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プロフィール
コメント数 3876
性別 男性
年齢 53歳

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1.  007/美しき獲物たち 《ネタバレ》 どういう訳か私にとって妙に印象の薄い、この第14作。何でこんな印象薄いんでしょうね。劇中でいろいろ派手な事やってくれてるんですけれども。「007映画=おバカ映画」という図式を我々にしっかり植え付けてくれたロジャー・ムーアも、今回がボンド役最終作。ということで、ゴジラ同様、実際の元号とズレはあるものの、この作品までが私にとっての、昭和007。 だもんで。どうもこの作品のイメージが『メカゴジラの逆襲』と微妙に重なってしまうんです。すみません。これは私が悪い。こんなイメージ持たれちゃ、ねえ。 実際は、ジョン・グレン監督はこの後のダルトン=ボンド時代も続投するので、そういう意味ではこの第14作と次の第15作に断絶は無いはず、なんだけど、しかし到底、そうは思えません。やはりこの第14作でもって、一時代の終わり。やっぱり、ボンド役が作品のカラーを決定づけますね。そもそも、「007映画の監督と言えば?」と聞かれたら、普通はテレンス・ヤングか、せいぜいガイ・ハミルトン。あるいは最近の人だったら、答えとしてマーティン・キャンベルとかサム・メンデスとかの名を挙げるかもしれない。もしここで、「ルイス・ギルバート」とか「ジョン・グレン」とかを挙げる人がいたら・・・たぶんそれ、悪意があります(笑)。でも、ロジャー・ムーアのおバカ007映画時代を主に支えたのが、この二人。ヒドいことをしてくれたもんだ、などと言うなかれ。全部、ロジャー・ムーアのせいです。多分。 さて、ボンド役最終作と言うだけあって、、、と言うか、「さすがにそりゃ最終作にもなるわなあ」と言うか、ムーアさん、正直、すでに結構なお歳です。しかし飄々としてクールでエロくてコミカルで。まだまだ余裕のエロダンディぶり。アクションシーンはスタントマン多用しているんでしょうが、そりゃ、あんなスキーやらスノボやらが上手かったら、ホントにMI6で秘密諜報部員できちゃいますよね(?)。しかし、潜水シーンなんかでは、本人が実際に潜って演じているように見える場面もあったりしますが、これ、この歳で実際に本人がやってるんだったら大したもの。役者になっていなかったら、本当にスパイになれたのでは(???)。 今回もおバカアクションの見どころ盛り沢山。タイトル前の雪山の死闘に始まり、エッフェル塔から開始される追跡劇ではパリを舞台にしたカーアクション(最近の映画でこそ、名所でのこういうアクション、増えてきましたが)、007映画らしいアクロバットな演出も。これに対し終盤は金門橋が舞台の、飛行船を使ったアホらしくも派手な戦い。だけどやっぱり目を引くのは、中盤の火災シーンですかね。ややシリアスなテイストで、迫力あり。それからもちろん、あの大洪水の修羅場。巨大セットでの撮影がもたらす臨場感に、息を呑みます。 ここまで言っといて、「印象が薄い作品」も何もないだろ、ってなところですが、悪役のクリストファー・ウォーケンが、ちと弱い。ってか、私は昔、このヒトは本当にヤバい人なんじゃないかと思ってた頃があり(もちろんそんなワケ無いと思いつつも、何となく狂気を身に纏っている感じがして)、それを思うとこの作品では、彼にしてはスケールが小さく、小悪党止まりの印象。冷酷極まり無いことを言ったりやったりしてるんだけど、狂気よりセコさが感じられてしまいます。うん。作品の印象の薄さは、これのせいだ。きっと。メカゴジラのせいにしてはいけません。 ボンドガールは今回は結局、何人いたんだっけ? メインとなるタニア・ロバーツは、これまたイマイチ存在感無いですが、ゴージャス感はありますねえ。そういう意味ではいかにもボンドガールらしいボンドガール。昔、『シーナ』とかもよくテレビで放送してたので有名な女優さんかと思ってたんですが、いや、まあ、どうなんでしょ。ははは。一方の敵方のコワモテ用心棒のグレイス・ジョーンズは、これはインパクトあり過ぎ。最後まで見せ場を作りまくりで、確かにイイんだけど、ムーアおバカ路線にはややそぐわない気もしうつつ。昔、『キング・オブ・デストロイヤー/コナンPART2』とかもたまにテレビで放送してたので、有名な方かと思ってたんですが、その理解で合ってますよね?[CS・衛星(吹替)] 7点(2024-05-26 21:35:51)《改行有》

2.  デモリションマン かなりポンコツ指数の高いトホホな作品、その割には何度もテレビ放送でお目にかかった気がしますが、結局、「スタローンの使い道はロッキーとランボーにしか無かった」ということを再確認するだけでして。いや、他にも多少は持ちネタあるけれど、これらの持ちネタ周辺から遠ざかったSF映画の領域ってのは、いかにもスタローンとの食い合わせが悪い。頑張れスタローン。 しかも、敵役のウェズリー・スナイプスが、これまたどこまでマジメなのか、あるいは単に不真面目なのか、スゴ過ぎる奴なのか単なるおマヌケなのか、どうにもつかみどころのないキャラクター。ただしムキムキぶりは、スタローンに引けをとらず。 冷凍にされて未来に送り込まれる刑に処せられるという悲劇(どうしてそんなメチャクチャな刑があり得るんだろうか? これ、放射性廃棄物貯蔵施設になぞらえた一種の皮肉だったりして?)、ましてや主人公は、犯人に嵌められた一種の冤罪でもって、妻子と引き離されてしまった、という、この上もない悲劇的な設定ですが、これが物語の上で、ほぼ何も活かされていないのが、思い切りがよいというか、それとも単に不真面目なのか。わざわざそんな設定を映画に入れている以上、もしやもしや、サンドラ・ブロックがその生き別れた娘だったりしたら、いくらバーチャルエッチとは言え、そそそそれってヤヤヤヤバいんじゃないの、とヒヤヒヤするところ。でも勿論そんな偶然はありませんよ、と生き別れの妻子のその後の悲しき運命は、サラリと流されて終了。ははは。 すべてそんな感じ。深刻さは無用、まあ、軽いノリのSFアクション・コメディ、ですね。そう思うと、一周回ってこの作品、悪くないな、と思えてくる。タイトル前の大爆破シーン、「何でもかんでもとりあえずCG」という時代になる前の、何でもかんでもとりあえず爆発させとけ、という大花火ですね。こういうの、懐かしい。。。 撮り方も、特に大きく目を引くものは無いかもしれないけれど、カメラの動かし方など、全編にわたりそれなりのこだわりが感じられて、内容はアホらしくとも面白いモノを撮ってやろう、という意気込みが感じられます。汚い言葉を使うと罰金が科せられるギャグの反復も、「違反キップ」という形で視覚化しつつ、トイレネタにも繋いでいっちゃう妙味。 何より、ウェズリー・スナイプスの悪乗り気味の怪人物ぶりが、見てて楽しくなってきます(昔は見ててイライラしてきたけど)。左右の瞳の色の違い、みたいな細かい演出は序の口で、行動といい恰好といい破天荒そのもの。ここまでやっちゃうと映画がイビツになってしまう、その一線を越えることで、不評も買うかもしれないけれど、映画の個性も生まれれば、それでよいのでは。 破天荒なこの敵役に対し、裏で裁縫に励んでいるらしい。映像としては出てこないその光景を、想像してみるのもまた楽し。[インターネット(字幕)] 7点(2024-05-19 08:01:48)《改行有》

