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《ネタバレ》 見せ方がうまい。ショットの確実な切り取り、安定した画面処理など、もはや巨匠の域に達した李監督の円熟の演出が冴えまくっていました。
とくに舞台の場面では、2006年の出世作において、自家薬籠中の物としたステージパフォーマンスを捉えるカメラワークがさらに進化していて、 歌舞伎の魅力を余すとこなく描写。寄りのショットのモンタージュなども圧巻で、映画という表現形態がもたらすカタルシスに酔ったしだいです。 ◇ ところで、私の先輩で松竹に長年勤められて、歌舞伎座にも関わったことのある方がいらっしゃって、今作についてのレビューに触れることができました。 松竹で歌舞伎を間近に見てきた方ならではの視点で論評されています。若干長いですが、ご参考に紹介させていただきます。 -------------------------------------------------------- 「歌舞伎ファンタジー映画の傑作」 二人の歌舞伎俳優を描いたファンタジー映画としての傑作だと思う(ただし、2回観た後の評価)。 ちなみに初めて観た後の感想は「長尺を感じさせない力作・佳作」って感じだったから、2回観て評価がアップ。 何故かと言うと、 〈一つ目の理由〉 初めて観た直後はポジティブな満足感とともに、いろんな「こだわり」も小骨のように引っかかってしまった。 例えば、 ①劇中のクライマックスの歌舞伎シーンはキラキラの音楽盛り盛り、ど派手映像で、俳優のアップの多用が映画的ダイナミズムを感じさせる一方で、「引き」のショットもあまりない。こちとら長唄、常磐津、清元、竹本が耳に馴染んでるし、当たり前だけど、劇場の客席から観る舞台はいつも「引き」の視点なんだよ、とか。 ②渡辺謙があまり歌舞伎俳優の雰囲気じゃないなぁ、とか。 ③わざわざ襲名披露の口上の場で血を吐かせるのか(原作がどうあれ、監督の演出がどうあれ、歌舞伎の興行者の立場として、あるいは歌舞伎ファンとしては、なんだか舞台を汚された気分で不快)とか、 ④年老いて引退した人間国宝の元女形・万菊が最晩年になんであいりん地区(?)の簡易宿にいるのか、とか、 ⑤あと、映画の評価とは関係ないケチくさいグチを承知で言えば、歌舞伎400年の歴史のうち、130年にわたってその伝統を守り、発展させてきた松竹へのリスペクトが足りへんなぁ、エンドクレジットに「協力:松竹株式会社」くらいあっても罰は当たらんやろ、東宝はん!とかね。 ただ、これらの諸々は歌舞伎ファンで歌舞伎の製作・興行会社の元社員としてのバイアスが利き過ぎていたかなと。 そして、何より、この映画は歌舞伎、歌舞伎俳優をめぐるファンタジーと割り切った瞬間に、ネガティブなこだわりが霧消した。 とくに①については、歌舞伎観劇の客には見ることの出来ない、映画としての特性を存分に活かした視覚的、音響的効果として素直に受け入れることが出来た。言うまでもなく、観客の視点ではなく、役者からの視点がダイナミックに描かれていたと思う。 ただ、④については、田中泯演ずる人間国宝の老女形(歌右衛門そのもの)が簡易宿で最期を迎えなければならないのは、ファンタジー映画としても、腑に落ちない。 〈二つ目の理由〉 一度目を見終わって、映画としてのレベルの高さを感じつつも、登場人物の心情やドラマの進行・物語の展開が大胆に省略されていて、人物の心の動きや事象の流れがスッと入ってこないなぁって思ってた。 ただし、2回目を観終わって、ああ、これってあえてそういう演出なんだなって。説明的にならず、客観的というか、メタ的にクールに撮ってるのかぁ、って。そう言えば喜久雄の描写もどことなくクールである。多くのものを切り捨て「芸」一筋に歩んで来た、そして人間国宝になった。 フラッシュバック的に頻繁に現れる紙吹雪の舞うカット。その背景は常に暗闇だった。喜久雄はその暗闇に代わる景色を探し求めていたのだろう。 ラストで喜久雄は圧倒的な「鷺娘」を踊ったあと、客席の彼方を見て「きれいやなぁ」とつぶやく。その先には暗闇ではない明るい色のついた、ただし、空っぽの空間があった。喜久雄は空っぽの空間の彼方に何かを見たのか。それは雪景色の中の父の死に様だったのか。 それとも芸を極めた無我の境地果ての空っぽの空間を、「きれいやなぁ」と表現したのか。いずれにしても、2回見てまだいろんな解釈の余地があるのは、やはり傑作なのかな。 -------------------------------------------------------- 【大通り・ヘップバーン】さん [映画館(邦画)] 10点(2025-07-21 18:52:45)★《新規》★
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