みんなのシネマレビュー |
|
| |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
| スポンサーリンク
ネタバレは禁止していませんので 未見の方は注意です! 【クチコミ・感想(7点検索)】
3.『ポセイドン・アドベンチャー』が、出口という「上がり」へ向けた「すごろく」みたいな展開だったのに対して、こっちは「パーティー会場から動けない」という状況で見せる。最初は遠く離れた火だったのが、徐々に迫ってくる怖さ。その遠さが「大きくなり過ぎた建築物」を印象づける。恐竜は尻尾の先の痛みを脳が感じるまで1秒以上もかかる、とかいう話を思い出した。エレベーターから火だるまの人がころがり出てきて安全の結界が破られ、ガラスが割られ外の風がじかに吹き込んでくる。着飾ったドレスが汚れてくる。くつろぎのパーティー会場にどんどん外部が入り込んでくる。映画の基本が見世物だとしたら、観客が一番喜ぶのは火事場の野次馬になってもらうことだ、と製作者に見抜かれてしまっているのは悔しいが、たしかにそうなんだ。ワクワクして野次馬になりきってしまう。『ポセイドン』では観客はある程度登場人物と一体化して観ていたが、こちらは少し離れて野次馬の立場から、街の名士たちのオタオタぶりを眺めている。でもこのころはあんまり高層ビルもなかったが、今では林立していて、観客のほうも当事者になり得る可能性が高まっている。非常階段にコンクリの残滓がヒョイと捨ててあるなんて、似たようなことアリソーだし(最近の日本でも飛行場の工事で産廃が滑走路の下に埋められてたってのがあった。非常階段が倉庫がわりになってた、ってのは歌舞伎町の火事だったっけ?)、手抜き工事の話は枚挙にいとまがない。そうそう安全な野次馬の立場ばかりでもいられなくなっているのだ。この映画の忠告は、現在いっそう切実になっている。下からインフェルノの劫火と天からの大洪水、あちらの人にとってはキリスト教的な構図でもあるんだろうな。 【なんのかんの】さん [CS・衛星(字幕)] 7点(2010-11-26 10:08:07)(良:1票) 2.やや冗長ではあったが、クライマックスの救出シーンの迫力と容赦のない展開に縮み上がった。ぼろぼろぼろぼろ人が死ぬ。ほんとうにもう、ゴミのように死んでいく。善良で勇敢な人たちも残酷な死を遂げたのにはさすがに涙腺が緩んだ。それぞれに愛する人、それぞれの人生があることを示し、命の重さを伝えた上でそれらがいかにたやすく奪われていくかを見せる。ある意味ではこれこそが災害の怖いところであると思う。たとえばニュースで数十人、数百人が死んだと知らされてもすぐにはぴんと来ないけど、一人一人の顔を想像しようとすれば気が遠くなってくる。失われたものが大きすぎて、把握することすら不可能なのだ。まさにインフェルノ(地獄)の名を冠するにふさわしい、凄まじい作品。 【no one】さん [DVD(字幕)] 7点(2006-01-31 05:11:37)(良:1票) 1.豪華な顔ぶれなのだけど、なにぶん時がたってるもんだから顔が判りづらくて…えーと、これがニューマンで、こっちがー…って作業に忙しく、パニックに乗り遅れてしまった。後で思い返せば「おーっ!」と思うシーンもあるし、感がえるほど怖いのだけど、「手に汗握る」は体感できず…。パニック映画やホラー映画は、“演技が達者な無名の俳優”で観る方がホントっぽくていいと思った。 【桃子】さん 7点(2004-01-15 14:28:03)(良:1票)
【点数情報】
【その他点数情報】
|