3.  キック・オーバー メル・ギブソンという人は、映画の中でよく走っているという印象。いや「よく」と言っていいのかどうかはわからないけど、少なくとも彼の走っている姿というものが結構、印象に残ってるのですが、実際、すっかりいいオジサンになり、こういうグータラな映画のグータラな役を演じていても、やっぱり走るシーンってのが登場して、ああ、ガンバってるなあ、と。さすがに、マッドマックスやリーサル・ウェポンでの走りほどの迫力は無い、オジサン走りですが。 映画はいきなり、大金を奪ったメル・ギブソンが警察に追われる場面から始まり、国境を越えてメヒコ側でとっ捕まる。入れられた刑務所がとんでもないところで、悪が支配する何でもアリアリの、ひとつの街といった感じ。で、そこで逞しく生きる母子と知り合い、彼らの将来を待ち受ける暗い運命に対し共に戦うことになり、さらには例の大金にまつわる争奪戦にも巻き込まれていく。という、何だかとてもよくデキたオハナシなんですが、もうひとつ見せ方に工夫が感じられず、気持ちが乗りません。刑務所(とは思えないスゴいところですが)のバッチイ感じはよく出てるし、そういう中でも必死で生きている人々の生命力も感じさせて、さらにそんな中で、一人称で語りつつも素性の知れないメル・ギブソンがちゃっかりとたち回る姿、いかにも舞台は一通りそろっているのですけれど、普通にイマドキの演出が繰り返されるだけで、どうもメリハリが無い。せっかくのルチャリブレのシーンなど、客席で会話している光景なんてどうでもいいから、もうちょっと試合の方をカメラに収めてくれたらいいのに、ねえ。 いっそこのまま盛り上がらなかったら、ケチだけつけて終わろうものを、シャクなことには、メル・ギブソンが傘を持って現れる一連の場面が何ともシャレていて、さらに腹が立ってくる(笑)。くそ、面白いじゃないの。 こういうのを、映画の中でももっとやって欲しかったな。 【2024/5/12追記】久しぶりに見て面白さに唸りつつ、自分が何とたったの5点などという信じられない点数をつけていたのに気づき、またビックリ。いやこれ、メリハリが無いなんてとんでもない。最初の方こそ主人公の独白がいくぶん、状況を説明するけれど、映画はその後どんどん加速、暴走し、状況は映画の後からついてくる。何でもアリ、ルール無用の刑務所が舞台、いや映画の舞台は刑務所を飛び出して、ますます何でもアリ。主人公のクールさが実にキマってるし、クールなだけじゃないところが、ますます光る。 これぞ、ハードボイルド、ではないですか。今さら申し訳ないですが、9点に変更させていただきたく。[インターネット(字幕)] 9点(2024-05-12 16:01:59)《改行有》

4.  セルラー これは面白い、面白すぎの一本。ですがそれもそのはず、原案がラリー・コーエン。このヒト、こういう面白い事を思いつくんだから、悪魔の赤ちゃんなんか3本も撮ってないで、こういうのこそ、自分で監督すればいいのに。と思うのですが、多分、このヒトには監督も脚本も任せない方がいい、ってことなんでしょう。自分で撮ったらおそらく、怪作の部類に入ってしまう・・・。 平和な家庭に、いきなり悪党どもが闖入し、家にいた母親が誘拐されてしまう。監禁された部屋には壊された電話機。この母親、理科教師ということで(こういう風にいちいち設定を活かそうとするのが楽しくもまたイヤらしいところですが)、電話機を何とか復旧しようと試行錯誤、その結果、どこかの誰かさんの電話に回線を繋ぐことに成功するのですが、その繋がった先というのがよりにもよって、とんでもなく軽薄な若造のケータイ電話。 すでにこの設定で映画を作ろうという事に無理があり、とりあえず面倒くさがりながらも警察に駆け込んで一件落着、というところなのですが案の定、うまい具合に都合よく、というかうまい具合に都合悪く、警察署で揉め事が発生したり、不自然に電波が弱くなったり、「逆・ご都合主義」でグイグイ物語が進んでいきます。なにせ、ケータイの持ち主が軽薄なテキトー男、こういう人には物語にブレーキをかけることなど、不可能です。無理があっても、こういう人が率先して物語を転がしていき、スピード感を高めていきます。 そりゃ、もう少し脚本の穴を繕うことだってできなくは無いんでしょうが、重要なのは、この勢い。クリス・エヴァンス演じる軽薄兄さんの暴走に、脚本家も監督も、そして我々も、覚悟をもってついていくしかありません。欲も無ければ私怨もない、ただただ、巻き込まれた運の悪さに、こんな人を巻き込んでしまった運の悪さ。ひたすら、映画は突っ走っていきます。 そこにブレーキが掛けられるのはただ一人、警察官のウィリアム・H・メイシー。いや、こんな頼りない人に、この暴走映画を止めるなんて、無理でしょう。その彼が、この物語にどう関わるか、どう食い込むか。 あのイヤミこの上ない弁護士。このイヤミっぷりは実にお見事ですが、そのイヤミを以てしてもブレーキをかけるどころか、物語はさらにさらに加速して。 終盤まで危機また危機の連続、サービスし過ぎで、かえってここだけフツーの映画っぽくなっちゃった面もありますが、そこまで言うのは贅沢かな。いや、面白かったです。[インターネット(字幕)] 9点(2024-05-06 15:04:13)《改行有》

