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プロフィール
コメント数 3878
性別 男性
年齢 53歳

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【製作国 : アメリカ 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
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1.  クライ・マッチョ 『グラン・トリノ』を見た時の感動、というのは、これがきっと最後の監督・主演作になるだろう、という予感ゆえに感動したのか、それとも感動したがゆえにそのような予感がしたのか。今となっては渾然となってよくわからないのですが、はっきりしているのは、その予感は外れて、間遠になったとは言えその後も、現時点で2本、監督・主演の兼業をこなしている、ということで。なんという映画への情熱とバイタリティ。老人、おそるべし。 この主人公は、煮ても焼いても食えない奴だ、と思ったら、自分で主演やるんですかねえ。頑固者のイメージ。それが、自らの老いた姿とともに、映画の中に焼き付けられています。今回の主人公も、推定年齢200歳くらい(?)のジジイ。カウボーイの生き残り。かつて南北戦争でも戦ったことがある、と言われても驚かないような、そんな人。 この物語の主人公がこれほど年老いている必然性があるのか、と言われるとよくわからないけれど、とにかく、イーストウッドは「今の自分」をさらけだし、「今の自分」を主人公に重ね合わせる。御年、90歳。乗ってたクルマが不調で、車体の下をのぞき込む、そんな仕草だけでも、ゴクロウサマと言いたくなる、そんな光景となっています。 しかししかし、映画たるもの、カメラがあれば、肉体の衰えなど乗り越えた動きのあるシーンも作り出すことができる。ニワトリを追いかけるシーンの張り切りぶりなどは、映画に動きを与えるとともに、どことなくユーモラス。 少年と旅をするロードムービー、のようでいて、実はそんなに旅をしていないような気もするのですが、イーストウッドはとにかく、若い人に何かを伝えたがっている、という雰囲気が伝わってきます。何を伝えたがっているのかというと、このマッチョ教の教祖のような人が、今さらになってではありますが、マッチョだけじゃいかんのよ、と。 というか、チキン(臆病)もマッチョも、紙一重。大事なのは、勇気を持つこと。 などと言ってしまうと安っぽくなるけれど、だからこそ、言うのではなく、それを映画で表現してみせる。体現してみせる。 イーストウッドは例によってカウボーイハットを目深にかぶり、陰になった目元がよく見えないのだけど、帽子を脱いでその目元が露わになると、妙に可愛らしい瞳がそこにあって。 ジイサン、すっかり丸くなった・・・のかねえ。[CS・衛星(字幕)] 8点(2024-03-16 04:54:32)(良:1票) 《改行有》

2.  クロール -凶暴領域- 冒頭、「CRAWL」というタイトルがプールのシーンに被って示され、もしも何の予備知識も無い人が見たら、これはきっと水泳の映画なんだろう、と思い込み、しかし実はワニ映画でした、という仕掛け? いや、そこまで完全に予備知識の無い人はこの映画を見る確率は限りなくゼロに近そうな気が。 とは言え、ある意味これは水泳映画。主人公の泳ぎ、が見どころ。この点については確かに作品の魅力となっています。手に汗握るワニとの競泳。 そういやミスター・デンジャーことプロレスラー松永光弘もその昔、ワニ(ちっちゃいヤツ)と棺桶デスマッチをやってましたね。一応、かろうじて勝利、したはずですが。やっぱり誰しも、ワニと戦って勝つのが夢なんですねえ。 動物が襲ってくる映画と言うと、『ジョーズ』なんてのは、サメがいると思わせてからもなかなかサメを登場させない映画でした。一方、本作は、ハリケーンで洪水に見舞われた町で、主人公が何の前触れもなく突然ワニに襲われる。思わせぶりは抜きにして単刀直入、スピード勝負、テンポ重視。ただ、それが成功しているかというと、ちょっと疑問。 『鳥』という作品は、後半の鳥の襲撃に対し、前半はそこそこ前兆現象を見せつつも、割と普通のドラマを描いていて油断させ、そこで突然のギアチェンジを見せる、というちょっと意地悪な構成。しかし後半のパニックに対し、前半でのんびりした海辺の町を印象づけることには成功しています。 今回のワニ映画は、前兆すらなく唐突にワニを登場させてきますが、映画開始早々から町はハリケーンに見舞われていて、最初から異変の連続。テンポが良い反面、洪水に見舞われる前の平穏な町の姿が対比されないのは、ちょっと勿体なかったような気もします。 洪水パニック+ワニの襲撃、という合わせ技で、次から次に訪れる危機を描くことにひたすら徹しよう、という趣向。しかし、何パターンかのシチュエーションを準備しているとは言え、基本的に同じような状況が続いてしまうので、バタバタしてる割には盛り上がりに欠けます。「海底47m 古代マヤの死の迷宮」にも感じたような、ゲームの設定のような間延びした印象。 映画の中心人物たる父と娘だけは、ワニに噛まれてもあまりダメージを受けているようには見えず、もしかしたらそういうDNAなのかも知れませんが(?)、ヘンな安心感が漂ってしまう。この二人以外の登場人物たちはワニに対する耐性が無く(松永だってそうだ)、片っ端からヤラれてしまうので、イマイチ物語に貢献しません。これもまた、展開をシンプルにしてスピード重視、ってなことなのかも知れませんが、ちょっと寂しい。 とは言え、ワニの描写については、ホンモノっぽくって、なかなかよく出来ておりました。すでにこのこと自体、貴重な気がしないでもなく。[インターネット(字幕)] 5点(2023-07-16 07:59:56)《改行有》

