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プロフィール
コメント数 3878
性別 男性
年齢 53歳

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【製作国 : アメリカ 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
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1.  ゴーストバスターズ/フローズン・サマー ハロルド・ライミス亡き今、存命の第1作出演者が元気なうちになるべくシリーズ作を作っておこう、ぐらいのノリの作品で、どうということもないんですけれど、それでいきなり登場するのがウィリアム・アザートンというのが、なかなか意表をついてます(マクレーン家に押しかけたレポーター、じゃなかった、ゴーストバスターズに言いがかりつけてたあのイヤミな役人ですね)。ちなみに第1作を監督したアイヴァン・ライトマンも鬼籍に入り、今作は彼に捧げられてます。 こうやって、製作から40年(!)経っても、話題になり、シリーズ作が作られ、当時の出演者が引っ張り出され、見てる側も懐かしいなあ、と思ったりするのも、それだけ1作目のインパクトが大きかったということなんだろうけれど、過去の資産でやりくりしてるばかりで進歩がない、という気もして。今の若い人たちは過去の作品も今の作品も自由に楽しめて羨ましくもある反面、さて、今の映画の中に、40年後にも話題になり出演者が引っ張り出されるような作品ってあるんだろうか、と思うと、少し気の毒な気もします。いや、その方がむしろ自然、なのかも。 さて本作、ゴーストバスターズの面々も子供からさらに孫の世代になっている訳ですが、冒頭からいきなりゴースト退治で騒動を起こし、どっちかというと周りから顰蹙を買っている。やはりゴーストバスターズたるもの、こうでなくては。CGは多様されますが、カーアクション等のシーンにはどこか、アナログ的な感じもあって。ゴーストの描写なども、そうですね。 かつて、能天気な教授たちが大学をクビになって立ち上げたベンチャー企業だったゴーストバスターズが、ここでは家族経営の零細企業(?)になってますが、この一家が登場するシーンではクローズアップがあまり使われず、カメラは一歩引いて、「家族」を映そうとする。ちょっと微笑ましいですが、テーマとしては血の繋がらない父と娘とのギクシャクした関係、みたいなのもある訳で、そういう部分の描写はちょっと弱いですかね。しかしそれでも何でも、娘が別行動をとり始めると、ゴーストの少女と知り合うサブストーリーが生まれて物語が広がり始める。こういうのがまた、イイじゃないですか。 いや、サブストーリーというほど独立した物語でもないし、メインの物語自体があまりオハナシとして成立してない気もするので、ゴチャゴチャした印象が拭えないですが、とにもかくにも、クライマックスはゴーストバスターズそろい踏み。ま、コレがやりたかったんですよね。いや、メンバー増えも増えたり、何人いるのよ。 1作目へのオマージュ目白押しですが、どちらかというと1作目を改めて見て「予習」してからこの作品を見るよりも、この作品を見た後で1作目を見て「復習」する方が、楽しいんじゃないか、という気がいたします。[映画館(字幕)] 7点(2024-04-07 21:05:43)《改行有》

2.  ゴジラvsコング 結局、こうなっちゃったのは、誰のせい、なんですかねえ。 アメリカでゴジラ映画作るたびに口を挟もうとする東宝のせい、のような気はする(少なくとも小栗旬だけのせいではないと思う)。 ついに、「ほぼ東宝」な内容のアメリカ版ゴジラ映画が登場。 しかしこれを、着ぐるみ&ミニチュアではなく、CG満載の超大作として作ってしまうと、ここまで虚しくなるものかと。いやはや、勉強になりました。 ギャレス・エドワーズが、いかにゴジラの巨大さを描くかに拘りぬいて作り上げた2014年版のゴジラ、あの面影はどこにも見当たらず、もはや今作に登場するゴジラは、2014年版とは同姓同名の赤の他人のように見えてくる。 ビルのCGを並べりゃ巨大に見えるってもんでもないし、破壊のインフレが必ずしも質感を表現するものでもないし。 地下空洞などという舞台を設定した割には、地表世界との立体関係が活かされる訳でもなし、鈍重で平面的な取っ組み合いに終始。 プロレスラーが試合中に、リングを降りて場外戦をやるのは何のためか、理解してるんだろうか? 2005年のピータージャクソン版キング・コングがどこまで褒められた作品かはともかく、少なくともあの映画ではもう少し、「視点の上下移動」ということが意識されていた気がするんですが。 と言う訳で、そろそろ1998年版ゴジラに復活願い、エメリッヒに「ゴジラvsインデペンデンスデイ」ってのを作ってもらおう。その企画なら東宝がいくら口を挟んでもらってもOKです。逆に、無視しないでね。[インターネット(字幕)] 3点(2023-10-28 04:39:00)《改行有》