5.  騎兵隊 南北戦争を背景に、北軍の騎兵隊を率いて鉄道駅の破壊作戦に向かう元鉄道屋の大佐。何故か医者を目の仇にする彼に対し何かと対立する軍医の少佐。そして北軍に対し嫌悪感をむき出しにしつつ彼らとの同行を余儀なくされた南部の女性。三者三様、それぞれに頑固で、その頑固さをぶつけ合う人間模様が、面白いんですね。大佐を演じるジョン・ウェイン、軍医を演じるウィリアム・ホールデンといった大御所に対し、南部の女性を演じるコンスタンス・タワーズという女優さん、映画の中でさまざまな髪型、さまざまな表情を見せて、なかなかチャーミングです。 とは言え、この3人に負けず劣らず、周囲を取り囲む北軍兵士たちの愛すべきポンコツぶりが、また面白くって。とても役作りと思えず、本当にバッチい人たちを集めてきたようにしか見えません。こういう人たちにまで広がった人間模様こそが、この作品の魅力です。 銃撃戦、駅の破壊シーンなども見どころ。駅なんて単に吹っ飛ばしゃ良さそうなもんですが、当面復旧できないように念入りに線路を曲げたりしてる描写が、さらに印象を深めます。西部開拓ってのは鉄道敷設の歴史でもあり、ジョン・ウェイン演じる大佐はそれを体現してきた人なのでしょうが、その逆の過程を我々に、そして彼に、見せつける訳ですね。 銃撃戦や大砲の射撃など、戦闘シーンが盛り込まれる一方で、少年たちの軍隊に対しては攻撃を避けたり、捕まえた「捕虜」をお尻ペンペンしたり、ユーモアを交えつつヒューマニズムも感じさせます。[CS・衛星(字幕)] 8点(2024-05-06 09:35:14)《改行有》

6.  恋愛準決勝戦 フレッド・アステアとジェーン・パウエルが、兄妹のダンサー。外見は年齢的に言って親子にしか見えませんけどね。しかし踊り始めれば、年齢差を感じさせない、身のこなし。アステアも50歳を過ぎて、全盛期のようにはいかないんでしょうが、決して衰えは感じさせません。ダンスシーンは全体的に長回しで撮影されていて、ある意味、誤魔化しナシ。涼しい顔で踊り続けるアステアのダンスの流れを止めない「一気見せ」が、やっぱりこのヒト、粋だなあ、と感じさせます。 帽子掛けを相手に見立てた見事なダンス、見ていると何だか、この帽子掛けもダンスが上手いなあ、と思えてくる。アステア本人だけではなく、パートナーをも輝かせるのが、さすが、腕の見せ所。さらには器械体操の器具などもダンスに取り入れて、次は何をやってくれるんだろう、とワクワクしてきます。 波に揺れる船の上、左右に傾くフロアでのダンス。あるいは壁、天井、所かまわず繰り広げられるダンス、『ポルターガイスト』か、はたまた『インセプション』か。重力の面白さと、重力を超越する面白さ、ですね。実際に床を傾けたり、部屋を回転させたりして撮影している訳ですが、セットがよく出来ています。さらに後者では、壁、天井へと移動するアステアの動きも実に巧みで、本当は今、どちらが「下」なんだろう、という事を感じさせません(だからますます気になってしまう)。 物語は、イギリスに渡った兄妹がそれぞれ恋愛を繰り広げる、という、いかにもミュージカルな他愛のないオハナシ。エリザベス王女の結婚と重ね合わせて描かれるのがこれまた、正直どうでもいいのですが(笑)、とにかく他愛ないオハナシながらも、いつも涼しい顔をしているこの伊達男が、終盤、周りの人の流れに逆行して愛する女性のもとに駆け寄っていく姿。少し一途さを垣間見せて、イイんですね。 後の『タワーリング・インフェルノ』で寂し気にトボトボ歩いていた姿を、ちょっと思い出したりもして。[インターネット(字幕)] 8点(2024-05-06 07:51:34)《改行有》

7.  悪魔の赤ちゃん3 禁断の島 第1作から13年、今回も監督と脚本を手掛け(さらに製作総指揮も)、ラリー・コーエンのライフワークみたいになっちゃってる、この悪魔の赤ちゃん3部作。いや、まだ続編を作りそうな気配も濃厚な終わり方なのですが、こういうのは一種のお約束なのであって、実際は第4作は作られず。残念なようでもあり、当然のようでもあり。 もはやバーナード・ハーマンもリック・ベイカーも全く関わっていない(前者はとっくに鬼籍に入っているし)と思うのですが、クレジットには一応、名前が出てて、一作目の遺産を厚かましくも見事に食いつぶしていっている感じがいたします。 今回は、悪魔の赤ちゃんが、人道的なんだか何なんだかよくわからない措置を受けることになって、どこやらの無人島に送り込まれる。で、そこで成長し人知れず増殖しているのを、再び捕まえに行く、という、『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』の先駆けのようなオハナシ。もちろん、悪魔の赤ちゃんたちが船で本土に上陸してくるのも同じですね。 悪魔の赤ちゃんが5歳にして巨大化しており、こうなるとかなりカッコ悪い着ぐるみでの演出になってしまうのですが(だもんで例によって、暗がり、出し惜しみ、チラリズム)、まだ悪魔の赤ちゃんが赤ちゃんの状態の時(よくわからん言い方だが)には、ストップモーションアニメの手法も使われていて、こういうのは見ててエラく楽しいもんです。 島の描写では悪魔の赤ちゃん目線の一人称カメラも使われ、不気味かつチープかつ胡散臭い雰囲気が漂います。 悪魔の赤ちゃんがこっそりヘリに忍び込んでいて、操縦士が襲われると何故かヘリが空中で爆発したり、終盤、屋根の上で警官隊と死闘を繰り広げると、警官たちが面白いようにコロコロと投げ飛ばされて激ヨワだったり、トホホなシーンが続出しますが、中でも一番ワケがわからないのが、マイケル・モリアーティ演じる赤ちゃんの父親がキューバに漂着するも、キューバ人たちと意気投合して早々に解放される、という展開。ストーリー上は全く無意味ですが、あえてこういうシニカルなエピソードを挟んでくるのがまさに、一筋縄ではいかないところ。 インディー魂、おそるべし。[インターネット(字幕)] 7点(2024-05-05 10:44:00)《改行有》

