶと、実は手術が失敗してギデオンが死ぬ方が彼らは儲かると判明するところなんか強烈な皮肉になってます。そうは言ってもショービジネスの非情さを糾弾するのではなく、どっぷりとショービジネスの世界に浸ってきたフォッシーのショーを創る喜びの方が強く感じられました。 人間は死ぬときには過去の人生が走馬灯のように流れるとよく言われますが、わずか六十歳で他界したフォッシーが見た走馬灯はきっと本作のラスト30分だったんじゃないだろうか。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2024-09-12 22:18:39)
15.  オスロ国際空港/ダブル・ハイジャック 《ネタバレ》 
この映画、『オスロ国際空港』なんて邦題を勝手に付けちゃってるけど、実は設定上は“スカンジナビア国”という架空の国家が舞台で、どう見てもミエミエなのにノルウェーやオスロというセリフは一切使われておりません、エンドクレジットでは“ノルウェーでロケした”って出てるのにね。そしてダブル・ハイジャックなんてワードはどこから来た?って感じで、そのスカンジナビア国の英国大使館がテロリストに占拠されて大使たちが人質にされて英国に囚われている仲間の釈放を要求する事件が起き、その首都空港に着陸寸前の旅客機がテロリストの仲間にハイジャックされるという事件が同時に起きる。最初は軍用機を用意させて人質とともに脱出する計画だったのに、「降下地点が当局にバレた」ということでハイジャック機を脱出に使うとして仲間が急遽英国から駆け付けたというわけです。なんか腑に落ちないところがあるな、と観てて思いましたがこれがラストのオチに繋がってくるわけです。このテロリスト・グループは冒頭では派手に英国内で爆弾テロをかましますが、これもどう観たってIRAがモデルだろって判りますが、もちろんIRAなんてワードは出てきません。この当時の現実の英国は今では想像もつかないほど物騒な状態だったので、このような配慮というか忖度は必要だったんでしょうね。ストーリーはドキュメンタリー調というか淡々とした語り口で進行してゆきますけど、やはりジェームズ・ボンドから足を洗ったばかりのショーン・コネリーの渋さは光ってます。対するハイジャック犯の親玉はイアン・マクシェーン、『ジョン・ウィック』シリーズのウィンストンの若き日のお姿です。両者の知恵を駆使した駆け引きが見どころとも言えますが、ちょっと意表を突かれるあの結末には、正直なんか複雑な感じが否めなかったかな。まあ派手な見せ場が無いし演出もあまりに単調だったので、こりゃあしょうがないね。フレデリック・フォーサイスあたりがノベライズしたら面白くなりそうな題材だったので、ちょっと残念でした。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2024-08-12 22:13:46)
16.  白昼の死角 《ネタバレ》 
過去に商法・手形小切手法をかじったことがある身だけど、正直言って約束手形と言うものは実に判りにくい制度でもある。約束手形の法理なんて理解できていたとは言い難いし今ではすっかり忘れてしまったけど、約束手形と言うものは厄介な代物で無借金経営の様な優良企業には用ないものだというイメージがある。なんでも2026年には紙の手形小切手は廃止されて電子化されるそうで、最近はめっきりニュースなどでも耳にすることもなくなっている手形パクリや手形サルベージと言った犯罪も消滅してゆくんだろうな。 高木彬光の原作は、手形詐欺を扱った日本では珍しい部類の推理小説というか経済犯罪がテーマのピカレスク小説です。この映画化である本作は、角川春樹がプロデューサーをしているけど角川映画ではなく、あくまで東映の映画です。だもんで、普段の角川映画では見られない様な大物俳優がこれでもかというぐらいに登場する賑やかさです。友情出演や特別出演の大物の他にも、原作者の高木彬光や角川春樹そして鬼頭史郎(もはやこの人が何をやらかしたのか覚えている人はいないでしょうね)といった色物(?)までも顔だししてるんですからねえ。主人公演じる夏八木勲は、確かに大作映画の主演と言うのは珍しい言えますが、終始脂ぎった色艶の顔でとても東大法学部卒のインテリらしくないところが難点だったかもしれない。実在の事件をモチーフにしているそうですが、劇中で描かれる手形パクリの手口はなんか乱暴であまり知的な感じがしないってのもどうなのかな。実際夏八木勲は善意の第三者という盲点を突いて稼ぐわけだけど、起訴されないとは言っても警察には完全にマークされているわけで、どこかで綻びが出て逮捕されるというのは必然でしょ。闇の権力者の尽力で保釈されて結局は海外に逃亡するという結末には、ちょっと肩透かしされた気分です。けっきょく昭和のアナログ時代のお話しで、生身の姿を相手に晒さないといけなかったのが宿命で、匿名が当たり前の現代のSNS詐欺の方がはるかに知的犯罪としての要件を満たしているんじゃないかな。 監督の村川透は本作がフィルモグラフィ中で最大の大作、でも撮り方は東映セントラルフィルム時代と同じなんでなんか安っぽさが目に付いちゃうんだよな。千葉真一なんかもうちょっと違う活かし方があったんじゃないかな、出番は少ないしあれじゃ『仁義なき戦い 広島死闘篇』の大友勝利と大して変わらん(笑)。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2024-08-03 23:58:00)