3.  コード211 いやあ、やっぱり、ニコラスケイジ映画にハズレ無し、ですねえ。←最近ではこの格言(?)もアテにならないので(いや、元々アテにならないか)、たまに面白いと、ホッとしちゃいます。この気持ち、一体何なんでしょうか。 とは言え、作品も、最初は何だか映像が軽くて安っぽくって、ダメなんじゃないかなあ、と思ったのですが、これからはこういう映像にも慣れていかないといけないんでしょうなあ。 しかも最初の方は、ニコラス・ケイジはどちらかというと蚊帳の外、まあ、このまま脇役でいてくれたら、映画が穏便に進みそうな気も。 しかし、ついに事件が発生。ここから、前半描かれた様々な事象が物語に絡みつき、スピード感溢れる展開となります。いや、あまり物語において大した役を果たさない設定も、たしかにありましたけれども。 銃撃戦の真っ直中に放り込まれる警官二人と少年。その心細さが、共感を生み、友情を生む。いや、いいと思うなあ。 短い映画とは言え、この緊迫感、スピード感。あっという間にラストへ、という感じで、これはなかなかの作品だったと思います。[インターネット(字幕)] 7点(2022-06-19 20:48:19)《改行有》

4.  ゴーストライダー2 ニコラス・ケイジという人には、どういう訳か「何かの禁断症状に悩まされている」というイメージがあるんですけど、もしかしてあのかつてのパチンコのCMからの連想なんですかね。 だから、この映画の役どころは、気持ち悪いくらい彼にピッタリです。 という作品なのですが、これはゴーストライダーの続編なの? もう何が何やら。とにかく禁断症状がある段階に達したら、ガイコツ顔から炎を出して暴れ回る。その大立ち回りの描き方は、スピーディーと言えばスピーディー、しかしちょっと雑な感じも。 物語は有って無いようなもの。少年を守る、という物語の骨格に、ひたすらハチャメチャな肉付けをして、もう、ついていけません、というレベル。ある種の楽しさがあることは否定しませんが、少なくともマトモではではありません、ハイ。[インターネット(字幕)] 6点(2021-12-04 15:03:54)《改行有》

5.  氷の微笑 《ネタバレ》 映画における濡れ場というものは、個人的には「お金のかからないスペクタクル」だと思っており、こういう大作枠の作品がやるのはズルくないかい?とも思うのですが、別に反対はしません、ハイ。ついでに言うと濡れ場というものは、新人女優がやればご褒美に新人賞の候補になるし、くすぶっている中堅女優がやれば「これで大女優の仲間入り」という自信だけは持つことができる、という利点もあって。そういう意味では、一見似てないとは言え、シャロン・ストーンと川島なお美にはどこか共通点を感じてしまうし、それどころかマイケル・ダグラスと古谷一行に何か近いものを感じてしまうのは、これは一体どうしたことか。 それはともかく。シャロン・ストーンの謎めいた感じは、ズバリ、イイと思います。真相の意外性よりも過程の意外性、それが作品の魅力。 結局、この映画に言わんとしていることは要するに、「人間誰しも、今日はたまたまアイスピックで刺されなかったけど、明日はわからんよ」ということですかね。[インターネット(字幕)] 8点(2021-12-04 14:45:55)《改行有》