8.  デッド・ドント・ダイ 《ネタバレ》 今やサメ映画の次くらいに激戦区となっている、ゾンビ映画。ジム・ジャームッシュまでがそこに手を出すか?といったところですが、そもそもロメロ以降のゾンビってのは、この「伝染性」に特性がある訳で。歩きスマホやってる連中を周りから見れば、ゾンビそっくり、ということになるし、そういう連中が世の中どんどん増えてくるのがこれまたゾンビそのもの。だけど、そんな事を言ってる自分もまた、別の面では、周囲から見ればゾンビそっくりと思われているような行動を取っているのかも知れない。そういう自覚を何となく持ちつつも、何を改めるワケでもなく、そのメタ性がまたいかにも、ゾンビ映画的。 羽田圭介の「コンテクスト・オブ・ザ・デッド」じゃないけれど、ゾンビ映画というジャンル自体がやたら、設定ありき、ルール先行型の世界。ゾンビは歩くべきものなのか、それとも走ってもよいものなのか、とか言うことも気が付いたらどうでもよくなり、単なるバリエーションとして、相対化されていく。メタファーとしてのゾンビは、やがてメタとしてのゾンビ映画となり、パロディ化され、自己言及され、量産化されるゾンビ映画はまさに、「“ゾンビ映画”ゾンビ」、と言ったところか。 何と言うか、対象を突き放して、その存在価値を認めなくなったら、その人にとってはあらゆる対象が、ただ無意味かつ目障りに生き残り続ける「ゾンビ」、になっちゃう。 というそのゾンビ映画というジャンルに手を出す以上、「この監督だから、この程度でいいよね」では済まないぞ、となる訳ですが、さて、この作品。ははは。どうなんでしょうね。 私は結構、楽しんだんですが。 少なくとも、終盤、ゾンビたちにパトカーが取り囲まれる場面のあの不気味さ。ホラー映画としては上々のシーンではないでしょうか。パトライトに照らされるゾンビたちがパトカーをのぞき込んでくる、あのヤな感じ、充分、夢に出てきそうです。 途中も、ゾンビに食い殺される残酷シーンがありつつも、どちらかと言うとノンビリしていて、 ビル・マーレイとアダム・ドライバーのトボけた味わいが、何とも言えず。この二人、自分たちが映画の登場人物であるという自覚もあるらしく、お約束的にメタ性を盛り込んでますが(スターウォーズ!)、はたまたその二人ですら予想しなかったハチャメチャな展開まで待ち受けてますが(UFO!)、ちゃんとペシミスティックな世界観でホラーらしく締めくくっていて、意外な「意外性」が感じられるのが、結構、良かったかな、と。 結局、この田舎町も淡々と滅んでいくしかない(教訓としては、ゾンビには関わらない方がよい、って事くらいでしょうか)のですが、人間が滅んでもカントリーソングだけはこの田舎町にしぶとく残っていきそうな。そんな作品でした。[インターネット(字幕)] 7点(2024-05-01 16:07:22)《改行有》

9.  ストレンジャー・ザン・パラダイス 《ネタバレ》 音楽に耳を傾けることから全てを受け取って欲しい、ということらしく、その昔買ったクロノス・クァルテットのアルバム「冬は厳しく(WINTER WAS HARD)」にはライナーノーツが無く(日本のレコード会社は何が何でもクラシック音楽のCDにはライナーノーツを付けたがるにも関わらず)、とは言っても著名な作曲家の曲が多いので(かつ、かなり有名な曲もいくつかあるので)、得体の知れないアルバムなどということは無いのですが、そんな中、6曲目のBELLA BY BARLIGHTという曲を書いたジョン・ルーリーって人は、一体誰なんだろう。 と、当初は誰だか分らなかったのですが、それが実は、この映画の主演のヒト。そして、映画冒頭に流れるのがその、BELLA BY BARLIGHT。 得体が知れないと言えば、こんなに得体の知れない映画も無くって、映像を見る限り、いつの時代のどこの国の映画だか、まったく不明。50年代のヨーロッパとかならまだしも、まかり間違っても80年代のアメリカには、到底見えない。。。 という無国籍な雰囲気。アメリカも切り出し方によっては、こう見える、ってことなんですかね。安く撮れば風景も安く見える、という訳でもないのでしょうが、ザラついたモノクロ映像に映し出されるアメリカは、独特の雰囲気。エヴァが両手にカバンを提げて歩く姿を移動カメラが追いかけていくシーン、その背景に映るのもまた、アメリカの町なんだなあ、と、かえって斬新に見えます。クリーヴランドの街も、雪と氷に包まれたエリー湖の景色として描かれたりして。 ストーリーは、あって無いような、というより、「無い」と言っちゃった方がスッキリするかもしれません。もちろん見る側も、この見るからにストーリーの無さそうな映画に対してそちら方面の期待は持たないので、雰囲気と、ちょっとした出来事や事件を、楽しむ。 私は映画を撮ったことも無いし撮れるとも思わないけれど、これから映画を撮ろうという人の気持ちを想像すれば、おそらく、演出の真似事の第一歩として試しにやってみたいこととしては、カット繋ぎ、ということになるんじゃないか、と思ったりもするのですが、この作品ではそんな事には関心が無いのか、それともおカネが無さ過ぎてそんな余裕も無かったのか。ワンカットごとに暗転して映像は途切れ、ここまでそれが徹底されると苦笑してしまいますが、暗転中も音が映画を繋いでいたりして、意外に違和感が無い(というか、無くなる)のがまた、面白いところ。 それにしても、主人公3人が小金を手にして、結局はバラバラになってしまう、というラスト。商業映画第1作にしてすでに、ビンボーをこじらせているような。[インターネット(字幕)] 8点(2024-05-01 15:04:43)《改行有》