3.  クワイエット・プレイス 静寂を守らないとモンスターに襲われる、という設定が、意欲的ではあります。手話を交えた会話は最小限に絞り、俳優たちの表情、そして静寂の不気味さで物語を描く。我々も自ずと、映画の中における「音」に敏感になり、そこに生まれる緊張感。 ってなところではあるのですが。 そうは言っても、やっぱり難しい設定ではあると思います。「音を立てちゃダメ」となると、やっぱり「にも関わらず音を立ててしまった」という禁則破りこそがサスペンスのスタートとなるところ。あるいは『ドント・ブリーズ』のように、「音を立てるのを待ち構える相手」というものを画面で見せつけるところをスタートとするか。しかるに、この『クワイエット・プレイス』では、音を立てたら即死、なもんで、基本的に「それでも音を立ててしまう」というサスペンス上の行為に対し、物語上の制約がかかってしまう。しかも、モンスターはどこからともなく急に襲い掛かってくるもんで、「だんだん迫ってくる」風のサスペンスにもなかなか繋がらず、これも制約として感じられてどうもまどろっこしい。もっとも、この点に関しては、無闇にモンスターの姿を画面に出さない、という別の魅力に繋がっているとも言えるし、映画後半は姿を露わにしたモンスターがジワジワ迫ってくるタイプの描写も取り入れられているけれども・・・。 実際に聴覚に障碍のある女性が娘役を演じている、というのがここではおそらく、いい方向に出ていて、普通に幅広くオーディションなんかしたら、こういう素朴で、しかし独特の雰囲気の娘役は生まれなかったんじゃなかろうか、と思えてきます。制約がうまく働く場合もあるのです、たぶん。 しかし、この主人公家族の、親子関係の描き方って、こんなもんでよかったんでしょうか? ちょっと踏み込みが足りない気もします。かつて起きたある事件により、関係がギクシャクしている(あるいは本人がそう思い込んでいる)、というのはもっと鮮明に描かれていてもよいと思うし、それでこそ、クライマックスで互いに離れ離れになった家族が何とか集まろうとする姿にも繋がってくると思うんですが。静寂というルールが家族関係の描写に対して制約になったのであれば残念ですが、それとて、工夫の余地はもう少しありそうな気が。 言葉より表情で描く。それは悪くないと思うけれど、それを補強するエピソードがもう少し欲しくなるし、それより何よりこれは恐怖映画なのだから(少なくとも、恐怖映画として面白くなりうる映画なのだから)、俳優の表情ばかりでなく、まずこの、不気味な森、と言うヤツを、画面上にしっかりと出して欲しかったなあ。[インターネット(字幕)] 6点(2023-05-02 08:06:35)《改行有》

4.  蜘蛛女(1993) 《ネタバレ》 グロッキー状態のレナ・オリンが突如息を吹き返してしがみついてくるあたりはまだ、プロレス的な想定範囲内だとしても(ここ、一般にはスモールパッケージホールドかなあ)、それに続けて、後ろ手に手錠のまま車の窓ガラスを突き破ったり、靴を蹴飛ばして走って逃げたりするのを見ると、ああ、こりゃ勝てんわなあ、と。ゲイリー・オールドマンも別の映画ではそれなりにヤバい人の役をやったりしてるけれど、これは別種のヤバさです。 という訳で、ダメダメな男が強くて悪い女性にヒドい目に合わされる映画って、やっぱ、イイですよねえ。いや、羨ましい訳じゃないけど。たぶん。 冒頭の修羅場チラ見せ、一体どうやったらこんな展開になり得るんだ、と思ってたら、ちゃんと問答無用にそういう展開になっていく、映画後半。ダメ男はやはり、こうでなくては。 一応は最後、彼女にトドメを刺す主人公だけど、ホントに彼女は死んだのか、実はココにいる全員がグルで、ドッキリなんじゃないかとすら思えてきちゃいます、、、そんなワケないけど。[インターネット(字幕)] 7点(2022-07-23 12:10:54)《改行有》