6.  コヤニスカッティ 以前は面白がってCDを買ったりもしてたけど、結局のところフィリップ・グラスの音楽なんてのは3時のオヤツくらいにしか思ってないもんで、さてそれを映画まるまる通して聞かされるこの作品、最後まで耐えられるでしょうか? 音楽だけだとツラいけど、こういうエキセントリックな映像とセットだと、苦にならないというか、割とサマになってますねえ。 とは言え、大量消費社会を描いたような辺りのシーケンスでは、やたら目まぐるしい映像にやたらしつこい音楽、映画にのめり込んでいる間は煽られて興奮もしますけれど、ある瞬間、ふと我に返ってしまったら最後、一体何て騒々しい映像と音楽なんだ、とたちまちウンザリしてしまいます。だから、なるべく我には返らないように気をつけましょう(?)。 映画最初の方は神秘性すら感じさせるような自然の光景が描かれ、そこから次第に人間や都会が描かれるようになって、意図としては、自然と文明の対立、みたいなものを描こうとしてるのかな、と思うものの、見てると意外にそうは見えなかったり。人間の動き、工場の動きが早回し映像で描かれて、その光景はむしろ非人間的、むしろ珍しい自然現象でも見ているような気分になってきてしまいます。もしかしたら製作者の意図とは合わないかもしれないけれど、第三者的、巨視的に見れば何だか、人間も文明も、自然の一部なんじゃないの、と。 ラストはロケット爆発のシーンで、こういうシーンからは、やはり、人間と自然の対立、人間の挑戦があえなく自然に敗れる光景、といったものを感じさせます。爆発後、落下するロケットエンジンらしきパーツを追い続けるカメラ。その光景の虚しさに加えて、「よくここまで完璧にカメラに収めたな」と多いに感心もさせられ、なんだか映像の神が舞い降りたような。[インターネット(字幕)] 7点(2021-10-16 19:41:36)《改行有》

7.  ゴア・ゴア・ガールズ なかなか壮絶な殺戮解体シーンが再三、登場しますが、当然のごとく、ほぼなにをやってるのかよく判らない映像に仕上がっていて、少なくともこれは人体では無さそうだ、とは思うのですが、そうだとするとこの赤くてグチャグチャしたものは一体、何なのか。 というのを除くと、あとはひたすらストリップ。 というその僅かな隙間を縫って、犯人を突き止めようとする探偵の姿が描かれるワケですが。この探偵というのが、やたらとスマしていて、トボケた味わい。あまり好感は持てませんけどね。 殺戮シーンの出来があまりに酷いので、他もデタラメだらけだろうと思ってたら、いや確かにデタラメなんですけど、もっともらしくカットを割ったり(カットを割る理由は長いセリフが覚えられないから、とは限らないのです)、殺人鬼が迫ってくる姿を影で描写したり、と、演出の真似事みたいなことを微かとは言え一応やっていて。一体、どういう風の吹き回しなんでしょうか。 最後は探偵の推理力の賜物なのかどうなのか、事件は解決するも、映画の尺が5分ほど余ってしまう(こんな短い映画なのに)。だもんで、探偵が謎解きを解説するどうでもいいシーンがラストにしばらく続きます。いやホント、どうでもいいんですけどね。[インターネット(字幕)] 3点(2021-06-08 23:05:20)《改行有》

8.  荒野の誓い 先住民が白人の一家に襲い掛かり虐殺する、という発端。こんな風に先住民の悪辣ぶりを描くのは、昔の西部劇ならいざ知らず、昨今ではなかなか珍しいですが、とにもかくにも、母親だけが生き残る。彼女の慟哭。 彼女はクリスチャン・ベイル率いる部隊に同行することになるのだけれど、その部隊は、件の部族(コマンチ族)とは別の部族の先住民一家を居留地へ護送する任務を負っている。クリスチャン・ベイルは、家族を失い精神が不安定になっている彼女に対し、細やかな気遣いを見せるのだけど、そういう「ワカッてるヒト」である彼だからこそ、その彼が譲れない部分というのは、とことん譲れないのであろう、という、彼自身の不安定な危うさも感じさせます。何しろ、彼にとって先住民とは、かつて血で血を洗うような戦いを繰り広げた相手であり、いわば天敵ともいうべき存在。今回はその彼らを護送する役割なのだから。 さらには家族を失った母親にとっても、先住民は憎んでも憎み切れない対象。一方ではコマンチがいつ襲ってくるやも知れない危機感もあり、一行には何重もの危うさが漂っているのですが、その彼らを大自然がゆったりと包んでいる。映画全編にわたって、息を呑むような雄大な風景が、広がり、これが実にお見事。 ゆったりした流れの中で、いくつかの事件があり、登場人物たちが一人また一人と命を落とす。その悲しみもあるけれど、それも含めて生き残る登場人物たちの心の動きが、これもゆったりじっくりと描かれます。クリスチャン・ベイルの寡黙さの中の心の動き。こういうのは高倉健の専売特許かと思ったけど。[CS・衛星(字幕)] 8点(2021-01-04 10:54:59)《改行有》