10.  沈黙のテロリスト 《ネタバレ》 セガールの出演作が片っ端から「沈黙の~」という邦題がつけられるのは、単にレンタルビデオ屋のアイウエオ順配置で固めて並べてもらえるからだろう、くらいに思ってたのですが、一方でこの作品のように、「セガール主演作でなくてもそう見せかけることができる」という二次的な効果もあるんですね。そう見せかけることのメリットは、よくわかりませんけれども。 という訳で、主演はトム・サイズモアであって、セガールは準主役といったところの爆弾処理のオジサン。持ち前の苦み走った顔だちは、プロフェッショナルな雰囲気を漂わせつつ、それでも劇中でこれだけ何度も爆破シーンが登場するのは、やっぱり彼の腕前が大した事ないお陰、なんじゃないかと。 さて、こんな映画に高得点をつけたりすると、「オマエは本気でこの映画が素晴らしいと思ってるのか!」と言われそうですが、いや、そんなワケないじゃないですか。なにせ、こんな邦題つけられちゃう作品ですよ。 とは言え、あくまでコレ、90分ほどにスッキリまとめた、低予算娯楽作品。こういうジャンルなんです。これをダメと言ったら、あの素敵な70年代東映のおバカ作品群が、全滅してしまう・・・。B級のノリ、B級の手腕。この手際の良さ、テンポの良さ。そりゃヘンなところもありますよ、例えば冒頭のセガールが爆弾処理する場面、画面が寄った時と引いた時でタイマー表示がまちまちで、あと何秒で爆発するのかよくわからん。けど、ま、いいじゃないですか。 爆弾魔の役がデニス・ホッパー、というのがいささか心許なく、『スピード』の時のダメダメっぷりが再現されるんじゃないか、と心配になりますが、前述のように、今回は本領を発揮して爆破シーンの連続。規模はともかくそれなりに盛大に吹き上がる炎、爆発に巻き込まれて吹っ飛ばされる人間、このあたりの演出は、最低限の予算で最大限の効果を上げている、と言ってもいいのではないでしょうか。職人芸。 爆弾処理オジサンとして比較的おとなしくしていたセガールも、このまま退場しては沈黙シリーズの名が廃るとばかり(?)、終盤にはセガールアクションを炸裂させます。ちと控えめな印象もありますが、一応はセガールアクション、有難く堪能しましょう。戦いの中、敵の一人がガラスに叩きつけられたあと、遠ざかる悲鳴だけを残して画面から消える。要は高いところから落ちて絶命したんでしょうなあ、という場面を、落下シーンをわざわざ撮ることなく表現してる訳で、一種の手抜きが、演出上のスパイスになっている。この演出を職人芸と言わずして、何と云おうか(・・・だから、手抜きだって)。 セガールが活躍すれど、乗り越えなければならない過去を抱えているのは、トム・サイズモア。だからやっぱり彼こそが、主人公。なのでした。[インターネット(字幕)] 7点(2024-04-27 14:28:38)《改行有》

11.  ハート・オブ・ダークネス/コッポラの黙示録 我々を熱狂させる芸術作品は、作者も熱狂のうちにそれを作り上げたと思いがちだけど、実際は冷静な推敲作業のもとにそれは作り上げられるのだ、とかいう意味の文章をどこかで読んだ気がします。その意味では、最たるものの一つが「映画製作」で、到底、一人の人間が勢いだけで作れるものではなく、一種のプロジェクト運営の側面がある訳で。 ところがこのドキュメンタリを見ていると、大勢の人間と莫大な投資が関わるが故に、「うまくいかなくなった映画製作」ほどオソロしいものは無い、ということがよくわかります。熱狂、というより、底なしの狂気。まさに、闇の奥。 ってか、コッポラというヒトに映画作らせるのが、そもそも危険、ということで。この危険人物が、周囲を巻き込んで(あるいは周囲に巻き込まれて)危険領域に足を踏み込んでいく様が、この作品に捉えらえています。最近はともかく、この頃のコッポラというと、映画で一発当ててはそれをつぎ込んだ次の作品で興行的に大コケして経済的に追い詰められる、ってなイメージがありましたが(?)、そりゃこんなコトばっかりやってたら、そうなるわなあ、と。 『地獄の黙示録』という作品が何ゆえ、魅力があるのかは、このドキュメンタリを見てもよくわからないけれど、何ゆえああいうイビツな作品になってしまったかは、感じ取ることができます。作品の魅力と完成度とは、必ずしも正比例しないんですね。このドキュメンタリが作られた段階ではまだ『特別完全版』は公開されておらず、本編には無かった「はず」のシーンが幾つも登場します。その『特別完全版』は盛り込まれたエピソードの多さ、羅列感がカフカの作品を思わせ、本来は、カフカの長編小説同様に「終わることのない迷宮」だったんじゃないか、とも思えてくる。しかし、事業としての映画は、「完成」はともかく「完結」させないといけない中、もつれたアリアドネの糸をほどくのではなく、その迷宮にスタッフ、役者ともども、入り込んでいってしまう。 ベトナムでの撮影はできないということで、選ばれた撮影場所が、フィリピン。軍隊の協力は取り付けたものの、内戦状態なもんで、撮影に使うヘリが出動してしまう。『地獄の黙示録』という映画自体はフィクションとは言え、登場するヘリは、まさに現在進行形で「戦争中」のもの、なんですね。オープンセットは作り物であっても、台風による破壊は、本物。カーツ大佐の規格外ぶりも本物で、誰の云う事も聞かないマーロン・ブランドは、まさに「企画外」の存在、制御不能。 そして、現場に広がるドラッグの使用。そりゃ、あかんでしょ。 当時を振り返るインタビューに登場するジョン・ミリアス、ジョージ・ルーカス、そしてコッポラ本人。前者2人の余裕(「闇の奥」に足を踏み入れる前に引き返せた余裕?)と比べ、コッポラには未だに「あかん人」のニオイがプンプンと。 この人を先頭に、迷宮に足を踏み入れ、制御不能の一歩寸前か、もしかしたら絶賛制御不能中、という中で、完成と言っちゃってよいかどうかはともかく一応の完結をみた『地獄の黙示録』。結局、この作品の魅力が何だったのかと言うと、もはや「闇鍋の魅力」としか言いようが無い気もしますが、鍋に入れてみたいもの、不本意ながら入ってしまったものが、ゴッタ煮となって、それでもなぜか食えるものに仕上げられている、という奇跡。こんな奇蹟は二度と起きないんじゃないか、という、まさに究極の闇鍋の一杯、ですよ、これは。 このドキュメンタリ映画の元になっているフィルムは、ロケに同行したコッポラの妻が撮りためた記録映像が使われている、ということで、もし最初からドキュメンタリ映画を撮るつもりだったら、また別の撮り方があったのかも知れませんが、とは言え、これ、面白い。映画の裏側ってのはやっぱり気になるし、それが特にこの奇妙な作品の裏側だとなお一層。それを90分あまりにまとめ、テンポよく見せてくれて、興味が尽きません。 たぶん、このドキュメンタリは、コッポラ自身には作れないと思う![インターネット(字幕)] 7点(2024-04-21 08:32:36)《改行有》