17.  ワンダラーズ 《ネタバレ》 
ジョージ・ルーカスが『アメグラ』で1962年のカリフォルニアの高校生たちの青春を描いたのに対して、フィリップ・カウフマンは翌年63年のNY・ブロンクスの高校生不良グループをテーマにしている。劇中でも印象的に挿入されているけど、63年はケネディ大統領が暗殺された米国社会の大転換が始まった年でもあり、それは能天気なストーリーテリングながらもその前触れみたいなものが織り込まれた脚本でもあります。やはり劇中で、リッチーが明らかにボブ・ディランを模したシンガーが“The Times They Are a Changin'”を歌っているところで足を止めて聞きほれるところなんかも印象に残ります。フォーシーズンズはじめオールディーズばかり流れるこの作品の中では、唯一異質な楽曲なので強いメッセージ性を感じてしまいました。 観るまでは『ウォーリアーズ』の様な硬派な展開なのかと思っていたら、実際にはどちらかと言うと『グリース』に近い様なコミカル要素が強い映画でした。冒頭で颯爽と登場してジョーイとターキーをボルティーズから助けるペリーがてっきりこの映画のキーマンなのかと思ったのにその後は活躍せずに影が薄くなってゆき、ボンクラなイタリア系高校生の群像劇みたいな感じでストーリーが進みます。色男のリッチーが恋人を孕ませたら、実は娘の親父はどう見てもマフィアの関係者という展開には笑ってしまいます。強面親父が実は愛すべきキャラだったというのも定石通りでしたがね。不気味だったのは幽鬼のごとくに現れるダッキー・ボーイズの面々、こいつらがアメフトの試合中に大挙出現して大乱闘を繰り広げるシークエンスは、シュールと言うか訳が判らんというのが本音です。 冒頭でワンダラーズの面々が通うクラスの担任がシャープ先生、生徒の人種出自を申告させると、イタリア系18人で黒人が15人。人種融和のつもりなのか互いのグループに相手方の侮蔑的な呼び名を言わせて列挙すると、教室内で乱闘騒ぎになってしまう。いやー先生、思いっきり外してしまいましたね、そりゃケンカにならないわけないでしょ!それにこの先生“すべての人間は平等に造られている”と言ったのは誰かと問題を出し、「その答えはエイブラハム・リンカーンだ」と言いますが、先生そりゃ違いまっせ、トマス・ジェファーソンですよ(笑)。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2024-07-27 22:18:43)
18.  ヒッチコックの ファミリー・プロット 《ネタバレ》 
これがヒッチコック御大の遺作というか白鳥の歌かと思うと、なんか複雑な感情があることは否めないかな。出演者というか実質的にはどちらも主役である二組のカップルのキャスティングは地味と言うか華がない、往年のヒッチコックならもうちょっとビッグなスターが出ているもんだったから寂しいよな。ブルース・ダーンが演じたジョージ役にはアル・パチーノやエドワード・フォックス、ウィリアム・ディヴェインが演じたアダムソン役にはバート・レイノルズやロイ・シャイダー、カレン・ブラックのフランにはフェイ・ダナウェイやキャサリン・ロス、ブランチ役にはなんとゴールディ・ホーンが検討されていたとのこと。ハリウッド俳優ならヒッチコック御大からお声が掛かれば喜んで出演しそうなもんだけど、ハリウッド界隈のヒッチコックに対する冷遇ぶりが判っちゃいます、まあ単純に予算と言うかギャラの問題なのかもしれませんけど。それでもバーバラ・ハリスのインチキ霊能者ブランチは傑作でした、彼女のことは不覚にも全然知らなかったけど、受賞こそなかったけど本作も含めオスカーとゴールデン・グローブ賞に合わせて5回もノミネートされた名女優だったみたいです。あと音楽がジョン・ウィリアムズなのがヒッチコック作品にしては珍しい、なんかいつもと全然違う雰囲気がありました。 どちらも脛に傷持つ接点がない二組のカップルが、妙なきっかけで段々と交わるようになってゆく過程が、軽いタッチながらも適度なサスペンスを織り交ぜてちゃんとヒッチコック映画になっているところは高評価でしょう。ジョージ&ブランチのカップルの方はケチな詐欺師なので二人の掛け合いが面白いが、アダムソン&フランの方は殺人も含めてけっこうシビアな犯罪カップルなので対照的。でも一見成功して店を構える宝石商であるアダムソンが、なんで誘拐を生業としているのかが理解し難いところがあります、しかも身代金がキャッシュでなくてダイヤモンドですからね。これならレインバード夫人に自分が養子に出された甥であることを名乗り出て全財産を相続する権利を確保した方が割が良くないんじゃないですかね、まあそうしたら養父母が火事で焼死した件が蒸し返されてしまうかもしれないか… 恒例のヒッチコック御大のカメオ出演ですが今回はすりガラスに映った影でした、これが今生の別れだったかと思うと感慨深いものがあります。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2024-07-24 22:53:55)