9.  ゴールデン・チャイルド エディ・マーフィって、映画で良いコンビなりトリオなりが組めるといい味出してるんですが、単独だと薄っぺらい感じしかしなくって、どうもパッとしない。だもんで、売れ出した80年代にして早くもスランプに入っていたような印象が(一体何がどう星の王子なんだか。ブツブツ・・・)。 あと、80年代と言えば特殊効果の発展著しく、コマ撮りはゴーモーションの導入でよりスムーズな動きとなり、映像の大胆な合成も可能となり、他にも特殊メイクにアニマトロニクス、CGも少しずつ導入されて、もはやSFX表現できないシーンなんて無いんじゃないか・・・とか思ってたら、あれよあれよという間に発展したCG技術にすべてが呑み込まれてしまい。 80年代ってのは私の10代とほぼ重なるので、体感的には結構長かった気がしてしまうのですが、改めて振り返ると、アッという間に現れ、消えていった、妙な時代だったんだな、と。 というワケで、パッとしないエディ・マーフィが、主演と言いつつグダグダで、何をするでもなくただお寒いギャグを連発し、そこに、いかにも80年代でゴザイマスという特殊効果が、あまり脈絡もなく盛り込まれた映画、それが本作。だから、相当レベルにハズしまくってる印象は拭えないんですけどね。 でも、そういうデタラメさ、自由さが、なんか80年代らしいなあ、とか、何とか。[CS・衛星(吹替)] 6点(2020-11-12 21:18:46)(良:1票) 《改行有》

10.  心の旅路 《ネタバレ》 戦争で記憶を無くし、自分が誰なのかもわからない男が、女性とめぐり合い、幸せな生活を送りはじめようとした矢先、外出先で事故に合い、かつての自分の記憶を取り戻すと同時に、女性との日々の記憶を失ってしまう。記憶喪失者が記憶喪失するというなかなかスゴイお話で、中盤まではグイグイ引っ張っていきますが、二人が再開してからがどうも長過ぎ、クド過ぎ。これは感動が醒めるに充分な長さであり、いざハッピーエンドを迎えても、「今さら・・・」感が、無くも無く。 チャップリンが『街の灯』でスマートかつ印象的に描いてみせた、二人の出会いと再会に比べると、どうしてこうもまどろっこしいのやら。 男が女性のことを忘れて元の生活を始めると、映画も女性のことを描かなくなり、その分、見てる我々は、あの女性は今どうしてるのだろうと心配になる訳で、これは演出としては正解だと思うのですが、いざ、件の女性が登場すると、その間に経験したであろう様々な苦労もセリフでさらりと流されるだけ、妙にサバサバしているのがどうも引っかかります。 最後、すべての記憶を取り戻すオハナシにする必要があったのか、とすら思えてきて。ハッピーエンドが妙に虚しく、妙に安っぽい。 本作でちょっと面白いと思ったのが、音楽の使い方で、最初の方、劇伴音楽と効果音や劇中に流れる音楽が混然一体となって、なんかチャールズ・アイヴズみたいなコトやってるなあ、と。主人公の混乱した記憶を象徴しているらしく、終盤にも同様の手法が登場しますけれど、そうか、映画音楽という口実を使えば、実験音楽みたいな事をやっても言い訳が立つんだなあ、と。[CS・衛星(字幕)] 6点(2020-06-21 17:54:17)《改行有》

11.  ゴジラ キング・オブ・モンスターズ もちろん、あの東宝怪獣たちが最新のCGで再現されてるのを観りゃあ、とりあえず「うわぁ~」とテンション上がっちゃうのですが、その一方で、「何だか、最近の映画でよく見るタイプのCGモンスターと大差なくなちゃったなあ」とも。妙な既視感が。 かつてのキングギドラって、まったく無表情の3本の首が、機械的かつテキトーにカクカク動いてたのがかえって不気味で、味があったんだなあ、と改めて気づかされます。ああいうローテク感ばかりは、CGではなかなか出せないし、出して欲しくもありませんが(スパイキッズ3みたいな例も、あるといえばありますが)。 うん、まあ、でも、やっぱりカッチョいいよねえ・・・。 2014年ゴジラでは、いかにモンスターの存在をデカく見せるか、多くの工夫が凝らされていて、その点では本作は2014年には及ばない印象。2作目ということもあってインパクトも薄れてます。でもカッチョよい。 問題は人間たちのドラマ部分。別にゴジラ映画で人間ドラマなど期待してはいないけど、それにしたって、登場人物たちの存在感の無さ。動かない、何もしない。せめて、乗り物を乗り換えたんだったら、映画の中で乗り換えろよ、と言いたくなっちゃう。映画の登場人物ってのは、歩くなり走るなり、メシを食うなり、ハナクソほじるなり、何でもいいから映画の中で「動作」を見せてこそ我々も感情移入できるんであって。 およそ、お飾りにも、なってません。[映画館(吹替)] 6点(2019-06-08 04:21:52)(良:1票) 《改行有》