12.  ゴーストバスターズ/フローズン・サマー ハロルド・ライミス亡き今、存命の第1作出演者が元気なうちになるべくシリーズ作を作っておこう、ぐらいのノリの作品で、どうということもないんですけれど、それでいきなり登場するのがウィリアム・アザートンというのが、なかなか意表をついてます(マクレーン家に押しかけたレポーター、じゃなかった、ゴーストバスターズに言いがかりつけてたあのイヤミな役人ですね)。ちなみに第1作を監督したアイヴァン・ライトマンも鬼籍に入り、今作は彼に捧げられてます。 こうやって、製作から40年(!)経っても、話題になり、シリーズ作が作られ、当時の出演者が引っ張り出され、見てる側も懐かしいなあ、と思ったりするのも、それだけ1作目のインパクトが大きかったということなんだろうけれど、過去の資産でやりくりしてるばかりで進歩がない、という気もして。今の若い人たちは過去の作品も今の作品も自由に楽しめて羨ましくもある反面、さて、今の映画の中に、40年後にも話題になり出演者が引っ張り出されるような作品ってあるんだろうか、と思うと、少し気の毒な気もします。いや、その方がむしろ自然、なのかも。 さて本作、ゴーストバスターズの面々も子供からさらに孫の世代になっている訳ですが、冒頭からいきなりゴースト退治で騒動を起こし、どっちかというと周りから顰蹙を買っている。やはりゴーストバスターズたるもの、こうでなくては。CGは多様されますが、カーアクション等のシーンにはどこか、アナログ的な感じもあって。ゴーストの描写なども、そうですね。 かつて、能天気な教授たちが大学をクビになって立ち上げたベンチャー企業だったゴーストバスターズが、ここでは家族経営の零細企業(?)になってますが、この一家が登場するシーンではクローズアップがあまり使われず、カメラは一歩引いて、「家族」を映そうとする。ちょっと微笑ましいですが、テーマとしては血の繋がらない父と娘とのギクシャクした関係、みたいなのもある訳で、そういう部分の描写はちょっと弱いですかね。しかしそれでも何でも、娘が別行動をとり始めると、ゴーストの少女と知り合うサブストーリーが生まれて物語が広がり始める。こういうのがまた、イイじゃないですか。 いや、サブストーリーというほど独立した物語でもないし、メインの物語自体があまりオハナシとして成立してない気もするので、ゴチャゴチャした印象が拭えないですが、とにもかくにも、クライマックスはゴーストバスターズそろい踏み。ま、コレがやりたかったんですよね。いや、メンバー増えも増えたり、何人いるのよ。 1作目へのオマージュ目白押しですが、どちらかというと1作目を改めて見て「予習」してからこの作品を見るよりも、この作品を見た後で1作目を見て「復習」する方が、楽しいんじゃないか、という気がいたします。[映画館(字幕)] 7点(2024-04-07 21:05:43)《改行有》

13.  ジョン・ウィック:パラベラム いやもうホント、これ、戦い過ぎでしょ(笑)。 内容的には、「戦い」というものに純化されてきているというか、だいぶ抽象化されてきていて、そこは良し悪し。好きな人にはタマランだろうし、そうでない人はちょっとついていけないかも(そんな人はそもそも、見てないか)。 ストーリーなんて、前作の続きと言えば続きだけど、要する前作のオマケに限りなく近くって、ただただ、ジョン・ウィックが命を狙われる。狙われまくって、これじゃあ、大好きなラーメンをお忍びで食べに行くのもままならない・・・。こういうのって普通、続編作るたびに「今回こそ最強の敵」みたいな好敵手をでっち上げるもんでしょ、と思うのですが、そういうのもいなくって・・・いや、マーク・ダカスコスが一応、その役どころなんですね、失礼しました。しかし、その対立軸が物語の中心という訳でもなく。 この作品が抽象的なのは、ジョン・ウィックがプロの殺し屋であり、殺人装置であり、死神であるから。これも普通の作品なら、戦いの前の緊張感、戦いに至る過程、といったものをどう描くかが重要になってくるのでしょうが、そのせいで、プロの殺し屋の筈であるヤツがムダな能書き垂れまくった挙句に相手の逆襲をくらったりする。我々はそれを楽しむ(笑)。ジョン・ウィックはそんなことはしない。躊躇なく相手を斃す。戦いは突然始まり、タメも何もなく機械的に戦いまくり、唐突に戦いが終わる。長回しで演出されるその戦いは、際限なく続き、そのアクションが繰り返しとなって単調になることすらも辞さない。流れる動き、死の舞踏。 一つのシーンでは、ある種の繰り返し(ジョン・ウィックがひたすらガラスに叩き続けられる)が行われることで、その執拗さが浮かび上がり、それが魅力にもなっているのですが、シーンが変われば別の趣向が展開されたりもして、例えばナイフの投げ合いなんて、これ、要は手裏剣ですよね。ニンジャアクションです。果ては、馬上ならぬバイク上のチャンバラ風アクションも。 常に夜の雰囲気、闇の雰囲気をまとった死神たるジョン・ウィックが、砂漠の陽光の中を彷徨うシーン。印象的でした。[インターネット(字幕)] 8点(2024-03-31 20:13:34)《改行有》

14.  ソニック・ザ・ムービー ゲームのキャラクターでまたもう一発、シリーズ映画作って儲けてみましょ、という以外に何一つ、製作の意図が見いだせない企画のように思われてしまうのですが、何か大それたことを描こうとしなかったお陰で、意外に楽しめる作品になっちゃってます。 地球の危機とか何とかいう大袈裟な事を言わず、ソニックなるCGキャラが、マッドサイエンティストみたいなオッサンに追われるだけ。いや、それすら重要ではなく、それにかこつけて、田舎町の警察官と友情をはぐくむ物語がロードムービー風に描かれます。 どこがどう良かったかと言われると、特に何も思いつかないんですが、何となく、憎めないという・・・。[インターネット(字幕)] 6点(2024-03-31 07:58:40)《改行有》

