みんなのシネマレビュー |
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ネタバレは禁止していませんので 未見の方は注意です! 【クチコミ・感想】
13.《ネタバレ》 現実と劇中劇が交錯し、やがてある一点に収斂して行く。ただし、劇中劇はそれを読んでいるヒロイン・スーザンの視点によって具現化されている。それ故に終着点は彼女の望むところに落ち着こうとする。しかし、そこに至ることは叶わない。良く出来た心理劇ですね。 小説の主人公は作者であり彼女の前夫であるエドワード。別れる前に彼が書いていた小説も、彼自身の経験を書き綴ったものばかりだったから、スーザンが主人公にエドワードを重ねるのも当然です。ただし、劇中の主人公の妻はスーザンのようでいてスーザンではない。エドワードと別れ、別の人生を歩んでいた彼女にとって、劇中の妻に自らを投影することは出来ないのですね。勿論したくもない訳ですし。それでも心のどこかで燻っている後悔と自責の念が、劇中の妻と自らを似せてしまう。実に複雑かつ精緻な心理描写だと思います。 シンプルに考えれば、この小説を贈ることによってエドワードは、スーザンが自らの犯した過去の過ちを反芻し、今選択すべき道(それは希望へと続くもの)を見つけさせておきながら、彼女との再会を決して実現させないことによって彼女を絶望に導く。そんな救いようのない復讐の物語に思えます。 しかし、それではエドワードが偏執的な人間として描かれてしまいスーザンの歪んだ人間性と並立してしまう。彼が小説を贈ったことまでは現実でしょう。でも、そこに書き綴られている物語はスーザンが読み解いたものと合致するのでしょうか?スーザンの妄想とまでは言いませんが、彼女が詠み進むことによって彼女なりのフィルターが掛かり、物語の本質が歪められてしまっているのかも知れません。 いずれにしても、二人の再開は永遠に訪れないのでしょうね。もしかしたら、エドワードは自らの命を絶っているのかも知れません。 強烈なインパクトを与えてくれる冒頭の超豊満裸婦によるダンス。スーザンの脳内では彼女自身はあのような姿なのでしょうか?彼女自身が醜く踊り疲れて息耐えることを切望した故の表現だったのでしょうか? ひさしぶりに結論の出ない、かと言って乱雑でとりとめのない物語ではない、良質なサスペンスを鑑賞しました。 【タコ太(ぺいぺい)】さん [インターネット(字幕)] 9点(2023-10-09 18:23:51) 12.《ネタバレ》 妻と娘が遺体で見つかるまでは、いったいこの先どうなるのかが気になって画面に釘付けになってしまったのだが、遺体が見つかってからは、送られてきた小説で何を伝えたかったのかが気になって、結局最後まで釘付けにされてしまった。 一本の映画で二度楽しめる点は評価したい。 小説が全くのフィクションなら、主人公の夫が主犯格への断罪と引き換えに死を迎えたことにはどんな意味があったのか。 妻と娘を奪われそうになった時に、戦うべきだったと刑事に訴えた夫。 小説が復讐のために執筆されたのだとすれば、妻を奪った今の夫こそが憎むべき相手のような気もするが、エドワードには多分、スーザンしか見えていない。 スーザンが自分の所に戻って来たときに、彼の復讐は終わるのではないか。 だとすると、レストランでの待ち合わせにエドワードがやって来ることはない。 再会の約束をした瞬間に彼の復讐は終わり、自ら命を絶ったのではないか。 純粋で一途な男を演じさせたら、ジェイク・ギレンホールに並ぶ人はいない気がして、そんな想像をしてみた。 【roadster316】さん [インターネット(字幕)] 7点(2021-04-11 21:10:25) ★11.《ネタバレ》 ただのバイオレンス小説じゃないか そこに捻りはナシ。 エドワードに物書きのセンスはナシとみた。 というか、オープニングひでえな 目が死んだ 【3737】さん [CS・衛星(字幕)] 3点(2020-09-18 20:44:28) 10.《ネタバレ》 ・・世間の激賞と相容れない感想なので発言しづらいのですけど。・・ありていに言うと「ちょっと何言ってるのかわからない」です。 まず送り付けられた小説と自分の過去を重ね合わせるって事がやや無理くりではないですか。陰惨極まる妻娘殺害事件と、男と別れた過去がオーバーラップする??