5.  グリーン・インフェルノ(2013) 《ネタバレ》 こんなゲテモノ企画みたいな作品は全く見る気がなかったんですけど、ちょうど『ひかりごけ』を見たところだったもんで、やっぱりコレも見とかないと、バランスが取れないかな、と。 いや、結論から言うと、見ても別にバランスも取れないし、バランスを取る必要もないんですけどね(当たり前だ)。強いて言うと、アチラが喰う立場の映画、コチラが喰われる立場の映画。 というわけで、テーマは人食い人種。「ビルマの竪琴(原作)」にも登場する、お馴染みのアレですね。川口浩探検隊なんかにも出てきてましたね。 で、能天気な御一行が、とっ捕まって喰われちゃう。悪趣味な解体シーンは、H.G.ルイス作品なども思い起こさせますが、映画を見る限りルイスは人体の構造を全く把握できていなかったようなので、その点はコチラの方がだいぶマシ。 喰われる連中、オネーチャンはいいとしても、男はムサい連中ばかりで、いくら人食い人種でも食中毒起こすんじゃないかと心配になる。ってのは大きなお世話ですが。 で、こんな映画にも、なるほど、教訓と呼べるものは確かにあって、赤の他人と簡単にコミュニケーション取れるなんて、ユメユメ思う勿れ、と。昨今のネット社会、一方的に発信したら、どこかの誰かが反応して、それをもって何か自分が大きな影響力を持ってるみたいに勘違いしちゃうけど、コミュニケーションなんてそんな単純なものではなく、ホレ、こうやって全く価値観のカケラも共有しない異文化と遭遇したら最後、何の意思疎通も出来ないまま、哀れ、彼らのエサになるしかない。ってのは極端ではあるけれど、せめて、スマホ持ったぐらいじゃ万能になんかなれないこと、自分の主張が通じない相手が世の中ゴマンといること、くらいは認識すべき、ってことですわなあ。 だから。 この作品で、少年とちゃっかり意思疎通して逃げ出すくだりは、物語としてちょっと甘いんじゃなかろうか。と思ってしまうんですけどね。 あ、ちなみに川口浩探検隊も確か、人食い人種に捉えられるも必死のコミュニケーションの末に解放されたんでしたっけか。まあ、アレはフィクションですから・・・・・・?[インターネット(字幕)] 6点(2021-07-31 21:59:56)《改行有》

6.  クロッシング(2009) イーサン・ホークなんかに刑事役やらせるから、ほら、悪徳刑事になっちゃったじゃないの。逆か。ヤバい雰囲気出すのに、まさにうってつけの俳優、それがイーサン・ホーク。 冒頭、しつこい会話が続いて、このままいったらイーサン・ホークのことだから、相手をブッ殺しちゃうんじゃないの、と思ってたら確かにそうなるんだけど、それでもなおショッキングなシーンです。銃声の鋭さも効いてます。 それに続いて、リチャード・ギア、ドン・チードル、計3名の、何かしら「ヤバさ」を抱えた刑事の物語が、並列で描かれます。途中、彼らの間にはニアミスのようなものもありますが、あくまで並列に配置された3人の物語。 だけど、バラバラな感じがしないのは、この3つの物語がまるで、表に見えない部分で共振しあっているような感覚があるから。映画に不穏な空気が流れ始めると、それはエピソードを超えて互いに感染し、互いを不穏な空気へと巻き込んでいく。 銃声の衝撃に加え、電車の音なんかもBGMのように不安を掻き立てます。 そして、3人はそれぞれの物語に導かれながら、クライマックスの場へ。別々の物語でありながら互いにシンクロしあう故の、無類の緊張感があります。[CS・衛星(吹替)] 8点(2021-05-01 16:39:33)《改行有》

