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《ネタバレ》 『藪の中』は、芥川作品の中でも最高傑作だと思っています。
証言から明かされていく被害者の背景。捕まった多襄丸の白状。それとは異なる女の懺悔…さぁどっちの言い分が正しいのか? ここに来てまさかの“巫女の口を借りたる死霊の物語”と来たから驚いた(当時本当に驚きました。こんな時代にこんな追跡方法もあるのか!って)。しかも多襄丸と真砂の、どっちの意見とも違う話が出てきたから更に驚いた。三つの証言のうち、真相はどれなんだろう?高校生の頃、面白くて何度も読み返した短編です。とても大正十一年の作品とは思えない完成度でした。 日本映画の海外進出に大いに貢献したといわれる本作『羅生門』。半壊した巨大な羅生門と、滝のような大雨が、寒々しさを感じさせる一方、回想の場面では照り付ける太陽の焼けるような暑さの対比を感じさせます。…この両日、ほんの三日程しか違わないんですが。 多襄丸を殺人に走らせた“風”の表現が恐ろしく見事でした。「そうだ、あの風さえ吹かなければあの男も、俺に殺されずに済んだものを…」“風が吹いて牟子(日除けの布)がめくれて、真砂の美しい顔が見えたんだな…”なんて凡人の浅知恵でした。まさか映画で風が観えるなんて。光と陰で風を表現するなんて。更に一瞬観える真砂の横顔も、映像表現に負けじと美しいこと。つま先から映す撮り方も巧いのひと言。 基本的に日本人は表情に乏しいと思うんですが、主演の三船敏郎と京マチ子は、感情がとっても伝わりやすい表情の演技をしますね。二人とも、証言毎に性格の異なる人物像を良く表現しています。森雅之演じる日本人らしい無表情な金沢との対比がまた、良い比較表現になっています。映画の舞台・俳優共に、当時の日本映画の質の高さを感じさせます。海外での高い評価も頷けます。でもね、話に関しては原作『藪の中』が面白過ぎるんです。 本作の海外の評価に、私は押井監督の『攻殻機動隊』が海外で高く評価されたのと同じ匂いを感じました。小説と漫画のちがいはあれど、どちらも“原作から既に凄い作品”というのが共通点です。 同じ時間の同じ場面を、違う証言ごとに三度(映画では四度)観せる。ここが独創的な表現方法「ラショーモン・アプローチ」として評価されたそうですが、きっと当時の多くの日本人は短編小説『藪の中』を読んで、脳内で映像化して楽しんでいたことでしょう。恐らく海外では、芥川の発想の素晴らしさも含め「黒澤明って日本人監督が凄い発想の映画を創ったわ」って、のっぺりした評価になったように思います。 題名を『藪の中』でなく別作品の『羅生門』としたのも、芥川作品なんて知らない海外を狙い、更に原作に辿り着かせない為の大仕掛けだったのかもしれません。死体から髪の毛を奪う老婆から、衣服を剝ぎ取って盗人として生きていく決心をした下人の話が、黒澤監督の手によって、こんな不思議な殺人事件になってるんですから…(そう考えるとちょっと姑息)。 映画独自の展開が“杣売の証言”です。当時四十歳くらいの黒澤さんが考えた『実はこれが答えなんだよ。』という、とても面白い解釈でした。ですが、原作が完璧なだけに、蛇足にも思えました。 そもそも“巫女による死者の話”は、この事件の正解になる筈なのに、余計にややこしくしてしまうところ。誰かが嘘を言っている訳でもないところに物語の面白さがあり、原題でもある“(真相は)藪の中”を象徴する見事な“落ち”になっていました。 そこを一歩進めて“藪の中を内側から見ていた第三者の話”としてしまっては、そもそも、最初に杣売が正直に証言したら終わってしまい、多襄丸も真砂も証言(言い訳)の必要が無い話になってしまいます。 そこから続く、最後の赤子登場から原作『羅生門』に寄せる話も、杣売の改心も、どこか浮いて観えてしまいます。取って付けたような『羅生門』部分を抜きにしても、充分に面白く、斬新に出来ていたように思えてしまいます。 ※決して黒澤監督や押井監督が凄くないという考えではありません。どちらも原作有りの映画の中で、今までに無い斬新な映像表現を使って、後世に残る名作を残した、素晴らしい監督だと考えています。こと本作の映像表現は、今の目で観ても素晴らしく、この作品の歴史的価値は揺るぎないものと考えています。 【K&K】さん [DVD(邦画)] 7点(2025-06-02 22:30:01)《更新》
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