みんなのシネマレビュー |
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ネタバレは禁止していませんので 未見の方は注意です! 【クチコミ・感想】
★4.《ネタバレ》 東宝特撮の「変身人間シリーズ」に先行する(または含まれる)怪奇映画とされている。キャバレーと犯罪集団、歌手が訳あり風の美女で裏町のアパートに住むという設定は「美女と液体人間」(1958)に共通する。 透明人間など今の感覚ではありきたりの題材のようだが、しかし劇中の偽透明人間の覆面(包帯?)姿が、当時すでに出来上がっていた透明人間のイメージだったらしいのに対し、この映画ではまた違った透明人間像を提示してみせている。顔の見え方などに無理はあるが突っ込まない。 物語の展開として、最初に死んだ男の遺書からもう一人の存在が知れ渡り、それを利用した強盗事件が頻発して社会不安が広がる流れはスムーズだった。事件に関わった新聞記者は良心的な人物だったらしく、主人公が疑われて迫害されることにならなかったのは安心できた。 身近な人々を脅かす犯罪集団に対し主人公が透明人間として立ち向かうことになるが、終盤の格闘はみな悪人側の一人芝居で、正義のヒーローの姿がないのがユニークともいえる。一応の特撮映画らしく、ラストでは工業地域の大型タンクが爆発する場面も入れてあった。 人間ドラマとしては孤児の少女、キャバレーの歌手との交流が中心になる。少女は外見と無関係に主人公を慕い、歌手は主人公の姿を知った上でなお好意を寄せていた。日比谷公園でいきなり相思相愛になったようなのは唐突だったが(役者の年齢差が20歳程度)、この3人で家族になれればという思いも生じなくはない。 しかし最後の切り上げ方がいい加減で(よくあることだが)、何でオルゴールがあの場にあったのか、その後に少女が受け取れたのか不明なのは不満が残る。聞こえた気がしたということは、実物は結局届かなかったということなのか。取ってつけたような爆発はいいからドラマとしてちゃんと締めてもらいたかった。 ただ主人公が善良な人間だったことで、比較的いい印象の映画ではあった。 その他、昭和29年の東京で目についた点 ・タクシーが左折する際に、車の左側に出たのは矢羽式の方向指示器というものらしい。 ・街中に「静粛運転地域/必要外(?)警音器を鳴らすな/みだりに鳴らすと罰せられます/築地警察署/築地署交通協会(?)」と書いた看板が立っていたが、背景音ではやたらにクラクションが鳴っていた。 ・公衆電話の使い方を丁寧に誘導する説明が書かれていたのは感心した。 【かっぱ堰】さん [DVD(邦画)] 6点(2025-07-19 14:52:41) 3.欧米では過去数十年に渡って幾度も映画化されている「透明人間」という題材。 その殆どが、SF作家のH・G・ウェルズ原作の映画化のようだが、日本でも「透明人間」という映画が存在していたとは知らなかった。 しかも1954年という公開年が益々興味深い。 1954年といえば何を置いても、「ゴジラ」第一作の公開年である。日本の特撮映画史におけるエポックメイキングと言える年に、特撮映画の一つとしてこの「透明人間」が製作されていたことは中々意義深いと思える。 第二次大戦中に秘密裏に存在していた透明人間部隊の生き残りの男を描いた悲哀は、時代的な背景も手伝って深いドラマ性を孕んでいる。 そして、その透明人間の主人公が、“ピエロ”の姿で“正体”を隠し、サンドウィッチマンとして生計を立てているという設定も、非常に映画的な情感に満ち溢れていたと思う。 (そのキャラクター的な特徴と立ち位置には、映画「JORKER ジョーカー」の逆説的な類似性も感じられ益々興味深い) 戦争における人間の功罪を、文字通り一身に背負う主人公の孤独と絶望は計り知れない。それでも彼が生き続け、守り続けた希望は、この時代にこの国で製作された映画だからこそ殊更に意義深いテーマだった。 “透明人間”という怪奇を映像的に表現した円谷英二による特撮も白眉だったと思う。 また、70年近く前の東京の風俗描写をつぶさに見られることも、時代を超えた映画的価値を高めていると言える。 この時代の特撮映画として不満はほぼない。 が、一つ不満があるとすれば、その後日本では「透明人間」という映画が殆ど存在しないことだ。 アメリカでは、1933年の「透明人間」以降、H・G・ウェルズの原作をベースにした作品だけでも4~5作品以上は繰り返し映画化が行われている。 