12.  ゴジラ FINAL WARS 84年ゴジラよりも前の一連のゴジラ作品総まとめ。といった感じで、怪獣出るわ出るわ、戦うわ戦うわ。 かなりオフザケモードなので、拒絶反応もあろうかと思いますが、そうは言ったって、同じく「総まとめ」作品である『宇宙怪獣ガメラ』と比べりゃ、はるかにマシでしょうに。え、あんなのと比べるようになったらオシマイですか・・・。 オフザケではあるけれど、はたまた今の目で見ると(いや当時の目でも)物足りないCGなんかもあるけれど、この、バトルに次ぐバトル、相当な数のミニチュアセットも準備して、ひたすら戦う、ひたすら壊す、バトルの物量作戦。怪獣同士が戦ってナンボでしょう、という昭和ゴジラ魂はしっかり感じることができます。これを「退行だ」といわれりゃ、そうかもしれないけれど、まあ、ファイナルと銘打ったお祭りですから。 でも最後と銘打ったのに、結局「新(シン)~」というタイトルでまた作っちゃうってのは、どうなんでしょうね。この分で行くと、この後またシリーズ再開して、タイトルも「ゴジラは生きていた」とか「ゴジラNYへ行く」とか「ゴジラの命日」とかになっちゃうんでしょうかね。 それはともかく、私は結構楽しませてもらったんですけど、一方で色々と、つまらぬことではあるのですが思うところもあって。その昔、ショー・コスギがニンジャ映画でブレークした頃にインタビューで「息子のケインにはアクション・スターとして英才教育をしている。だから誰もケインにかなう訳がないんです」みたいなコトを言ってたんですけど、で、本作などでもその身体能力を伺うことはできるんですけど、その能力をフルに発揮するには、相応のアクションができる相手役がいないとやっぱり難しいなあ、と。松岡クンも頑張ってはいるんですけど、ねえ。 一方で船木誠勝は、妙に強そうというか、少なくともあのヒクソン戦の時よりは強そうに見えるけど(それにしても、もしあそこでスタンディングで様子を伺わずにグラウンド戦に飛び込んでいたら・・・)。 あと、この映画、せっかく「格闘枠」みたいなのがあってソチラ方面のヒトたちが何人も出てるのに・・・本来ならここで呼ばれるのは、佐竹雅明こそが適任者のハズだったんですけどねえ。不幸というか、色んな意味で残念ですよねえ。[CS・衛星(邦画)] 7点(2019-05-25 13:27:57)《改行有》

13.  コンゴ 《ネタバレ》 先日、BSで放送。あー、確かにこんな映画ありましたね、マイケル・クライトン原作という触れ込みの、着ぐるみ感満載映画。あまりの着ぐるみ感に、映画の存在自体、記憶から消えて(消して)ました。昨今の映画におけるCGの多用に「功」と「罪」があると思いますが、本作みたいな悲劇を繰り返さない、という点では「功」と言っていいんでしょうね。ちなみにコンゴ共和国の2文字略称は「CG」だそうです。コンゴ民主共和国はCDですが。 いや、この着ぐるみ、動かなければ、とてもよくできてる(動きについても瞼の動きなんかよくできてる)と思うのですが、動いちゃうと、ねえ(笑)。うーむ、ゴリラの動きをまねるのって、こんなに難しいのか、と。正確には「人間っぽい動きをするけれどやっぱりゴリラっぽくなってしまうゴリラの動き」、なんでしょうけれど、それがやっぱり人間っぽく、なっちゃうんですね。何を言ってるのか自分でもよくわかりませんが。 まあ、それが問題なのではなくって、フランク・マーシャルの監督としての力量不足が、すべてに悪影響を及ぼしている、ということになりましょうか。でもでも、それだけでもなさそう。この、荒唐無稽を超えていきあたりばったりとしか言いようのないストーリー。気合いの入らないアクションシーン(まあ、あんなレーザー銃持たされても、困るんでしょうけど)。誰かがなんとか事態を修正しようとするより、映画全体が何か別の価値観へと向かおうとしている感があって。 そうだ、このベクトルに突き進むと、最終的にはあの「東宝特撮モノ」の世界に繋がっていくんじゃ、なかろうか。いや東宝に限らなくていいけど。 ラストでどうして、噴火が起こってすべてが崩壊しなきゃならんのか、なども、訳がワカランのですが、これはもう「そういうもんだから」としか言いようがなくって、我々はこういうメチャクチャをやってくれたことに、感謝しなければいけないのかも。それにしても、ここまでやってなお、ラジー賞受賞に手が届かないとは。恐るべし。[CS・衛星(吹替)] 6点(2018-10-21 12:21:13)《改行有》