15.  復讐の荒野(1950) 《ネタバレ》 なんだかマカロニチックな邦題ですが(そういや『荒野の復讐』ってのは確かにありましたねえ・・・)、1950年、アンソニー・マン監督作品。西部劇と言いつつ、中身は父娘の愛憎劇。一種のホームドラマでもあります。 頑固ジジイの父親が父親なら、娘も娘。なんというか、リア王の悲劇は娘が3人いたことではなくって、一人でも充分だったんだなあ、と。 娘を演じる主演のバーバラ・スタンウィックが、素晴らしくハマリ役。髪型見てるだけでもイライラしてくる(笑)。いや、彼女だけでなく、登場人物みなそれぞれ、クセあり、インパクトあり。 ストーリー展開は、最初はじっくり、映画の3分の1くらいから、波乱が起こり始めます。なかなかにエゲツない展開。たしかに邦題の「復讐」ってのは、ひとつのキーワードになってます。 終盤、起死回生の父親が張り切るシーンが、印象的。その先には破滅が待ち構えていることを、見ている我々は予感しているだけに、余計に印象を強くします。 ラストは、大団円とは言えないまでも、せめて小団円か、と思わせて、それすらも否定する徹底ぶり。そこまでやるか、と。[CS・衛星(字幕)] 7点(2024-03-16 05:49:44)《改行有》

16.  クライ・マッチョ 『グラン・トリノ』を見た時の感動、というのは、これがきっと最後の監督・主演作になるだろう、という予感ゆえに感動したのか、それとも感動したがゆえにそのような予感がしたのか。今となっては渾然となってよくわからないのですが、はっきりしているのは、その予感は外れて、間遠になったとは言えその後も、現時点で2本、監督・主演の兼業をこなしている、ということで。なんという映画への情熱とバイタリティ。老人、おそるべし。 この主人公は、煮ても焼いても食えない奴だ、と思ったら、自分で主演やるんですかねえ。頑固者のイメージ。それが、自らの老いた姿とともに、映画の中に焼き付けられています。今回の主人公も、推定年齢200歳くらい(?)のジジイ。カウボーイの生き残り。かつて南北戦争でも戦ったことがある、と言われても驚かないような、そんな人。 この物語の主人公がこれほど年老いている必然性があるのか、と言われるとよくわからないけれど、とにかく、イーストウッドは「今の自分」をさらけだし、「今の自分」を主人公に重ね合わせる。御年、90歳。乗ってたクルマが不調で、車体の下をのぞき込む、そんな仕草だけでも、ゴクロウサマと言いたくなる、そんな光景となっています。 しかししかし、映画たるもの、カメラがあれば、肉体の衰えなど乗り越えた動きのあるシーンも作り出すことができる。ニワトリを追いかけるシーンの張り切りぶりなどは、映画に動きを与えるとともに、どことなくユーモラス。 少年と旅をするロードムービー、のようでいて、実はそんなに旅をしていないような気もするのですが、イーストウッドはとにかく、若い人に何かを伝えたがっている、という雰囲気が伝わってきます。何を伝えたがっているのかというと、このマッチョ教の教祖のような人が、今さらになってではありますが、マッチョだけじゃいかんのよ、と。 というか、チキン(臆病)もマッチョも、紙一重。大事なのは、勇気を持つこと。 などと言ってしまうと安っぽくなるけれど、だからこそ、言うのではなく、それを映画で表現してみせる。体現してみせる。 イーストウッドは例によってカウボーイハットを目深にかぶり、陰になった目元がよく見えないのだけど、帽子を脱いでその目元が露わになると、妙に可愛らしい瞳がそこにあって。 ジイサン、すっかり丸くなった・・・のかねえ。[CS・衛星(字幕)] 8点(2024-03-16 04:54:32)(良:1票) 《改行有》

17.  プリズナーズ・オブ・ゴーストランド 園子温監督とニコラス・ケイジ、禁断のコラボ。いわゆる「まぜるな危険」ってヤツですか。トイレ洗剤とかによく書いてますね。ははは。しかしアレ、そんなネガティブな書き方しなくても、「まぜなきゃ安全」とかでいいのでは、とか思っちゃうんですけどね。 とは言え、過去には事故もありましたから、PL法のもと、消費者の安全配慮、ということで。 では園子温とニコラス・ケイジを混ぜると果たして大変なことが起こるのかどうか、有害ガスでも発生するのかどうか、PL法にひっかかるのかどうか、ということなんですが、、、意外や意外、事前に想像したほどには、メチャクチャなことにはなっておらず。 いや、この内容で「事前に想像したほどではない」って、一体どこまでブッ飛んだなものを想像してたんだ、という話ではあるのですが、でも多分、皆さん同じ意見ではないでしょうか。 支配者側と被支配者側、2つの町を舞台に、アウトロー風のヒーロー(←役名もそのまんま)が活躍する近未来SFのノリ。その舞台となる街が、遊郭風の佇まい、未来と過去が入り混じったデタラメ世界。まさにこれ、「間違ったニッポン」そのもの、ではあるけれど、どうせ架空の町なんだし、何でもアリと言えば何でもアリ。せっかく日本人の監督がハリウッド映画を撮るんだから、他の監督では撮れないものを撮ってやろう、っちゅう事なんですかね。それなりにデタラメでありつつ、それなりにちゃんと風情もあって。この風情というのが遊郭のソレなのか、キャバクラのソレなのかはさておき。 アメリカ側で準備されたのであろう脚本を、監督がどの程度変更したのかあるいはしなかったのか、わかりませんが、この映画の物語にも「共同体」というものへの関心、みたいなものが感じられて、らしいと言えば、らしい。しかしそこにダークヒーローが一匹、紛れ込むもんだから、それなりに妙なオハナシにはなるのですが、かつて銀行強盗の際に遭遇した少年のことが心に引っかかり続けている、という優しさも、そこには盛り込まれて。 もうひとつの町「ゴーストタウン」が、大がかりなオープンセットを組んでいるとは言え、いかにもその辺の空き地で撮影しました、っぽい感じがしてしまって安っぽく見えるのが残念でしたが(撮り方、見せ方で、何とかならんかったもんか・・・)、にもかかわらずラストのカタストロフは、意外に見応えがあったり。 さて。園カントクの次のハリウッドは、あるのでしょうか。[インターネット(字幕)] 6点(2024-02-12 17:46:25)《改行有》