7.  グランド・イリュージョン 見破られたトリック 映画における特殊効果というものには、奇術を見る楽しみ、みたいなものがあって、ミニチュアだとか合成だとかコマ撮りだとか、基本的なトリックはわかっていてなお、その演出がもたらす不思議さに、つい感心してしまう。いや、感心というより、我々を夢中にさせるものがあります。 CGが多用されるようになり、しかもその技術も向上して実物とCGとの区別がつかなくなり、画面上であらゆる不思議な事が起こるようになると、もう何に対して不思議がるべきなのかもわからなくなってきちゃいそうなんですけれども、本作のいくつかの場面ではやっぱり「あっ」と驚かせる奇術の楽しみ、みたいな演出が見られて。首チョンパのシーン、とか、ね。 ところがあの中盤のチップを盗み出すシーンとなると、これが妙にツマラなくって。確かにテンポよく見せてはくれるのだけど、「どうせCGだから何でもできちゃいます」感が全開で、何だか、まるでハラハラさせられません。ハラハラするには、どこかにアドリブ的な「完全には制御しきれない危うさ」みたいな要素が、きっと必要なんでしょうね(そういうのもいずれはノウハウ化されてCG技術に取り込まれていくのかも知れませんが・・・)。 さらに、クライマックスに向かうに従って、派手にはなっていっても、不思議さや驚きの要素が乏しくなっていってしまうのが、残念なところ。 あと、これはヴァン・ダインの二十則にもノックスの十戒にも言及は無かったような気がするけど、ミステリのトリックに催眠術を使うのは、アカンことにして欲しい、なあ。[CS・衛星(字幕)] 6点(2020-08-02 18:27:05)《改行有》

8.  クォ・ヴァディス(1951) 歴史スペクタクル超大作。のハズなんですけれども。 どうも、シケた印象が拭えないのです。確かに、いかにもスペクタクルです、というシーンが一部あるにはあるのですが、大半のシーンはいまいちパッとしない中に、唐突にそういう規模感を誇示するようなシーンが挿入されるもんで、「その中間のちょうど良いシーンは無いのか」、と言いたくなります。そのスペクタクルシーンも、CGなんか無い時代に「うわー、いかにもCGっぽいなあ」と感じさせるもので、ある意味、時代を50年ほど先取りしていますが。 皇帝ネロのキリスト教弾圧が描かれる以上、ネロが単なる「おバカさん」として描かれるのは致し方ないとも思われますが、肝心の主人公まで薄っぺらい人物なのは、不満を感じざるを得ません。最初はローマ人以外を見下していた主人公が、キリスト教との出会いとともに人類愛に目覚める――という風に本当は描きたかったんじゃないかと想像するも、実際は「キレイなお姉さんについていって新興宗教の集会に出席したら、すっかりハマってしまいました」という現代でもアリガチな話以上のものは、何も描かれておらず、我々の心に残るような、転機と呼べそうなものが何もないから、困ったもの。 終盤、競技場でライオンに襲わせるなどの、ネロによるキリスト教徒虐殺シーンが続くのですが、これも、その残酷さを正面から描くでもなく、逆に間接的な描写で我々の感情に訴えかけるでもなく、殺戮の割にはやけに淡々とした描写が続くばかりでコワくない。撮影のためによくこれだけの数のライオンを集めたなあ、とは思うけれど、そんなことにだけ感心してても仕方ない訳で。 という訳で、表面的な語り口が続く3時間弱。ちょいとつらいです。[CS・衛星(字幕)] 5点(2020-07-04 17:20:06)《改行有》

9.  クロコダイル・ダンディー 私も最近、「えー今日ってもう木曜日なの? いつの間に・・・」とか言ってるくせに、子供に「今何時?」と聞かれて時計を見ずに勘で答えたら、結構当たってたりすることがあり、これじゃあ、ミック・ダンディと大差ないなあ、と。 というか、これってもしかして、単なる老化現象の一種なんだろうか? という訳で、お上りさんの主人公が醸し出すカルチャーギャップネタ、というよりはもはや、ヘンなオジサンの天然ボケぶりが、愉快な気分にさせてくれる作品で、アクションだのホラーだのが幅を利かせていた80年代半ばに、なんでこんな得体の知れない映画が話題になってるんだろう、と思ってたけど、後にTV放送で見てみたら、確かにこれがなかなか面白い。憎めない。 ただしTV放送の頃にはすでに2作目が公開された後で、「2作目ではヒーロー気取りらしい」とか(まあ、実際その通りですが)、「ポール・ホーガンは奥さんを捨てて競演女優のもとに走ったらしい」とかいうヤな噂も耳にしてはいたんですけれど、それを差し引いても(?)なかなか面白い。ちょっと憎らしいけど。 アメリカ社会には格差を始めとするさまざまな断絶みたいなものがあって、オーストラリアにはそれが無いのかどうかは知らんけれど、とにかくそういうアメリカ社会に野生児ミックが闖入し、騒動と化学反応を巻き起こす。そして、いやいやアメリカ市民だってやっぱり捨てたもんじゃないよね、というラスト。 まあ、全体的には、どのキャラも表面的な描かれ方で、もう少しくらいは物語に、幅なり、掘り下げなりがあってもいいんじゃないの、というような、一種の物足りなさもあるのですが、とりあえず軽いノリで楽しめる作品、ということで。 そういやシドニーオリンピックの開会式だか閉会式だかに、オーストラリアの誇る著名人がワンサカ登場してきて、ああ、こういう場にはポール・ホーガンが呼ばれるんだなあ、と。すみません、他にはカイリー・ミノーグが出てきたことくらしか覚えてませんけど。[CS・衛星(吹替)] 6点(2020-06-06 12:30:52)《改行有》