14.  ゴースト・ハンターズ 孤高のB級映画職人ジョン・カーペンター。誰も止めなきゃ、こういう映画を作っちゃう。 もーー本当におバカ。 泣く泣くこんなパクリ邦題をひねり出した人の苦労がしのばれます。 何が何でどうなっているのやら、例えば、どうしてムキムキカンフー男が突然膨らみ始めなければならないのか。説明不能、何でもありあり、ハチャメチャです。 誘拐された女性を救出しにいくオハナシなのに、「オレはトラックを取り戻すんだ」などと息巻いているトラック野郎、カート・ラッセルの漢気にシビれるべし。[CS・衛星(吹替)] 9点(2018-03-09 20:00:32)《改行有》

15.  荒野の復讐 80年代に入って、まだマカロニやってるのかよ、などと言うなかれ。いや、言ってもいいけど。でも本作、ただのマカロニ・ウェスタンじゃない、なんと「3D」というギミックを備えた珍品であります。と言っても、別に私も3Dで観た訳じゃないんですけどね、でも、観ればコレ、3Dとして作られたことは一目瞭然。何せ、弓矢やらダーツやら、飛んでくるものはすべてコチラに向いて飛んでくる。尖ったものはすべてコチラを向いている。落ちるモノはことごとく、下から構えたカメラに向かって落とされる。しまいにゃ、赤ちゃんのお尻までコチラに向かって突き出され、いくら何でもそこまでやるか、と。 内容はと言うと、悪党たちに花嫁を奪われた主人公が、妻を奪還すべく戦いを挑む、ってなオハナシですが、主演(かつプロデューサー)のトニー・アンソニーが、フニャフニャしてるばかりで凄みも何もあったもんじゃない。何だか情けなく見えるばかりで、ちっとも魅力が感じられません。そうなると、物語もまるで引き締まらないのですが、一方で、本作には独特の情緒を感じさせるものもあって、これは、3Dを別にしても、パートカラーがあったりパートモノクロがあったり、スローモーションが多用されたり、妙なコダワリが独特のマッタリ感を出しているんですね。あと、コウモリが襲ってきたり(ハリボテだけど)、ネズミが襲ってきたり(これは本物)、といったあたりは、ちょっとオカルトテイストも感じさせます。要するに、雰囲気重視で策に溺れて、中身が無くなっちゃった、という感じ(「狩人の夜」みたいに、指の背に書いた「LOVE」の文字を見せたりするのも、雰囲気作りの一環、のつもりですかね)。 でもこの雰囲気、『シン・シティ』なんかが好きな人なら、結構、楽しめるかも[CS・衛星(字幕)] 6点(2017-10-15 12:13:53)《改行有》

