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プロフィール |
コメント数 |
363 |
性別 |
女性 |
自己紹介 |
とにかく毎日忙しい、とか言ってなかなか映画を観ないと、観たい映画リストがどんどん長くなっていく。 このまんまじゃ死ぬまでに間に合わなくなっちゃうから、とにかくどんどん観ようっと。 |
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1. ぼくのエリ 200歳の少女
《ネタバレ》 もうね、まず、映倫というところはちゃんと映画も見ずに審査しているどうしょうもない機関だということがはっきりわかりましたね。
もし、本作をきちんと観た上で「映ってもいない性器」をカットする必要性があると判断したというなら、もう映画というものがなんにもわかっていない蒙昧極まる人たちなので、そのような人たちが審査をしたり、いわんや「優れた映画の選定」なんかをしているなんて、お粗末すぎて嗤うしかありません。
あのぼかしが入っているシーンに映っているものは、男性器を去勢したことを示す傷跡です。
つまりオスカーが幼い慕情を寄せた相手は、人間でもなければ、女性でもなかったという残酷で極めて重要なシーンなのです。
しかしそれでも、彼らは共に生きて行こうと決意する、その純粋さに観客は胸を打たれるのです。
本作は単にホラーとしてのヴァンパイアものにとどまらず、捕食者と餌者である2人の間に存在する絆や、生物が生を得るためには必ず犠牲を必要とするその残酷さと哀切を静かに詩情豊かに描いた秀作です。
撮影や音響も素晴らしく、褒めたいところが山ほどあります。
ですが、原作など作品以外の情報で補完しなければ本来の物語を理解できない映画は映画とは呼べないし、核部分を隠されてしまった作品について感想を述べることなど出来ようもありません。
従って、この素晴らしい映画に、私はとても悲しいけれど、あえてレビュー不能の0点をつけたいと思います。[映画館(字幕)] 0点(2011-10-18 11:59:08)(良:2票) 《改行有》
2. 奇跡の海
『ダンサー』に続き本作を観て、トリアー監督が描きたいものの本質が「無垢な魂」であることに気付いた。
「無垢な魂」は身を守る術を持たない。「無垢な魂」は妥協により周囲と調和する術を持たない。それ故、頑迷なまでに愛を貫く。
しかしそれに触れる、汚れてしまった私はたまったものではない。
「常識」「道徳」「協調」「理性」「良識」といった、大人が持つべきとされる観念を真っ向から否定されたような嫌な気分だ。
監督はまた、そうした「大人の良識」も時として残酷に人を裁いていることを、教会を中心としたコミュニティを描くことで突きつけている。
個人的には、ハンディカメラによる撮影の手ぶれや、編集のジャンプカット、甘いフォーカスなどは、どうも気になる。こうした手法が生々しさを生んでいる面があることは否定しないが、ダンサーでも書いたとおり、撮影者の存在を強く感じさせるというマイナス面もある。
また、真に無垢な魂は、世間と相反する形でしか存在し得ないのか、疑問を覚えるし、ラストでこの残酷な物語をファンタジーに帰着させるというのもやや安易に感じる。
とはいうものの「無垢な魂」に触れた感動に涙を流すか、「理性なき愛の形」に嫌悪を催すか、いずれにせよ私たち観客が目を背けることを許さない吸引力のある映像に、この監督の並々ならぬ力量を感じる。[ビデオ(字幕)] 8点(2004-04-20 15:07:31)(良:2票) 《改行有》
3. マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ
少年の望んだことは、母と穏やかに笑いあう生活という実にちっぽけな夢。彼は「ライカ犬」との比較で自分の幸運を納得させようとする。もうだめ。私にとっては少年の述懐で始まる美しい冒頭でもうお腹いっぱい。ラッセ監督の作品は素晴らしいと思う。一切の無駄を排した潔い演出、美しい映像、大人の視点での説明臭さもない。しかし私はこの監督が実に苦手だ。それは粛々と進む内省的な物語の中に潜む残酷性と対峙する勇気を私が持たないからかもしれない。6点(2003-06-04 13:04:59)
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