10.  グレイテスト・ショーマン フリークショー、などという昨今なかなか映画の題材には取り上げにくいテーマを、とことん前向きなミュージカルで正面突破しているのがまず、大したもの。脚色は多々あれど、意外なくらいに実話ベースの部分も多かったりして、映画観終わった後では、色々と考えること・考えさせられることがあってよいと思いますが。 マイノリティたちの哀しみと、それを乗り越えるエネルギーの力強さ。 しかしそれもこれも、まずはこのミュージカル映画としての手腕があってこそ。劇中、時間なり場所なりが思い切ったジャンプを見せて、こういうのはまさに映画の特権、自由に時空を飛んでみせ、重力からも解放され、場合によってはスローモーションで時間を自由に伸び縮みさせたりもする。だけど何から何まで自由勝手なんじゃなくって、ミュージカル映画として、「リズム」がこの映画を支配しているかのようです。「リズム」には登場人物たちも逆らえず、時には彼らの動作すらが拘束される。だけどそれが不自由なのではなくって、グラスの音が刻むリズムが次の音楽へ繋がって行ったり、新たな流れを生み出していくのが、実に心地いいのです。 ヒュー・ジャックマンというヒトは、映画ではウルヴァリン役に代表されるようにアクション俳優の印象が強いけど、出自はミュージカルらしく、本作でも歌って踊って、若い連中には決して引けをとっていません。 ミュージカルとしての魅力が詰まった作品です。[ブルーレイ(字幕)] 9点(2020-03-20 03:35:43)《改行有》

11.  グリーン・デスティニー 2000年代前半、本作と、チャン・イーモウの例の2作、大きなインパクトがありました。本作はその皮切りで、正直、観る前には少しバカにしてた部分があったもんで(ごめんね)、初めて観た際は、より一層、感動してしまったのでした。 人間、ワイヤーに吊るされるとこんな動きができるのか、いや、ワイヤーに吊るされてもなお、こんな動きができるのか。いや、まあ、その前にワンチャイシリーズなんてのもありましたけど、リーリンチェイなんてあれはもはや人間の動きじゃないからね。いずれにせよ、重力の制約を超えた、一種の舞とも言えるような幻想性。これがあるから、チャン・ツィイーが水中に飛び込むシーンのスピード感(このヒトなら何でもできそう)と緊張感(水中ではワイヤの力が借りられない)にも繋がるし、ラストのちょっと苦しい(?)合成映像にも「マ、いいか!」という気持ちにさせてくれて、感動を損なわない。 ストーリーとしては、中盤に長い回想シーンを挿入するなどの多層性をもたせた上で、脇役たちにもうまくスポットを当ててます。何となくみんな不幸になっていっちゃってるようなオハナシですが。[DVD(字幕)] 9点(2019-06-23 10:57:17)《改行有》