男女間のもつれなんてそれこそ星の数ほどありましょうが、どんなにこじれた話であっても「レイプ殺人一家崩壊」とは次元が違いすぎませんか。 スーザンはたしかに無責任、無自覚、不誠実なお粗末女ですがね。この小説をもってエドワードの復讐なのだとする説が大方ですけど、あんなに「何かを愛したら頑張らないといけない」と力説していた男が20年も経って元妻に意趣返しするとは、ちょっとピンと来ないです。 いやいや、これは復讐ではなく愛なのだという解釈も見かけましたが、これまたすとんと落ちないなあ。さして出来がいいとも思えない暴力小説から愛を感じることはわたしには無理です。 スーザンは若き日の愛情を貫徹できず、軽蔑していた母の予言通りにその母そっくりのブルジョワになり下がり、結果中年になった今は空っぽの人生を送っています。わざわざ復讐なんぞのために、自分の20年をこの女に割く価値も無いと思うのですが。 【tottoko】さん [CS・衛星(字幕)] 4点(2020-09-12 23:42:02) 9.本の中の物語は普通。 実際の物語は訳がわかんない。 あまり心には残らない映画でした。 【クロエ】さん [CS・衛星(字幕)] 5点(2020-01-30 09:11:51) 8.《ネタバレ》 繊細で気弱な元夫が書いた小説の中と現実世界、過去と現在を行ったり来たり。見苦しいブタ女の裸踊り、キョーレツな冒頭。ほんわかイメージのエイミー・アダムス、鋭い感じのオンナを好演。 【獅子-平常心】さん [DVD(字幕)] 6点(2019-10-05 03:42:39) 7.《ネタバレ》 現代美術家として成功を収め、実業家として名を馳せた夫と何不自由ない生活を送ってきたスーザン。ある日、そんな彼女の元に一冊の本が届く。タイトルは『夜の獣たち』。作者の名を見て彼女は思わず息を呑んでしまう。その名は二十年前に破局を迎えたきり、ほとんど音沙汰のなかった元夫エドワード・シェフィールドだったのだ。資金繰りに息詰まっている今の夫を出張へと送り出したスーザンはソファに横たわり、その元夫が書いたという本に目を通してゆく――。物語はその後、彼女の現実世界と小説内のフィクションの世界、そしてスーザンが二十年前に作者である元夫と過ごした若き日々を複雑に行き交いながら、暴力と不条理に満ちたミステリアスで濃厚な世界を形作ってゆく。劇中劇として語られる小説の世界は、テキサスの夜の路上で偶然出会ってしまった荒くれ者たちによって妻子を凌辱される一人の男の物語。そして二十年前の若き日のスーザンと元夫との物語は、情熱的な恋に落ちた二人が悲劇的な結末を迎えるまでを描いている。ポイントは、この小説の主人公とスーザンの元夫役を同じ、ジェイク・ギレンホールが演じているところ。本来は何の関係もないはずの二人が、主人公であるスーザンの想像の中では同一人物と認識されることで、この元夫の本書を書いた意図が透けて見えてくるという非常に高度で深い心理劇を形成することに成功している。とても考え抜かれた優れた脚本であると言えるだろう。また、人生の曲がり角を迎えた中年女性を演じたエイミー・アダムス、凄みのある犯罪者をリアルに演じたアーロン・テイラー・ジョンソンもこの作品の不穏に満ちた空気を醸成させることに貢献している。特に癌に犯された刑事役を演じたマイケル・シャノンの存在感は際立っていた。果たして、このような小説を書きさらには二十年も前に別れた元妻へと送り届けた、この元夫の真の意図とはなんであったのか。復讐?懺悔?未練?そして最後に彼が取った行動の本当の意味とはまで、見る人それぞれにいかようにも解釈できる、とても優れた心理ドラマの秀作であった。 【かたゆき】さん [DVD(字幕)] 7点(2018-12-30 00:04:48)(良:1票) 6.《ネタバレ》 劇中劇はベタな展開だが引き込まれた。反して本編は? あの結末はどうなんだろう? と思って作品評をググってみると興味深い意見がちらほら。そして、そもそもエイミー・アダムスの二人の夫は実在しないのではないかという感想にハッとさせられました。 【kaaaz】さん [インターネット(字幕)] 8点(2018-05-18 23:27:56) 5.《ネタバレ》 希代のファッションデザイナーの監督作ということで、構図や映像の美しさに納得のセンスを感じる一方、内容の方も示唆に富んでおり、なかなかどうして味わい深い一作である。 