16.  コンドル(1975) 日曜洋画劇場で観て以来だからずいぶん久しぶりですが、やっぱり面白いですね~。地味ですけど。 アメリカ文学史協会なる、何の変哲もない組織が、ある日、謎の男たちに襲撃され、職員は片っ端から殺されちゃう。消音機がつけられた銃での、寡黙なまでの殺戮。淡々と響くのはタイプの印字の音。そんな中、生き残ったのは、その時たまたま外出していたロバート・レッドフォードただ一人。実はアメリカ文学史協会は、CIAの下部組織で、レッドフォードもCIA職員のひとり。コードネームは「コンドル」。こんな冴えないヤツにまでコードネームを与えているとは、CIAもヒマなのかどうなのか。 などと言っている場合ではないレッドフォード。CIAに連絡をとり保護を求めるが、どうやら黒幕はCIA内部にいるらしい。という訳で、レッドフォードの孤独な闘いが始まるのですが。 レッドフォードが「本の虫」というくらいに活字マニア、という風に全然見えないのが、何ともかんとも言い難いのですが、一応、オタク眼鏡をかけてそれっぽく役作り。何で彼の命が狙われているのか、とか、終盤における黒幕を突き止めていく手口とか(全編にわたって、電話が印象的に用いられています)、この辺りはまあ正直、いかにも「それっぽい」だけで十分面白くて、実は色々とアラがありそうな気もするけれど、どうでもよくって。あまり背景のはっきりしない主人公の生き延びようとする姿に、都市生活の孤独なんかが反映されていて、さらにフェイ・ダナウェイの影の薄い感じが、その孤独感を強めていたりして。敵方のマックス・フォン・シドーまで孤独感に貢献する。サスペンス作品ながら、イヤでもシンミリしちゃうではないですか。[CS・衛星(字幕)] 9点(2016-08-10 19:37:29)(良:1票) 《改行有》

17.  ゴーストバスターズ2 1作目でとても喜んだウチの子供たちは、2作目が放送されてりゃ当然観ちゃう訳で、「これ、ツマランよ」と言いつつ私も観る。実に久しぶり。 子供たち、多分、1作目ほどは面白くないと感じつつも、それなりに楽しんでいる様子。ちなみに一番ウケてたのは、タイタニックネタ。完全に別の映画に(しかも本作より後に作られた映画に)救われてますね。 で、やっぱり面白くないっちゃあ、面白くないんですけども。2作目だからって、1作目より「大きなもの」を出さなきゃならんもんでもなし。 でも、何だかコレ、考え過ぎて考え過ぎて、結局どうしようもなくなっちゃった、という枯れた味わいが、なんとなく感じられます。 1作目におけるゴーストバスターズが、穴ぼこから這い上がってきて、拍手喝采を浴びる。カッコよくもないくせに1作目でヒーローになっちゃったから、つまりヒーローになり周りを熱狂させること自体がネタだったから、2作目で目先を変えようと思った途端、もはやヒーローにもなれない。全体的にどこか斜に構えたようになっちゃう。もっと割り切ってヒーローで居続ければ、何作でも作れたかも知れないのに。でもそのおかげで第1作は独特の位置を保ち続けることができ、第2作は第2作で、ちょっとした怪作になっている。もうちょっとハジケることができれば怪作の道を極めることもできたのかも知れないけれど、そういう意味では真面目すぎたのかな、と。『グレムリン』の続編くらいムチャクチャやるのがいいことなのかどうかはともかくとして。[CS・衛星(吹替)] 5点(2016-02-09 23:09:41)《改行有》

18.  ゴーストバスターズ(1984) レンタル店に行くたびに子どもたちに「借りてやるから観ろ、アンタたちの好きな映画だ」と勧めてはイヤがられてたのですが、ちょうどBSで放送があったのを幸い、見せてやったらほらみろ、子供たち大喜び。しかし私自身も何度も観てきたようで、実は最近はとんと観る機会がなかったんだなーと思ったのは、今回初めて、ウィリアム・アザートンが出ていたことに気づいたのでした。で、アザートンつながり、という訳じゃないけれど、ビルの上での攻防戦、ビルの下で見上げる人々、なんか知らんが大爆発、ああ何だかダイ・ハードの先駆けみたいな作品だったんだなあ、と(という意味では、リチャード・エドランドつながり、というべきか)。 あと、これも久しぶりだからこそ気づいたことなのか、ああこんなに中身スカスカな映画だったのか、と。もっと早く気づけってか。すみません。 でも、スカスカだってやっぱり面白いんです。バカバカしいことを大真面目にやってるから。ゴーストバスターズたちが地面の下から這い上がり、ビルの上で敵と対峙する、その4人が並んだ姿。これほどまでにオマヌケでありながらカッコイイ姿、なかなか見られるもんじゃありません。 ・・・そうそう、ウチの子供たち喜んだのはいいけれど、「2も観たい」なんて言い出したら、どうやって止めようか。[CS・衛星(吹替)] 9点(2015-12-07 23:15:15)(良:1票) 《改行有》