12.  グレートウォール(2016) うわー、珍品ですねー。 謎の生物(何て名前だっけ?)がうじゃうじゃ登場し、映像的にはワールドウォーZなんですが、そこに「今さら、クィーンだってさ、あはは」というワケで、すっかりインデペンデンスデイリサージェンス化してしまっているのが珍品の珍品たる所以。ああ、これだったらいっそ、巨大蟻の帝国でもリメークしてみてはいかがでしょうか。一応、歓迎しますけど。 なーんてことを思っていると、ふと、昔の自分がこういう、変な生物(巨大化したネズミとかでいいんだけど)がうじゃうじゃ襲ってくる映画を期待し夢見ていたことを、思い出した。そう、こういう映画を、見たかったのよ、実はね。ホントはね。昔はね。 とは言え、本作の監督はバートIゴードンではなくチャン・イーモウ、例によって例のごとくやたら色彩的なのが、イヤでも目を引きます。様式化していて、決して下品にならないのが、本作の持ち味。いや、下品なのも歓迎しますけど。 結局、・人の死を含めいささか様式化しすぎの点、・某五輪の開会式を含めてチャン・イーモウとCGは相性がいいのかなと思わせつつもちょっと無節操にCG使いすぎの点、・そして「女性隊長が美人だったのでマット・デイモンがお手伝いしました」以外に何もない点、こういったことが本作を珍品たらしめているのですが、歴史大作のような舞台と道具立てでありながら100分少々のヘンタイ映画にまとめてみせたのは、悪くないと思います。 ところで昔どっかに「チャン・イーモウはいつかホラーに手をだすんじゃないか」と冗談で書いたけど、それは無いんじゃないか、という気がしてきました。コワさにはあまり関心ないんじゃなかろうか。本作も、コワくは、無いんです。[ブルーレイ(字幕)] 6点(2018-11-17 03:10:14)《改行有》

13.  クレイマー、クレイマー 《ネタバレ》 公園のベンチで、ダスティン・ホフマンがあの短い足を苦しそうに精一杯組んで座ってる一方、法廷のシーンではメリル・ストリープがカッコよく足を組んでいるのを見ると、もうこの時点で、そりゃ勝てんわな、と思うワケです(大きなお世話ってか)。 エレベーターの中と外で二人が会話するシーンが印象的に用いられ、「ドアが閉まれば会話も終わってしまう」というサスペンスがここにはあるのですが、それよりも、確かにこのシチュエーションなら、二人が並んでカメラに映らないので、低い背も短い足も気にならないワケですね(大きなお世話)。いいシーンです。 ところで使用されている曲、例のヴィヴァルディのマンドリン協奏曲ハ長調RV.425、をマンドリンとギターで演奏している、らしいのですが、もしかして和声が原曲と違う?[CS・衛星(字幕)] 8点(2018-05-12 02:32:07)《改行有》

14.  グーニーズ 《ネタバレ》 当時はくだらない子供向け映画だと思って(同世代なもんで、かえってそう思える)映画館に足を運ぶ気はまったく起きず、後にテレビ放送される頃には子供向けというより「ロードショー」誌あたりでお馴染みのメンバーが出てるアイドル映画みたいな位置づけで(確か、放送局のトラブルで途中で止まったりして、妙な放送だったんだけど)、実際観ても、特にどうとも思わなかったのですが、あれから幾年。 今観るとこの映画こそ、映画館の暗がりの中で観るべき映画だったのかな、とも。主人公の子供たちが、光を頼りに未知の洞窟を彷徨い、探検する―――これってまさに、子供にとっての「映画館体験」そのもの、を描いている気がしてきます。 特に今みたいにシネコンばかりになる前は、映画館って、上映の途中で入ったり、途中で出たり、テキトーだったもんね。上映中の映画館の中に入っていく、あの感じを、この映画からふと、思い出しました。 それにしてもこの映画、やっぱり冒頭が秀逸ですよね。次から次に畳みかけ、一体これから何が起こるだろう、というワクワク感。その後の本編は、やや野暮ったい感じもありますが。 洞窟の中の(そんなに面白くない)仕掛けを突破して、ついに巨大な空間にたどり着き、海賊船を発見する。ここまでにもうちょっと苦労があれば「ついに」という感じも強くなるだろうけれど、基本的に軽いノリの映画なので、あまり労せず辿り着いてしまったように思えてしまうのは、まあ、ご愛敬でしょうか。しかしここで急に画面が明るくなって(ここまでのシーンでは曲りなりにも灯りを手に探検してきたのに、この場面では光源の問題は完全に無視されてます)海賊船が登場すると、やはり目を引かずにはおれません。 ここでようやく(?)、海賊船からケリー・グリーンが落っこちて、ミニスカートがめくれ上がるサービス(??)。何だ、このシーンのためにそんな恰好をしてたのか。というおっさん的発想。 最後は、とってつけたようなハッピーエンドですが、海賊船が出帆するってのは、夢があっていいではないですか。[CS・衛星(字幕)] 7点(2018-02-10 02:46:55)《改行有》