現実世界のイメージを投影した「夜の獣たち」を劇中劇として描いているのが特徴的だ。とはいっても入れ子構造など今となってはありふれた手法である。しかし個人的には、そこに存在する「ある違和感」が良いアクセントになっていると感じた。 つまり、なぜエイミー・アダムスではなくアイラ・フィッシャーなのか? 「夜の獣たち」は小説を読み進めるスーザンの目線で映像化される。そのため劇中劇のトニーはシェフィールドの投影、つまりジェイクの1人二役となっている。 しかし小説内のローラはどうだろうか。 定石では現実世界同様にスーザンの投影、つまりエイミー・アダムスが演じるのであろうが、まったく別の女優であるアイラ・フィッシャーが登場する。 さらにはエイミー・アダムスに意図的に似せてあるようだから不思議だ。 理由は明らかにされないが、適度に思案を巡らせる余地があって良い。 小説内の家族構成はスーザンがシェフィールドといた場合の姿ともとれる。思うにスーザンは、シェフィールドを選択した別のミライの自分をローラに投影していたのではないか。 ではスーザンは誰に自分の人間性を投影したのか。それはアーロン・テイラー・ジョンソン演じるレイ、つまり「夜の獣」ではないだろうか。 人は、自分にされたこと相応の態度で人に臨む。 スーザンは自分が他人に与えた傷を、客観的に顧みているのである。 以前シェフィールドはスーザンを「夜の獣」と呼んでいたということを踏まえると、スーザンはシェフィールドの思惑通り、レイに自分を重ね、トニーからローラを奪う理不尽さ・非情さを痛感したのだろう。 本作は復讐の物語だ。 映画や小説において復讐というと、大儀や正義を果たすための戦いや、血みどろの復讐劇を思い浮かべる。(英語で言う「アヴェンジ」「ヴェンジェンス」といった類か。)実際、小説「夜の獣たち」の中での復讐はそれに近い。 しかし作品内における現実世界での復讐はまた違った形をとる。 最愛の人に見限られ、非情な方法で見捨てられた者の声。 それは画廊に飾られた「リベンジ」の文字が示す通り、過去の遺恨に救いを求める出口のない不毛な感情なのだ。 レイを討ったトニーが盲目となり自らの身を滅ぼしたように、復讐を果たしたシェフィールドもまた、この負の連鎖を覚悟の上なのだろう。 若きシェフィールドを信じていたら、どんな未来が待っていたのか。 美しさと成功、はたから見れば全てを手に入れたように見える現在のスーザンだが、頼れる者もなく心は虚ろだ。 それは冒頭の裸婦(絵面キツイな)の世界とは完全に逆。一般的な理想とはかけ離れた醜悪さで、一糸まとわず文字通り持たざる者たちのなんと楽しげなことか。そんな裸婦たちも次のカットでは作者の演出によって殺害され息絶える。 シェフィールドとの未来を殺してしまったスーザンのもとに、待てども待てども彼は現れない。謝罪も精算も許されない。(そもそも劇中に現在のシェフィールドが一度も現れないので、小説自体が懺悔することしかできない彼女の妄想とも取れるが) 本作は復讐の物語であるとともに、哀しい愛の物語でもある。 【サムサッカー・サム】さん [映画館(字幕)] 7点(2018-01-11 14:02:21)(良:2票) 4.《ネタバレ》 エイミー・アダムスの美しいグリーンの瞳になにか不吉な予感がよぎる。 あのラストカットが暗示したものは何だったのだろうか。鑑賞から数日が経つが、明確な結論が出ない。 鑑賞直後は、待ち合わせ場所に現れないことが、主人公に対する元夫の復讐の終着点なのだろうと思った。 紛うことなき深い愛ゆえに生まれた深淵な復讐心を「小説」という形で具現化した上で、本当に愛すべき人を失うという残酷を改めて彼女に知らしめることで、元夫は復讐を果たしたのだと。 ただ、段々と、別の真相が見え隠れしてきた。 そもそも、富と名声を得ながらも満たされない鬱々とした日々を送る主人公が居て、彼女がたまたま昔のことを思い返していたタイミングで、都合よく元夫から出版前の小説が届くなんてことが、あり得るだろうか。 また、夫婦関係だったといっても、20年前の学生時分の頃である。 確かに、深くて重い“裏切り”はあったけれど、20年にも渡って執拗に憎愛を抱き続けるだろうか。そして、わざわざその思いを小説に書き連ねて、相手に送りつけるなんてことをするだろうか。 