18.  セシル・B/ザ・シネマ・ウォーズ ハリウッドの商業主義に大して怒っているらしい、のは確かにらしいんですが、おバカ路線に走ってるもんで、どこまで本気で怒ってるのやらサッパリわからない怪作。ジョン・ウォーターズなりの「照れ」みたいなものもあるんでしょう。 それにしちゃ、おバカ度が足りない気もして、意外に本気だったりして?? ふと脈絡もなく(?)思い出したのが『マイク・ザ・ウィザード』という映画で、マイク・ジトロフなる奇人が、周囲の無理解に耐えているのか無理解に気づいていないのか、孤軍奮闘、ヘンテコな特撮映画を作ってる。それはまるで報われない行為だけど、我々はそれをひっそりと見て、ひっそりと応援し、ひっそりと感動する。 一方、この『セシル・B/ザ・シネマ・ウォーズ』。仲間集めて徒党組んで、ついでに女優を誘拐したりして。実は、これはこれで、恵まれてるんじゃないの、と。 確かにジョン・ウォーターズ、仲間には恵まれていましたよね。さすがに私には犬のウンコ食ってくれる友人はいませんし。 今回は今回で一応、メチャクチャやってて、いいっちゃあいいんですけど、空回り感もあって。何となく、「映画を見る人たちは自分達に喝采を送るだろう」ということが織り込み済みのようなところがあって、作品としては、迫力不足。[インターネット(字幕)] 5点(2024-01-21 19:32:27)《改行有》

19.  アナーキー(2014) シェイクスピアの戯曲を、現代を舞台に蘇らせる。ってのは良いとしても、よりによって「シンベリン」を選ぶというのが、実に冒険的、いや、実に無謀。実にアナーキー。原作はシェイクスピア晩年の「ロマンス劇」期の一作。荒唐無稽。特にこの「シンベリン」は近年まで失敗作とみなされていたらしい。 こういう作品を、そのまんま、ギャング映画に仕立てちゃってます。ちくま文庫のシェイクスピア全集で読めますけどね(ヒロインの名前が版によって2つの説があり、ちくま版はイモジェンではなくイノジェンを採用)。いやホント、そのまんま。って言うか、この内容でオリジナル脚本だったら、ビックリしまっせ。 という訳で、あくまでコレ、シェイクスピアをやってるんですよ、というのがわかるように、いかにも演劇調のセリフ回し。元のストーリーが不自然な上に、セリフ回しも不自然で、もはやヤケを起こしているような映画ですが、ある意味、バランスが取れてると言えば、取れてます。 セリフが多くなってしまっているとは言え、映像はしっかり陰影に富んでいて、雰囲気、悪くありません。ヒロインが森を歩く場面なんかも鮮やかで、いいですね。 劇冒頭の紳士の会話は、映画ではテロップ表示に置き換えられ、断片的な映像が示された後、舞台は一週間前へ。夜の雰囲気。ここで流れる音楽が、おや、これは、ジョン・ケージ作曲の「ある風景の中で」、じゃなかった、これは「夢」の方ですね。どうもこの2曲、ごっちゃになる。ここでジョン・ケージの曲が使われているということは、もしかして、我々が気づいていないだけで他にもケージ作品が劇伴に使われてたりして。例えば、劇伴が流れていないと思しき場面でも、実はケージの「4分33秒」が流れている、ってことなんだろうか、んなアホな。 それはともかく、この作品。どうしてこんな作品を作ろうと思ったのかが最後までナゾなんですが、それでも何でもちゃんと見応えがあるもんだから、狐につままれた気分になる。悪い気分ではありません。[インターネット(字幕)] 7点(2024-01-08 07:26:41)《改行有》

20.  ホーンティング もともと『スピード』の時から、ヤン・デ・ボンという人は監督業には向いてないんだろう、と思ってたんですが、実際、ああいうネタ自体の企画の良さというアシストが無いとたちまち馬脚を表し(いや、『スピード』も充分ポンコツだけど)、監督業からはフェイドアウトしてしまいました。『スピード』以上に、スピード感のあるキャリア。 で、監督としてのキャリアの最底辺に位置するのがもしかしたらこの『ホーンティング』ということになるのかな? 『スピード2』とどっちが下か? とか、まあ、そんな事はどうでもよくて、個人的には(極めて個人的には)『ホーンティング』は割とイイと思っちゃうんですけどねえ。そんなこと思っちゃって、すみません。 正直、物語と言えそうなものは殆どなくって、古い屋敷における怪異が、いかにも地味~なテイストで描かれます。ホラー映画ではよく、思わぬタイミングで突然誰かと出くわして一瞬ビックリ、なんていうカマシのシーンがありますが、そういうのもこの作品では、皆無とは言わぬまでも相当に控えめ。登場人物の数もごく少なく、殺され要員みたいな若者いないため、スプラッタ方面に走る余地もなく。何というか、ゴシック調のダークファンタジー。 で、ストーリーテリングという重荷が外れたせいなのかどうなのか、これだったらヤン・デ・ボンにだって撮れちゃう!ってな感じで、思いつくまま気の向くまま、何となく怪異らしきものがダラダラと、じゃなかった、点描的に描かれていきます。ガランとした広大な屋敷の雰囲気、飾られた肖像画のあやしさ、等とも相俟って、なんかいい感じ、ついつい引き込まれ、これだったら何時間でも見てられるなあ、と。いやホントにこのペースで3時間も4時間もやられるとツラいとは思いますが、それでもこの雰囲気は、なかなか。ピーター・ハイアムズのように撮影監督を自分で兼ねよう、という訳ではなく、別の人に撮影を任せてはおりますが、ヤン・デ・ボンの撮影監督としての出自が、この雰囲気作りに活かされているのでは(・・・と、信じたい)。 一応、まったくストーリーが無い訳ではなく、映画としてそれなりにオチをつけるけど、正直、そこはどうでもよくって(ああ、言ってしまった・・・)。怪異を並べるための、方便。それを描くCGのクオリティも、当時としては上々の部類と言ってよいのでは。技術の高さというより、見せ方のうまさ。 話はかわりますが、ヤン・デ・ボンという名前を聞くと未だになぜかゴジラを連想し、「アメリカ版ゴジラ」という言葉を聞くとなぜかヤン・デ・ボンの名前を連想してしまいます。実在しない映画、実現しなかった企画。いや正直言うと、「ヤン・デ・ボンがゴジラ映画なんて勘弁してくれ」と思った記憶もあるのだけど、それでも今となっては(アメリカでも普通にゴジラ映画が作られるようになってからは特に)、エメゴジも嫌いじゃないけどデボゴジってのも見てみたかったなあ、と思うのでした。ストーリーなんて、要らないから。 余談だけど、この『ホーンティング』の撮影監督であるカール・ウォルター・リンデンローブって人、実はエメリッヒ組だったのね???[インターネット(字幕)] 7点(2024-01-08 07:25:15)《改行有》

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