19.  パニック・イン・スタジアム 《ネタバレ》 
70年代パニック映画ブームに乗って『パニック…』と邦題も便乗したおかげでどうも安物のTVムービーの様なイメージがあって敬遠していたが、私の中では本作はいわゆるパニック映画とは違う種類の映画だったと思います。でも実際にも40分も追加撮影をしたTVムービー版(これがまた酷い駄作になってしまったそうです)もあるみたいで、『ミッドウェイ』も同じようなバージョンがあり当時のユニヴァーサルの営業方針だったんじゃないかな。 パニック映画的な要素としては互いに全く交わらない数組の観客の薄いドラマを挟んでいるところですが、余りに薄すぎて群像劇の出来損ないみたいになっちゃった感じです。犯人が何者でどんな意図があったのかはその容姿を含めてナゾのままで通していたところは好感が持てる、ある意味で『ジャッカルの日』以上だったのかもしれません。主役はもちろんビッグスター・チャールトン・ヘストンですが、どう見てもジョン・カサヴェテスのSWAT隊長に喰われてしまってます。前半ははっきり言って退屈気味でしたが、ハーフタイム過ぎてからはけっこう盛り上がる展開だったと思います。フィールド上で繰り広げられるLAとボルチモアの両チームとも、NFLから拒否されたため架空チームで、試合の映像もカレッジ戦のものだったそうです。それでも大観客がパニックになって逃げ惑うシーンは大量のエキストラを使っていて、さすがメジャーが製作した映画でした。 前半のテンポの悪さはありましたが思っていたより見応えがあったと思います。ラストのジョン・カサヴェテスの虚無的な独白も良かったが、ラストカットで暮れなずむスタジアムでハラハラと涙を流すマーチン・バルサムも印象に残りました。監督はラリー・ピアースで、あの『ある戦慄』を撮った人です。どおりでボー・ブリッジスが出演していたわけですね。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2024-07-18 22:29:10)
20.  さらば冬のかもめ 《ネタバレ》 
原題は“The Last Detail”、まあ“最後の任務”とでも訳すのが妥当かな。それを『さらば冬のかもめ』という詩情を感じる邦題にした配給担当者のセンスは素晴らしい、どう考えても水野晴郎じゃないよね(笑)。70年代の名邦題ベスト3を選ぶとしたら、私は迷わず選出いたします。たしかに“冬”の物語だったけど“かもめ”はまったく登場しませんでしたけどね。 募金箱からわずか40ドルを盗んだだけで8年の懲役を喰らった若い水兵を軍刑務所に護送する任務を命じられた二人の下士官、題材はちょっと変わっているけど展開自体は典型的な70年代ニューシネマお得意のロードムービーです。ジャック・ニコルソンが演じる“バッド・アス”ことバタースキー、葉巻をふかすこの映画のポスターはニコルソンのアイコンの一つになっているぐらいで、きちんと口髭を生やして実にダンディーです。40手前の中年男のセーラー服姿がこれほどカッコよくなるとは意外です。この反抗的で自由奔放な男が、生真面目で「俺とお前は海軍に一生務めるんだぞ」が口癖の黒人同僚を翻弄するさまは観ていて可笑しい。護送される水兵はランディ・クエイド、ガタイはいいけどガキっぽいというかちょっとおつむが足りないんじゃないかという感じが良く出ていました。同じ東海岸に位置する基地と刑務所を往復するのに一週間近くかけてもイイなんて、雑というかいかにも70年代の弛んだ米国の軍紀が垣間見れます。お題目を唱えることを布教する謎の日蓮宗若者集団、これはやっぱり例の学会なんでしょうね。ランディ・クエイドは彼らと交流した後は「ナムミョウホウレンゲキョウ」がすっかり口癖みたいになっちゃうのも可笑しい。彼を折伏しようとする女信者、どっかで見たことあるなと思ったら、若き日のナンシー・アレンでした。 すっかり二人と意気投合して友情関係を育んだと思わせたメドウズ=ランディ・クエイドでしたが、公園で突然脱走しようとするところはいかにもニューシネマらしい展開。でもそこでジャック・ニコルソンが銃を撃たなかったところは、明らかにそのパターンからは外れていました。メドウズはけっきょく予定通り収監されてしまうのでハッピーエンドと言えるのかは微妙なところですけど、なんかホンワカな気分になる味のある作品でした。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2024-07-12 22:14:32)
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