15.  クラウド アトラス 2144年のソウルは北朝鮮になっている、ってコトを言いたいんだったら、何となく言い当ててそうな気もしますけどね(笑)。それ以外に何かありますかね、この映画。 時間も場所もバラバラな複数の物語をごちゃ混ぜに描いて、しかし基本的に何もかもが解説調なので、わかりやすいったらありゃしない。並行して提示されるこれらいくつかの物語の間には、留意すべき大した関連性も無いらしいので、気楽なもんです。また、映画の構成としても、ある物語において、シーンと次のシーンとをどう繋ぐかなんて事も考えなくってよいからこりゃ楽です、別の物語をコマーシャルみたいに間に挟んでおけばいいんだから。 ただ、何やら意味ありげに感じさせるのが、同じ俳優を各物語に異なる役で何度も登場させる点。だけどコレ、撮ってる方は楽しいかも知れないけれど、観る側にとっては鬱陶しいノイズにしかなってない。最後にはわざわざ懇切丁寧に、誰が何の役か「種明かし」してくれるなんて、ああ私たちもナメられたもんです。ちょっと反省しなければ。しかしこのエンドクレジットにおける「種明かし」以外に、カタルシスも盛り上がりも無いんだから、一応、この「種明かし」が、作品のクライマックスのつもりなんでしょうか。[CS・衛星(吹替)] 1点(2017-01-04 16:49:05)《改行有》

16.  クレイジーズ(2010) ロメロの元映画の方を観てみたいのですが、レンタルビデオ屋さんに置いてないので、代わりに、っちゃあ何ですが、リメイクの方を観させていただきました。代替品扱いでゴメンなさい。いや、面白かったです。まずそもそも、適当にカメラを揺らして臨場感出しとこう、みたいな安直な事をしてないのがうれしいところ。見せ方へのこだわり、という映画が本来持っているべきものを、ちゃんと感じさせてくれます。 ある小さな田舎町を突然襲う異変。人々の挙動がおかしくなり、他者を襲い始める。いくら映画だからって、ただ病気に感染してしまっただけの気の毒な人たちを、ゾンビ扱いしていいのか~っっってのは、もともと、ロメロのゾンビ映画が持っていた毒、というか、後ろめたさ。「人間そっくり」だけど人間ではないと「信じられる」何か(=ゾンビ)を虐殺する、虐殺してもよいと考える、その後ろめたさ。この作品でも、人が人を襲う、というその構図において、もはや、襲う側、殲滅される側が、もはや感染者かどうかは問われなくなっていく。身近に迫る感染者の襲撃の恐怖、その一方で、遠目に目撃される、非感染者を含めた虐殺の恐怖。 感染者を「クレイジーズ」などと呼んだりしているけれど、このラストシーンの後では、一体、真の「クレイジーズ」は誰のことなのか、と言いたくなる訳で、しっかりと皮肉も込められたホラー作品でした。[DVD(字幕)] 8点(2016-10-27 13:28:39)(良:1票) 《改行有》

17.  クリード チャンプを継ぐ男 ここに至ってまだ「ロッキー」シリーズの企画を引っ張ってくるなんて、と、ちょっと心配になる(けどちょっと期待する)のですが、ロッキー=スタローンに必ずしも縛られなかったのが、良かったですね。もちろん、トレーニングを見守るロッキーの姿の方をカメラのフォーカスが捉えるなど、彼の存在は確かに感じさせるのですが、アポロの息子アドニスをきちんと中心に据え、しかもチャンプの血を引きながら、愛人との息子である自分は一体何者なのか、という屈託を抱えた存在として描き、ボクサーとしての生き様に膨らみを持たせています。これがクライマックスの試合に向けての映画の推進力のひとつにもなっているのですが、クライマックスの興奮はそれだけれはなく、やはり、アドニスを演じたマイケル・B・ジョーダンをはじめとする、登場するファイターたちの迫真のファイトシーンが大きな貢献を果たしています。 ラスト、アドニスと並んだロッキーは、画面の中心をアドニスに譲る。いいねえ、スタローン、もうラジー賞は卒業かな。[DVD(吹替)] 8点(2016-10-19 14:19:42)《改行有》