それは、「透明人間」に関わらず、“ドラキュラ”や“フランケンシュタイン”しかり、古典的な怪奇映画の中では、時代を超えて普遍的かつ本質的な人間ドラマを見出せることを、映画産業としてよく理解しているからだと思う。 日本においても特撮映画隆盛期の1950年代から1960年代においては、今作以外にも、「ガス人間第一号」や「電送人間」「美女と液体人間」など、タイトルを聞くだけで印象的な数多くの怪奇SF映画が製作されている。 そういった往年の特撮映画を「古典」として、移り変わる時代の中で継承することができていないことが、この国の映画産業の弱体化の一因ではなかろうか。 今一度、今この時代の日本だからこそ描ける「透明人間」に挑んでもいいのではないかと強く思う。 【鉄腕麗人】さん [インターネット(邦画)] 7点(2020-11-08 01:54:25) 2.《ネタバレ》 透明人間の自殺ではじまる冒頭部分から興味深かかった。さらに実は日本の軍隊には透明人間の特殊部隊が存在していたとゆう設定もなんかおもしろい。で、その部隊の生き残りが二名だけで、彼らは元の姿にはもどれず、普通の社会生活がおくれないために絶望して、なんと一人は自殺してしまうとゆーわけ。国内では、その事実が国民に公表され、国会では残りの一名の存在が追及され、市民は、まだ透明人間が一人生き残ってるとゆう事実に恐れている。異色な設定やな~。透明人間でそーくるとは思わなかったわ。そんな中、巷では透明人間のギャング集団による犯罪が横行しだす。でも、とうの透明人間は実はピエロのサンドイッチマンをしながら、ひっそりと社会にとけこみ生きているのだ。なんとゆう哀愁。透明人間のピエロの演技も実に哀愁ただよう感じで、この物悲しさが昭和の日本風景とあいまって、味わい深いもんがあるねん。このへんの雰囲気はのちの変身シリーズにも続く感じやわ。普段はずっとピエロのサンドイッチマンにふんしているので、自然に人前に姿をさらす事ができ、そーゆう部分もなるほど思ってしまう。そーゆう風に生きていくしかできない、あくまで普通に生きていたいのだ。この透明人間わ。あまりにも地味。でもこの地味さが逆にいい。特殊ゆえに地味。でも新鮮。さらに、この透明人間の住んでるアパートには盲目の少女がすんでいて、彼女との交流がなんだかジーンとくる。盲目であるがゆえに、透明人間が本当の姿で接しても 気づかず、普通に接するとゆう構図。こりゃ、うまい。うまいアイデアみつけたな~。特撮も、映画の雰囲気にあった感じで悪くなく特に化粧をとると徐々に透明になるあたりとか、無人のスクーターとか、何気に当時としてはよくやってると思う。全体的にノスタルチックな日本風味にあわせたせつない透明人間物語で、結構、悲しかった。てゆーか、正直、よかったわ。 【なにわ君】さん [DVD(邦画)] 7点(2010-09-01 02:02:38)(良:1票) 1.《ネタバレ》 この映画が製作されたのが1954年。これは「ゴジラ」と同じ年で、この年が日本の特撮映画元年と言っても良いのでしょう。その後、東宝は「ゴジラ」に代表される怪獣ものと、この映画のような変身人間ものを両輪として特撮映画を製作して行くことになる。その意味では歴史的作品とも言える。主人公が二次大戦中に軍部によって肉体改造を施された透明特攻隊(!)の生き残りという設定で、平常時からピエロのメークをして社会生活を営んでいる姿には悲哀が滲む。戦争の傷跡を背景に据えたドラマである。しかし「ゴジラ」に迫力が有り過ぎるのか、1930年代の同名ハリウッド映画が存在するからか、どうも小振りな感が否めない。自分はさほど面白く感じなかったのも事実である。それは安直なストーリーに負うところも大きい。特撮部分に主眼を置いて製作されたとしても、同じ年に「七人の侍」が世に出ていることを考えると、この脚本はレベルが低いと言わざるを得ない。透明人間と戦っている悪人たちが、一人芝居を演じている様がしらじらしく映った。申し訳ないが、自分には当時の銀座の街並みや街頭テレビを見入る人たちといった、タイムカプセル的要素の方に意義があった。 【アンドレ・タカシ】さん [CS・衛星(邦画)] 3点(2009-12-15 22:57:40)
【点数情報】
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