確かにジェイク・ギレンホール演じる元夫は、耐え難い裏切りを受けたけれど、彼がそれ程まで怨みに執着する人間には見えなかったし、客観的に見れば、彼らの夫婦関係崩壊のあらましは普遍的なことであり、「よくあること」と言ってしまえばそれまででもある。 元夫が「小説」を送ってきたということ自体が、不自然に思えてならなくなってきた。 では、あの「小説」は何なのか?誰が生み出し、誰が送ってきたものなのか? 「小説」は確かに送られてきた。 ただしそれは、主人公が自らに宛てて送りつけたものだったのではないだろうか。 そう考えると、劇中劇で描かれる「小説」の内容もより一層理解が深まる。 妻子を殺された男の復讐劇ではなく、男から妻子を奪った自分自身に対しての懺悔の物語だったのだ。 「罰を受けずに逃すものか」 「小説」の中で主人公の男はそう言い放ち、妻子を殺害した犯人を追い詰める。 その台詞は、堕胎し、不倫し、男の元を去った自らに対する「自戒」だったのだと思う。 自らの中で生まれた生命を打ち消した後悔と、何も生み出せない自分への苦悩、それらが入り交じった自らに対する憎しみが20年という年月の中で膨らみ、形となったものが、あの「小説」だったのではないか。 とはいえ、明確な答えなどはないし、つくり手としても唯一つの答えを導き出してほしいわけではないだろう。 単純に、元夫にすっぽかされただけかもしれないし、巨漢の半裸女たちが踊り戯れるあの“悪夢”のような展覧会からその先すべてが、主人公の妄想なのかもしれない。 ただ一つ言い切れることは、夜行動物(ノクターナル・アニマルズ)は、これからも眠れぬ夜を迎え続けるだろうということだ。 【鉄腕麗人】さん [映画館(字幕)] 8点(2017-11-16 08:06:05)(良:2票) 3.《ネタバレ》 本筋とその中で語られる小説物語が同時に進行していく。こうした展開は、劇中物語がどうしても余計なものに感じて本筋に気が向かないのだが、本作も同様の印象。ただし、J・ギレンホールが本筋と小説内の主人公という二役を演じることで、集中力は辛うじて保たれる。小説内で語られる高速での誘拐シーンがやたらに緊張感が高かったり、マイケル・シャノンの凄みが他を圧倒したり、オープニングの無意味な全裸女性が見る人を選別したり、全体的に焦点をぼかしているのは作り手のしてやったり感があっておもしろい。好きにはなれないが、どこか惹きつけられる魅力のある作品。 【カワウソの聞耳】さん [映画館(字幕)] 6点(2017-11-15 21:31:33) 2.原作既読。 映画はスーザンの所へ元夫が執筆した小説「夜の獣たち」の原稿が送られてくる所から始まり、それを読み進めるスーザンの現在と作中作を交えながら展開して行く。 原作では、ちょっとずつ読み進めながらも、たまに現実へ戻り複雑な心境を覗かせていて、段々と心揺れ動いていく様子が克明に描写されていた。 しかし、映画ではその心中を表す事が少ない為、彼女の表情から読み取るしかなく、原作とはまた違ったスタンスで楽しむ事が出来た。原作を読んでいない人には少々解りにくいかもしれない。 元夫と作中作の主人公、両方をジェイク・ギレンホールに演じさせるというのは映画ならではの試みで面白い。 あと、オープニングの裸体が踊るシーンは凄いインパクトだが、原作とは何の関係もありません(笑) 【ヴレア】さん [映画館(字幕)] 7点(2017-11-14 12:18:41) 1.《ネタバレ》 黒をバックにしたシンプルな構図。その中で、主に髪型やアクセサリーの微妙な変化によって現在と過去、 劇中小説の部分を演じ分けるエイミー・アダムスの表情に引き込まれる。 ところどころに置かれる赤の配色も、彼女の物憂い表情の白を一層引き立てる。 夜のハイウェーの恐怖もその背景に広がる黒い世界ゆえだろう。 それぞれのパートを、エイミー・アダムスとジェイク・ギレンホールの対比的な構図で幾度もカットバックさせるような 繋ぎをしてみたり、ディゾルブの頻度が非常に多いのも特徴だが、少々くどい感じだ。 小説パートの保安官役:マイケル・シャノンの凄みがいい。 【ユーカラ】さん [映画館(字幕なし「原語」)] 6点(2017-11-06 22:52:27)
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