18.  グッドフェローズ なんか、うまく映画作ってるな、という感じはするんですけどね。長回ししながらスラスラとカメラと移動させてみたり、対話シーンのやりとりをカメラ切り替えてテンポよく見せたり。後者の方は、ちょっとやり過ぎて、対話の途中で口にくわえてた葉巻が消えちゃったり、持ってた受話器が消えちゃったりと、カットがうまく繋がらなくなってしまったりもするのですが、多分、作り手もそんなことは「些細な事」と、気にしてないんでしょう。 それはいいとしても、作品全般について、どうしてこんな作劇になっちゃうのか、という点については、正直、よくわからないんです。2時間半近い長さがあって、しかもナレーションを多用しつつ描写の省略を多々行ったりしていて。そこまでしてでも、主人公の姿を少年時代から、すべて作品に詰め込む必要があったのか? 唐突に奥さんの独白まで使うにいたっては、すみません、このセンスは理解不能です(逆に言うと、独白を任された割に存在感は強く出ていない)。 肝心の600万ドル強奪という大事件は、まともに作中で描かれないし、それに伴う殺人事件もサラリと流される。あくまで主人公の人生に沿った映画です、とにかく実話なんです、派手なシーンを見世物にする映画じゃないんです、という訳でしょうか。確かにそれも一つのやり方でしょうけど、ちと優等生過ぎるのでは。そしてやっぱりこれも「実話作品」らしく、具体的な年月日をテロップで出し、終盤はそれを時刻表示にまで分解して、うん、確かに緊迫感は出てくる。でもテロップは所詮テロップ。「今何時か」を知りたいんじゃなくて、この先に待つ「何か」まであと何時間何分あるか、こそがサスペンスでしょう。途中から、何のために時刻表示してるのか、サッパリわからなくなってくる。 それもこれも、「実話」に寄りかかり過ぎなんじゃないでしょうか。ラストも主人公の独白任せになってしまい、残念でした[CS・衛星(字幕)] 5点(2016-10-18 12:57:37)(良:2票) 《改行有》

19.  グラマー・エンジェル危機一発 旅行会社がハワイで「映画ロケ地ツアー」なんてのをやってますけど、あれはジュラシック・パークとかがお目当てだから成立する訳で、「グラマー・エンジェル危機一発ロケ地めぐり」などでは客も集まらんでしょうなあ。いや、内容的にはそれなりに充実しそうなんですけどね。「あ、ここって、あのダッチワイフがバズーカで吹き飛ばされた場所じゃない!?」なんて言って盛り上がっていただければ。 さて、ボインで凄腕(?)のオネーチャンふたり。そこに飛んできた謎のラジコンヘリ。中には謎の箱、そして襲い来る暴漢。要するに何ともテキトーなダイヤ密輸取引の現場に居合わせてしまったらしい。という訳で、アクションとオッパイが次から次に展開されていくのですが、さらにポイントが高いのが、毒物に汚染され凶暴化した大蛇(これがまあ、ソフビ感満点、動かないことといったら)が誤って野に放たれてしまった、という、何の関係もない追加設定。ただでも散漫なストーリーなのに、こんな変な設定を付け加えて、もう楽しいったらありゃしない。 で、このヘビ、ストーリーにまともに絡む事なく、とうとう脚本家にも存在を忘れられてしまったのかと思いきや、あっと驚く展開があなたを待ってます。あっと驚いてください。私からもお願いします。 ところでどうでもいいことかも知れないけれど、オネーチャンたちが大蛇の入ったケースを持ち上げる場面で、「ヘビ」と日本語でつぶやいたので驚いたのですが、これは私の勘違い。英語で「重い」って言ってたんですね。ほんとにどうでもよいなあ。[CS・衛星(字幕)] 5点(2016-08-13 07:50:35)《改行有》

20.  グランド・イリュージョン マジックのタネを知りたいという我々の下世話な欲求に乗っかった作品(しかし出てくるトリックは、乱歩の怪人二十面相モノ並み、という気もするけど)。さてこれが面白いのかというと、うーん、「トリック解説」という説明的な表現を超えられていないのが、ちょっとツライかな、と。ホントは(小説でも映画でも)まさかその場面にトリックがあると思っていなかったところにトリックがあった時にこそ、驚きがあるんですけどね。いや本作でも少しそういう趣向はあったりもするけれど、最初から作品の中で“ミスディレクション”という概念を強調しまくってるもんだから、そりゃそう簡単にはこちらも驚きません、驚けません。というわけで、本作の楽しみはトリックよりもむしろ、後半に展開するアクション(前半は少しダレる)。マジックを駆使して追手と戦う、ってのは、まあそれなりに楽しい。だけど、「マジシャンだから、とにかく色々できるんです」的な単発のツマラナさもあって、これを思うと、特殊効果マンの活躍を描いた『F/X 引き裂かれたトリック』って、あれは面白い作品だったな、とも思い出してみたり。[ブルーレイ(吹替)] 6点(2015-01-11 09:58:56)

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