19.  コルドラへの道 ゲイリー・クーパー演じる少佐が、名誉勲章に推薦する下士官4人を引き連れ、コルドラ基地を目指し砂漠を行く。少佐は、リタ・ヘイワースの護送という任務も担っており、都合6名の行脚。勝気な彼女の存在が、何かとモメごとの元になり、敵襲あり、疫病あり、ゴタゴタ続きで、下士官たちと少佐との間は険悪なものとなっていく。ってな話ですが、かつて一度は臆病風に吹かれ戦いから逃げてしまった少佐が、この困難な任務を達成できるのか、がポイントになります。勇敢に戦った4人を無事にコルドラへ送り届け、勲章に推薦すること。しかし4人が本当に軍人として優れている訳でもないし、そもそも人間として優れている訳でもなく、過酷な旅路の中で、醜悪な本性をむき出しにしてくる。この逆境の中、もしも少佐が、崇高な目的を献身的に成し遂げよう遂しようとしてオハナシだったら、分かりやすいドラマになるところですが、本作ではそうは問屋が卸さない。下士官たちは皆、勲章なんか欲しくもないし、中にはそんなものもらった日には命を失いかねないヤツまでいる、という、超ありがた迷惑な状態。「それを無理やり勲章に推薦するのは、自分の名誉挽回のための、利己的な行為」と非難されてしまう、しかしこれって、まさに図星。という、まあ実に身も蓋もないオハナシなんですね。でも逆に言えば、少佐の方に、我々が文句なしに肩入れできる動機(理屈)が無いからこそ、彼がボロボロになりながらも任務を完遂しようとする姿(光景)そのものが、感動的なものとなってくる。大規模な戦闘シーンは最初の方のみで、その後はいささか地味な展開ではありますが、緊張感の方はしっかりと高まっていき、目が離せなくなっていきます。ただ、後半に向かうに従って、ちょっと歯の浮くようなセリフも多くなってきますが・・・。[CS・衛星(字幕)] 7点(2015-08-23 10:09:20)

20.  ゴッドファーザー PART Ⅲ 《ネタバレ》 ゴッドファーザーシリーズらしい雰囲気は確かに味わえるし、一方でヘリから機銃乱射の大虐殺、なんていうおバカで元気のよいシーンなんかもあって、こういうのは嬉しくなるのですけれど、まあさすがに前2作に比べると、やや低調であることは否めませんわな。ソフィア・コッポラの起用にかなり難があるのは事実で、重要なはずの彼女の役どころが、何ともつかみにくく印象薄。マイケルはどのような最期を遂げるのか、それは例えばオペラ上演中に狙撃され華々しく死んでみせる、という花道もありえたところ、しかし彼にその特権は許されることはなく生き延びてしまい、そのオイシイ「死」をよりにもよってソフィア・コッポラがかっさらってしまう。どうしてこういう時だけしゃしゃり出てくるんだ、と呆れてしまうんですけれども、必ずしも彼女のヒロインとしての魅力の無さばかりが原因ではなく、やっぱり脚本も悪いんじゃないですかねえ。バチカン云々ってのがちょっと風呂敷広げ過ぎなんでしょう、そんな実際の事件を絡めて今さら社会派みたいな要素を取り入れるくらいなら、もっとコルレオーネファミリー内の人間模様をじっくり描いた方がよかったのでは。アンディ・ガルシアですら、単にマイケルを引退させるためだけに登場した感じで、彼とてそんなに印象を残せてはいないように思えます。そういや、上演されていたオペラが『カヴァ』だったのは、シチリアが舞台であるということ、血なまぐさい殺戮シーンとも繋がるヴェリズモらしい緊張感、さらには娘を失ったマイケルのなりふり構わぬ慟哭にBGMとして例のお馴染みの間奏曲を当てたかったこと、あたりが理由かと思われます。が、娘の死を前にした父の嘆き、というならば、例えば、この場面で上演されるオペラとして、ヴェルディ『リゴレット』という選択肢もあったかも知れず、そして『リゴレット』からのインスピレーションがあったならば、本作の脚本そのものも大幅に変わっていたかも知れませんが・・・。[DVD(字幕)] 7点(2015-07-08 22:34:30)

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